ルフィちゃん(♀)逆行冒険譚   作:ろぼと

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クリーク&ギンサイドを本文最後に加筆しました。


20話 海の料理人と居酒屋娘・Ⅱ (挿絵注意)

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』中央ホール

 

 

 

  サンジさん、あんたはおれの命の恩人だ…本当にありがとう…っ!今度はちゃんと客としてくるから、またさっきの炒飯…作ってくれるか?」

 

「へっ、おれは料理人だぜ?……いつでも来いよ、ギン」

 

 

 東の海(イーストブルー)の西端。

 

 偉大なる航路(グランドライン)の入口のほど近くに広がる大洋に、一隻の奇妙な船が浮かんでいる。

 魚の頭を象った船首に、尾びれに見立てた大きな船尾舵。甲板の二本帆柱(マスト)の間にそびえるのは“RESTAURANT BARATIE”と綴られた切妻陸屋根の中央楼。まるで丘の建物を移築したかのような外観をしたこの船は、世にも珍しい、海を航行するレストラン船である。

 

 

東の海(イーストブルー)最強最悪の海賊一党、『クリーク海賊団』ね…。どんなクズ一味にでも酔狂な野郎ってのはいるもんだな」

 

 一際目立つその大きな中央楼のバルコニーで、空の皿を指の上で回しながら小さな独り言を呟くのは、一人の黒衣の紳士。

 片目を隠す前髪に添うように全体を整えられた鮮やかなブロンド。煙草の火口から煙を立たせ、ニヒルな笑みを浮かべる男の眉はくるりと螺旋を描いている。

 

 男、いや青年というべきその身形の良い若者は、手元の皿の中身を振舞った“客人”の小船が水平線の向こうへ消えていく光景を、穏やかな顔で見守っていた。

 彼の顔にタダ飯食らいを責める気難しい感情は微塵も見えない。あるのは自身の料理を泣きながら喜んでくれた上客へ向ける、満足げなプロの料理人の笑みだけだ。

 

 

 青年が働くこの船の名は、海上レストラン『バラティエ』。

 

 かつて『“赫足(あかあし)”のゼフ』と呼ばれた海賊団船長が自身の遭難経験を元に開いた、不毛の大海原にぽつんと浮かぶ洋上のオアシスだ。

 嵐に流された遭難者を、長い船旅に疲れた船乗りたちを、退屈な海の生活に欠伸を零す淑女たちを  “食”を求める全ての者を、このレストランは善悪分け隔てなく客人として歓迎する。

 

 

  おっ…!」

 

 そんな美食の聖域に、今日も多くの海の乙女たちが訪れる。

 

 外の夏空のように澄んだ青色のスカートに包まれた華奢な腰を姿勢良く椅子に下す、四番テーブルのご令嬢。

 どうやらエスコートは相席のあの冴えない蝶ネクタイの青二才のようだ。緊張に体を固くし身振り手振りで薀蓄を語る蝶ネクタイ。その青二才に柔らかな微笑みを返す彼女の横顔は、何とも退屈そうに見える。

 

 これはいけない。美女の笑顔を曇らせる行為は、たとえいかなる理由があろうと許しがたい犯罪だ。

 蝶ネクタイ野郎のクソつまらない雑学語りを忘れさせる美酒美食を急いでご用意しなければ、“愛のコック”など到底務まらない。

 

 そう覚悟の表情を浮かべるのは先ほどの螺旋眉毛の青年。

 “愛のコック”を自称する、この店の副料理長である。

 

 上品な黒のダブルジャケットを纏う若紳士は、コツコツと小気味良い足音を立てながらワインセラーへ向かう。

 見繕うのは微かな甘みを持つ白のスパークリングワイン。つまみにはクセの少ないコンテチーズとソフトドライの一口イチジクが良いだろう。美容に最適な、全ての女性の大好物だ。

 

 チーク材の小さなインテリアボードにチーズと干し果物を飾るように載せ、自称“愛のコック”の青年は柔和な表情を作り、青いスカートの美女の座る四番テーブルへと近付いた。

 

  当店のフロアに咲き誇る青薔薇の奇跡…他ならぬ君の美しさにようやく気付いた愚かな僕を許しておくれ、晴天のドレスのお嬢さん」

 

