ルフィちゃん(♀)逆行冒険譚   作:ろぼと

12 / 41
注:拙作の覇王色の覇気には様々な独自設定がございます。どうかご留意を


5話 北極星と女航海士・Ⅱ

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島オレンジの町( )”プードル通り”( )

 

 

 

  さっきの悲鳴はお前か?」

 

「ッひぅ!」

 

 “海賊ルフィ”と名乗った小さな女勇者が飛び去ってから、どれほどの間呆けていたのだろう。

 突然後ろから掛けられた男の嗄れ声に、地面に座り込んでいた女泥棒ナミの両肩が飛び跳ねた。

 

 このオレンジの町を支配する『バギー海賊団』の男たちに先ほど襲われかけていたこともあり、異性への警戒心が極限にまで高まっていた彼女は必死の形相で振り向き身構える。

 

 だがその男の厳つい顔には下卑た獣欲とは程遠い、微かな焦燥が浮かんでいた。

 少なくとも、そこに自分に害をなそうとする意思は見当たらない。

 

 少しだけ冷静さを取り戻したナミは、生まれたその微かな心の余裕を用いて男の風貌を観察する。

 

 無駄な肉が一切無い、見事に鍛えられた身体。

 整った顔つきを瞳孔の開ききった三白眼が台無しにしている、殺し屋のような仏頂面。

 

 長年荒事に従事しており、相手の力量をある程度判断出来るナミは、目の前の男の存在感に小さく唾を呑む。

 前に自分を襲った三人の海賊とは桁外れに強大な力を内包する人物であると、己の鑑識眼が強く訴えてくるのだ。

 

 そしてその腰に差されている武器へと目をやり、ふとナミの脳にとある人物の情報が想起された。

 

「三振りの刀…?まさかアンタ…あの“海賊狩りのゾロ”!?」

 

「何だ、知らない内に随分おれの名も上がってるんだな」

 

 平然と肯定する男の態度にナミの体が硬化する。

 とんだ有名人と遭遇してしまったものだ。

 

 

 実はこの女泥棒、噂に名高い“海賊狩り”をご大層な異名だ、と失笑半分、期待半分の複雑な思いで長らく注目していた。

 

 ある意味イチオシの賞金稼ぎとも言える人物と偶然にも接触することに成功したナミは、他の全てを脇に追いやり、真剣にこの男が己の十年越しの宿願のために使えるか否かを見極めるべく目を細める。

 

「それよりウチの女船長見なかったか?麦わら帽子被ってるバカっぽいヤツなんだが」

 

 だが剣士が発したその言葉にナミは思わず耳を疑った。

 その、海賊団の船長を自称する麦わら帽子を被ったバカっぽい少女に、誰よりも心当たりがあったからだ。

 

 もっとも、泥棒美女が何よりも驚いたのはこの名高い剣士とあの小さな女勇者とのつながりである。

 

 剣士のお望みの麦わら娘が飛んで行った方角を指差しながら、彼女は恐る恐る彼に問いかけた。

 

「…何でアンタほどの男があんな、女の下に付いてるの?」

 

「“あんな女”…ってことはアイツに会ったんだな?ったく、あのバカは…」

 

 どこか安堵したような男の様子が、彼と少女の信頼関係をナミに伝えてくる。

 

 それは彼女にとって信じられないことだった。

 

 男は少女を“ウチの船長”と呼んだ。

 それは2人の上下関係を表す十分過ぎる言葉である。

 

 だが、それでもナミにはこれほどクセの強そうな人物が好き好んで女に頭を下げるとは到底思えなかった。

 

「…ご高名な“海賊狩り”サマが海賊堕ち、しかも女の配下だなんて東の海(イーストブルー)が震撼するわ。旧知の間柄ってワケでも無さそうだし……?」

 

 やはりあの海賊少女はそれほどまでに規格外なのだろうか。

 先ほどの彼女が空中を駆け上がるように飛んでいた姿が瞼の裏にありありと浮かび上がり、泥棒少女は緊張にゴクリと喉を鳴らしながら男の返答を待った。

 

「オレンジ色の髪の女……お前、名は?」

 

「…ナミよ。航海士兼、海賊専門の泥棒をやってるわ」

 

 だが返ってきたのは誰何の声。

 

