ルフィちゃん(♀)逆行冒険譚   作:ろぼと

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ウソップ編を書き直すついでの幕間のような小話。
ナミ編が長かったのでゾロに焦点を向けてます。
サラダちゃんとむっつりくんがウジウジ悩むだけ。

読まなくても次話には問題ありません



9話 剣士の傷と、船長の傷 (挿絵注意)

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島沖『リトルトップ号』

 

 

 

「これが“剃”で、こっちが“月歩”。これさえ出来れば大抵のコトは大丈夫よ」

 

「…くっ、バギーのときに成功したのは火事場の馬鹿力かなんかだったのか…?コツはわかるんだが…!」

 

「…ねぇルフィ?私、強くなりたいとは言ったけど…最初に習わされるのがソレってどうなの…?」

 

 東の海(イーストブルー)に浮かぶ全ての艦船が斜陽に赤く輝く頃。

 難所を巧みに避け悠々と海を進む双胴船(カタマラン)『リトルトップ号』では、夕食前のランニング感覚で超人的特殊体術の修行が行われていた。

 

 先日、この船を所有していた海賊一味『バギー海賊団』を壊滅させ、その宝ごと小船を奪い航海の足にした彼ら彼女ら『麦わら海賊団』は今、風を帆に受けながら迷うことなくゲッコー諸島へと進んでいた。

 

 甲板と呼ぶには些か心許無い板張りの足場の上で会話を交わしているのは、一味の女船長ルフィと戦闘員ゾロ、そして新たに化物たちの仲間入りが不幸にも期待されている新入りの美少女ナミだ。

 不安ばかりであった海賊団の航海が突然頼もしく見えるようになった最大にして唯一の理由。

 それこそが一味の船を嵐や渦潮、岩礁や氷山から守り、目指す陸地へと導く海の魔法使い、航海士の力の賜物である。

 

 ストイックに鍛えられた肉体に任せ狭い甲板を四方八方に走り回る剣士とは対照的に、美しき海の魔法使いは暴れる人外男女の先輩たちに呆れ果てた目を送っていた。

 多少荒事慣れしている以外は極々一般的な女性と大差ない身体能力しか持たないひ弱な人物に、いきなり音速以上の速さで走れだの、空を駆け上がれだのと指示を出すモンスター。

 戦う力を求め教えを乞うた責任こそあれど、そんな相手に向ける視線としてはこの上なく適切である。

 

「あぁぁ~~~もう無理ぃ!そもそも地面を一歩ごとに十回蹴って走るって何よ?!地面固める重機じゃないんだからそんなふざけたこと常人に出来るワケないでしょうが!!」

 

「弱音吐いちゃダメよ、強くなりたいって言ったのはナミなんだから。ナミ怒るときにいつも地面二、三回蹴ってるじゃない。それをあと五倍やればいいのよ」

 

「それ私が怒って地団駄踏んでるだけっ!!バカにしてんの!?」

 

「あ、いま四回蹴れたわよ!凄いじゃない!ナミの原動力は怒りなのね!!」

 

「むきぃぃぃぃっ!!!」

 

 修行を余所に甲板の端で騒ぎ出す女性陣。

 

 くだらないキャットファイトを極力視界に入れぬよう立ち回りながら、男一人のゾロは神経を研ぎ澄ます。

 イメージするのは先日の、悪魔の実の能力者『“道化”のバギー』を相手にかつて無いほど大きな力を沸立たせた己の姿だ。

 

 “オレンジの町”を後にしてからまだ半日。

 数刻前から始まった女船長ルフィの手解きの下で少しずつ上達してはいるものの、剣士は未だあのときのような速度が出せずにいた。

 

(ちっ……しつこい毒だぜ、ったく…っ)

 

 男は無意識に腹巻の上に手をかざす。

 通常なら既に治りが始まっているはずのソレは今、包帯を赤く染めながら見るも恐ろしいほどに膿み荒れ、絶えぬ痛みがゾロの集中力を奪っていた。

 