「……え、あの…?」

 

「ああ、申し訳ない。僕は君の微笑の青空にかかる、“退屈”という名の叢雲を掃う一陣の恋風……副料理長のサンジと申します。どうぞお見知りおきを」

 

 “愛のコック”  もとい青年サンジは、胸に手を当て仰々しい礼を客人に披露する。

 チラリと一瞥した令嬢の顔は、まっさらな空白の呆け顔。驚きに口を小さく開けるその顔も実に見目麗しい。

 

 サンジは湧き上がる美女への思いを上手に言葉へと昇華させ、愛を囁くように女性客へ今回の趣を即興で説明し始める。

 

「本日は久々の快晴。海と空が交わる特別な“青”をお召になられた女性のお客さまに、当店自慢の新作スパークリングをサービスしております。君の心からの笑顔のために……爽やかな甘酸っぱい夏の恋の味をどうぞ」

 

  そんな意味不明なサービスはしてねェぞ、チビナス」

 

 

 突然、そんな甘い空間を踏み躙る嗄れ声がサンジの背後から飛んで来た。

 

 イヤになるほど聞いたその声を聞き間違える彼ではない。いつまでも自分を子ども扱いする忌々しい男の声だ。

 副料理長は額に青筋を浮かべ、苛立ちの籠った静かな怒声を後ろの不躾な邪魔者にぶつけ返す。

 

「意味不明なのはてめェの頭だクソジジイ。女性が店に来た日はいつだって最高の記念日に決まってんだろ。遂にボケたか、老害…!」

 

「はん、色ボケしてんのはお前だろサンジ。客に迷惑だ、さっさとホールにオーダーを運べ!」

 

 振り返った先に立っていたのは予想通りの老人。

 三つ編みの長い髭に一本木の義足の右脚を持つ、この店のオーナー兼料理長。

 

 青年の師匠、ゼフだ。

 

 生意気な若造を鼻で笑い、老人がいつもの文句でサンジを突き放す。

 

「大体いつまで人の店の副料理長の座で偉そうに踏ん反り返ってるつもりだ?先週も迷惑だから出てけっつったはずだがな」

 

「ッ、何だと!?」

 

 青年はゼフの言葉に思わず逆上する。

 だがサンジの怒りを軽くいなし、老人はゆらゆらとした足取りで二階のオーナー室へと消えて行った。

 

「女に現抜かしてる暇があれば一度くらい、このおれを唸らせる料理を作ってみせろ。……つっても、外を知らねェお前みてェなチビナスには一生かかっても無理だがな」

 

「…ッ!」

 

 はき捨てるような言葉。

 吹き上がる感情をぶつける相手を失い、青年は歯を食い縛りながら自身の憤怒を押さえ込む。

 

 長年共に暮らす元海賊の料理人ゼフ。

 性格や口癖、会話の些細な調子を知り尽くされている老人の年の功に中々太刀打ち出来ないサンジは、あの片足の師匠に相手にされない自分の未熟さに苛立ちを募らせる。

 

 恩に報い、この店に骨を埋める覚悟を今一度あのクソジジイに認めさせるか、追い返されることを見越して真面目に働くか。しばしの葛藤の末、副料理長の青年は肺に溜まった熱を溜息と共に吐き出し、客のオーダーを受け取りに厨房へと足を向けた。

 

 その直後  

 

 

『うわっ!?』

 

 突然サンジの耳に劈くガラスの破砕音が飛び込んできた。同じく周囲の客も脅えるように辺りを見渡している。

 最も多くの目が集まっているのはホールの天上、否、その先の二階である。聞き間違いではない。上で何かがあったようだ。

 

 厨房へ向けた足先を反転させ、小さな舌打ちを残した副料理長は急いでホールを飛び出し上階へと続く階段を駆け上がる。

 

 果てなき大海原に浮かぶ海上レストラン『バラティエ』。

 海の荒くれ者共が闊歩する大海賊時代において、平穏などという生温い日常は存在しない。ましては孤独のレストラン船。人、物、金が集まる無防備な料理店を狙う輩は数知れず。

 訪れる美しくもか弱い美女たちに安心して料理を楽しんでもらうためには、大至急騒ぎを鎮火させる必要がある。

 

