ルフィちゃん(♀)逆行冒険譚   作:ろぼと

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14話 オオカミ少年・Ⅴ

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) オルガン諸島沖

 

 

 

 燦々と降り注ぐ太陽に照らされキラキラと輝くオルガン諸島沖の洋上で、数名の男たちの荒々しい声が木霊していた。

 

 声を辿り進むと、一隻の大きな軍艦の威容が眼前に現れる。

 灰色の猛犬の頭部を象ったその巨艦の頂点に掲げられているのは、白地に羽ばたく蒼翼のカモメ。

 

 海軍  それもここ四海(ブルー)ではめったに見かけない『海軍本部』の主力艦、一等砲塔装甲艦だ。

 

 勇ましい戦列砲が鈍色に光るその軍艦の甲板では、周囲に響き渡る声と同じ数の海兵たちが汗水垂らし互いに木刀を打ち付け合っていた。

 海軍本部新兵の基礎剣術訓練である。

 

「よし、あと百回」

 

「ひゃひゃくぅぅ!?」

 

「くぅ……ぐうううっ!」

 

 樟脳の臭いが漂う楠木の甲板に倒れ伏しているのは、ボロボロの水兵服に身を包んだ若い少年と青年の二人。

 厳しい訓練に音を上げつつも何とか立ち上がろうとする若者たちに小さく微笑みながら、彼らの教官らしき男が木刀を振り下ろす。

 

 それを合図に洋上に木材がぶつかり合う高い音が再度木霊し始めた。

 

 

「随分見込んでるのね、ガープさん」

 

 突然、教官の背に暢気な声が届く。

 聞き覚えのあるそれに咄嗟に振り向き、どこから持ってきたのかビーチチェアに寝そべる客人へ男は礼をする。

 

「はっ、シェルズタウン支部崩壊の際に当艦にてガープ中将が引き取られました雑用の者たちです。中々見ごたえがあります」

 

「いや、所属も違うし…こちとらただの暇人なんだからそんな畏まる必要ねェよ…」

 

 ビーチチェアの日陰からのそのそと起き上がり僅かに渋い顔を作る長身の男。

 何ともノンビリとしたその姿勢に緊張が解れ、教官の男は肩の力を抜く。

 

「本官も事情は聞き及んでおります。……というか上司が当事者なんですけど、このクソ忙しいときに閣下が暇とか何かの冗談ですか?」

 

「お、いいじゃねェの。そういう感じ好きよ」

 

「光栄です」

 

 自由人の上司でこの手の人間の扱いに慣れている教官の男は、客人のささやかな賞賛にしれっと礼を返す。

 

 彼にこの男のノリに便乗するつもりはあまり無かった。

 それより、自堕落な上司の副官として彼に尋ねたいことが幾つもある。

 

 折角の機会。教官の男は目の前の客人に直球で質問を投げ掛けた。

 

「……作戦の発令はいつ頃になりそうですか?」

 

「さァな……おれの貴重な休暇を使って現地見て来いだなんて裏技使うくらいだ。大前提のヤツらとの“休戦”はよっぽど絶望的なんだろうな、ヤんなっちゃうぜ…」

 

 この男の休暇が貴重とか何かの冗談かと問いたくなるが、教官の男はその思いを無視し話題を続ける。

 

 上層部の事情は理解出来たが、欲しかった情報ではない。

 もう少し具体的な時期を把握しなくては上司の怠惰が更に悪化してしまう。

 

「つまりただ徒に本部に戦力を留めているということなのでしょうか?」

 

「君…そういうこと言っちゃダメよ。あれでも一応ヤツらへの牽制になってくれるかも知れねェんだから」

 

「…余計に拗れそうな気がしてならないのですが、元帥閣下の許可は下りているのですか?」

 

「いやほら…流石に四皇本人と四皇の幹部が直接乗り込んで来るならこっちも本気度ってのを見せねェと…」

 

「…方々はバスターコールの戦力程度で連中を威圧出来るとお考えなのですか?」

 

「……なんで副官ってこんな怖いヤツらばっかなの…?」

 

 眉を顰め嫌そうな顔をする客人に、教官の男は小さく溜息を吐く。

 結局これほど高位に位置する将校であっても全く先の展望が見えないくらい、上層部は混乱し続けているらしい。

 