 次の島に腕のいい医者が居ることを祈り、剣士は修行を再開させるべく立ち上がろうとする。

 

 

 だが青年の無茶をそれとなく止める者がいた。

 

  ゾロ、まだバギーと戦ったときのように覇気で身体強化出来ない?」

 

「ッ、ルフィか」

 

 名を呼ばれた少女は心配そうにゾロの顔を覗きこむ。

 座り息を荒げるもう一人の仲間が気になった女船長は早々にナミとの不毛な会話を止め、一味の戦闘員の下へと様子を見に来ていた。

 

 これ幸いと地団駄で痺れた足を休ませている根性無しの女航海士のことなど無視である。

 

「……あれが“覇気”…ってヤツなのか」

 

「あ、あのね、レイリーは『強い意思と共に目覚める』って言ってたの。私自身は“夢”で身に付けたからよくわかんないけど、エースも『妹にかっこいいトコ見せたい!』って願い続けて使えるようになったらしいから、ゾロも『強くなりたい!』って自分に言い聞かせ続けたらちゃんと出来るようになるわよ。だって一度出来たんだもん、心配しないで…!」

 

「強くなりたい…か……」

 

 平然と無意識に義兄の恥部を晒す末妹が、ためになるのかよくわからないアドバイスを剣士に送る。

 感覚頼りで賢さが足りないルフィにあまり難しい理論や説明は思いつかなかったのだ。

 

 それでも拙い頭脳で精一杯相談に乗ろうとする彼女の姿には隠しきれない焦心が垣間見える。

 

 “オレンジの町”を発ってからも不安が晴れぬ女船長は、何かとゾロのことを気に病むことが多かった。

 

「えっと、あとは…やっぱりバギーのときみたいに死に物狂いで敵と戦って自分を追い込む方法もあるけど……」

 

 少女は後ろのナミを気にしながら、相棒の腹部へ痛ましげな視線を向ける。

 

 胸にズキリと鋭痛が響く。

 男の腹巻の下に隠されているのは、自分の愚かで悔やみきれない大失態の証。

 

 大切な仲間を守るために強くなったはずの己に現実を突き付け、懺悔の機会さえ与えて貰えなかった、罪深い女の心の傷だ。

 

 だが傷心の女船長の内心に気付かぬ剣士の口には、ニヤリと歪んだ攻撃的な笑みが浮かんでいた。

 

「……へぇ、なら手っ取り早く次の敵でまた一度あんな戦いを  

 

  ッ、だっ、ダメっ!!」

 

 

 咄嗟に口から飛び出ていたのは、隠していた自分自身の心痛な悲鳴だった。

 

 背筋が凍え、大切な仲間が血溜りの中に沈む先日の悪夢がルフィの瞼の裏に鮮明に映し出される。

 そして少女の魂に刻み込まれた“夢”の記憶が、“スリラーバーク”の出航直前の惨敗が、“シャボンディ諸島”の絶望が、“WCI”(ホールケーキ・アイランド)の仲間の犠牲が、怒涛の如く心の隙間に殺到した。

 

 恐怖、激痛、悔悟の念に犯され、少女の身体が戦慄する。

 

 大海賊『“赤髪”のシャンクス』との別れに塞ぎ込む女々しい童女は、“夢”のルフィ少年との出会いを経て、仲間を守れる強い女になれたはずだった。

 

 覇気を身に付け、“六式”を学び、戦闘態勢の“ギア”シリーズを磨き上げ、憧れの麦わら少年をも大きく超越する力を得たはずだった。

 

 それなのに、自分は  

 

 

「ルフィ…?」

 

 聞き慣れた嗄れ声がルフィの鼓膜を振るわせる。

 

 未来の海賊王たる自分の背を任せる、大切な仲間の声だ。

 

  っぁ」

 

 瞠目する剣士の困惑に、蒼白に震える女船長が我に返る。

 だが慌てて口を押さえるも時既に遅し。

 

 常時一定の強度で放たれているルフィの見聞色の覇気は、背後で休んでいた二人目の大切な仲間の訝しげな“声”を捉えていた。

 

