『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー   作:こもれび

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(8)ヒッキーと同棲したい

「青葉先生! 今日一緒に帰りませんか?」

 

 帰りの支度を終えてから隣の席の青葉先生にそう声を掛けると、先生は少し申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「ごめんなさい。今日はダメなの、彼が迎えにくるから」

 

「え? あ、そうだったんですか。それはすいませんでした」

 

 思わずそう謝ったのだけど、青葉先生はふふふと可笑しそうに小さく笑う。

 

「でも、由比ヶ浜先生も最近ずっと彼氏さんお迎えだったじゃないですか! もうっ! 私なんかよりずっとずっと先に進んじゃってぇ! 羨ましいですよっ!」

 

 ぽんっと肩を叩かれて、思わず照れ笑い。

 でも、別にそんな風にみられようと思ってヒッキーと帰っていたわけじゃないから、なんだか気まずかった。

 だって、あたしは、誰かに見られているというあの感覚が怖かっただけだったから。

 ただ、言われてみれば、ここ数日あたしは毎日ヒッキーに迎えに来てもらって、手をつないで帰宅していた。

 これって、毎日お迎えデートしていたようなものだよね!

 わわわ! は、恥ずかしいっ!

 顔がほてって熱くなっていると、立ち上がった青葉先生が言った。

 

「だ・か・ら! 私も今回は頑張ってアプローチすることにしたんです! なんと言っても、今日は『クリスマス・イヴ』ですからね! デートも準備万端! 今日こそは……」

 

 と、小さくガッツポーズする青葉先生。

 

 クリスマス……あ!!

 

「じゃあ由比ヶ浜先生、お先でーす。ではではー!」

 

「さ、さようなら」

 

 手を振って軽快に教室を出ていく青葉先生を見送りつつ、あたしは机の上の卓上カレンダーに視線を走らせた。

 そこに書かれている今日の日付は……

 12月24日。

 く、クリスマスイヴだ。

 

 それを認めてあたしの全身の力が抜けてしまった。

 

 どうしよう……

 今日になっちゃったよ。

 後悔しても遅いことは重々分かっているのだけど、それでもこうなってしまっては悔恨ばかりが湧き出てしまう。

 なんといっても今回はヒッキーと付き合うようになって最初のクリスマス。

 プレゼントもお互いで用意して、二人でお祝いしようねって、ついこの前約束したばかりだったのだから。

 

 それなのに、今の今までそのことをすっかり忘れてしまっていた。

 多分あたしだけじゃない。ヒッキーもだ。

 今日の夜予定いれちゃっているのだから。

 

「あーーーー」

 

 もうため息しか出ない。

 でもこれも仕方ない。

 この前ヒッキーと待ち合わせして二人のプレゼントを買いに行こうとしたあの日、ヒッキーは残業であたしはその職場に初めて押しかけてしまった。

 それからあれよあれよとヒッキーと初めての……、……をしてしまって……けほんけほんっ……

 で、その後橋本さんの勧めであの新居に住むことになり、引っ越しをようやく終わらせたと思っていた矢先から始まった、あの見られているような気配を感じる日々。

 結局そんなこんなが続いたせいもあって、カレンダーを見ていたにも関わらず、クリスマスのイベントのことがすっかり頭から抜けてしまっていたんだ。

 

「はあぁぁぁぁぁ」

 

 本当にもうため息しかもう出ないよ。

 こんなに大事なことだったのに。

 

 でも、そうだよね。

 今日なんだもん、もうどうしようも……

 

 なくは……ない?

 

 窓のそとを見てみれば、どんよりした空模様のまま、雪がちらりちらりと舞っていた。

 でも、まだ真っ暗ではなかったし、時計を見ればどこのお店もまだ開いている時間。

 これは急げば間に合うかも?

 

 あたしはすぐにカバンを手にして職員室を後にする。

 向かう先は商店街のケーキ屋さんと、この前ヒッキーと一緒に行こうと思っていた宝飾品店。

 そこでヒッキーとお揃いのアクセサリーを作ってもらおうと二人で話し合っていたんだった。

 結局注文はしていないし、そもそもお店にも行けていないけど、とりあえずサプライズのプレゼントは何か買えるかもしれない。

 そう思えたからあたしは急いで校舎を飛び出した。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「ありがとうございました」

 

 あたしと同い年くらいの若い女性の店員さんに見送られてあたしはお店を出た。

 お店の銘の入ったお洒落な紙袋を、眺めてから、それをそのままショルダーバッグへと納めた。

 もう片方の手には、ケーキの入った袋を持っている。

 つい先ほど駆け込んだケーキ屋さんで、たまたまキャンセルの出たホールのショートケーキが置いてあって、タイミングよく購入できたから。

 

「ふふん」

 

 少し慌てたけど、ケーキもプレゼントも用意できたし、夕飯用の食材はたっぷりあるから、これから帰ってシチューでも煮込めば、ちょっとしたパーティみたいに出来そう。

 ヒッキーも少し遅くなるって言っていたしね、帰ってきたところでびっくりさせちゃうんだから。

 なんだか、だんだん楽しくなってきていた。

 雪はちらついているけど、考えつくことの全てが楽しくて、全然寒さを感じない。

 大通りの道端に新しく積もった雪をサクリサクリと音を立てつつ歩いて、あたしはマンションのある路地へと足を踏み出した。

 

 その時だった。

 

「はぁはぁ」

 

「え?」

 

 そこにその人はいた。

 あたしのすぐ真横、目と鼻の先に。

 マンションへと続くその道の片側に聳える分厚いブロックの壁に背を預ける様にして、背の高い男の人が立ってあたしを見下ろしていた。壁際だし暗がりすぎて顔や服装はまったくわからないけど、ただ、呼吸音だけが大きく響いていた。

 

「え? え?」

 

 咄嗟にその場で足を止めてしまったあたし。

 あまりに驚いたのと、怖かったのとで、その人と向かい合うような恰好のままで、動けなくなってしまった。

 誰?

 この人はいったい誰?

 暗がりのその人は、ゆらゆらと身体を揺らしながらあたしへと向かってきた。

 

 そして。

 

「はぁはぁはぁはぁ!」

 

 呼吸を荒げながら、あたしの背中に抱き着いてきた。

 両腕で身体を締上げるように力を込めて。

 その衝撃で、手にしていたケーキの入った袋が、どんと音を立てて道路に落ちた。

 

「い、いやぁっ!!」

 

「!?」

 

 あまりの悍ましさに悲鳴を上げてしまう。

 と、その時、一瞬その抱き着いてきた男の手の力が緩んだ。

 あたしはその隙に身体を捩って腕の拘束から逃れて走った。

 けれど、凍った雪道はがたがたで、うまく走ることが出来ない。

 

「きゃ」

 

 結果、溝に足を取られてあたしは尻餅をついた。

 かなり痛かったけど、今は怖い方が勝っていたからすぐに追いかけてきているであろうあの背の高い男性の方へと顔を巡らせた。

 すると、もうすぐ目の前にその人はいた。

 逆光で顔はほとんど見えない。

 でも、ひとつだけ見えた。

 その人がにやあっと口を大きく開いて微笑んでいるのを。

 その表情に全身の肌が泡立った。

 

 助けて……

 助けてよ……

 

 恐怖のなかで、必死に助けを懇願している中であたしはその声を聞いた。

 

「結衣さん……」

 

 目に映るその男性を見上げながら、ああ、この声の主は江ノ島さんだ……

 そう思い出していた。

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