『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー 作:こもれび
「ヒッキーをこの世界に呼び戻すぞ」
「…………」「え?」「何を言ってるんです? せんぱい?」
俺は奉仕部で宣言した。
由比ヶ浜、雪ノ下、そしてなぜか長机にだらしなく頬杖をつきつつ紅茶を飲んでいた一色にも伝え、というかお前は生徒会室に帰りなさいよ……まあいい、とにかく改めて宣言したことで本格的に俺はその方法を模索することとしたかった。
「言った通りだ。俺がこの世界の存在ではないことは説明不要だと思う。俺にはここで展開された様々な事象についての記憶がちがうのだからな。文化祭だとか由比ヶ浜のこととか」
ただ黙る由比ヶ浜へと視線を一度向け、その苦笑を見てから雪ノ下と一色へと視線を移すと今度は雪ノ下。
「改めて聞くのだけれど、本当に異世界
「あー、そんな映画ありましたよねー! 自分が奥さんだと信じていた人がただの役者さんで、別の記憶を信じ込まされてただけだったとかいう、シュワちゃんのやつ」
いったいどこのテッショウなシュワちゃんだか知らないが、それは確かに俺も感じていたことではあった。
「それは俺も考えたよ。俺自身がヒッキーで、だけど記憶を失って今の俺の記憶を上書されてて……とか、そっちの方が異世界から来たとかいうより、もっと科学的でリアルな気もしたしな。でも、それだってじゃあ誰が何の為にしたのかってことになるし、そもそもこの俺だってこの数年間の詳細な記憶を持っているんだ。少なくともその中に相模とかいう奴が実行委員長をして奉仕部で手伝った文化祭の記憶はないし、由比ヶ浜とは出会いもしなかった。俺はただずっと、雪ノ下と二人きりでこの奉仕部にいただけだ」
そう言った途端に雪ノ下が真っ赤になったわけだが、お前がどんだけ甘いことを想像しているのかは分からないが、はっきり言ってまったく違うぞ。あの空間でのお前はまさに氷の魔王で、パッシブで凍てつく波動を出し続けていたんだからな。少しはその女の子らしい反応をあの雪ノ下に分けてやってくれよ。頼むから。
「まあ、そういうわけだから本気でヒッキーを探そうと思う。まだやり方はまったく見当がつかないけれども」
こうして奉仕部全員でこの問題に向き合うこととなった。
ここに居るメンバーはといえばいろいろありはしたが、基本最初に俺に異世界人説が浮上した時にも同席しているし、今となっては俺の意見を信じるというよりは、理解してくれていることは間違いなかった。
嘘か誠かはあまり関係ないのだ。
『俺が異世界人であり、この世界にいた俺……ヒッキーとなぜか入れ替わってしまった』
一応、俺の記憶の書き換えだとか、そんなことも含めてではあるのだが、これを命題として問題の解決に取り組むこととした。
× × ×
まずやったのは由比ヶ浜家での調査。
俺異世界人説の言い出しっぺでもある由比ヶ浜がその根拠とした、例の月刊誌、『ム〇』。
それを確認するために、由比ヶ浜家のパパの蔵書を確認させてもらうことにした。
一色も含めた4人で訪問すると、めっちゃ由比ヶ浜に似ている若すぎる母親が俺達を猛歓迎。出るわ出るわジュースとおかしの雨あられ。それを出しつつ自分も話に参加しようとしてくる母親を由比ヶ浜は猛烈な勢いで追い出しにかかっていた。あの人絶対ドアの外とかで待機してる気がしていた。というか、トイレに立ったら、マジで廊下でニコニコニーなママさんと遭遇して本気で気まずかったし。
パパさんの俺を見る目も超怖くて本気で居心地悪かったのだけれども。
いずれにしてもだ、ここでの情報収集ではあまり良好な成果は得られなかった。
何しろ相手はあの日本最高峰のオカルト雑誌。書いてある内容がぶっ飛びすぎていて理解が追い付かない上に、パパさんの蔵書量が創刊号から全て揃っているのではなかろうか? 的な膨大過ぎる多さに俺達は危うく精神を病むところだったのだ。
一色とかちょっと本気で宇宙人の存在信じ始めてる節もあったしな。お前影響受けやすすぎだろう!!
