ルフィちゃん(♀)逆行冒険譚   作:ろぼと

14 / 41
ナミ編が終らないんだけどおおおお

次!次こそ終るから!


7話 北極星と女航海士・Ⅳ

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島オレンジの町港湾( )

 

 

 

「モージさんカバジさんを回収して来たぞ!他の連中もだ」

 

「急いで医務室へ連れてけ!って、おいそこ!物資なんか積んでる時間ねェんだ!さっさと全員乗って出航するぞ!!」

 

 

 港に泊まる一隻の海賊船『ビッグトップ号』。

 

 この地“オレンジの町”を支配する『バギー海賊団』( )の旗船では何十人もの男たちが慌しく出港準備を進めていた。

 

 彼らの船長『“道化”のバギー』より最大緊急出航命令が出されてから早十分。

 目を瞠る速さで帆が張られるその光景は、百戦錬磨の海賊に相応しい見事な技術が生み出す、一流の船乗りたちの芸術だ。

 

 特に今回の命令は“最大”緊急出航である。

 後先考えずにとにかく港を離れることを目的としたこの出航命令は、何かと小心者なバギー船長が率いる『バギー海賊団』( )ならではのもの。

 海軍ならびに世界政府に危険視され過ぎぬよう密かに、安全に、確実にお宝を手に入れるべく無名の町村や商会の船を狙うバギーに取って、逃げ足の速さを高める技術は何においても尊重されるのだ。

 

 

「……どういうこと?なんでアイツらこの町を離れようとしてるのよ…」

 

「船長命令だって。バギーが何かを怖がってて、ひとまず港を離れて遣り過ごすつもりみたい」

 

 そんな『バギー海賊団』の姿を物陰から見つめる二人の少女がいた。

 敵の船長を追って港まで探しに来た『麦わら海賊団』( )の船長ルフィと、航海士(予定)のナミである。

 

 盗賊として相応の情報収集能力を持つナミであっても、流石に無人の港町で集められる目撃証言などあるはずもない。

 建物の床に溜まった土埃などから足跡を手早く確認する程度の捜索は行ったものの、これといった成果も無く、気付けば海賊たちが屯する沿岸部までたどり着いてしまっていた。

 

 そこに突然後ろから現れ合流してきた女船長ルフィと共に海賊船を遠目から観察し始め、二人は今に至る。

 

「“何かを怖がる”ってなによ。まさかアンタの仲間のあの“海賊狩り”?」

 

「うーん…覇気ではゾロの名前は全然聞こえないのよね。あの海賊たちも船長命令に何も考えずに従ってるだけみたいだし、やっぱりバギーを見つけなきゃ  って、あら?」

 

 何かに気が付いたのか、遠く海賊船の方を見つめ始めた麦わら娘。

 気になったナミは彼女に何事かと問いかける。

 

 するとルフィが船の甲板で頻りに周囲を見張っている四人組を指差した。

 

「あの人たち、私のコト捜してるみたい」

 

「“私”って、アンタのこと…?地図盗んだ私じゃなくて…?」

 

「ナミのコトも捜してるみたいだけど、なんかバギーが私に怯えて逃げるよう指示したんだって。アジトの前にいた連中全員倒したのが警戒されちゃったみたいね」

 

 当然のように二百メートル以上も離れた相手の詳細な思考を読み取る化物少女。

 その澄ました横顔にナミの背中を冷や汗が伝う。

 

 相変わらず、この麦わら娘が用いる“見聞色の覇気”とやらは恐ろしい力である。

 半信半疑であったナミも、ここまで自信満々に語られては最早信じる他無い。

 

「…それで?アンタの化物っぷりに怯えて出航しようとしてるのはわかったけど、肝心のバギーはどこにいるかわかりそう?その妙な気配ってのはまだ近くにあるの?」

 

 そんな圧倒的な強者である彼女でさえも捉えきれない『“道化”のバギー』( )の優れた隠密能力もまた、無力な女泥棒を戦慄させる。

 流石は1500万ベリーの賞金首と言ったところか。

 

「そうそう。それがココに来る途中で、突然またぼんやりとした感じに逆戻りしちゃったのよ」

 

