『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー 作:こもれび
結局あの後、ぶち壊しになった食事会はそのままお開きになった。当然だろうな、俺と雪ノ下の申し合わせたような、それこそ『戯言』を聞いた雪ノ下母が茫然自失になってしまい、葉山の方も、すぐに隣の部屋の三浦を迎えに行って、真っ赤な顔になっている三浦の手を引いて連れてくると、母親の目の前で『この優美子さんとのお付き合いを認めてください』と宣言。三浦もぎこちなく慣れない丁寧な口調で自己紹介したところを、聞こえているのか不明な感じでその母親がコクコクと頷いていたのだ。
そのような様子であったから別に警察を呼ばれるようなこともなく、雪ノ下が母親に、先に帰るからと言って席を立ったことをきっかけにその会は完全にお開き。
俺も後程謝罪に伺いますとだけ言って、その部屋を出た。
これは後で聞いた話だが、あの会でもっとも割を食ったのは雪ノ下陽乃さんであったようだ。会場になった高級フレンチレストランのスタッフに謝ってまわり、更に泣きだした雪ノ下の母親の面倒を見つつ自宅へ送り届け、更に更に招待した葉山の母親にもきっちり謝罪した上、その後詫び状まで書いて届けるなど、戦後処理? というか、俺の自爆テロ処理に奔走したのだそうだ。
当然その時の俺に知る由もなかったわけなんだが……
「ゆ、ゆきのん……あたし……」
扉を開け、廊下へと出るとすぐそこに由比ヶ浜が立っていた。
今にも泣きだしてしまいそうな感じで震えている彼女は、ギュッと手を握りしめて俺たちを見ていたのだが、そんな彼女に雪ノ下が言った。
「由比ヶ浜さん、本当にごめんなさい。私……少し自分勝手だったみたいね……」
「そ、そんなことないよ。ゆきのんは悪くない。うん、悪くない。あたしもゆきのんの気持ち分かって上げられなかったから……だから、ごめん」
「由比ヶ浜さん……」
そのまま二人は近づいて……ぎゅうっと抱き締めあって……って!!
「お前ら、いきなりハグしてんじゃねえよ。目のやり場に困るよ、マジで恥ずかしい」
二人の女子が泣き笑いのまま抱き合って、間違いなく息がかかるであろうその距離まで唇を近づけてしまっている今の状況……はっきりいって倒錯感が半端ない。なに? このままそっちの世界に行っちゃう気かよ?
「あら? あなたもこうしてハグして欲しかったのかしら? そういえば虚言と妄想ラッシュで人の家庭をめちゃくちゃにしたあなたの言葉の通りなら、私とあなたはすでに肉体関係にあったようだし、それならハグしても問題ないのかしら? ねえ、嘘つき谷君?」
「肉体関係っ!?」
「お、お前いきなりなんてこと言いやがる!! それなら、お前だって、あの日の夜のこととか、めっちゃドキドキしちゃうこと言ってたじゃねえかよ!! あれマジで何かあったんじゃないかって気になっちゃったじゃねえかよ? どうなんだよ!? 期待しちゃうぞ!!」
「夜のこと!?」
「あ、あるわけないでしょう! な、なにもないに決まってるでしょう!!」
由比ヶ浜をぎゅうっと抱き締めたままで真っ赤になってそう答える雪ノ下。いや、いまのそのユリユリした感じで何を必死に否定されても全く説得力ないぞ! エロエロしいっ!!
マジでヒッキー君とは何かあったんじゃあるまいかっ!?
