エルフ族からの再三のエコーの返還要求にシャヴォンヌは応える事にした。
それには己の仔が文字通りの意味で天に還った事のショックも多分に影響していたのだろう。
『うませるきかい』にとって所有者が代わろうと道具に意志決定権は無いので問題があるかどうかを感じる必要は無かった。
ただ、黒い竜の一件以降は良好な関係は築けていたような気がしなくも無かったが、それすらも『うませるきかい』にとっては判断する必要の無い事だった。
シャヴォンヌはエコーと別れる間際、矢鱈と天の世界に還った仔の事ばかりを話していた。
それはエルフの迎えが来たときも同じだった。
いつか己が仔の居る場所へ到達すると平然と話す以前より落ち着いたように見えるシャヴォンヌは、事情を知らぬエルフからすれば同情を誘った。
エコーはエルフの勘違いに気が付いたが、特に訂正する必要は感じなかった。
6Vメタモ○であるエコー。
6V。それは全ての個体値がその種族における最高値である事を示している。
つまり、当代最高の英雄、大英雄になり得る素質を示していた。
無論、固有特性などの要素は存在するし、スキルなどの問題もある。
某ゲームで言えば、ステータスは高いのに技や特性が悪いというようなものだ。
だが、6Vである。
体力・攻撃力・防御力・素早さ・魔法攻撃・魔法防御
しかし、それ以上に彼は『うませるきかい』である要素が余りに大きかった。
『うませるきかい』でさえ無ければ、人間社会最強の英雄組織『円卓騎士団』に入る可能性すら十分にあった。
しかし、彼は『うませるきかい』であった。どうしようも無いくらいにそれが求められてしまった。
学者として生きる道を選べば、障者の正体を発見したかも知れない。
戦士として生きれば、円卓騎士団の一員になったかも知れない。
教官として生きれば、新たな魔力運用仮想器官『ヴァンケル式』が世に広まったかも知れない。
だが、それはいずれもIFの話だ。
そうする以上に『うませるきかい』の役割が大きいと彼の周囲が判断したからこそそう育てられた。
唯一、彼に『うませるきかい』以外に6V保持の素質を持つ者として戦闘技術を叩き込んだエルフの研究者の女性がいたが、それも過去の話だ。
エルフの王国に帰って、ひたすら子作りを再開する事になったエコー。
作業以外の何物でも無い行為に、彼が感じる物は無いし、感じる必要を認識しても居ない。
今日も無感動に無感情に美女達と夜を共にするのだ。
ある晩、エコーはエルフの森の最深部に呼び出された。
本来なら常に子作りに専念する必要があるのだが、この時は例外だった。
徐々に母から権力を継承しつつあるフリージアがエコーを呼び出したのだ。
あのオークの一件以降、以前より『うむきかい』であったフリージアは己の意志を持つようになった。
それには『うませるきかい』の子を孕んだ事による権力の増加も大きかったし、
妊娠した直後、自分にはどうにもならないところで子供の父親を勝手に奪われた事、そして取り返す事が出来なかった事も関係していた。
エコーがフリージアの元に着いたとき、審判の樹の下で彼女は丁度出産を始める直前だった。
要するに父親として子供が生まれる瞬間に立ち会えというのがフリージアの要望だった。
「妻と子を放って随分と長い出張でしたね。…いえ、あなたがその様な事を意識もしていない事は私も理解していますので気にしないで下さい。
ですが、少しの間手を握って下さいますか…?」
フリージアの言うとおり、エコーにとってはフリージアを妊娠させた事も、子供が生まれてくる事も作業以外の何物でも無かった。
だが、それを敢えて言う必要も無く、黙って手を握った。
フリージアの手から暖かみのある魔力がエコーに伝わってくる。
そしてそれは二種類の温度を持っていた。一つはフリージアのもので、もう一つは新たな命のものだろう。
何故そうしたかは彼自身にも解らないが、エコーはフリージアの手から伝わる魔力をゆりかごであやすように自身の流転する魔力を流し返した。
それから暫くして子供は生まれた。
フリージアにと言うよりは、エルフの女王に似た子供だった。
