フィルへティア・エッダ   作:神の筍

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Fimm―5―

 

 

 

「――なぁ、リヴェリア。デートに行かないか?」

 

 その日の始まりは、こんな感じだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロキ・ファミリア副団長、リヴェリア・リヨス・アールヴ。

 団長であるフィンとは違って組織に表立つことは少ない。人前に出ることはもちろんあるが、彼女が云わなければならないことは大体がフィンの口や、そのグループの担当者から間接的に伝えられる。ロキ・ファミリアは表のフィン、裏のリヴェリアによって成り立ち、それを補佐するのがガレスとロマニである。ガレスはフィンを、ロマニはリヴェリアを、この構図は決して話し合った結果などではない。必然的にこうなったのだ。エルフとドワーフ、交わることない二種族が会った結果どうなるか……? それは壮絶な口撃の投げ合いだ。泥をすくい顔に塗りたくる。今でこそ高潔な雰囲気をまとったリヴェリアだが、当時は中々に尖っていたのだ。

 

「ふぅ……とりあえず新人の教育はこれくらいか……。中層域で安全マージンが取れるようになったのはファミリアにとっても大きな収穫だな」

 

 いや、もう新人ではないかとリヴェリアは付け足した。

 リヴェリアの執務室は簡素な景観を保っている。とくにこだわった思いのない机と、少しだけ煌びやかさの映える絨毯。どれも館の管理業に付いたエルフ娘からの贈り物だ。しかしそんな部屋にも少し私物と云えるものがあり、過去の旅路で買った地図のようなタペストリーと、いつの日かロマニからもらった花の種から咲いた鉢植えだ。

 その二つを見ていると旅をしていた頃を如実に思いださせ、瞼の裏にあの日が描かれることがある。

 一息つこうかと思い木製のカップを取り出した。あらかじめ濾していたコーヒーを淹れる。

 

「ん……たまには飲んでみるのもいいな」

 

 はしたなく喉を鳴らさぬよう二口飲むと、机に置いた。そのまま入れ替えるように先ほどまで見ていた書類を拾い上げて目を通す。

 

「アイズがLv.3になり、安定してモンスターの後ろを取れるようになったがあの子の突撃癖は今年には治さなければならないな……。同時タイミングでティオネも上がったが、残りの二人ももうすぐか。……まったく、私たちですらもう少しかかったというのに」

 

 棘のある云い方にも聞こえるが、そこに悪意はない。

 口元は笑みに象られ、慈しむような翡翠色の眼を揺らした。

 

「あの子たちの将来が楽しみだな」

 

 リヴェリアたちと肩を並べるのか、或いはそれを越してさらに強くなるだろう。

 もちろんただで越される気も、ましてや並べられるつもりもない。

 希望に胸を馳せて、先を望郷するつもりはない。だがどうしてもあの子たちを見ていると想像したくなる。そんな思いの元さらに書類を読み進めるリヴェリアだったが、ノックの音で中断されることになった。

 

「――リヴェリア、今は時間あるか?」

 

「ない――と云ってもお前は適当な理由を付けて入ってくるんだろう? ロマニ」

 

「そんなことはしない。君に時間が無ければまた合わせるよ……今日以外は」

 

「……? まあいい。書類に目を通しながらだが、なにかあるなら相談に乗ろう。入ってかまわない」

 

「それで十分だ、失礼するぞ」

 

 扉が音もなく開かれる。

 いつものように冒険者姿のロマニが――と思ったが、どうやら今日は異なる服装だ。

 

「どうしたんだ? そんな洒落た格好で……」

 

 思わず投げかけたリヴェリアに悪気はない。ただ純粋に。日ごろからあの重たそうな鎧を、休みにも関わらずロマニが普通の服装をしているのだ。

 

「ああ、今からデートに行こうと思ってな」

 

「は……?」

 

 容姿端麗な彼女に間抜けな表情が浮かんだ。

 

「なぁ、リヴェリア。デートに行かないか?」

 

 その日の始まりは、こんな感じだった。

 

 

 

 

 

 時刻は10時過ぎ。

 白いハトがオラリオの外壁で歌っている。朝露はとうに消え、冒険者は迷宮に潜り、住民は自分たちの店で汗を流している。そんないつもの日常に、普段と違うことがあった。

 

「ねぇ、あの人って……」

 

「嘘だろ……あの人鎧を脱いだ……」

 

「普段は堅物なイメージがあったけどすごいかっこいいわ」

 

