『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー   作:こもれび

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(5)北の国の由比ヶ浜結衣

 スキーリゾートと言うだけあって、ゲレンデは最高に綺麗だった。貸し出してもらったウェアも板も新品だし、ゲレンデのリフトやレストハウスも綺麗に塗装されていて、白銀の野によく映えていた。

 

 とりあえず私達二人は、上級者コースの中でも見晴らしの良い、山頂から一つ下のコースまで登ってきた。

 

「うわぁ……すごい見晴らしだねぇ。ねえ見て見て、泊まったホテルがあんなに小っちゃいよ」

 

「おい、由比ヶ浜……ここ結構急だぞ……」

 

「へへ……ヒッキー怖くなっちゃった? なんならリフトで降りるって手もあるよ」

 

「い、いや……あれはなんて言うか、ヘタレの見本と言うか、衆人環視プレイというかで、軽く死ねる」

 

 ゴーグルの下で、ヒッキーの顔が引きつってた。

 

「もう、しょうがないなぁ……あたしが先に少し滑るから、ゆっくり降りておいでよ」

 

「え? お、おい……ちょっとおま……」

 

 ヒッキーが話そうとするのを聞かずに、まだ誰も滑っていない新雪の上に飛び出す。

 スキーが宙に浮いているような、何の抵抗もない綿雪の上を、右に左にシュプールを描きながら、滑り降りる。頬に当たる風が本当に心地良かった。

 暫く降りてから、ゲレンデ脇に止まり、ヒッキーに手を振る。

 ヒッキーは軽く手を上げてから、滑り下りてきた。少し意外だったのは、ボーゲンでゆっくり来るかな? って思っていたのに、きっちりエッジを利かせて滑ってる。いや、かなり上手だった。

 あたしの前まで来た時に、大きく回ってエッジを切って新雪を掛けられた。

 

「うわっ! もう、ヒッキー酷いよ。それにしても滑るのすごく上手かったんだね。うん、びっくりした」

 

「まあな……一色と大分滑ったからな」

 

「一色? いろはちゃんと?」

 

 そこで、ヒッキーが黙ってしまった。

 ひょっとして、ヒッキーが付き合ってたのって……

 少しボーっとしてしまっていたみたい。後ろに向かって板が滑っていたことにあたしは気づいていなかった。

 

「お、おい、危ないぞ」

 

「え? わ……きゃぁ」

 

 ヒッキーがあたしに近寄ると、手を掴んで自分の方に強く引っ張った。その勢いで、ヒッキーの上に抱き付いて倒れ込んでしまう。

 ウェアごしに感じた、彼の硬い胸の感触に体中が緊張に強張った。

 

「おい、大丈夫か? ここはまだ踏み固められてないから、端に行き過ぎると、そのまま崖に落ちるぞ」

 

「う、うん……、気が付かなかった。ありがとう、ヒッキー」

 

 彼に抱き付いたまま、その顔を見た。少し頬を赤くしていて、あたしの視線と交差してすぐに目を逸らされた。

 なんだろうこの感じ。すごく懐かしい気がする。このドキドキする感じ。

 あの時と同じだ。

 

「立てるか?」

 

「う、うん」

 

 急に恥ずかしくなって、下を向いたまま立ち上がった。ヒッキーは少し埋まってしまっていたから、あたしが手を引いてあげる。

 立ち上がってから、お互い顔を見合わせて、でも気まずくて視線を逸らしてしまった。

 不思議だ。さっきまで、何も意識しないで居られたのに、これじゃあ、初めてヒッキーを好きになった時と同じ……

 

 

----------------------

 

 

 あたしが初めてヒッキーに会ったのは、総武高校の入学式の朝だった。

 愛犬のサブレの散歩はあたしの日課だったから、その日が入学式でもいつも通り出かけた。

 でも、交差点に差し掛かった時、急にサブレのリードが外れてしまい、サブレはそのまま車道に飛び出してしまった。

 あの時、あたしは頭の中が真っ白だった。サブレのすぐ前に黒塗りの大きな車が飛び込んでくるのが見えて、もう何もかも間にあわないと思ってしまったから……

 身体が動かなかった。もう何も考えられず……

 

 でも、その時……

 

 あたしの目の前に自転車で飛び出してきて、そのままとびおりながらサブレを抱きしめた男の子の姿が映った。彼は身を丸めるようにしたまま、その車にはねられてしまう。

 目の前の大惨事に、あたしは言葉もなく呆然とするしかなかった。

 サブレを抱いたまま意識を失った男の子のそばで、彼が救急車で運ばれるまで泣き続けることしか出来なかった。

 

 そんな混乱していたあたしにも分かったことがあった。

 彼があたしと同じ総武高校の制服を着ていたこと。そして、彼が抱いたサブレは傷一つ負わなかったということ。そして、彼の命が助かったということ。

 

 その時から彼の事が気になるようになったんだ。

 はじめはただ、きちんと直接謝りたかっただけだった。

 事故後すぐに彼の自宅へ謝りに行ったけど、彼に会うことはできなかったから。

 

 元々内気で、本当に仲の良い友達としか付き合うことのできなかったあたしは、このままでは彼と話も出来ないと思って、女子高生を頑張ることにした。所謂、高校デビュー。

 髪を染めて、ティーンの雑誌をたくさん読んで、流行りのアクセサリーとか、コスメとかの研究もした。学校でも、いろんな友達に話しかけて、どんな会話にもついていけるように、TVもいろんなジャンルを見た。

