ルフィちゃん(♀)逆行冒険譚   作:ろぼと

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10話 オオカミ少年・Ⅰ (挿絵注意)

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島沖『リトルトップ号』女船

 

 

 

 微かなラベンダーのアロマが漂う小屋の中。

 その丸い窓際から零れる朝日に照らされた美しい橙色の髪の毛が、キラキラと温かく輝いている。

 

 少しずつ昇っていく太陽に促され、規則正しく上下していた布がはらりと床へ流れ落ちた。

 

「ん……ぅ」

 

 艶やかな吐息を零し、微かな衣擦れ音と共に室内に射し込む陽光を遮ったのは、一人の女のシルエット。

 

 豊かな胸と反らした背中で美しい曲線を描き、目覚めの一伸びを終えたそのシルエットの持ち主は気だるそうな足取りでベッドを降りる。

 

 女、航海士ナミの海賊双胴船(カタマラン)『リトルトップ号』での朝だ。

 

「くぁぁ……っふぅ、よく寝たぁ…」

 

 昨夜の快眠で絶好調の少女は、開けた窓から伸ばした手で捉えた風向きと風速、そして枕元の懐中時計のみで、ある程度の現在位置を導き出す。

 才女の無造作な仕草に込められた超感覚は、海を知る者なら誰もが黙って平伏すほど。

 

 もっとも、そんなナミの神業を目に出来る者は、少女の能力を正しく理解してくれているのかどうかもわからない暢気な寝言を漏らす同居人の少女のみだった。

 

「ぅみゅぅ……んゅ……ぅぅ~っ…じょよのばかぁ……ぁぅむにゅむにゅ…」

 

 高級そうな酒瓶を胸元の二つの見事な果実にうずめ、目尻の小さな雫を朝日に煌かせるのは、可憐であどけない寝顔を晒す妖艶な肢体の女の子。

 

 その正体は、時代の名を冠す海の荒くれ者共  海賊だ。

 

 高名な剣士『“海賊狩り”のゾロ』を有するたった二人の零細一味『麦わら海賊団』の片割であるこの少女こそ、若き女航海士が操るこの船の船長モンキー・D・ルフィである。

 

「……こんな子が海賊、それもキャプテンとか…世も末ね……」

 

 そう小さく零すのは、一味の三人目の仲間として歓迎された新入りのナミ。

 呆れるような口調に反し、安らかな寝息を立てる可愛らしい親分の髪を梳くその手付きは、慈愛に満ちた優しげなもの。

 

 海賊専門泥棒の裏の顔を持つナミ自身も、まさか心底憎んでいるはずの海賊共の船で一切の敵意に晒されず、緩みきった心地よい気分で寝ることが出来るとは夢にも思わなかった。

 

 その環境を与えてくれた眠り姫に、寝起きの少女は無意識のうちに微笑みを送っていた。

 しかし穏やかな寝顔を優しく撫でる彼女の鼻腔を幾つかの特徴的な臭いが擽り、航海士は眉を顰め怒気を抱く。

 

「……この子まさか、私が寝てる間にあのむっつり剣士と二人きりで月見酒にでも洒落込んでたの…?」

 

 わかりやすい夜の潮と酒の臭いを漂わせ、味もわからぬ高級酒を胸に抱く幼顔の少女に、ナミは額に青筋を浮かばせる。

 この少女、その優れた容姿に反し、ところどころに女性としての致命的な隙がある些か常識外れな価値観の持ち主であった。

 

 既に何度も注意した女としての振る舞いを全く正そうとしてくれない鈍感娘。

 いくら桁外れな戦闘能力を持つ人外の化物といえど、男が男の矜持に固執するように、女に生まれたのなら女の矜持を見せなくては侮られてしまうだろう。

 

 ナミは今、この何も知らずに恥ずかしい振る舞いばかりを取る少女船長を、外見どおりのセクシーキュートな元気っ子に更生させようと励んでいる。

 そこには破廉恥な女に従う部下としての恥を嫌がる心理以上に、愛らしい妹のように思い始めている彼女にステキな女性になってほしいと願う、確かな愛情があった。

 

