アパートで唯城恭夜(ゆいしろきょうや)たちは留守番をしている。エアコンをつけずに扇風機で我慢していたが、夏真っ只中の猛烈な暑さはさすがに堪えた。扇風機の風を「中」から「強」に変える。
夕飯の買出しに行った隆太とあかりを待つため機械の体を持つゲルマと暇を持て余していた。
「いくらルナのためとはいえ、扇風機だけでは熱風を浴びているようなものだ。それにこの体がオーバーヒートしてしまう」
暑さを感じないゲルマだがサーモグラフィーを搭載している。あまりの温度の高さに体から放熱しているようだ。恭夜がゲルマを睨む。
「お前の修理代を払うぐらいならエアコンの電気代を節約する方を選ぶ」
「マスターの頭は暑さでやられてしまったようだ。熱を帯びた体を温めようなどと考える馬鹿はいない。もちろん隣の部屋で寝ているルナと介抱しているサリーも例外ではない」
恭夜は扇風機に顔を向け口を開く。
「あーあー」
隣の部屋ではルナが体調を崩し寝込んでいる。サリーが世話役の隆太に代わって介抱していた。
ルナが寝言をぶつぶつと呟いているがサリーは気にする素振りはない。風邪を移されたくないからだろう。最低限の世話を終えると、そそくさと部屋を出てきた。
「クックック……夏風邪を引くとは昨夜はよほど楽しいロマンスがあったのだろう」
「なに!?」
ゲルマの言葉にサリーは敏感に反応し、短い藍色の髪を根元で結った
「頭を冷やせと言いたいようだ。まあ、楽しいことと言っても花火を見に行っただけだが」
「その後は?」
「みんなで夕飯食っただろ!ソーメンだよ!ソーメン!」
髪の揺れが収まった。正気を取り戻したようだ。
「そもそもサリーが欠勤した同僚の代わりに出勤するってごねたからゲルマが来たんだろ」
「それならルナを連れ出さなければ風邪を引くことはなかったんだな?」
「一理ある」
「ねーよ!お前がネズミ花火を野原に放って『わー、焼け野原だ!』とかやってるからご近所さんに通報されたんだろ!」
「わかったぞ。ルナは刀を振るって火を消し止めたのだな」
ルナの刀は水を操る力を宿している。野原を延焼を防ぐため大量の水を発生させた結果、ルナ自身も浴びてしまったらしい。
「水の滴るいい女にマスターもキュンキュンしただろう?」
「ああ、ドキドキしたよ。警察につかまるんじゃないかってな……あー!お前と会話するとムシャクシャするー!もう出ていけ!」
外から足音が聞こえる。
「やっと帰ったきたか――」
サリーが隆太とあかりを出迎えようと玄関に向かった途端、常に肌身離さず持ち歩いている刀が光りだした。
刀を見た恭夜の額から汗が吹き出る。暑さからではない。ドアの向こうから聞こえる足音が何かを訴えかけているように聞こえたからだ。
ゲルマの目が赤みを帯びる。ただ一点を見つめる。足音が止まった。ドアの鍵はかかったままだ。
「誰だ!?」
サリーは摺り足で近づく。ドアノブに手を伸ばし鍵を開けた。
年季の入ったドアがゆっくりと開く。軋む音が不気味さと虚無感を引き立てる。一人の女性が現れた。同時に熱風と冷風が合わさり扇風機のファンがガタガタと音を立てる。
肩まで伸びる琥珀色の髪。西洋人形のような整った顔立ち。胸元には双頭の鷲を型どった銀の首飾り。民族衣装のような色彩豊かな服を身に纏っている。しかし、何故か裸足だ。
サリーは得体の知れない者に敵意を剥き出しにした。
「貴様、名を名乗れ!勝手に人様の敷地に上がり込むとは礼節というものを知らないのか!」
「まるで門限を守らない頑固親父のような叱責だ」
そう言いながらもゲルマは侵入者の動きを注視している。いや、頭脳に蓄積されたありとあらゆるデータを駆使して正体を暴こうとしているのだろう。
女性は足元に並んでいる靴を不思議そうに見ている。
「道に迷ったの?それなら交番に連れていくけど」
恭夜は迷子に語りかけるような優しい口調で問いかけた。
「ワタシは……ヘレナ、ヘレナ・ジェルドラというものです。ここはワタシの知り得ている場所ではないのですか?」
「記憶に混乱をきたしているようだ。凶器の類いも携帯していない。それに我々に危害を加えるような前科者でもなさそうだ」
「だが無言で立ち入る無法者を土足で上がらせるわけにはいかない」
「足ならそこの部屋に水場があるから洗ってきなよ」
「お心遣いありがとうございます。それではお言葉に甘えて――」
「お、おい!?」
サリーの制止を振り切りヘレナは躊躇いもなく風呂場に入った。恭夜が風呂場を水場と表現したのは女性に対する配慮からだろうか?