 『新世界』の戦力均衡とは現在もそれほどに危ういものなのだ。

 

 

「そういえば副官君は例の子に何度も会ってたんだよな。どんな子?美人?ボイン?凄ェボイン?」

 

 どうやらこの話題はお気に召さなかったようで、客人がわかりやすく話を変えた。

 

 大した情報を得られず期待を裏切られた教官の男は、憂さ晴らしにこの傍迷惑な男に無理難題を突きつけ返す。

 

「…ガープ中将にお尋ねされてはいかがですか?今なら片手が動かせませんので、“代償”も少なくて済むかもしれませんよ?」

 

「ッ、バカ言っちゃいけねェ…!あの孫バカ爺さんにンなコト訊いたら殺されちまう…!」

 

 彼らしくない慌てた態度に男は溜飲を下げる。

 

 人間、誰しも常に気を張り続けていられるわけではない。

 

 教官の男が新兵の訓練に熱を入れているように、この客人にとっては気楽な外出や、こうして誰かと交わす世間話が彼なりの息抜きなのだろう。

 

 もっとも、本人が会いに来た人物はこの教官の男の上司に当たる  

 

 

  何じゃ、こっち来とったのか」

 

 

   自身の噂にひょっこりと現れる、このモンキー・D・ガープ中将だ。

 

「ご無沙汰です、ガープさん。ちょいと遊びに来ました」

 

「ふん、どうせセンゴクのクソジジイの差し金じゃろう?やじゃやじゃ、わし帰らないもん!」

 

「幼児ですか、全く…」

 

「いやルフィちゃんの真似じゃ、似とるじゃろうボガード?ぶわっはっは!」

 

「…お孫さんにもう片方の腕も潰されますよ?」

 

 陽気な笑い声を甲板中に響かせる恰幅のよい老将と、その元弟子。

 二人の会話は  一部の地雷を除けば  いつだって極めて穏やかで気楽なものであった。

 

 教官の男、ボガードは隣で艦の最上位の人間の登場を敬礼で迎え入れるべく訓練を中断した二人の若者、雑用のコビーとヘルメッポに剣の形を再開させる。

 姿勢は立派だが、その実、休息を入れようとサボっているだけなのが丸わかりだ。

 

 

 この雑用二名は先の客人との会話の通り、例の大事件で崩壊した海軍第153支部における実態調査の際に人員整理で引き取った者たちである。

 

 片割の少年コビーがまさかの孫娘の友人であることを知ったガープが、愛しの“ルフィちゃん”の近況報告と武勇伝を聞き出すため強引に自艦に乗せたのが事の始まり。

 周囲の証言でもう片方の雑用ヘルメッポも少女と縁があったことがわかり、上機嫌のままオマケ扱いで乗艦させられたこの青年も、弱音を吐きながら何だかんだで元海軍支部大佐の息子に相応しい優れた武の才能を開花させていき、二人は今に至る。

 

 なお青年のほうは孫娘とどのような縁があったかは頑なに語ろうとしないため、老将の興味と稽古が専ら少年のみに向いてしまっているのが、ここ数日のボガードの小さいほうの悩みである。

 

 

 大きいほうの悩みは言わずもがな、先ほどから交わされる上官二人の会話の内容の通りだ。

 

「じゃから既に言ったはずじゃ!わしはルフィちゃんに今年のお誕生日プレゼントを手渡しに行かねばならんから忙しいと!」

 

「いつまで現実逃避してるんですか…。気持ちはわかりますけどね、お孫さんはもう海賊になっちまったんですって。海軍中将がそう気軽に海賊に会いに行けるわけねェでしょうが…!」

 

 

 『ルフィちゃん』。

 

 英雄中将の自慢の孫娘の名である。

 

 先週の海軍第153支部崩壊の主犯であり、彼女はここ東の海(イーストブルー)で名の知れた剣士『"海賊狩り"のゾロ』を仲間に引き入れるために支部の運営されているシェルズタウンを訪れていた。

 そこで捕らえられていた“海賊狩り”を救う際に海兵の攻撃を受け、その報復として基地施設を踵落としで両断したことが此度の現地調査で判明している。 

 