 不満を抱きながらもナミは剣士に誠意を込めて答えて見せた。

 質問を無視されたことは腹立たしいが、自己紹介程度でこの男の口の滑りが良くなるのなら幾らでも名乗ってやれる。

 

「ああ、お前がアイツが言ってた……なるほどねぇ、ならおれが教えてやる意味もねェな」

 

「…どういうこと?」

 

 男の顔に意地の悪そうな笑みが浮かび、ナミの背中に悪寒が走る。

 

「なぁに、アイツに目ェ付けられちまったんならもう何もかも遅ェってことだよ。先輩からの助言としては  まあ諦めるこったな、ハッハッハ!」

 

 そう言い残し船長の下へと向かう剣士の後姿をしばらく茫然と見つめていたナミだったが、僅かな葛藤の末に2人の実力を暴くべく彼の後を追うことにした。

 

(“海賊狩り”に、ソイツが認めた…空さえ飛べる規格外の少女船長“ルフィ”……)

 

 期待などしてはいけないとわかっている。

 このクソッタレな世界はいつだってそれを裏切って来たのだから。

 

 わかっているのに  優しい女泥棒は己の胸の幸福な高鳴りを、どうしても沈めることが出来ずにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島オレンジの町“バギー一味アジト”( )門前

 

 

 

 ゾクッ…と大気が揺れる。

 

 女泥棒の確保に散らばる海賊たちを覇気で掃討したルフィは、バギーらしき気配が居座る建物の正面広場に佇んでいた。

 ナミの勧誘が想像以上に難航していたため気分転換も兼ねて、この町で暴虐の限りを尽くす例の赤っ鼻を退治しようと急行したのだが、少女は突入直前になって思い留まった。

 

 理由は彼女の前で情けなく転がっている二人の男たち。

 

「ひぃ…っ!おた、お、お、お助けを…!」

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいもう海賊なんか辞めますだからいのち命イノチだけは  

 

 猛獣使いと曲芸師の無様な姿を興味深そうな目で見つめながら、ルフィは己の覇気の“性質”を変化させる。

 

 すると男たちの感情が面白いように逆転した。

 

「ああ……め、女神さま…」

 

「な…なんという……あふぅ~」

 

 茫然とした面持ちで崇拝の眼差しをこちらに送って来る二人。

 先ほどの恐慌状態とは正反対の反応を確認した麦わら娘は、最後に威圧の出力を上げ、一瞬で相手の意識を奪った。

 

「ふぅん、覇王色の威圧にも色々種類があるのね。エースは既に私の覇気に耐えられるくらい強くなってたから、今までは猛獣たちくらいしか実験相手がいなかったけど……これ面白いわね」

 

 地面に平伏し意識を失っている男たちを面白そうに見つめながら、少女が無邪気な笑みを浮かべる。

 ナミの怒りが治まるまでの時間つぶしのついでに、“夢”のルフィ少年のように現実でもこの町を救おうと『バギー海賊団』( )を掃除していたルフィ。

 だが満足げに頷く彼女は、存外に中々実のある成果を得ていた。

 

 

 “覇王色の覇気”。

 

 別名“王の素質”。

 西の海(ウェストブルー)で暴虐の限りを尽くす八宝水軍第十二代棟梁( )をして「持たざる者に覇道無し」と言わしめた、世界に選ばれし真の王者のみが持つ覇気である。

 その持ち主は例外なく覇を成し、海賊に堕ちた者はその悪名を歴史に残す。

 “王”の前に立つ有象無象は相対するだけでその頭を垂れ、意識を手放すことのみが許される。

 

 素質保有者が数百万人に一人と言われる桁外れに希少な力であり、一般的には相手を威圧し意識を奪い、また他の素質保有者を相手取る場合はその者の覇気と激しく競い合う凄まじい現象が起きることで知られている。

 

 だがこの力は担い手が少なく未だにその全貌が明らかになっていない。

 その知られざる特徴として、他の覇気と同様に“王”の意思を体現する形で現れる、というものがある。

 

 配下を引き連れ武を持って覇道を進む“覇者”。

 民草を恐怖で支配し暴虐の限りを尽す“暴君”。

 慈悲深い治世で万人に愛される優しき“名主”。

 