抱きつかれてる由比ヶ浜はといえば、驚愕しきりでこっちもこっちで真っ赤だし。
少しして落ちついた感じになったところで雪ノ下が由比ヶ浜を解放した……が、由比ヶ浜は雪ノ下の袖をぎゅっと摘まんでそれを放さなかった。
「ゆきのん……本当に何もないよね? その……ヒッキー……とは……なにも?」
ぽそぽそとそう話す由比ヶ浜に雪ノ下が言い切った。
「誓って言うのだけれど、本当に何もないわよ」
「そう……なんだ」
由比ヶ浜はそれでも何か不満そうではあったが、ひとつ唸ってから頷いたのだった。
おーおー、由比ヶ浜は本当にヒッキー君ラブだなぁ。
まあ、俺にあれだけ熱く告白したくらいだし、この反応も当然か。
でも辛いよなぁ。この関係。
端から見てて思うのだが、この雪ノ下も相当にヒッキー君に傾いているっぽい。
まず、俺の世界の雪ノ下とは根本からして違うのだが、俺や由比ヶ浜や他人に対して胸襟を開きすぎているのだ。
俺の知っている雪ノ下はといえば、俺を含めた他人に対しては侮蔑と軽蔑のこもった対応に終始するのだ。それこそ、見下しているとしか形容できない口ぶりと態度で、人の話をまったく聞こうともしないし。
言ってはいないが、視線だけで、『この下等生物っ!』ってな感じで罵倒されている気までしてくるのだ。それにちょっと気持ちよく感じはじめていたことはここだけの秘密だ。
対してこの雪ノ下。
口調こそたまにあの雪ノ下と同じようになることもあるが、ほぼほぼ平常は穏やかだし、たまにデレッとした表情になったりと可愛い反応を示すことだってある。
つまりこいつも相当に異性にほだされているのだろうと想像はつく。で、ここでいう異性とは当然ヒッキー君。
あいつめ、いったい何をどうやってこの雪ノ下の心を掴みやがったのか。
俺なんか半年も一緒にいたのに、話しかけるどころか近寄ることすら出来なかったってのに。
まあ、だがその理由もなんとなくはわかっている。
由比ヶ浜だ。
こいつが緩衝材となってくれたからこそ、雪ノ下もヒッキー君も歩み寄ることが出来たということだろう。こいつは人との係わりあいを本当に大事にしている。
それは自分の為というよりも、そうであって欲しいと願っているかのようでもあるのだ。
由比ヶ浜はあの修学旅行の時、告白もできずに全てがなかったことになったあの時に泣いたのだ。『こんなの嫌だよ』と。
あれで由比ヶ浜が何かを失ったわけではない。だが、彼女は大切にしたかったのだ、人の思いを……人との繋がりを……それが他人のことであったとしても。
そこに利害があるなしに……
彼女はいつも真実を見てきたのだと思う。純粋な人の気持ちに寄り添って、それに雪ノ下も心を動かされたのだろう。だからこそ、由比ヶ浜も雪ノ下もこの偏屈な俺とまったく同じであったはずの存在であるヒッキー君と良好な関係を築けたのだ。
そして、出来上がったこの微妙な三人の関係……
寄り添い始めた雪ノ下のことを気にかけるあまり、由比ヶ浜はヒッキー君から離れざるを得なかった。
それは心を開きつつあった雪ノ下が離れてしまわないようにという配慮か何かだったのだろう。その雪ノ下の思いが恋愛感情に変わるかもしれないことを恐れつつも、由比ヶ浜はそれでも彼女とヒッキー君と一緒にいる道を選んだということだ。
本当に……
『
そんなことを思い、でも、嬉しげに微笑む二人を見つつ俺は、二人ともが幸せになってくれればと切に願った。
× × ×
その後俺たちは一色たちと合流。そして集められた大勢の雪ノ下ファン(?)が一斉に『転校しないで』コールを上げるなか、真っ赤になった雪ノ下が『多分転校しません』と小声で言ったことで、一堂の歓声が響いたことをもってこの集まりは解散となった。
それと、今回のことはすぐに平塚先生に3人で報告。正直めちゃくちゃ怒られた訳だが(特に俺が……理不尽だ)、この直後に先生も一緒に雪ノ下家へと謝罪にいくことになり、雪ノ下の父親と、さっきまで一緒だった母親の二人に面談。このとき、雪ノ下陽乃さんは葉山の家に行っていたようで留守だったわけだが、俺に恐れおののく母親とは対照的に、厳しい顔で対応した父親とは冷静に話すことができた。
だが、この話……親父さんはすでに陽乃さんから聞き及んでいたらしく、陽乃さんが画策したことや、俺たちを挑発したことまで全て知っていたことで、話自体はあっという間に終了。
その上で、俺たち全員、親父さんに逆に謝られた。
それにかなりびっくりしたわけだけども、彼曰く、
娘の気持ちも考えず、親の都合だけを押し付けていたということが今回はっきり分かりました。
これからはもっと娘の気持ちを考えようと思います。
転校も本人の希望に会わせたいと思います。
そんなことを宣言された。
だがまあ、その隣で、鬼の形相で母様が睨んでおられたから、そう一筋縄ではいかないのだろうとも思えたのだけれども。
いずれにしても、あの俺の自爆テロの顛末はあっさりと解決してしまっということになる。
それともうひとつ。
三浦をあの場に放り込んだ葉山の件。
葉山が前後不覚に陥っている自分の母親に三浦を紹介した後、二人きりでどうも告白しあって完全にカップルになってしまったようだ。
