ルフィちゃん(♀)逆行冒険譚   作:ろぼと

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4話 北極星と女航海士・Ⅰ (挿絵注意)

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島沖

 

 

 

 どんぶらこ~どんぶらこ~…ではないが、東の海(イーストブルー)のオルガン諸島沖に一艘の小船が漂っている。

 

 斜めに傾いた洗濯竿に掲げられている骸骨のモチーフが描かれた黒Tシャツは、海賊旗“ジョリー・ロジャー”のつもりなのだろうか。

 海賊船の補給艇と呼ぶことすらおこがましいこのボロ船の船長は、『麦わら海賊団』キャプテンの少女モンキー・D・ルフィである。

 

 船員2名のこの極々々小規模一味が、あの世界の庇護者である『海軍本部』の最高戦力“海軍大将”さえも退けるほどの力を秘めた化物海賊団であることを知る者は少ない。

 

 最弱の海に過ぎた実力者である麦わら帽子の少女は今、相棒の剣士ゾロと共に某諸島のとある小さな港町を目指して漂流していた。

 

 航海ではない。漂流である。

 

 ルフィは海賊を自称しておきながら航海術の知識をほとんど身につけていない。

 冗談かと呆れることではあるが、実はこれでも随分とマシな方なのだ。

 

 

 彼女の憧れの海賊である、“夢”のルフィ少年の話をしよう。

 

 この男は少女同様己の身一つで海へと出たのだが、驚くことに帆の張り方すら手探りの船出であった。

 いくら憧れの相手とはいえこれは流石に無謀過ぎる、とルフィ少年への尊敬の念を少しだけ減らした夢見る少女ルフィは彼を反面教師に航海術や基礎医療など様々な技能に手を出したのである。

 

 だが今の彼女の惨状を見る限り、あくまで手を出した“だけ”であったことは誰の目にも明らかであろう。

 母親代わりの酒屋の若き女店主マキノが、書物に向かい勉強をし始めたルフィの姿を見て硬直し、次に外の天気を確認し、続いて無垢な微笑みのまま二度寝をするべく無言でベッドに入り、最後に飛び起きて悲鳴を上げたほどである。

 

 それほど意外なことに手を出した少女に継続力などという高等なものが備わっているはずも無く、お化粧やお肌、お髪の手入れなどの女子力技能と同様に彼女の自分磨きはどれも中途半端で終了した。

 

 …もっとも、女子力に関しては彼女の肌も髪もスタイルも手入れ要らずの理想の女体を見たマキノに「不要」と悔しげに判断されたせいではある。

 ゴムゴムの実の能力と超人的生体操作術“生命帰還”は全ての女性の味方なり。

 

 

 そんなルフィちゃん17歳の本日の  天候によって大きく変動するが  予定はズバリ、二人目の仲間探しである。

 

 彼女は “夢”の中で一人の少女と、この近辺にある小さな港で出会っている。

 

 後に紆余曲折の末、自身の海賊団の航海士になるその少女。あの“夢”同様、是が非でも手に入れたい人物だ。

 

 

 彼女の名は“ナミ”

 

 お金とみかんをこよなく愛する手癖の悪い美少女航海士である。

 

 その悪評とは裏腹に彼女自身は、故郷を虐げる魚人アーロン率いる海賊団から村を救おうと一味の幹部になったり、1億ベリーを集め取引を行おうとしたりと、故郷想いの健気で優しい女の子なのだ。

 

 ルフィは“夢”を見た6歳の頃から、そんなステキなナミお姉さんの大ファンであった。

 

 コルボ山のボス猿だのマウンテンゴリラだの不名誉な異名ばかりが増えているルフィであるが、彼女はこれでもれっきとした女の子である。

 恐竜より子猫、合体ロボより夜会のドレス、辛味より甘味が好きなのだ。

 

 故に当時6歳だった少女にとって、むさ苦しい男所帯に咲く一輪の花、綺麗で可愛い小悪魔なナミお姉さんはまさに憧れの女性であった。

 

 ちなみにロビンは雰囲気的にお母さん扱いである。失礼しちゃうわ…

 

 

 勧誘に成功した最初の仲間ゾロが“夢”の通りのステキな人物だったため、ルフィは二番目の仲間であるナミにも大きな期待を寄せていた。

 何より自分には帆船を操る術が無く、ナミはあの凄まじい強さを誇った『”金獅子”のシキ』が執着するほどの優れた航海士である。

 感情と合理性の双方の面で、ルフィの頭の中には彼女を逃すという選択手は最初から存在しなかった。

 

