ルフィちゃん(♀)逆行冒険譚   作:ろぼと

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12話 オオカミ少年・Ⅲ (挿絵注意)

大海賊時代・22年 

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島某島シロップ村

 

 

 

「あらウソップ!船番ご苦労様っ!こっちで一緒に食べましょ!」

 

 食事所『MESHI』の野菜と酒の在庫にクリティカルダメージを与えつつあった『麦わら海賊団』の三人の下に、暗い顔をした新入りの長鼻少年が戻ったのは、とっぷりと日が沈み店が賑わい出す時間帯だった。

 

 未だこの居酒屋紛いの食堂に彼らが屯している理由は大したものではない。

 ただの成り行きだ。

 

 ことの始まりは最古参の青年剣士ゾロ。

 村一番の富豪、令嬢カヤの屋敷へ帆船の商談に向かった一味の女性陣と新入り少年。彼ら彼女らの下へ合流しようと店を出た剣士ゾロであったが、この当代随一の方向音痴に目的地へ辿りつく力などあるはずがない。

 どれほど歩いても同じ食堂の前に戻って来てしまう彼が苛立ち、再度店の葡萄酒に手を出したところへ、新入りのウソップに船番を任せて屋敷から戻ったルフィとナミと遭遇。

 そのまま三人で夕食を食べつつ、「海賊らしいことがしたい」と言い残し一味の船へ…もとい生まれて初めて目にするお宝へと走り去っていった新参海賊少年の帰りを待っていたのであった。

 

 だが定時を過ぎてようやく戻った彼の顔には、確かな焦心と、不安げな躊躇いが浮かんでいた。

 

「……どうしたの、ウソップ?」

 

「……あぁ」

 

 幼げな澄んだ音色が鼓膜を震わせ、名を呼ばれた狙撃手ウソップはちらりとその声の持ち主である少女船長を一瞥する。

 

 

 船長ルフィに父ヤソップの話を聞かされ、『麦わら海賊団』に加わる決意をした長鼻の少年。

 

 だが父の友人であり、敬意を払うべき一味のキャプテンとはいえ、その姿はまるで発育が良いだけの童女。

 憧れる“勇敢なる海の戦士”とは真逆の見た目の少女が、息子たる自分を差し置いて父と親しくしていた事実は、どうしても納得し辛いものがあった。

 

 父に認められた人間とは思えない、幼稚な人物像。

 そのような女の下に付くことに漠然とした不満がある少年は、初めて自分にヤソップの話を持ってきてくれた大恩があるからこそ無下にも出来ず、未だに彼女への接し方に戸惑っていた。

 

 

 とはいえ、そのようなことは二の次。

 

 未だ迷いが色濃く、ウソップは思い詰めた表情のまま航海士ナミの隣に腰掛ける。

 ちゃっかり一番戦闘力を持たない人間の近くに座るところが彼の危機回避術なのだろう。

 

 そのおびえた様子に、余程の大荒れになる内容を予想した女航海士の顔が僅かに引きつった。

 

「…いつまでウジウジしてんだよウソップ。何だ、例のお嬢様にでも振られたか?」

 

「ッ、うるせぇ!お前みてぇなハーレム野郎と一緒にすんな、色ボケ剣士!」

 

「よぉし良い度胸じゃねぇかクソ長鼻ァ。表出ろ、刀のサビにしてくれる」

 

 女所帯の一味で肩身の狭かった剣士が同性のウソップ少年の加入で活き活きとしている。

 

 そんなバカ同士の言い争いに痺れを切らしたナミは海賊らしく、少し強引に聞き出すことにした。

 

「ねぇ、長鼻くん。ちょっといいかしら?」

 

 女航海士は値踏みするような目でウソップを見つめる。

 

 ルフィのいつも通りの強引な勧誘であったが、意外にもこの少年は自分やゾロとは異なりすんなり仲間に加わる決断をした。

 大海賊の父を持つ身。初めて出会った本物の海賊、そして双胴船『リトルトップ号』に積まれていた眩い黄金の輝きに、自身の海賊への憧れを抑えきれなかったのだろう。

 