黄金のような髪、透き通る肌、幼くも冷然とした佇まいと、それを感じさせる瞳。
「…ハイエルフか」
「ええ。ハイエルフね。良くやりました。流石はわたしの娘。
本当に良くやりました」
「…お母様、もし、ハイエルフで無かったとしても私にとっては大切な娘です。
お母様にとっても大切な孫では無いのですか?」
エコーにも母親にも、フリージアの子供としてで無く『ハイエルフ』として認識される我が子がフリージアには不憫だった。
己や子供の父親がそうなってしまったようには、この子は染めたくは無い。
彼女は母親としてそう思った。
「フリージア、それを考える必要はありません。
あなたの子供は実際にハイエルフなのですから」
エルフの女王は口に出しては言わないが、もしハイエルフで無かったときにはきっと落胆していた事は言うまでも無い事だった。
フリージアは、やはりもしもの時のために、少しずつでも権力を掌握し始めていた事は間違ってないと心の中で呟いた。
自分は未だ『うむきかい』からエルフに戻ってこれた。
だが、『うませるきかい』から人間に戻れても居ない男のような例もある。
例え、そう、例えだが恩義ある母を追放する事になったとしても、『ハイエルフ』ではなく『フリージアの娘』として育てたいと、
小さく、しかし確かに彼女は決意した。
「…そうですね。この子は、ハーベルティアはハイエルフです。
ですが、それ以上に私の娘です」
生まれ持っていつかの王座が確約された黄金の娘。
幼い命はこの世に生まれた産声を叫ぶ事無く、己の母の顔に手を伸ばした。
そもそも、おなかを蹴る事すらほぼ無かった物わかりが良すぎる娘に、フリージアはもう少しわがままになっても良いのだと告げた。
それが伝わったのか、赤子は途端に火が付いたように泣き始めた。
エルフの女王はそれを見てその場から去った。
エコーもそれから暫くフリージアとハーベルティアを見ていた後その場から去って行った。
エコーは何故か女王の後を付けた。
女王はそれに気が付いてはいたが、意志の無い『うませるきかい』に見られたところで何も変わらないときにしなかった。
だが、流石に女王の私室にまではエコーは入る事は出来なかった。
厳重な封印で守られた場所にまでは入る事は出来なかった。
だが、狂気が封印の向こうに居る事は理解できた。
本人以外には誰も知らない事、厳密に言えば娘の容姿を見てフリージアは気がつき始めているが、
エルフの女王はハーベルティアを除けば唯一のハイエルフであり、戦乱の生き残りである。
これはエルフの女王以外には知られていない事だった。
エルフの女王にとって、孫が生まれた事よりも『同族』が生まれた事の方が意味合いが強い。
嘗て散っていった姉達や親友達が再び
根拠も冷静さも現実的で無いハイエルフ量産計画の目的はそこにあった。
エルフは絶滅が危惧される程度の個体数が存在するが、ハイエルフは己しか存在しないという孤独。
それが解消されたのだ。
娘よりも遙かに己と血が繋がっているかのように感じられた。
強い負担をかける代わりに、成長値効率をあげる強制ギプスのような呪印…いや、呪因を誰にも気が付かれずに仕込む事にも成功した。
「待ってて下さいお姉様方…。あなた方はわたしの娘が必ずや生み直させて差し上げます。
そして、次こそは、次こそはあの猿達を駆逐しましょう」
その慈愛に満ちた表情の下には数百年の狂気が眠っていた。
女王の希望した名前『イリス』ではなく『ハーベルティア』と名付けられた子は、両親から高い個体値を引き継ぎ、
ハイエルフとしての種族値まで手に入れていた。
今後、彼女がどう育つとしても何らかの方向性に
ハーベルティアの母は、偉大にならなくても幸せに過ごしてくれれば良いと考えるだろう。
しかし、高すぎる能力を約束された子供だからこそ、周囲の与えようとする
その意味ではエコーが『うませるきかい』として育った事には期待が込められたという側面もあろう。
ただ、それ以上に人間にとってはそれ以外の人型生命体『亜人』を強化する存在である『うませるきかい』が忌み子であった事も大きかったが。