 故郷を虐めるアーロンが怖いなら、ヤツを一捻りでぶっ飛ばせる実力を彼女に見せて安心させてやる。

 “夢”のルフィ少年の力を完全に近い形で吸収し、更に10年の鍛錬を重ねた今の自分なら、かの”四皇”相手でも互角以上の戦いが出来るだろう。

 覇気も使えないあんな雑魚海賊団なんて1秒もあれば終わりだ。

 

 ルフィはいつも通りの自信に満ち溢れた太陽の如き笑顔で、小船を風の流れに任せながらオルガン諸島のオレンジ港を目指した。

 

 

 

 …目指したのだが  

 

 

「“ルフィ”の記憶が曖昧過ぎて全くわからない…」

 

 麦わら娘は頼りにしていた彼の持つ情報を参照し、早々に放棄した。

 あのバカの頭にはナミとの出会いがある肝心な港の名前すら残っていなかったのである。

 

 今彼女が追おうとしている“夢”の中の出来事におけるルフィ少年の記憶はたったの3つ。

 

   腹が減ったから鳥を捕まえようとした。

   鳥に捕まり落とされたらナミがいた。

   ナミに裏切られバラバラのヘンな赤っ鼻に捕まった。

 

 …少女ルフィが呆れるのも当然である。

 

 この一連の出来事で立ち塞がる敵の名前すら、後に大監獄インペルダウンで再会するまで忘れていたのだから。

 

「バギーは殴って一発だからいいけど、鳥ってどれよ…」

 

 旗揚げ直後のルフィ少年がそこそこ梃子摺った『道化のバギー』を雑魚と切り捨てる化物少女は、問題の鳥類を探すべく燦々と照りつける太陽を背に青空を見上げた。

 

 見えるのは飛び交う白いカモメたち。

 

 陸が近い証なのだが、もちろんそのような知識は少女の頭の中には存在しない。

 あるのは“何か島が近そう”という動物的本能のみである。

 

 それでも正解を当てるのがルフィがルフィたる所以。

 

「…アレかしら?」

 

 いかにもな風貌の一羽を目で捉えた海賊少女は、“夢”のルフィ少年より柔軟な女の身体から繰り出される凄まじい伸縮性で一気に飛び上がる。

 そして獲物を捕らえると身軽な身体でその背に飛び乗った。

 

 コルボ山や“夢”に出てきた凪の帯(カームベルト)の無人島ルスカイナでの経験で動物の扱いに慣れているルフィは、覇気を少しだけ放ち、捕らえたピンク色の巨鳥を睨んで威圧した。

 

「ねぇ、あなたが私を港に連れてってくれる鳥さんかしら?」

 

「クェッ!?」

 

 万物の声を聞くルフィの見聞色の覇気が怪鳥ピンキーの混乱する内心を読み取った。

 

 恐怖と動揺に突き動かされた巨鳥は帰巣本能に従い大慌てで陸地へと飛んで行く。

 

 そして、その背から遠くに見えた一隻の海賊船と掲げられた海賊旗に少女は破顔した。

 

 

 置き去りにした就寝中のゾロのことなど頭から既にすっぽ抜け落ちているルフィは、“夢”のルフィ少年同様に全くの手ぶらで目当ての港町へと舞い降りた。

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島某島オレンジの町

 

 

 

 『オレンジの町』

 

 40年前に海賊の襲撃を受け命辛々逃げ出した難民たちが集い興した港町である。

 

 オルガン諸島西部の入り組んだ小島に囲まれたこの地は海軍第153支部の所属艦船の巡回路から外れるちょっとした秘境だ。

 

 

 当然そのような都合の良い良港を海賊が見逃すはずもない。

 

 海賊に故郷を追われた者たちが立ち上げたはずのこのオレンジの町は現在、不幸にもとある海賊団の根城になっていた。

 

 家という家が略奪され、海賊行為の憂き目に遭った町民たちは皆、二度目の不幸を呪いながら四方八方に散らばっている。

 ある者は隣町へ。またあるものは山林の奥の山小屋に。

 誰の助けもなく、ただ悲劇が去るのを涙を呑みながら待ち続けていた。

 

 

 そんな哀れな港町で建物の影を縫うように走る女が、一人。

 

「ハァ…、ハァ…っく、しつこいわね…っ!」

 