なんとか拾った異世界に関する記事をノートに書き写し、後は由比ヶ浜にパパさんの聞き取りをお願いしてその日は終了。愛娘とオカルト談義に花を咲かせるパパさん、無茶しすぎて嫌われないようにな、と勝手に心配しておいた。
次にやったのは所謂『黒魔術』と呼ばれるものの調査。
異世界転移とは少し違うが、ヨーロッパでは悪魔召喚、いわゆる『サバト』の儀式などが実際に行われていたし、日本でも『いたこ』など、外世界とのコンタクトをとる慣習もあった。このへんのことは雑誌『ム○』にも色々載っていたが、調べてみると大学などでも本格的に調査しているところもあって、某大学にて黒魔術についての膨大な資料を閲覧させて貰うこともできた。
だが、結局は『民俗学』や『風俗学』などがメインの研究、六芒星、五芒星などの召喚魔方陣の記述があっても、本当に召喚出来るわけではない。
ゲームやアニメの様に、ぽんぽんサーバントを召喚出来るわけではないのだ。
ならばと、今度は相対性理論などの物理学の研究書も読んでみたが、はっきり言ってとてもじゃないが理解出来る代物ではなかった。仮説に仮説を重ねて、宇宙誕生からの時空の存在の証明とか、これで何かわかるならアインシュタインさんはとっくの昔にタイムマシンとか、どこでもドアを作っちゃってるって話だよな。
とかなんとかしているうちに月日が経っていった。
年末に一色の生徒会のクリスマスイベの手伝いをしたりだとか、年明けに雪ノ下の誕生日会を催すからと俺達全員がお屋敷へ呼ばれたりだとか、マラソン大会の時に優勝した葉山がみんなの前で、三浦に感謝の言葉を伝えて男子に総スカン食らったりだとか、本当に色々あったのだ。
そして今日。
俺達は再び一色の頼みの元に、生徒会主催のバレンタインイベントを手伝っている。
全員で朝から色々準備して会場設営をしつつ、雪ノ下は共同で講師をすることになった陽乃さんと二人で今は一連のプログラムを打ち合わせ中。
陽乃さんもあの事件以来かなり丸くなった印象がある。というより、これがこの人の素なのかもしれないな。
もともとは雪ノ下を挑発するようなことを言って、それに戸惑う姿を見て楽しんでいる風だったのが、今では何を言っても平然と全て打ち返してくるようになった雪ノ下に逆にべたべたするようになった。すぐ笑顔で抱きついてるし。この人、本当に妹大好きだな。雪ノ下の奴真顔で嫌そうにしてる時あるからマジでそろそろやめた方が良いと思いますけどね。本気で嫌われますよ?
一色と生徒会の連中も共同開催先でもある海浜総合高校の生徒会とあれやこれややりとりをしているのだが、連中本当に小難しいことを言っているばかりで何を言いたいのか分からないため、全部丸投げして俺と由比ヶ浜は近くのスーパーへと買い出しに来ていた。
「えーと……ザラメと黒糖と、あと、あの銀の丸いやつだって……なんだっけ?」
手にしたメモ用紙を見ながら俺にそんなことを聞いて来る由比ヶ浜。
そもそも料理をしないこの俺にそんなことを聞かれたってわかりはしない。しないのだが、なんとなくそれの存在は知っていた。以前小町がケーキを焼いたときに、そんな感じの銀のつぶつぶを載せていたから。
「あー、あれだろ? 『仁丹』みたいな奴だろ? 名前知らねえけど」
「へ? じんたん? ってなに?」
「仁丹ってあれだ? おじいちゃんとかが大好きな良く口に放り込んでるやつだよ」
「おじいちゃんとかになると好きになるの? そんなのケーキに載せるんだ?」
「載せねーよ、ちげーよ仁丹の話してんだよ。要はフリスクみたいなやつだよ」
「フリスク? フリスクは白いよ? 買うのは銀のだよ」
「知ってるよ! だから俺が話してるのは仁丹の話であってだな……」
思わずそうツッコミまくって話しながらチラリと由比ヶ浜の顔を見れば、おかしそうにクスクスと笑っていやがった。
こいつ、全部分かっててこう返してきてやがったな。まったく、俺の反応を見て楽しむとか本当にたちが悪い。
だが、まあ、こんな風に二人で居て話すのは本当に楽しいとも思えてしまっていた。
あれから俺達は何か月もヒッキー君を探し続けていた。
色々調べて、魔法陣とか呪文とかいろいろ試してもいたんだ。
放課後に部室で魔法陣描いて、生贄に何がいいのか分からないままに、尾頭付きとエビとメロンと昆布をおいて、『えろいむえっさいむ~~』とか、『素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。 祖には我が大師シュバイン~~』とか、『ドーマ・キサ・ラムーン~~』とか、本当にいろいろやってみたんだ、wiki片手に!