 僅か六歳で常軌を逸するほどの強大な覇気に目覚め、その後も凄まじい早さで成長を続け、今や単独で海軍本部を壊滅させられると祖父ガープに称えられるほどの圧倒的強者だ。

 

 幼いころから()の四皇『“ビッグ・マム”シャーロット・リンリン』もかくやと言わんばかりの超人であった彼女に、海軍は十年前から熱視線を向け続けていた。

 特殊体術“六式”はもちろん、保有する“ゴムゴムの実”の能力の戦法考案や、専門家による“生命帰還”の特訓、果てには軍部内での地位の保証など、祖父ガープを通じて様々な支援を若き英雄候補に行ってきた。

 

 

 その期待の英雄候補の  この忌々しい闇黒の世、大海賊時代を終らせるはずであった女勇者の  突然の海賊堕ち。

 

 上層部の大混乱も無理は無い。

 

「そろそろ逃げてないでセンゴクさんとこ帰りましょうよ、一緒に頭下げてあげますから。お孫さんが海賊になったって聞いてあの人一気に二十年くらい老けちゃって…もう見てらんねェんですよ」

 

「ぶわっはっは!何言っとるんじゃ、お前は!ルフィちゃんはのう、ルフィちゃんは  ルフィちゃんは…………うおおおんルフィちゃあああん!!何で…っ!何で…っ!!」

 

「あらら、また始まった…」

 

「何でいつまで経ってもわしの『”英雄ガープ”ファングッズ』のお誕生日プレゼントを受け取ってくれないんじゃァァァっ!!」

 

「そっちかよ!?」

 

 常にボケる立場であるこの客人にツッコミをさせることが出来るのは、同じ海軍内でもかつての師であるガープ老のみ。

 

 何年経っても変わらない関係に男は苦笑しつつも、永遠に目指すべき目標として目の前の老将を尊敬し続けていた。

 

 …もっとも、尊敬し辛い側面もあるのだが。

 

「ふん!現実逃避も何も、わしはルフィちゃんが選んだ道にケチ付けるような小さい男じゃないわい!海賊になったのならいつでも仕事で捕まえに行く名目で会いに行ける上、捕まえても監視の名目で牢屋まで会いに行けるじゃろう?ルフィちゃん……海賊に堕ちても、じいちゃん孝行すぎて…わし泣いちゃうっ!うおおおんルフィちゃあああん!!」

 

「……副官君、いつからこんな孫バカ悪化しちゃったの?」

 

「割といつもこんな感じですが、何かおかしなところでも?」

 

 今までは比較的仕事の話や雑談が多かった両名だが、孫娘に会いに行く英雄中将と常に行動を共にし、孫娘本人とも面識のある副官ボガードが見てきたガープの祖父としての顔は、流石の元弟子であっても初めて目の当たりにするものであった。

 

 これまでの孫自慢である程度予想は付いていたものの、まさかこれほどとは。

 そんな客人の男の顔には隠しきれない呆れが浮かんでいた。

 

 とはいえ、この英雄殿の人間性に呆れるのはいつものことなので、最早本人さえも特に気にしたことはない。

 大雑把な彼らならではのコミュニケーションの一つだろう、と客観的に二人を見るボガードは推理する。

 

「じゃがやはり心配じゃ……。ルフィちゃん、ここ数年で益々器量好しの究極超絶傾国美女になって……海のクズ共と船の閉鎖空間で何日も一緒におって不埒なマネでもされたらと思うと――うおおおっ!!誰じゃァわしのルフィちゃんを汚そうとするボケナスはァァァッ!!?」

 

「…ガープさんのその腕を縦に真っ二つに出来るモンスターが東の海(イーストブルー)の海賊如きに危ない目に遭うワケねェでしょう。……にしても“美女”か  ッゴハァァァッ!!?」

 

「ボケナスは真横におったわっ!!なァにわしの可愛い可愛い孫娘に色目使っとんじゃ死に晒せ青二才ィィィッ!!」

 

 二メートルを優に超す長身が光の速さで巨艦の中央楼に激突し、ガラスのようにバリィィン!と無数の破片に砕け散る。

 この客人が有する、己の実体すら捨て去ることの出来る最上位の悪魔の実の能力だ。

 