 未だ少女のあどけなさを微かに残した端整な顔の持ち主の手には、数枚の古びた海図。

 海と共に生きる者にとって命の次に大切なものである。

 

 場合によっては一国が軍を動かす最重要機密情報にもなりうるその宝物を手に逃げる女。

 

 その後ろには3人の追っ手が凶悪な表情を浮かべながら走っていた。

 

「待ちやがれ、このアマぁ!」

 

「親分の偉大なる航路(グランドライン)の海図を返せ!」

 

「ふんっ!どうせこれだってアンタたちが誰かから盗んだヤツでしょうが!」

 

 

 必死に悪態を吐く女の名は“ナミ”。

 

 近隣を騒がせる美人の女泥棒として海賊たちの間で警戒されている人物である。

 

 優れた航海術と気象予想術で追っ手を翻弄する海賊専門のこの盗人は現在、このオレンジの町を拠点に活動する『バギー海賊団』なる海賊一味をターゲットに活動していた。

 

 この東の海(イーストブルー)において名の知れた犯罪者であるあの1500万ベリー賞金首の船長さえ避わせば簡単に逃げられると高を括っていたナミであったが、不幸にも逃走経路が塞がれ袋小路に置かれていた。

 

  ッ!どうして!?下調べのときに扉の鍵を壊しておいたのに…っ!」

 

 計画ではこの建物に逃げ込み篭城すると見せかけ、裏口から逃げる手はずだった。

 

 だが偶然にも海賊たちによって扉の裏に荷物が詰まれてしまい、ナミの非力な両腕ではびくともしないほどに閉じられていた。

 

「いたぞ!こっちだ!」

 

「くっ…!」

 

 咄嗟に計画を放棄したナミは近くの窓に飛び込み外に転がり出る。

 

 ガシャァァン!と大きな音と共にガラスが割れ破片が飛び散った。

 

(痕にならなきゃいいけど…)

 

 血だらけになってしまった自慢の乙女の柔肌に僅かに後悔するが、治療している暇などない。

 痛みを堪え無我夢中で路地裏を走る。

 

 体中の鈍痛に慣れた少女は冷静さを取り戻し、自身の記憶から現在地点を正確に割り出した。そして…絶望する。

 

 この先には開けた大通りしかない。

 

(しまっ…!)

 

 オレンジの町中央の大通り『ブードル通り』。

 

 海賊に追われた民を纏め上げた偉大な町長の名を冠したこの通りで、ナミは皮肉にも町民が何よりも嫌った海賊たちに囲まれていた。

 

「随分梃子摺らせてくれたじゃねぇか、泥棒猫ちゃんよぉ…」

 

「これはちょ~っとキツぅいお仕置きが必要だなぁ、おい?」

 

「犯すならお前らだけで勝手にしろ。俺は船長に殺される前に海図を渡してくる」

 

 下卑た表情を浮かべた男たちがジリジリと油断なく、絶体絶命の美しい女泥棒に迫る。

 

 傷だらけの美少女を囲む3人の悪漢。

 物語であれば颯爽と現れる勇者に救われ幸せな恋に落ちる恋愛小説の王道的な導入部にでもなったことだろう。

 

(自分の大切なものは、自分しか守ってくれない…っ!)

 

 だがナミは8年前に既に知ってしまった。

 本当に助けが必要なときであっても、自分を守ってくれる英雄なんて来ないことに。

 

 悪が蔓延るこのご時勢。

 己の大切なものを守ってくれるのは海軍でも世界政府でもない、己自身でしかない。

 

 だが、その己自身でさえも…

 

(ホントにこんなところで…?)

 

 大切なものを取り返すためのお金も後少しだというのに。また何も出来ずに全てを失ってしまうのだろうか。

 

 ナミは歯を食いしばり、最後の切り札である太もものナイフを引き抜く。

 

 本当にちっぽけな希望。

 それでも、砕けそうな心を奮い立たせて彼女は戦う。

 

「へぇ、この“怪力ドミンゴス”とヤり合うってのか?」

 

 だが所詮は女の腕に付け焼刃。

 あっさりと組み伏せられ、その男を誘う豊満な胸が石畳の上で形を変える。

 

 最後の意地、と自由な足を駆使してハイヒールの先を相手に突き当てるも、巨漢の筋肉の鎧に阻まれ失敗。

 

 少女は悔しさに唇を力いっぱい噛みつける。

 土と涙と血が口の中で混じり自分の惨めさを味覚までもが伝えてきた。

 

 憎い、自分から何もかも奪っていく海賊が!

