『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー 作:こもれび
× × ×
「うわっ!!!」
パッと世界が暗転した。そして目の前に広がるのはレインボーブリッジ上の下り坂。でも、そこには一台も車の姿が無かった。
慌ててタイムサーキットを確認すれば、その日付は確かに17年前の物。
周囲を見れば、明らかに深夜で、でもその街の灯りはひたすら暗い物。17年前ってこんなにも暗い街だったのか? いや、あっちが明るすぎだったのか。
俺は明らかにまだ高層ビルが立ち並ぶ前のその東京の様を見つつポツリとこぼしていた。
「成功だ」
「そのようね」
「あ、東京スカイツリー」
そんな言葉をそれぞれ口にしつつ、車のライトが消えたままだったことに気が付いて点灯、直後、目の前にまだ雪を被ったままのガードレールが飛びこんできて慌てて俺はハンドルを切った。
車はギュギュギュッと音を立ててコーナーを回る、そして少しずつ減速していった。
確かに17年前のあの日は雪だった。十分除雪されているとはいえ、アイスバーンになっている可能性もあったわけで本当に危ないところだった。
「び、びっくりしたーー」
「いったい何をやっているのかしら? タイムワープまでしてその後でただの事故なんて本当に嫌よ」
「ま、まあ、これからは安全運転をしますので」
そう言い訳しつつ俺達は一路千葉を目指した。
× × ×
17年前のこの世界に来はしたが、だが寄り道もしないままにまっすぐ高速を戻る。
途中料金所で、入場確認がとれないといろいろ揉めはしたのだが、そこは現金でしっかり払ってなんとか見逃してもらった。でもこの金使っても大丈夫なのかな? 平成31年の硬貨とかあるのだけども!?
そして俺達は由比ヶ浜の住むマンションへとたどり着いた。
この日、俺は雪ノ下が入院していた病院の待合室にいたはずだ。そして由比ヶ浜の無事を祈り続けていた。そう、俺はあの時絶望していたんだ。
それは由比ヶ浜の両親も一緒だっただろう。
きっと今、両親は悲嘆にくれて眠れぬ夜を過ごしているはずだ。
だから俺は言った。
「由比ヶ浜……帰ってやれよ。きっとそれだけでみんな安心するから。俺も、雪ノ下も」
その俺の言葉に雪ノ下も大きく頷いた。
「そうね、きっとこれで全部丸く収まるわ」
「ヒッキー、ゆきのん……」
泣きそうな顔になっている由比ヶ浜。なかなか車から降りようとしない彼女に俺は言った。
「俺はずっとお前に逢いたかった。会ってあの時の約束を俺は果たしたかったんだ。それで、今日、漸くそれが叶った。本当にありがとうな」
「そんな……あたしはなんにも」
「由比ヶ浜さん。私これ……一生大事にするわ」
雪ノ下はさっき由比ヶ浜からもらったパンさんのパペットを手に嵌めると、その口をパクパクと動かして、不器用な腹話術で話した。
『バイバイ、結衣ちゃん!! またね!!』
そう手を振るパンさんに、由比ヶ浜は泣きながら笑った。
「もう……ずるいよゆきのん。そんなに可愛いのだめだよ」
そう少し震えながら言った由比ヶ浜を雪ノ下がぎゅうっと抱きしめた。
「私とあなたは一生の友達よ。忘れないでね」
「うん……絶対忘れないよ。忘れないから」
そう言葉を交わした後で由比ヶ浜は車を降りた。
そして俺達を一度振り向いてにこりと微笑む。
そして小さく手を振った。
「バイバイ……またね」
彼女はそれだけ言うと、タタタッと小走りで駆けだした。
そして自分のマンションへと入っていった。
「これで全部終わったわね……」
「ああ、そうだな……」
俺は脱力して深く椅子に沈み込んでいた。そして達成感と喪失感の両方を味わいつつ上を向いて額を抑えた。
そうしていると、雪ノ下が狭いシートの間を縫うようにして助手席へと出てきて座った。
「やっぱり前の方が広いわね。ここに座って構わない?」
「ああ」
俺達はしばらく無言になった。
ここから先のことは正直よく分からない。