 破片のまましばらく目を回していた客人であったが、その身体はまるで彫刻のように少しずつ原型を取り戻していく。

 そして副官ボガードは復活した男の纏う空気が変化しているのを読み取った。

 

 どうやら世間話は終わりのようだ。

 

 

「……今おれとガープさんで挑んで、勝てますかね…?」

 

「無理じゃ」

 

「即答ですかい…」

 

 鼻を小指でほじくり、引きずり出した固形物を指で丸める老将。

 その機械で補強された痛々しい左腕を一瞥し、客人の男は溜息を吐く。

 

「若いころのわし以上の武装色、究極の“未来視”の見聞色、覇王色の覇気に至ってはロックスのジジイさえ上回るほどじゃ。わしの孫とは思えん突然変異じゃよ、あの子は」

 

「……何度聞いても気がおかしくなりそうな例えの羅列ですね」

 

 覇気使い同士の戦いは有する覇気の優劣で全てが決まる。

 その全てにおいて彼の孫娘殿の比較対象に上がるのが、時代を築いた伝説と謳われる海兵海賊たち。

 

 まるでこの世の覇者たちの力が一人の少女の肉体に集ったかのような戦闘力に、男は天を仰ぐ。

 

超人系(パラミシア)の能力は覇気との相性が良いのじゃ。自然系(ロギア)の力に頼りがちのお前じゃ、最初から覇気の重要性を自覚し、一番伸びる幼少期にわしが鍛えまくったルフィちゃんに先制でド頭ぶん殴られて終わりよ。相手が悪い」

 

「…ボルサリーノのヤツも教官に似た様なこと言われたって言ってましたよ」

 

「あの石頭ジジイは覇気で大将にまでのし上がった男じゃ。覇気の鍛錬に対する厳しさは海軍随一よ。それに見聞色の覇気さえ磨けば無敵になれる光人間のアイツはお前とはまた違った事情がある。同列にするだけ無駄じゃ」

 

「……やっぱ無理か」

 

 口惜しそうな顔で見つめてくる客人にガープが笑って返す。

 何とも彼らしくない悩みを抱えているものだ。

 

「若造が年寄りの進退問題を心配するモンじゃなかろう!二人でルフィちゃんを手土産に本部へ戻るなぞ夢のまた夢じゃ!さっぱり諦めんか」

 

「……はぁ…身内の不始末なんて馬鹿げたことで辞めないでくださいよ…?これでもおれ、ガープさんのこと尊敬してるんですから」

 

「ぶわっはっはっは!何じゃ殊勝じゃのう!……センゴクのジジイめ、そんなに怒り狂っとるのか?やっぱもうちょっとノンビリしてから  

 

「さっさと叱られて来て下さい」

 

 逃げようとする上官を何とか羽交い絞めにする客人の姿から目を逸らし、剣術の形を繰り返す雑用二人に細かい注意をする副官ボガード。

 

 そんな彼の下に、一人の部下が紙を片手に甲板を上がり近づいて来た。

 

 通信室を任せている少佐の持ち寄ったその報告を耳にしたボガードは、嫌な予感が背筋を這い回る感覚に犯される。

 面倒な  非常に面倒な仕事が来るときに決まって感じる、第六感の直感のようなものだ。

 

 一瞬、管轄外を言い訳に情報を握りつぶそうかと魔が差すが、しばしの逡巡の後、部下が送る白い目に観念して報告することにした。

 

 

「ガープ中将、これより通過する海域より救難信号を受信しました。識別番号は『第16支部』の海軍艦船です。……いかがなさいますか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島某島北海岸

 

 

 

 シロップ村が営まれている小さな島。

 

 本日、夜明けと共にこの島の北方にある海岸に数十人ほどの粗暴な男たちが現れた。

 その後ろで堂々と佇む巨船に掲げられている海賊旗が彼らの正体を万人に宣告する。

 

 

 『クロネコ海賊団』

 

 三年前に船長『“百計”のクロ』の逮捕と共に解散したはずの海賊たちは今、復活した親玉の号令で結成以来の一大作戦に従事していた。

 

