人間にとって食事とは生きていく上で必要不可欠な行為である。
それは身体面は勿論のこと、精神面の方にも言えることだ。
『食事は人の心を豊かにする』。よくテレビで放送されている料理番組などでこれに似たような言葉を耳にするが、その言葉の正当さを士郎は身を以て理解していた。
ほんの数年程前まで士郎は養父の影響によって「食事などただの栄養補給。手軽に空腹を満たせる物なら何だっていい」と本気でそう考え、常日頃からコンビニで売ってるおにぎりやらジャンクフードを毎食にしていた。
幸いと言うべきか、お金については養父が残してくれた遺産や士郎が知り合いの店で今もなお自らバイトをして稼いでいることによって生活費を払うことに困ったりしたことは1度も無く、ましてや毎日を魔術や身体の鍛錬に費やしていたおかげで図らずも電気やガスなどを碌に使わない節約生活を送っていたことになり、金は貯まっていくばかりであった。
死ぬまでこのままと思われた節約生活であったが、しかしそれは慎二に関係する
そして、桜が初めて作った手料理を食べた時、士郎は柄にもなく感動した。「こんなに美味い物がこの世にあったのか」と。
桜が士郎のことを思って手間暇掛けて作り上げた手料理と、電子レンジで温めただけのハンバーガー。
どちらも所詮は料理であり、手軽さやコストなどの面で見れば明らかに後者の方がお得だが、しかし料理に込められた味の旨味は格段に桜の手料理の方が上だった。
『生きるために食べよ。食べるために生きるな』という諺がイギリスにあるが、全くその通りだと士郎はその時初めて共感した。
ただ栄養を取るだけが食事なのではなく、味や風味を楽しみながら美味しく食べることこそが明日を生きる活力を生むのである。
それに加え、料理を美味しく食べることによって様々な感情が生まれ、人の心はより豊かに育っていくのだ。
『食事は人の心を豊かにする』。この言葉は本当に正しいと、心の底から思えるのだが─────
「正気ですか、リン!?今は聖杯戦争の最中、それなのにサーヴァントである私を連れずに外へ出るなど愚策中の愚策です!マスターを見殺しにでもするつもりですか!?」
「だから、私とアーチャーの近くに居れば大丈夫だって何度も言ってるでしょ!?それに、衛宮くんがそう簡単に斃るような男に見えるの!?心臓を槍でぶち抜かれてもランサーの腕を斬り落とした奴なのに!!」
「なんと!?その話は本当なのですかマスター!!」
豊かにし過ぎるのもどうなのかと、士郎はそう思わずにはいられなかった。
☆☆☆
────事の発端は数分前、凛の一言から始まった。
「そういえば衛宮くん。昨日は色々あったから忘れてたけど、今日は『教会』へ顔合わせしに行くから放課後は予定空けといてね」
朝食を食べ終わった後、死んでいるかのような目から復活した凛がそう呟き、士郎は食後に飲んでいた茶をテーブルの上に置いた。
ちなみにその隣ではセイバーが「これが現代の料理!?私の生きた時代から人類はここまで進化したのですか……!!」などと言いながら目を輝かせてテレビに映る料理番組を見ていたが、誰もツッコミをする気にはなれず無視していた。
「遠坂、『教会』とは何だ?お前のニュアンス的に考えて俺の知る普通の教会とは違うのだろう?」
「勿論よ。普通の教会に行ったところで意味なんて無いわ。私達が行くのは『聖堂教会』っていう所よ」
凛曰く、『聖堂教会』とはキリスト教の中の「異端狩り」が特化して巨大な組織になった物であり、人の範疇から外れてしまった化け物を消し去り、人の手に余る神秘を正しく管理することを目的としている。
『埋葬機関』や『騎士団』と言った対人外戦闘のプロフェッショナルが集う部門が幾つもあるが、その中には聖遺物の管理および回収を任務とする特務機関が何個か存在し、その一つに聖杯戦争の監督役を務める『第八秘蹟会』という物がある。
『秘蹟』とは聖堂教会において神から与えられる七つの恵みを指し、『第八秘蹟』とは正当な教義には存在しない恵みを指す。
聖杯も第八秘蹟に該当する為、聖堂教会は聖杯を巡って争う聖杯戦争の管理をしている。
