『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー 作:こもれび
羽門さんが帰ったあと、この場は静まり返ってしまっていた。
いったいどういうことなのか、どう考えれば良いのか、皆それぞれわからなかったから。
でも、分かっていることは二つ。
愛菜さんは材木座君のことを確かに意識していることと、愛菜さんに許嫁がいるということ。
わざわざ直接こうやって諦めて欲しいとまで言いにくるくらいだもの、このことは全部本当のことなのだと思う。
でも、じゃあ、どうするのが一番なのか。
羽門さんの思いを汲むというのなら、このまま諦めるのが一番。
でも、愛菜さんが材木座君を好きだというのなら、二人を結ばせてあげたいとも思うし、実際に諦めたとして二人はその後幸せになれるのかどうか……
そんなことを考えていたところで、材木座君がぽつりと言った。
「我……やっぱり愛菜たんのことは諦めようと思う」
「材木座君……」
俯いて大きなため息をつく材木座君の肩を彩ちゃんがぽんぽんと叩いて慰めている。
それを見ていたら、となりのヒッキーと目が合った。
その眼は困惑して、まったく納得していない感じだった。
あたしと一緒だ。
そう思ったあたしは、ヒッキーにうなずいてから言った。
「待って、材木座君。もう少しだけ。決めるのはいつでもできるし、まだ時間はあるよ。だからもう少しだけ……」
そのあたしの言葉に材木座君は力なく顔を持ち上げてこっちを見た。
その顔は青白くて生気のない感じで。
「結衣の言う通りだ。まだ肝心のことがわかってねえしな」
「肝心なこと?」
ヒッキーの言葉に、不思議そうに聞き返してくる材木座君。
それに今度はあたしが答えた。
「そう、肝心なこと。まだ愛菜さんの口から彼女の言葉で本音を聞いてないよ。だから……」
あたしの言葉に、こんどはヒッキーが頷いた。
あたしの思うようにしていいと、その顔は言ってくれていた。
「あたしが愛菜さんから、気持ちを聞いて来るよ」
× × ×
「何もヒッキーまでこなくても良かったんだよ?」
「まあ、そう言うなよ。お前ひとりで対処できないこともあるかもしれないだろ?」
「ただ話を聞くだけなのに?」
「ただ話を聞いただけで、高校時代にお前はディスティニーに葉山と三浦と戸部と海老名を連れてきた前科があると思うのだけどな」
「うっ!! あ、あれはだって……一人だけ誘うとかあとあとの人間関係考えたら……もうっ!! なんでそんなことばっかり憶えてるの!?」
「他にもいろいろあるが……」
「あ! うそうそ!! いや、やめて聞きたくない!!」
「むしろ俺だって言いたかねえよ。ほれ行くぞ、さっさと話しをして、方針を決めちまおう」
「あ、待って、あ、あたしが話すんだからぁ!!」
湧別の件のお店の近くに車を停めた後でそんな話を二人でした直後、ずんずん店へと向かって歩いて行ってしまうヒッキーをあたしは追いかけた。
愛菜さんのお店は木目調の外装にこだわったどこか落ち着く感じの美容室。その店内も濃い緑の観葉植物がたくさん置かれて、とてもきれいだった。通りに面した大きなガラスの向こうでは、愛奈さんがお店の床にモップがけをしている。
あたしたちは、それを見てからお店の戸を開けた。
チリンチリンとドアベルが鳴った直後、彼女の明るい声が聞こえてきた。
「いらっしゃいませ、初めての御方ですか?」
そう笑顔で聞かれてなんて切り出そうか一瞬迷ってしまったのだけど、間髪入れずにヒッキーが言った。
「客じゃないです。実は俺達は材木座の関係者なんですよ。今日は少しあなたと話がしたくて来ました」
「まあ材木座さんの……今日は彼は来ていないのですか?」
「え?」
材木座君、自分の本名を名乗ることは出来ていたんだね。
と、そんな妙なところに関心しつつ、今度はあたしが言った。