「…え?何ソレ、ダメじゃない…!」

 

「大丈夫。バギーの気配がはっきりしてる場所はちゃんとわかってるもん。ココにはナミを連れ戻しに来ただけよ」

 

 聞けばルフィは港に来るまでに例の道化師の覇気とやらを少しだけ調べていたらしい。

 

 調査によると、どうやらバギーの覇気は広い範囲を覆ってる薄いドームのような状態で展開されているようだ。

 そのドームの中から出ると気配が霧散し、この麦わら娘の力を以ってしても微かにしかわからなくなるほど感知し辛くなるらしい。

 それが現在の状況だと少女は言う。

 

 また逆にドームの中に入ると発生源を特定出来ないほどそこら中から道化師の気配を感じるのだとか。

 例えるなら、巨人の体内でその巨人の気配を探ろうとしているような状態らしい。

 

 確かにそれではあまりにも不毛である。

 

「見聞色の覇気って相手の意思を心の声として読み取る力だから、攻撃されるときは『これから右手で相手の顔正面を真っ直ぐ殴る!』みたいな感じに事前に向こうから教えてくれるようになるんだけど、人捜しに使うときは相手の心の声が聞こえてくる方角や距離を頼りに捜すのよ。だから巨大なドームみたいなのも全身から心の声を発してるバギーだと、この辺りにいるなぁって感じる以上のことは全くわかんないのよね」

 

 悔しそうに、それでいてどこか楽しそうに語るルフィ。

 その少女の姿を見たナミの喉が微かに鳴いた。

 

(この子…ホントよく笑うわね…)

 

 決して明るい状況では無いにもかかわらず、どこまでもポジティブに物事を捉え、常に笑顔で前に進む女の子。

 

 常に気を張り詰めさせながら金を盗み、集め、そして魚人共の海図作成に協力している女航海士にとって、この無邪気な少女の近くはまるで温かいひだまりのように心地よいものであった。

 

 海賊たちから隠れるための、互いの肩が触れ合うほどの近しい距離。

 僅かな隙間を通り、小さな女勇者のぽかぽかとした体温がナミの冷えた体を温める。

 

 その温もりに先ほどの自分の行動を思い出し、彼女は無言で自分の胸元に目を下す。

 

 残り温、とでも言うのだろうか。

 同じ女のよしみであの青年剣士のイヤらしい視線から保護しようと、つい少女を抱きしめてしまった。

 そのときの柔らかく、温かい感触が彼女の脳裏に想起される。

 

(最後に誰かを抱きしめたのって、いつ以来だろう…)

 

 忌々しい魚人共に悟られることを恐れる余り、ナミが故郷の義姉の下を訪れることはめったに無い。

 この世で唯一心を許せる大切な人物だが、だからこそ余計な心配をかけさせないためにも、彼女に己の弱みを見せることは躊躇われた。

 

 亡き義母の死に無力であった自分を捨て、一人で頑張ることを決めたのだから。

 

(でも…)

 

 ナミはちらりと隣の少女へ目を向ける。

 

 強大な力を有し、この東の海(イーストブルー)有数の賞金首が尻尾を巻いて逃げ出すほどの圧倒的強者。

 仲間思いで無条件に信頼してくれる、底抜けに無防備な女船長。

 

(楽しい…んでしょうね、コイツの一味は…)

 

 異性の目にてんで鈍感な天然少女と、硬派を気取っているむっつり方向音痴な青年剣士。

 

 航海士もいないまま海に出るほどせっかちで無計画な凸凹コンビ。

 そのクセ謎の用意周到さで敵の戦闘力から勧誘する仲間候補の行動予定まで完璧に把握する、恐るべき情報収集能力を持った抜け目無い実力者同士の二人。

 

 強く、優しく、明るい船長に、守られ、愛され、励まされる。

 面倒事も多いだろうが、それを超えて余りあるほどの、掛け替えのない形無き宝物を手にした幸せな大冒険。

 

 彼女と共に進む海は、そんな大変で  美しい世界なのだろう。

 

 

 ナミは生粋の海賊嫌いである。

 