 …少しだけ  末女なら誰もが持つ  姉のように自分も妹を猫可愛がりしたいという長年の密かな夢を堪能している、次女にして末っ子のナミである。

 

「ったく……ちょっとルフィ?!もう朝よ、起きなさい!そんな二日酔いのおっさんみたいな臭いさせてたら自慢の剣士くんに呆れられるわよっ?!」

 

「ッふがっ!?」

 

 少女の形のいい小振りな鼻を優しくつまみ、女航海士は自分の新たな上司を目覚めさせる。

 

「…ぅありぇぇ…?にゃみがいっぱぁい……ぇへへ~……」

 

 だが中々覚醒が追い付かないのか、はたまた未だにアルコールが抜けきらないのか、ルフィがふらふらとしながら自身の上半身を持ち上げた。

 

 その胸元のブラウスは肌蹴きり、最早先端が隠れているだけのあられもない姿。

 飲みすぎで苦しかったのか、下のインディゴのショートデニムはベルトが外されチャックは真下まで下りている。

 そしてそこから覗く無地のショーツに目が行ったナミは、謎の安堵に胸を撫で下ろした。

 

 一瞬隣の男船で眠る無体な野郎に乱暴されたのではと心配してしまうほどの着崩れだが、あのむっつりなら勝手にヘタれて自分の小屋に引っ込むだろうと男性心理に詳しい小悪魔美少女は判断する。

 

「全く、船長の恥は一味の恥なんだから。女の子ならちゃんと女の子らしくしなさい!恥さらしな船長は仲間に失望されるわよ?」

 

「んぅぁ……?  って、えええっ!?わ、私ゾロやナミに失望されちゃうのぉっ!!?」

 

「ッきゃ!?」

 

 酔いと寝癖のぼんやり顔を一瞬で取り払い、色濃い焦りを表に浮かばせた少女が慌てて仲間の航海士ナミにへばり付く。

 

 なんという変わり身の早さ。

 どうやらこの無邪気な少女船長にとっても、仲間の忠誠の有無は極めて大きな問題らしい。

 

 ならば日ごろからもう少し海賊の親玉らしい尊大かつ、己の性別に順じた女性的な振る舞いを取るよう心がければよいものを。

 ナミは半目で寝起きの少女を見つめていた。

 

「あー…うん。そうね、失望するかも知れないからちゃんと頑張るのよ?」

 

 そう呆れた調子で発破をかける女航海士であったが、彼女自身はこの子を心情打算双方で魅力的に思っている。

 色々と開放的過ぎる女船長の被害に遭っている相手も、現時点では最古参の青年剣士ただ一人。

 今まで散々少女の無防備な姿を内心眼福とばかりに視姦し続けていたであろう男に割く同情心など欠片もない。

 

 ナミは彼女に女の子らしくしろと叱ってはいるものの、それはあくまで日常生活における話である。

 

 敵を前にしたルフィはまさに一騎当千の大女傑。

 三人の悪漢から颯爽と自分を救い、しばらく側を離れれば翌朝には1500万ベリーの大物海賊を下僕のように平伏させて戻ってくる。

 その威容は頼りがいのある絶対的な一味の親分そのものだ。

 

 だが、そんな偉大な船長であっても、航海士には同性のよしみとして口を酸っぱくしながら彼女を叱咤し続けなくてはならない理由があった。

 

「あ!ゾロも起きてるわっ!おはようゾロぉ~っ!!朝ご飯~?!」

 

 開かれた丸窓から上半身を乗り出し、満面の笑みで左舷の男船に向かって手を振る乱れた薄着の女の子。

 

 そのあられもない姿に、七輪で朝食の塩漬け肉と、船長と新入りのためにニンジンを炙っていた一味のNo.2、『“海賊狩り”のゾロ』が顔を朱に染め慌てて体ごと後ろを向いた。

 

「ばっ、バカそんな寝起き姿で男の前に出るなぁぁっ!!」

 

「ふぎゃっ!?」

 

 ナミは咄嗟に少女の胸元を手元のタオルケットで隠し、幾ら言っても言うことを聞かないバカの脳天に体罰を下す。

 そして最後にキッ!と遠くのラッキースケベの背中に怒りの視線を送り、強く窓を閉めた。

 