「待て、あの噴水広場は待ち合わせの場所だ!」

 

「誰かを待ってるのか!?」

 

「あの! ロマニ・シェナーンが!」

 

 噂は一人の男に持ちきりだった。

 神も、人族も、エルフ族も、狼人族も、猫人族も、小人族も……。あらゆる種族が彼に注目していた。男も女も、初めて会ったなどと関係なくその場にいた人物に理由を問う。「彼は誰を待っているのか?」。しかしそれに答える者はいない。答えられる者はいない。なにせ、あんな彼を見るのは神々含め初めてのことなのだ。

 どこかのファミリアの、美貌を持った女神が話しかけた。「なにをしているのか、あなたを待たせるなんてとんでもない、一緒にでかけたい」と。それに彼は笑みを浮かべながら答えた。「自分は待ちたくて待っている。あなたのような美の女神に誘われるのは嬉しいが、今日の女神は待ち人だけなのだ」と。美の女神でもないのにも関わらず、そうだと云われた女神は酸味を吸ったカエルのような声を上げた。地面に倒れそうになった女神の上半身を慌てて抱えると、その女神のファミリアだと名乗る女冒険者たち数人が現れたので受け渡した。

 

「――すまない、そこを通してもらえるだろうか?」

 

 透き通った声がした。

 全員がロマニに注目していた中、後方にいた幾人かがその声に後ろを振り向いた。

 

「――い¨っ!?」

 

 騒動に誘われた冒険者が声を上げる。失礼にならないようなんとか抑えようとしたが、ほんの少しその声の主は眉をひそめた。

 

「ど、どうぞ……! お前ら、そこをのけ! 待ち人の登場だっ」

 

「はぁ? なにいってぇぇぇ」

 

「やっとか……ぁぁぁぁ!」

 

 騒めきが波紋のように広がった。 

 人から人へ、伝え伝わる。

 

「――あ、やっと来たか。リヴェリア」

 

「――当たり前だ。いきなり来てお前だけが正装をしているときた。男のロマニならまだしも、私は女だぞ」

 

 普段の伸ばされた髪の毛は花の飾りとともに右方に寄せられ、丁寧に編まれている。服装も当然冒険者としてのローブではなく、白い清楚なボタンシャツに紺色のズボン。クールな装いながら、女としての魅力が品高く最大限以上に整った格好だった。

 

 

 

 

 

第五話「 彼と彼女 」

 

 

 

 

 

「ロマニから云われて快く了承したけど、残った書類でもこんなにあるのか……」

 

「今云うてもしょうがないじゃろフィン。わしもこうやって手を動かしておるんじゃ」

 

「くそぉ! うちもおもろそう思って乗っかかった船やけどなんで仕事せなあかんのや!」

 

「これは書類選別に人員を回したほうが良さそうだね」

 

「うむ、さすがにこれはの……」

 

「うわーんっ!」

 

 

 

 

 

①  

 

 

 

 

 

「目線が鬱陶しいな……」

 

「しかたない。冒険者姿でも君の姿は目立つんだ。私服の君はもっと目立つのはわかっていたさ」

 

「私が、か。それはロマニにも云えるんじゃないのか? さきほど女神に云い寄られていたのを、私が目撃していないとでも思ったか?」

 

「あれか……。さすがに君ほどじゃないが、俺も冒険者姿のほうが馳せていたことを自覚したよ。たまには私服で外を歩かないとな」

 

「ふん……それはだめだ」

 

「? なんでだ」

 

「いいから、それはだめだ。もし私服で出るなら私が同伴しているときだけだからな」

 

「ああ……リヴェリアが云うならそれでいいよ」

 

「うむ、私が云うからそれでいいのだ」

 

 商業区を歩く。

 こうやって肩を並べながら歩くのはずいぶんと久しぶりだと両人は懐かしむ。適当に入った街で、なんとなく見て回る。そんな平凡なことを最近はしていなかった。

 

「リヴェリア、迷宮神聖譚の演劇がやってるぞ」

 

「迷宮神聖譚か……二大ファミリアの影響力がよくわかるな」

 

「いつかロキ・ファミリアもああなっていくと思えば楽しみだ」

 

「ああ。おそらくなるだろう。早くてアイズたちの代には世界中の詩人に語られるようになる」

 

「ずいぶんと大きな期待だな。まあ、俺もそうなるとは思っているが」

 

