世界には二種類の存在がいる。
それは、
――侵すものと、抗うものである。
第十話「 死線 」
馬鹿馬鹿しくなってくる。
心の中でリヴェリアは呟いた。ああ、わかっている。こんな風に呆ける暇がないなど。自嘲を繰り返し彼女は既に十は超える支援魔法を紡いだ。一度のみ物理を完全に防ぐ魔法を、基礎能力を底上げする魔法を、環境による悪影響を防ぎ活性化させる魔法を。何度も何度も繰り返し前線で戦う三人にかける。
「飛ばせるな、一度でも飛べば僕たちに対処法は無いッ!」
「おうさ――ゃああああああ!!!」
ほんの少し、踵を浮かした黒竜の機敏を呼んだフィンがガレスに合図を送る。まるで当たり前と云わんばかりにフィンとリヴェリアの中間にいたガレスはその身に似合わぬ俊敏さで樹齢何百と昇る木を上がり激しく黒竜の頭を叩いた。
「ぐ、ぬっ」
叩かれた黒竜より、叩いた自分のほうがダメージが入ったとガレスは戦斧を握りしめて鱗の硬さを感じる。
大した威力を持っていないにも関わらず自身の動きを阻害してきた不遜な輩を、その牙で貫こうと黒竜が頭を振った瞬間、オッタルによる大きく振りかぶった一撃が僅かに鱗が薄い腹部と尾の付け根を狙って放たれた。
「■■ッ■」
四人にとってようやくまともに入った一撃だった。
三十分を超えたとこか、常に糸が最高峰に張り詰めた時間が続いていた。いつでも切れてもおかしくない尋常の世界で繰り出した一撃はあまりにも、あまりにも――小さいものだった。
きっと、息を吐けばすべてが楽になる。
だが、息を吐けばすべてが無に帰る。
息はすれど息をつく暇などなし。ここにあるのは正しく生きるか死ぬかの果て。勝てば歴史に名を残す英雄となり、負ければすべてが塵と返す歴史の転換点だ。
「【――我が名はアールヴ】!」
私は――アールヴである。
生まれは
「――尻尾が来るぞ!」
腰に携えたポーチからマインド・ポーションの蓋を雑に掴んで投げる。いつもなら仕方ないと喉を通すが今のこれは特別苦い。紛らわすために咀嚼の真似をするが余計に際立って不快になる。
世界に憧れたのはいつだったか。いつものように陽の光に祈りを捧げていたとき、大きな二匹のワタリガラスが飛んでいた。番いだったのだろう、二匹は大空で身を寄せながら優雅に飛んでいた。そのときから王族として決められた行動と、決められた秩序に沿って生きていくことにささやかな抵抗感を感じた。
「リヴェリア!」
「わかっている。範囲魔法を使う、外にいる奴は知らんぞ!」
最初に掟を破ったのは月の祈りの日だ。何があっても出なければならないのに、私は病を偽ってそれに出なかった。こっそりと外出してやろうとも考えたが、そこまでは両親にばれたときの叱責と罪悪感が許してくれなかった。さぼって貪る惰眠は甘美なものであったがどこかしこりの残る経験となった。それがあったから今でも惰眠は忌避してしまう。
「――【我が名はアールヴ】」
再び、詠唱を繰り返す。
あのときの、初めて黒竜と出会ったときには無かった数々の魔法。
彼女が『九魔姫』であり、『九魔姫』であるとたらしめん、他の魔導士とは隔絶した魔法の数々――。
鋭くなっていく感性の中、リヴェリアだけが気付いた。それは前衛で戦うオッタル、フィン、ガレスにも該当したであろう。しかし、彼らは目の前の存在以外に対する思考を意図的に排斥し、その思考至ることはなかった。
戦い続け、戦い抜く――死闘。
それでも差し込まれるように脳裏に浮かぶ過去の記憶。
ああ、私はこれを知っている――。
死が近づいてきたとき、生物はたとえどんな幸福な状況で在ろうとそれを察することができる。その死がどういうものでもたらされるものかはわからないが、過去の記憶から生き残る方法を模索しようと思い返すのだ。それでも死を回避できないと判断すれば脳は、最期は幸せな記憶で埋めてこようとする。リヴェリアにとっての幸せの記憶は、あの旅をしたときから始まっている。たゆう雲に目をやりながら、蝶や鳥とともに歩いていくのんびりとした男との旅路。
焦熱に目を塞いだとき、前衛で戦う三人の叫び声が聞こえた。