だが、結果としては何もかも成功しなかった。
過去に並行世界の移動についての論文を書いた『遠坂時臣』とかいう人に会いに行ったりだとか、ネットでオカルト情報サイト『アウターゾーン』の『ミザリィ』さんに相談してみたりだとか、異世界から来たっぽい『デ〇モン小暮』閣下に相談の手紙(ファンレター)を送ったりもしたが、結局は何も解決されなかった。
必要な物を全部買い物かごにいれ、由比ヶ浜と二人で会計を済ませてそれを持って外に出た。
俺が全部持つと言ったのだが、袋は全部で3つ。一つ持つとどうしても譲らない由比ヶ浜に俺は一番軽い奴を渡した。
そして並んで歩く。
外はかなり寒く今にも雪が降ってきそうなくらいな様子。
肌を刺す寒さに震えつつ俺はマフラーに顔を埋めた。
そしてちらりと由比ヶ浜を見てから言った。
「この前会った遠坂さんからメールがあった。バレンタインの日の前後でこの辺りの龍脈の『魔力』が高まりそうなんだと。だから、召喚するならバレンタイン前後が良いらしいって言ってたから、とりあえず自分の部屋に魔法陣を描いておいた」
「へー」
由比ヶ浜の反応は素っ気ないものだが、別にこれは俺を小馬鹿にしたわけではない。
この数か月、ありとあらゆる手段を試してきた俺たちにとって、この程度のオカルト話はもう日常の一部でしかないのだ。
もう奉仕部じゃなくて、オカルト研究部とかに改名した方が良いのではなかろうか?
ヒッキーは無理でも、英霊くらいなら召喚出来ちゃうんじゃないかってくらいの知識は、すでに身につけてしまっているのだから。
「ちょうど、今夜あたりでもう一度召喚の儀式をやってみようと思う。お前も来れるか?」
「うん」
由比ヶ浜はやっぱり素っ気ない。
だが、これでいい。
俺達はただ、たんたんと……
そうたんたんと、ヒッキーを迎える準備をするだけでいいのだ。
それがいつになるのかは分かりはしない。
しないが……
その日が、俺と……
由比ヶ浜の別れの日になるのだろうことだけはきちんと理解していた。
× × ×
「ありがとうございました。おかげで良いイベントになりましたよ。後は生徒会で片づけますので、先輩方は先に帰られてください。ではではー」
笑顔の一色にそう言われ、俺と雪ノ下と由比ヶ浜の三人は大分早く会場を後にした。
会自体の進行もスムーズだったこともあり、まだ陽も落ちてはいない。
「雪ノ下……ちょっと早いが、今日もう一度召喚の儀式をやってみようと思う。由比ヶ浜は来れるみたいだが、雪ノ下、お前はどうする? 俺の家なんだが……」
そう聞いて見ると、彼女はすぐにどこかへと電話。話ぶりからすると母親のようだが、なにお前? 独り暮らしのくせにわざわざ許可とってるのか?
