『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー   作:こもれび

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(9)ヒッキーと同棲したい

「結衣さん……」

 

「い、いや……」

 

 目の前の男の人がどんどん迫ってくる。

 その黒い大きな塊の腕があたしに向かって伸びて来て、そしてあたしのことをまた捕まえようとしていた。

 助けて……

 助けて、ヒッキー!

 その時だった。

 

「結衣さんに何をするっ!!」

 

「え?」

 

 江ノ島さんの声が聞こえた。

 でも、それは目の前の黒い影のような背の高い男の人からではなかった。

 あたしの背後……

 あたしの後ろの方からだんだん大きく、雪をざしゅざしゅと踏みならす音と共に近づいてきた。

 

「こ、この野郎っ!! ゆ、結衣さんから離れろっ!」

 

「……っ!?」

 

 あたしの脇をすり抜けたその人……

 江ノ島さんが、目の前の男の人に飛びついた。

 ふたりはそのまま雪の上に倒れ込む。

 

「何をしているんですか! 何をしているんですか!」

 

 江ノ島さんはそう叫びながら、その男の人の襟くびを掴んでガクガクと揺さぶっていた。

 男の人はと言えば、最初首をぶんぶん横に振っていたのだけど、江ノ島さんがそれ以上何もしなかったことで何か吹っ切れてしまったのか、彼のことを力任せに横へと投げ飛ばしてスッと立ち上がった。

 

「痛いっ!!」

 

「江ノ島さん!!」

 

 あたしがそう叫ぶと同時に、立ち上がった男の人は走りだそうとした。でも、そこに、転がってしまった江ノ島さんが再度飛び掛かって、男の人の足に組み付いた。

 

「逃げるなっ! この変質者っ!!」

 

 男の人は、掴まれていない方の足で、何度も何度も江ノ島さんのことを蹴る。

 それでも江ノ島さんは手を放さなかった。

 暫くしてけるのを止めた男の人はポケットに手を差し込んだ。

 そしてそこから取り出したのは……

 

 ジャキンッ!

 

 その手に握られていたのは鈍色に光るナイフだった。

 

「江ノ島さん。もういいから、逃げて!」

 

「くっ」

 

 そのナイフに江ノ島さんもようやく気が付いたようだったけど、彼は目をぎゅっとつぶって組み付いたままの腕を解かなかった。

 そこへ、

 男の人のナイフが振り下ろされ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「止めろー――――――!!」

 

 声がした。

 それは、また別の方向から。

 あたしたちの住んでいるマンションの方から。

 そう、

 あたしが一番来て欲しかった、会いたかった人の声が突然聞こえたの。

 

「ヒッキー―ーー!!」

 

「でやあああああっ!!」

 

 腰の抜けてしまったあたしの目の前で、ヒッキーが手にしていた傘でその男の、ナイフを持った方の腕を思いっきり叩いた。

 その瞬間、手からナイフがポロリと落ちて、近くの雪の上へと落ちた。

 

「やめろ、やめろやめろやめろーーーー」

 

 バンバンと何度も何度もヒッキーがその男の人を傘で叩き続ける。

 男の人はと言えば、痛いのか頭を手で隠すようにして走り出そうとしていたけど、足元の雪のわだちに足を取られて躓いて前のめりに倒れた。

 その背中へと、ヒッキーが更に傘を叩きこむ。

 

「止めろ止めろ止めろ止めろー!!」

 

 ばしんばしんと、繰り返し傘が叩きつけられる音が響いている。

 傘はもうぐにゃぐにゃになっていて、とてももう使えるような状態ではなかったけど、それでもヒッキーは叩き続けていた。

 傘を掴んでいる手の所が真っ赤になっていた。

 どうやら、折れた傘の部品が手に刺さってしまっている様。

 叩かれている男の人は、もう動かなくなっていた。

 

「ひ、ヒッキー。あ、あたし、大丈夫だから。もう大丈夫だから」

 

「あ? あん……?」

 

 呼吸を荒げたヒッキーがあたしを見る。

 そして手にしていた傘を見て、その手が血まみれになっているところにも視線を向けていた。

 それから一言。

 

「い、いてえ」

 

 そう言いながら、手のひらに喰い込んでしまっている傘の柄の部品を引き抜いて、手から傘を無理矢理離して地面に落とした。

 あたしはすぐにハンカチを取り出して、ヒッキーの血まみれの手にそれを当ててぎゅっと握った。

 

「ヒッキー……ヒッキー」

 

「おお……サンキューな由比ヶ浜。痛みがふっとんだみたいだ」

 

「ばか、そんなわけないでしょ。もう……無茶をして」

 

 軽口を言うヒッキーの手を握りながら、倒れている男の人を見ると、うーんと唸りながらまた起き上がろうとしていた。

 ヒッキーはそれを見て、あたしを背中側にまわして、傘はもうないのに、またもや男の人に掴みかかろうとしていた。

 

 その時だった。

 

「おまわりさん。こっち、こっちです」

 

 大通りの方から複数の人影が走り寄ってきていた。

 そのうちの二人は間違いなく制服を着た警察官。

 お巡りさんは、倒れている男の人を抱き起こすと何やら色々質問を始め、それから先ほど雪の上に落ちたナイフも確認して無線でどこかへと連絡をした。

 そして、今度はあたしとヒッキー、それとまだ立てないでいる江ノ島さんへと声を掛けてきた。

 

 そうだ、江ノ島さんが来てくれたんだった。

 

 あの時、あたしはこの男の人が江ノ島さんだと思い込んでいた。

 背も高いし、この前ヒッキーに言われた通り、あたしが江ノ島さんに恨まれていると思っていたから。

 

 でもそうじゃなかった。

 

 その人はまったくの別人で、あたしに襲い掛かってきたところを江ノ島さんが飛び込んできて助けてくれた。

 そう、江ノ島さんじゃなかった。それなのに。

 あたしはなんて酷いことを思ってしまっていたのだろう。

 彼に顔向けできないくらいの申し訳ないという思いで胸がいっぱいになってしまっていた。

 なんて謝れば良いのだろう。

 なんとお礼を言えば良いのだろう。

 そんな風に胸が苦しくなっていたあたしに、また別の人が声を掛けてきた。

 

「やあ、大丈夫だったかい? 『結衣』? えーと、ゆ、由比ヶ浜さん?」

 

「え?」

 

 その声は先ほどお巡りさんたちへと声を掛けた人の声に間違いが無かったけど、あたしはその声をもっとずうっと前に聞いていたことを思い出していた。

 それはあの千葉の高校での懐かしい友人の声。

 

「は、隼人くんっ!?」

 

「やあ、ひさしぶり。大変だったね」

 

「ふんっ」

 

 柔らかく微笑んであたしを見つめる葉山隼人君がそこにいて、その隣でヒッキーが煩わしそうに彼を睨んでいた。

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