「ちょ、ど、どうしたのよルフィ…?悲鳴なんか上げて。……ケンカ?」

 

 背中に心配そうな声を投げかけるナミへ、少女は恐る恐る振り向く。

 この展開は非常に不味い。

 

「なっ、何でもないわ!気にしないでね、ナミ!」

 

「……アンタ、何か誤魔化そうとするときに毎回そんなド下手な口笛吹いてたら一目瞭然よ…?」

 

 疑念を深める女航海士にルフィは驚愕する。

 

 最も長い時間を共に過ごした故郷の母親代わりである店主マキノでさえ「はいはい」と簡単に騙されてくれた自慢の演技を、いとも容易く見破る美少女泥棒ナミ。

 “夢”で仲間の料理人(サンジ)考古学者(ロビン)と共に一味の頭脳を務め上げるほどの知恵者だ。

 やはり心理戦では最初から勝負にすらならないらしい。

 

(でも、ゾロに恥をかかせるワケには……っ)

 

 だがルフィにはどうしても守らなくてはならないものがある。

 

 ロロノア・ゾロが“夢”の中で仲間の  特に女の前で負ける姿を晒したことは極めて少ない。

 そして女の自分に従うようになったせいか、その強さの根底にある男の誇りを、目の前の人物はより強く持っているように思える。

 

 義兄のエースやサボを見るとおり、男とは女の前では命に代えても見栄を張りたがる生き物だ。

 

 あれほどバギーを倒すと豪語しておきながら、返り討ちにあってしまった剣士の無様。

 ルフィは戦いの一部始終を覇気で捉えていたにもかかわらず、怠慢で助太刀が遅れてしまった自分の不甲斐なさを詫びるため、せめて青年のプライドくらいは守り通そうと躍起になっていた。

 

 

 …だがその思いの奥底に隠れた己の本心に、無垢な少女は気付けない。

 

 仲間の危機に “間に合わなかった”という自分自身の失態を隠し、悟られまいと右往左往する幼子の如き本心に。

 

 

 単純な話である。

 ルフィはただ、怖かったのだ。

 

 仲間に失望されることが。

 “夢”のルフィ少年とは違い、女である自分が彼ら彼女らに認めてもらえなくなる可能性が。

 

 

 物心ついた頃より自分の実力に強い自信を持っていた彼女だからこそ、理想と現実の違いは少女の心にとって大きな衝撃となっていた。

 

 

 

  ああ、気にすんなナミ。別にケンカじゃないさ」

 

  ぇ?」

 

 叱られた子供のように俯くルフィを正気に戻したのは、またしても剣士の声だった。

 

「お前がのんきに足ぷらぷらさせてる間にこのバケモノ娘に新しい技を教わろうと思ってな。難易度が高く危険なヤツらしくて、過保護なコイツが慌てただけさ。…なぁ、ルフィ?」

 

 腹部の痛みを押し殺し、ゾロが小さく口角を持ち上げる。

 

 遅れて彼の意図を理解したルフィの視界が微かに滲む。

 慌てて瞼を瞬かせ、少女は大切な相棒に心の中で感謝した。

 

 仲間のフォローを無下には出来まいと喝をいれた女船長は、期待に応えるべくのそのそと立ち上がり、次の瞬間  空を()()()

 

“剃刀”(カミソリ)っ!」

 

 すると強烈な耳鳴りと共にルフィの姿が掻き消え、女六式使いは稲妻のような軌跡を描きながら茜色に染まった雲を切り裂く。

 そしてその直後、驚愕に目を見開いた男女の前に、ぐったりと羽を垂らす雁を片手に握った少女が現れた。

 

 その相対距離、実に一千メートル。

 瞬く間も無くとんでもないことを仕出かした麦わら娘に、言い出したゾロも思わず顎を落とす。

 

「今…のは…?」

 

「この前二人を連れて空を飛んだ技よ。“剃”と“月歩”を同時に使って空でも“剃”並の速さを出せるわ。生身の人間にはほぼ不可能だってハトのヤツが言ってたから、ゾロじゃ余程頑張んないと出来ない…と思う」