「ああ。……演劇はいいが、今日はやめておこう。時間が盗られるからな。今日はロマニと歩きたい気分だ」

 

「了解、いろいろ見て回ろうか」

 

 笑い声が広がっている。

 人々は並んで歩く二人に驚きを覚えるが、懐疑的な目を向けることはない。

 商業区はロマニの行きつけのエリアでもあるため、言葉を交わすものも多い。そのため、なんとなくロマニとリヴェリアの関係を知る者もおり、大半の人間は「ようやくリヴェリア様とやってきたか」といった感想だ。

 

「そういえば、最近エイナがギルド職員の見習いになったみたいだな」

 

「エイナか。彼女は昔からギルド職員になりたいと憧れていたからな。アイナのほうが快活だったぶん、エイナはどうなるかと心配だったがうまく父親と会って落ち着いた娘になった」

 

 適当なアクセサリーショップに入り、ふと思い出したことをロマニは漏らす。 

 

「ふぅん、昔はアイナ譲りの悪戯好きだったが……」

 

「人の振り見て我が振り直せ、というわけではないがアイナがいい教科書になったみたいだ」

 

「わからないものだなぁ。当時はまさか、アイナが結婚するとは思わなかった」

 

「私もだ。たまたまオラリオにいた私たちに顔を出したと思えば、娘を連れて目をかけてやってくれと云いに来たんだから。親友であった私に、結婚した報告すらないようないい加減な奴だ」

 

「――これなんかリヴェリアに似合うんじゃないか?」

 

「碧色か……でも、私は首飾りなんかまったく付けないぞ」

 

 ロマニが指を指したのはガラスに包まれ、防犯対策が施されていた革紐で括られた碧石が光る首飾り。どうやら微かだが魔道具になっているようで、魔力を込めたぶん防御力が上がる機能になっている。

 

「魔道具の一種か。本来高価なものだが、込めたぶんならば私たちのような魔力に長けた種族にしか使えないだろうな」

 

「これなら日ごろから付けられるだろう? 普段はローブで隠れるが、その下に首飾りをかけていることを知るのは俺だけで十分だ」

 

「まさかお前からそんな言葉が出るとはな……ああ、云ってみろ、誰から教えられた?」

 

「いや、別にそういうわけじゃあ――」

 

「……」

 

「あのぉ……アルから呑んでるときに女心知るために説かれたときに……です……」

 

 リヴェリアの頭に浮かんだのは、紫紺の髪を揺らしながらニシニシと笑みを浮かべるヴァハング・ファミリア団長アルチュセールだった。

 

「はぁ。あの女か。お前が迷宮に行って戻ってきた翌日、いきなり戦争遊戯をしかけてきた女だな」

 

 珍しくリヴェリアが嫌そうな顔をしながら云った。

 アルチュセールと出会った翌日。彼女は黄昏の館の門を破壊するようにやってきた。当然門前を見ていた二級冒険者に止められようとしていたのだが、レベル差によって気絶させられ、あろうことかフィンが門番はどうしたかと尋ねると寝ていたと云い放ったのである。

 ロマニは機嫌を取るようにリヴェリアの腕を引くと、店員にちょうどの金額を渡し、首飾りを手早く梱包してもらい店を出た。

 

「ほら、さっそくだから付けていこう」

 

「かまわない……ん」

 

 器用に右手一本で包装を剥がし、中身を取り出す。首元に回せるように顎を少し上げたリヴェリアと目が合った。恥ずかしいのか、なんとなくいつもより顔の血色がいい気がする。

 

「もう少し寄ってくれ」

 

「ああ……」

 

「いい匂いがするな、リヴェリア」

 

「嗅ぐな。お前は磯臭い香りがするぞ」

 

「磯か……、それは嫌だな」

 

「冗談だ。お前はいつもいい香りがする。花の優しい、お前の香りだ」

 

 長年付き添ったからこそ交わせる冗談。

 近くなく、遠すぎず。合わせなく、合わそうとせず。なんとなく噛み合った二人の性格。いつの間にか隣にいた、彼と彼女。

 

「よし。うん。やはり似合う」

 

「ありがとう。最高のプレゼントだ」

 

 今日を一日楽しもうと、二人は歩きだす。

 

 

 

 

 

②  

 

 

 

 

 

 デートと称した休日、あるいは休日と称したデートの翌朝。ロマニとリヴェリアの姿は執務室にあった。珍しく朝から水を浴びたようで、二人の髪はほんのり湿気を帯びている。エルフの里原産であるハーブを使用したティーに舌鼓しながらファミリアについて話し合っていた。