 憎い、自分の身さえも守れない弱い自分が!

 憎い、こんな小娘一人救ってくれないこの非道な世界が!

 

 

  けて…」

 

 ぽつり…、と呟いてしまった言葉はかつての幼い少女が抱いた8年越しの願い。

 

 18になり、多くの現実を知って尚、捨て去ることが出来なかった希望。

 亡くなったあの人と語り合ったあの壮大な夢。

 

 ナミは手に握られた海図を焦がれるように見つめる。

 

 自分の夢を追うための数枚の紙切れ。まだ自分は何も成し遂げていない。

 失ったものを取り戻すことも、憎き敵に復讐することも、自分の大切な夢を追いかける始発点にすら立てていない。

 

 自分には力が無い。

 自分の望みを叶える力が何一つとして。

 弱くて弱くて、生きてる価値なんかどこにも見当たらない、愚かで哀れな小娘だ。

 

 だけど、もし…もしこんな世界でも自分が生きている意味があるのだとしたら。

 

 

 女の心に眠る幼い少女は世界に乞う。

 

 自分を導いてくれる誰かを  手を差し伸べてくれる優しい誰かを。

 

 

「たすけて…」

 

 

 

 

 この世には、義姉と楽しんだ物語のお姫様を救ってくれるステキな勇者はどこにもいない。

 

 いるのは無力な海軍と世界政府、そして時代の名を冠す傍若無人な海の犯罪者たち…海賊だけだ。

 

 故に  

 

 

 

  あなたたちウチの航海士に何してくれてんのよっ!!」 

 

 

 

 世は大海賊時代。

 

 当世において、海賊から美しいお姫様を救うのもまた、同じ海賊なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島某島沖海上

 

 

 

  ッふわぁぁぁ……んぅ?おい、ルフィ?」

 

 小船の上で一人の男が目を覚ます。

 

 

 緑の髪を短く整え、三本の刀を腰に差すその剣士の名はロロノア・ゾロ。

 

 未来の海賊王モンキー・D・ルフィ率いる『麦わら海賊団』に  不本意ながら  所属する戦闘員である。

 

 すやすやと寝息を立てる女船長の無防備な姿に気が散って中々寝付けなかったこの哀れな青年は今、目覚めたらボスがどこかへ消えているという、洋上では中々お目にかかれない謎の現象に直面していた。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「アイツまさか…っ!」

 

 彼の上司、ルフィ船長は悪魔の実の能力者である。

 超人的な力を身に宿す代わりに海に嫌われてしまう彼女ら能力者たちは、海に落ちると溺れ死ぬという致命的な弱点を持つ。

 

 海軍基地施設を真っ二つにするほどのバケモノが無様にもそのような醜態を晒すとは普通は思えないであろう。

 

 だが、ルフィを侮ってはいけない。

 戦い以外はほとんど何も出来ないポンコツ少女が寝ぼけて海に落ち、“助けてゾロぉ~”と涙目で叫びながら沈んで行く光景が青年にはありありと想像出来てしまった。

 

 サァー…っと青ざめた剣士は櫂を必死に漕ぎながら麦わら娘の姿を求めて大海原を探し回る。

 

 だがこの男にも、自分では決して認めない大きな弱点があった。

 

 そう、彼は人知を超えた方向音痴なのである。

 

「クソっ!おい、ルフィィィ!!」

 

 剣士は円を描きながら半径1キロ周囲をぐるぐると漕ぎ回る。

 

 何かの訓練のように見えるそれを10回ほど知らぬうちに繰り返していたゾロは、ふと水平線の近くで複数の小さな影を発見した。

 

「ルフィか!?待ってろすぐ行く!」

 

 大慌てで小船を直進させ、途中何故か逸れる軌道を何度か修正したどり着いた先に居たのは、3人の男たちだった。

 

「誰だよ!?」

 

 剣士の怒りに満ちた声が東の海(イーストブルー)に響き渡った。

 

 

 

「で、その話本当だろうな?」

 

「ひゃ、ひゃい!おっふゃるふぉおりれすっ!」

 

 謎の男三人衆、名を“綱渡りフナンボローズ”という。

 

 彼らはオルガン諸島某島の港町『オレンジの町』を支配する“バギー海賊団”に所属する海賊である。

 