 己の身を守る術は己自身の力のみ。元海賊がオーナーを務めるこのレストランもその掟に倣い、全ての料理人が荒事に親しんでいる。

 ふてぶてしい戦うコックたちの中でも随一の腕っぷしを誇ると自負するサンジは、女性客たちの心の安寧のために誰よりも早く二階へたどり着き、店の責任者が仮眠を貪るオーナー室の扉を蹴飛ばした。

 

「おい、何があったクソジジイ!下のレディたちに迷惑かけねェようにさっさと終ら…せ……」

 

 飛び込んだ自室で暢気にぐーすか眠るゼフに嫌味の一つでもぶつけようと口を開いた副料理長は  用意していたセリフの半ばで残りの全てを忘れるほどの衝撃的な光景を目にした。

 

 

 この世の全ての美女に恋する男、『“愛のコック”サンジ』。

 毎日のように野蛮な怒声や戦闘音が響くこのレストランで、本日最初の騒ぎを起こした不届き者は  

 

 

  あーっ!サンジ!!サンジだわっ!!会いたかったわサンジっ!私の仲間になってっ!!」

 

 

   青年が今まで出会った女性たちの中でも飛び切り見事な容姿を誇る、愛らしい笑顔の少女であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』中央ホール

 

 

 

「はいお待たせ~っ!お魚さんのお料理と、お肉のお料理よっ!」

 

「ど、どうも……うへへ」

 

「はいどうぞっ!また何か欲しかったらお手々あげてね!」

 

『はぁ~い、お嬢ちゃんこっち~っ!』

 

「はーい、ちょっと待ってて!一人ずつ行くわねっ!」

 

 

 海上レストラン『バラティエ』の一階ホールを、腰のミニスカートとサロンエプロンの裾を翻しながら軽やかに走り回る、一人の小柄な少女がいる。

 この店に初めて入ったウェイトレスにして、一瞬で周囲の視線を釘付けにした、期間限定の看板娘だ。

 

 ボタンが弾け飛びそうなほどに膨らんだ給仕服の胸元を躍動させる少女の妖艶な姿に、鼻の下を伸ばす男性客たち。そんな正直者共に紛れて、この場で最も見るに耐えない顔を作る一人の紳士服の青年がいた。

 

 料理店の副料理長、サンジである。

 

「はぁぁぁん……」

 

 リボンの翅を羽ばたかせながら客席の間を華やかに舞うエプロン姿の妖精へ、青年の情熱的な視線が送られる。

 新入り娘の働きぶりを見守る同僚の料理人たちと共に、サンジはウェイトレス少女の背中をデレデレと蕩けるような目で追い続けていた。

 

「ああ…やっぱ可愛い女の子がいる職場はいいな……」

 

「料理長もまるで孫娘でも見るかのように優しい目ェしてたぜ」

 

「おっぱい…!おっぱい…!ハァ…ッ!ハァ…ッ!」

 

「あ、今日のまかない作んのおれだからな」

 

「なっ、ふざけんなてめェ!あの子に食べてもらうのはおれだ!」

 

「ああ!?お前らこんなときばっかヤル気出しやがって!まかないは当番制だろ!」

 

 走り回る給士姿の女の子に骨抜きな『バラティエ』の暴力コックたち。

 

 だが中には少女の働く姿を口惜しげに見続ける者もいる。

 

「くぅっ…でも少ししか居てくれねェんだろ…?あぁ勿体ねェ…っ!」

 

「サンジのスカウトだってよ。あんな子が船長だなんて、むしろこっちからあの子の船にお世話になりてェくらいだってのに…」

 

 一人のコックのその言葉に、残りの全員が一斉に渦中の幸運な副料理長の方へと振り向いた。

 当然、好意的な感情を浮かべた顔は一つもない。

 

 そんな同僚たちの恨めしげな視線に晒されたサンジは、胸を押さえながらホールの床に膝を突き、搾り出すような声で号泣した。

 

「ッあああぁぁぁっ!!愛よっ!!果てしなく蒼く広き空と海よっ!!天はなんという残酷な選択をおれに与え給うたのか…っ!ちくしょォォォッ!!」

 

「おい!うるせェぞサン  げっ、料理長!?」

 

「……何の騒ぎだ、こりゃ」

 