 

 出来ないと言われて奮起しない男は居ない。

 むっとした表情で女船長を睨む剣士は悪化し続ける傷の激痛に耐えながら“剃”の構えを取り、修行の再開を催促する。

 

「…ならその“月歩”ってのを後で教えろ。今は“剃”が先だ」

 

「その前に、ゾロのために獲った鳥さん。食べる?」

 

「……おう」

 

 こてんっと首を傾げる麦わら娘の姿に言葉が詰まった青年は、胸中に溜まった何かを吐き出すように返事を返し、男船に散らかる七輪を取りに背を見せた。

 

 

 その姿に仲間の苦痛を感じた少女は、色々と女としての情操を教えてくれるナミに心の中で謝罪しながら、夜が更けるのを静かに待ち続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島沖『リトルトップ号』( )

 

 

 

「……ごめんなさい、へたっぴで…」

 

「……ったく、いつまでメソメソしてんだ。おれの自業自得だってのに…」

 

 深夜の広大な東の海にぽつんと浮かぶのは『バギー海賊団』の海賊旗を掲げた、頼り無さそうな一隻の双胴船。

 その甲板に佇む  楼と呼ぶには些か小さすぎる  小屋の中には二人の若者が籠っていた。

 

 半裸の男と薄着の少女。

 密室の小屋の中、男女は肌の触れ合う距離で向かい合う。

 

 しかし二人の周囲に、状況に準じる甘い雰囲気は見当たらない。

 あるのは面目無さそうに俯く少女と、仏頂面の顔を逸らす傷だらけの青年の間を流れる複雑な空気のみ。

 

「だっ、だって毒でぐじゅぐじゅで凄く痛そうで……私がノンビリしてたせいで、こんな……っ」

 

 彼らの片割である薄着の少女、船長ルフィの手には一本の鉤針と細い糸。

 意味するものは一つ。

 彼女が行っているのは半裸の青年、剣士ゾロの腹部を抉る怪我の本格的な手当てである。

 

 人目を忍ぶように隠れる二人の状況はこの船を有する彼ら『麦わら海賊団』の女船長ルフィが望んだもの。

 そして青年ゾロもまた、己の上司の指示に従い渋々彼女を迎え入れていた。

 

「…おい、後は自分でやるからお前はもう女船に戻れ……男船は女人禁制だぞ」

 

「…ダメっ、一人でやったら上手に出来ないわ……それにちゃんと治さないとナミに気付かれちゃう…」

 

 二人が声を潜め、窓を布で遮光してまで案じているのは、船に乗る最後の乗員、新入りの女航海士ナミに青年の容態が知られること。

 

 詳しくは知らないものの、海賊嫌いの彼女が自分たち海賊一味を己の復讐のための“戦力”として期待し、行動を共にしていることは周知の事実。

 そんな彼の腹部の大怪我は、先日争った1500万ベリーの賞金首『“道化”のバギー』との戦いの、無様な敗北の証である。

 女船長が高名な剣士である仲間のゾロの失態を隠し、新入り航海士が“戦力”として見込んだ自分達『麦わら海賊団』に失望せぬよう細心の注意を払っているのは想像に難くない。

 

 …もっとも、青年のその想像も所詮は己の恥から目を逸らすためのもの。

 震える手付きで仲間の傷に縫合糸を通す、憂いに俯く少女の姿を見れば、彼女には  新入りの失望などといった  目の前の怪我人以外のことを考える余裕などどこにも無いのだとわかってしまう。

 

 男はただ、意識する絶対強者の女船長ルフィが、仲間である自分の身も、心も、強者としての自尊心さえも守ろうとしてくれていることを認めたくないだけなのだ。

 

 

「ん…っ」

 

「!?」

 

 突然、ふわりと温かい吐息がゾロの腹を撫でた。

 驚き見下ろした先に、青年は乱雑に跳ねる短い黒髪の旋毛を見る。

 

