ルフィちゃん(♀)逆行冒険譚   作:ろぼと

2 / 41
幼年期編
1話 エースとサボ


 麦わら帽子の海賊少女ルフィは6歳のとき、ある夢を見た。

 自分と同じ名を持つ少年が海賊王を目指し海を冒険する物語である。

 

 ()の大海賊『赤髪のシャンクス』と出会い海賊たちの世界に関心を寄せ始めていた少女にとって、その“夢”は非常に具体的な指標となった。

 

 

 当初、少女は“夢”と現実の境がわからず混乱していた。

 しかし持ち前の頭脳で“深く考えない”という天才的発想に至り、見事全てがこんがらがったまま日常を過ごすという荒業に出る。

 

 自分の近くにルフィ少年の海賊船『サウザンド・サニー号』やその仲間たちがいないのなら、そうなのだろう。

 試しに意識してみれば聞こえるはずの無い不思議な“声”が聞こえ始めたり、殴る意思を強く持つと腕が黒鉄色に染まったりしたのも、そういうことなのだろう。

 

 不安はあれど、深く考えなければ悩む必要も無いと、少女は割り切ることにした。

 

 

 …ようはいつものように何も考えていないだけである。

 

 

 しかし本来冒険とは未知を既知とすることに大きな達成感を得る行為である。

 まるで未来の写しのような“夢”はその達成感を夢見る幼い少女から奪うものでもあった。

 

 だがルフィは“夢”の少年とは異なり、女性である。

 性別の違いは2人のルフィの環境や精神性に大きな差異を齎していた。

 

 

 まずルフィ少年のときとは異なり、シャンクスは彼女に自身の冒険を大々的に語らなかった。

 

 祖父ガープのしつこい海軍自慢に飽き飽きしていたルフィが彼の率いる『赤髪海賊団』に“海軍と敵対する連中”としての興味を抱き、酒場に屯する彼らに近付いたのが2人の出会いである。

 祖父へのコンプレックスから生まれた小さな憧れを無責任に煽るほどシャンクスは外道ではなかった。

 

 愛くるしい笑顔が印象的なかわいい女の子に相応しい目指すべき夢は他に沢山あるのだ。

 わざわざ海賊などという汚くむさ苦しい犯罪者の業界に身を堕とす必要などどこにもない。

 

 もちろん男として  童女とはいえ  女に己の偉業を語りたい心情が無かったとは言えない。

 彼女の熱意に負けて渋々語った武勇伝が知らぬ間に一味総出の語り合いになり、少女の目を輝かせてしまったこともあった。

 

 だがその輝きも彼らの不幸自慢になるころには陰っていた。

 故にルフィが当時彼の話から抱いた海賊の印象は、まさに臭い汚いキツいの3Kが揃った最悪の環境の中にポツンと遠くに光る夢があるだけの、地獄のような職業であった。

 

 

 そのためルフィの見た“夢”は自身の海賊観を大きく変える素晴らしいものとなった。

 

 未だ幼く将来の目標より目先の甘味に興味を示すお年頃。自分と同じ名前の少年と体から心、魂まで同調し体験した彼の海賊人生は、その具体性に加え自分との共通性の双方の観点からルフィの興味を大きく引いた。

 それこそ、もし自分が男に生まれたのならこの“夢”のようなステキな人生を送っていただろう、と確信するほどに。

 

 

 ”ルフィ”のような人生を送りたい。

 そして彼と共に海賊の頂点に立つ。

 

 それが少女の夢になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・12年

東の海(イーストブルー) ドーン島コルボ山“大裂け目の谷底”

 

 

 

「そこぉ!」

 

 森の中から聞こえてくるはずのない種類の轟音がコルボ山の山中に轟く。

 

 音の発生源は、村の酒屋の女主人から拝借した布切れで目や耳を覆いながら、ジャングルの猛獣たちと戦う6歳児。

 年端も行かぬ小さな幼女が自身の5倍近い躯体の巨大な狼の猛攻を軽々と避けながら翻弄する光景を前にして、人はまず己の目を疑うであろう。

 

