「つまり、今この場で教える気は無いと?」
「そうだ。今はまだ、全てを話す時ではない」
片や穏やかな笑みを浮かべ、片や無表情で居る両者の間にはピリピリとした空気が張り詰めている。
士郎は引く気など毛頭無く、神父もまた同様。瞳と瞳が交差し、激突するのは時間の問題かと思われたが────
「何やってんのよ、このおバカァァァァァァァァ!!」
後方より駆け寄ってきた凛が勢いそのままに士郎の頭へ手刀を叩き込んだことで、闘いの火蓋が切られることは無かった。
「いきなり何をする?」
「それはこっちの台詞よバカ!!何で綺礼にいきなり殴り掛かってる訳!?しかも魔術まで使って!!」
「リン!落ち着いてください!」
士郎の胸倉を掴み上げ、ガックンガックンと揺らしながら犬歯を剥き出しに怒り散らす凛をセイバーが落ち着かせようとするも、凛の手は止まらない。
「このバカ生徒会長!聖杯戦争の知識とか覚える前にアンタは常識を覚えなさいよ!!それでも本当に現役高校生なの!?」
「落ち着け、遠坂。俺は────」
「口答えするな!!」
士郎の頭へ再び手刀を繰り出し、強引に口を閉じらせてから凛は神父の方へと振り向く。
「悪かったわね、綺礼。このバカにはちゃんと私から厳しく叱っておくから、今日のことは許してあげてちょうだい」
「なに、若気の至りというやつだ。私の命や周りの物に損傷が無い以上、そこまで強く物申すつもりは無い」
「そっ。なら良かったわ」
そう言って優雅に微笑む凛だが、その瞳は全く笑っておらず、怒りが少しも収まっていないことを示していた。
「じゃあ今日の所はこれで失礼するわ。このバカに色々と話をしなくちゃいけないから」
「そうか。帰るというのであれば、うちの猛犬に気を付けたまえ。鎖で繋いであるとは言え、アレにはまだ今日の朝から餌を与えてなくてな。きっと今頃は腹を空かして気性が荒くなっていることだろう」
神父の言葉を聞き、凛は首を傾げる。
「あれ?綺礼って犬飼ってたっけ?」
「最近飼い始めてな。中々私の言うことを聞いてくれなくて手こずっている所だ」
「そう……まぁ頑張りなさい」
神父の口調からは嘘を感じられず、知人のペット事情なんてどうでもいいと思った凛は士郎を引き摺って教会の外へと歩き去っていく。
「離せ、遠坂。俺はあの神父と話が────」
「ん?何か言ったかしら?」
咄嗟に凛を引き止めるべく言葉を発しようとした士郎だったが、青筋を立てながらイイ笑顔を浮かべる凛に黙殺されてしまった。
何を言っても恐らく無駄だろう。士郎としてはここで実力行使に出ても吝かではないが、折角同盟を結んでる相手に態々喧嘩を売るような真似をするのは得策ではない。
故に大人しく引き摺られるしか無く、そんな士郎へ可哀想な物でも見るかのような目を向けながらセイバーは凛と士郎の後を歩く。
そして開け放たれていた教会の扉まで近付き、あと1歩で教会の外へと凛の足が出そうになった所で、神父が声を掛けてきた。
「そういえば少年、君の名は何だ?」
この場において少年とはただ一人。その問いを投げ掛けられた士郎は掴まれていた凛の手を払いのけ、神父の方を向いて立つ。
「士郎。衛宮士郎だ」
「────」
士郎が名乗りを上げた刹那、神父は僅かに目を見開き呆然とした表情を浮かべたが、直ぐに先程と同じように……否、先程よりも深くなった笑みを浮かべる。
「そういう貴様は誰だ?綺礼だけが苗字と名前ではあるまい」
「勿論だとも。私の名は言峰綺礼。何処にでも居るような普通の神父だ」
聴勁を使える普通の神父など居てたまるか、と凛は内心でそうツッコミを入れる。