そう思っていると、雪ノ下が察したように答えた。
「一応母の了解はとったわ。遅くなるとまた獣になった比企谷君に襲われかねないもの」
「人を犯罪者扱いするのマジやめてね」
このやろう、母親に言うことで身の安全を確保しやがったな? まあ、何もするわけないんだが、俺紳士だし。
雪ノ下はここ最近大分母親とも打ち解けてきている様子である。良く電話しているし、たまに帰りに二人で歩いているのを目撃することもあったから。
色々あったが、これだけ良好な関係になれたことは本当に喜ばしいことなんだとは思うよ。
だけど、雪ノ下母様の俺を見る目は超怖くて、俺からは話かけられる雰囲気はまったくないのだけども。
「じゃあ、いくぞ」
俺たちは制服姿のままでうちへとむかう。
そして、それが俺のこの世界での二人との最後の行動となった。
× × ×
「ええと、じゃあ、呪文を唱えるぞ! 『古の盟約に従い我が血を贄として……』」
俺の家の床上に描いた魔方陣に向かい、俺は試行錯誤の末に辿り着いた『悪魔召喚』の術を再び試した。
五芒星を描くといっても、床に直接描いたわけではない。
ホームセンターでベニヤ板を買ってきて、それにチョークで描きあげたのだ。ただ、これがまたなかなか難しい。
かなり大きめの円を描くのだが、魔方陣というものは書き方に色々と制約があるらしく、描いていく順序や、その精密さが要求されるとのこと。
それは西洋の黒魔術だけでなく、仏教にある曼荼羅図や、仏像などにも共通する考え方で、順序ひとつでまったく別の意味に変わる場合もあるのだという。
そしてここでいう意味とは、もちろん異世界の俺を召喚するということに他ならず、ただの幾何学模様のようなこの魔方陣はそれを為すための、サインコサインタンジェントのような所謂『公式』なのだ。
俺は今回かなりそれを調べてここにそれを描ききった。召喚に詳しい人とも話すことができたことも、描けた大きな理由ではあるのだけれども。
とりあえず今日は魔力が高まる日であるらしい。
だからこうして始めたわけなんだけども。
だが……
俺はもう半ば諦めかけていた。
ここまで調べに調べ、やれることをやりつくした感さえあるが、実際に異世界召喚が可能かどうかの確かな解答を得られてはいなかったから。
唯一、この俺自身がそれを為した証拠ともなるわけだが、当の俺にその方法はまったく分かっていないわけだし。
しかもやっているのはこの中二臭漂う怪しげな儀式。ほぼオカルト関連からの知識で構築したこの『魔術』を、MPも何もないこの俺がやろうとしているのだ。
普通であれば頭がおかしいとしか思えないこの状況にあって、でも、雪ノ下も由比ヶ浜も一生懸命に俺と同じような知識の収集に励んでここにいる。
どうせできはしない、ばかばかしい。
心の中でそのような思いが沸き上がり続ける中、由比ヶ浜の寂しげな顔が過ることでいつも自分自身を奮いたたせていた。
意味はないのかもしれない。
それでも、俺はどうしても諦め切れなかった。
例え何年かかろうとも、例え俺の人生がつきようとも、それでもこれだけは為したい。
諦め半分の俺の心が、どうしても貫徹するんだという俺の意思に抗えないでいたのだから。
その時だった……
「え?」「あ」「あぁ……!?」
三人で同時に思わず声をあげてしまった。
なぜなら……
ベニヤ板の上に俺が描いたチョークの魔方陣が仄かに輝きだしたのだから。
チョークに蓄光塗料でも混ざっていたのか? はじめはそんなことを考えてしまった。
だが、そんな訳はないし、なにしろ今は暗闇でもない上に、光輝くその色はまさに七色……
淡くグリーンに光る蓄光塗料の類いではなく、それは言うなればレンズに反射した太陽光のそれであったのだから。
その光が一気に輝きを増した。
周囲はただ白く白く……真っ白に染め上げられ、俺の室内全部がまるで真っ白なペンキで塗り立てられたかのように変貌していた。
そしてそいつらが現れた。
「な、なんだぁ? ふぇ、フェルズ! てめえいったいなにをやらかしやがった?」
「わ、私はなにも……というか、八幡くん! その言い種だとまるで私がいつもヘマをやらかしているように聞こえるではないか!?」