 弱者を虐げ、金も名誉も大切な者の命までも奪って行く彼ら海の悪党に誘われその手を取ることは決してありえない。

 

 ありえないのに  

 

 

  えっ、嘘っ!?」

 

 突然、隣で共に潜んでいた意中の少女船長が大声を発した。

 完全に油断しきっていたナミは心臓が喉から飛び出そうになるほど仰天し、思わず小さな悲鳴を上げてしまう。

 

「ッぴぃっ!!なっ、何よいきなり…っ!脅かさないでよっ…!」

 

「すっ…す、凄いわナミ!あの、“あの”ゾロがバギーを見つけたみたい…っ!!」

 

 再三無意識のうちに彼女に絆されかけていたことに羞恥と焦燥から頭を掻き毟ろうとしていたナミだったが、麦わら娘のその言葉に一瞬ぽかんと頭が空っぽになる。

 そして一拍置き、ようやく少女の言葉を飲み込んだ女航海士は驚きに目を見開いた。

 

「凄いじゃない!遂に見つけたのね!?場所はどこらへん!?」

 

 この気持ちの昂りに身を任せ、先ほどこの海賊共に靡きかけた己の弱い心を上書きしよう。

 

 何とも頑固な女航海士は、揺らぎに揺らぐ自分の精神を今一度引き締めようと、憎い海賊の話題に飛び付いた。

 

「ゾロがいつものアレで迷った先の山麓に隠し港があったんだって!姑息なバギーが味方を囮にコソコソと小さな漁船で逃げようとしてたトコを押さえたみたいよ!」

 

「“囮”って……じゃあアンタから逃げるためにあそこで船出そうとしてる仲間を見捨てたっていうの…っ!?」

 

 船長『“道化”のバギー』の海賊らしい非道な手段にナミは連中への憎悪を再燃させる。

 

 大丈夫。自分の価値観はぶれていない。自分は海賊の仲間には決してならない。

 ナミは胸を締め付ける不可解な痛みを無視し、己の憎しみを煽り続けた。

 

 だが彼女の複雑な心中を覇気で察したルフィは、その怒りを宥めようと女航海士に色々と斜め上な方向のアドバイスを送った。

 

「まあバギーは面白いから好きだけど、クズでもあるから嫌いだわ。腹が立ったら一発殴ってすっきりしたほうがいいわよ」

 

「“殴る”ってアンタ…」

 

「ナミは海賊が嫌いみたいだけど、ホントは海賊じゃなくて大切な人を殺すクズが嫌いなんでしょ?私も山賊のクズに泳げないのに海に突き落とされて死にそうになったから、クズは嫌いよ。でも山賊にはマキノと一緒に私の面倒を見てくれたダダンみたいなイイ人もいるもの。偏見ばかりだと折角の夢を諦めるハメになっちゃうかもしれないわ」

 

 少女のその言葉が憎悪の炎を鎮める水のようにナミの心に降り落ちる。

 

「夢…って」

 

「そうよ。ナミの夢」

 

 言葉を失い胸中に救う負の感情が揺らいだのを読み取ったルフィは、満面の笑みで女航海士のスカートのポケットから覗く数枚の紙を指差した。

 

「行きたいんでしょ?偉大なる航路(グランドライン)

 

  ッ!!」

 

 ドクン…とナミの心臓が大きく脈動する。

 

 自分を見下ろすその大きな夜空の瞳が、眩くキラキラと輝いていた。

 まるで「あなたをそこへ連れてってあげる」と言っているかのように。

 

「……っ」

 

 航海士は口を噤む。

 項垂れ、土で汚れた石畳を見下ろしながら、少女はぽつりと願った。

 願ってしまった。

 

 行きたい、あの海へ。

 そこで叶えたい、誰にも話したことの無い大切な夢があるのだから。

 

 航海士はゆっくりと顔を上げる。

 目に映るのは、初対面の自分を信頼し只ならぬ情熱を持って一味へと誘ってくれている、一人の小柄な女の子。

 恐るべき力を持ち、自分に夢を追いかける貴重な機会を与えてくれる、自分だけの小さな可愛らしい勇者さま。

 