「聖杯戦争に勝ち残れば貴様に関する諸々のことについて答えてもらうぞ。その約束を決して忘れるな」
「あぁ、もしも勝ち残れたらの話だがね」
そこで会話は終わりを告げた。士郎は綺礼へと背中を向け、凛達を連れて夕焼け色に染まる教会の外へと歩き去っていき、綺礼はその背へ再び声を掛けることなく、暗い礼拝堂の中でただ一人士郎達の後ろ姿を見送り続けた。
☆☆☆
「それで、さっきのはどういう意味?」
教会を出た所で陽が完全に沈み、街灯で照らされている薄暗い夜道を歩いていると、唐突に凛は士郎へそう問い掛けた。
「何のことだ?」
「とぼけないで。綺礼に言っていた邪悪の気配とかってやつよ。あれってどういうこと?」
士郎が綺礼に告げた10年前の邪悪の気配のことと、大災害の孤児達。それがいったいどんな意味を持つのか凛には分からなかった。
いや、凛だけではない。言葉にはしていないが、セイバーもまたそれらの不穏な単語が何を意味するのか何も分からないようで、士郎へ詳細を聞きたそうにしている。
「衛宮くんが何を知っているのかは知らないけど、綺礼が関係してるなら私が放っておく訳にもいかないわ。知ってること全部話してもらうわよ」
士郎の腕を掴み、全てを話すまで絶対に逃がさないという意志を視線に宿らせた凛の顔を士郎は真正面から見つめ返す。
「遠坂。あの言峰綺礼という男はお前の恋人か?」
「ばっ!?違うに決まってるでしょ!!」
しかしそれも一瞬だけ。士郎の言葉を受け、顔がトマトのように真っ赤になった凛は否定の言葉を叫びながら猫の如き俊敏さで士郎から離れた。
「綺礼は私の魔術の兄弟子!それ以上でも以下でも無いから!ましてやこ、こここ、恋人だなんて絶対にありえないから!!」
「そうか。なら話してもいい」
赤くなった顔を隠すこともせず、若干涙目になりながらも叫んだ凛に対して士郎の返答は酷くアッサリとしており、凛は思わず呆然となった。
「お前が
氷のように固まった凛へと今度は士郎が近付き、その華奢な肩へと手を置く。
「問おう、遠坂凛よ。この話を聞けば、お前は言峰綺礼と共に居られることは出来なくなり、最悪の場合には俺と共に言峰綺礼と命を賭して戦うことになるやもしれん。それでも聞きたいか?」
「え……?」
突然の選択。しかも内容が内容なだけに、凛の思考回路は完全に止まりかける。
「さぁ、選べ。どちらを選んでも俺は構わん。兄弟子に着くも、俺に着くも、全てはお前の自由だ」
「そんな、こと、言われても……」
知人と殺し合いになるかもしれない。急にそんなことを言われて、冷静でいられる人間というのはまず居ない。
頭の中は軽くパニック状態に陥り、気持ちの整理さえ覚束無い。そんな状態で、重大な決断をすることなど普通の人間には無理であり、それは魔術師である凛とて例外ではなかった。
ぐるぐると思考は渦巻き、身体が一歩後ろへ下がりそうになるが士郎の鷹の如き眼光を向けられているせいで身体が竦んで足が動かない。
嫌だ、怖い、逃げたい────自分が知らない未知の話を前にそんな言葉が脳裏を過ぎり、反射的に凛は首を横に振る。
遠坂の名において、怖じ気付くことも、ましてや逃げることも許されない。
内側から湧き上がる恐怖を10年以上の月日をかけて培われてきた鋼のプライドで押さえ付け、覚悟を決めた凛はキッと瞳を尖らせて士郎を見る。
「私は────!!」
そうして、自分の選択を叩き付けようとした────その時だった。
「よぉ。こんな時間に外へ出たら危ないって大人から教わらなかったか?