 連中を海のゴミ共と蔑むナミの胸中は複雑であったが、村を  延いては病弱な友人の女の子を守ろうと臆病な心を奮い立たせ“海賊狩り”や悪魔の実の能力者のルフィに挑もうとする少年の勇ましさは嫌いではなかった。

 

 ならば今の内にちょっとした“上下関係”を仕込んでおいても損はなかろう。

 自分には船長のような優れた戦闘力は無いが、組織における優劣とは何も武力だけで成り立つものではないのだから。

 強かな女の本領発揮である。

 

 ナミはゾロの肉の塊に刺さっていたナイフを手に取りウソップの前で見せ付けるように遊び始めた。

 

「あのね。すごく辛そうな顔してる人が近くにいたら食事がとっても不味くなるの。アンタもそう思わない?」

 

 ひゅっ…と息を呑むウソップ少年の反応に満足した泥棒美少女は、鞭の次に飴を与える。

 

「でもせっかくこうして同じテーブルを囲ってるんだし、相談ごとならお姉さんたち優しいセンパイが聞いてあげるわよ?」

 

「…ッ!」

 

 そして最後にもう一押しと肉にナイフをドスン…!と突き立て直した。

 ご丁寧に靴のハイヒールで床を踏みつけ音をかさ増ししている。

 

「私たちの美味しい食事のために、ね?」

 

 初めて目にする場慣れした女海賊の恐ろしさに、ウソップの躊躇はあっけなく崩壊した。

 

 

  あの執事が、海賊?」

 

 尋問まがいの問いかけに彼が語った話の内容を一言で纏めたナミは、証言者の少年に要点を確認する。

 

 事実女航海士のまとめた通り、ウソップは富豪の屋敷に仕える執事クラハドールと奇術師ジャンゴの密会を目撃していた。

 

 小船まるまる二隻分の金銀財宝を涎塗れの顔でうっとりと眺めていた少年はそのとき海賊としての幸せを堪能していた。

 そんな至福の船番のひと時は、突然聞こえてきた数人の砂を踏みしめる足音に妨害される。

 

 すわ盗人か!と怯えながら慎重に様子を窺った彼の目に飛び込んできたのは、あろうことか、あの忌々しいメガネの執事クラハドール。

 

 いかにも密談らしい現場に遭遇したウソップは執事の弱みでも握れないかと聞き耳を立てていたが  聞こえてきた話の内容はそれどころではない信じ難い事実。

 

 

 執事クラハドールの正体が、あの元大物賞金首『“百計”のクロ』。

 

 

 大の海賊好きを自称するだけのことはあり、頭脳派海賊という珍しい賞金首であったその名は、手配書失効から三年が経った今でもウソップの記憶に微かにだが残っていた。

 

 そんな極悪人が企んでいたのは、部下の催眠術師の力を使い、主人たる令嬢カヤの財産を強引に引き継ぐこと。

 

 おまけに連中は作戦の囮役として自身の海賊一党を近くで待機させているらしく、状況は既に予断を許さないものとなっていた。

 

 その後二人が去るのを焦がれるように待ち続け、差し迫る村の危機を一秒でも早く伝えようと真剣に家々を回り、そして何より大切な令嬢カヤに伝えようと彼女の屋敷へと向かったウソップ。

 

 しかし、ここで()の有名な童話が現実となる。

 

 無数の嘘吐きの前科を持つ彼に、唐突に「お前の執事は海賊だ」と言われて誰が真剣に話を聞こうとするだろうか。

 案の定、村人たちは全く聞く耳持たず、肝心のカヤにさえ少年の声は届かない。

 

 そして執事を侮辱され不快感を露にする令嬢と、必死の形相で危機を訴えるウソップの言い争いの途中、渦中の執事クラハドールが帰宅する。

 自分の悪事の計画を暴露する悪人などおらず、当然鼻で笑われ彼は屋敷を放り出されることとなった。

 