 泣き叫ぶ副料理長の騒音に目が覚めたのか、休憩を終えたゼフがホールに戻る。慌てて新入り少女の観賞を中断し、料理人たちは我先にと厨房へ逃げ出した。

 

 だが騒ぎの原因は未だ後ろの上司の存在に気付かない。

 

「はあああぁぁぁんっ!!“女神の誘い”か、“命の恩”か…っ!このおれに、あの…あの可憐な天女の太陽の笑顔に、悲愴の雨を降らせろと言うのか…っ!無理だ!そんな大罪おれに犯せるわけがないっ!!だが…だが…っ!ッッぐううゥゥゥお゛れ゛は゛と゛う゛す゛れ゛は゛ァァァ!!」

 

「だから客前で騒ぐなっつってんだろチビナス!!くたばれ“料理長義足キィーック”!!」

 

  ッげぼあぁぁぁっ!!?」

 

 突然、弾丸の如き一撃が背中を襲い、サンジはあまりの激痛に視界が暗転する。過去に何度も味わった憎き師匠の強烈な突き蹴りだ。

 

 薄れ行く意識の中。

 『“愛のコック”サンジ』の脳裏には、数刻前に起きた己の人生の転換点である、あの麦わら帽子の天使との出会いの光景が走馬灯のように駆け巡っていた  

 

 

 

 

 

 

 

  で?つまりお嬢ちゃんはそこのキャラベル船を持つ海賊団の船長で、コイツを一味のコックに欲しいと。そういうことか?』

 

『そうよっ!サンジ以外の人を私のコックにするつもりはないわ!だから私、サンジが“うん”って言ってくれるまでここで待つつもりよっ!』

 

 

 海上レストラン『バラティエ』のオーナー室。

 ガラスが散らばる部屋の中央で、一人の少女がぎこちない正座を作っている。

 

 突然窓から飛び込んで来た無礼者とは思えない真摯な態度を見せる問題娘。

 些か非常識な手段で入店した、その麦わら帽子を被った薄着の女の子の容姿に、部屋へ乱入した直後のサンジは一瞬で心を奪われた。

 

 

 最初に青年の目を釘付けにしたのは、雲一つ無い夜天の星空の双眸であった。

 散らばるガラスの光が、透き通る黒曜石の宝玉の奥に無数の綺羅星を輝かせる。どこまでも深い夜闇の中に揺らめく星雲のような虹色の焔は、その懸珠の瞳の持ち主が宿す強い意思を映しているのだろうか。

 

 吸い込まれそうなほどに黒い二つの夜空が輝く、天の川のように華やかな笑顔。そんな少女の美貌が呪縛となって見惚れるサンジの心を絡め取る。

 

 白磁のような白目を縁取る長く艶やかな睫毛。その黒い額縁を通り越せば、芳ばしい焼き菓子の香りを幻嗅するほどの小麦肌が、窓から射し込む陽光を受けて浮かび上がるように淡く輝いている。

 視線を下せば、そこには紅色に色付くふっくらとした頬っぺたが。視線を右に逸らせば、未だ丸みが強く残る、形のいい小振りな鼻が、ちょこん。

 その更に下で薄い桜色の艶を放つ、瑞々しい生気に溢れた可愛らしい唇は、少女の満面の笑みに沿い、ぱぁっと大きく開かれている。

 

 そして青年は、たどり着いた彼女の小さなあごを超えた先にあった  溢れんばかりの女の色気に思わず息が止まってしまった。

 

 

  美の…女神……』

 

 意図せず零した言葉は、まさに目の前の肢体を形容するに相応しい賛美句であった。

 

 繊麗な首筋から、山の裾の如き傾斜を描く小柄な撫で肩。蜂のようにきゅっと括れた婀娜やかな腰付きに、慎ましくも丸々と実ったお尻。そこからすらりと長く伸びる、細い足の女性的な曲線美。それらが醸し出す盈々たる気品は、彼女を一瞥する者全てに慎ましやかで謙虚な印象を抱かせる。

 だが、その華奢な身首をなぞる万人の目に、それまでの少女の無垢な処女性から逸脱した、あまりにも大胆すぎる“肉感”が飛び込んでくる。

 

 少女の胸元にぶるん!とそびえる、巨大な双峰だ。

 