突如聞こえてきた第三者の声。しかも、その声に凛と士郎とアーチャーの三人は聞き覚えがあった。
「まぁ、若い内はそうやって夜遊びしたくなるのも分かるがな。俺だって生前はそうだったし」
「マスター、上ですッ!」
セイバーの指摘を聞き、士郎達はすぐ近くにあった街灯の上を見上げる。
するとそこには予想通りの人物────深紅の槍を肩で背負う
「だがまぁ、夜遊びは程々にしておきな。でねぇと────」
直後ランサーは跳び上がり、空中で槍を回転させて手元へと動かすと、突きの構えをしながら真下に居る士郎目掛けて天墜する。
「怖いお兄さんに絡まれるからよぉ!!」
「シィィッ!」
咄嗟に魔術回路を起動させ、『強化』魔術をその身に施して距離を取ろうとした士郎だったが、不意を突かれたことでタイミングが遅れ、完全に避けることは出来ず、左腕を僅かに切り裂かれた。
「衛宮くん!」
「マスター!!」
「おっとぉ!?」
跳び下がった士郎へと凛は駆け寄り、士郎と交代するようにして前へと出たセイバーは魔力を編むことで召喚された時と同じ鎧と服を構築し、完全戦闘態勢に入ってランサーへと迫る。
しかしセイバーの手には何も握られておらず、武器など持っていないかのように見えたが、虚空でランサーが持つ深紅の槍と何かがぶつかり合い火花を散らしたことで、ランサーはセイバーが持つ物について理解した。
「テメェ……英霊のクセして武器を隠すとは何事かッ!!」
「っ!?」
轟く大喝破と共に振るわれた剛槍はセイバーを軽く跳ね飛ばし、数メートル近くセイバーは後退した。
「英霊ならば武器を隠さずに正々堂々と戦え!ただの人間だって出来たことだ。出来んとは言わせんぞ、剣使い!!」
赫怒の炎を胸中に滾らせ、並外れた殺意を叩き付けてくるランサーの威圧にセイバーは思わず冷や汗を掻く。
油断してはならない強敵。しかし、片腕の無い槍兵相手に負ける気はセイバーには無かった。
「そちらこそ、片腕はどうした?例え武器を見せた所で、そんな様で斬り倒しては正々堂々などと言える筈もない。それとも何か?貴方は手負いの相手を倒して誇れるとでも?」
「あ?あっ、あぁ~と……」
セイバーの正確な指摘に、怒りで燃えていたランサーの頭は一瞬で冷静となり、気まずそうな表情を浮かべて士郎の方を見た。
「いや、確かにお前さんの言う通りだがよ、この片腕はそこのエミヤ・シロウに切り落とされてな。俺としてはその雪辱を晴らすまで腕を元に戻すつもりは無ェんだよ。だから悪いがこれで我慢してくれや」
「「…………」」
戦闘中にも関わらずセイバーと凛から向けられる無言の視線が突き刺さり、士郎はそれが地味に痛いと思った。
「貴方の戦士としての矜持は理解した。しかし、これは聖杯戦争。ルールがある騎士の戦いでは断じて無い」
「その通りだ」
セイバーの言葉に同調しながら、霊体化を解いたアーチャーはその手に黒と白の双剣を持ちながらこの場に姿を現す。
「戦争にルールなんてものは存在しない。如何にクー・フーリンと言えど片腕のみで二体のサーヴァントを同時に相手取ることは出来まい」
「あぁ、そうかもしれねぇな」
アーチャーのその指摘は事実だ。例え大英雄たるクー・フーリンであったとしてもセイバーとアーチャーを同時に戦うのは不可能に近く、ましてや今は万全の状態とは程遠い。
ならばこそ、そんな状態で士郎達の前に姿を現したランサーはただの自殺志願者でしかないのだが、クー・フーリンとてそんなことは分かっている。
故に────
「けどな────一体いつから
カツン、と。その場に小さく、けれど決して聞こえない訳ではない程度の靴音が響き渡る。
「こんばんわ。今日はとても騒がしい夜ね」
続いて聞こえてきたのは少女の声。反射的にランサーを除くその場に居た全員が聞こえてきた声の方を向き、絶句する。
そこに居たのは二人の人物。片方は雪の妖精のように真っ白な印象を抱かせる幼い少女。
そしてもう1人の方────巨人と見紛うほどの巨躯を持った、巌のような男性。
腰に着けた鎧以外には何も身に纏っていないが為に異常なまでに隆起した筋肉が見え、しかしそれすらも気にならなくなる程のバカでかい石斧剣を右手に持っている。
現代においてそんな格好、ましてやそんな武器とも呼べないような物を持つ人物なんて普通に居る筈も無い。
ならばこそ、考えられる答えはただ一つ────
「ねぇ、あなたもそう思わない?
「■■■■■■■■■ー!!」
人の言葉など微塵も無く、巨人の男は獣の如き咆哮を月下へと轟かせる。
今ここに、4騎のサーヴァントが勢揃いした。