帝都陥落
一四五三年、五月二八日。
宮殿の外では皇帝コンスタンティノスの最後の演説が始まった。陛下の隣には預言者が付き添う。
陛下の言葉に耳を傾けようと人々が押し寄せる。学者や為政者だけでなく商人、兵士、一般市民もいた。
涙を流し肩を寄せ合う老夫婦、赤ん坊を抱き抱えた母親、胸の前で十字を切り神に祈る神父、陛下の勇姿を後世に伝えようとスケッチする画家もいる。
忍び難きを忍び、耐え難き耐えてきたのは陛下も市民も同じであった。辛酸を嘗め続けた日々も終わりを迎えようとしている。その先に待ち受けるのは安寧ではないだろう。民達は新たな安住地を求めて旅立つ。楽園か、はたまた地獄か。民達の進む先に安寧が訪れる日が来るのだろうか?
それは神にしか知り得ないことだ。
以前から始まっていた国外への脱出は順調に進んでいた。預言者の誘導に従い荷物をまとめ、コンスタンティノープルを後にする。
中には指示に従わず都市に残り運命を共にする一団もいた。当然無理強いすることはない。郷土愛に満ちた者達は「侵略者に一泡吹かせてやる」と豪語する者もいれば、「この国の行く末を見届けたい」と悠長なことを言い出す者までいる。帝国に庇護され続けた人間にしか分からないかもしれないが、愛国心を持つ生粋のローマ人はコンスタンティノープルに生を受けたことを心の底から誇りに思っていたのだ。だからこそ滅びの時まで共にありたいと願ったのだろう。
陛下に最後まで忠誠を誓った騎士達は約八千。一人一人と抱擁を交わし最後の戦いに挑む兵士達を労う。感極まり泣き出す兵士には自らの過ちを詫びるしかなかった。
西欧の国々に見捨てられ、神にも見放された
未明、馬に股がった陛下の声が轟く。城内にいた者達の心を突き動かした。陛下の猛々しい姿に感銘を受けた兵士達が呼応し敵陣へと突撃する。
オスマン帝国の軍勢は十万に膨れ上がっていた。
前日の激戦で大破していた城門から次々と侵入していく。
ビザンツ帝国の兵士は十倍以上の軍勢相手でも勇猛果敢に立ち向かう。死を恐れる者は誰一人としていなかった。その姿勢は闘志に満ち溢れ恐怖など微塵も感じていない。滅びゆく帝国とは思えないほどだ。
夜が明け太陽が都市を照らす。遥か遠くの未来から来た恭夜達には時間が経つのが長く感じた。
「俺たち、これからどうなっちゃうんだろ……」
不思議な感覚に苛まれ、城の外に出た後も何度も振り返った。
ヘレナは恭夜の手を掴み現実に引き戻す。
「恭夜様、前に進みましょう。そんな恐い顔をなさらないで下さい。ワタシがお傍におりますから」
陛下は胸の刺繍を引きちぎった。双頭の鷲を天に掲げる。目映い太陽の光に照らされた帝国の象徴はまるで翼をもがれようとするイカロスのようだ。
乱戦の中、陛下の姿が見えなくなった。戦場では馬や歩兵が駆け回り砂を巻き上げていく。空気は淀み視界が酷くなる。
血の臭いと火薬の臭いが入り交じる。
敵味方は入り乱れ戦いは激しさを増していく。男達は雄叫びを上げ剣を一心不乱に振り回した。
数時間経ち、勝鬨が上がった。態勢は決したようだ。
オスマン帝国の軍勢は城塞を攻め落とし、宮殿へと踏み込んでいく。
コンスタンティノープルは遂に陥落。
陛下が掲げていた双頭の鷲の刺繍がひらひらと空から落ちてきた。何度も踏まれたのか紐がほつれ、真ん中に切れ目が入っている。
一四五三年、五月二九日。
古代ローマの伝統と文化を脈々と受け継ぎ、千年の栄華を誇ったビザンツ帝国は名実ともに滅亡した。