騒がしかった一日を切り抜け、世界が夕焼け色に染まり始めた頃、士郎と凛の二人は生徒会室に居た。
二人の周りには椅子に力無く座り込んで瞳を閉じている生徒会メンバー達が居て、微かに聞こえる規則正しい吐息と安らかな表情をしていることから彼らが眠っているのが目に見えて理解出来た。
「よし、これで終わりっと」
生徒会メンバー全員が眠ったことを確認した後、凛は両腕を天井へ向けて思いっきり伸ばすと共に背伸びする。
まるで疲れ切ったサラリーマンのようではあるが、そのことを指摘する人物は誰も居らず、凛は軽くストレッチをしてから床に置いてあった自分の鞄を持つ。
「暗示の魔術はちゃんと行使出来たわ。暫くすれば起きるから、彼らが目覚める前にここを出ましょ」
「…………」
そう言って凛は生徒会室を出て行こうとするが、椅子に座っている生徒会メンバー達を1歩も動かずにジッと黙って見つめる士郎の様子に気付き、足を止める。
「衛宮くん?」
凛の問い掛けに答えず、士郎は強く拳を握り締める。
「すまない。不甲斐ない俺を許してくれとは決して言わん。だが、お前達をもう二度とこんなことには巻き込ませはしないと此処に誓おう」
心の底から湧き上がる憤怒の炎を押し堪えながら吐き出すようにして呟かれた言葉は生徒会メンバー達には聞こえていない。
しかしそれはそれで構わない。これは士郎が自らに対して告げた宣誓であるが故に、誰も聞いてなくても士郎自身がその宣誓を守ればそれでいい。
「行こう、遠坂。聖杯戦争を一刻も早く終わらせる為に」
「え、えぇ、そうね!」
輝く決意に満ちた士郎の瞳に思わず見惚れてしまい、一瞬だけ完全に思考が停止した凛の横を通り抜け部屋の外へと出て行く士郎の背中を追い掛けるべく、強靭な精神力で我に返った凛は少し言葉に詰まりながらも慌てて返事をして同じく部屋の外へと出る。
昼間と比べて放課後の校舎には生徒が殆ど居ないとは言え、いつ何処から他の生徒達に自分達が見られるのか分からないが故に凛と士郎は少し距離を空けて歩く。
下手に恋人だとか噂されないが為の処置として今朝に凛が考え提案したことだが、今は返ってその距離が有難い。
窓に映るほんのりと赤くなっている自分の顔を士郎に見られるのは少し恥ずかしかったから。
無言のまま二人は歩く。廊下を抜け、階段を降り、下駄箱で靴を履き替え、距離を空けたまま校門を抜ける。
このままずっと無言の静寂に包まれたままかと思いきや、その空気を断ち切るかのように二人へ話し掛けてきた人物が居た。
「お疲れ様です、マスター。それに、リン」
校門から少し離れた所にある並木に潜むようにして二人を待っていたセイバーが、気配を現して士郎の前へと出て来た。
「何か異常はあったか?」
「いいえ、こちらは特に何もありませんでした。マスターの方はどうでしたか?」
「俺の方は────」
セイバーからの報告を聞き、士郎もまたセイバーに報告をしようとしたが、何故か途中で言葉を止めた。
「マスター?」
「セイバー。校舎に忘れてきた物は無いか?」
一見、それは何ともない普通の質問であったが、並外れた直感力を持つセイバーはその一言で士郎が何を言いたいのか理解し、瞳を鋭く細めた。
「えぇ、大丈夫です。ところでマスター、これは休憩時間に食堂の方達が教えてくれたことなのですが、
「そうだな……基本的には放し飼いになるだろう。無論、人に襲い掛かろうものなら厳しく叱るがな」
「なるほど。分かりました」
確と頷き、そこで口を閉ざしたセイバーに凛は不思議そうに首を傾げながら話し掛ける。
「なに?セイバーってば犬でも飼いたいの?」
「…………」
