『物』として借り受けられたエコーの待遇は、控えめに言って当初告げられた待遇とは随分と違っていた。
発情期が来た者から順にやってきては去って行く。その様子は、戦争で野蛮な兵士に輪姦される占拠された村の女性達に近いものがあった。
違いは男女の逆と、孕まされる側の女性が生まれる子供に期待をかけている事だ。何せ、混血児どころか高個体値の純血種の先祖還りが生まれるからだ。
とは言え、エコーにはどうでも良い事だった。
やる事はどうせ変わらない。扱い方が変わる程度であるし、それに対して不満を言う気概も権利も彼には無いかのだから。
ある時、各種の獣人の上級族長会議の中で、下位層での試験は終わり、上位層家庭の娘達を『うませるきかい』で妊娠させる段階に来たという議題になった。
最大派閥猫系の現在の族長代表であるチーター種の族長に追随してきた姉妹が、自分で見初めた雄ではない『うませるきかい』の子を生む事に抵抗を示すという話だった。
上級族長会議で話すには、かなり個人的な要件だったが、もとより親馬鹿で通っている彼を知るものには平常運転だった。
「…チーター種では、駆け足が男の魅力なのだろう?
その男が足が速いなら大会に参加させてみてはどうだ」
気は優しいけれど力持ち。森で出会った人間のお嬢さんと結婚した紳士で寡黙な熊種の族長が口を開いた。
女性が落としたイヤリングを届けようとしたが、厳つい顔とでかい図体で勝手に恐れられて逃げられたという馴れ初めを持つ彼は、
妻の当時の年齢からロリコン呼ばわりを受けた事もある。
妻の方からアプローチしてきたという事実はあるが、自分よりかなり若い女性を愛している自覚はあるので、
妻を愛する事実を認めるからこそ、怒る事も腹を立てる事も無い獣人族きっての人格者である。
特技は社交ダンスである事は完全に余談だから、此処では触れない。
「モリク、お前が発言するとは珍しい。
だが、忘れていないか? 人間が我々と速さを競っても勝負にすらならないだろう?
あの蟲族ならともかく、我々に速度で敵う者などいない」
それは自負だった。
僅か7秒しないうちに最高速に移り、俊足で敵を仕留める彼らの誇りだ。
伊達に幼少時、俊足のタクやんと渾名を持った訳では無いチーター種の族長は答えた。
それまで獣人には珍しい文官派だったチーター族を一気に武を重視する獣人社会で頂上にのし上げた威圧感は伊達では無い。
空気が響くようであった。
「お前達の族を軽んじるつもりは無い。だが、エルフは言っていたぞ。奴は速いと」
そう言ったきり、熊族長マプウ・モリクは黙ったが、下品な族長達が「それは早漏という意味だ」と笑い初めてからは、
マプウ・モリクは酒がある席で誤解を招きやすい言い方で評価した事を少し後悔した。
だが、唯一厳しい目をしていた者が居た。
速さには絶対の誇りを持つ、最大派閥の族長だ。
「聞き捨てならんな。我らを差し置いて速いだと?
――良かろう。第13回あにまる☆レースを開催する。
商品は最近発掘した小規模な銀山だ。各人は挙って参加されたい」
その後はどの種族が勝つかという賭け事の話や、オッズや胴元の資金の調整の話などで夜が更けていった。
そして、第13回あにまる☆レース当日。
走って勝った物が強い。そんな獣人達を集め、競わせるレース『あにまる☆レース』
誰が一番速いの?第一回ホッポリョートーカップから丁度10年。
今年、獣人族一を目指して沢山の人がタケシィマシティを目指す
そこに、チーター種の予選レースを勝ち抜いた姉妹が居た。
「父にはこの大会であの雄を下せば、婚姻を結ばなくて良い許可を得た。
喜べアサヒ、己より遅い雄の胤など宿さなくて済むぞ」
「はい、アオイ姉様。遅い雄なんて屑オブ屑ですよね」
彼女たちはチーター種族長の愛娘達である。
周囲の獣臭い獣人達とは一線を画する、垢抜けた育ちの良さと爽やかな香りを放っている。
姉妹は腰の帯を外すと、敵対する蟲人からモリクが頭を下げて手に入れたという、高級な生地で作られた身体を包む大きな一枚布の衣服を脱ぎ捨てた。
その下にあったのは、セパレートの陸上競技服に包まれた引き締まった無駄な肉の無い生唾ゴックンボディ。
…いや、妹の方は無駄じゃ無い肉の方も色々足りない感じだが、未だ成長期があるからチャンスが無いわけでもないし、
仮にチャンスがやってこなくてもそれはそれで需要はあった。
あにまる☆レースのルールは簡単。相手を直接妨害する事無く様々な特色あるコースを走り抜けると言うだけ。
物理的な妨害が駄目と言うだけで、天変地異を起こそうが、少し飛んでいようが、悪臭や耳障りな金切り声を出そうが、挑発やプレッシャーをかけようが自由だ。
但し、ワープなどをした場合は流石に若干ズルいと思われる可能性がある。
ルールは大体そんなところだ。
