『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー 作:こもれび
レストランの予約席に着いたあたしとヒッキーは、それぞれパスタとサラダを注文した。
あたしがサーモンフェットチーネ、ヒッキーがボンゴレ。
サラダは特性のコブサラダで、二人で分けつつ食べたのだけど、ヒッキーが一生懸命アサリを除けて食べていた。
ボンゴレはそのアサリが美味しいと思うのだけど……勿体ないなぁ。
凄く美味しくて大満足。
ヒッキーも美味しいと言ってくれているし、ここにして本当に良かった。
食後、コーヒーを出してもらって味わいつつ、ヒッキーと話した内容は当然彼のこと。
「あの人……、確か『江ノ島』さんって言ったっけか? この前のスキー場のセレモニーにも来ていたよな」
「うん。パパの会社の部下でね、パパが札幌に移動になったから、今は北見支店の営業課長だって」
「若いのに凄いな。で? お前とはどういう関係なんだ?」
「え? どうって? 今言ったよ? パパの会社の人だって」
「お前な……それ本気か?」
はぁと、あたしの前でヒッキーがため息をついた。
なに、その反応?
呆れた顔になっているヒッキーに、本当に頭に来たのだけど、そんなヒッキーに文句を言おうと口を開きかけたところで彼が思いもよらないことを言った。
「江ノ島さん、多分お前に惚れてるよ」
「え? へ? はい?」
言いかけた言葉が霧散してしまい、変な言葉が喉をつく。
今ヒッキーはなんて言ったの?
ほれてる?
ん?
「惚れ……って、それって、江ノ島さんがあたしのことを好きだってこと!?」
「だから、そう言ってんじゃねえか。本当に気が付かなったのか?」
「気が付ない……じゃなくて、そ、そんなわけないじゃん! だって、あの江ノ島さんだよ? パパの会社の」
「それはもう聞いた。だからお前を意識するようになったんじゃないか?」
「え? だ、だって、意識するもなにも、そんなに一緒に居たわけじゃないし」
「でも、会ってはいたんだろ? 何回かでも」
「そりゃ会うよ! だって、大学に通ってたころは家族で住んでいたから、江ノ島さんたまにパパに会いに自宅にも来ていたし、パパの会社の行事の時に会うこともあったし。でも、だからってあたしのことを? そ、そんな……」
「会っているうちに気にするようになっていったんじゃないか? そのロジックは俺も身に覚えがあるからな、理解できる。おまえ……外面がめちゃくちゃ良いからな。何の気なしに優しくしたり、相手が勘違いするような振る舞いとかしていたんじゃねえか?」
「そ、それは……」
言いながらだんだん不安になってきて、背筋が冷えた。
まさかそんなと、頭の中で色々考えるほどに、不安は恐怖へと変化していく。
まさか江ノ島さんがあたしのことをそんな風に思っていたなんて。
そのことが本当に怖かった。
江ノ島さんはあたしにとってはただの『知り合いの大人の人』という認識だった。
パパの会社の若手の社員で、仕事ができるとパパが褒めていて、一人でいるあたしに気さくに話しかけてくれる優しい人。
そう思っていた。
だからあたしも江ノ島さんには結構気軽に話しかけてもいたし、冗談を言えるくらいの振る舞いは確かにしてしまっていた。
でも、それは江ノ島さんがあたしのことを子供として見ていると思っていたから。
あたしから見て、今の今まで江ノ島さんは世代の違う大人であって、決して同じ視線に立っている人ではなかったから遠慮なく接していたというのに……
ヒッキーの言うことが正しいのなら、あたしは知らず知らずのうちに江ノ島さんが勘違いするような言動をしてしまっていたのかもしれない。それこそ何の気なしに。
あたし、本当に何も気にしていなかった。
ど、どうしよう。
コーヒーカップを持つ手が震えてしまう。
自分は別に何も悪いことはしていないと分かっていても、自分の気が付いていなかった他の人の感情がそこにあるかもしれないことが、本当に怖かった。
そんなあたしを見ながら、ヒッキーがまたため息をついた。
「ま、お前が気にすることじゃないだろ。好きになった相手と上手くいかないことなんて世の中ざらだしな」
「そ、それじゃあ、あたしとヒッキーも上手くいかなくなるみたいじゃん」
「そ、そうじゃねえよ。俺たちは……その……だ、大丈夫なんじゃねえか? 今のところは」