先程の会話を聞いていればそうとしか思えない疑念を凛は素直に口に出してみたが、セイバーは何も答えない代わりに呆れたと言わんばかりの表情を凛へと向けた。
「な、なによ?そう思ったからさっきの話をしたんじゃないの?」
『それは違うぞ、マスター』
何故セイバーからそんな顔を向けられるのか理解出来ずに困惑する凛へと現状を知らせるべく、霊体化しているアーチャーは念話を繋げた。
『何の反応もせずに聞いてくれ。今、私達は
「っ!?」
咄嗟に出そうになった声を無理やり押し込み、凛は目だけを使って周囲を見渡す。
部活で遅帰りの生徒達が数人ほど近くに居るが、露骨にこちらを見ているような怪しい人物などは誰も居ない。
しかし、言われてみれば確かに誰かからずっと見られている感じがして、凛は全く気付くことが出来ずに居た腑抜けている自分を恥じる。
『監視されている以上、会話も聞かれている可能性がある。だからこそ、先程セイバー達は普通の会話に見せかけた裏で監視者をどうするか相談していたのだ。その結果、今は放置しておくが襲われた場合には対処するということになったらしいが……本当に気付かなかったのか?』
「むっ……」
視線に全く気付けていなかったのは事実ではあるが、まるで馬鹿にしているかのような物言いに少しだけ腹が立ち、凛が内心でアーチャーに対して今後行う仕置きを考えていると、士郎が1歩前へ出た。
「行くぞ」
士郎の言葉を合図として一行は当初の目的である教会に向けて歩き出す。
道中の警戒は怠らず、さりとて警戒しすぎて逆に監視者を用心深くさせる訳にもいかずに途中で無意味な世間話を挟んだりして歩くこと数十分。新都を抜けた先にある冬木教会に士郎達は到着した。
「ここが『聖堂教会』……」
「えぇ、そうよ」
外見的には何処からどう見ても普通の教会としか見えない冬木教会を前にして、士郎が僅かに眉を顰めて足を立ち止めていると、セイバーが士郎の袖を少しだけ引っ張り耳元へ顔を寄せた。
「マスター、注意してください。嫌な予感がします」
いくら監視されているとは言え、普通ならば考えすぎなような気もする言葉だが、直感力に優れているセイバーの言葉となると話は変わる。
それだけを告げてセイバーは士郎から離れるが、先程よりも警戒心を強め、いつでも戦闘に入れるように構えているセイバーの様子に、士郎もまた警戒心を強める。
そんな士郎達の様子を他所に、凛はズカズカと教会の方へ近付いていく。
そして、バンッ!という大きな音と共に教会の入口にあった扉を力強く押し開けた。
「綺礼!来たわよー!」
優雅の欠片も無く、まるで子供のように押し入る凛へ続いて士郎達も教会の中へと入っていく。
まず目に入ったのは等間隔で設置されている幾つもの長椅子だ。中央の道を避けるようにして左右に置かれているそれらには、傷らしい傷が見当たらず埃一つ付いていないことからちゃんと管理されていることが理解出来た。
次に気になったのは教会の奥にある聖卓とその上に置かれている大きな燭台。人が持つには些か大きずる燭台には蝋燭が立てられており、外から流れ込む風でゆらゆらと揺れる灯火がまるで陽炎のように見えた。
そして最後───聖卓の前で跪く神父服を着た男の姿を目にした瞬間、士郎は僅かに目を見開く。
「またかね、凛。そうやって物事を乱雑に扱っていては女としての品格どころか性別さえ疑われるぞ?」
皮肉を込めながら低音の渋い声でそう言い放ち、神父はゆっくりと立ち上がる。
そして、振り返った神父の顔を見た瞬間────ドクン、と。士郎の心臓は一際大きく鼓動した。
「うっさいわね。アンタにまで母親面される筋合いは────」
「下がれ、遠坂」
文句を垂れながら神父の方へと進む凛の横を、赤銅の風が通り抜ける。