 様々な王道があるように、その“王の素質”たる覇王色の覇気もまた、“王”たちの望む王道に沿った力として発動する。

 

 覇道を成す意思には万人を平伏させる武の威容を、暴虐の意思には恐の鬼気を、慈悲の意思には愛の綽約を。

 

 

 先ほどまでルフィが目の前の惨めな『バギー海賊団』( )幹部たちを相手に行っていたのはこの“覇王色の覇気”の性質変化の実験である。

 

「相手を平伏させたいのか、脅したいのか、優しくしたいのか。その意思に応じて威圧の種類も変わってくるのね。まあ、込める意思の加減を気をつけないと…いつもみたいにこうなっちゃうけど」

 

 麦わら娘の足元に転がる幹部たちは、おそらく最もよく知られる覇王色の覇気の力の効果を受けた者たち。

 威圧に耐え切れず意識を失った、哀れな被害者だ。

 

「ある程度力がある人相手なら加減出来るけど、雑魚にはまだ難しいわね。他に手ごろな敵はいないかしら」

 

 更なる実験相手を求めて少女は“月歩”で町を俯瞰しながら敵の気配を頼りに周囲を捜す。

 

 すると彼女の見聞色の覇気が、仲間候補の女泥棒の側に付いていた三刀流剣士の強い気配がこちらに向かう意思を示したことを感知した。

 

「二人の顔見せはもう終ったみたいね。こっちはまだ親玉のバギーが残ってるのに、実験に時間かけすぎちゃったわ」

 

 これなら最初から二人を連れてくれば良かったなと小さく後悔したルフィであったが、持ち前のポジティブさで前向きに考えることにした。

 

「まあこれから偉大なる航路(グランドライン)に行くワケだし、ここでゾロたちに私以外の悪魔の実の能力者の戦い方を見てもらうのも悪くないわね」

 

 観衆ありの決闘をするのもまた一興と、退屈な戦闘に目標が出来た少女は笑う。

 

 そして眼下の二人の観客を迎えに行くべく空から声をかけた。

 

 

「おーい、ゾロぉ~!」

 

「ん?このバカっぽい女の声は  ってルフィ!!?」

 

 何も無い空中を小さなトランポリンのように片足ずつぴょこぴょこ跳ねて滞空していた麦わら娘は、その声の主の下へと降下する。

 そこには探し人をようやく見つけた安堵が一瞬で吹き飛ぶほど驚いている仲間の剣士ゾロと、中々靡かない頑固な女航海士ナミがいた。

 

「お、おま…空!空飛んで…っ!!」

 

「ん、あら?ゾロにも見せるのは初めてだったかしら」

 

 シェルズタウンのときは“ギア2”の同時使用だったためか、誘発現象の熱風と蒸気に隠れてわかり辛かったのだろうか。

 “月歩”は“剃”と同じく非常に便利な移動術であるため是非ゾロにも身に付けて貰いたい。

 

 おっかなびっくり付いて来たナミも交え、ルフィは10年前に教わった戦闘技術について軽く説明する。

 

 

「海軍の特殊体術“六式”か…まさかお前が海軍本部将校の血縁者だったとはな」

 

「何で海軍本部に家族が所属してるのに海賊に堕ちる道を選んだのよ…」

 

 ナミの呆れた声を無視し、女船長は剣士に一言補足する。

 

「お爺ちゃんの同僚の人に教えてもらったの。凄く速く動けるし、空を飛んだり色んな応用が出来るから今度ちゃんと二人とも教えてあげるわ」

 

「…二言はねェな?」

 

「いや何で私まで参加する形になってんの!?」

 

 既に二人から一味扱いされていることに腹を立てる横の煩いツッコミ女を無視し、ルフィの説明を真剣に聞いていたゾロは念を押すようにそう確認した。

 

 

 ゾロがルフィの仲間になる決意をした最大の理由は、この人外じみた強さを持つ少女から技を盗むためである。

 

 常軌を逸した戦闘力、理解不能なまでに強烈な気迫、そしてその覇道に立ちはだかるであろう無数の強者たち。

 

 あの海軍本部に女船長の祖父が所属しており、彼女が連中の秘儀らしき特殊体術“六式”とやらを体得していたのは流石に予想外だったが、事実青年は彼女と共に歩めば己の停滞気味の修行に何らかの変化を起こせるのではないかと期待していた。