 本格的な船が手に入ったら強固な女部屋を設け、その全ての窓に鍵とカーテンを取り付けようとナミが誓った瞬間である。

 

  ~~ッッ!!いっ…たぁ~いっ!ゴムなのに痛い!何すんのよナミっ!?」

 

「おだまりっ!!女の裸には  特にアンタのにはすっごい価値があんの!今のでアイツから何万ベリーも取れるんだから!」

 

「な、何万ベリー!?」

 

 信じられない、といった瞠目顔で自分の体を見下ろす女船長ルフィ。

 その手の相場に謎に明るい小悪魔美少女が具体的な金額を提示したことで、今まで全く意識していなかった己の四肢がまるで動く金のなる木に見え始めたのだろう。

 

 存外よい反応を見せる鈍感娘の姿に、彼女の情操教育の橋頭堡を確保したと判断したナミはここぞとばかりに畳み掛ける。

 

「前から言ってる『女らしくしろ』ってのはね!その何万ベリーを何十万、何百万にするためにやってることなのよ!!」

 

「な、なな何百万!!?  はっ!?」

 

 だが驚愕に悲鳴を上げていた少女が教育の途中で突然固まり、カタカタと震えだした。

 

 何事かと問うた女教師に、生徒ルフィは蒼白な顔で実に彼女らしい、くだらない発想を打ち明けた。

 

「どっ、どうしよナミ?!今のでそんなに取られちゃうなら、今までのも含めると……わ、わわ私のせいでゾロが借金だらけになっちゃう…っ!!」

 

「おのれは親の腹に警戒心ってモンを忘れて来たんかァァァい!!」

 

 高い炸裂音が女船の小屋の中に響き渡る。

 

 痛みにえぐえぐ頬を摩りながら丸窓の外を面目なさげな表情で見つめる少女を余所に、ナミは頭を抱えていた。

 

 多少は覚悟してたものの、まさかこのバカ自身が思い出せるほど沢山やらかしてたとは流石の彼女も予想外であった。

 本人が気付いていないだけで軽く十倍は余罪があるだろう。

 仲間とはいえ、ただの一部下に過ぎないあの男に、年頃の女の子が晒していい隙ではないのだ。

 

 …ただの部下であるのなら、だが。

 

 

(大切な“仲間”、ね……)

 

 

 ナミは女性である。

 そして女性とは、その手の話題に強い興味を抱く人間であると同時に、その手の心理に非常に敏感でもある。

 

 自身の、俗に言う“恋愛脳”を活性化させた女航海士は、これまでの先輩男女の互いに対する反応を振り返った。

 

(あっちのほうはもうかなり黒に近いグレーって感じだけど、こっちのバカのほうは頭が残念すぎて判断付かないのよね……)

 

 残念ながらナミ好みの甘酸っぱい関係でないことは確かなのだが、比較的正常な価値観を持つ七輪の焼肉青年はともかく、異性に対する興味が一桁の精神年齢のソレで止まっているルフィの思考を読み取るのは至難の業。

 

 だが甲板で、脇腹を押さえるほど熱心に先日の“剃”とやらを練習している剣士の姿を見つめる少女の目は、ナミには切なげに潤んだ恋する乙女の瞳のように見えた。

 

 

 そんな他称“恋する乙女”とやらの内心は極めて複雑であった。

 

(ゾロ……また無茶してる……)

 

 男船で修行を行う仲間の姿に、ルフィが痛ましげな視線を送る。

 朝食の準備が終るまでの間に少しでも先日の成功の感覚を取り戻そうとしているのだろう。

 

 だが眉間を強く寄せる彼の顔が、ルフィには修行の停滞以外の別の不快感によるものに見えてならなかった。

 

 以前、三人目の仲間を勧誘するため訪れた“オレンジの町”で、ゾロは東の海(イーストブルー)有数の大物海賊『“道化”のバギー』と戦い、敗北した。

 そのときに受けた腹部の大怪我を碌に治療しないまま深夜の雪辱戦を行い、青年は毒に侵される体を酷使し傷を悪化させていたのである。

 