聖杯戦争で起きた被害などについては聖堂教会が裏から手を回して無かったことに、もしくは別の何かによって起こったように擦り替え、一般人が魔術や神秘について勘付かないようにするのが主な仕事であり、サーヴァントを失い聖杯戦争から脱落したマスターの保護などもしているので、いざという時の為のマスター達の駆け込み寺としても使われる場所である。
凛からそこまで説明されて、士郎はふと疑問に思った。
「聖堂教会が後始末をしてくれるならば、昨夜に校庭の痕跡を消しに行った必要は無いのではないか?」
「まぁ、普通はそうなんでしょうけど、ちょっと私は事情が違うと言うか……」
言葉を濁し、何かを隠している凛に対して士郎は何も言わずにジッと視線を向ける。
同盟関係を結んだ以上、情報はなるべく共有する必要がある。隠し事は後の不信に繋がるぞ、という意味が込められているかのような士郎の視線に負けて、凛は渋々口を開いた。
「私の昔からの知り合いに今回の聖杯戦争の監督役を務めている奴が居るんだけど、ソイツが私に自分で出した被害は自分で片付けろって口煩いのよ。『君ももはや一流の魔術師だ。ならば、自分の後始末ぐらい自分でしたまえ』って言ってね」
「ふむ……」
苦虫を噛み潰したように顔を歪ませる凛の姿からは、その人物に対しての苦手意識を明確に感じ取ることが出来た。
運営側と繋がりがあるというのは大きなアドバンテージであるが、凛の様子から察するに特定のマスターにだけ便宜を図るような真似をする人物では無いようだ。
しかし、それはあくまで予想。実物と予想が違うのは多々あることなのだから、結局は実際に会って話してみなければその人物のことについて詳しく知れないだろう。
「分かった。放課後に校門前集合か?」
「いいえ、集合場所は生徒会室よ」
「なに……?」
予想外の集合場所を聞き、思わず士郎は聞き返すも凛は当たり前だと言わんばかりに鼻を鳴らした。
「生徒会の人達が昨日の痕跡を見ちゃったんでしょう?可能性は低いとは思うけど、それでもしも魔術の存在が露見しようものなら確実に口封じさせられるか、もしくは殺されるかもしれないわ。だから、そうなる前に私が暗示を掛けて記憶を消そうっていう訳」
殺されるという部分で士郎は目を細め、その瞳に剣呑な光が宿る。
「……魔術師というのはそこまでするのか」
「人によってはって話しよ。全員が全員そうだっていう訳じゃないわ。だから魔術師を全員ぶっ飛ばそうとか考えないでよね」
「むっ……」
凛に内心で考えていたことを指摘され、士郎は自らの未熟さを改めて痛感しながら無意識の内に握り締めていた拳から力を抜いた。
「まぁとりあえず今日の予定はそんな感じね。何か質問は?」
「有事の際の連絡手段はどうする?ケータイで連絡すればいいか?」
士郎がそう言った直後、凛はあからさまに嫌な顔をした。
「……私、ケータイ持ってない」
「なに……?」
凛の発言を聞き、士郎は少しばかり意外だと思った。
今の時代だと学生ならば誰もが携帯電話を持っているのは当たり前であり、実際に士郎のクラスメイト達は誰しもが持っている。
あの堅物で有名な柳洞一成でさえ持っているのだから、凛も持っているだろうと士郎はそう思っていた。
だが、世の中には何事にも例外はあるもので……。
「私って機械音痴というか……その、テレビのリモコンさえ碌に扱えないというか……だから携帯電話も碌に使えなくて……」
「…………」
顔を赤らめて身を縮める凛を見る士郎の瞳は、心做しか呆れているように感じられる。
「あ、マスター。少しチャンネルを変えてもよろしいでしょうか?」
「……あぁ」
そして、テレビのリモコンを操作して簡単にチャンネルを変えたセイバーの何気ない行動によって、凛には士郎の瞳が3割増ぐらいで呆れているように見えた。
「しょ、しょうがないじゃない!?昔からそうだったんだから今さら出来る訳ないでしょ!?」
“サーヴァントに電子機器の扱いで負ける現代人ってどうなんだ?“と自身に向けられている無言の視線がそう言っているような気がして、凛は思わずテーブルに手を強く叩き付けながら立ち上がった。
「連絡手段は私がどうにかするわ!いいわね!?」
「……了解した」