全選手が位置について、爆竹音が鳴ったと同時に駆け出した。
スピードが高いが、スタミナが無い者。登り坂などでガッツが足りない者など様々な者が居るが、一位になれるのはただ一人。
最初は草むらが広がるフィールドだった。
余りに高い草木が進行方向を惑わせると共に、足に引っかかるコースだった。
そしてそれを抜ければ硬い岩場が選手達を待っていた。
その後は登り坂に設置されたハードルを何度も飛び越えて、そのまま長い水場をトライアスロンよろしく泳ぎ抜けなければならない。
更に急な下り坂の平均台が待っており、濡れた足で走るにはかなり危険である。
その後は、岩肌の七連続ダウンヒルと呼べるかどうかも怪しい崖があった後、
最後だけはしっかりと切りそろえられた芝生のコースが用意されている。
そして、最大の特徴は、予算の関係もあるが、ゴールに向かうにつれてどんどんコースが狭くなっていく仕様であり、
最初は百名が同時に横に並ぶ事の出来る広さで始まるが、一番最後の一直線の芝生では、かろうじて二人程度が抜き合う程度の広さしか無く、
万が一巨大な体格の者が最初にこのコースに入ると勝負が決まってしまう仕組みだ。
とは言え、今大会の最有力候補と言われたアオイとアサヒはどちらも細身なので、最後まで勝負は解らない。
下馬評ではそう言われていた。
だが、蓋を開けてみれば如何だろうか、優勝所か、入賞すら期待されていなかった晒し者としての特別参加枠の人間が涼しい顔でトップ集団にいた。
アオイ達の姉妹も前半では余力を残しては居るものの、噂の『うませるきかい』はそれ以上に余裕があった。
元々短距離が得意な種族でありながら、長いコースを走るために血を吐くような努力をしてきたアオイにはそれは受け入れられるものでは無かった。
魔力による身体強化で、加速は良い代わりに燃費が悪い仕様のエコーは、長いコース故に最初から全力は出しては居なかったが、
それでも伊達に6Vという大英雄になり得る素質を持つわけでは無い。
種族差の圧倒的な速度の違いを個体性能だけで追随させてきていた。
更に、後天的な無感動・無感情資質による無表情が端から見れば余裕を必要以上に醸し出していた。
「負けられるものかっ!!」
「…姉様ッ!?」
「おおーっと、アオイ・セイイ選手、草むらを抜けたばかりの序盤でイキナリの加速だぁっっ!!
果たしてこれで最後まで持つのかっ!?」
実況のフクロウの獣人が眠たそうな目を見開いて様子を報道する。
フクロウの獣人の男性は、夜のニュースのスポーツ部門のキャスターであり、普段この時間は寝ている為、キツそうだ。
…完全な人選ミスと言えよう。
アオイのリードは、草むらを抜けた直後から広がっていっているが、それを後続の人間は意識した様子は無い。
妹であり、ライバルであるアサヒは己のペースを崩す事無く走っているが、それは何度もレースの慣れがあってこそだ。
初心者の人間がそれ程冷静であれるのは、余程地力に余裕があるか、…そもそもこのレースにそれ程の価値を感じていないかだとアオイは認識した。
そう、それは許されない。己の人生を賭けて挑む闘いに手を抜こうなど許されて良いはずが無い。
灼熱の太陽が容赦なく日焼け止めの上からでさえ身を焼こうが、その二つ次は水泳だ。
アオイは体温の危険な上昇を無視し、岩場を駆け抜けた。
そして、一切の無駄の無い最低限の高さ、それでいてハードルにはギリギリで絶対に触れない高さで跳躍しながら最速理論に忠実に超えていく。
ハードルに引っかかった回数により、水泳に移る手前で休憩という名前のペナルティが発生するからだ。
体力配分の上手い選手などは、敢えて倒すハードルを選定して休憩を取る方法も考えるが、ノーミス、ノーストップが信条のアオイにはそれは受け入れられない。
一つもハードルに引っかかる事無く、休憩時間0の設定通り、走り抜ける勢いのまま水の中に飛び込む。
しかし、引き離したと思っていた人間の選手を解説する声が聞こえてきた。
「おおっと、特別参加枠のエコー選手。まさかの水上走りだーっ!?
このわたし、まさか今回のレースでこのような層は手段を見るとは思いませんでしたっ!!
着実にアオイ選手との距離を縮めてきております。これは速い。速すぎるっ!!」
ふざけるなふざけるなふざけるな――――!!
アオイの中の激情が解説の声を弾き捨てるようにして燃え上がる。
己は走る事だけに人生を費やしてきた。
『はしるきかい』と呼ばれてもそれは光栄に感じられるくらいには没頭してきた。
だというのに、『うませるきかい』として生きてきた男に走りで負けるなんて、受け入れられるはずが無い。
アオイは息継ぎの回数を半分にする事で、タイムロスを削る事にした。
無茶無理無謀など、知った事かとクールな美貌とは裏腹に熱しやすい彼女は吠えた。
「アオイ選手、更に加速したーっ!!