俺の想像通り、葉山は三浦に好意を寄せていたが、家や親のしがらみのせいで付き合うことはできなかった。
だが、今回のことでその良く分からない束縛が完全に崩壊してしまったことで、葉山も決心がついたようだ。
三浦については、当初からお前が告白しろと俺が促していたこともあり、あの乙女ギャルもようやく自分の気持ちを吐き出せたわけだ。
俺にとってはどうでもいいことだが、本当に良かったな。
この際だから葉山。お前が台無しにしたあの戸部の告白も、もう一度お前が手伝ってやれよ、と、俺は密かに心のうちで思ったのだった。
うん、思っただけ。本当にどうでもいいことだったから。
× × ×
そんなこんなで奉仕部崩壊の危機でもあった今回の雪ノ下の転校騒動も一件落着。
雪ノ下も自分から転校の取り止めを宣言したことで親もそれを承認。今までと変わらずに総武高へと通うこととなった。
そして奉仕部はあのぬるい日常を取り戻した。
穏やかな表情の雪ノ下へと楽しげに話しかける由比ヶ浜、そして時折その会話にまざることで、存在感をアピールするこの俺。
そうこうしているところへ、小説を呼んでくれたまへーと材木座が駆けこんで来たり、生徒会人手が足りないんですよーとか言いながらも、お茶をしにくる一色が居たり。
三浦が葉山を引きずって連れてきて、ただラブラブしているところを見せつける為だけに現れたり、新しいテニスウェアを買ったからと言って、わざわざ俺の目の保養のために戸塚が現れたりとか(違う)。
そんなぬるいぬるい日常が、俺たちを包んでいた。
だが、それが見せかけだけの、ただのまやかしであることを俺は知っていたのだ。
「比企谷君、一緒に帰ろ」
「お、おお……」
ある日の放課後、部活が終わり、自転車を押して正門へと向かっていた俺へと由比ヶ浜がにこやかに声をかけてきた。
バス通学である由比ヶ浜の利用するバス停は、俺の家の方角と一緒。だから、彼女と合流した時は、いつもこうやってバス停までは自転車を押して並んで歩いた。
彼女はいつもとかわらず明るく見える。
しかし、それが彼女の素顔でないことを俺はもう知っていた。
「えへへ……まだお礼を言ってなかったよね、比企谷君、本当にありがとう」
「お礼? なんの?」
唐突にそんなことを言われなんのことか思い付かなかったわけだが、そんな俺に由比ヶ浜はにこりと微笑んだ。
「ゆきのんのこと。それと、あたしのこと。比企谷君が助けてくれた。あたしだけじゃあ、やっぱり何もできなかったから。だからありがと」
「…………」
俺はそれに何も答えられなかった。
由比ヶ浜が言っているのは、あの雪ノ下の転校騒動のときの俺の自爆テロの話をしているのだろう。
あのとき由比ヶ浜は、俺とは別の方法で雪ノ下を引き留めようとしていた。
彼女なりに必死に考え、足掻いて、答えを求めて、由比ヶ浜は行動していたのだ。
だが、俺はそれを否定した。否定して、そして俺が全てを肩代わりしてしまった。彼女の全てを蔑ろにして。
あの選択が本当に正しかったのかどうか、それは分からない。
俺は俺にとっての最善と思える方法をとっただけ、そこに由比ヶ浜の思いを考えたりはしなかったのだ。
「別に……お前にお礼言われるようなことはしてねえよ」
「うん……でも、それでもありがとう」
「うぅ」
由比ヶ浜は俺をまっすぐに見てもう一度言った。
俺はその笑顔を直視できず、思わず首を捻ってしまう。そして、自分の心音が高まって、それが耳に響き始めていることを確かに感じていた。
いつからだったろう、いや、初めて話した時からかもしれない。
俺はこいつの笑顔が気になるようになっていた。
いつまでも見ていたい。ずっと俺を向いていて欲しい。そんな欲望が滾々と俺の内から湧き上がってきていたのだ。
話しかけられ、有頂天になって、それで俺はこいつと一緒にいることをいつでも楽しみに感じるようになっていたんだ。そんな日々の中だったからこそ、俺はあの修学旅行のときにこいつに告白までしてしまった。
だが、あれはただの勘違いからの、打算しまくった上での告白。
俺はあのときただ浮かれていただけ。
人生で始めて女子に好意を持たれたかもしれないという、あの時の調子に乗っていた俺自身のことを思い出すと、それだけでいまだに死にたくなってくる。
そのような自分勝手な思いであったあの時、由比ヶ浜が考えていたのは、もう一人の俺、『ヒッキー君』のことだったのに。
それを知って、それが分かって、彼女が絶望に打ちひしがれて泣いていたことも知って、それでも笑顔を向けてくれる彼女のことを、俺はやはり『欲しく』なっていたのだ。
今ならばひょっとしたら……
お礼を言われるほどのことを確かにした今の俺ならば或いは……
告白して強く求めれば断らないのではないか……
「ゆ、由比ヶ浜……?」
「ん?」
思わず呼び掛けてしまっていた。
考えなんて何もまとまっていなかったが、目の前にいる由比ヶ浜に、今なら俺は言うことを聞かせられるのではないか? 俺の物になってくれるのではないか? 大丈夫なのではないか?