 絶句し固まる彼の耳に、ぷつり…と微かな音が届く。

 我に返った剣士は声にならない悲鳴を上げながらその黒髪の塊を己の左足の付け根から引き剥がした。

 

「おっ、おまっ…!何してんだバカ…っ!」

 

「ッ、ご、ごめんなさい…っ。糸噛み切ったんだけど、引っ張っちゃって……痛かった…?」

 

 小さく歯を見せる黒髪少女の唇から覗くのは、一本の黒い縫合糸。

 古い貰い物の救急箱で遣り繰りしているため、錆だらけの医療用の小型ハサミではなく唾液の殺菌作用で比較的清潔な自身の歯を用いて糸を切断したのだろう。

 

 だが如何なる理由があれど、年頃の女の子が自分の顔を男の下腹部に近づけるのは憚られる。

 その辺りの常識がネズミに食われたように穴抜けのままの無垢なルフィに、ある程度の耐性と理解があったゾロも、流石に今回の凶行には動揺を抑えきれない。

 

「てめッ、“痛かった?”じゃねェだろ…っ!お前には節操ってモンがねェのか!!?」

 

 女船長の無自覚に婀娜めいた行動に煽られ、今まで意識を逸らしてきた数々の不本意な感情が青年の理性の蓋を突き上げる。

 

 二人きりの深夜の密室。

 息を潜めながら他の仲間に隠れて寄り添う男女。

 上半身に一糸も纏わぬ半裸の自分。

 

 そして少女の、細く美しい曲線を描く素足と小腕、臀部を際立たせる曝け出された柳のような腰付き、開かれたブラウスからはみ出る胸元の豊かな双丘……

 

 小屋の籠った湿気でしっとりと濡れる小麦色の肌も、薄く色付く頬を伝う玉の汗も、赤らむ憂いを帯びた伏せ目も。

 その全てがランタンの灯りに燈された倒錯的な空間の中で、蟲惑な色を帯びていた。

 

 『“道化”のバギー』との二度の死闘で昂った雄の本能が冷め止まぬ身なら尚のこと。

 終盤とはいえ、未だ思春期の残滓に苦悩する青年にとっては、些か以上に絶え難い光景であった。

 

 

 だが、煩脳を振り払おうと思わず力んだその腕は、華奢な女の身体を押し飛ばすほどの威力となって、健気な娘に襲い掛かってしまった。

 

「……ぁ」

 

 慌てて振り向いた先にあったのは、壁に叩き付けられ、絶望の色を顔に浮かべた少女の震駭する姿だった。

 

 男の傷に自分を責め、拙い技術でせめてもの罪滅ぼしと懸命に治療を行っていた女船長。

 その必死の思いに返されたのは、他ならぬ仲間の、片腕で突き放すほどの拒絶の意思。

 

 贖罪に心を砕くことすら許されない己の惨憺たる立場を突き付けられた気持ちになった少女は、ブラウスの胸元を握り締め身体を小鹿のように震わせる。

 

 そんなルフィの慄然とした姿に、青年はようやく自身の過怠の大きさに気が付いた。

 

  ッ、悪い…っ」

 

 助太刀が遅れた悔しさに瞳を潤わす仲間思いな女船長。

 そんな相手に対し自分が抱いてしまった感情が、拙い技術で必死に仲間の傷に治療を施す彼女への感謝ではなく、無防備で弱々しい少女の艶やかな肢体を己の獣欲で染め上げんとする劣情だと知られたら、三世三度腹を切っても拭えぬ恥辱となるだろう。

 

 おまけに自分の感情すら律せず、恩人に仇を返すかの如く暴力を振るい、罪の意識に苛まれる女の心の傷を抉ってしまったとあっては末代までの大恥だ。

 

「……ぇと……お、怒ってない…の……?」

 

 切なげな声で自分の最初の…大切な仲間に問う、潤んだ闇夜の瞳の少女。

 そのらしくない殊勝な顔に、剣士の胸奥に大きな波紋が生じる。 

 