 一度目にしたら決して逸らすことの出来ない魔性の芸術。その豊穣のふくらみは爆発しそうなまでに大きく張り詰めた  触れることが叶うのなら、それはさぞ顔を埋めたくなるほど温かく、頬ずりしたくなるほどすべすべしていて、鷲掴みに揉みしだいて蹂躪したくなるほど柔らかそうな  全ての男を虜にする禁断の果実であった。

 

 一切の穢れを知らぬ、か弱い童女のように容易く手折れそうな四肢に腰と、無邪気で幼げな顔付き。

 爆発的な女の色香を放ち、異性の情欲を狂うほどに扇情する、艶やかで嬌しい蟲惑的な豊胸。

 

 そんな二つの相反する美が同時に備わる、ありえない矛盾もまた、彼女の麗容を際立たせる。

 

 それはまるで、緑の蕾が僅かに顔を覗かせたばかりの楚々とした野百合の花畑で、大輪の牡丹が咲き乱れているかのような、幼女と女性の異なる魅力が共存する奇跡の美少女であった。

 

 

  なるほどな、随分コイツのこと見込んでくれてんじゃねェか。……だがお嬢ちゃん。まさかこのチビナスが腹ァ括んの待ってる間、ウチでタダ飯食らうつもりじゃあるめェな?こんな役立たずな副料理長、いつでも連れてってもらっちまって構わねェが、飯代払えねェヤツに恵んでやれるのは余程の事情に限らァ』

 

『むっ、失礼ねっ!もちろんちゃんと対価は払うわ!お金はナミが意地悪して渡してくれないからダメだけど、これでも私、居酒屋の一人娘なの!お料理はマキノに怒られてばっかりだったけど、お客さんの注文受け取るくらいなら出来るもんっ!サンジが仲間になってくれるまでココのウェイトレスやってあげるわっ!!』

 

 “一目惚れ”という名の雷に打たれた副料理長サンジは、少女と料理長ゼフの会話に置いていかれていることすら気付かずに、ただひたすら目の前の女神の美しさに見惚れていた。

 

『ふん、運がいい娘っ子だ。丁度昨日ウチのウェイターが全員逃げ出しやがってな。ホールの手が足りねェ。余計なトラブル起こさねェって約束出来んなら……すぐに着替えて下の連中に挨拶して来い。  採用だ』

 

『ッ、ホントっ!?わぁい、やったぁ!!カヤに貰った可愛いメイド服着てマキノのお店のときみたいに働いてみたかったのっ!!』

 

『……いい機会だ、サンジ。さっさとこのめんこい海賊お嬢ちゃんの船に世話になっちまいな  サンジ?……ああ、こりゃダメだ』

 

『ん、あら?どうしたのサンジ?』

 

 

   サンジ…

 

   サンジ…

 

   …ンジ…

 

   ……ジ…

 

 

 少女のしっとりと濡れる愛らしい唇が紡いだその名が天使の福音となって、青年の耳に無邪気な鈴音の幸せを運ぶ。

 鼓膜を介さず魂そのものを震わせる天上の調が脳裏に幾度も木霊し、サンジは感動のあまり  己が身を目の前の女神に投げ出した。

 

『ああ海よ!日輪の下でなお、果て無き宇宙の星々を煌かせる小さな双空が見えるだろうか!!ああ天よ!汝の下を離れこの艱難蔓延る下界に降臨せし“美の女神”の、その妍麗(けんれい)たる玉姿が見えるだろうか!!  見えるとも!女神の敬虔な使徒であるこの僕には見える…っ!!』

 

『え、あの…サンジ?あ、あなたから聞こえてくる心の声が、その、怖いわ…』

 

 耐え難い恋の苦しみに我を失い、溢れる感情を目で鼻で口で手で足で、体の全てで表現する『“愛のコック”サンジ』。

 桃色の世界でハートの瞳を輝かせながら思いの丈を伝える青年に、美の女神が困惑げな表情を浮かべ後ずさる。その後退の一歩が、少女のブラウスの前で半ば曝け出された重たいものを誘うように波打たせ、開いた距離を再度サンジに詰めさせる。

 

 ああ、そんな戸惑う彼女の愛くるしい幼顔も、不安げに抱きしめるその繊細な身体も、零れ落ちそうなほどに大きく揺れる胸元の実りも、全てがまるで魅了の魔法を放っているかのよう。