 責任の多くが己にあると自分を責め続けている少女にとって、大切な仲間が苦しむ様は悔悟の涙抜きでは見ることすら敵わないものであった。

 

 とはいえ、いつまでもゾロの苦しそうな姿を見ていたら、男の敗北を隠し続けているナミに悟られ彼の恥となってしまう。

 

 ルフィは沈痛な溜息を吐き、故郷の母親代わりのマキノ女史の『乙女の十戒』を守るために簡易洗面台へ向かおうと踵を返し  頬を微かに染める奇妙な顔をしたナミの姿を見た。

 

「………アンタたち、別にデキてるワケじゃない…のよね?」

 

「え、もう“出来てる”?」

 

 慌てて外の七輪のほうへ目を向けるルフィ。

 早く身嗜みを整えて甲板に行かなくては折角のお野菜が冷めて美味しくなくなってしまう。

 

 だが遠めに見える燻られている塩漬け肉も温野菜もまだまだ火にかけられたばかり。

 根菜は多少柔らかいほうが好みの少女はもちろん、レア好きのゾロもあと十分は肉を火に通す。

 

「……うん、ごめん。聞いた私がバカだった…」

 

「…?気にしないで。野菜の火加減は難しいものね、わからなくてもナミは十分ステキな女の人よ?」

 

「………こんなに腹立つフォローは生まれて初めてだわ」

 

 何かを堪えるように小さく震える航海士から謎の憤怒の感情を覇気で読み取ったルフィは、触らぬ神に祟りなしとそっとしておくことにした。

 

 

 ベッドに腰かけ、先日屈服させたこの船の本来の持ち主『バギー海賊団』に作らせた簡易洗面台で、ナミはルフィと一緒に顔を洗う。

 

 思えばこうして誰かと一緒にプライベートを共にしたことなどいつ以来だったか。

 ちらりと同室の女上司に目を向けるナミ。

 

 だがルフィのあまりに杜撰なケアに、航海士は思わず三度目の拳を振るってしまった。

 

「むぎゃっ!?な、何で  

 

「嘘でしょアンタ!?そんな肌つるつるで、最低限の手入れはしてるんだってちょっと感心してたのにっ!まさかホントにそんな子供のおままごとみたいなケアで今までやってきたの!?」

 

「むぅ……マキノと同じこと言ってる…!よくわかんないけど、おじいちゃんたちが言うには、私はゴム人間だから体中つるつるすべすべしてるんだって」

 

「はぁ!?アンタ悪魔の実食べただけでそのお肌手に入れたの!?何それズルい!私に寄越しなさい!アンタよりは大切に使ってあげるからっ!!」

 

「いぃいひゃいいひゃい!」

 

 両腕いっぱいまで少女の両頬を引っ張り伸ばし、そのすべすべした肌触りに歯軋りするお年頃の美人航海士。

 耐え難い敗北感に気落ちするも、どうせならこの原石を磨ききってやろうと己のプライドに火が燈る。

 

「ちょっとこっち向きなさい、私が整えてあげるからっ!あと十七歳ならもう十分大人なんだからメイクくらいしなさいよ、ったく…」

 

「っやぁん、くすぐった~い!……にしししっ、ナミってなんだかやってるコトもマキノみたぁい」

 

 イヤイヤ言いながらも人の手に慣れているのか、ルフィが意外にも素直に顔を差し出した。

 

 長く艶やかな睫毛、うっすらと色付いた桜色の唇、そして傷一つない赤子のように清らかな柔肌。

 まるで十歳未満の童女が一切の穢れを知らぬまま体だけ大人になったかのような相貌に、ナミのファンデーションを握る手が固まる。

 

 これは化粧で大化けすると確信したお姉ちゃん航海士は目を血走らせながら、少女の幼顔に向かい無心にパウダーを叩き続けた。

 

 そして開始から僅か十分後  

 

 

(やば……何コレかわいい…)

 

 

 元々血色豊かで異様に目がぱっちりしている童顔の魅力を損なわぬよう、加えられるものは少なかった。

 

 だが僅かな下地に頬紅とアイシャドウ、そしてピンクのリップを塗るだけで、途端に見違えるほど﨟長けた  その艶やかな肢体に相応しい麗容の“女性”がそこに現れた。

 