 差し伸ばされた少女の綺麗な右手は、自分を助けてくれるたった一人のヒロインの、この世が齎した救済の証なのだろう。

 たった一度の、世界の慈悲なのだろう。

 

 

 だが、少女にはその手を取ることが出来ない。

 

「……さてね。もし行くなら自分一人で行くわ。ましてや海賊の一味だなんて、死んでもゴメンよ」

 

 積もりに積もった八年の憎悪は、一時の気の迷いで忘れてしまうほど軽いものでは無いのだから。

 

「ぶぅ~~~っ!!ほんっとナミって強情よねっ!考えてることと言ってること真逆なクセにぃっ!!」

 

「ちょっ!?ま、まさかアンタ私の心読んでるの!?今までずっと!!?プライバシーの侵害よ!信じらんない、この覗き魔っ!!全部忘れなさいっ!!!」

 

「でもそんなに“仲間になりたいっ!”って顔してたら覇気なんか使わなくてもバレバレよ?ナミって結構子供っぽいトコあるのね」

 

 咄嗟にそっぽを向いたナミは、コロコロと笑う麦わら娘を真っ赤な顔のまま横目で睨みつけた。

 

 もちろんそのような締まらない表情でこの海賊少女ほどの強者を怯ませることなど不可能である。

 ナミの渾身の憤怒を軽く流し、ルフィは遠方から聞こえてくる一味の仲間の心の声に傾聴した。

 

「そんなことよりさっさとゾロに加勢してバギーをぶっ飛ばしましょっ!おいで、ナミ!」

 

「くぅ……っ!……はぁ、そうね。こんなバカとくだらない言い争いして不愉快な気分にさせられるくらいなら、いっそあの赤っ鼻をぶん殴って当たり散らしてやるわ…!」

 

 麦わら娘が聞く耳持たぬと悟ったナミは溜息と共に気持ちを切り替える。

 どの道彼女たち『麦わら海賊団』に救いを求めようが否か、二人について行くことが最も安全なのだ。

 

 毒を喰らわば皿まで喰らえ。

 共に行動するこの頼もしくも手間のかかる同盟相手と多少親しくなっておくのも悪くは無かろう。

 

 短い期間とはいえ、彼らと共にこの海を旅すると決めた女航海士の心に、初めて感じる不思議な高揚感が沸き起こる。

 その感情に流されるままに、ナミは隣の女船長に向かって茶目っ気溢れる笑顔を見せた。

 

「ふふっ、アンタたち強いんでしょ?私がすっきり出来るようにあの赤っ鼻のクズ、殴りやすくしてくれるかしら?私の小さな勇者さんっ」

 

 自慢の小悪魔スマイルで目の前の小柄な女の子にエスコートを催促する女泥棒ナミ。

 

 そんな彼女の気持ちの”近さ”を悟ったルフィが満面の笑みでそれに応える。

 

「しししっ!海賊が勇者だなんて、ナミも中々悪者が様になってるじゃない」

 

「全く、ホント何でこの世にはマトモなヒーローヒロインがいないのかしらね。助けてくれる人が現れるなら絵本のイケメン騎士さまか、ベルメールさんみたいなカッコいい女の人だと思ってたのに…」

 

 ナミがワザと白けた風を装いルフィを挑発する。

 

 既にゾロの下へ覇気を集中させていた女船長は、相手の表面的な言葉しか捉えきれない元のバカに戻っている。

 単純な少女はぷりぷり怒りながら女航海士に食って掛かった。

 

「むっ!悪かったわね、子供っぽい私でっ!……あ!でも騎士じゃないけど、ゾロも十分カッコいいステキな剣士よ!今からバギーをボコボコにしてくれるから、早めに行ってゾロの戦いを観戦し  

 

 

 だがその直後  

 

 

  ゾロ…?」

 

 か細く、未だかつて聞いた事の無い少女の声色がナミの耳に届いた。

 

 女航海士は驚きと共に彼女の顔を除きこむ。

 そこにあったのは、”オレンジの町”の裏山へ向けられたまま固まっている、煌びやかな星明りが翳った麦わら娘の大きな夜空の瞳であった。

 