「すごい…ホントに相手の位置も考えてることも全部わかっちゃう…!」

 

 猛獣相手に大立ち回りを魅せる少女、ルフィは現在、“夢”のルフィ少年が使っていた力を模倣しようとしていた。

 

 今彼女が試しているのは“見聞色の覇気”と呼ばれる力だ。

 周囲の生物の気配を感じ取り、極めた者は他者の心を読み、万物の声を聞き、未来さえも見通すことが出来るようになるという。

 

 この力は“夢”の中でルフィ少年を苦しめた強敵『シャーロット・カタクリ』が自在に操っていたものである。

 少女が憧れるルフィ少年もまた、カタクリとの競い合いを経て同等以上の力を手に入れていた。

 常に自分の先を進む“夢”の彼に追いつくことを当面の目標としている少女ルフィは己の決意を新たにし、力いっぱい拳を握り締める。

 

 そして  

 

「どりゃあああっ!」

 

 母親代わりの女店主が聞けば頭を抱えるであろう女らしさの欠片もない野太い咆哮を上げながら、ルフィは隙だらけな巨狼の脳天に、黒色に染まったそれを叩き込んだ。

 骨が砕け肉が潰れるえげつない音が周囲に響き渡る。そして10m以上もある猛獣が顔のありとあらゆる穴から鮮血をぶちまけながら吹き飛び、地響きと共に地面に倒れ付した。

 

「こっちもたまになら出来るみたい…」

 

 事切れた巨狼に目もくれず、ルフィは鋼のように鈍く光る己の右腕をまじまじと見つめる。

 

 現在、少女が大体10回に1回の成功率で引き出せるこの現象は、“夢”の中で“武装硬化”と呼ばれていた。

 見聞色の覇気とは異なるもう一つの力で、“武装色の覇気”というものを元に発動するらしい。

 

 

 最初はただの真似事だった。

 

 だが今の少女の目には、日常の楽しいお遊びに没頭する陽気な輝きは無い。

 あるのは己の身に新たに宿った力を我が物にするべく、真剣に鍛錬を行う求道者の渇望であった。

 

 

 

 

   ある日、不思議な夢を見た少女は突如、人知を超えた力に目覚めた。

 

 それは人間の強い意思を源にした、その者が世界に放つ存在感そのものを物理及び精神的な力として具現化させる能力。

 気迫、圧力、カリスマ。様々な異名を持つその力の名をこの世界では  “覇気”と呼ぶ。

 

 “覇気”とは本来万人の持つ普遍的な力であるが、その力を技術と呼べるほどに昇華させることが出来るのは才ある者に限る。

 それも命に関わる極限の状況に幾度も晒されることで初めてその才能が開花するのだ。

 そこから更に、戦闘に運用出来るほど練達させるには長い年月をその修行に費やさなくてはならない。

 

 先天的に生まれ持つ稀有な者もいるが、本来はこのルフィ少女のような非力な6歳児に許された力ではない。

 

 

 

 だが、ここで彼女の“夢”の存在がその常識を覆す。

 

 

 少女が先日の夜に見たその“夢”はただの夢でもなければ予知夢の類でもない。

 

 異界からの干渉、空想世界との接触、ありえたかもしれないパラレルワールドの収束。

 その非常識がモンキー・D・ルフィという、新たなる“王”の芽を中心に交差し、この大海賊時代という世界のうねりの焦点に選んだのである。

 

 そしてそれは2人の少年少女の魂の合流という、人の身には決して起こりえない奇跡を引き起した。

 

 

 2人の魂の力。

 2人の存在の力。

 

 

 肉体ではなく魂に宿る“覇気”だからこそ、少女は幼きその身に過ぎた覇者の証を己の力に出来たのである。

 

 

 

「ふぅ…これで全部倒したわね」

 