 以後の長鼻少年は好意的だった友人カヤの信頼も失い途方にくれていたが、クラハドールが作戦を延期するほど警戒していたあの“海賊狩り”ならこの一大事を治めることが出来るのではないかと思い至り、こうして食事所で肉から野菜から酒まで根こそぎ飲み食い散らかす自身の新たな仲間たち『麦わら海賊団』の下へと足を運んだのである。

 

「…てめェまた嘘吐いてんじゃねェだろうな?」

 

  ッッ!嘘なんかじゃねェっ!お前らまで信じてくれねェのかよ!?新参者だけど仲間じゃねェか、おれっ!!」

 

 またいつものアレか、と白い目を向けてくるゾロにウソップはムキになる。

 自業自得とはいえ誰にも信じてもらえない虚しさに苛まれ続けていた彼は、その遣る瀬無い思いを怒声に訴えるしかなかった。

 

 とはいえ、自分自身で村人の説得が出来なかった以上、最早この未曾有の危機を乗り越えるために協力を仰げる相手は彼らのみ。

 怒れる自分の心を何とか自制して、ウソップは剣士に今一度頭を下げる。

 

 仲間とはいえ、これは彼とは何の関係の無い自分自身の都合なのだから。

 

「…まさかアンタがあの“海賊狩り”とは思わなかった。そしてそんな男を下に付かせるほどの悪魔の実の能力者。お前らの力がどうしても必要なんだ!あの執事野郎から村を…カヤを守るために!!」

 

 無論、彼の望みは助力などという生易しいものではなく、海賊迎撃の中心になってくれという、主力としての参加要請である。

 

 そのためウソップは仲間に己の全てを差し出すつもりでここまで足を運んでいた。

 

「執事野郎は“海賊狩り”が島を去った後に作戦を実行すると言っていた!なら一度島を出てヤツらの襲撃に合わせて背後から再上陸すれば連中を撹乱出来るかも知れねぇ!」

 

「へぇ…新入りのクセにこの俺に向かって正面から“敵陣ど真ん中に特攻しろ”って言い放つたぁ、いい度胸してんじゃねぇか。長っ鼻ぁ…」

 

 初めてゾロの体から殺気が放たれウソップの心臓が悲鳴を上げる。

 

 猛獣だの飢狼だの様々な怖ろしい異名を持つ“海賊狩り”の気迫だ。

 身構えてはいたが、まさかこれほど怖ろしいものだったとは。

 

 だが、同時に  頼もしい。

 

  ッ、ああ、何度だって言ってやるよ!一味に入れてもらって最初に言うことが“助けてくれ”だなんて幻滅するだろうが、この村はおれの故郷なんだ!」

 

 守りたいものを守るために、少年は剣士の殺気に怯む己を必死に奮い立たせる。

 そしてそれは、臆病者を自称する少年の胸の奥底に宿る、父親譲りの“勇敢な海の戦士”の心であった。

 

「頼む!村を救ってくれたら何だってやってやる!下僕でも雑用でも構わねェ!金も稼ぐ!酒も手に入れる!なんなら俺の命だって  

 

「ウソップ」

 

「…ッ!」

 

 

 だが少年の一世一代の覚悟を込めた言葉は、男の呼びかけによって中断された。

 

「おれたちは海賊だ。荒くれ者共だろうと組織には秩序ってモンがあんだよ。なにより  

 

 言葉を続けたゾロが面白そうに笑いながら顔を自分の隣へ逸らした。

 

 

   クルーが真っ先に頼るべきなのは、同じクルーのおれじゃねェだろ?