 無知なのだ、この女は。

 身体的な違いによる男女の筋力的な優劣と、それが作る性的な上下関係を。

 

 

 おそらく少女は物心ついた頃から強者であったのだろう。

 ナミのような普通の女が当たり前に持つ男への警戒心を、強者たる彼女は一切抱くことなく大人の身体に成長した。

 

 だがルフィは無知であっても無神経ではない。

 

 “覇気”なる力を使い、相手の心の声を聞く彼女は他者の悪意に対して極めて敏感だ。

 男たちが彼女に向ける性的な欲望も、当然その“悪意”の一つ。

 

 ただ、過程を飛ばし“悪意を向けられた”という結果だけを受け取るルフィは、その悪意を向けられた理由に気付けない。

 今まで散々無体な男たちの悪意に晒されてきたであろう彼女が、相手を全て力で抵抗ないし撃退していたことは容易に想像出来る。

 

 少女がゾロの前で幾度も見せる、無防備で、ともすれば扇情的にさえ見える仕草や振る舞いは、そういった短絡的な解決策ばかりを選択し、悪意の原因たる“男の性欲”と、自分の魅力的な容姿や服装、行動、言動などとの因果関係を認識していなかったことが根本にあるのだろう。

 

 

「……あの…包帯は  

 

  自分でやる」

 

「…ッ」

 

 食い気味に好意を遮る青年の拒否の意思に、ルフィがびくりと体を小さく震わせ押し黙る。

 

 またもや配慮に欠けてしまったことに自己嫌悪するも、男は咄嗟の言い訳で慌てて謝罪した。

 

「……悪い。しくじったのはおれ自身が弱かったからだ。てめェの傷は最後くらいてめェで手当てしたい」

 

 ゾロの脳裏に浮かぶのは、その包帯を巻きつける際に少女が取るであろう、度し難い行動の数々。

 

 胴に回される手折れそうに細い両腕。肩に僅かに触れる、素肌を晒した大きな胸のふくらみ。そして額を付け合うほどに密接な互いの距離  

 

 女船長の名誉のためにも、そして己の理性のためにも、到底許せるものではない。

 

「…う…うん………えと……じゃあ、あまり長いこと女船離れてたらナミに気付かれて叱られちゃうから、そろそろ戻るわね…」

 

「…待て」

 

 音を立てぬよう丁寧にベッドを降りる少女の淑やかな姿から目を逸らしながら、青年は枕元の相棒であるお気に入りの酒瓶を手渡した。

 

「……大吟醸?ゾロがよく夜に飲んでる…」

 

「…昔聞いた話だが、フツーの女ってのは大抵臭いに過敏らしい。女船の小屋で血と消毒液と野郎の汗の臭いさせてたらすぐにバレる。しばらくソレで甲板で月見酒でもして誤魔化せ」

 

「……そう…なの?ゾロって博識  って、ちょっと…!“フツー”って何よ!失敬ね、私を何だと思ってんのよ…っ!」

 

 例外扱いされたことに遅れて気が付き腹を立てた女船長が、自分の沈んだ気持ちを一瞬で捨て去り声を潜めて器用に怒鳴る。

 その瞬間の感情に身を任せコロコロと態度を変える少女は、まるでその顔の通りの幼い子供のよう。

 

 ゾロとしては当然の評価を下したまでなのだが、女の常識とは些か以上にかけ離れている少女ルフィであっても、どうやら己の性別には相応の誇りがあるらしい。

 

 確かに彼女は目にも留まらぬ速さで駆け、空を飛び、数十もの男たちを一睨みで平伏させ、海軍支部の要塞施設を両断する存在だ。

 そのような者について論ずるべきなのは女か否か以前に、人間か否かの議題であろう。

 

 少し失礼だったかとゾロは小さく謝罪する。

 

 しかし如何なバカでも流石にその皮肉には気付いたようで、紅潮した頬を膨らませる少女も遂には傷付き幼なげな拗ね顔を俯かせた。

 

「うぅ……そりゃナミみたいなステキなお姉さんじゃないけど…私だって……」

 