「嘘…イヤ…!イヤっ!ゾロっ!!」

 

「なっ!?ちょ、一体何が  

 

 いつもの笑顔が消え去り、焦燥に駆られ血相を変えた少女船長の必死な顔。

 その信じ難い衝撃的な光景に、ナミは立ち竦んだまま、絶対強者の麦わら娘が稲妻のような軌跡を残しながら飛んでいった山を超えた先の方角を、ただ茫然と眺めることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島オレンジの町“秘港”( )

 

 

 

  ロっ…!ゾロ…っ!!しっかり…今手当てするから…っ!」

 

 漆黒の暗闇の中で、鈴の音のような少女の声が木霊する。

 その音色に導かれるように、ゾロは重い瞼を微かに開き暗闇へ光を誘い込んだ。

 

 霞む視界の中、少しずつ露になったのは小柄な少女の華奢な輪郭。

 その持ち主の目には、今にも溢れそうな大粒の涙が黄昏の斜陽に照らされキラキラと輝いていた。

 

「ル…フィ…っ!?」

 

  ッ、ゾロっ!?よかった、気付いたのね…っ!」

 

 切なげな喜色を顔に浮かべて男の目覚めを喜ぶのは、剣士を見出し仲間に誘った童顔の女船長ルフィ。

 

 少女の感極まった珍しい笑顔に、思考が空白化していたゾロの胸が大きく跳ねる。

 だがその直後、腹部に襲い掛かってきた強烈な痛みが敗北者に己の状況を突き付けた。

 

 驚愕。屈辱。憤怒。

 

 戦いに負け無様に意識を失っている情けない姿を、最も見られたくなかった女に見られてしまった。

 その揺ぎ無い事実が剣士の心を掻き乱し、絶望的なまでの恥辱が腹の大穴の激痛をも忘れさせる。

 

「う…るせェ、バカ!こんな傷、大したことねェよ…!」

 

 つい口から漏らしてしまった意固地な言葉が、自分の惨めさを余計に晒し出す。

 

 偉大なる航路(グランドライン)の果てにある剣豪たちの聖地『ワノ国』に暮らす”サムライ”たちは、生き恥に耐えかねるときに己の腹を掻っ捌くという。

 剣豪ゾロは今まさに、彼らの思想の源を理解した気がした。

 

「なっ、何よっ!バカはそっちじゃない…!バギーのほうが有利だから油断しないでって言ったのに…っ!このバカっ!油断大敵っ!あとむっつりっ!」

 

「おい最後の何だコラ!!  ぐ…っ!?」

 

 咄嗟にいつもの反論を返そうと血気を昂らせた瞬間、ゾロの視界がぐらりと大きく揺れた。

 

「ッ、ゾロっ!?」

 

 慌てて肩を抱き寄せ崩れ落ちる剣士の体を受け止めた女船長が、心配そうに青年の顔を覗き込む。

 ふらつく体を支えられた剣士の目に、少女の胸元の零れ落ちんばかりに大きな双丘が一気に近付いた。

 

 動揺に身を任せ瞬時に頭を逸らした青年は、これ以上の醜態を晒さぬために女船長の腕から逃れようと必死にもがく。

 だが全身に広がる不自然な脱力感が彼の行動を許さない。

 

 身体の動きの全てが異常に鈍化しているのだ。

 

「くそっ…あの赤っ鼻め、ナイフに何か仕込みやがったな…っ!」

 

「まさか毒…!?ま、待って!まずは止血しないと…!」

 

 たて続けに明らかになる仲間の危機にルフィの顔から血の気が完全に消え去る。

 それでも必死に応急処置を試みようと、女船長は慣れぬ手つきで剣士の腹部に布を宛がった。

 

 仲間の身を案じる上司の行動は万人に彼女の強い愛情を感じさせる。

 だが目に涙を浮かべ酷く動揺している少女のその無様な姿に、ゾロは不愉快で度し難い感情を覚えていた。

 