 

 

 ウソップの心に一瞬の虚無が生まれる。

 

 だがハッとあることに気付いた彼は、恐る恐るゾロの視線を追い  一人の少女の顔を見た。

 

 

「海賊は来るわよ」

 

「…へっ?」

 

 すると、それまで無言を貫いていた一味の女船長がその口を開いた。

 

「海賊は来る。だってウソップは嘘吐いてないもの」

 

 じっ…と見つめてくる端整な顔の麦わら娘に少年はたじろいだ。

 その視線に捕らわれた彼は、一瞬で少女の大きな双眸に引き込まれる。

 

 外の星空より美しい夜色の瞳が、無数の希望の星々で煌々と輝いていた。

 

「それに、困ってる仲間を助けるのは、船長の私の役目だもん。私はそのために強くなったんだから」

 

 そんなルフィとその瞳に見惚れているウソップの二人の姿に、隣の剣士と女航海士は呆れたような笑みを浮かべながら少年の行く末に同情していた。

 ああなってしまったらもう逃げられない。経験者は身を以ってそう語るだけだ。

 

 そして満面の笑顔の女船長が、未だ女の自分を認めてくれない無礼な新入りの仲間に問い掛けた。

 

 

「“私”に言いなさい、ウソップ。  どうして欲しい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年 

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島某島シロップ村

 

 

 

「俺に作戦がある」

 

 そう言い出したのは『麦わら海賊団』の一味に新規加入した狙撃手ウソップである。

 

 現在、彼ら一同は人目を避け少年の母が残した自宅の一室に集まっていた。

 まるで真夏の怪談のように蝋燭1本を囲んで額をつき合わせていた彼らは、静かに家の主人の提案に耳を傾けながら続きを催促する。

 

「まず一連の流れとしてはメシ屋で話した通り、目立つゾロを中心におれらが堂々とこの島を出航するフリをする。そんで闇夜に紛れて密かに船を戻し、執事野郎が作戦を発動させるまで隠れて待機。連中の作戦発動後にヤツの一味が島に上陸してくるまで身を潜め、臨機応変に撃破!以上だ!!」

 

「…おい、最後テキトー過ぎねェか?」

 

「うっ、うるせェ!執事野郎本人の動きがさっぱり読めねェんだよ!一味を倒してもヤツが無事なら何仕出かすかわからないから一緒に倒さねェと……」

 

 少年のあまりに杜撰な作戦にゾロは溜息を吐く。

 だが彼の言い分には仕方が無い部分もある。

 

 わからないのは執事クラハドールの動きだけではない。

 判明しているもう一人の主犯格である“ジャンゴ”なる奇術師の存在がそうだ。

 執事の発言では人を操る催眠術が使えるとのことであったが、その実力は未知数である。

 

 計画の阻止にはこの男の排除も絶対。

 出来ればヤツの情報が欲しかったが、動けば動くほどこちらの目的がバレる可能性も上がるため我侭は言えない。

 

 状況的に、おそらくソイツが昼間の食堂の不審者の正体だろう。

 やはりあのときに無理やりケンカを買ってでも倒しておくべきだった、とゾロは少し後悔する。

 

  そのゾロがあの食堂で見たグラサンの男が“ジャンゴ”って奇術師なら、アンタかルフィのどっちかで簡単に倒せそうね。殴れば終わりでしょうし」

 

「雑魚そうだったのは振る舞いだけだ。油断してると大抵碌な目に遭わねェぞ、ナミ」

 

「別にソイツじゃなくても、執事を私が一発殴ればそれで全部おしまいよ?……あっ、だったら今から直接屋敷に乗り込めばいいんじゃないかしら!」

 

「やめなさいバカ!たった一つの証言でぶっ飛ばして“コイツ悪いヤツです”って言っても誰も信じないわよ!それにまだあのカヤお嬢様から船貰わないといけないんだから…!」

 

「あ、そっか…」

 

 妙案とばかりにその幼げな顔を輝かせる女船長をピシャリと叱るナミ。

 

 萎れるルフィの哀愁漂う姿に呆れつつも、少しだけ胸が痛んだゾロは少女の案を小さくフォローする。

 

「…まあでも実際ルフィの実力でこの東の海(イーストブルー)の海賊相手に苦戦するとは思えねェし、お前が前に出るなら迎撃は適当でいいだろうぜ。村と例のお嬢様を襲わせなければこっちの勝ちなんだから、ボスの執事を倒せば終るっつールフィの考えは間違いじゃない」