 谷底に充満する血の臭いに鼻をつまみ、ルフィは後ろを振り返る。

 そこには先ほど倒した巨狼の仲間たちが所狭しと積み重ねられていた。谷底に迷い込んだ彼女を餌と勘違いした猛獣たちの成れの果てである。

 まさか自分があの夢に出てきた少年ルフィと同じようにこの谷で猛獣たちと戦うことになるとは思わず、少女は死に物狂いで“夢”の力を想起させ、見事勝利を収めることが出来たのだ。

 

 既にフーシャ村の桟橋で“武装硬化”を発動出来ることを確認していたルフィは、たとえ谷の主と伝わる人喰い狼の群れが相手であろうと自身の勝利を疑わなかった。

 “夢”の彼が行っていた修行や体で覚えた発動のコツをそっくりそのまま記憶していた彼女に、揺ぎ無い自信という強い意思が宿ることで、僅か6歳の幼女が本来持てるはずの無い強大な力に目覚めたのである。

 

 その最初の餌食となった谷の主たちは最早その屍を谷底で晒すだけだ。

 

「少しずつ、使う分だけ“夢”のあの人の力に近付いてる」 

 

 ルフィは自分の力が目に見えて成長して行くのを楽しげに実感していた。

 この調子ならいずれはあの海軍自慢のウザいクソジジイにさえ一泡吹かせてやれるはずだ。

 その日が決して遠くないと確信する少女の笑顔は少し黒かった。

 

「色々試したから遅くなっちゃったわ。マキノ、怒ってないといいけど…」

 

 目覚めた自分の覇気に慣れるまで防御に徹したためか、随分と長いこと谷底で活動していたようだ。

 

 朱に染まる黄昏時の空を見上げていると、少女の胃袋が空腹を訴えた。そろそろ戻らなくては夕食を食べそびれてしまう。

 すでに昼食を逃している彼女にこれ以上の断食に耐える精神力は備わっていない。

 

「でもまだエースとサボに会えてないのよね。“夢”の記憶も曖昧だったけど、まさかこんな時間になるまで探しても見つからないなんて…」

 

 ルフィは頭上の断崖の裂け目から覗く茜空を見上げ、かすかに目を細めた。

 

 

 

 彼女がマキノに隠れて一人コルボ山まで足を運んだのは、ひとえに“夢”でルフィ少年と義兄弟の杯を交わした二人の少年たちをその目で見てみたかったからである。

 

 意地っ張りで強情な、そして誰よりも頼りになるエース。

 賢く人当たりの良い、いつも優しくしてくれたサボ。

 

 ルフィ少年が誰よりも大切に思っていた二人の義兄。

 だが彼らに待ち受ける運命は理不尽で無情なものであった。

 

 今も思い返すだけで目頭に涙が滲むのは、“夢”でエースの心と深く触れ合ったからだろうか。

 その最期の言葉を聞いて、ルフィは彼の呪われた運命を悲嘆せずにいられなかった。

 

 

 自分は“ルフィ”だが、決してルフィ少年と同じ人間ではない。故に彼のようにエースやサボを義兄弟として慕ってはいない。

 

 だが赤の他人ならともかく、“夢”でルフィ少年を通して触れ合った少年たちを見捨てるほど薄情ではない少女は、出来るだけ早く彼らと接触し、来たる悲劇を回避したいと考えていた。

 

 

 有体に言えば、情が湧いたのである。

 

 

「エースもサボも人見知りだから、多分私が会いに行っても嫌われちゃうとは思うけど…見捨てるなんて出来ないわ。絶対にサボが高町に連れ去られないようにして、エースも将来『黒ひげ』に捕まらないように私が二人を鍛えてあげなくちゃ!」

 

 運命を決めるのはいつだって自分自身の力なのだ。

 よって逆説的に言えば、少年たちの運命を変えたければ、単純に彼らが強くなれば良いのである。

 

 サボは、彼の父と結託し自身を高町へと連れ去った『ブルージャム海賊団』よりも。

 エースは、仲間の仇を取ろうと挑み、返り討ちに遭ってしまった『黒ひげ海賊団』よりも。

 

 