 

 まるで羽化した蝶のような、美しい女性が。

 

 

「……やっぱヤメよ」

 

「ええっ!?何で?!最後までやりなさいよ!私あなたやゾロに失望されたくないもん!」

 

 唐突に化粧類を片付け始めた女航海士にルフィが強い不満を訴える。

 

 磨き上げられた少女の華やかな美貌が顔に迫り、ナミは一瞬息を呑む。

 だが、ルフィに絆されそうになっていた自分をからかうあのウザい剣士への対抗心と、姉心の独占欲に突き動かされ、ケチな姉貴分は首を横に振り続けた。

 

 これを異性に見せるわけにはいかない。

 もっと言えば、見るのは自分だけでいい。

 

 他人に見せたら減ってしまうかもしれないのだから。

 

「…失望しないわよ、絶対に。少し勿体無いけど島近いし、水とメイク落し持ってくるからソレで顔流しなさい」

 

「ほ、ホントに…?ゾロにも“ナミの言うこと聞け”って言われたから信じるケド、ホントなのね?!」

 

「あーはいはい、ホントホント」

 

 無垢な少女も流石に突然の中断には訝しんだものの、仲間の念押しにコロッと態度を軟化させる。

 

「なら別にいいわ!  って、ああっ!どうでもいいことしてたら私のニンジンが!!」

 

「諦めんの早っ!てかその顔でアイツの前に出んな!グレーが黒になるでしょうが!あといい加減に  ふ!く!を!着!ろっ!!」

 

 ずり落ちたデニムの奥に白い下着を輝かせる痴女を必死に引き止め、暴れるように身嗜みを整え終えた二人がありつけた朝食は、早朝の潮に冷え切った萎れたベーコンとニンジンだけであった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年 

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島某島海岸

 

 

 

 その日、平穏とのどかさが何よりの売りであったはずのシロップ村は小さな喧騒に包まれていた。

 

 …もっとも、村の外れに佇む木の下に集まる4つの人影がその喧騒の全てである。

 

 人並の影1つに小さな影が3つ。

 

 自称『ウソップ海賊団』なるこの悪ガキ共を一言で表すならばこの言葉が適切であろう。

 

 

   オオカミ少年。

 

 『嘘を吐く子供』とも題される有名な逸話の主人公である。

 

 その名の通り、この悪童四人組はありもしない危機を報告し村を混乱させ、その様を楽しむことを日課としていた。

 村中で知らぬ者は無い彼らは、毎日のように避難訓練と称して海岸に村を狙う海賊たちが襲来したと叫びまわり、村人たちの爽やかな目覚めを妨害することに喜びを感じる傍迷惑な存在だ。

 

 だが今日このとき、自称『ウソップ海賊団』の構成員たまねぎ少年が海岸の見回りから報告してきたことは、まさにオオカミ少年たちにとっても寝耳に水のことであった。

 

 

   海賊『“道化”のバギー』来たる。

 

 何故こんな平穏とのどかさしか無いこの島に!?

 少年たちは慌てに慌てた。

 

 考えられる連中の獲物はたった一つ。

 自称船長の少年の友人である村一番の大富豪、令嬢カヤである。

 

 当然友人を見捨てるなど『ウソップ海賊団』の恥。

 大切な故郷を、そして友人の美しいお嬢様を守ろうと、村のオオカミ少年たちは立ち上がった。

 

 嘘を嘘のままにするために。

 

 

 各々の武器を手に、震える足に鞭を打ち、問題の北の海岸にたどり着く自称『ウソップ海賊団』。

 その自称”船長”(キャプテン)である長い鼻が特徴の少年は、自慢の慎重さで手ごろな木の陰に隠れながら話題の海賊たちを覗き見た。

 

 

 男の剣士1人に、女が2人。

 

 あまりにも戦闘を想定していなさそうな面子に長鼻の少年は思わず困惑する。

 海に出たことすらない身で海賊団を自称するだけのことはあり、生粋の海賊ファンである彼の耳には名のある女海賊たちの話も届いている。

 偉大なる航路(グランドライン)を支配する()の最強の女『四皇“ビッグ・マム”シャーロット・リンリン』を筆頭に、最悪の女囚人『“若月狩り”カタリーナ・デボン』、世界一の美貌を持つと伝わる『“海賊女帝”ボア・ハンコック』…。