 

「どうやら今日のぶんもあの三人はやってくれたようだ」

 

「またなにかお返しを渡さないとな。俺は書類仕事はしないけど、さすがに君の仕事姿を見ていれば一日に二日ぶんをこなす大変さはわかる」

 

「ああ。珍しくロキもやってくれたようだ。南のメインストリートに美味しい菓子店があった、そこのクッキーでも後日差し入れに行こう」

 

「まさかロキも手伝ってくれるとはな……。普段は呑兵衛だが、こういうときはなんだかんだ俺たちのことを考えてくれている。相変わらず憎めない性格をしているな」

 

「まあ、その呑兵衛なところだけでもいいから直してくれたらいいんだが……」

 

「違いない」

 

 考えて、なんて二人は話しているがそんなことはない。いや、もしかするとあの主神は真っ白な慈愛の心から手伝ったのかもしれない。おもしろいことが好きな主神の心境は、同じ神であろうと計り難い。

 

「ロマニ、この後はどうするんだ?」

 

「そうだな……。この後は適当に歩いて、ギルドに向かおうと思っている」

 

「ギルドか。クエストを受けるのか?」

 

「さぁ、わからないが暇つぶしにはなるからな。特に受けようとは思ってないが、道中何かあればそこに行くことになるな」

 

「わかった。私のほうはここでエルフたちの魔法を見る。なにかあったら連絡する」

 

「了解。じゃあ、俺はそろそろ行く。このお茶、おいしかった」

 

「そう云ってくれて嬉しい。この茶葉は私の故郷のものだからな」

 

「道理で飲んだことがあると思った」

 

「覚えていたんだな」

 

 その言葉に手を振って返すとロマニは執務室から出て行った。

 一人だけになったリヴェリアは、ガラスのティーポットに入った茶葉を軽く混ぜた。鈴を揺らしたような音を立ててティースプーンから雫を落とすと、ほど良い濃さになったハーブティーをもう一度淹れた。

 

「やはりこのハーブティーが一番だな……」

 

 誰に云ったのかはわからない。

 その独白とも云える言葉を、若草色のローブの下にかけ、ほんの少し彼女の体温が伝わった碧石だけが聞いていた。

 

 

 

 

 

 黄昏の館を出、ギルドへと向かうロマニは昨日のことを思い返していた。昨日のことともに、昔のことも。

 一人で国とも云えないような国から旅に出た始まりの記憶。

 一人で太陽と雲の影に彩られた野道を歩いたときに出会った彼女、出会いの記憶。

 二人で旅路を進み、まるで絵本のような景色を見た旅の記憶。

 四人で迷宮に挑み、血を流し涙を飲んだ青い記憶。

 どれもかけがえのないもので、色褪せない黄金の記憶。

 

「俺らしくない、どうにも……弱気になっているみたいだ」

 

 問いかけるように、声を出す。

 

「――ようこそ、ギルドへ。本日はどのような要件でしょうか……って、ロマニさん!」

 

「ん? ――ああ、エイナじゃないか。そういえば見習いになったって聞いたけど、今日から受付係なのか?」

 

「そうなんです。といってもまだ10時までの担当なんですが、少しずつ仕事覚えていければいいなって」

 

 絹のような茶髪を揺らしながら、エイナは笑った。

 肩越しに後ろを見てみると、先輩職員であろう初老の女性がロマニに会釈をした。ロマニにも彼女は認識があり、エイナの教育係に選ばれたのだろう。朝の時間で経験を積もうとさせるのは、若いとはいえエイナの恵まれた容姿に冒険者が粗相を起こすのを減らすためだと予想する。冒険者の、いわゆる汚点という場所に位置する者たちがこんな時間から行動することなく、たいてい夜まで飲んで昼から夕方まで活動といったことがほとんどだ。

 

「ギルド職員は大変だろうが、頑張るんだぞ。もしなにか変な目に会いそうになったらすぐにリヴェリアたちに云うんだ、俺も力になれそうなことがあればいくらでも手を貸す。もちろん、なる前に相談してくれるのが一番だが」

 

「ありがとうございます、ロマニさん。でも私も一人前のギルド職員になるためにはそんなことも乗り越えないといけないんです! 頑張ってみせます!」

 