 つい先ほど小型の商船を襲い見事な成果を上げたため帰還しようと船を進めていたところ、とある美少女に騙され船ごとお宝を奪われる大失態を犯してしまい、こうして漂流していたのだ。

 

 何としてでも女泥棒を追わねばならぬ、と通りかかった青年を脅し船を奪おうと目論んだが、その相手がまさかの泣く子も黙る“海賊狩り”。

 ボコボコにされた後に謝罪も兼ねて話を聞けば、何やら彼は人探しの途中だと言う。

 

「あ、赤い服と短パンに麦わら帽子の女なら、確かにあの怪鳥に乗ってオレンジの町へ…」

 

「さ、最初は目を疑いましたが、他に似たような女は見たことがねェです。ハイ…」

 

 トリオの一人が口も利けないほど顔を腫らしているため、残りの2人が交互に当時の状況を話し始めた。

 泥棒美女を追って船を漕いでいた途中でスコールに直撃し、船が転覆。海に投げ出され何とか陸を目指そうとしていたときに頭上をあの噂の怪鳥ピンキーが通過したのである。

 

 そしてその背に何故か乗っていた、謎の麦わら帽子の女らしき人影。

 

 忘れるほうが難しい、極めて印象深い光景であった

 

「ま、まだそれほど時間は経ってねェっすよ旦那!」

 

「行き先はおれたちも同じですぜ!」

 

  ったくあの破天荒女、鳥捕まえて急行するとか普通考えるかよ。アイツの頭の中はどうなってんだ…」

 

 ブツブツ呟く剣士の言葉に怯えた表情で耳を傾ける三人衆だったが、どうやら彼と例の麦わら娘の2人組みは最初からオレンジの町が目的であったらしい。

 この青年剣士の異名を知る三人は顔を青くしながら相手の目的を尋ねた。

 

「あ、あの。アンタはあんな辺鄙な港町に一体何のようで…?」

 

「ん?ああ、アイツが一味に加えたい女がいるってんでやって来たんだ。オレンジ色の髪をした“ナミ”って航海士兼、泥棒らしいんだが。知らねェか?」

 

 その言葉に三人の男たちは素っ頓狂な声を上げる。

 

「オ、オレンジ色の髪の女泥棒ぉ!?」

 

 予想外の目的であった。

 その女泥棒こそ、彼ら“綱渡りフナンボローズ”が辛酸を舐めさせられたあの美少女に相違ない。

 

 何故青年の仲間の麦わら娘はあの女がオレンジの町に行くと知っていたのか。

 そしてこの高名な剣士がその麦わら娘と行動している理由は何か。

 

 疑問は多く残るが、あの女が“海賊狩り”の庇護下に入られたら手出しが出来なくなることに気付いた三人衆は、必死に彼女の悪行を三本刀の男に訴えた。

 

 だがその熱意も虚しく、“海賊狩り”はニヤリと悪そうな笑みを浮かべ件の女に興味を抱く。

 

「へぇ、自然現象すら利用して逃亡するか。さしずめ“天候と海を知り尽くした女”ってか。アイツも中々見る目があるな」

 

「じょ、冗談キツイっすよ“海賊狩り”の旦那ぁ!あんな性悪女、仲間に加えたらいつ裏切るかわかったモンじゃないですぜ!?」

 

「どの道ルフィがソイツを自分の仲間に求めた以上、その“ナミ”ってのはもうどこにも逃げられねェよ。おれを一味に誘うためだけに海軍基地をぶっ壊したあのバケモノ女を裏切るなんざ、成功したら逆に褒めてやりてェくらいだ。ハッハッハ!」

 

 既に我が身を持ってルフィの勧誘のしつこさを知っている青年剣士は、自分に続くまだ見ぬ被害者候補の女盗賊に満面の笑みで黙祷を捧げた。

 その凶悪な笑顔は最早どこからどう見ても生粋の極悪人のものであった。

 

「ククク……ん?おいどうした、手が止まってるぞ?」

 

「こっ、怖ぇぇぇ…!」

 

 

 『バギー海賊団』一味“綱渡りのフナンボローズ”。

 

 商船略奪の大成果から転落する悪夢はまだまだ続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島某島オレンジの町

 

 

 

 石畳が砕け、薄い砂塵が舞う。

 

 その中央で佇んでいるのは、どこからか落下してきた一人の少女。

 