 

「ゾロ…!」

 

 拙い頭で何とか捻り出した作戦の方向性を褒めて貰った女船長が背中の影を取り払い、感極まった笑みを浮かべる。

 コロコロ変わる少女の愛らしい表情が青年の目を捕らえて離さない。

 

 そんな動揺するゾロの内心を的確に突く女が一人。

 

「あら、随分ルフィに甘いじゃない…?」

 

「……棚の上から見下ろす景色はさぞ良いモンだろうな。なぁ、“ナミお姉さん”?」

 

「うぐっ!……わ、私はちゃんと叱りますぅっ!」

 

 なお、ただの墓穴であった模様。

 

 未だに“オレンジの町”でからかわれたことを根に持っている頑固な女航海士。

 隙在らば仕返ししてやろうと剣士に挑むその姿は彼女らしくない子供じみたものであった。

 

 

 そんな見えない火花を散らす剣士と航海士に、新入りのウソップはポカンとマヌケな表情を浮かべてしまう。

 

「……お前……仲間に好かれてるんだな…」

 

 まるで兄姉に可愛がられる妹のような女船長。

 海賊の親分と配下というよりは仲のいい兄妹のような関係を一味の仲間たちと築いているルフィに、少年はぽつりと呟く。

 

 そしてその呟きはウソップ邸の密室によく響いた。

 

「なっ!べっ、別におれは…っ!コイツとは技を教わる対価につるんでるだけだ!」

 

「そっ、そうよっ!“仲間になれ”ってしつこいし…強いから私の目的のために不本意ながら一緒にいるだけよっ!」

 

 新入りの客観的な視点を知った兄貴分・姉貴分のゾロとナミが慌てて反論する。

 だがその慌て様はどこからどうみてもただの照れ隠し。

 隣で目をダイヤモンドのように輝かせている通り、ルフィでも気付けるほどだ。

 

「やぁん、もうっ!二人ともだぁ~いすきっ!!」

 

 そして感極まったのか、少女がそっぽを向く仲間二人に飛び付き、その見事な双子山に彼らの顔を埋めるように抱きしめた。

 

「そうよ、ウソップっ!二人とも私のこと大好きだし、私も二人のこと大大だぁい好きなのっ!私の命より大切な仲間たちなんだからっ!!」

 

『むーッ!むぅぅぅぅっ!!』

 

「そ、そうか……でもその命より大切な仲間たちが今まさにお前のおっぱいの中で溺れて命を終えようとしてるんだけど……?」

 

「あ」

 

 両胸に埋まったまま必死にもがく剣士と航海士の危機的状況にようやく気がついたのか、女船長が二人の拘束を解く。

 

  ぷはっ!てっ!てめっ!!何し  

 

「ルゥゥゥフィィィッ!!“あ”じゃないわよアンタホントいい加減にしなさいよ!気安く男に触んなって今朝言ったばっかでしょ!?今のサービスで十万ベリーは取れるのよ!?二度とすんなァッ!!」

 

「え、待って困る!まだウソップ抱きしめてないの!ウソップも大切な仲間よっ!」

 

「やめんかバカァァッ!!」

 

 その言葉にウソップは咄嗟に少女の顔を見る。

 そしてそこにあった真剣な表情に彼女の本気を確認した後、少年は流れるように視線を下し、これから己が迎え入れられる桃源郷を凝視してしまう。

 

 親しい異性など病弱な令嬢カヤしかいない身だが、自分は別に女の体に興味が無いわけではない。

 合法的にそのでっかいマシュマロに触れることが許されるのなら、男としてどうして躊躇うことが出来ようか。

 

 だが、世の中はそう青少年たちに優しくはなかった。

 

  ウソップ、わかってるわね?!アンタルフィに触れたら殺すわよ!?」

 

「はっ、はひっ!役得とか考えてスンマセンでしたァァ!!」

 