 直近では南の海(サウスブルー)を文字通り食い散らかす『“大喰らい”ジュエリー・ボニー』などが記憶に新しい。

 格は圧倒的に落ちるが、東の海(イーストブルー)では500万ベリーの女傑『“金棒のアルビダ”』が有名だろうか。

 

 だが目の前の女2人はどう見ても戦闘が出来そうな人物には見えない。

 両者共に、さぞ多くの男を虜にしてきたであろう艶やかな下着モデルのような体型である。

 

 特にさっきからよく目が合う、あの警戒心が足りなさそうな薄着の麦わら帽子の少女が凄い。

 もう少しその豊満なお胸を服で隠していただかないと色々と零れ落ちそうで目に毒だ。

 

 それはさておき、やはりこの中なら警戒すべきはあの三本の刀を差した緑髪の剣士だろう。

 どこかで聞いたような風貌の人物だが、さっきからどうもこちらへ視線を向けているような気がする。

 

 あの麦わら帽子の姉ちゃんにも気付かれている様だし、いっそこちらから飛び出してみるか。

 そう決断した長鼻の少年は、背後で女たちに鼻の下を伸ばしていたエロガキ三人に何度も練習した名乗りフォーメーションを取らせた。

 

 だが拙い子供たちの配置移動が幾度も隠れる茂みを揺らす。

 もうどこから見てもバレバレだ。

 

「何だ、お前ら」

 

 剣士らしき男のしゃがれた声が投げかけられた。

 まるで居酒屋で酒を頼むかのような気軽な声色に自称『ウソップ海賊団』の少年たちは出鼻を挫かれる。

 仕方なくのそのそと木や薮からその姿を晒すことにした。

 

 そして全く同じ質問を3人に返す。

 

「……いや、“何だお前ら”はこっちのセリフなんだけど。両手に美女侍らせたハーレム剣士ご一行サマってか?」

 

『違う!!』

 

「…ねぇねぇナミ……“はーれむ”って何?」

 

「知らなくてよろしいっ!」

 

 気の抜けるやり取りを見せられ、恐怖心が完全に消え去った長鼻の少年は気を大きくし、いつもの練習の成果を目の前のハーレムご一行に披露した。 

 

「ふ…ふん、まあいい。聞いて驚け!おれさまの名は~ッ、“キャプテ~ン・ウソップ”!このシロップ村を拠点とする大海賊団の船長であ~る!!ハッハッハ~ッ!」

 

「……誰?」

 

「いや…知らねェ名だ。少なくとも東の海(イーストブルー)の賞金首じゃねェな」

 

 尊大な態度で自己紹介を始めた長鼻少年の正体を冷静に分析する元賞金稼ぎ(他称)のゾロ。

 

 キャプテンと名乗ったからにはそれなりの人物だろう。

 まさか後ろの童子3人との海賊ごっこの延長で本物の海賊相手に名乗りを挙げたわけではあるまい。

 

 だが、それをやってのけるのがこの長鼻少年の心の奥底に隠された、小さな勇気の御技である。

 

「はん!ハーレム剣士サマはご存知無いと見受けられる!この“キャプテン・ウソップ”の背後には八千人の部下が控えている!恐れ入ったか海賊ども、ハァ~ッハッハ!」

 

「だからハーレムじゃねェって言ってんだろゴラァ!!」

 

「八千って……この小島のどこにそんな人数を食わせられる村があんのよ…」

 

 とんだ大嘘吐きが居たものだとナミは呆れ返る。

 

 一方、“夢”で既にこの展開を予習済みであるはずの彼ら一行のボスは、重要なこともそうで無いこともすぐに忘れるバカであった。

 

 例のあの夜の出来事から早10年。

 些細な記憶などとっくにどこかへと消えていた女船長ルフィは、長鼻の少年ウソップの発言に“夢”と合わせて3度目となる驚愕の表情を見せる。

 