 一味に新たな同性同年代の人物が加わったからだろうか。

 比較対象が出来た故か、落ち込む少女が手元の酒瓶に映る自分の無造作な短髪や衣類を弄り、己の“女”を意識する素振りを見せる。

 

 自分の服装に気を配り、腰をふりながら「今度かわいいスカートでも穿こうかしら」と小さく呟くその姿こそ彼女の言う“ステキなお姉さん”とやらの仕草ではないのか、と浮かんだくだらない感想が零れる前に青年は口を噤む。

 

 とはいえ、真摯に傷の手当をしてくれた好意に無礼を返したままでは漢が廃る。

 そっぽを向いたまま口を尖らせる傷心少女に、男は洗剤の匂いの残る真新しいタオルケットを差し出した。

 

「……月見に使え。女なら体を冷やすな」

 

 もう少し言い様が無かったのかと後悔するも、吐いた言葉は戻らない。

 

 沈黙が男船の小屋を支配する。

 

 無言で押し黙ったルフィの反応に焦りを覚え、青年は慌てる心を抑えながら彼女を横目で一瞥する。

 

 だが少女の顔にあったのは、キラキラと輝く嬉しげな笑みだった。

 

  ッ、ありがとゾロっ!うれしい…っ」

 

 先ほどの沈んだ姿が嘘のように喜ぶ女船長の無邪気な笑顔に、ゾロは羞恥に臍を噛む。

 

 素直な態度に騙されそうになるが、彼女の操る特異な力の前には隠し事は不可能である。

 ルフィほど練達した覇気の技術では、咄嗟の表層心理などあっという間に晒け出されてしまうだろう。

 

「……寝る」

 

 このままでは余計な“声”まで読み取られかねないと焦る男は少女へ素っ気無さげに手を振り、ベッドに横になった。

 

 そんなゾロの姿にはたと表情を改め、女船長は傷付いた仲間の就寝を邪魔してはならないと神妙な顔で頷いた。

 

「…うんっ、おやすみなさい。……お大事に」

 

 その場の感情は豊かでも、心の奥深くでは未だに己の罪悪感に苦しんでいるのだろう。

 最後に微かな沈痛の表情を浮かべ、慌てて誤魔化すように笑顔を作ったルフィが静かに男船の小屋を後にする。

 

 その萎れた後姿を見送るゾロは、悔やみきれない思いに悶々としながら閉じる扉を見つめ続けた。

 

 

  ちっ……強者がいつまでも仲間の傷に女々しく思い悩んでんじゃねェよ……」

 

 男は感情を押し殺した小声で小さく吐き捨て、腹部の刃傷に手を当てる。

 

 想起されるのは、あの無様な敗北の光景。

 負けた己はもちろん、最強の大剣豪となって守ると誓った女にも、消えぬ心の傷となった手痛い失態だ。

 

 男の夢は剣の頂点を極めること。

 それは亡き友と交わした何よりも尊い、剣士の約束である。

 

 だが、今の青年の胸に渦巻く感情は敵に土をつけられた悔しさでも、己の弱さを恥じる屈辱でもない。

 

 脳裏に焼き付き離れないのは、悲痛に伏し沈む少女が見せた、自責の涙。

 その万人を惹きつける天真爛漫な笑顔を陰らせた己に対する、胸を焼き焦がすほどの呵責であった。

 

 

 剣士を苛む痛みは腹部の傷の更に奥  胸奥に負った新たな傷。

 決して癒えることの無い、男の傷だ。

 

 

   二度と見て堪るものか。

 

 

 新たに芽生えた決意を背負い、男は亡き友と交わした約束に誓う。

 

 次の強敵を見据える剣士は敗者の傷を癒すため、腹部に残る少女の微かな温もりにその身を委ねながら……ゆっくりと瞼を閉じた。

 

 

 剣士の覚悟が試される地”シロップ村”は、既に目前の水平線まで迫っていた。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 





お待たせしました。
次でウソップ編、始まります!


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