 闇に潜む自分の代わりに船長を任せた『“奇術師”ジャンゴ』の満面の笑みを見ながら、執事クラハドールこと“キャプテン・クロ”は昂る感情を抑え静かに言葉を投げかける。

 

  状況を報告しろ」

 

「おう、こっちは上手く行ったぜ!連中こっちが追いかけたらすぐビビって逃げ出しやがった!」

 

 興奮しながら奇術師が先ほどの海軍との遭遇戦について語りだす。

 部下と船を託し海軍艦船を追い払う、可能ならば沈めるよう命じていたが、どうやら最低限の仕事はしてくれたようだ。

 

 だがクロは受け取った情報に不審な点を見つける。

 

「……すぐ逃げ出しただと?」

 

「ん?ああ、相手はあの小悪党だからな。利益にならねェ戦闘は一切しないと聞いていたが、どうやらその通りだったらしい」

 

 気楽そうに「拍子抜けだったぜ」と笑うジャンゴ。

 男の能天気な姿に執事は眉根を寄せる。

 

 相手は腐っても海軍である。

 市民から通報を受けそれに応じた以上、作戦行動中に遭遇した海賊に威嚇されただけで怯えて撤退するわけが無い。

 正義を語る者は、その代弁者としての面子を放棄することは許されないからだ。

 

 クロは連中があっさり撤退した理由について少しだけ考えを巡らせる。

 そしてボスの無言に焦れ始めたジャンゴに指示を出した。

 

「戦闘員は予定通りに上陸したここ北海岸からシロップ村を襲わせる。だが砲手含む非戦闘員は全て船に残し、戦闘員の上陸が完了次第すぐに島を出航して近海を見張らせるんだ」

 

「なっ、お前まさか逃げた海軍がまた引き返してくるって思ってんのか!?」

 

「逆に何故海軍が海賊を前にあっさり手を引いてくれると思えるんだ、バカか?こちらの出方を慎重に見極めようと一時的に撤退したってのがオチだろうが」

 

 そのようなことも見抜けない馬鹿な部下に苛立ち、執事は近くの崖に自身の感情をぶつける。

 岸壁が刃物で削れる音に近くにいた部下たちが悲鳴をあげる。

 配下の情けない姿をうっとうしく思いながら、クロは自身の副船長に作戦内容の最終確認を行う。

 

「いいか?お前の仕事は密かに裏口から屋敷へ入り、カヤお嬢様に遺書を書かせることだ。海軍のネズミ野郎には一先ずこの近辺がおれたちの縄張りであることを印象付けさせれば十分だ。……今はな」

 

 元々クロは海軍と海戦を行い、途中でジャンゴを敵の艦船へ乗り込ませ海軍支部大佐共々海兵たちを催眠術で一網打尽にするつもりであった。

 だが海軍がこちらを恐れて近寄って来ないのであれば、より安全かつ確実に屋敷の資産を得ることが出来る。

 

 要はそのネズミ大佐が令嬢カヤに会う前にこの自分が資産を受け継ぎ終えればいいのだ。

 連中も多少の身元調査でカヤの事情をある程度把握しているだろうが、既に資産が異なる人物の手に移っているのならば引き下がるしかない。

 

 遺書とは、共通する明文化された法が殆ど無い独立市町村であるシロップ村において、絶対である。

 

 今こうして配下の海賊たちに村を襲わせようとしているのも、全てはそのドサクサでカヤを殺すためのカモフラージュに過ぎない。

 屋敷は動かせない以上、村人たちに簒奪の事実を怪しまれるわけには行かないのだから。

 

 

 もっとも、ドサクサで殺すつもりの連中は何も己の主人だけではないのだが…

 

「わ、わかった。じゃ船のほうは航海士にでも任せて、おれはこれから屋敷に向かうぜ」

 

  待て」

 

 底冷えのするような低い声で部下を引き止めるクロのその声色は、とても苦楽を共にした仲間にかけるものではなかった。

 

 背筋が震えたジャンゴは恐る恐る後ろを振り返り、ボスの指示を待つ。

 

「船で近海を見張らせるヤツらに催眠術で強化の暗示をかけろ。海軍の巡回船を死んでも逃がすな」

 