「ゾロもそんなムラムラモジモジしてる暇あったら刀でも手入れして精神統一してなさいっ!このむっつりラッキースケベ!!」

 

  ッッ!?しっ、してねェよてめェッ!!」

 

「……ねぇ、三人とも近所迷惑だから静かにしなさいよ。子供じゃないんだから」

 

『お前のせいだろクソゴム女ァァァ!!!』

 

 

 見事に部下三名揃って船長を怒鳴りつける。

 全く以って不本意ではあるのだが、そのくだらない突っ込みに参加出来たおかげで、ウソップは少しだけ彼ら『麦わら海賊団』に溶け込めたような気がした。

 

 コイツらとなら、あの1600万ベリー賞金首の『”百計”のクロ』が相手でも勝てる。

 そんな根拠の無い自信が、胸中の焦げ付くような不安を和らげてくれた。

 

 そして己の一味の絆に満足したのか、一味の船長がその大きな胸を反らし新入りの狙撃手ウソップの作戦を採用すると宣言した。

 

「じゃあウソップの案で精一杯目立って出航して、そのあとこっそり上陸して執事を迎撃することにするわ!皆いいっ?」

 

「異議なし」

 

「私もいいわ。諸島沖の夜間航行は私たちが乗ってきたあの小船だと相当不安だけど……」

 

「そんなの何とかしなさいよ、航海士でしょ?」

 

「船に構造的な限界があんのよっ!沈んだらバギーたちから奪ったお宝まで全部パァなのよ?!せめてここウソップの家に置かせてもらえない?こんな平和な村なら盗まれる心配なんてないだろうけど…」

 

 概ね作戦に同意してくれた一味の仲間たちは、一斉にウソップへ顔を向ける。

 やる気に満ちた、闘志溢れる本物の海賊たちの目が、無垢な少年の心を射抜いた。

 

 そこに輝く夢と希望、そして確かな信頼の光が、故郷を愛する少年狙撃手の胸に感動を沸き上がらせる。

 

 

   勇敢なる海の戦士。

 

 

 尊敬する父が母に残した、大切な言葉。

 その幻想の片鱗が、目の前の海賊たちの決意の瞳に垣間見えた気がしたのだ。

 

 少年は胸に溜まった心地よい熱を慈しみながら、男らしく力強く頭を下げ、己の新たな仲間たちに感謝した。

 

「お前ら…!恩に着る…っ!!」

 

「しししっ!やっと海賊一味に慣れてきたみたいね、ウソップ!これが私たちよっ!ようこそ“麦わら海賊団”へ!!」

 

「狙撃手が加わったんなら海戦がしてェな。お誂え向きの敵がいるんだが…手元に船と大砲がねェのが残念だぜ」

 

「ったく……勘違いしないでよね?コイツらがおかしいだけなんだから。海賊ってホントはもっと貧乏で薄暗くて…意地汚くて汚らわしくて醜くて下種揃いで憎くて憎くて  

 

「はいはい落ち着いてナミ。頭撫でてあげるから……なでなで」

 

  ッ、あぅ……って、やめんかコラ!!」

 

 そんな女性陣を尻目にゾロが少年に作戦の詳細を求める。

 

  んで?目立って出航するのはわかったが、何か策でもあんのか?」

 

「目立つだけならコイツらにサラダとお酒渡すだけで勝手に盛り上がってくれるけど」

 

 剣士の問いは当然のもの。

 故にウソップは、彼らの助力で生まれた精神的余裕でとある作戦を密かに考えていた。

 

「ああ……それでなんだけどよ  

 

 心強い味方を得た、この『キャプテン・ウソップ』の最初の船出。

 少年は最後の仕上げと勇気を振り絞り、その問いを仲間たちに投げかける。

 

  おれらって一応“海賊”だよな?」

 

「うんっ!」

 

「おう」

 

「まぁ…不本意ながら」

 

 三人が各々の思い通りに頷く。

 そんな彼ら彼女らの答えに、ウソップの口角がいやらしく吊りあがる。

 

