『うませるきかい』の蟲族への貸出期間は終わった。
現時点でも人間にとって脅威である蟲族へ次世代における更なる強化を約束した事は、
人間が障者をこの世界から消滅させ、再び科学技術で覇権を握らなくては人類にとっては長期にわたって首を絞める事になる。
その為に、十二の選択と呼ばれた蟲の女王への質問は、後に人類によって無理矢理美化された成功談として語られる事となった。
一方、ソレーユはその二ヶ月後、エルフの女王への進言により吸血族の君主の所に行く事になった。
吸血族の君主はソレーユの予想通り、その種族特性から『うませるきかい』による繁殖能力を求める事はしなかった。
だが、何処から仕入れたのか、
それだけの素質を持つ者の血を提供するなら、情報料をその分差し引いてやろうと告げたために、エコーも同行する事となった。
エルフの女王でさえ、己以上の年を生きている吸血族の君主には苦手意識があった。
ソレーユには、吸血族の君主への謁見は気が重かった。
「遙々遠くからご苦労様。ところで、あなたもわたくし様の眷属になってみない?」
いきなりの種族変更のお誘い。
倫理観ぶっ壊れで有名な吸血族の会話によるボディーブローが、エルフ族では図太い方のソレーユにも刺さった。
吸血族の君主リイン・ルイ・クァントァカネーノは、鮮血のような深紅の縦ロールとチャイナ服と扇子が似合う女帝だった。
「そう言えば、ハイエルフが久し振りに生まれたらしいわね。どうかしら、ハイエルフ素材の吸血族なんてきっと素晴らしいわ。
是非、提供するべきじゃ無いかしら」
一方的に己の都合を要求してくる女帝。
因みに要求されているソレーユ自身も一児のハイエルフの母である。
要求を呑むつもりは全くない。
現在、女帝の右肩には『風紀委員長』と達筆に書かれた腕章があるが、吸血族の常識は他種族の非常識。
吸血族の風紀なんて、皆吸血族になれば女帝の元に統一されてハッピーという狂いきった価値観しか無い。
「…どうして他の種族がわたくし様の傘下に挙って入ろうとしないのか不思議で仕方ないわ。
布教活動が足りないのかしら、ねえ、客人その1どう思う?」
ソレイユは苦笑いしか出来ない。
布教活動は充分すぎるほどに他の種族にも届いている。その上でのNoなのだ。
「じゃあ、客人その2はどう?」
「僕は吸血族になった時点で無価値になるので結構です」
「ああ、そうだったわね」
肩をすくめて両手を軽く肘を曲げて持ち上げるオーバーリアクションで女帝は頷いた。
吸血族には子供を出産する文化は無い。
それ故に、優秀な雄を番って優秀な子を生む思考は生まれない。
吸血族は血を媒介に相手の魂を変質させて眷属に変える。また、死霊術に特化した魔法を持つ。
魂を変質させられた者は、心臓の鼓動で活動する事を忘れ、肺での呼吸を忘れ、口で捕食する事を忘れ、脳で思考する事を忘れる。
魂そのものが本体となる。
心臓も肺も脳も形だけのものになる。
故に、首を千切られようが、心臓を貫かれようが、細胞が活動しており、死んだ自覚が無ければ死なない。
厳密には心臓も脳も形だけのものになるので既に死んでいるとも言える。
肉体はあくまで魂にコントロールされる容れ物。
言うなればゾンビである。
というか、吸血族はゾンビであり、ゾンビが吸血族とも言える。
そして、細胞は連結する事無く個々に活動しており、成長という概念は無い。
代わりに改変という概念がある。
他者から血を介して取り組んだエネルギーを以て自身の肉体を少しずつ改変する。
だから最初が弱くても生き続けて血を吸う限り、理論上無限に己を強化できる。
吸血族の女帝も元はか弱い少女だったと自称している事は有名だった。
加えて肉体が有機的には生存活動を行っていないのだから、子供を生む事が出来ない。
従って、『うませるきかい』に子供を産ませる役割を持っての吸血族への貢献は出来ない。
更に言えば、『うませるきかい』を吸血族に迎えれば生殖行動が不可能になり、その価値がなくなる。
「ねえ、客人その1。どうしてなのかしら?