 何年も前に道場を去ってから、誰かと共に戦ったことも、誰かに傷を心配されたことも、青年には一度たりとも無い。

 自分の歩む道は孤独な剣士の長く遠い覇道である。

 傷ついた身体を委ねる止まり木も、癒しを受ける抱擁も求めず、男は己が身一つで成し遂げねばならない茨の道だと覚悟を決めて旅に出た。

 

 だが今の剣士には、情けなく目尻に涙を溜めるほど彼を想ってくれる一人の少女がいた。

 最近彼の上司となった『麦わら海賊団』の船長であり、孤独な覇道では決して得られなかったであろう、大切な仲間となった人物だ。

 

 彼女の圧倒的な実力と、どこか放っておけない無垢なあどけなさに惹かれたゾロ。

 そんな、遥か格上である麦わら娘の強者に相応しからぬ狼狽が、少女の強さに魅了された剣士の心に失望の怒りを宿させていた。

 

 だがその失望の裏では、傷ついた自分の身を案じ取り乱す彼女の姿に、男の胸中を満たし尽くすほどの形容しがたい高揚感が沸き上がってくるのだ。

 

 複雑で、認めたくない相反する二つの感情が男の心をかき乱す。

 

 その度し難い思いを捨て去ろうと、剣士は己の苛立ちに身を任せ  手中にあった愛刀『和道一文字』( )を腹の傷に目掛けて一思いに振り下ろした。

 

  くッッ!!」

 

「きゃっ!なっ、何してんのよゾロっ!!?」

 

 鮮血が噴出し、青年の右足を滝のように流れ落ちる。

 

 仲間の凶行を泣きそうな抵牾顔で非難する麦わら娘。

 だがゾロは揺れる心を腹部の苦痛で以って押さえ込み、少女の感情の噴出に真っ向から向かい合う。

 そして涙に濡れる彼女の二つの大きな黒曜珠を、鋼の理性で睨みつけた。

 

「ハァ…ハァ…てめェ、おれを舐めてんのか…っ!?この程度…血ごと抜いちまえば毒も回らねェよ…!」

 

 もちろん、そのようなことはありえない。

 一度回った毒を血と共に抜くなど、体中の血液を入れ替えて尚不可能である。

 

 だがバカで素人な己の船長への配慮としては十分だ。

 

「…少し寝る。起きたらてめェの“月歩”とやらであのクソ赤っ鼻のところまで連れてけ…!今度こそあの野郎を叩っ斬ってやる…っ!!」

 

  イヤっ!イヤよっ!!バギーなら私が瞬殺してくるからゾロは体を大事にしてっ!!」

 

 悲鳴の混じった少女の凄愴な願いがゾロの理性を突き崩そうとする。

 それでも、青年は己の剣士の誇りに懸けて、必死に雪辱の機会を渇望した。

 

「ルフィ…!お前が一味に誘った男は  他ならぬてめェが見出した未来の大剣豪は、こんなくだらねェところで負けちまうようなヤツなのか…っ!?」

 

「…ッ!」

 

 未来の大剣豪の鋭い眼光が、麦わら帽子の小柄な女の子の心を射抜く。

 それは瀕死の重傷を負った者のものとは思えぬ、夢を追い覇道を進む男の力強い瞳だった。

 

 その双眸を見た少女ルフィはこのとき、初めて“夢”の彼の  『“海賊狩り”ロロノア・ゾロ』( )の目で見つめられた気がした。

 

 瞬間、彼の真っ直ぐな眼にルフィの心が激しく揺さぶられた。

 

 覇気で読み取る心の声や意思ではない。

 青年の魂そのものが叫ぶ声が、示す意思が、自分の魂を通して聞こえた気がしたのだ。

 

   お前の、海賊王の背を守る未来の大剣豪を信じてくれ  と。

 

 

「違う……違うもん!私のゾロは誰にも負けないし、毒なんかで倒れたりしないもんっ!!」

 

 ルフィは頬を膨らませながら、自分の大切な最初の仲間の偉大さを称賛する。

 

 恥ずかしかった。

 未来の海賊王として、仲間を守るために強くなったはずだった。

 

 だが海に出てゾロと出会い、初めての仲間を得た少女は今この瞬間、ようやく自分の過ちを理解した。

 