「はあ? 聞こえるもなにもその通りだろうが! てめえのせいで一度多重世界ごとオラリオが消滅しかけたんだぞ? わかってんのかてめえは!」
「あれは私のせいではないぞ! まだ制御できていないから転移魔法は無理だと言ったのに、君がやれとめいれいしたんではないか!?」
「いきなり人のせいにしてんじゃねえよ、この骨! 俺だってもう散々ルビス様に怒られてんだよ。 だからてめえはさっさと入れ替わっちまった俺の世界の特定を急いでだな……ん?」
なにやらいきなり現れた二人が、俺たちの目の前で取っ組み合いを始めそうな感じであったのだが、俺はそのうちの一人を見て猛烈に驚いた。
片方は長い青い髪に、胸元から肩まで大きく開いた白い装束の綺麗な女性で、頭に青い石の嵌まった金のサークレットをつけている。
そしてもう片方の人物。
武者や騎士の鎧のような真っ黒い薄い衣装に身を包んで、背中に幅広の大きな剣を据え付けた男性……だが、もっとも驚いたのはその顔だった。
なにしろそこにいたのは……
「ヒッキー……?」
「あ? お、おお…… 由比ヶ浜……か?」
俺の隣で由比ヶ浜が目を大きく見開いてそう呼び掛けた。すると、その男はあっさりとそれを肯定してそして由比ヶ浜を呼び掛けたのだ。
そこにいたのは……
紛れもなく『俺』だった。
召喚は成功した。
「ヒッキー……! あ、会いたかった!」
言ってその真っ黒なヒッキーに駆け寄ろうとする由比ヶ浜。だが、その黒い俺が慌てた様子で手と首を振りながら後ずさった。
「ま、待て待て待て! おお俺は、お前の世界のヒッキーじゃない! っていうか、ここはいったいどこなんだ? 俺を見てヒッキーなんて呼ぶってことは、お前ら俺たちが異世界の存在だってわかってるってことか?」
「え……」
言われて足を止めた由比ヶ浜。俺と雪ノ下は急いで彼女の肩を抱いて自分達の方へと引き戻した。
そして俺が代表して話した。
「俺はどうも違う世界からこの世界に来たらしい。だから、もともとこの世界にいた俺、ヒッキーを呼び戻そうとしていたんだ」
そういうと、目の前の俺と青い神の美人が不思議そうに顔を見合わせて呟いていた。
「あなたたちが私たちを呼んだのですか? はて? 八幡くんたちの世界に魔法はないと聞いたはずだが?」
「まあ、普通は使えないってだけで、実際に使えるやつはいたのかもしれないが、少なくとも俺はもともとつかえなかったが……?」
首を捻る二人はどうやら異世界の俺らしいことだけはわかる。だが、どうしてここに現れたか良く分かっていないらしい。
「なら、俺が説明してやるよ」
俺は二人を手招きして一連のことを話した。
× × ×
「なるほどなるほど、これが完成された『異次元転移召喚紋』。まさか異世界の八幡くんがこれを完成させるとは、本当に驚きだ」
青い髪の彼女は床のベニヤ板の魔方陣をしげしげと眺めつつ感嘆の声を漏らしている。
というか、この二人。
どう考えてもコミケにでもいそうなただのコスプレイヤーにしか見えないのだが、俺とまったく同じかおの奴がいるということの異常さよ。
いや、存在自体も俺とイコールということになるのか。ややこしい。
辺りはもう光が収まり、普通に全員俺の部屋の床の上。とりあえずオレンジジュースとお菓子を持ってきて、それを飲み食いしながら話したわけだが、青い髪のフェルズちゃん?が目を輝かせて煎餅を貪る姿はなんというか、非常に残念だった。
めっちゃ美人なのに……はあ。
「つまり、お前らはそのヒッキー君をここに呼び出そうとして、誤って俺たちを召喚した。そういうわけかよ」
「ああ、そうだよ。一応ここに描いた魔方陣はかなり完成度は高いと俺は思ってるし、きちんと『龍脈』から魔力も供給させているしな。だけど、まさか召喚対象の俺が、ヒッキー君の他にもいやがるとは思ってもみなかったんだよ」
そういうと、目の前の黒い俺は頭をがしがしと掻いてため息をついた。
「マジで驚いたよ。魔術師のフェルズが何度やってもだめだったのに、まさか異世界の俺が転移魔術を完成しちまったのか? おいフェルズ、お前何俺に負けてんだよ」
「ましゃしはましぇへはまぃお!!」
何を言ってるのかまったく分からない青髪の美女。どうも黒い俺に文句を言っている様ではあるが?