「そうですよ、ロマニ様。ギルドは基本中立。エイナになにかあってからで遅いのは十分わかっておりますが、職員の安全はギルドも細部まで見張っております。どうか親心で見守ってくださいな」

 

 先輩職員がそう云うと、ロマニも「もちろんだ」と短く返した。

 

「ええーと……。それでロマニさん。本日はどのような要件でしょうか?」

 

「ああ、今日はここの主神に会いに来たんだ。それで副部長か、部長を呼んでほしくてな。地下への鍵を開けてほしい」

 

「ウラノス様に……。エイナ、少し席を外していただけますか? 書庫の整理をお願いします」

 

「わ、わかりました。それではまた」

 

 一瞬なにかと気になるエイナであったが、まだ自分が知ることではないのだろうと判断すると挨拶だけをして後ろの部屋に下がった。

 

「頼みますよ、ロマニ様。本来ギルドの主神は中立なのです。隠れた場所でロキ・ファミリアの幹部と会っていたなんて広まると、信用が問われます」

 

「すまないな。どうしても、今すぐに会わないといけない用があってな」

 

「わかりました。こちらへどうぞ」

 

 初老の職員は受付カウンターの隣にある扉を開ける。中に入るといくつかの扉があり、手前から仮眠室など職員の休憩スペースになっている。そのさらに奥。まっすぐ伸びた廊下を抜け、左を曲がった先に一つの扉がある。そこは職員ですら足を運ばない場所。運ぶ必要がない場所。オラリオを実質的に運営するギルドの、本当のトップが存在する部屋への入り口。

 金属を主体とした扉の鍵を、初老の職員が解錠した。

 

「少し前から私が副部長を務めさせていただいてます」

 

「昇格か?」

 

「いえ、むしろ……」

 

「まあ、ギルドは大変か」

 

「ええ、では。内から出た場合は自動閉錠されるようになっています。帰りはそのままで結構ですので、お気を付けください」

 

「わかった。わざわざありがとう」

 

「はい」

 

 扉を開ける。

 先は薄暗く、光源はない。地下へと続く、螺旋のような階段の奥からはほんのり橙色の明かりが漏れ揺れている。

 こつこつと、鉄鎧の靴を鳴らしながら歩く。

 ひんやりとした、若干湿っぽい空気が頬を撫でいくのを感じる。それと同時に鼻腔を突く火の匂い。

 

 その姿は、異質であった。

 

 地上に降り立った神々は、本来の姿ではなくこの世界に合うように姿を作っている。限りなく人に近く、能力は神の意志(ファルナ)を与えるのみで、持ち得るのは上の世界で身に着けた技能のみ。生まれつき持っていたモノは、その神の特徴として漏れ出す例外もあるが、基本的に皆一辺倒。

 しかしその神は、異質であった。

 

「――なにようか、このような地下(ばしょ)に」

 

 毅然たる不動の王。

 真のギルドの主“ウラノス”は地鳴りのような声を上げた。

 

「久しぶりだ、神ウラノス」

 

「その声は、ロキ・ファミリアのロマニ・シェナーンか。かの実力者がどうしてここに…………――いや、そのような野暮は無粋か」

 

「前置きはいい。ヘルメスから話は伺っているか」

 

「むろん。かの災厄の体現。かつて我が子らのファミリアを蹂躙した黒竜がまた、オラリオに迫っていると」

 

「それなら、話は早い。黒竜が現れた、あのとき俺が討ち執る(・・・・)ことのできなかった、あの竜が」

 

 瞑目し、ウラノスは問う。

 

「行くのか、時代(ひと)の子よ」

 

「ああ。それに際し、神ウラノス。あなたはどのような処置をとる?」

 

「……」

 

 息一拍、ウラノスは祈祷を続けていた体を後ろに向け、視線が交差する。

 

「ヘルメスは力ある神々に災厄を伝え、子供にはいまだ伝えず。自らの子にすら伝えていない。なにを云われたかは知らぬが、奴は最後まで見届けるだろう。

 フレイヤは我々ギルドより通達が行くまで静観を決めた。

 ガネーシャは直接云うことはなくとも、未曽有の事態に備えて準備を始めた。

 ヘファイストスは自ら武器を打ち、宿命を待つ。

 そして、ロキはなにも云わず黙して帰った

 我々ギルドは黒竜の歩みを考え、今日よりおよそ一月後、このことを都市に伝える」

 

「ロキもいたのか……」

 

「ロキの表情は窺い知れず、その心境を図ることは不可能だった」

 