「
魔術回路を起動させると同時に『強化』魔術を発動させ、士郎はたった10メートルも無い短い距離を一瞬で踏破する。
さらに『強化』魔術に加えて士郎は特殊な歩法────俗に言う『縮地法』を使用しており、その速度は正しく疾風の如し。
瞬きする暇も無く刹那の間に神父へと接近し、『強化』された拳を振り下ろさんとする士郎の姿を捉えられたのはサーヴァントであるセイバーとアーチャーだけであり────
「どうやら、最近の少年というのは些か血の気が多いようだな」
だからこそ、
「ちょ、衛宮くん!?」
「マスター!」
突然の暴挙に凛が驚き、士郎の様子から異常事態が発生したのだと断定したセイバーは士郎の方へと駆け寄ろうとするが、一瞬だけ振り返った士郎が見せた殺意を滲ませた鋭い眼光を目にし、セイバーは足を止める。
マスターを守るのはサーヴァントの役目。その役目を放棄することはセイバーには出来ないが故に、このような状況ならば真っ先に己がマスターである士郎へと駆け寄るのが正解だが、しかし士郎の瞳は雄弁と語っていた。
邪魔をするな────と。
「それで、これはいったいどういう真似だ?セイバーのマスターよ。事と次第によっては聖杯戦争の監督役として処罰を与えねばならん」
「…………」
神父の言葉に返答をせず、士郎は連続して左右の拳を叩き付ける。
速度の緩急をつけ、上下左右あらゆる方向から狙い、最短で届く距離を適切に維持し、凡人ならば一発貰っただけで昏倒する威力を持った拳を雨のように降らす。
だが、その悉くが
正しく絶技。並の武術家には真似出来ない芸当を目の当たりにし、士郎は一旦後ろへと跳び下がり間を空けた。
「中国拳法……それも『聴勁』か」
「ご明察通りだ、セイバーのマスターよ」
神父が成した絶技の正体を看破し、士郎は小さく舌打ちをする。
今の時代ならば大抵の人間は名前ぐらいなら知っている
その名は『聴勁』。即ち、今先程その技術を使ったこの神父は間違いなく功夫の達人の域まで到達している人物であり、まかり間違っても普通の一般人などでは無かった。
「それで、気は済んだかね?」
「いいや、
その身に闘志と殺意を滾らせ、眼前に居る神父を睨み付けるようにして立つ士郎に、神父は────
「さて、な。君がこの聖杯戦争で勝ち残ったら教えよう」
ただ穏やかに、だが何処か壊れているようにも感じられる笑みを静かに浮かべたのだった。
☆☆☆
「─────ほう。面白い」
何処かの一室。高級ソファーや高級テーブルなど、贅沢な装飾が施された幾つもの高級品が置かれている部屋にて、ソファーに寝転ぶ一人の男が楽しそうな声を上げた。
「この時代において、よもやこのような人間が生まれているとはな」
室内だというのに黒のライダースーツを着ているのは些かおかしいが、そんな些細なことは男の美貌を前にすれば完全に忘れ去られる。
どんな金銀財宝よりも美しい輝きを放つ金色の髪。血のように赤く、妖艶さを醸し出す深紅の瞳。どんなモデルやアイドルよりも美しく整った顔立ち。
正に人体の黄金比。ただそこに居るだけで人々を魅了してしまう悪魔のような男は、此処ではない何処か遠くを見ながら愉快気に笑う。
「クハハハハハハハ!!よいぞ、実に良い!丁度ゲームやプラモデルにも飽きてきた所だ。この
傲岸不遜に声高らかに笑い声を上げながら、男は目の前のテーブルに置かれていた高級ワインをグラスへと注いだ後、グラスを包み込むようにして優しく片手で持ちあげる。
「じっくりと見させて貰うぞ?神秘の薄れた現代において、
グラスを口へと運び、一息でワインを飲み干した後、男の口元には獰猛な笑みが浮かべられていた。