刹那の間、再び黒竜と見合ったときに視界に現れたのは、己の体躯をうねるように牙をこちらに向ける姿であった。
①
――何者だ。
と、誰かが漏らした。
オラリオの前に蔓延っていた、黒竜が齎したモンスターたちは殆ど狩りつくされ、残るはあと少し。レベル4相当の飛行モンスターもいるが、突然変異したタイプでもないので慎重に数を揃えて対峙すれば被害無く葬れるだろう。そのような、オラリオの冒険者や住民にとって嬉しい光景なのだがその感情よりも、この状況を作り出した本人に向けられた疑念のほうが大きかった。
「――はぁ……あと、何体だ」
討ち漏らしたモンスターの数は数え知れず、しかしそれらもいつの間にか背後で援護してくれていた
「この辺りにはもう見えない。あとは西門に強いの何体かと、東門に硬いのがいるそうだよ」
肩で息をしていたロマニにそう告げたのは、いつかの迷宮内のある街、リヴィラで出会ったヴァハング・ファミリアの団長――アルチュセールだった。
「君は――そうか……ありがとう」
「? ……まあいいさ。とにかく、休むなら今のタイミングのほうがいいんじゃないかい? ロマニ、ロキ・ファミリアの面子からは先行してあの黒竜と戦っていたと報告を受けてるよ」
「いや、心配してくれてありがたいがもう少し頑張るよ。それに、ロキ・ファミリアのみんなはどこへ行ったかわかるか?」
「あいつらは――」
戦場を抜け、黒竜と対峙するオッタルの援護に行った、と言おうとしたとき――オラリオ正面の荒野を少し先へ進み、林と丘が群生した地域で黒い巨体が舞うのが見えた。
「回復ポーションだけでも――って、おい! ロマニ! その体力で何するつもりだよ!」
紫紺の髪が激しく揺れた。手を伸ばせど届かない。無理やり掴もうとした彼女の腕は空を切り、そのさきに走り去ったロマニの影をなぞるばかりであった。
「……っちぇ、結局代わりにはなれないってのかよ」
②
先ほどから、誰かを救わなければならないと鳴動していた。
ただの木が――名前を忘れた誰かの笑顔に見えた。
ただの岩が――名前を思い出せない誰かの泣き顔に見えた。
これはたぶん、俺が歩んできた人生を反芻している。すべてを忘れようと、宿命を切り裂かんとする自身への、偶然が重なって見せてくれる陽炎。適当に投げた巻物の内容を必死に見る童のような、
黒竜は、
――先の文明に取り残された、最後の証だったのだろう。
神々がまだ地上で暮らし、その繁栄を確かなものにするため、正しく神が生きていた時代。その貴い宿命たる黒竜は、その時代の意志を受け継いだものが倒さねばならぬ。
それでも、
いつの日か。
俺が救いたいと思っている誰かよ――。
そのときは、
――君の名前を教えてほしい
「『
③
炎が迫ってくる。すべてを焼く炎が。
――ああ、私はここまでか。
ここで焼かれ、死んでいく。後悔はない、といえば嘘になる。せめて灰になれば、灰にすらならず、燃やしつくす炎に焼かれるこの身が萌ゆる生命の礎になれたのだ!
「リヴェリア――ッッ!!」
団長――フィンの声が聞こえる。その一瞬、炎が到達するより前、完成しかけていた魔法陣を彼らへ飛ばす。一度だけ攻撃を無効化する――黒竜には効果が半減――魔法。
「ただでは、死なんさ……!」
去るならば、誇り高い、妖精の王女として死ぬ。
覚悟をし、刮目して炎を迎え入れよう――。
覚悟し、覚悟し、覚悟し、覚悟し、覚悟し、覚悟し、覚悟し、覚悟し、覚悟し、覚悟し。
――怖れた
やはり、死ぬのは怖い。
虚栄を張り続けたのはただ、最初にとった行動から動けなかっただけである。瞳を開けているにも関わらず、目の前は暗い。死と闇と悲鳴と苦しみが泥のように押し寄せる。何でもいい、その恐怖を無視するように杖を握りしめた。
そのときだった、
――
この場にはすべてが揃った。
悪しき竜と――、
勇ましき者――。
人が、
神の力を借りて、
竜を倒し、
愛を知る――――そんな物語が。
「ありがとう。たぶんその姿は、かっこよかったんやろうな」
――ロキ・ファミリア 細目の道化神より