 ルフィ少年の力を少しずつ引き出しつつあった夢見る少女は“夢”の師匠『冥王シルバーズ・レイリー』を参考に、コルボ山の悪童コンビの傍迷惑な修行スケジュールを好き勝手に考える。

 

 そして一通り満足したルフィは二人の捜索を再開する前に、もう一度自分の悪魔の実の能力を試すことにした。

 二人を鍛えるにしても、まずは自分自身がルフィ少年の力を引き出し終わらなくてはならないのだから。

 

「ゴムゴムのぉ~ロケットォ!」

 

 少女は“夢”で見た憧れの彼の技を模倣する。

 断崖の真下から見上げたところにある崖のひび割れへと両腕を伸ばし、その強力な弾性で一気に真上に飛び立った。

 

 初めて故か狙った位置へ飛ぶことには失敗したものの、見事谷を脱出したルフィ。

 空腹から遠くで煙を登らせるマキノの酒屋を幻視するも断腸の思いで頭を振り、少女は先ほどの戦闘で随分と体に馴染んだ見聞色の覇気を駆使しながら探し人の気配を辿り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・12年

東の海(イーストブルー) ドーン島ゴア王国”不確かな物の終着駅”(グレイ・ターミナル)

 

 

 

「いたぞ!こっちだ、回りこめ!」

 

 東の海(イーストブルー)で最も美しい国と称えられるゴア王国。

 

 荘厳な建築群、塵一つなく清掃された街並み、仕立ての良い新品の衣類に身を包む国民たち。

 この国では誰もが社会的勝者であり、地上の楽園で生を謳歌している。

 

 だが光あるところに影あり。光が強ければ強いほど、照らされぬ影は深く、暗い。

 

 

 王国東端に広がるコルボ山の麓に、この国の闇の深遠がその姿を露にしている。

 

 山の猛獣たちから国民を守るために作られた巨大な城壁の外。

 強烈な悪臭が漂うその一角には、ありとあらゆる不浄なるものが無秩序に廃棄されていた。

 

 山のようなゴミ溜からは日光で焼かれた何かが燃える煙が常に立ち上り、雨季にはカビの大繁殖で瘴気の霧が立ち込める。

 

 

 捨てられるのはモノだけではない。

 王国に不要と判断された人間もまた、この国のゴミとして城壁の外に捨てられる。

 貧民、流民、犯罪者。そんな社会の敗者たちが人生の敗北の果てにこの地へと辿り着く。

 

 

 ここは『不確かな物の終着駅』(グレイ・ターミナル)

 

 法も秩序も無く、国の汚点をかき集めた全ての価値無きものたちの最後の居場所である。

 

 

「くそっ、走れエース!」

 

「わかってる、ちくしょう!」

 

 そんなスラム街の外れで二人の少年が十数名の男たちから脱兎の如く逃げていた。

 

 彼らの手の中にあるのは抱えきれないほどの紙幣や宝飾品。一つまた一つと腕から零れ落ちゴミ山へと消えていく大事な戦利品に涙を呑みながら、少年たちはその短い両脚を必死に動かし走り続ける。

 

 立ち止まることは許されない。最後の居場所を追われた者に待ち受けるのは死のみなのだから。

 

「逃がすかよクソガキ共!誰の金に手ェ出したと思ってんだ!」

 

 少年たち、名をエースとサボという。

 

 不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)で活動する有名な悪ガキコンビで、大の大人も翻弄するほど腕が立つ油断ならない子供として知られている。

 時代がその名を冠すとおり、この少年たちもどん底の敗北者の身から栄光ある海の覇者へと成り上がる野望を抱き、日々盗みを働いてはそれらを将来の “海賊貯金”として長年貯金し続けていた。

 

 だが我が物顔でスラム街を闊歩する悪童たちであっても、この地には決して手を出してはいけない悪の不文律というものが存在する。

 

 それは武力に裏づけされた弱肉強食に沿い、身の程を弁えることであった。

 