「八千人!?やっぱりウソップは凄いわね!」

 

「嘘に決まって  って何でアンタ、アイツのコト知ってんのよ?」

 

「え?んー…、ないしょっ!」

 

 知らぬところで美少女元気っ娘に名前を覚えられていたウソップはしばらく目を白黒させたものの、嘘から出た実と持ち前の調子の良さで鼻高々に自慢の脳内冒険譚を披露する。

 

  そのときおれさまはヤツらにこう言ったのさ、“おれのシマで悪さァする連中は、この東の海(イーストブルー)じゃあ生きていけねェのさ”…ってな!どうだ、怖気付いたかハーレム海賊団!」

 

「ルフィ、あいつ斬っていいか?」

 

「ダメよゾロ!ねぇウソップ、それでそれで?その海賊団はどうなったの!?」

 

「はぁ……落ち着きなさいルフィ、船長がこんな嘘も見抜けないんじゃダメよ…?」

 

 長鼻少年の口八丁に翻弄されるどこまでも純粋な女船長を呆れながら窘めるナミは、段々とお姉さんキャラが様になりつつあった。

 

 そしてそんな些細なやり取りにすら意識を向ける世紀の臆病者ウソップ少年は、聞き逃せない情報を耳にし困惑する。

 

「“船長”……?  って、そっちのエロい格好のねーちゃんが船長ぉっ!!?」

 

「……ルフィ、言われてるわよ」

 

「なっ、失敬ね!!これは高町で売ってた“ぼーいっしゅ”?とかいうカッコいい女物の服で、唯一“ルフィ”っぽいから気に入ってるのよっ!高町よ、高町!“流行の最先端”?とかなんだからっ!それに私だって女なんだからちゃんと女っぽいオシャレな服着るもん!……たまにだけど」

 

 ぷいっ!とそっぽを向いて不快感を示す女船長。

 未だに昨夜の剣士の失言を根に持っている多感なお年頃の女の子であった。

 

 そんな少女の意外な姿にナミは僅かに目を見開く。

 

 だが麦わら娘が先日“オレンジの町”で物色していた婦人服を思い出し溜息を吐いた。

 多少文明的な服を着るだけでは、オシャレとは言わないのでは無かろうか。

 

「……なんでこんなのの下におめーみてェな厳つい兄ちゃんが付いてんだ…?」

 

 そんな姦しい女共を放置し、ウソップは驚愕を隠そうともしないままゾロを問い質す。

 

 この眼つきの悪い男は間違っても女の下に付くような人物ではない。

 一体どのような複雑な理由で彼女に従っているというのだろう。

 

 だが返ってきた答えは単純明快であった。

 

「“なんで”って、決まってんだろ。コイツのほうがおれより強ェからだ」

 

「……は?」

 

 強い?

 それは女の尻に敷かれている、的な強さだろうか?

 

 少年は近所の酒屋の主人の巨漢の大男が“嫁には敵わない”とグチっている姿を思い出していた。

 

 そんな疑問を抱くウソップの脳内を正確に読み取ったナミが彼の勘違いを訂正する。

 

「ああ、“ウソップ”…だっけ?気になってるみたいだから先に言っておくけど、この子、悪魔の実の能力者なのよ。ほら」

 

 そう言いながらナミが麦わら娘の頬をぐいっと引っ張る。

 

 本当にゴムのように伸びる少女の身体に、ウソップは顎が地面に付くほど驚愕した。

 噂には聞いていたがまさか実在していたとは。

 

 そんな彼の驚く表情を認めたナミは、引っ張った頬の羨ましいほどに心地よい肌触りに小さく舌打ちしながら手を放す。

 奇妙な果物をたった一つ食べただけでこのシミ一つない滑らかな柔肌が手に入るのなら是非とも馳走になりたいくらいである。

 

 そしてばちんっ、と小気味良い音を響かせながら小さく悲鳴を上げるルフィの情けない姿に溜飲を下げた。

 

「まあだから、この三人の中で一番強いのがこの麦わらっ子ってワケ。女所帯で申し訳ないんだけど、アンタの、ええと…八万人だったかしら?部下たち程度ならこの子一人で余裕で勝てるから、あまり戦うのはオススメしないわね」