「はあ? てめえ煎餅滅茶苦茶頬張ったまましゃべってんじゃねえよ! てめえはリスか?」
ごっくんとオレンジジュースでそれを飲み干した彼女は、はあっと至福の笑みを浮かべたあとに再び黒い俺に向かって言った。
「私は負けてはいないと言ったのだ! そもそもこの魔法陣は外部からの魔力の供給なしには発動できない代物だ。であるから、私が改良して呪文として制御出来る様にすでに作りかえてあるのだよ」
ふふんと鼻を鳴らすフェルズちゃんだが、それに向かって黒い俺。
「てめえ一人で何も出来なかったくせに、人の作ったもんカンニングしてさも自分の手柄みてえに言ってんじゃねえよ。なら、もう大丈夫だな? 二度と失敗すんじゃねえぞ?」
「当然だ。この私が何度も間違えるわけがないではないか。では行こうか。あ、先ほど頂いた固いお菓子、非常に美味でした。ありがとう、別世界の八幡君よ。さて……『万能なるマナよ……』」
立ち上がったフェルズちゃんが唐突に呪文の詠唱に移った。そしてそのまま杖を振り上げると、その場にいた黒い俺が俺へと言った。
「さあて、じゃあ行こうか」
「行こうって……どこへだよ」
俺が慌ててそ尋ねれば、奴はさも当たり前だと言った感じで答えた。
「お前をもとの世界に連れて行ってやる。そもそもそのためにこの魔法陣をお前は作ったんだろ?」
言われて俺は自分の描いた魔法陣を見た。見てそして、脇にいた雪ノ下と由比ヶ浜へと向けた。
二人ともが、明らかに動揺した表情をしていた。
それは多分、俺も同じだったのだろうとは思う。
だから思わず咄嗟に言ってしまった。
「わ、悪い。もう少しだけ時間をくれよ……もう少しだけでいいから」
俺は黒い俺を見ずにそれだけを言った。
すると……
「まあ、分かった。とりあえず先に、お前の世界に行った俺を連れてくるから、それまで待っててくれよ。じゃあ、また後で」
それを言った直後、再び室内が真っ白に染まるほどの光に包まれる。
そしてそれが収まると同時に、先ほどまでいたあの二人の姿が完全に消滅してしまっていた。
俺はそれを見てから言った。
「ははは……成功しちまった。成功しちまったよ」
「…………」「…………」
二人は何も言わなかった。ただ、俺の背後にそっと寄り添うように二つの手が置かれたのだ。
俺はそれを感じ、猛烈に淋しさが込みあがってきていた。
突然過ぎた。
意識していたことではあったのだ。
俺が帰るときは突然なのだろうと、そんな予感もあった。
だが、やはり突然過ぎた。
俺はただ、自分の世界に帰るだけ。
そして、この世界にヒッキー君が帰ってくる……ただそれだけのことなんだと理解もしていた。
でも……
やっぱり、俺は、淋しくて悲しかった。
「比企谷……君」
由比ヶ浜が俺を呼んだ。その声は震えていて、そして掠れている感じだった。彼女がどんな顔をしているのか想像できてしまって、だから俺は彼女を見ずに言った。
「良かったじゃねえか、ヒッキーが帰ってくるんだ。お前の願いがかなったんだぞ」
「うん」
「……それに、俺だって帰れる。俺はそれが単純に嬉しいんだよ」
「うん」
「……それと、いろいろあったけど、これで俺が嘘つきじゃないことも証明できたしな! 良いことづくめだ」
「…………」
それには由比ヶ浜は答えなかった。
答えずに彼女は俺の背中に抱き着いた。
そして言った。
「いやだよ……」
「え?」
ぽそりとつぶやいたその声は、そのままに嗚咽となって俺の部屋に響いた。
「嫌だよこんなお別れ。あたし……あたしまだきちんと……比企谷君にお礼できてない……まだ、きちんとさよならも出来てないよ……いやだぁ」