他の種族は進んで私の眷属になろうと思わないのが不思議で仕方ないわ?」
不思議で仕方ないのはあなたの頭だと内心で呟くソレーユ。
彼女の思考を嘲笑うように女帝は話を勝手に続ける。
「元の種族を止めて、序でに生物を止めて、わたくし様へ絶対服従を誓うだけでしょう?」
普通の種族は生物をあっさり止めようとは思わない。
そんな倫理観投げっぱなしの女帝へツッコミを出来る者は居ない。
魔王と呼ばれるだけのプレッシャーを自然に放つのがこの女帝である。
「わたくし様への絶対服従以外にはそれまでの生活をそのまま保証するといっているのに不満があるのが解らないわ?
だって、今までそれぞれの種族や国家の法律や経済活動に縛られて生きてきているのでしょう?
そこにわたくし様という枠が加わるだけでしょ。
法律の範囲内で生活し、己の経済力の範囲で行動し、これからはわたくし様の支配の範囲で
不満が発生する理由なんて無いじゃ無い」
そんな理由で他の種族の国がどれだけ打撃を受けたことか。
特に被害が大きかった人間や獣人の国民が聞いたら憤死するかもしれない。
人間が他の種族に対して攻撃的になった理由の一つに、間違いなくこの女帝の存在がある。
一時期は元人間の死者の比率が生きた人間を上回った時期があった。
人間達は数日前まで家族や親友だった吸血族と殺し合っていた。
そんな暗黒時代を越えて、人間は以前以上に排他的になったのだ。
人間が地上の覇者になってからは、特に吸血族に対しては熾烈な反撃をしていたが、女帝が未だ生きているという点においては吸血族が上手だった。
といっても、吸血族はその数を大きく減らした。
代わりに、政治中枢の者や英雄の家族を眷属に変える策略を使ったり、色々な戦略で今日まで生き延びた。
それでも、障者が出現する前には女帝をあと一歩の所まで追い詰めていたのだ。
あと数年障者が出てこなかったらこの世界から女帝は消滅しており、その眷属である他の吸血族も合わせて灰になっていた。
人間にとっては巨悪の象徴であり、時に魔王と呼ばれるが、女帝からすれば人間達は聞き分けの無い不良生徒にしか見えていなかった。
早くわたくし様が秩序を正してあげないといけないわ、程度にしか思っていない。
細胞を自在に変化させ続けられるので、気に入った眷属には文字通り手を加えて、四本の腕を持った元エルフの眷属がいる。
というか、今まさにソレーユに紅茶を差し出している。
女帝はそれに眷属その1192と呼んでいた。数の小ささが人間の反撃の成果を物語っている。女帝の発想に永久欠番は無く眷属は気軽に穴埋めされる。
そして眷属その1192――――それはソレーユが幼い頃に失踪した近所のお姉さんだった。
これは、元同族の働いている姿を見れば客人その1も進んで眷属になりたくなるかしら? という女帝の配慮である。
職場体験で先輩の働く姿を見てみない? なんてノリで女帝はいるが、ソレーユには死者にされて肉体を弄ばれた同族に給仕されるなんて悪夢そのものだ。
「客人その2、わたくし様に良いアイディアがあるわ。
そこの客人その1と子供を作り続けてその子供をわたくし様の眷属にしていくなんてどうかしら?
そうすればハイエルフ素材の眷属がいっぱい増えて、わたくし様もいっぱい幸せになれるわ。
どうかしら? それなら今回貰った資金は全て返納してあげても良いわ。結納金みたいなものね。
素敵なアイディアでしょ?」
「うっうぇぇぇぇ」
遂にソレーユはその場で吐いた。
自身の倫理観が全てに通ずるスタンスの純白の邪悪は森でひっそり生きていたエルフには刺激が強すぎた。
というか、他の種族には到底理解できない思考回路故に、人間には女帝が滅ぼせなかったのだ。
「取り敢えず、今回はお支払いした報酬での契約通りで話をしましょう。
勧誘についてはまた今度と言う事で良いですか?」
耳を押さえて目を瞑り吐き続けるソレーユが使者として使い物にならなくなり、これ以上女帝の話を聞かせては恐らく精神的に危ないと判断したエコーは、
女帝に本来の契約内容に話の路線を戻させる事にした。