『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー 作:こもれび
× × ×
「つまり、あたしは事故の時にゆきのんを突き飛ばして助けることが出来たってこと? それで、そのまま行方不明になって、えーと、17年後のここに来ちゃったってこと? これでいいのかな?」
そう真剣な顔でひとつひとつを噛み砕くように言った由比ヶ浜に、俺と雪ノ下は頷いた。
すると、由比ヶ浜はプルプルと震えだして……
「ど、どどどど、どうしよう!? あたしなんにもしないまま、34歳のおばさんになっちゃった!! 成人式もやってないのに!!」
そんなことを涙ぐみながら宣言する由比ヶ浜に思わずずっこけそうになる。
いったいどこをどうしたらそんな反応になるのやら。
「お前な……そもそもお前はあの瞬間から、今のこの瞬間にどんな形であれ『転移』したことになるんだ。つまりお前の中の時間は変わっていないんだよ。お前の年齢はあの時のまま、まだ17歳だろ」
「で、でもそれも嫌だよ!」
「なんでだよ」
「だ、だって、ヒッキーとゆきのんと同い年じゃなくなっちゃう!!」
「はあ!?」
なぜか泣きそうになっている由比ヶ浜を見て、さらに頭がいたくなってきた。
だが、それと同じに自然と気持ちが和らいできていることも感じていたのだ。
目の前の由比ヶ浜が、俺の知っているあの頃の由比ヶ浜そのものだったから。
俺は、ふうっと息を吐いてから、由比ヶ浜へと向き直った。
「まあ、お前の言わんとしていることもわかる……うんわかる……。だけどな、正直言えば、俺も、多分雪ノ下も今は普通じゃないんだ。死んだと思っていたお前とこうしていきなり会えたわけだしな。しかもお前はその……あの時のままだった……」
その俺の言葉に雪ノ下も頷いた。そしてうっすらとその目に涙をためて、微笑みながら改めて由比ヶ浜へと言ったのだ。
「おかえりなさい、由比ヶ浜さん」
「え……あ、うん。た、ただいま」
ぎこちなく微笑んで返した由比ヶ浜を、雪ノ下は再びきつくきつく抱きしめた。
× × ×
それから俺たちはいろいろなことを話した。
あの事故のこと。どんなことが起きて、どんな報道が為されたか。そして俺と雪ノ下がどのような経緯を辿って今日まで生きてきたのか。その全てを白み始める太平洋の水平線を見つめながら話した。
途中、由比ヶ浜のご両親の話を出した時には、由比ヶ浜も悲しそうな表情に変わってしまった。
彼女の両親はあの事故後もずっと由比ヶ浜の行方を探し続けていたと聞いていた。そして母親は体調を崩して入退院を繰り返しているらしいとのことも。
「ママ……」
由比ヶ浜はそう呟いてから黙りこくってしまった。自分の両親の現状を聞いて思うところがあったのだろう、たぶんすぐに会いに行きたいという思いと、会うのが怖いという思いが
何しろ今の由比ヶ浜は浦島太郎状態なのだから。
ほんの一瞬前まで彼女は17年前のあの冬の千葉にいたのだ。それが今は17年後。
その間に起きた様々なことを彼女は知らず、ご両親がどれだけ苦しんできたのかということも理解することは難しいはすなのだ。
「両親に会いにいくか?」
そう聞いてみれば、彼女はしばらく虚空を見つめたあとで、ふるふると首を横に振った。
「今は……どういう顔して会えばいいのかわかんない……せっかく教えてくれたのに、ごめんね」
「いや、俺はいいんだが……」
会えばきっと色々なことが起こるのだろう、そう、本当に色々なことが。
時間を跳躍したことなど、万人が理解できようはずはないし、空白となってしまった17年間のことの憶測はひょっとしたら更にご両親を傷つけることになるのかもしれない。
しかし、いずれは会うべきだろうとは俺も思うし、その方が良いに決まっている。
でも、それはもう少し……
もう少しだけ、由比ヶ浜の気持ちに余裕ができたあとの方が良いということなのかもしれないな。
そう思った俺は、悲しげに打ち沈む由比ヶ浜を見ながら言った。
「なあ由比ヶ浜……俺としたあの『約束』……覚えているか?」
そう聞いた瞬間、彼女はポッと頬を赤らめた。
無理もない。あの時彼女とした約束……
『どこかに遊びに連れていって』
なんども繰り返し確認するように言ったあの約束は本当に青臭い、恥ずかしい類いの約束であったのだと、今の俺にはわかっていた。
正直俺にはすでに羞恥心はない。