サリーも風呂場に入り様子を伺う。
「水場はどこにあるのですか?それに中が真っ暗なのですが……」
「蛇口も知らないのか?シャワーが上に取り付けてある。電気ならスイッチがここにある。もの知らずにも程があるだろ。とんだ箱入り娘だな」
「ああ……ここには便利なものが色々あるのですね」
「早くしろ。水がもったいないだろ」
ヘレナは足を洗いサリーからタオルを受け取った。四人が四角いテーブルを囲むように座る。
サリーの髪が左右に揺れる。
「勝手に上がり込むとは一体どういう神経をしているのだ?」
「そうでした。まずは謝らなければなりません」
ヘレナは軽く頭を下げるが、サリーの目尻は上がったままだ。
「まずはここに来た理由を淑女にお伺いしたい」
「それが……焼けつくような暑さで意識を失ってしまったようで、気づいたら見知らぬ土地を
「ヘレナさんはどこから来たの?」
「皆さんも一度はお耳にしたことがあると思うのですが、ワタシは
「これはまた愉快な客人。神聖ローマ帝国とビザンツ帝国を混同しているようだ」
「フン、馬鹿馬鹿しい!意識を失った時に頭でもぶつけたのだろう!」
「新生びざんつ帝国?……そんな国どこにあるんだ?」
ゲルマは嘲笑い、サリーは鼻で笑い、恭夜は顔についた汗を拭う。
「神聖ローマ帝国は一九世紀まで実在した国家だが、帝国とは名ばかりの多数の並立する君主に支配された領邦による結合国家だ。そしてビザンツ帝国は十五世紀まで存在した帝国だ。別名東ローマ帝国。地中海世界で権勢を誇っていたようだが……」
「へぇー……今って何世紀だっけ?」
ゲルマの解説を聞いた恭夜はサリーに話を振るが無視された。今は二二世紀だ。
「ゲルマ様はお詳しいのですね。でしたら皆様ご一緒に案内して差し上げます」
「もう一つお伺いしたい。おかしなことを聞くが、いつの時代から参られたのかを」
「はぁ、時代ですか?ワタシの記憶に間違えがなければ今は一四七〇年のはずです」
「あからさまだが、何故そんな嘘をつくんだ?」
歴史好きのサリーは確信したように語気を強める。
「どうやら過去で不可思議な現象が起きているのかもしれない。サリーなら理解できるだろう?」
サリーは無言で刀を強く握りしめた。
「信じて頂けないのなら、その刃でワタシを切り伏せて頂いても構いません。ですがこれだけは言わせて下さい。ワタシは皇位継承権第一位の気高き人間です。わかりますね?大帝国の皇帝として戴冠するということです」
「こ、皇帝?ヘレナさんが?」
「我ら面前にいる人物は生まれ変わったビザンツ帝国、未来の女帝というワケか」
「もうこりごりだ。帰ってくれ」
サリーの言葉にヘレナは黙ってしまった。重たい空気が四人を包む。恭夜とヘレナの目が合った。
「その新生ビザンツ帝国?とか言う国の歴史はわかんないけど、何だか凄い嫌な予感がするんだ」
「全くだ。不吉な気が周辺を渦巻いている。まるで悲劇を予感しているみたいだ」
「ヘレナさんの両親は?」
「それは……」
突然、歯切れが悪くなる。
「どんな人達なんだろう?その……帝国の人は」
「帝国の人々は争いを好まず、他国の文化や移民族との交流を活発に行っております。もちろん、多民族国家ゆえに複雑な利害も絡んでおります。帝国を良く思わない国も当然に存在するのです。ですから有事に備え友好国との協力関係の構築にも力を注いでいます。それがワタシの国が標榜する国家政策なのです」
歯切れの悪さが嘘のように弁舌になり恭夜は目を丸くする。
「清らかさは見た目だけではなかったようだ。芯がしっかりしている」
「サリーはまだ信じてないみたいだけど」
「気に食わん。だが……」
サリーの意思に反して刀が微かな光を灯す。
刀が光を増し、ヘレナの首飾りと共鳴した。
「でも、どうやって過去に飛べばいいんだ?」
「恭夜はこの女の寝言を聞き入れるつもりか?」
「俺だって疑ってるよ」
「なら――」
「だから確かめたいんだ、俺の目で。歴史が歪められる前に出来ることをやりたいんだ」
「あぁ、暖かい光――」
ヘレナは優しい声で呟く。
ゲルマは光輝く刀を見て不適な笑みを浮かべた。
「どうやら時間は待ってはくれないようだ」
四人の視界は真っ白になった。