「今のところってなんだし!! ヒッキーがそんな風に言うからなんだかだんだん不安になってきたじゃん」
「だから落ち着けって。その、あれだ。俺はただ、お前があの江ノ島さんのことをどう思っているのか気になって……だな。その……今の様子だと、別になんとも思っていなそうだし……そのな……ま、あ、安心したっていうか……」
そう横を向きながら鼻をポリポリ掻くヒッキー。
あたしはその様子になんだか顔が熱くなった。
「ヒッキー、あたしに『嫉妬』して……る?」
「あ……そんなんじゃ……えと」
そうこっちを見ないままに話そうとしているヒッキーの表情に、思わずあたしは笑ってしまった。
「ありがと。あたし、そう思われているってだけでうれしいよ」
「そ、そうかよ……ま、そういうことだ……」
「ふふ」
照れたヒッキーの顔を見て何だかホッとした。
あたしにはヒッキーが居てくれるんだもの、何があってもきっとヒッキーが助けてくれる。
そう、以前からそうだったんだもの。
そんな風に思えたことで気持ちがスッと楽になれた。
「でもな……お前は全然わかってねえみてえだから言うけど、よくよく気をつけろよ」
「へ? なんのこと?」
突然ヒッキーが真顔になってあたしにそんなことを言った。
それがなんのことなのか本当に分からなかったから、つい首を傾げたんだけど。
「振られた男ってのはかなりダメージがでかくてな……これは俺の友達の話なんだが」
「あ、ヒッキーの話だね! で?」
「…………」
「ほらほらムスッとしないでよ。ヒッキーの友達の話ね! はい、どうぞ!」
「むぅ、由比ヶ浜お前……対応がだんだん小町みてえになってきたぞ?」
「そう? ヒッキーと仲良くなると、こうなるってことなんじゃない?」
「ガハマ&小町で、ガハマチさんって呼んじゃうぞ」
「誰がガハマチさんだ!! もう! いいから、早く話してよ」
「おお……そうだったそうだった。ええと、友達の話なんだが……」
「…………」
「あのな? 振られた後ってのは本当にしんどくて、自分のどこがだめだったのか、駄目な理由は何だったのか、どうしたら良かったのかって、あれやこれや色々悩むもんなんだよ。まあ、たいていの奴は諦めつけて自分を納得させて終わらせられるわけなんだが……俺みたいに」
「やっぱりヒッキーの話だった」
「……げふんげふん……終わらせられるわけなんだが!! たまに納得いかなくて振った相手を恨む奴も中にはいるんだよ。要はあれだ、『可愛さ余って憎さ百倍』ってやつだな。自分の気持ちが先行し過ぎて相手に依存しちまうんだ。だから裏切られたと感じて相手を執拗に憎悪してしまう」
「江ノ島さんがそれってこと? そんなことないと思うけど……」
「ま、実際のところなんて俺も知らねえよ。江ノ島さんのことだってつい今さっき知ったばかりの話だしな。ただ……お前には用心して欲しいんだ。その……何かあってからじゃ遅すぎるから」
「心配……してくれるんだ?」
「あ、あたりまえだろ?」
「えへへ……えへへへへ……」
「なんだよ急に笑い出して? 気持ち悪いぞ?」
「ちょ! 気持ち悪いはひっどい。もう、言い方!!」
ヒッキーは残っていたコーヒーを一気に飲んで伝票を持って席を立った。
その仕草の全部が照れ隠しだってことは分かっているけど、あたしのことを心配してくれた。それがすごく嬉しくて、あたしの頬も緩みっぱなしになってしまった。
江ノ島さんのことはまだ少し気になってはいる。
ヒッキーに言われるまで、彼の考えていることや気持ちについて何も感じてはいなかったから。
でも、確かに彼があたしに向けてきた数々の仕草や行動は、好意からくるものであったのかもしれない。
ヒッキーの事を好きだという思いを再認識して、彼と付き合うようになって、もう彼との生活しか考えられなくなった今のあたしには、正直言って、江ノ島さんを傷つけないように接することは難しく思えた。
もうこのまま、会わない様にした方が良いのかもしれない。
そんなことを思いつつも、ただ……
江ノ島さんは、ヒッキーが言うような、憎悪からあたしを傷つけるようなことはしないだろうという確信のようなものが確かにあって、だから本当に何も心配はしてなかった。
そう、この時……
あたしはヒッキーの言う通り、無警戒のままだった。
そのせいで、あんなトラブルに巻き込まれることになるなんて……
このときのあたしは当然何一つ、想像してはいなかったんだ。