 

 今回ルフィが提案してきた特殊体術の特訓はまさにゾロが望んでいたものである。

 特に“剃”と少女が呼んでいた技は、剣術の極意である『縮地』に比類する実に有用な代物だ。

 

 『縮地』とは互いの呼吸や意識に生まれる小さな乱れを上手に利用し相手との間合いを操作する技であり、その呼吸の規則性に反した動きや気の緩みを突く一瞬の行動から、まるで双方の間にある物理的な距離が縮んだかのような錯覚を起こさせる。

 

 もし、その技に少女の“剃”とやらを応用出来れば、繰り出される一太刀は人間の知覚限界を超えた不可視の攻撃になるだろう。

 

 豪の剣に長けるゾロだが、別にそれ一筋で世界一の大剣豪を名乗りたいわけではない。

 利用出来る技術は何だって吸収するつもりだ。

 

(最初に教わる技が高速移動術に空中立体移動術か…)

 

 何の脈略もなく超人的な体術を平然と教えると抜かす目の前の規格外の少女に、剣士は冷や汗を掻きながら苦笑する。

 信頼の証か、はたまた彼女にとってはその程度の価値しかない基本的な技に過ぎないからか。

 

 いずれにしても、自分のボスの立つ領域が、共に歩めば歩むほど高く見えてしまう事実がゾロの心に焦燥を沸立たせる。

 

 追い着けるだろうか、彼女の歩みに。

 たどり着けるだろうか、彼女の領域に。

 

 立てるだろうか、彼女の隣に  

 

  ルフィ、その“バギー”ってのは強いのか?」

 

「弱いけど狡猾だし、剣士のゾロにとっては相性の悪い相手よ……もしかして戦ってみたい?」

 

 こてんっと小首を傾げる童顔の女船長の姿に、ゾロはまるで己が試されているかように感じた。

 

 剣士のプライドに火が灯る。

 

「……手は出すな」

 

「え?」

 

「一対一だ。その悪魔の実の能力者はおれに寄こせ。世界一の大剣豪を目指す男がこんなところで足踏みしてられっかよ…っ!」

 

 剣士は()える。

 

 女に実力を買われて一味に誘われた身である以上、この最弱の海と呼ばれる東の海(イーストブルー)の最初の敵に臆して引き下がるなど男が廃るというもの。

 

 何より、ゾロは目の前の…この麦わら帽子の女に失望されるのだけは死んでも御免であった。

 

 

 “夢”のルフィ少年であれば豪語するゾロの主張を認めていただろう。

 

 男には命より誇りを選ばねばならないときがある。

 青年がやると決めた以上、それを黙って見届けるのが同じ男としての礼儀だと少年は考えていた。

 

「……ダメよ」

 

 だが少女ルフィは仲間の危うい焦りの感情を確りと感じ取っていた。

 

「なっ、“ダメ”って何だよルフィ!ヤツはおれの獲物だ!男が女の力なんか借りて戦えるかよ!」

 

「バギーって斬ったら斬っただけバラバラになるから、いくらゾロが強くたって刀じゃ勝てないのよ。悪魔の実の能力は相性が悪いと全然敵わない相手もいるってことをゾロに知ってほしいから今回は譲るけど、あなたが傷つくのはイヤだから危ないときは加勢するわ」

 

 少女ルフィは女である。

 彼女は“夢”を見ている最中にも、一味の男たちがその冒険において体現した男の美学とやらの数々をバカらしいと、何度も思っていた。

 

 見栄を張って傷つくくらいなら仲間を頼るべきなのだと、少女は説教してやりたい気持ちを抑えながら彼らの冒険を見続けていたのだ。

 

 だからこそ、無意味に敵の有利な土俵に上がり戦おうとするゾロの危うさを看過出来なかった。

 少女ルフィにとって大事なのは男のプライドなどという目に見えないものより、目に見える仲間の無事な姿そのものなのだから。

 

「今回の相手は別に戦う必要の無い連中よ。喧嘩を売られたワケでもないし、私はナミさえ一味に入ってくれたら後は可哀想な町の人たちを助けるために、ちゃちゃっと雑魚を一掃してすぐ出発するつもりなの」