「む、無茶言うなよ!武装は巡回船のほうが下とはいえ戦力を分散させて満足に戦えるか!最悪こっちが全滅する!」

 

「いつもお前の催眠術でウチのド素人共が百発百中の腕前になってただろ。筋力と精神力の強化を重ね掛けすれば問題ない。  やれ」

 

 決死の命令を下したクロは見るもの全てが凍りつくほどの極寒の眼つきでジャンゴを睥睨する。

 

 高い知性と精神力を持つこの男に催眠術が効かない以上、奇術師と彼の力関係はいつだって変わらない。

 

 ボスが去った一味を何とか束ねてきたジャンゴ。

 だが、男には眼前の死の恐怖に打ち勝つことが出来なかった。

 

「わ、わかった…!言う通りにする…」

 

 そして奇術師は、今まで守ってきた仲間を見捨て、己の命を選択した。

 

 

 だが幸か不幸か、彼の仲間たちはその決死の作戦に従事する前に、どこからか飛んで来た砲弾の一撃でその意識を手放した。

 

『何だ!?』

 

 ドッ  オォォォン、という発砲音に続いた風切り音が『クロネコ海賊団』のキャラック船『ベザンブラック号』に迫る。

 

 直後木材が炸裂する音が響き渡り、中央のメインマストが轟音を立てながら海岸へ倒れ伏した。

 

「バ、バカな!もう海軍が追い付いて来やがったのか!?」

 

「違う!あれは!」

 

 砲弾やマストの破片で地獄絵図と化した甲板から数名の砲手が望遠鏡の先に見える識別旗を確認する。

 時同じく、クロの優れた視力が遠方に浮かぶ一隻の船を捉えた。

 

 それは執事の作戦における最大の不確定要素であったあの忌々しい邪魔者共が掲げた、麦わら帽子を被った髑髏の旗だった。

 

 

 『麦わら海賊団』

 

 船長の少女が被る古ぼけた麦わら帽子からその名をとった一味で、シェルズタウン海軍支部中央施設を真っ二つに割ったと噂の“海賊狩りのゾロ”を有する、男一人女二人の極々小規模海賊団である。

 

 村からの船出の際に船長の『“麦わら”のルフィ』が噂通りの悪魔の実の能力者であることが確定となり、その危険性も決して無視出来ない極めて厄介な連中だ。

 

「ふざけるな…何故出航したはずのアイツらがここにいる!?」

 

 あれほどの騒ぎを起こした地にまた舞い戻った連中の行動理由が見当も付かないクロは怒り狂う内心を必死に抑える。

 

 ヤツらのせいで平和ボケした村民や令嬢カヤは警戒心を抱くようになり、更に厄介な海軍まで呼ばれてしまったのだ。

 百計の男が三年もかけて準備した計画は最早修正不可能なほどに狂っている。

 

 クロが心中に巻き起こる憎悪に手放しそうになる理性を何とか押さえつけていると、再度大砲の発砲音が響いた。

 

 

 そして次の瞬間、彼の計画は完全に崩壊した。

 

 

  よぉ、執事。ウチの狙撃手の初陣はどうだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー諸島某島“難所の海岸”

 

 

 

  ったく、いつまで拗ねてんのよ」

 

「……拗ねてないもん」

 

 朝日が覗く夜明けの東の海(イーストブルー)

 白む水面を静かに進む一隻の帆船の姿があった。

 

 麦わら帽子を被った骸骨の旗を掲げたその船に乗る一団は、時代の名を冠す海の荒くれ者共の一つ。

 海賊一味『麦わら海賊団』である。

 

 

 先日、ここゲッコー諸島のシロップ村にて狼藉を働いた彼ら彼女ら一党は、密かに村が営まれている島に舞い戻り、日を改め再度出航していた。

 

 以前の傍若無人な振る舞いに反し、その目的は意外にも島の村を襲いかかる海賊から守ること。

 『麦わら』の一味とは異なる、生粋の凶悪海賊『クロネコ海賊団』を撃退するためである。

 

 

 そんな飄々とした奇妙な一味の船長は今、とある事情で不機嫌であった。

 

「ゾロは戦闘員以前にアンタとの付き合いも一番長いのよ?男ってのは見栄っ張りなんだから、女の前で良いトコ見せたがってるときには黄色い声援送るくらいで丁度いいの」

 