 

 女故に下に見られることに慣れているナミは、悪魔の実の能力というわかりやすい武力をチラつかせ精神的優位に立とうと画策していた。

 

 目的は当然、この島の住人たちとの仲介役としてこの少年を利用することである。

 

 故郷のコノミ諸島に戻るにせよ、その後ルフィに続いて偉大なる航路(グランドライン)を目指すにせよ、この近くで本格的な船を調達しなくてはならない。

 自分たちの上陸に真っ先に反応して飛んできたことから、女航海士はウソップがこの島における一角の人物であることに期待していた。

 

 なお一味を“女所帯”と宣言されたゾロは不満げだったが、既に少年の“ハーレム剣士”呼びで気疲れしていたため無視することにした。

 

「な……ななな…ッ、べっ、べべ別に悪魔の実の能力者が相手だろうが関係ねェっ!おおおおれは誇り高き海の戦士を目指す者!たっ、たった三人の海賊に怖気付く臆病者じゃねェぞっ!!」

 

「何言ってるのよ、ウソップは私の仲間なんだから戦う必要なんか無いじゃない」

 

『…………は?』

 

 

 一瞬、麦わら娘ルフィが言い放った理解不能な発言に場の全員が固まる。

 

 そして一拍置いて我に返り、困惑した。

 

「“仲間”って……ルフィお前、コレを一味に入れるってことか?」

 

「……向こうは初対面って感じだけど、アンタだけが一方的に覚えてる昔の知り合いとか?」

 

「うぇっ!?い、いやいや知らねェぞおれは!?島から出たことないし」

 

 上下関係を明確化し船長の意思を確認するだけに止めるゾロ。

 同じく反対はしないが理由を求めるナミ。

 そしてワケがわからず混乱するだけのウソップ。

 

 三者三様の反応を前に言葉足らずの女船長が一言だけ付け加えた。

 

「う~ん、“昔”ではあるけど……“未来”?あとはないしょっ!」

 

「いや意味わかんないわよ!……はぁ、あのね?仲間ってのは計画的に募集するものなの。船の許容スペースに水食糧の調達力からお宝の配分まで、考えなくちゃならないことがいっぱいあるんだから。穀潰しを乗せるワケにはいかないし、何かその長鼻くんに一味に加えるだけの価値があるの?」

 

「いやまずおれの同意を求めろよハーレム海賊団!!」

 

 あまりに適当としか思えない勧誘に呆れたナミは懇切丁寧に一般的な海賊の経済事情を掻い摘んでルフィに説明する。

 

 一人当事者が叫んでいるが、その言葉に耳を傾ける者はいない。

 剣士も航海士も、ウソップがあの謎のカリスマを持つ我らの女船長の誘いを断れるほどの猛者には見えず、彼の意思は無いものと判断していた。

 

「価値?ウソップは狙撃がとても上手よ!ね、ウソップ?」

 

「えっ、お、おう  って何で知ってんだ…?ホントにおれ、この女とどっかで会ってるのか…?」

 

 唐突に初対面の女海賊に自分の特技を評価されて戸惑う長鼻少年。

 まじまじとルフィの童顔を見つめるも、自身の記憶に該当する人物はいない。

 

 まさか本当にこの『キャプテン・ウソップ』の伝説が島の外にまで広まっているというのだろうか。

 

 少年はその可能性に身震いした。

 恐怖から。

 

「ほう、狙撃手か。海賊である以上、海戦に備えるために確かに要るな」

 

「狙撃手って…大砲無いのにどう“要る”のよ。まずは船医でしょ、どう考えても…」

 

 そもそもまずは船が先だとナミは本来の目的をルフィが忘れぬように念押しする。

 

「というワケだから、ウソップ!船長命令です!船ちょ~だい?」

 

『どういうワケだよ!?』

 

 

 新たな海賊王の狙撃手、『“ゴッド”ウソップ』。

 

 後にその名で恐れられるようになる未だ無名な少年が恋焦がれた海賊人生の始まりは、その波乱万丈な冒険譚に相応しい  ドタバタとした“出会い”であった。

 

 


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