 

「いやだから入らないって言ってんでしょ!」

 

 “夢”の先入観に振り回されそうになるが、元々ルフィ少年が『バギー海賊団』( )と戦うことになったのは、隣で不服そうな顔をしている女泥棒ナミの脱走のために利用され、濡れ衣を着せられたせいである。

 

 よって現時点のルフィは彼らに対する個人的な敵意はほとんど無い。

 

 これから連中の根城に殴りこみに行くのも、端的に言えばただ“村を救いたい”という自己満足。

 そしてゾロの熱意を汲んで、彼のために強敵との実戦機会を準備するだけだ。

 

 避けて通れない一味の困難というわけでは決して無い。

 

 

 もちろん、虐げられてなお立ち上がろうとするこのオレンジの町の人々の勇気や、店の看板犬の義侠心には惹かれるものがある。

 この目で彼らの勇姿を見れるのなら見ておきたい。

 

 だがそれは“夢”のルフィ少年の出会いであって、自分のものではない。

 

 実際に町長ブードルや番犬シュシュに出会うことが出来れば  例えば、彼らと共闘するなどの  また違った道もあるだろう。

 

 もっとも、今の彼女にとって何より大切なのは仲間の安全だ。

 ゾロが無茶をするくらいなら自分の手で全てを一瞬で終らせ、誰にも見送られることなくこの町を離れるつもりだった。

 

 当然、この頑固な女航海士を船に乗せて。

 

「ゾロは私の大切な仲間なんだから、一味の危機でもないのにこんなトコで無茶しないで。あなたが死んだら私は海賊を辞めるわ」

 

「ッ!」

 

 ルフィの目は真剣であった。

 

 切なげに揺れる瞳に射抜かれ、ゾロの心が形容しがたい感情に支配される。

 異性の、それも強者ということもあり、剣士はルフィとの心理的な距離感を今まで測りかねていた。

 

 だが彼女は既にゾロを己の胸中深くまで抱え込んでいたのだ。

 共に夢を追う仲間として。

 決して欠けてはならない、自身の覇道の要石として。

 

 その夢の大切さを何よりも理解している男は、少女にとって自分がどれほど大きな存在であるか自覚せざるを得なかった。

 

 これでは己の男の意地など子供の我侭のようなものではないか。

 

 

「……チッ、好きにしろ」

 

 何とも情けない照れ隠しを口にし、ゾロが羞恥に顔を逸らす。

 

 このようにどこまでも真っ直ぐな好意を恥ずかしげもなくぶつけてくる人間は大の苦手だ。

 特に目の前の女のような、強いクセに天真爛漫で、子供っぽいクセにふとしたときに女らしい仕草や振る舞いを見せるヤツなど調子が狂ってしかたない。

 

 つまり、ゾロはルフィが苦手なのだ。

 

 

「うんっ!じゃあさっさとこの町で悪さをする連中の親玉をぶっ飛ばしに行きましょうか!ナミも掴まって!」

 

「うおっ!?」

 

「きゃっ!?ちょ、何よこれ!?」

 

 ルフィが両腕を伸ばし縄のように左右の男女の胴に巻き付ける。

 抱き寄せられ、突然腹部に触れた柔らかなふくらみに男の獣欲が鎌首を擡げそうになる。

 

 一方、言い争う男女の海賊たちの関係性を暴かんと必死に存在感を消していたナミは、唐突に自分の腰に巻きついた麦わら娘のゴムの腕に絶叫する。

 しつこい勧誘に辟易しながらも無意識の内にルフィに惹かれていた彼女は、この海賊コンビの庇護下に入ることで密かに二人の実力を見定めようとしていた。

 

 だが、ここに来て自慢の危機察知本能がサイレンのように主張し始める。

 

 もっとも、その警告も虚しく、逃れ得ぬ恐怖の抱擁は女盗賊を決して離さない。

 

「よし、せぇーのぉ!“剃刀”(カミソリ)っ!!」

 

『うわあああっ!?』

 

 

 剣士ゾロと航海士ナミ。齢20弱にして、生まれて初めて空を飛ぶ。

 

 そんな二人の情けない悲鳴が、無人のオレンジの町に何度も反響しながら消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島オレンジの町( )“バギー一味アジト”( )