 サンダルにデニムのホットパンツに、上は赤い袖無しのブラウス。

 その肌蹴た前立てを腰で結んでおり、ぴょこぴょこ跳ねている短い黒髪の上には異様な存在感を放つ麦わら帽子が被さっている。

 それらが包むのは、自分の外見に自信を持つ女であっても一瞬息を呑むほどに見事なプロポーションの肢体。

 だがその艶やかなスタイルに反し、娘の顔は無垢な童女のように幼い。

 そして、キッと周囲を睨みつけるその大きな目には、夜天の星々を捕らえたかのように煌く美しい黒瞳が埋め込まれていた。

 

 そんな荒事とは一切無縁そうな女の子が大の男3人を一瞬で無力化し、心配そうな表情で近付いてくるのを、ナミは呆けた顔で見つめていた。

 

「大丈夫、ナミ?酷いことされてない?」

 

「え…ぁ」

 

 信じられなかった。

 

 憎き魚人共に母と慕っていた女性が殺されたときも、海賊の一味に入り愛する村から迫害されたときも、助けにきてくれた海軍が一瞬で海の藻屑と化したときも。

 その何れも彼女は何度も何度も助けを呼び、そして裏切られた。

 

 だが今目の前には、ナミが手も足も出なかった海賊たちを一瞬で倒してくれた、一人の勇者がいた。

 

 その勇者は白銀の鎧を纏った長身の騎士でも、正義を夢見る青臭い少年でもない。

 自分より明らかに年下の、愛嬌溢れる女の子であった。

 

「私の…名前…」

 

「うん!あなたはナミで、私はルフィ!海賊団の船長よっ!」

 

「……え?」

 

 そんな彼女の唐突な自己紹介の中には、一つの不愉快な単語が混じっていた。

 

 大きな胸を堂々と張りながら自慢げに名乗る少女。

 その態度は自分の職業を誇らしく思う気持ちで溢れている。

 

 成した悪事の度胸自慢でも、反社会的思想の持ち主でもない。

 

 この少女はただ純粋に、自分が海賊であることを幸せに思っているのだ。

 

 

 そう思えてしまうほど、彼女の笑顔には一切の邪気が無かった。

 

「私、最近海賊団を結成したんだけど、航海士がいないの。だからナミを一味に誘うためにここまで来たら、丁度あなたが悪い海賊に襲われてたのよ」

 

「私を…誘う?」

 

 ことの経緯を大雑把に説明してくる少女の話からも、自分が犯罪者であることなど微塵も恐れていない気軽な雰囲気が感じ取れる。

 

 だが彼女の能天気な人物像に、少しずつ混乱から立ち直りつつあった才女ナミは騙されない。

 

 

 この少女は初対面の自分が航海士であることを如何なる手段によってか調べている。

 

 おまけにここオレンジの町の『バギー海賊団』を盗みの標的に定め、たどり着いたのもつい最近のことだというのに、この自称海賊団船長は今こうして最高のタイミングで自分に接触して来たのだ。

 

 信じられないほど正確な情報収集能力と、効果的に恩を売る言葉要らずな高い交渉術。

 

 少女の無邪気な立ち振る舞いと、それに隠れた入念な下準備があまりにも歪であった。

 

「と、いうわけだから!ナミ、私の仲間に  

 

「ふざけないで」

 

 

 恩人にかけるものとは思えないほど冷たく非友好的な声色。

 

 だがそれもそのはず。

 過去の不幸で海賊に対して憎悪すら生温いほどの負の感情を抱いている女泥棒にとって、その嫌悪の対象に一味に誘われるなどあまりにも度し難いことなのだから。

 

「…何で私の名前も、航海士であることも、今日この町に来ることも把握してたのかは知らないけどね、例え命を救われても私は海賊になんて死んでもならないから。助けてくれて、どーもありがとうございました。でも残念でした。無駄足ごくろうさま、麦わら帽子のお嬢さん」

 

「むぅ…私はナミが嫌う悪い海賊みたいに村や町も襲わないし、支配して虐げることもしないのにぃ」

 

「ッ!?」

 

 少女の何気ない呟きにナミの心臓がひゅっ…と縮み込む。

 

 まさか、あの忌まわしい魚人共にさえ知られていない故郷のことまで調べ上げられていたとは夢にも思わなかった。

 

(何者なの、この子…っ)

 

 女泥棒はこの自称海賊団船長の持つ情報網に下を巻く。

 そして自分のあまりにも不利な現状に臍を噛んだ。

 

 どこまで知られているのか。

 魚人共と不本意ながら手を組んでいることはどうだろう。

 