エルフの所に、以前ドラゴンが襲撃に来たが、エルフやドラゴン以外にも『うませるきかい』を求める種族は多い。
例えば女性の比率が高い種族や、個体能力は高いが出生率が低い種族、古代では強力だったが劣化した種族などでその需要が大きかった、
そういう意味では、エルフやドラゴンなどにはまさにうってつけの存在であった。
ただ、女性の比率が極端に高くも無く、繁殖力も高く、古代においてもそこまで強くなかった種族が6V個体値を血族に欲しがらないわけでは無い。
伝説では『うませるきかい』は本来の同族にはただの種無しの如く無意味だとされているが、男子を持たない人間の貴族は藁をも掴みたいのは仕方ない。
子供が女性しかいない人間の貴族や、人間の次に数の多い獣人種であれ、血族に6Vを求める声はある。
しかし、需要や供給の問題や、発言力の関係でエコーは今、エルフの所有物になっている。
だが、それでも6Vの種を貸せという種族はエルフの所にやってくるのだ。
先ほど挙げた獣人などはその筆頭だ。
獣人とは様々な獣の特徴を持つ人型の総称ではあるが、全体的に言える事は、よく言えば野性的、悪く言えば自分勝手な種族である。
己の利益になる事なら浅ましくても気にする事無く相手に要求するし、己の利益にならない事には余り興味が無い。
自分がどうしたいかに正直な民族故に、商売人には非常に向いていた。
しかし、その浅ましく品の無い様子が嫌われた事で、人間が行ったマイナスイメージ付与戦略が非常に大きく成功した結果、
金銭的な契約にはそれなりにしっかりしていた獣人の信用を破壊。
他の民族から軽蔑されて、資源や資産の流入が獣人内のネットワーク以外からは行われにくくなり、
個体数は緩やかに増加するまま、経済的には疲弊していっていた。
自業自得とも言えなくも無いが、人間の
クレジットカード社会で、クレジットカード発行条件信用記録確認組織のブラックリストに獣人が丸ごと放り投げられるようなものという一部の施策だけでも冷酷だと言えよう。
野人は野に帰せと、嘗ては経済発展していた帝国さえあった獣人社会が、人間と比べれば野性的な生活を現在しているのはそういう理由である。
エルフも人間からは性奴隷や技術奴隷として獣人同様に見下されているが、だからこそ獣人よりはマシだと思いたいエルフは獣人を見下している。
だが、自分勝手で浅ましいと思われるならそれでも良いと開き直った獣人達はある意味しぶとかった。
しぶとく『うませるきかい』の二次借り受けを迫った。
彼らに物を貸したら返ってこないという認識を持つ者には、譲渡という形の強請り集りに思えただろう。
発情期という期間が設定されている、言い換えれば欲求しない期間もまた決まっているものの、
人間に畜生腹と馬鹿にされる程度には繁殖力の高い獣人には、種族の底上げが狙える。
種族値はドラゴンに大きく劣ろうとも、繁殖率は圧倒的にドラゴンに勝てるという数の理論だった。
獣人の使者達は、当初『うませるきかい』の自由意志を尊重すべきだと主張。
その後、『うませるきかい』に接触して自分達の社会に来れば良い待遇を与えると誘惑。
しかし伊達にうませる『きかい』では無かった。己の自由意志に価値を感じないエコーに獣人は戦略を変える事にした。
先ほどまで、『うませるきかい』の人権を主張していたにもかかわらず、今度は金銭でエルフからエコーを買い取ろうとした。
嘗てのような石油王の如く潤沢な財産があるわけでは無い。
しかし、それでもエルフよりは経済的には強かった獣人からの要求を呑まざるを得ない程度には大金が積まれていた。
結果、様々な規約・契約・呪約を『うませるきかい』や主たる獣人の上流階級にかけることで、『うませるきかい』は一時譲渡された。
その規約・契約・呪約が無ければ返す気が獣人側には無かった事を含めると、政治的にはエルフの女王の方が上手だった。
我々が信用できねえってのかと獣人側が凄んで見せても、単体で使者全員を葬れる戦力である女王には脅しなど、弱い犬の威嚇以外の効果は無かったからだ。
かくして、『うませるきかい』は獣人の国へと向かう事になった。