 底が見えない恋慕の海にどこまでも沈んでいく己の不甲斐なさを心地良く感じながら、目の前の女神の、あどけなさと艶やかさがそれぞれ偏在する人形の如き美しさに溺れるサンジであった。

 

『そう!僕はたった今っ!君の忠実なる下僕となった…っ!!君の笑顔のためなら海賊の道だろうと!修羅の道だろうと!喜んで疾走してみせよう!!それこそが君の恋の奴隷となった、この“愛のコック”サンジの進むべき宿命なのだね!!?』

 

『えと、よくわからないけど私サンジに奴隷じゃなくて仲間になってほしい…んだけど』

 

  ッッはあああぁぁぁん……♡』

 

 か細い声でこちらを窺いながら誤解を訂正しようとする美の女神。そこに含まれる確かな優しさを幻視し、青年は溢れる思いに耐え切れず盛大な奇声を上げてしまう。

 

 奴隷ではなく、仲間。

 それはつまり、こんな自分と対等な関係でありたいということが彼女の望みであり、“対等”とはようするに、非常に  そう、非常に親しい間柄になりたい…ということではないだろうか。

 

 そう推理した瞬間、サンジは己の理性の全てが天高く吹き飛んだ気がした。

 

『んんぅむむぇがみぃぃよおおおーっ♡!!!』

 

『ひゃっ!?ちょっと、なにいきなり飛び付いて  って、キャーッ!サンジが落ちちゃうっ!!』

 

 

   ふにょん…

 

 

 桃色一色の世界の中。

 体を締め付ける強い圧迫感に紛れ、胸板の大部分を覆うパン生地のように温柔な感触が男の微かな意識に届く。

 

 サンジはしばらくスーツ越しにその心地良い弾力を堪能し、ふと自分の平行感覚に異常を覚えた。足裏にあるべき自重の反力が無く、代わりにあるのは頭部と同じ浮遊感。両腕は胸部から腹部にかけて固定され、体の自由が奪われている。

 幸せな胸元の感覚を著しく阻害するそれらの異常を苦々しく思いながら、青年は天国から浮世へと意識を戻す。

 

 開けた瞼の外にあったのは、全てが反転した世界であった。

 一瞬の混乱の後、サンジはすぐさま自分がオーナー室の窓から海へと飛び出してしまったことに気が付く。

 そして慌てて落下に備え体勢を整えるべく、体を捕らえる柔らかな束縛から逃れようと腰を捻り  

 

 

『あ、ちょっと待っててサンジ!今引き上げてあげるわっ!』

 

 

   自分にぎゅっ、と抱き付く美の女神を見た。

 

 サンジは見た。

 見下ろした先の、目と鼻の距離にある少女の幼気で愛々しい童顔を。自分と彼女、二人の胸板に押し潰され、残された左右の脇腹の隙間にはみ出る圧倒的な質量の日焼け色を。

 サンジは感じた。

 外気の潮風に送られ、ふわりと届いた麦わら娘の暖かな吐息を。胸元のスーツの上からでさえ確認出来る、全ての男たちの悩ましい夢の結晶にして、この世の至宝たる最上のたわやかさを。

 

 そしてサンジは、己の度し難い愛慕の情想を、情熱の赤の噴水で以って意中の美少女へ披露した。

 

『ッぶぼふうゥゥゥゥ  ッッ!!!』

 

『ッきゃあっ!?サ、サンジっ!?サンジ血が!血が凄いっ!サンジが出血多量で死んじゃうーっ!!』

 

『喧しいお前ら!さっさと下行って働け、このボケナス共ォッ!!』

 

 

 我が人生に一片の悔いなし。

 

 堪えきれない想いを放出し終えた“愛のコック”は、女神の胸元の楽園に陶酔しながらその意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

  きゃ、ちょっと!お尻触ろうとしないで、ヘンタイっ!」

 

 突然、レストランホールに倒れ伏すサンジの耳に少女の可愛らしい悲鳴が、走馬灯の女神のものと被るように届いた。

 一瞬で脳裏の映像を振り払い我に返った副料理長は、背後の上司ゼフに蹴られた痛みも忘れて飛び起き両脚でホールの床を踏みしめる。

 