俺をぎゅうっと抱きしめたまま泣き出してしまった由比ヶ浜の言葉の数々に、俺も涙が止まらなかった。
だが、ここでただ泣いているだけで立ち去るなんて、それこそ気持ちが悪い。だから、俺は努めて平静を装った。
「いいんだよこれで。俺はせいせいしてるんだ。これでようやく煩い女どもから解放されるってな」
「…………」
その言葉にびくりと由比ヶ浜が反応したことが分かったが、俺が構わずに続けた。
「俺はな由比ヶ浜。初めてお前にあった時から、なんてちょろい女だろうってずっと値踏みしてたんだよ。そうしたら修学旅行の時に軽く告白しただけでコロッとそれを受けやがって……俺はな、女ならだれでも良かったんだ。お前でも、雪ノ下でも、だれでもな」
そう、それは間違いない事実だ。
俺は俺を好きでいてくれる奴ならだれでも良かったんだ。だからこれは嘘ではない。嘘ではないが……
心が痛かった。
「だから……もういいんだよ。これでせいせいした。お前らから離れられて、ようやく俺も普通の恋愛が出来るってもんなんだから。あーあ、次はだれに声を掛けようかな? そうだな、それこそ雪ノ下にでも声をかけてみようかな? あっちの世界の雪ノ下なら案外コロッと俺を好きになるかもしれないしな。あはははは……」
「比企谷君」
「はい」
つらつら話ていた俺にさっきよりも強く抱き着いていた由比ヶ浜が言った。はっきりと、優しく、そして穏やかに。
「大好き」
「…………」
もう何も言えなかった。
俺は願っていたんだ。誰かに俺を本気で大事に思って欲しいと、そうなりたい、そういう関係を築きたい……と。そして由比ヶ浜に出会った。
俺にとって彼女のやさしさ、ぬくもりはまさにそれだったんだ。
一緒に居て、話して、過ごして、そして確かに俺はそれを手にいれていたんだ。
言葉にしなくてもわかるそんな関係。だが、言葉にしなければ届かないそんな思いを、俺はすでに手にしていたんだ。
でも、それもここで終わりだ。
この数か月、俺はずっと偽物だった。偽物のままで由比ヶ浜に接し続けた。そうしなければ彼女にさよならを言えないと思っていたから。
何よりも彼女を失うことが怖かったから。それなのに……
俺の心が震えていた。震えてそしてやはり言わなくてもいい言葉を俺に言わせたのだ。
「由比ヶ浜……お前……酷いよ」
「それでも……大好きだよ」
もう一度彼女は言った。
彼女の声はもう掠れていて殆ど聞こえなかった。
きっとこれが彼女の精いっぱいのお礼なのだろうな。
本心を晒すことこそが、真実を大事にする彼女の一番の気持ち。
だからこそ、俺は俺の言葉を彼女へと伝えるのだ。
彼女が大事だからこそ。
「ヒッキー君と、仲良くな」
「……………」
嗚咽する彼女の声が大きくなったその時だった。
目の前が再び真っ白な光で閉ざされた。そのあまりの眩しさの中から現れたのは三つの人影。
そのうちの二人はさっきまでここにいたコスプレイヤーみたいな二人組。そしてもう一人は……
俺はしがみつく由比ヶ浜の腕にそっと手を当てて、ぽんぽんと叩いた。
だが、彼女はしがみつくのを止めなかった。だから、
「雪ノ下、由比ヶ浜を頼んだよ」
「ええ……わかったわ」
雪ノ下が由比ヶ浜に何かを囁いて、そっと俺の身体から放した。それを確認してから俺は正面を向き直った。
すると、黒い俺が口を開いた。
「またせたな。じゃあ、次はお前の番だよ」
「ああ」
そう言われ、俺は即答して彼らの元へと歩んだ。
そして、この世界へ帰ってきたのであろう俺と目が合った。
俺だった。
俺と同じ顔をしていた。
