預言者の部屋に案内されたサリーとゲルマ。小さな窓があるものの室内を照らすには心許ない。壁に掛けられた蝋燭に火を灯す。テーブルの上にたくさんの本が積まれているが、今にも崩れてきそうだ。
埃臭さは嫌悪感を、湿っぽさが不快感を植えつけていく。預言者はかなり大雑把な人柄のようだ。
サリーは床に散らばる紙切れを拾った。
「改めて君たちを歓待したいのだが、書斎だから椅子が一つしかない。足元にある冊子や紙屑はもう必要ないものだ。君たちが座れるようにするといいとも」
「椅子がないのなら作ればいい。空気椅子になるが……どうする?」
ゲルマは両膝を曲げ椅子になりきっている。
「貴様の膝に座るぐらいなら立った方がましだ。それよりも少しは掃除でもしたらどうなんだ?私も歴史小説や
家事をほとんどしないサリーの言葉に預言者の目尻が下がる。預言者はつけ加えるように、
「それに地震でも起きれば蝋燭の火が本に移ってしまうかもしれない。君の言う通りだとも」
ゲルマは預言者とサリーの口が動く度に眼球をクルクルさせている。
「預言者を名乗るのなら私たちの素性も把握しているのだろうな?」
「もちろんだとも。個性的な髪型と錆びついた刀を愛用するサリー・ラングニック。そして隣の野性的な装いのアンドロイドはゲルマ。人間ではないことも承知している」
「ほう」
ゲルマはわざとらしく感嘆の声を上げた。
「ならこの時代に恭夜も来ているはずだ」
「君たち以外の人間を含めて三人。サリーが心から愛する唯城恭夜。そして『皇女』を名乗るヘレナ・ジェルドラ。いづれ私たちも、まみえることになるだろう。そしてアパートで留守をしているのは星宮隆太君、その妹のあかり君――」
「三人……?」
「わ、私と恭夜のことはあなたに関係ないだろ!」
話の腰を折られた預言者は黙りこんでしまった。ゲルマが腕を組ながら壁にもたれる。
「この時代に我々が飛ばされた理由を、預言者と讃えられるあなたにお伺いしたい」
「理由を知りたいのは私の方だとも。一度は身を滅ぼした身でありながら、とあるお方の声に魂を救われ導かれたのだ。そして預言者として振る舞うよう仰せつかった」
「誰に?」
「それが……思い出せないのだ」
預言者はゲルマの問いに口ごもる。眉間にシワをよせ首元をさすった。首元まで鉄に覆われた仮面姿がギプスを思わせる。
「呆れた。妄言を吐く輩がまた一人増えるとは、鉄仮面の名が泣くぞ」
サリーが言う「妄言を吐く輩」とはおそらくヘレナを指しているのだろう。
「神々しいの光の中から声が響き海に沈むような……まるで夢でも見ているかのような感覚だけは覚えているのだが、この世に転生させられた理由や死の以前の記憶がはっきりしないのだ」
「これ以上、あなたの妄想に耳を傾けるつもりはない」
「だからと言ってマスターの居場所は、この高性能な頭脳を持ってしても特定できない。まさか見知らぬ土地で目星がついてるとでも?」
ゲルマの言葉にサリーは唇をかんだ。刀を抜きたくなるような苛立ちを預言者にぶつける。
「預言者なら知っているはずだ。今すぐ教えてもらおうか。だんまりを決めこむと言うのならその仮面を取ってもらうぞ」
「迎えに行くなどと考えないと約束すれば教えてやろう」
「どういう意味だ?船の上にでもいると?」
預言者は咳払いをした。ゲルマの質問はあながち間違いとは言えないようだ。
「もっと厄介な場所だとも。青年と皇女はオスマン帝国領内にいる。どうやら君主との謁見も済ませているようだ。歯がゆいと思うが、こちらから打つ手はない」
預言者は窓を開け指を空に向けた。すると小鳥がふらふらと飛んでくる。ふっと指に乗り毛繕いを始めた。
サリーは持っていた紙切れをグシャっと握り潰し、ゴミ箱のような入れ物に投げつけた。部屋を出ようとするサリーの前にゲルマが立ち塞がる。
「どこに行く?マスターを探すのか?」
「ビザンツ帝国は確かオスマン帝国に攻めこまれているのだったな。それなら奴らの目を掻い潜り穏便に入国するしかない」
「クックック……歴史に関する書物を愛読する割に周りが見えていないようだ。サリーの場合特に本を捲っているというより捲らされている、と言った方が正しいか?」
「なに?」
サリーはゲルマの皮肉めいた挑発に黙っていらなかった。
「ここが本当にビザンツ帝国であれば……」
サリーは気持ちを落ち着かせるように、深呼吸しながら置かれた状況を確認する。ゲルマも意図を理解したのか会話を繋いでいった。
「コンスタンティノープルだろう。そして――」
「オスマン帝国の攻撃を受けているとすれば山を越えるか、海を渡らなければならないな」
「ああ。だが、制海権を握られていては航空機でもなければ、この国から出ることもままならない。もっとも流れの速いボスポラス海峡を渡る船を手に入れることさえ難しい。それに山を越えるにしても多くの兵がたむろしている。山賊などにも遭遇しては捜索どころではすまないかもしれない」
「チッ、あのヘレナとかいう女より恭夜が心配だ。路頭に迷ってなければいいんだが……」
人懐っこい小鳥がくちばしを大きく開いたかと思うと羽を力強く広げ羽ばき、どこかへ飛んで行ってしまった。
預言者は小鳥を見送りながら語り始める。
「西暦一四五三年、今日は五月二六日。サリー、これが何を意味するのか答えてみてほしい」
「日付に意味なんてないだろ。誰かの誕生日か?」
「相変わらず鈍感な女だ。マスターの気持ちも推し量れないと、いづれ見向きもされなくなるだろう」
「フッ、貴様にだけは言われたくない。私と恭夜は十五年連れ添ってきたんだ。たとえ恭夜の気持ちを理解できなかったとしても、恭夜なら私の気持ちを理解してくれる」
「――あと三日しかないのだ」
預言者の呟きに二人は言葉を失った。誰かの余命だろうか?
「君たちがこの時代にやってきた意味を私に教えてもらいたい」
サリーは視線を預言者に向けた。
「ちょっと待て。あと三日しかないとはどういうことだ?三日後に何が起こるんだ?」
預言者はフードを被り直した。
「ビザンツ帝国という名の国は地図から消える。すなわち滅びるのだ。これは予想でも仮定でもない」
「史実、ということだろう」
サリーは二人の顔を何度も見た後、テーブルの上にある書物を漁り始めた。