「はぁ…はぁ…!バカがっ!狙う相手は見極めろっつったじゃねェか!」

 

「くっ、すまねェ…っ!」

 

 

 『ブルージャム海賊団』。

 

 悪ガキコンビの片割れ、エース少年が突いた藪から出てきた蛇の名だ。

 ゴア王国の後ろ暗い活動を代行し、貴族に金を納めることで犯罪を黙認されている海賊一味であり、実力はもちろん、その強力な後ろ盾の存在から不確かな物の終着点(グレイ・ターミナル)の事実上の最高権力者としてその名を轟かせている。

 

 そんな本職の海賊が大人気なく怒り狂いながら小さな子供二人を追いかけている理由はたった一つ。

 エース少年が盗みを働いた金が彼らの重要な取引の一部であったからだ。

 

「ダメだ、追い着かれる!」

 

 追っ手はブルージャム一味の幹部ポルシェーミ。

 毬栗のような鋼の手袋で敵を殴り殺す残虐な男だと恐れられる海賊だ。

 

 相棒を巻き込んでしまったことを悔やみきれないエースは、この絶体絶命の状況の中で唯一の活路を見出すべく自分を犠牲に仲間を生かす道を選んだ。

 

「くそっ、おれが時間を稼ぐ!サボはその隙に何とか逃げろ!」

 

 だがそれを許すほど相棒のサボは薄情ではない。

 

「なっ!?ふざけんなバカ野郎、これ以上勝手なことすんじゃねェ!!」

 

「うるせェ、これはおれの責任だ!絶対戻るからさっさと逃げやがれ!」

 

 尚も引き下がらないエースにサボは焦燥感から発狂しそうになる。

 

 彼は、己の生き様にこだわり敵に背を見せることを嫌う、分不相応なプライドを持つエースの頑固で強情なところが好ましく、そして同時に嫌いだった。

 最悪の犯罪者の息子として生まれたこのソバカスの少年は何かと自分の命を軽んじる行為が多く、サボはそんな相棒の姿を見るたびに彼の将来を常に不安に思っていた。

 

 いつか取り返しの付かないことに巻き込まれ、自分を置いて一人で勝手に死んでいってしまうのではないか、と。

 

 

 だが…だからこそ、見捨ててなるものか。エースは大切な親友なのだから。

 

 

「うがあああ!メンドくせェんだよ、てめェはよぉ!」

 

「サボ!?」

 

 少年は踵を返し、一人残った相棒の隣に立った。

 

「バカ、何してんだ!早く逃げろっつっただろ!」

 

「バカはてめェだエース!身勝手に命捨ててんじゃねェよ!おれが同じことしたらてめェはおれを置いて逃げられるのかよ、ああ!?」

 

  ッ!!」

 

 エースは言葉に詰まる。

 サボさえ無事ならそれでいいと思い行動したが、逆の立場になればわかることだ。それは残される者の心理を考慮しない、独りよがりな自己満足に過ぎなかったのだと。

 

「…すまねェ、おれのせいで…っ!」

 

「今更遅ェよバカ野郎!もうこうなったら二人でアイツらの頭ぁ倒すしかねェ!!」

 

「ッ、ああ!やってやる!!」

 

 エースはサボに続いて覚悟を決め、迫りつつあった一人の下っ端海賊の脳天へ目掛けて手元の宝石を投擲した。

 煌く紫水晶の玉が男の眉間に吸い込まれ、ゴツンと鈍い音を立て敵の戦意を砕く。

 

 

「ふん、ようやく観念したか。お前ら、ガキ共を殺さずに取り押さえろ!」

 

『へい!』

 

 倒れ伏す味方に目もくれず、追っ手の筆頭ポルシェーミが部下たちと共に悪童二人へと襲い掛かった。

 

「へっ!ガキだからって舐めてんじゃねェぞ!うおおおおっ!!」

 

 対する悪童二人も気合十分。長年コンビを組んでいる二人は完璧なチームワークで追っ手の海賊たちの意識を次々と奪っていく。

 

 