世界が本当に改変されるのかも、俺達の存在がどうなるのかも、それこそ本当に……
俺は満足なんだ。やろうと思っていたことは出来たのだから。でも……
俺は横目にチラリと、パンさんのパペットを動かして微笑んでいる雪ノ下を見ながら言った。
「悪かった」
「いいのよ」
短くそう答えた雪ノ下はもう全てをわかっているということか。
俺はそれを思い、話した。
「いずれ俺達は消えるだろう。数多ある可能性の未来の中から、今の俺とお前の存在が生まれる可能性はほとんどゼロだ。なにしろ俺は由比ヶ浜も失うまで相対性理論はおろか、高校の物理だって理解できなかったんだから」
「まあいいじゃない。どのみちあのままあの世界に居ても、私も貴方も相当にリスクを背負ってしまっていたのだから、普通の暮らしなんて出来はしなかったわ」
「確かにそうだな。これで本当に終わりということだな」
「ええ……」
覚悟はできていた。それが望む未来でなかったことも分かっていた。
それでもやはり思うのは、普通の人生を歩んでみたかったということ。
もし、あの事故がなければ……、もし、俺が由比ヶ浜を大事に思わなければ……
いや……
それはない。
大した人生じゃなかったが、俺の青春の1ページには確かにあいつの笑顔が刻まれていたんだ。それが何よりの宝物だった。あいつが消えてからはなおのことな……
そして、そんな宝物に俺は最後に出会うことが出来た。
本当に短い時間、本当にたった少しだけだったけど、共有できたあの時間は俺にとってかけがえのないものに違いなかったから。
雪ノ下も納得ずくか……俺と同じ思いなんだろうな、多分。
これで世界は改変され……
正規ルートとなった世界の俺達はこんな無茶苦茶が無かったままに平穏な人生を歩んでいくのだろう。苦労も、悲しみも、喜びも、今日までずっと味わってきた全ての感情はなかったままに、ひょっとしたら、由比ヶ浜や雪ノ下とも関わらない人生を歩んでいくのかもしれない。
そんなもう一人の『俺』が存在する以上、この世の異物となった『俺』は、やはり不必要とされるのだ。
しかたない。これは仕方ない……
決めたのも、そうしたのも全部俺達なのだから。
「ひとつ聞いてもいいかしら?」
「なんだ?」
「貴方は由比ヶ浜さんのことをどう思っていたの? 『好き』……だったのかしら?」
「…………」
唐突なそんな質問に絶句する。しかし……
俺はその答えを知っていた。だって、この17年間、ずっとそのことばかり思っていたのだから。
あえて何も言わない俺に対して、再び雪ノ下の声。
「私は……『好き』よ?」
「は?」
にゃ、にゃにを言い出してんだこいつ!! と、思わず奴を見れば、口許をパンさんで押さえていかにもおかしそうな感じで笑っていた。そして……
「私も『由比ヶ浜さんのことを好き』だったと言ったのよ。ふふ、ひょっとして自分のことを言われたとでも思ったのかしら? 自意識過剰ヶ谷君」
「うっ……そ、そそそんなわけないだろ。そんなこと思うかよ!! だいたい何でも谷をつければいいとか、それ違うからな」
雪ノ下はそれでもそのままおかしそうに笑う。笑いながら手にしたパンさんを見つめながら、言った。
「でもそうね……由比ヶ浜さんの次くらいには好き……だったと思うわ。あなたのこと」
「!?」
その言葉にいよいよ何もしゃべれなくなったが、今度は雪ノ下も真っ赤になって俯いてしまった。
お互い無言のままに車の中でいったい何をしているのだか……!! もうじき消えてしまうというのに!! 人生の最後がこれか!!
気まずさMaxのその最中で、雪ノ下が慌てて言った。
「そ、そういえばさっきシーで、由比ヶ浜さんから手紙を受け取っていたわよね? あれ、読まなくていいの?」
「あ」
その言葉で思い出す。
俺は慌ててそれをしまっていたポケットをまさぐって取り出した。そしてそのなにも書かれていない可愛らしいピンクの封筒からその中身の手紙を取り出そうとした。
その時だった。
「だ、ダメ―ーーーー!! や、やっぱり読んじゃだめーーー!!」
「え?」「へ?」