日が沈み辺りは静けさに包まれている。ハドリアが用意した馬に股がりビザンツ帝国を目指す。馬の頭には松明が焚かれており暗闇を照らし出している。
ハドリア曰く、「
馬に乗り慣れていない恭夜はヘレナの後ろにいた。手綱を引くヘレナの姿は風格があり、その美しさを一瞥すれば世の獣どもは魅了されるに違いない。
「乗り心地はいかがですか?乗馬は幼少の時以来なので、あまり期待されたくないのですが……」
「俺のことは気にしなくていいよ。邪魔になって蹴落とされても、ヘレナさんならいいかな」
「フフフ、恭夜様はお優しいのですね」
「今度、サリーにも教えてあげてよ。仲直りの意味をこめて」
「そうですね……恭夜様とサリー様は良きお友だちなのですか?」
「えっ?う~ん、そうだ……ね」
歯切れが悪くなる。いつもなら虚勢を張り友達以上恋人未満だと豪語するのだがヘレナを気遣ったのか、あるいは気持ちが揺らいだのか、しおれたモヤシのようになってしまった。
先頭を歩いていたハドリアが男女の会話に水を差す。
「ハッハー!他の女の名前を出されて動揺するなんて男らしくないぜ!まっ、お姫様には気の毒だけど、アンチャンとサリーとかいう女は相思相愛みたいだけどね」
「そうなのですね。互いに支えあう関係ほど羨ましいものはありませんよ。恭夜様にとっても必要とされる方なのでしょう」
模範のような一言が恭夜に効いたのか、
「サリーだけじゃなく、ゲルマもいいやつだしヘレナさんとも仲良くできると思うよ」
「そうですね。皆様ともお友だちになれたら、これ以上の喜びはありませんもの」
ヘレナはニコッと笑う。その横顔が少し寂しそうに見えたのか、恭夜の表情は冴えない。
ハドリアは無言で馬を止めた。目の前は黒く染まった森林が広がる。木々は鬱蒼と生い茂り道らしき道はない。森に入れば足場が悪く視界も劣悪。よっぽど入山に自信がなければ無謀と言われても不思議ではない。それくらい険しいのだ。
ハドリアは馬の頭にかけていた松明を持ち辺りをキョロキョロし始めた。
「人の一生は分岐と選択で成り立っている、なんて偉そうなこと言うつもりはねぇけど、あながち間違いとも言えないよな?」
「一体、何が言いたいのか?」、二人はそんな顔をしている。
「要するにさ、ここからお姫様の言う国に向かうには二つ選択肢があるってこと。簡単だろ?」
「二つ選択肢があるって言われても……ヘレナさんは何か分かる?」
「恐らくですが、ハドリア様が仰られたいのはこの山を越えるか、あるいは他の手段を講じるということだと思うのですが……」
「山越えはリスクが高いんだよね。これがさ、もうオスマンの野郎たちがコンスタンティノープルを取り囲んでるから、アンチャンたちがこの山を越えたとしても――」
「兵士たちに鉢合わせる可能性が高いってことか」
「やはり父上が仰っていた通りなのですね……」
二重、三重に連なる高さ十メートルの城壁に囲まれたコンスタンティノープルは難攻不落の『城塞』であった。しかし、国力の衰退に伴い外敵からの侵入を防ぐことで手一杯で、防戦一方の戦いを強いられているのだ。
恭夜たちの目の前にそびえる山にその『城塞』を攻略するためのヒントがある。それはオスマン帝国が仕掛けた『罠』だ。
海からの攻撃を中心とした戦術を取っていたが、さすがは千年間落とされなかっただけのことはあり外壁が大砲などで損害を受けてもすぐに修復する技術を持ち合わせていた。効率性や継戦能力などの軍事的問題も相まってオスマン帝国は頭を悩ませていた。
さらに追い討ちをかけるように『城塞』を支援する国々の妨害、加えて艦隊による港湾からの侵入を阻む鎖が設られ徹底した防衛戦術が採られていた。
そこでオスマン帝国が練った戦略が艦隊ごと山を越えるという、耳を疑うような作戦であった。
「そんでオスマン帝国の艦隊を海とは反対の場所に移動させたわけ」
「山越えってことは陸地部分に木の板を引いて運んだとか?」
「恭夜様は素晴らしい発想の持ち主ですね。ワタシが読んだ書物よれば油を塗った木の板を滑らせるように運搬したと書かれておりました」
「船ごと運べば反対側の海に出られるのさ、意味分かる?」
「そうか!城外を移動できるようになれば都市全体を攻撃できるようになる!……ってことだよね?」
「それもありますが、城塞と言っても防備が手薄な場所もあります。もしそこをつかれてしまえば――」
「敵が雪崩のように流れ込んでくるってね?おりゃ!」
「――あっちぃ!?」
ハドリアが松明を恭夜に近づけると驚いた拍子に落馬した。前髪が焼けた挙げ句尻餅をつかされ馬にも踏まれ、まさに踏んだり蹴ったり。
ヘレナに慰められた恭夜は作り笑いを浮かべる。
「ハドリア!てめぇ、髪が焦げちまったじゃねーか!」
「ハッハー!」
「笑いごとではありません!恭夜様、立てますか?」
「大丈夫大丈夫、怪我には慣れてるから」
「どうせすぐ直るもんねー」
ハドリアはおどけながら松明を脇に挟んだ。熱くないのであろうか?
「そういえば、そのインスタントヌードル、だっけ?そこに向かうには二つ選択肢があるって言ってたはず」
そんなふざけた間違いがあるだろうか?
「恭夜様、コンスタンティノープルですよ。フフフ」
「山が無理なら海から行けばいいのさ。簡単だろ?」
「なるほどな。相手が山を攻略するなら俺たちは海からってことだな」
「そうはいいますが、ボスポラス海峡や
「ハッハー!このハドリア様をなめてもらっちゃ困るぜ!もちろん、船は用意してあるし別に海に向かって船を出す必要ないじゃん?壁をぐるっと回ればどうにでもなっちゃうし裏道だって織り込み済みさ。そんじゃあ、チャチャっと行こうぜ!」
周囲は真っ暗だ。辺りの静けさとは対照的に明るく陽気なハドリアは二人の返事を聞くことなく馬を走らせる。ヘレナはハドリアの性格を理解したのか顔色一つ変えない。
心と体に傷を負った恭夜と軽く言葉を交わし手綱を引いた。