 しかし、獅子奮迅の活躍をする幼い少年たちの努力も虚しく、体格差と数の暴力、そして何より実戦経験の差で、両者の戦いは番狂わせも無く順当に終結した。

 

 

 

「ぐ……っ、ぐそぉ…」

 

「はぁ…はぁ…クソガキが、大人しくしやがれ…っ!」

 

 体中に青痣を浮き上がらせ力尽きた少年たちを海賊の下っ端が縄で縛る。

 まさかこれほど抵抗されるとは夢にも思わず、油断していた多くの仲間が返り討ちに遭い地面に転がったまま目を回していた。

 

「ちっ、大の大人がこんなガキ二人相手に梃子摺りやがって……海賊として恥ずかしくねェのか、おい?」

 

「め、面目ねェっす、ポルシェーミさん…」

 

 ツリ目の大男が無様な姿を晒した部下たちを叱咤する。想定を遥かに超える損害だ。

 怪我人の治療や消耗した武器類の補充も決してタダではない。何事もなく終了する簡単な取引だったはずが、フタを開けてみれば金は奪われ、船長から託された下っ端もほぼ全員が重軽傷を負う始末。

 オマケに奪った盗人がこんな小さな子供二人だったなどと上に知られたら、この場の全員が見せしめに殺されることになるだろう。

 

 彼らの親分ブルージャム船長とはそういう男なのだから。

 

 

 最悪の事態は免れたが、ボスの怒りを避けるには更なる名誉を挽回する必要がある。

 ポルシェーミは逸る気持ちを抑え、目の前で拘束されている血塗れの少年たちに問いかけた。

 

「悪童エースにサボと言えば、この辺りじゃかなり名の知れた盗人小僧だ。お前らが今まで盗んできた金や宝はどこにある?」

 

  ッ!!』

 

 男の目的を理解した少年たちは咄嗟に息を呑む。

 何故バレた、と驚くも、今まで隠蔽工作に力を入れてこなかったツケが回ってきてしまったのだと瞬時に気付き、エースとサボは臍を噛んだ。

 

「そうか、やはりか。これほど名を上げるほど盗みを働いているんだ。ガキ二人に使いきれる額じゃねェだろうとは思っていたが、予想が当たったようで嬉しいぜ」

 

「く…っ!」

 

 二人の反応に確かな手応えを感じたポルシェーミはニヤリと恐ろしい笑みを浮かべる。

 どれほどの金額かは定かでないが、これでボスのお咎めも多少は温情的なものになるだろう。 

 

 男は密かに胸を撫で下ろし、少年たちの尋問を再開した。仲の良いコンビにはこういった脅迫手法が効果的だ。

 

「時間もない。さっさと隠し場所を吐いてもらおうか」

 

 突然、男の刀がサボを目掛けて水平に振るわれた。

 

 鮮血が舞い、直後サボの目に映る全てがチカチカと不気味な七色に輝いた。

 凄まじい激痛に苛まれ、体中の熱が斬られた胸元に集まり急速に手足が凍っていく錯覚に陥る。

 視界がぐらりと大きく揺れ、少年は訳がわからないまま地面に倒れ伏した。

 

  なっ、て、てめえええ!!」

 

 横たわったまま掠れた呼吸で体を震わせるサボの危機的状態に、エースが我武者羅に縄から抜け出そうと暴れ回る。

 だが所詮は子供の力、小さく軋む以上の結果は起きない。

 

「無駄だ、今度は10秒後にコイツを確実に殺す。大切な相棒を失いたくなければ、お前に出来ることは一つだ。行くぞ、1…2…3…  

 

 エースは目まぐるしく変わる状況を必死に飲み込み、最善の策を模索していた。

 だが起死回生の迎撃も失敗した今、最早彼らには活路も時間も何一つとして残されていない。

 

 自分たちの完全なる敗北であった。

 

「わかった、言う!言うからサボを傷つけるなっ!!」

 

 それでも、せめて相棒の命だけは救わねば、と少年は最後の希望にしがみ付いた。

 