インカレの女王の名は伊達では無いーっ!!」
五月蠅い黙れ、聞こえるのは己の鼓動だけで良いとばかりに、アオイは己を痛めつけるように加速した。
漸く、比較的苦手な水泳を終えて、平均台に突入。
朦朧とする意識を無理矢理鎮めて、1㎝単位でズレの無い姿勢で平均台の上の直線を駆け抜けていく。
後ろの人間との距離は再び回復してきた。
後は、何度も経験のある七ツ谷のダウンヒルだ。
上等ッ!! コーナー2つも抜ける前には私の背後から奴の気配を消してやる。
アオイはこれまでに無い高揚感と疲労感とを感じながらそう誓った。
一切の無駄の無い重心移動を利用して、坂を下り降りて行くアオイ。
しかし、足の裏に最小限の範囲で魔力のフィルターをかける事で、地面の抵抗を限りなく操作できるエコーはまるで悪魔のように、
アオイの得意フィールドで攻めてきた。
生物には実現不可能な機械のための理論上最速で容赦なく生身のアオイを追い詰めていく。
「ダウンヒルの覇者、アオイ・セイイ選手にまさかの追随。
まさに番狂わせっ!! 最後の最後まで勝負は解りませんっ!!」
実況の声が響く。
一番得意なはずのフィールドで、追いつかれるという屈辱が過熱するが、それ以上に今まで感じた事の無い何かがアオイの中で目覚めていた。
当初は最初から爆上げしていたアオイが潰れるとの予想もあったが、それも無く、
『うませるきかい』として購入された人間も、それに負ける様子も無かった。
この勝負はエコーとアオイの一騎打ち。
誰もがそう思っていた。
だが、それを赦さない者が居た。
「何と言う事でしょうっ!?
昼でも起きてて良かったぁ!!
アサヒ・セイイ選手、まさかの連続カーブを直線で突き抜けているっ!!
コースガン無視、掟破りの地元走りだっ!?
こんなショートカットはアリなのかっ!?
如何なんですか、解説のシマダさんっ」
アサヒは通常でさえ急な連続カーブの下り坂で、コースを無視するように危険なほどの急斜を駆け下りていく。
その上、ブレーキをかける様子は無い。
「ええ、解説のシマダですっっ。
結論から言うとルール上は問題はありませんっっ。
実際に第7回あにまる☆レースで彼女の父親が実行していましたっっ。
あの時はっっ、此処までの斜面でもカーブでも無くっっ、アウトインアウトの極端な例という程度でしたがっっ、
やはりあの父の娘という事でしょうっっ。私もこのような走り方には驚きと興奮を禁じ得ませんっっ!!!!」
シマウマの獣人がマイクにハウリングを起こしながら叫んでいる。
しかし、観客からのクレームは出てこない。
三者三様の呑み込むような走りが観客を魅了していた。
「此処からだよ、姉様」
最後のカーブ、そこで地面を滑るようなコーナリングでアオイにエコーが追いついた瞬間、側面から飛び降りるようにアサヒが飛び込んできた。
体力を温存してきたアサヒには、アオイに対して勝ち目があった。
公式大会ではこれまで一度も勝った事が無い姉に、今度こそ勝てる。
そんな希望が彼女の足下を掬った。
踏み込んだ地面が崩れて姿勢が倒れる。
このままだと、姿勢を直す前に正面から地面に激突する。
災厄の箱の最後に残った希望が、絶望の未来を手招いていた。
走りに全力を向け続けた故に意識が半ば薄れたアオイの目の前でゆっくりと地面に呑み込まれるように墜ちていく。
そんな彼女の視界に溝に足をかけて蹴り出すように滑り込む黒い影があった。
全てが遅く視えたアオイの視界の中で尚、影としか認識できない超々高速移動。
その影はアサヒが地面にぶつかる寸前で受け止めた。
そして彼女を地面に下ろすと、再び正面を向いた。
それは、アオイの方を見たままゴールを指さした。
立ち止まったアオイにゴールに辿り着くまではレースを続行するように示していた。
「そんな事、言われるまでも無い」
最後の直線。
一度立ち止まって速度が0になった二人の加速度が勝負を決める。
それはアオイも理解していた。
故に、己のスタミナでは考えられる限界を超えた二度目の最大速度領域へ踏み込んだ。
心臓も肺も思うように動かない。視界もあやふやで音も聞こえてこない。
だが、それが如何したとアオイは意志の力だけで駆け抜けた。
そして――――――
「なんと言う事でしょう、なんと言う事でしょう。
コンマ五桁に至るまで完全に同着ゴール。
優勝者は、アオイ選手・エコー選手だぁぁっっ!!」
実況の雄叫びを聞きながらアオイは意識を手放した。
おまけ
獣人族では昔は名字が先に呼ばれて名前が後に呼ばれていたが、
人間による情報統一の煽りをを受けて逆転した。
獣人達の中では数十年前からユーロビート風の音楽が流行っている。
勿論、あにまる☆レースの公式テーマ曲もユーロビートである。