「きょ、今日は来ていません。あたし達だけです。ただ、話の内容は彼のことではあるのですけど」
そう言ってみれば、あからさまに彼女の表情がくぐもった。それを見て嫌な予感が過ぎったのだけど、彼女は表情を戻して明るい声であたし達をテーブル席へと誘った。
「待合スペースですいません……ええと、あまりきれいなところではありませんが、ここでお話しを聞かせてください。あ、コーヒーを淹れてきますね」
「お構いなく。あの……お店の方は良いんですか?」
「あ、はい。この時間はあまりお客様も多くはありませんので、お話の間は『closed』にしちゃいますから」
「あ、すみません」
「いえ、こちらこそ」
そそくさと店を閉めてコーヒーの準備を始めた彼女に、申し訳ないと思いつつも、さて何から話していいのやらあたしは悩んでいた。
そこへ……
「おい、大丈夫か? お前が聞けないなら俺が聞いてやってもいいぞ。こう見えて俺も営業はもう長い。5W1Hでバシッと聞いて、速攻で帰れる良いプランもあるのだが」
「早く帰りたいだけだ! そんな事務的に聞くようなことじゃないでしょ。もっと柔らかくそっと包み込むように聞かなくちゃ、材木座君のことを好きですかって」
「私……彼のこと好きですよ」
「え?」
ヒッキーと話していたつもりだったけど、そんな声がして振り向いてみれば、そこにいたのは湯気の上がるコーヒーカップをトレイに載せたまま、困惑した顔で微笑む愛菜さんの姿。
あたしはそれを見て絶句してしまっていた。
「ばか……」
顔面を手で押えたヒッキーがそんなため息を吐く中で、コーヒーを置いてからあたしたちの正面の椅子に腰を下ろした愛奈さん。
彼女はやはり気まずそうにしていた。
うう、ごめんなさい。
それを察したのかどうかは分からないけど、彼女はコーヒーを勧めた後で言った。
「こんな話をしに来てくださったということは、ひょっとしてノリスケおじ様かしら? もしそうでしたらごめんなさい。おじ様は私達兄妹を本当に心配してくれているだけなのです。ひょっとして私たちの身の上話も?」
そう聞かれ、思わずヒッキーを見てしまったあたしだけど、彼もきまずそうにしていたから覚悟を決めて大きくうなずくことにした。
それを見た愛菜さんは苦笑していた。
「ホントにもうノリスケおじ様ってば、いつまでたっても私のことを子ども扱いするのですもの。いえ、こんなことを言ってはだめですね。今の私たちがあるのは全部おじさまのおかげ。だから、それに報いたいとは思っているのです。だから、樺太家再興のために名家の御子息と結婚をすることも仕方ないと、そう思っていました。でも……」
愛菜さんは少し寂しげに笑った。
そして言った。
「でも、私は私を救ってくれた四郎に……材木座さんに会いたかった。会ってお礼を言いたかった。ずっとそう思っていたんです」
そう語る愛菜さんは本当にきれいだった。
あたしはそれにただ見惚れていたのだけど、ヒッキーが問いかけた。
「助ける? 聞いていいかは分からんけど、あんたと材木座はどういう関係なんだ? 俺達はただ、あいつが小説を書けなくてスランプだった時に助けてもらったくらいの話しかきいていないんだが」
そう言ったヒッキーに、今度は愛菜さんがぶんぶん首を横に振った。
「あたしが彼を助ける? 違います、助けられたのは私の方です」
彼女はそう言ってから一冊のノートを取り出した。
それは何枚ものA4コピー用紙をひもで束ねたもの。
手垢で汚れ、大分紙も痛んでいる様ではあるが、かなりの厚さのそれを彼女は大事に押抱いた。
「これは彼がわたしへと送ってくれた初めての作品の原稿なんです。私はこれを読んで生きることが出来るようになったのです」
「詳しく……聞いても?」
「ええ……」
彼女はそういうと、優しい顔になってあたし達へと語った。