こいつはあの時、俺を『ヒッキー』と確かに呼んだんだ……
で、あれば、こいつは俺をヒッキーと同等と見なしたということになるのではないか?
だったら……
『俺がヒッキーになっても問題ないではないか』
その文言がまるで福音の様に俺の頭脳を侵食し、そしてその欲望の成就こそが由比ヶ浜の最高の幸福なのだと……
そんな考えが俺を満たしていた。
「由比ヶ浜……」
もう一度、呼んだ。
呼んでそして、俺をジッと見つめてくる由比ヶ浜を見つつ、俺は息を呑む。
そして、震えが込みあがってくるのを確かに感じつつも、確信を持って俺は口を開いた。
「俺は、お前を……」
その時の事だった。
由比ヶ浜は俺に柔らかく微笑みかけたのだ。
今までだって、何度も何度も彼女は俺に微笑んでくれた。その笑顔が欲しくて、手に入れたくて、その温かさ、優しさが欲しくて、俺は彼女を求めた。
それが分かっていて、そしてそんな彼女が俺へとむけてくれたただ一つの笑顔。
ヒッキーに成り代わってでも手に入れたいと思った彼女のその笑顔を見て、俺はその時決意した。
「俺は……俺が……必ずお前とヒッキーを再会させてやる。何が何でも、絶対にだ」
「え?」
言い切って俺は全身の力が抜けてしまったような感覚を味わっていた。あんなにも欲しかったのに、多分本当に手に入れられたのだろうと思えたのに、俺は最後の最後で自分から由比ヶ浜を『諦めた』。
いや、そんな言い方は烏滸がましいか。彼女は俺なんかのモノではないのだから。
小さな声を一つ漏らした彼女が驚いたような顔で俺を見ている。
そんな顔で見るんじゃねえよ、悲しくなるだろうが。
由比ヶ浜は分かっていたんだ。
俺が由比ヶ浜に本気で思いを寄せ始めているのだということを。だから、さっきあんな笑顔をした。
もう……全てを諦めてしまったかのような……寂しげで儚い笑顔を……
仕方がない、もうどうしようもない……そんな笑顔を……
そんな顔をされて、そんな顔をしてまで無理に俺に合わせようとしてくれるその気持ちを理解していて、それで由比ヶ浜をNTR出来るほど、俺は人でなしじゃあないんだよ。
まったく、俺も大概お人よしだよ。
由比ヶ浜はヒッキーとの再会を諦め始めているのだ。
会えない日々は、思い出を上書きし続ける。そして、ヒッキーがいないことの証明こそが俺という存在。
俺がいる限りヒッキーは現れない。
そんな予感が俺の中にだって確かにあるのだから。
「大丈夫だ、必ずお前に会わせてやるから」
「比企谷君……」
自転車を押しながらもう一度そう言った。
と、その時、目前に迫っていたバスの停留所にバスが丁度停まるところだった。
由比ヶ浜はそれを見てたたたっと小走りに駆けていく。
そして、バスに乗る前に俺へと振り向いた。
「本当にありがとう!!」
大きな声で、そして満面の笑顔で……彼女は俺へと手を振った。
「ああ、確かに約束した」
聞こえるわけがない小声でそう返しながら手を振った俺は、眩しいくらいの彼女の笑顔を見つめながら、ああ俺はやはり振られる側なのだなと、敗れさった片思いの胸の痛みを味わっていた。