「……別にそんなコトしなくても私のゾロはカッコいいもん」

 

 頬を膨らませイジけている一人の少女、名をルフィという。

 その愛らしい見た目に反し、当代随一の戦闘力を持つ人外のバケモノ女船長である。

 

 対するもう一人の人物もまた、見目麗しい美少女。

 一味の船を操り自然の猛威を乗り越える、天才航海士にして海賊泥棒のナミだ。

 

 荒事とは一切無縁そうなこの二人の海賊は今、ここにはいない仲間の一人の青年の話題で敵海賊船を見つけるまでの暇を潰していた。

 

 

 『“海賊狩り”のゾロ』。

 

 東の海(イーストブルー)中で名の知れた凄腕の剣士である。

 

 尊敬する女船長よりとある事情で戦闘禁止命令を出されていた青年であったが、少女の超人的能力“見聞色の覇気”が捉えた敵海賊団の接近に居ても立っても居られず、潔く頭を下げてまで首魁『“百計”のクロ』と一騎打ちを行う許可を勝ち取っていた。

 

 仲間の身を案じた判断を無下にされた女船長は、文字通り風船の如く頬を膨らませ「勝手にしなさいっ!」とついカッとなり剣士を島に放置して船を航海士に出させてしまったが、彼を大切に思う気持ちは本物。

 ルフィは先日の“オレンジの町”での教訓を元に、危険なときは今度こそ殴ってでも戦いを止め以後は自分が敵を片付けようと心に誓っていた。

 

 少女に取って最も重要なのは仲間のプライドより、皆の無事そのものなのである。

 

「はぁ……過保護なのも良いけど、ホントは女は戦う男の背中を見ながらその勝利を願うものなのよ?アホみたいに強いアンタにはわからないでしょうけど」

 

「……私はゾロの船長だもん。……仲間を守るのは当然のことだもん」

 

「はいはい、もんもん言ってないでもう一人の良いトコ見せようとしてる仲間の手伝いでもしてらっしゃい。ウソップとちびっ子たちじゃあの重たい大砲弾薬全部準備出来ないでしょ?」

 

 不機嫌な女船長を促すナミの視線の先には四人の少年たちの姿があった。

 

 シロップ村より人質として連れてきた彼ら自称『ウソップ海賊団』の構成員たち。

 その自称船長であるリーダーこそ、『麦わら』の一味の新入り狙撃手ウソップ少年である。

 

 長い鼻が特徴の彼に従い、ナミが盗んだ『砲術指南書』を頼りに砲弾を詰める様は非常に危険なものなのだが、根が図太い海の荒くれ者たちに取っては些細なこと。

 ドが付くほどの素人揃いでは指南書を読んだ者が最も正しい知識を持つ、『麦わら海賊団』であった。

 

 

「……ウソップ~?手伝うわ  って、あら?」

 

 突然、ルフィが砲甲板へと向かう足を止め、西の方角へ首を振り向いた。

 

 少しずつ細まるその大きな目に、少女の力を知るナミがはっとする。

 

「ルフィ、近いのね!?」

 

「うんっ!  みんな、敵よっ!やろーどもぉーっ、大砲をもてぇー!!」

 

 まるで近所の女の子がはしゃいでるようにしか聞こえない元気いっぱいの甲高い女声で、本物の殺し合いの合図を出す麦わら帽子の女船長。

 

 海賊同士の海戦。

 

 気の抜ける号令に転びそうになる悪童四人組であったが、その意味を脳が理解するにつれ少年たちの顔から血の気が抜け落ちる。

 

「どっ、どこだ!?適当言ってんじゃねェだろうなルフィ!!?」

 

「あわ、あわわわわ…!」

 

「来た…!来ちゃったよぉ…っ!」

 

「おっ、おいら、お腹が……」

 

 人生初めての実戦。

 

 砲撃準備中は子供の好奇心が恐怖を忘れさせてくれたが、いざ敵の存在を認識すると途端に足が竦みだす。

 薄っすらと朝日が昇り始めたばかりの暗い海で相手の位置がわからないことも、彼らの未知への恐怖を駆り立てる要因となっていた。

 