 まさかあの貯金のことまで知られているとは思いたくもないが、ここで口を開き余計な情報を与えて少女に秘密を推理されてしまったら目も当てられない。

 

 ナミは急いで己の動揺を沈め、別の話題で煙に巻くことにした。

 

「…ハッ、“悪い海賊じゃない”ですって?何よそれ、まさかモーガニアだのピースメインだのの話をしてるんじゃないでしょうね?」

 

「モロヘイヤとグリーンピース?」

 

 こてんっと小首を傾げる少女の無垢な表情が癇に障り、ナミは苛立ちのまま彼女にまくし立てた。

 

「港を襲う海賊と、ソイツらを襲う海賊ってくだらない区別。一時期流行ったのよ、“我々は善良な市民から奪う悪い海賊のほうを襲うからイイ海賊”だなんて、偽善ですらないふざけた基準を免罪符にしたつもりの海賊行為がね。直接悪事を働く海賊から他人の財産を掠め取って悪名を逃れる姑息で卑怯な連中のクセに、何が“イイ海賊”よ!海賊に良いも悪いもあるワケないでしょうが、弱者から全てを奪う海のクズ共め…っ!」

 

 話題を逸らすだけのつもりが私怨の発散になってしまった。

 

 だがこれでいい。

 

 海賊に対して馬鹿げた幻想を抱いているこの少女なら必ず挑発に乗って来る。

 あとは口論をエスカレートさせれば勝手に向こうが嫌悪感を抱いてくれるだろう。

 

 もちろん暴力沙汰は勘弁して欲しい故、その匙加減には注意を払わなくてはならないが。

 

 そう内心ほくそ笑むナミだったが、意外にも麦わら娘は冷静であった。

 

「ふーん。その美味しそうな分類名は知らないけど、海賊にもイイ人ならいるわよ?」 

 

「……はぁ?」

 

「私、海で巨大魚に食べられそうになったときに海賊に命を救ってもらったもの。私の代わりに腕が食べられちゃったのに“安いもんだ”って言ってくれたわ」

 

 ナミは麦わら娘の身の上話に言葉に詰まる。

 

 その海賊は確かに彼女にとってはヒーローになるだろう。

 

 海賊に家族を殺された自分とは異なり、少女は海賊に命を救われた過去がある。

 それが両者の海賊像を形成する根源的な出会いであり、差異なのだ。

 

 泥棒少女の苦虫を噛み潰したような顔を見た海賊団船長のルフィは、ふと先ほどの彼女の主張に疑問を覚える。

 

 別に論破しようと考えたわけではない。

 ただ純粋に指摘したくなったのだ。

 

「それにナミだって海賊からお宝盗んでる姑息で卑怯な悪者じゃない。そのお宝も元々は他の人のものなのに」

 

「…ッ!私はっ  

 

 ナミは咄嗟に反論しようと己の海賊への憎悪を沸立たせる。

 

 私は他人の大切な人間を殺したりしない。

 弱者を食い物にしない。

 私は、あんな連中とは違う。

 

 だが自称海賊団船長の少女はそれらの主張をひらりと避わし、輝くような笑顔で右手を差し出した。

 

「だから悪者同士仲良くやりましょ。私の仲間になりなさいっ!」

 

 麦わら少女の底抜けの明るさと、そのあまりにも無邪気な犯罪宣言に毒気を抜かれ、ナミの反論する気が霧散する。

 

 それはあまりにも不自然な、一瞬の心理的変化であった。

 

 

 女泥棒はこの麦わら娘の危険性に気が付く。

 

 稀にいるのだ。

 天上天下唯我独尊を地で行く自己中心的な性格でありながら、何故かそれが許され万人に愛される人間が。

 天性のカリスマを持つ、普通とは違う人間が。

 

 ナミは少女の魅了に抵抗すべく、ぐっ…と唇をかみ締める。

 

 感情的になっては相手の思う壺…いや、この人物はそのような高度な交渉術を行使している自覚すらないのだろう。

 

 過程をすっ飛ばし最高の結果だけを得る。

 少女のそんな魔法のような魅力に抗うには、やはり論点を煙に巻くしかない。

 

「……ええ、そうよ。私も悪者。他人の富を奪ってでもお金を集めるの。命に代えても買いたいものがあるのだから」

 

 でも、とナミは付け加える。

 