 エースは殴られた痛みと屈辱に身体を震わせながら、海賊資金を溜め込んでいる巨木の隠し扉の位置をポルシェーミに説明する。

 これで少なくとも命を奪われることはないだろう。少年はそう自分に言い聞かせることで、負の螺旋に陥る己の心を奮い立たせた。

 

 

 だが彼は忘れていた。相手は約束など平気で破る、れっきとした悪党だということを。

 

「そうか、話に聞くお前たちの出没位置とも確かに合致するな  

 

 

   ならもうお前らは用済みだ、消せ」

 

  ぇ」

 

 その言葉が耳に届いた瞬間、長年の野山生活で培われたエースの動物的本能が危険信号を発した。

 

 咄嗟に体を捻った後を一筋の紫電が走る。

 それは、捕らえられた自分たちの背後でニヤついていた下っ端の一人が振るった刃の軌跡だった。

 

「なっ!?お、お前ら!ちゃんと話しただろうが!!」

 

 少年は認めたくない現実に抗おうと、精一杯の抗議の声を上げる。だが聞こえてくるのは海賊たちの嘲笑う耳障りな声だけだ。

 

「お前、バカか?海賊が面子汚されてソイツを生かしておくワケねェだろ。あの世でおれたちに手ェ出したことを後悔するんだな」

 

  ッ!!」

 

 

 単純。だが非常にわかりやすい絶望の形。

 

 おそらくこの腐った世の中では、目の前のこの状況も無数にある悲劇の一つに過ぎないのだろう。

 ただ不運にも、今回は自分たちがその当事者となってしまっただけなのだ。

 

 

 冗談じゃない。

 エースは憤怒の形相でこの世の全てを恨む。

 

 最悪の血を持って生まれ落とされ、今まで必死に生き、ようやく出会えた親友と共に夢を追いかける幸せを知れたのに。

 これからあの大海原へと漕ぎ出し、誰も成しえなかった偉業を成し、己が生まれてきたことを万人に称えさせようと、日々力を磨いていたのに。

 

 まだ、何一つとして成し遂げていないのに、自分はこんなところで死んでしまうのか。

 

 

 

 何故、この世はこれほどまでに自分を嫌うのか。

 

 少年の憎悪が血となり、悲憤慷慨が涙となって、乾いた大地に染みていく。

 世界を憎む彼を、時代を築いた“王”の子を、世界そのものが憎みを持って死へと誘う。

 

 

   “海賊王”に息子がいたらだって?

 

   生まれてきたこと自体が罪の、悪魔に決まってる!

 

 

 闇黒に染まるエースの頭をかつての記憶が走馬灯のように駆け巡る。

 最初から誰にも歓迎されない生を受けたのだと、世界は幾度も少年にその事実を突きつけてきた。

 

 

 だが  

 

 

 

「…負けるかよ…っ!」

 

 そのたびにエースはこの世の悪意に耐え抜いてみせたのだ。

 いつか空の、海の、大地の全てに己の生き様を称えさせてやる、と。

 

「…こんなクソッタレな世界に負けてたまるかよ…っ!!」

 

 全てを憎む少年は涙で濡れる目元を地面で拭い、泥に塗れたその無様で――勇ましい顔を天に向けた。

 人の、自然の、世界の悪意に屈しない、誰よりも強い意思を見せつけるために。最期の瞬間も胸を張りながら逝って見せるために。

 

 

「おれは悪魔なんかじゃねェ…っ!おれは…おれ以外の誰でもねェんだ!例えてめェら全員に  この世全てに嫌われようとも、おれはてめェらなんかに負けねェんだよおおお!!」

 

 

 海賊王の息子、ポートガス・D・エースの最後の意地が、世界の理に楯突く咆哮となって天地万里に響き渡った。

 

 そして  

 

 

 

 

 

 

  私は好きよ?エースのこと」

 

 

 その咎人の王子の生き様を称えたのは、平行世界の義弟の魂をその身に宿した  幼き悪の王女であった。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。