 

 

 

『お前も一緒に来いよ!船長が作ったこの新たな時代を、おれはお前と一緒に海賊として見て回りたいんだ!!』

 

『ふざけんじゃねェ!おめェの部下なんざ真っ平だバーカ!男に生まれたなら一丁どハデに旗揚げしなきゃ己が廃るってもんだぜ!あばよ!!』

 

 

 暗闇の中、一人の男が下品なあくびを上げる。

 

 目を擦りながら時間を確認した彼は、小さく舌打ちを残し椅子から立ち上がった。

 暇にかまけて随分と長いこと座睡していたが、どうやら事態は全く好転していないらしい。

 

 不愉快な夢から覚めても不愉快な現実が待っているとは、何とも不愉快なものである。

 

「ちっ、おれの部下には無能しかいないのか…?女一人捕まえて地図を奪い返すのにどんだけ時間かければ気が済むんだ、アイツら…!」

 

 戦果を献上するよう命じていたお気に入りの執務机の上には、紙どころか塵一つない綺麗な天板がニスの光沢を忌々しげに放っていた。

 その意味を知る男の眠気が憤怒の感情に押し流され、二度目のあくびが喉内で霧散する。

 

 

 ドンドンドン!

 

「あァ…?ようやく来たか、バカ共が」

 

 忙しないノック音に小さな安堵と、不甲斐ない配下たちへの怒りが込み上げる。

 これほどの怠慢を見せられた以上、最早男に彼らを許すつもりは毛頭無い。

 

 だが飛び込んで来たのは期待していた戦果報告ではなく、配下“軽業フワーズ”( )四人衆の切羽詰った悲鳴だった。

 

「せっ、船長っ!た、大変ですぅぅっ!!」

 

「大変なのはてめェらの命だバカ野郎!おれァ地図を取り返すまで帰ってくんなっつったよなぁ!?」

 

 部下の態度に命令の失敗を確信した男の怒りが爆発する。

 

 だがいつもなら怯えて許しを乞うはずの彼らの顔に、自分に対する恐怖は無い。

 その顔はまるでより恐ろしいバケモノに追いかけられているかのような、切実な感情で塗りつぶされていた。

 

「お、女です!女が一瞬で仲間を…っ!!」

 

「あァ?てめェまさかあの女泥棒がおれの追っ手を全員倒して逃げたって言いてェのか?んなコトあるワケねェだろバカ!」

 

「違いますっ!別の麦わら帽子の女がモージさんとカバジさんを睨んだだけで一瞬で倒しちまったんです!!」

 

 その報告にぽかんと顎を垂らした男は、コンプレックスの赤い丸鼻を鳴らし一笑する。

 

「モージとカバジのコンビがやられただと?寝言は寝て言えバカ共が!睨んだだけで倒れたとか、そんなくだらねェ言い訳初めて聞い  

 

 だがその直後、男の頭にある知識が想起された。

 

 

  まて、“睨んだだけで倒した”だと…?」

 

 

 それは昔、先ほど男が見た昔の夢の時代の話。

 

 かつてこの世で最も偉大な船長の下で旅をした、恐ろしくも華々しかった人生の一章。

 

 誰も見たことがない未知を求め、名だたる真の強者たちと鎬を削った地獄のような世界で目にした力。

 口に出すのも恐ろしい化物中の化物たちが持っていた、この世の覇者たちが生まれ持つ力。

 

 時代の頂点に君臨する“王”たちの戦場で体験した、人知を超えた力だ。

 

 

「……ありえん」

 

 男は自分に言い聞かせるようにその推測を否定する。

 

「ありえん。そう、そうだ。ありえるはずが無ェ…!」

 

 だが、口に出せば出すほど不安は増し、男の神経は研ぎ澄まされていく。

 血が凍えるほど冷たく、重くどろりと身体中を流れ回り、些細な物音さえも耳に届く。

 

 男はこの感覚を知っている。

 

 あの、かつて潜り抜けた地獄の海で生き残ろうと必死に逃げ回っていたときに感じた不可視の恐怖。

 “海賊たちの墓場”とまで言われる偉大なる航路(グランドライン)の、その最後にして最悪の海『新世界』で感じたものと同じ、生死の境にいるかのような張り詰めた空気…

 

