『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー 作:こもれび
ヒッキーとあの話をしてから数日、特に何も起こらないままにあたしは普通に生活を送っていた。
当然、江ノ島さんにも会っていないし、彼と連絡もとっていない。
もともとそれほどの頻度で交流があったわけではないし、でも、今となってはどんな顔をして会えばいいか気まずくて、例え連絡があったとしても普通の顔が出来る気がしない。
本当になんでこんなことになってしまったのか――――
「……先生! 由比ヶ浜先生!!」
「え? へ? あ、はい!」
とんとんと肩を叩かれて返事をして振り向けば、そこには驚いた様子の青葉先生の顔。
そして首を巡らせれば、職員室にいる全ての先生の注目の視線が。
「あ……えと……すいません」
そう言って、あたしが頭を下げると、副校長先生が一つせき込んでから話を再開。
連絡事項の伝達に移った。
もう……
本当に恥ずかしすぎりゅ。
「大丈夫ですか? なんだか今日は本当に体調悪そうですね?」
「え? いえ、別にそんなことは……」
居たたまれなくなっていたあたしに、青葉先生が優しく声をかけてくれたけど、別に体調が悪いわけではないから言葉に詰まる。
でも、ヒッキーのことや江ノ島さんのことを考えると、頭の中が色々もやもやして、集中力は確かに削がれていた。
そんな状態だったので、朝のミーティングの内容もうろ覚えのままで授業に向かい、今日の分のカリキュラムまではなんとか消化。
本当に今日はもうへとへとだった。
放課後。
「由比ヶ浜先生。今日一緒に帰りませんか?」
帰り支度をしていると、すでにカバンを肩に下げた青葉先生がそう声を掛けてくれたのだけど、今日はヒッキーが早く帰ると言っていたし、夕飯の準備に買い出しもしないと。
「あ、ごめんなさい。今日は買い物をして帰るので方向違うんです。ごめんなさい」
「そう……ですか? なら、私は他の先生と一緒に帰りますね。では~」
「?」
手を振る青葉先生が、別の女性の先生の元に行き一緒に帰りましょうと声をかけていた。
あれ? 青葉先生今日はどうしたんだろう? いつもはさっさと一人で帰るのに?
少し不思議な感じがしたけど、あたしは構わずに校舎を出て、守衛さんにいつものように手を振って正門を出た。
「はぁ、さむぃ」
辺りは当然の様にまっしろで、路肩が雪に埋まった道路の真ん中へと気を付けて歩み出る。車は今はいないから、このまま通りをすぐに渡れるな。
スーパーのある商店街はこの通りの向こう側で、更に路地を抜けた向こうにある。
その道だけはきちんと除雪されているから、苦も無く歩くことができるはずなので、あたしは迷わずに通りを小走りで渡り、その路地を一人で歩いた。
雪がちらついていることもあって人通りはまばら。
しばらく歩くと、あたし一人だけになってしまったけど、もう商店街は目と鼻の先。
あと、少しだ。
と、その時、あたしの耳に何やら『温かい息』がかかった。
「はぁはぁ……」
「きゃっ」
耳元で突然、人の呼吸音のような物が聞こえ、あんまりにびっくりして思わずつんのめった。
顔から行きそうになり、慌てて両手を突き出した。雪に膝と両手をめりこませはしたけど、頭をぶつけることはなかった。
とはいっても、手が痺れるほど痛かったのだけど。
「あいててててて」
痛みを確認しながらとりあえず顔を上げようとした。
びっくりした原因は、誰かがあたしのそばに居たせいで間違いなかったから。
なら、それはいったいだれ?
「えーと、どなたです……?」
と聞こうとして顔を上げたところに、声が掛けられた。
あたしの正面から。
「よぉ由比ヶ浜。何してんだ?」
「へ? ヒッキー?」
そう、ヒッキーだった。
彼はあたしの正面から歩み寄ってきて転んだあたしに手を差し出してきていた。
あたしはその手をとって、痺れた腕と膝を震わせながら起き上がる。
そうしながら、他人事のように話しているヒッキーにムカムカし始めていた。
「もうっ!! ヒッキーふざけないでよ! 本当にびっくりしたんだから」
「はぁ?」
ヒッキーはあたしの手を放すと怪訝な表情になりながらあたしを見た。
「とぼけないでよ! 今あたしの後ろからこっそり近づいて、耳に息ふきかけたでしょ! あたし本当にびっくりしたんだから!」
あんまりにも悪ふざけがすぎるから、あたしは本気で怒っていたのだけど、ヒッキーはきょとんとした顔で暫くあたしを見つめて、その後、周囲をきょろきょろと見回し始めた。
あたしもつられて周りを見たのだけど、他には誰もいない。
そうしていたら、ヒッキーが言った。
「俺じゃない」
「え?」
「いや、だから俺じゃない。お前にそんな悪戯はしていない。俺は今たまたまお前を迎えに歩いてきて、たまたまお前が転んでいるところに出くわしただけだ」
「え? ええ? でも、だって、さっき確かに……」
耳元に感じた熱い吐息。
それがまさかヒッキーじゃない……?
「俺じゃない」
そう言いながら、あたしの肩をぎゅうっと抱いてくれたヒッキー。
彼は周囲を見回しながら、あたしを守るように抱いたままで商店街の方へと歩いた。
そうされながらでも、あたしは震えていた。恐怖していた。
歩きながら……
つい先日ヒッキーと話していた彼の、無表情な横顔が頭の中を掠めた。