由比ヶ浜が消えてからずっと、俺はこの約束のことを考え続け、この約束を果たせなかったことを心底悔やみ続けてきたのだから。
「う、うん。覚えてるよ。当然……」
そう俺に眼差しを向けてくる由比ヶ浜に俺は言った。
「こんなおっさんになっちまったけどよ……それでも良いと言ってくれるなら、その……一緒に行かないか? ディスティニーシーに」
由比ヶ浜はしばらくポケっとした顔をしていたが、暫くしてから満面の笑顔になってコクリと頷いた。そして口を開く。
「条件があるよ」
「条件って?」
俺がそう問えば、彼女は近くにいた雪ノ下の腕に抱きついてぎゅうっと抱き締めながら言った。
「行くなら3人! やっぱりあたしは3人がいい!!」
× × ×
日の出を迎えた九十九里は眩い陽の煌めきに晒され、波も黒い砂浜もアスファルトもその全てが光っていた。
俺は助手席側のガルウィングを開くと、そのシートを前に大きくスライドさせて、その後部座席へと由比ヶ浜と雪ノ下を誘った。
後部シート背面にはタイムサーキットに直結させてある様々な機器のコンソールがむき出しになったままだが、きちんと姿勢を保持しシートベルトも備えさせてある。そこに二人を並んで座らせて俺はドアを閉めた。
そして運転席に俺は座りガソリンエンジンを始動させる。
アメリカ車特有の低いエンジン音が響いた後に、振動とともに排気音が唸りを上げそのまま走り出る。
俺は二人を乗せたまま東金有料へ進路を向けた。
別にタイムワープをしようというわけではないわけで、普通に有料道路に入り、後は例の広大な夢の国を目指すのみ。
ルームミラーで確認した由比ヶ浜はずっとにこにこしていた。窓の外を見ながら、あれはなに? これは何? と雪ノ下にいろいろ質問を投げていたが、この辺りはもう何十年も景色が変わってはいないため、由比ヶ浜にとっても目新しいものではないはずなのだが、そもそもこうやって車で出かける経験自体が少なかったということなのかもしれない。
小一時間で千葉市を抜け、東関道に入ってすぐに高速を下り、遠目に聳える白亜の城と、火山、それに巨大な洋館や、未来的なドームなど。その光景に由比ヶ浜は『わぁっ』と歓声を上げていた。
「由比ヶ浜さん。この17年だと、アトラクションも大分増えたのよ。ランドの方でリニューアルが5ヶ所、新規が2ヶ所。それと元々駐車場だったところにも新しいパンさんふれあい広場とホテルもできたし、シーの方もエリアが拡張されて、アトラクションとレストランの数が1.5倍になったのよ」
「へぇー!! すごい!!」
由比ヶ浜は素直に感心しているのだが、その知識量明らかにオーバースペックだからね。いったいお前はどんだけ通ってるんだよ!!
それにいつのまに取り出したんだか、ディスティニーシーの園内マップを後部座席で広げて、由比ヶ浜に1部渡しているし。
布教用園内マップ常備とか、上級者過ぎるだろう。
「そろそろ着くぞー」
「わぁっ! 超楽しみなんだけど!!」
俺はランドの脇の道に入ると、そのまま岸壁沿いの埋め立て地道路をぐるっとまわって、巨大な船のアトラクションの建物を見つつシーの駐車場へと進入した。
そして、超ハイテンションのお兄さんに、『ようこそー!』と声を掛けられつつ窓を開いて、駐車料金(高い!!)を払った。
さすが日本一のサービス産業の従業員、笑顔が眩しいっ!! だが俺は見逃さなかったぞ。
あの従業員だけでなく、たくさんある料金所の全職員が俺たちを見て愕然となっていたことを!!
まあ、俺たちというより、この『デロリアン』を見ていたのだろうけどな。
なにしろデロリアンといえば、西の巨大テーマパーク、U○Jのまさに顔とも言えるアトラクション!! それとほぼ同様のデザインの車で、東の日本最大のテーマパークディスティニーに入ろうとしているわけだからな、これはもう喧嘩売りに来ているようなものだろう。
まあ、俺は気にはしないのだが。
エンジンの低温を響かせつつ駐車場に入り、誘導されて所定の場所に駐車。3人で降りて鍵をかける。プルトニウムの燃料棒は隔壁内の核エンジンに放り込んだままになっているけど、8時間くらいはどうってことはあるまい。車体後部の一部の温度は300度くらいまで上がるだろうけどな。触らなきゃ火傷もしないし。触らなきゃ!
そして俺たちはのんびり8時間ほど、3人での時間を過ごしたのであった。
× × ×