「ハァッ……ハァッ……!」

 

 男の心臓が途轍もない速さで鼓動する。

 不規則な呼吸音が更なる焦燥を駆り立てる。

 それらの音が研ぎ澄まされた感覚に拾われ、彼の理性を削っていく。

 

「どけ!」

 

『せ、船長!?』

 

 心理的不安から逃れようと、男は部下たちを突き飛ばしながら窓へと急行する。

 確か幹部コンビのモージとカバジにはこの拠点の入り口で下っ端たちの指揮を取らせていたはずだ。

 

 男は階下で無事に任務を遂行している二人の姿を窓から確認しようとして  

 

 

「バ…バカな……」

 

 そこで目にした光景に、男の危険信号が悲鳴を上げる。

 

 口から泡を吹き、目を回している配下数十名の男たち。

 外傷は一切なく、まるで無人の玉座に平伏しているかのように跪きながら意識を失っている彼らの中に、男は己の最も信頼する幹部の二人の姿を見てしまう。

 

 その光景が、彼の脳裏に焼きついたある大海戦の地獄絵図と酷く合致したのである。

 

「……出航しろ」

 

  は?』

 

「船を出せっつったんだ!ありゃ間違いねェ、“覇気”ってヤツだ!“新世界”で名を上げるようなバケモノが近くにいるぞ!!」

 

『し、“新世界”っ!!?』

 

 恐怖に震える男の瞼の裏には、当時己が雑用として返り血で滑らぬよう甲板に砂を撒いていたときに目の当たりにした、凄惨な戦場風景が浮かんでいた。

 

 

 旧時代最大の海戦『エッド・ウォーの海戦』( )

 

 文字通り海そのものを割るほどの凄まじい攻撃が飛び交う環境。

 巨大な海賊船が宙へと持ち上げられ、頭上から降ってくる、強大な悪魔の実の能力者たちが使う多種多様の常軌を逸した力の数々。

 

 そして  偉大なる船長の一睨みで、甲板に溢れかえる無数の敵の益荒男たちが一瞬で地面に額をつける、“王の素質”を持つ者が行う強者の裁定…

 

 

「何度も…何度も見た…!船長の大きな背中の後ろから見て来たんだ…っ!」

 

 信じられないという気持ちと、それを押し潰すほどの恐怖。

 

 この東の海(イーストブルー)では決して見ることは無い力だと、高を括っている自分をぶん殴ってでも目を覚まさねばならない。

 男は今まで培ってきた弱者の生き残り方を言葉として捲くし立てた。

 

「この海じゃてめェの直感を疑ったヤツから命を落とす…っ!ヤバいと感じたら恥なんかドブにでも捨ててさっさと逃げるが吉ってモンだ!!どっから湧いて出てきたバケモンかは知らねェが、元々この東の海(イーストブルー)はハデに強ェヤツらが全員偉大なる航路(グランドライン)に行っちまうから“最弱の海”だなんて言われてんだ!嵐に正面から挑もうなんざ、死にたがりのバカがやることだぜ!!」

 

 ただの杞憂で済めばそれでいい。

 怯える自分を笑う部下や敵がいたら殺せばいいだけのことだ。

 

 

   だが杞憂でなかったら……?

 

「お前ら!そのバケモノの特徴は!?麦わら帽子の女ってこと以外はどんなヤツだ!?」

 

「ッひっ!は、はい!あ、赤い服と短パンの凄ェボインな薄着の女です!」

 

「か、髪は短い黒でした!」

 

「わかった、残ってる一味の連中全員に伝えて船まで逃げろって命令しろ!おれァ話が通じそうなヤツかどうか見て、見逃してもらえねェか頼んでみる…っ!!」

 

「せ、船長…っ!」

 

 一味の危機故か、日頃の冷徹な一面が静まった彼らのボスの仲間思いな振る舞いに部下“軽業フワーズ”は感動する。

 

 船長の期待に今度こそ応えようと一目散に仲間の下に走る彼らの後姿を見つめる男、『バギー海賊団』( )船長にして1500万ベリーの賞金首『“道化”のバギー』( )は、そのフェイスペイントに隠れた口角をニヤリと大きく持ち上げていた。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。