「だからといって海賊に身を堕とすほど零落れてなんかいないわ。何で私があんな外道の仲間にならないといけないのよ。…アンタも恩人に憧れるのは結構だけど、女の子なんだから海賊ごっこなんか止めて真っ当に生きなさい。その素材なら髪ちゃんと整えてマトモな服着たら引く手数多よ」

 

 麦わら娘のような理不尽なカリスマ性は持ち合わせていないが、ナミとて対人交渉はお手の物。

 さり気なく相手を褒めることで好意的な印象を抱かせこちらの発言に説得力があるように錯覚させる。

 海獣に襲われるなど中々ハードな人生を送っているようだが、このバカっぽい少女なら簡単に靡くだろう。

 

 女泥棒はそう考察する。

 

 そして事実、憧れのナミお姉さんに容姿を褒められた夢見る乙女は目を輝かせながら彼女に詰め寄っていた。

 

「ホント!?ならナミに私のコトお願いしてもいい!?マキノの約束ってどれも面倒で困ってたの!」

 

「だから仲間にならないって言ってんでしょうが!!」

 

 もっとも、靡けど自分の意見はそう簡単には曲げない頑固で強情な性格に変わりは無い。

 

 そのあまりのしつこさにナミは大きな絶望と、何故か微かな希望の感情を覚える。

 

 海賊の仲間入りなど死んでもイヤなのに、この実力者の少女の手を取るべきではないか、と自分の心のどこかから声が聞こえてくるのだ。

 

 線の柔らかい年下の女の子ではあるものの、何か大きなことを成し遂げてくれそうな、不思議な力を持つ人物。

 

 もしかしたら、この子こそが私が待ち続けた  私だけの“勇者”なのではないか、と。

 

 

 だがそんな絆されつつあったナミの心を現実に引き戻したのは、当の麦わら娘本人であった。

 

 

「…何?どうしたのいきなり?」

 

 急に顔を逸らし港町の奥へ視線を送る海賊少女を訝しみ、釣られて同じ方角へ振り向く。

 

 だがナミの目には無人の街並みしか映らない。

 

「……バギーの覇気って、もしかしてアレのこと?小さい…いえ、薄い…?」

 

「ッ、バギー!?嘘、どこ!?」

 

 慌てて少女の後ろに隠れてしまったナミは、その無意識の行動に羞恥を覚える。

 世界に絶望し誰にも頼らないと決めておきながら、こんな年下の女の子の背中を頼るなど情けないにもほどがある。

 

 一方の少女はナミの行動を咎めもせず、まるでそれが当然のように彼女を自分の背で庇っていた。

 その堂々とした佇まいに盗賊美女は認めたくない頼もしさを感じてしまう。

 

 もっとも、その不愉快な安心感も一瞬。

 

「あの大きな建物に集まってた気配が一気に散らばったから、多分痺れを切らして皆でナミを探し始めたのよ。幾つか気配が残ってて、その中の一つにヘンなものがあるから…あれがバギーじゃないかしら」

 

「気配って…何言ってんのよアンタ」

 

 呆れと不安が織り交ざった声色で問いかける。

 

 恐怖と羞恥の狭間で少女の小さな背中の後ろを右往左往していた彼女も、流石に気配などという抽象的な話を始める麦わら娘に自分の身を委ねる危険を冒すわけにはいかない。

 

 だが少女の正気を疑い始めたときに、周囲の建物の影から男たちの声が聞こえてきた。

 明らかにナミを探している者たちのものだ。

 

「嘘…」

 

「しばらくそこで待ってて。もうすぐ仲間が来るから私の代わりに守ってもらいなさい」

 

「えっ、ちょ、待って!“仲間”って誰  っきゃあっ!?」

 

 制止の声を振り切り少女の姿が一瞬で掻き消える。

 直後大気が小さく破裂するような音が響き、目を向けた先には彼女がいた。

 まるで階段を駆け上がるかのように人が空を飛ぶ、ありえない光景と共に。

 

 ナミはあまりの驚きに悲鳴を上げる。

 

 屈強な男たち3人を一瞬で無力化し、地面が砂塵を上げるほどの衝撃で落下しながらも、全くの無傷。

 人の気配の感知などという非科学的な力で周囲の危険を察知し、挙句の果てには空まで飛んだ、常識外れな女の子。

 

 

 立て続けに起きる理解不能な現象に腰を抜かしたナミはぺたんと尻餅を突いたまま、海賊少女が向かった方角を茫然と見つめ続けていた。

 

 

 


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