強引に話を終わらせた凛に、具体的にどのような手段を用意するのか聞こうとした士郎だったが、これ以上聞いてはいけないと直感的に察し仕方なく口を閉じることにした。
「それじゃあ、そろそろ私は家に戻るとするわ。学校に行く準備とかしなきゃいけないし」
「む……」
凛の言葉を聞いて思わず時計を見てみれば、確かにそろそろ学校へ向かう準備をするのに丁度いい時間であった。
「遠坂の家が何処にあるのかは知らんが、此処から家へ戻って学校へ間に合うのか?」
「問題無いわ。衛宮くんの家から私の家までそんなに遠くないし、アーチャーを使えば準備とかあっという間だもの」
「…………」
士郎が思わずアーチャーの方へと目を向ければ、“頼むから何も言うな“という意思が込められた無言の視線が返ってきた。
本人がそう思っているのであれば何も言うことは無い。ただ、今度何か差し入れでもしてやろうと士郎は思った。
「分かった。食器の片付けは俺がしておくから、遠坂達は……」
「それなら既に私がしておいたぞ」
ドヤ顔を晒すアーチャーの言葉を証明するかのように、台所にはシミ一つなくピカピカとなった食器が綺麗に並べられていた。
「……ねぇ、アンタって本当にサーヴァントなの?」
「無論だ。というより、君が私を召喚したのだぞ?そんなことさえ忘れてしまうとは気が抜け過ぎているぞ」
「うっさいわね!アンタがサーヴァントらしくないのが悪いんでしょうが!!」
ギャーギャーと騒ぎ立てる凛を呆れたように見下ろすアーチャー。しかし、凛の言葉は確かにそうだと同意できる程に的を得ていると士郎は内心でそう思った。
「さて、俺も準備をするとしよう」
「えぇ、分かりました」
漫才コントを繰り広げる主従を放置して士郎が学校へ向かう準備をするべく立ち上がると、テレビを見ていたセイバーもテレビの電源を消して立ち上がる。
これから学校へ行くというのに、何故セイバーまで立ち上がったのか。疑問に思う士郎へ答えを与えるかのようにして、セイバーは困った表情を浮かべながら士郎へと言葉を掛ける。
「ところでマスター、私は何の準備をすればよろしいでしょうか?私が生きていた頃の学び舎と現代の学び舎は何が違うのか今一分からないので必要な物を教えて頂けると有難いのですが……」
「何言ってるの?セイバーは衛宮くんの家で待機に決まってるでしょう?」
セイバーの言葉を聞いた凛はアーチャーとの喧嘩を止め、さも当然と言わんばかりにセイバーへそう告げた。
「……は?」
それが口論へと繋がる切っ掛けになるとは露知らずに。
☆☆☆
そうして場面は冒頭へと至る。
「大体、セイバーは霊体化できないじゃない!そんな格好で家の外を出たら他のマスターに見つかるどころか警察に捕まるわよ!!」
「舐めないでください、リン。服はマスターから借りれば問題ありません。大きさは合わなくても紐か何かで調整すれば充分着れます」
「そういう問題じゃないわよ!!というか、衛宮くんの服を着るだなんてセイバーには女性としてのプライドとかないの!?」
「これでも生前は常に男装をしていた身です!今さら女性どうこう言われたところで遅いのです!!」
若干セイバーの心の闇が現れたりしているものの、議論は未だに白熱したままだ。
セイバーが霊体化できない以上、凛の言い分は最もであるがセイバーの意見も無視するのは決して出来ない問題だ。
士郎一人だけであるならば昨夜のランサー戦の如くサーヴァントとも渡り合ってみせる自信はあるのだが、それが不意打ちや2対1での奇襲、ましてや他の一般人が近くに居る場合ならば話は全くの別だ。
凛とアーチャーが居れば大丈夫とは言えるが、しかしあくまでそれは凛達が裏切らなければという前提が付く。
同盟を結んではいても所詮は敵同士。ならば唯一無二の味方であるセイバーが居た方が断然的に良いに決まっている。
リスクとリターン。その2つを上手く纏められる何らかの方法。それが無ければこの議論は永遠に白熱することだろう。
「……2人の意見はよく分かった。そこでだ、俺から一つ提案がある」
故にこそ、士郎は切り出した。あまり使いたくない手であったとしても、この無駄に長引く議論を終わらせる為に。
「セイバー、お前────うちの学校で働いてみる気はないか?」