 少女が“夢”で理解出来なかったのは、“男の矜持”などではなかった。

 彼女が今まで理解していなかったのは、ルフィ少年が持っていた“船長の仲間への信頼”だったのだ。

 

 無様なのは負けたゾロではない。

 仲間の決意を信じてあげられなかった船長たる自分だったのだ。

 

「ルフィ、お前に見せてやる…!てめェが見出した男の本当の実力を…っ!」

 

 己の不甲斐なさを責め、俯くルフィの耳に、大切な仲間の凛々しい声が届く。

 ゾロの信頼の籠った力強い宣言が、落ち込んでいた女船長の心に温かい火を燈す。

 

 船長が仲間の決意を前に、情けない姿を見せるなど、あってはならないことだ。

 

「うん…うんっ!見てるっ!見てるから、負けたら承知しないわよっ!!」

 

 少女は自身の幼げな顔に勝気な笑みを浮かべる。

 剣士の身を案じ、引き止めたい思いをその奥に必死に押さえつけながら。

 

 そんな麦わら娘の隠しきれない患いを帯びた笑顔を正面から受け止めるゾロもまた、様々な思いを飲み込みながら尊敬する自分の女船長を見つめ返し、その口角を微かに持ち上げた。

 

「へっ、一味の親分ならドンって踏ん反り反ってりゃァそれでいいんだよ……」

 

 

 そうニヒルな笑みを浮かべた直後、男の身体の力が抜けた。

 

 自身の倍近い体重に圧し掛かられた小柄な少女ルフィは思わず体勢を崩すが、無意識に発動した武装色の覇気が即座に身体能力を強化し押し倒されそうになった己の体を剣士ごと支えてみせる。

 

 女船長はそのまま港の簡易休息室のベッドまで剣士を背負い、傷の負担にならぬよう優しく彼を横たえた。

 水で血塗れの患部を洗い休息室の救急医療箱の消毒液で殺菌消毒。最後に腹巻を脱がし包帯を巻きつけ止血する。

 フーシャ村の医師に頼み込んで教わった簡単な応急処置だが所詮は気休め程度だ。

 

 こんなことならもっと真剣に学ぶべきであったと、止まらぬ涙の女の子は後悔に唇をかみ締める。

 

 油断していたのは彼女も同様だ。

 ゾロが不利な相手であることは誰よりも自分が理解していたはず。

 それを考慮していたからこそ彼の危機には助太刀すると、剣士の男の矜持を捻じ曲げてでも言質を取ったのである。

 

 それがこのザマだ。

 

「……ごめんなさい…っ」

 

 少女の震える桜色の唇から零れ落ちたのは、船長の悔やみきれない慙愧の念。

 

 青年に聞かれたら猛烈な勢いで拒絶されるだろう。

 

 おれの無様な失態だ。てめェには関係ねェ。船長がメソメソしてんじゃねェよ、バカ。

 

 強者たらんと日々己を鍛え続ける彼にとって、少女の謝罪はまるで自分が庇護される弱い存在だと言われているかのように屈辱的なものなのだ。

 

 それでも、大切な仲間に不要な大怪我を負わせてしまった女船長の懺悔は簡単に押し留められるほど軽くはなかった。

 

「…ナミ、置いてきちゃった……そんなボロボロなゾロ、ナミに見せたくないから…あなたが起きるまで、二人で外で待ってるわね」

 

 目元を拭い、ばちんっと頬を叩いたルフィが立ち上がる。

 

 こんな惨事になったのだ。

 もう何が何でもナミを仲間に引き入れ、バギーに一味の誇りをかけて報復しなければ自分の気が済まない。

 

 何度か大げさに深呼吸を繰り返し、悲哀の感情を飲み込んだ麦わら帽子の少女船長は、最後に傷ついた仲間の頬を優しく撫でる。

 そして仇の赤っ鼻のクズ船長とその一味を纏めて叩き潰す算段を立てながら、簡易休息室を後にした。

 

 

  ったく…余計な気使いやがって、バカ……」

 

 ぽつりと呟かれたその声は、誰の耳にも届くことなく無音の部屋の沈黙に解けていった。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。