 

 そして、そしてついに彼に話しかけようと思ったその時……彼が、いつも独りぼっちで過ごしていることに気づいてしまった。

 あたしは自分から彼に話しかけようと何度も挑戦しようとしたけど、緊張もするし、何て言葉をかけて良いのかも分からなくて、時間だけが過ぎていった。

 そのうちに知った。

 彼は怪我での2か月の入院の所為で、学校に来た時にはすでに居場所が無くなってしまっていたということに。

 あたしの所為だ。あのケガの所為で彼は一人になってしまったんだ……

 でも、それでもあたしは彼に何も伝えられないまま時を過ごしてしまった。彼はずっとひとりぼっちのまま。あたしも気が付いたら、他の友達に合わせることで手一杯になっていて、本当に何も出来なくなっていた。

 

 彼の事をずっと気にしていた。仲良くしたいとずっと思っていた。でも、内気なあたしは一歩が踏み出せなかった。

 

 だから、あの時、奉仕部の扉を開けた時から、本当の意味で自分の気持ちと向き合えたのだ。

 

 そこに彼が居たことは、本当に意外だったけど。

 

 

 

----------------------

 

 

 

「ねえ、ヒッキー」

 

「なんだよ」

 

「ヒッキーは高校の時、あたしの事、どう思ってた? 好き……でいてくれたのかな?」

 

 あたしは唐突に彼に聞いた。彼の瞳を見つめながら、あたしが決して聞かないと心に決めていた、あの『別れの告白』の答え。

 もし……なんてことが無いのは分かっている。でも、彼を好きだという思いが、今でもあたしの中に確かにあった。

 彼が誰と付き合ってきて、誰を愛してきたのか、そんなことはどうでも良かった。

 あの時のあたしと、今のあたしが繋がってしまったから……だから、確かめずにはいられなかった。

 

「たぶん……そうだったと思う。今思えば……な」

 

「そう……そっか」

 

 聞いても意味がないことは分かっていた。でも聞きたかった。ヒッキーはやっぱり優しい。あたしの欲しい答えをやっぱりくれた。

 

「ヒッキーはやさしいね」

 

「なんだよそれ」

 

「なんでもないですよーだ」

 

 あたしはそう言うと、白銀の世界に体を躍らせた。今は……これだけで十分だった。久々のトキメキに心が軽かった。

 

 

 

 

 

「お前、鬼だな……何十本滑れば気が済むんだよ……」

 

「ヒッキーが運動不足なだけじゃないの? これ位なんでもないでしょ」

 

「さ、さすが雪国住まいってことか……参りました」

 

「ふふ……じゃあ、負けたヒッキー君には罰ゲームかな」

 

「なにやさせる気だよ」

 

「それはね……」

 

 

「結衣」

 

 

 ゲレンデから帰って、ホテルのロビーで休んでいたあたし達にママが声をかけてきた。

 

「あ、ママ……今着いたの?」

 

「そうよ……あら? あなた『ヒッキー君』じゃない? すごいイケメンになっちゃって……何々? 今日は二人でデートしてたの?」

 

「ち、違うってば、ママ。たまたま……そう昨日のパーティーでたまたま会ったの」

 

「そう? 別に私達のことは気にしなくていいからね。二人で仲好くしてらっしゃい」

 

「だから、違うってば」

 

「お久しぶりです、お母さん。結衣さんにはお世話になっています。今日はとても楽しかったのですが、明日仕事ですので、これで失礼します」

 

 急にヒッキーがかしこまって、ママに挨拶した。こんな風にも話せるんだ。もう子供じゃないもんね。ヒッキーもあたしも……

 

「そう……残念ね。でもそうね、またいつでも会えるものね。結衣と結婚してくれれば」

 

「ちょ、ちょっとママ!!」

 

 あははって、ママが笑って荷物を取りに行った。むぅ……言うに事欠いて何を。

 

「じゃあ、由比ヶ浜、俺も帰るわ……暗くなると雪道怖いしな……」

 

「ちょっと待ってよ」

 

「なんだ?」

 

 あたしは手帳に要件を手早く書いて、それを破くとヒッキーに手渡した。ヒッキーは不思議そうにそれを眺めてる。

 

「はい、罰ゲーム。今度この住所にケーキを買って持ってくること……その日は一人で来て、他に予定を入れないこと」

 

 あたしが一気にそう言うと、ヒッキーは笑いながら、

 

「お前、それってデートの誘いじゃないかよ」

 

「ば、罰ゲームだから、絶対にやんなきゃダメなの」

 

 ヒッキーがニコリと微笑んであたしに耳打ちした。

 

「しかたない。罰ゲームだからな」

 

 それだけ笑いながら言って、ヒッキーは冷え切った夕闇の中を帰って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日あたしは夢を見た。

 

 

 

 温かい陽だまりの部室……

 

 あたしの左隣では、優しい顔のゆきのんが紅茶をすすってる。

 

 そして、右には、にやけた顔で本を読むヒッキーが居た。

 

 幸せだったあの時……

 

 

 それを……夢の中で思い出していた。

 

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