 きっとヘルメスは、ロマニがすでに黒竜のことを知っていると告げただろう。それを踏まえて考えたはずだ、なぜ自分に云ってくれなかったのだろうかと。ロマニに対する恨みではなく、自分への情けなさ。

 ファミリアに入る前から伝えていた、運命のときを。

 

「話は終わりか?」

 

 いつのまにか祭壇に向き直っていたウラノスが云った。

 

「ああ。ありがとう神ウラノス。聞きたいことはそれだけだ」

 

 ウラノスは再び祈祷を開始する。

 迷宮の、最奥に潜む秘密へと。

 先日、闇派閥(イルヴィス)による迷宮内への神の侵入。それによりナニかが胎動した。いつもより深く、その正体を探るように思い巡らす。

 

 ほんの少し、ほんの少しだけ。

 時代(ひと)の子への感謝も込めて。

 

 

 

 

 

③  

 

 

 

 

 

「――ロマニ君」

 

 地下を出たロマニは、ギルドから出ようとしたところ声をかけられた。

 後ろを振り向くとそこにいたのは一人の女神。銀嶺の髪を腰元まで伸ばし、淡い金の装相を纏っている。腰には手結やかにベルトが巻かれている。

 

「神アストレア……」

 

 その正体は、先の騒動で誘拐されたアストレア・ファミリアの主神、正義の地上代行者アストレア。後ろには護衛であろうアストレア・ファミリアの二人が無地の仮面をして立っていた。親類が狙われないよう、闇派閥(イルヴィス)に顔がばれない配慮だ。

 

「こっちへ来ていただけますか」

 

 返事をする間もなく腕を引かれて行く。ギルドの二階に続く階段を上がり、個室へと入った。護衛の二人はあらかじめ指示されていたのか入ってくることなく扉の前に封をするように佇んだ。

 

「神アストレア、いささか強引じゃないか……?」

 

「すみません。ただ、こうしないとロマニ君は来てくれないのではないかと思って」

 

「そんなことはない。あんなことがあった手前、あなたの頼みを断る俺じゃない」

 

「別にかまいませんよ。あれは本来私たちのファミリアの問題。たとえあなたが前線で助けに来てくれなかったとしても、私があなたを貶す感情を抱くことはありません」

 

「心情的にな……。神アストレアがそう云おうと俺が許せない」

 

「あいかわらずですね、ロマニ君は。花の国で巡遊していた私に話しかけたときから、なにも変わりません。変わったとすれば……その身に余る運命を背負ったことでしょうか」

 

「ちょっと不運だっただけだ。なにも変わってないさ」

 

「そうですか……。行くのでしょう? あなたは」

 

「ヘルメスに聞いたのか?」

 

「いえ、なんとなくです。正義の女神である私は、フレイヤと同じく先天的な能力があります。彼女より限定されるものですが、彼方よりの悪意を感じ取れることができます」

 

 「もちろん、世界に仇名す規模のものだけですが」と彼女は付け足した。

 それは暗に、以前攫われたときは小さな悪意であり、私が感知するべもない些細なものだと幼稚な見栄を張っているようだった。

 

「なるほど……」

 

「この地より北に、人の脚で約五〇〇〇里行った先に災厄は歩いています」

 

「なっ、そこまでわかるのか?」

 

「ええ。私は常にかの災厄を感知していました。ヘルメスよりも先に、こちらに向かって歩いているのは気付いていました。災厄とともに、何体もの凶悪なモンスターも」

 

「北、か」

 

「あなたの歩みを止められないのはすでにわかっています。しかし、私も少しは役に立ちましょう。三鎚の鍛冶場で、ヘファイストスの火を借りたゴヴニュがかつて私を蝕んだ鉄で剣を打っています。銀の腕(アガートラム)を作った彼ならば、高潔な鉄の剣を作ってくれるはずです」

 

「ありがとう、神アストレア。鉄の剣は必ず役に立つ」

 

「ええ、いつの時代だって……

 

 

 

――竜を討つのは毒と、それに見合う担い手だと決まっています。

信じていますよ、ロマニ君。あなたが生きて帰ってくると――」

 

 切れ長の目を揺らしながら、泡のように溶けゆく声音でそう云った。

 

 

 








「怪物を討つのはいつだって人間です。剣と歌、あなたはどちらを取るのでしょうか」

――アストレア・ファミリア 銀嶺の髪を持つ女神より
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