 人、皆誰しも“わからない”ことが最も恐ろしいのだから。

 

「ルフィ!見てっ!」

 

 怖気付く少年たちの横で、場慣れした航海士ナミが島の海岸へ指を差す。

 

 釣られて振り向いた五人の目に飛び込んできたのは、一隻の闇色のキャラック船。

 そのメインマストの頂上にはためく猫の顔を描いた海賊旗がウソップのかつて得た知識を想起させる。

 

「“クロネコ海賊団”…!間違いねェ、“百計のクロ”の海賊団だ…っ!!」

 

『ひぃぃぃぃっ!!』

 

 少年が裏返った声で叫んだ途端、周囲から子供たちの甲高い悲鳴が上がった。

 抱き付く六本の腕から彼らの脅えが手に取るようにわかってしまう。

 

 そしてその事実を口にした本人もまた、敵の海賊船と  そして己の手に握る火種を顔面蒼白で見つめていた。

 

(撃つのか…?おれ、が……?)

 

 身体が凍える。

 

 己の血管に水銀のように重く冷たいものがどろりと流れ込んだような、形容し難い異物感が五臓六腑を駆け巡る。

 四肢は震え、肺は忙しなく酸素を求め膨張し、視界は濁る一方。

 五感など殆ど麻痺してしまっているというのに、絶対零度の玉の汗が皮膚を這う感覚だけが鮮明に感じられた。

 

 それは今まで少年が晒されたことの無い、途轍もない恐怖。

 

 初めて飛び込む砲弾と硝煙の世界  戦場の殺意が、空気が、振動が、未熟な子供の精神を苛む。

 

 勇ましいことを抜かし、非力で身の程を知らないただの小僧が抱いたちっぽけな勇気。

 それら全てをすぐさま投げ捨て逃げ出したくなる、本当の死の気配がウソップの臆病な心を膨れ上がらせた。

 

 勇気を蛮勇を吐き捨てるほどの、果てしない後悔。

 

 

 やはり無理だったのだ。

 

 こんな弱い自分が海賊になるなんて。

 

 

 父のような、“勇敢な海の戦士”になるなんて  

 

 

  大丈夫」

 

 水が耳に詰まったかのように遠のく聴覚。

 そんな少年の耳に、澄みきった鈴音の声が優しく触れた。

 

 鼓膜を震わす音色に引き寄せられるように、ウソップは後ろを振り返る。

 

 

 どこまでも見通せる、七色の星雲で彩られた美しい黒の煌きが、少年の目に飛び込んできた。

 

 太陽のような笑みの中心に輝くのは、仲間を導く二つの満天の星空。

 全てを見通し、包み込む夜の瞳に、ウソップたちの震える心が吸い込まれる。

 

 また、あの目だ。

 

 ウソップはその笑顔に惹かれたあの日の記憶を鮮明に思い出す。

 焦がれるほどの夢を見てしまう、果てしなく遠く広い、あの海の如き大きな器。

 人としての格の違いを目の当たりにしたかのような、己の全てを委ねたくなるような、“王”の慈愛の意思を。

 

 

「私はあなたの船長だもの!私がいる限り、怖いものなんか無いんだからっ!」

 

 

 少年たちはその輝きに突き動かされるように、心の奥底に眠る、人の持つ強い意思を呼び覚ます。

 

 それは彼らを導く一人の少女が灯した、彼らの強い心が生んだ大きな勇気の光であった。

 

「ウソップ、撃てる?」

 

 満面の笑みで見下ろす、一味の偉大な女船長が少年に問い掛ける。

 

 否、問いではない。

 

  おう」

 

 問いとは、答えを尋ねる行為。

 

「もう怖くない?」

 

  おう…っ!」

 

 船長ルフィが投げ掛けたるは、問いに在らず。

 

 

 それは偉大なる“王”が唱える、戦の鬨の号令であった。

 

 

「よーしっ!ウソップっ、ちびっ子たちっ、やっちゃってぇ~っ!!」

 

『オオオオ  ッッ!!!』

 

 

   その日、東の海(イーストブルー)の無名の海賊団で、一人の勇敢な海の戦士が誕生した。

 

 

 


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