 狙撃手のその表情は、初めて海に出る若い少年の顔とは思えない、立派な悪党の笑顔だった。

 

「ならさ  

 

 

 

   “海賊”の船出が地味だなんて、カッコ悪いと思わねェか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島シロップ村“富豪家の個人桟橋”

 

 

 

 翌日、平穏とのどかさが売りのシロップ村はかつてないほどの騒ぎに包まれていた。

 

「お、おれの財布が無いぞ!?」

 

「仕入れたばっかりの酒樽も消えてらぁ!」

 

「泥棒、いや  “海賊”だぁ!!」

 

 家々から飛び出し右往左往する村人たちの間を一人の女が駆け抜ける。

 

 人目を惹く見事なスタイルをしたその美少女は、橙色の綺麗な髪の毛をジョリー・ロジャーが描かれている黒のバンダナで覆い隠していた。

 

 麦わら帽子を被った骸骨の海賊旗、『麦わら海賊団』の一員を示すものである。

 

「おーっほっほ!シケた村だったけれど、私の手にかかれば塵も積もって山になるってね!取り戻したければ桟橋まで追っていらっしゃい、おーっほっほ!」

 

 まるで舞台女優のような芝居がかったセリフで自身の犯行を自慢する女は、村人たちの注目を確認すると一目散に村外れの桟橋まで逃げ出した。

 

 このような明確な悪意に晒された経験の少ない平和なシロップ村の村人たちは何が起きているのか理解出来ないまま、海賊を自称する女を追って桟橋まで走る。

 

 そして、信じられない光景を目にした。

 

 

「みんなぁ~、ごめぇ~ん!おれ、捕まっちったよぉ~!」

 

「オイラたちもぉ~!えっと、こ、こわ~い…?」

 

「かっ、海賊たちの言うこと聞かないと、オレたち酷いことされちゃうかも~!」

 

 そこには村の富豪一家が所有する2本マストのキャラベル船に陣取り、村の子供たちを人質に取った3人の海賊たちがいた。

 

 ロープでぐるぐる巻きにされた4人の少年たちを見せびらかすように、その両脇には先ほどの泥棒少女と三本の刀を差した剣士がふてぶてしく佇んでいる。

 

 あまり人質の少年たちに怯えの色が見えないのがせめてもの救いといったところか。

 どうやら今すぐ非道な行為に出るわけではないらしい。

 

 村人たちが集まるのを悪い笑顔で見下ろしていた海賊たちの下に、数名の身形の整った男女が慌ててやってきた。

 村長モーニンと村の富豪家令嬢カヤおよびその執事たちである。

 

「君たちは昼ごろの…っ!一体何者なのです!?子供たちを放しなさい!」

 

 メガネの執事クラハドールが一同を代表して海賊たちに問いかけた。

 

 その目には子供たちへの愛情などなく、あるのはただ怒りのみ。

 男が呟いた「余計なことを」の小さな声が届いたのはこの場の二人ほどだろう。

 

 そんな彼の苛立った問いかけに上機嫌に返答したのは、甲板の最前列で両手を腰に当て最も偉そうな態度を取っている人物だ。

 

「しっしっしっ!私は海賊王になる女、“麦わらのルフィ”!あなたたちの財宝はこの“麦わら海賊団”が頂いたわ!」

 

 高らかと玲瓏な声を上げるのは一味で最も小さなシルエットの持ち主、麦わら帽子を被った最年少らしき女の子だ。

 赤の袖無しブラウスの裾を胸下で結び、下はデニムのショートパンツを穿いただけのその姿はとても海賊行為のような悪事を働く人物のそれには見えない。

 

 だが彼女から発せられる強烈な気迫が、少女の華奢な容姿をただならぬ人物と錯覚させていた。

 

「私の願いはただ一つ!一味のステキな船出を邪魔しないことっ!そしたら近くの島にこの子たちを解放してあげるわ!」

 

 すると彼女は一気に空へと飛び上がり、大きく息を吸い込んだ。

 