いや、それだけじゃあない。涙と鼻水を垂らして、本当に汚い顔になっていやがった。あはは、これは見せなくて良かったよ、由比ヶ浜達に。あーあ、かっこわりい。
俺は一度頭を掻いてからそのやってきたヒッキー君へと声を掛けた。
「由比ヶ浜と幸せにな、ヒッキー君」
その言葉に目を丸くした彼は、真剣な目つきになって俺の肩に手を置いたのだ。
「頼みがある。雪ノ下をどうか幸せにしてやってくれ」
「は? え?」
今度は俺の方がそれに驚いた。
こいつが言う雪ノ下といえば、当然あの雪ノ下だろう。
こっちの世界の雪ノ下ではない、あの凍てつく魔王。
だが、こいつのこの瞳で全てを理解した。きっとあっちでもいろいろ大変だったんだろうなと。
「ああ、分かったよ」
そして俺は手を差し出した。
相手は俺だ。俺が俺に手を差し出して握手をもとめるというこのシュールな絵面。だが、相手は俺であって俺ではないのだ。
だって、お互いがお互い、本気で相手に自分の大切なものを預けようとしているのだから。
それをその俺も理解してくれたのだろう、俺たちは固く固く握手を交わした。
「さあ、時間だ」
黒い俺がそう言うと再びフェルズちゃんが呪文を詠唱。
また光があふれだした。
俺はその時ちらりと由比ヶ浜達を見た。見てそして後悔した。そこでは嬉しそうに微笑んで帰ってきたヒッキー君を見つめる由比ヶ浜の顔があったから。
あーあ、見なきゃ良かったよ。
だけど……
見といて良かったな。
「じゃあな」
俺は小さくそう呟いて、この世界から完全に消え去った。
× × ×
「そう、そんなことがあったのね」
「ああ……お前も大変だったみてえだけどな」
「ええ……でも、彼が……比企谷君が助けてくれたから」
「はあぁ、マジであいつイケメン過ぎだな。いったいどうしたら俺と同スペックでお前をこんなに変えられんだよ? 意味わからん」
「ふふふ……あなたも良い線いっているわよ? 目が腐っているあたりなんてそっくりだもの。もう少しかっこよくて素敵だったらよかったのだけど」
「お前、それ完全に今の俺の個性否定しちゃってるからね。まあ、別にいいけど」
部室で雪ノ下と対面して、俺はあの世界で起きた様々なことを話した。そして雪ノ下からも聞いたのだ。
こっちの世界であいつも相当頑張った。
だが、はっきり言って頑張り過ぎだ。
何しろ、全校生徒の前で殺人未遂的なことをやらかしやがったらしいしな!
転移前には向こうの世界で文化祭実行委員長を詰りまくってやがるし、いったいどれだけ自爆テロマニアなんだよ!? 俺だって雪ノ下母にやらかしたし人のことは言えないが、もうため息しか出ねえよ。
「はあ、俺もうこの学校に通える自信ねえんだけど」
「ふふふ」
そんな俺に雪ノ下がおかしそうに笑った。
「私だけはいつでもあなたのそばに居てあげられるわよ」
「は? 何か言ったか?」
「いいえ、何も」
針の筵決定とはいえ、雪ノ下がここまで穏やかになっていたのには本当に驚いた。とにかくなるようにしかならないだろうさ。
「仕方ねえから諦めて、部活を頑張りますかね」
「仕方ないから一緒にいてあげるわ。お帰りなさい、比企谷君」
「ああ、ただいまだ」
変わってしまった雪ノ下を眺めつつ、俺はこれもそんなに悪くないなと思っていた。
いつの日か……また俺は誰かを好きになるのだろうか?
俺の心を満たしてくれたあの優しい気持ち。
俺は本当に嬉しかったんだよ。
あの世界に生きた数か月の経験。俺は一緒に居て大切なものを手に入れられたんだよ。
一生忘れない。お前といた日々を……
本当にありがとうな……
由比ヶ浜……
結衣。
了
『ユキ・トキ』の裏話ですので、当然あのキャラたちも出てきました。