「なっ!?ひ、人があんなに大きく膨らんで!?」

 

 まるで巨大な風船のように膨らんだ少女に驚愕の声を上げる村人たち。

 そんな彼らを余所に、“ルフィ”と名乗った女海賊がその体に溜め込んだ空気を広がる帆に向かって一気に吹きかけた。

 

「ゴムゴムのぉ~追い風ぇっ!!」

 

 強風が吹きマストが軋みを上げながら、キャラベルを桟橋から解き放つ。

 

 みるみる内に距離が離れていく海賊たちの乗る船を唖然と見送りながら、村人たちはようやく理解した。

 

 

 自分たちの平和な村が、悪逆非道の海賊たちに襲われたことに…

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

「酷い…何て事…っ!」

 

 水平線へと消えていく船『ゴーイング・メリー号』を、令嬢カヤは悲痛の表情で見続けていた。

 

 蔵の海賊被害の確認に向かった執事クラハドールに代わり、茫然自失とした病弱な少女の肩を抱いているのは、長年家に仕えてきた執事メリー。

 自分の設計した船が盗まれ心穏やかではいられないはずなのだが、それをおくびにも出さずただ主人たるカヤの体を案じる彼に、令嬢の心に僅かな温かさが戻る。

 

 だが、それでも少女の胸中は乱れたまま。

 彼女の瞼の裏には連れ去られた大切な友人の、申し訳なさそうな顔が焼きついていた。

 

 一体彼は自分に何を申し訳なく思っていたのだろうか。申し訳なく思っているのは自分のほうなのに。

 

「ウソップさん……まだ仲直りも出来ていないのに…」

 

 いつも自分を優しい嘘で励ましてくれる、お調子者の長鼻の少年。

 

 先日は不本意な形で喧嘩別れとなってしまったものの、カヤにはこれまでの彼の優しい気遣いが忘れられないでいた。

 一度ゆっくりと話し合って、酷い言葉をぶつけてしまったことを謝罪したかった。

 

 本当にあの海賊たちは村の子供たちを、彼を返してくれるのだろうか。

 そのことを考えると、カヤは震えが止まらなくなった。

 

 何か、何か自分に出来ることは無いか。

 

 そう必死で考えた令嬢は、昔父に見せてもらった一枚の紙のことを思い出した。

 

(そういえばお父様の書斎に…!)

 

 

   もしものときにその番号を使いなさい。

 

 その父の教えを忠実に守ってきた病弱の令嬢カヤは、大切な友達の一大事に、彼から貰った“生きる勇気”を燃え上がらせる。

 

 そして、最も長く仕えてきた自分の執事にある指示を出した。

 

 

「メリー、お父様の書斎に参ります。机の三番目の引き出しの鍵を渡してくれる…?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もし、麦わら帽子の海賊少女が“斧手のモーガン”指揮下の海軍第153支部を崩壊させていなかったら。

 もし、三刀流の剣士の悪名が上がらず、それがジャンゴの目に留まっていなかったら。

 もし、海賊専門の女泥棒が近隣の海軍の動向に気を配っていたら。

 もし、長鼻の少年が海賊に誘われ舞い上がっていなければ。

 もし、大富豪の令嬢が友人の危機に立ち上がる勇気を振り絞れなかったら。

 もし、簒奪者の執事が目先の海賊被害の確認に固執せず、常に令嬢の側にいたら。

 もし、もし、もし…

 

 そんな無数のイフの、どれか一つでも現実であったのなら、平穏だったはずのシロップ村が更なる混沌の未来へと進むことはなかったであろう。

 

 

 

 通常、自治体が海賊被害にあった際、その訴えは基本的に自治体が隷属する国家直属の治安維持組織が受理する。

 

 そして国家に属さない独立市町村に該当するシロップ村において、その訴えに応じることが出来る治安維持組織がたった一つだけ存在する。

 

 

 

 

 世界政府直属治安維持組織  『海軍』である。

 

 

 

 

 


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