「おっと悪ィな、へへ…ワザとじゃねェからよ」

 

「むーっ!人の悪意なんてすぐにわかるんだからっ!嘘吐いても  って、やっ!?ちょ、ちょっ!あっ!む、胸もダメだって!もうっ、私今お店のお手伝い中で暴力禁止なのっ!あなたたちのこと殴れないんだから触って来ないでぇっ!」

 

 驚き紅潮した顔でスカートの後ろを押さえながら、給仕娘が身形の悪い二人組みが座る二番テーブルから飛び退く。少女の厭わしげな表情を目にし、サンジの双眸が血走るほどに見開いた。

 

 女神に劣情塗れの下卑た手で触れるなど、何たる許しがたい暴挙。万死に値する。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

「いいじゃねェか、減るもんじゃねェんだし…なぁ?毎度毎度ばるんばるんさせやがって、誘ってんだろォ?」

 

「おれたちデザートにお嬢ちゃんのそのでっけースイカが食べたいでーす!ほらちゃんと注文持って来いよ、こちとらお客サマだぜ?」

 

「ッ!イヤっ!触らないでっ!  ッッもうっ!何よこのお料理屋さん、ウチのお店と全然違うじゃないっ!なんでココのお客さんこんなえっちな悪意ばっかりなのよっ!もーっやぁーんっ!助けてマキノー!マキノぉーっ!!」

 

「!!?」

 

 

 少女の泣き言がホールに広がった瞬間、漆黒の残像が客たちの視界の端に走った。

 

 その直後、凄まじい破壊音が轟き、続くように場の全員の鼓膜を震わせたのは、複数の微かな落水音。冷房の効いた店内に生暖かい真夏の潮風が漂い出し、さざ波の音色がホールの沈黙に木霊する。

 

 電光石火。

 

 それはまさにそう形容すべき一瞬の出来事であった。

 

 

  クソ失礼致します、お客様方」

 

 誰もが固まる凍った空間の中で、伸ばし上げた足をゆっくりと下すその若紳士の姿は、まるで舞台役者のように洗練されていた。

 

「女性に対する乱暴狼藉は人の道に外れた蛮行。当店が料理をお出しするお客様は()に限りますので、人にあるまじき犬畜生はこのように叩き出させて貰います。……ご留意の上、お食事をお楽しみ下さい」

 

 海上レストラン『バラティエ』副料理長サンジは、自身の勤める料理店における最低限のマナーを男性客たちに説明し、その愛らしい大きな目をぱちくりさせる憐れな被害者を優しく裏手の厨房までエスコートしながら場を後にした。

 

 店の女性客たちの拍手を背に受けホールを去るその貴公子の伸びきった鼻下に気付いた者は  残念なことに  意外と多かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『ドレッドノート・サーベル号』

 

 

 

 ガレオン船。

 

 大海賊時代最大級の帆船で五百人以上の乗員、五百トン以上の積荷、そして五十門以上の大砲を積載出来る海の覇者だ。平時には村一つ動かす大型商船として海を越え、戦時には無数の火砲の一斉射で山を崩す戦列艦となるこの怪物は、帆船という風力推進を用いた船舶の一つの完成形として五つの海を制してきた。

 

 東の海(イーストブルー)の外れ。

 偉大なる航路(グランドライン)への出入り口、リヴァース・マウンテンを望む小さな孤島の海岸に、その海の覇者の一隻が異様な姿で佇んでいる。

 三層の横帆を掲げた三本大樹は雲をも貫き、船首で巨大な牙を向かせるのは見据える有象無象に王者の格を示す大獅子の頭。36ポンドカノン砲が並ぶ片舷二十一門の大戦列が睥睨する先は、射線に入る物全てが更地と化す、人類史有数の殺戮結界である。

 そして、巨艦の頂点にはためく二つの砂時計は、敵対する愚者の残りの命を表す、僅かばかりの慈悲による降伏命令だ。

 

 

 その船の名は『ドレッドノート・サーベル号』。

 

 東の海(イーストブルー)でその悪名を聞かぬ日は無いとさえ言われ、実に五十隻もの海賊船、総勢五千人の構成員からなる最強最大の海賊一党『クリーク海賊団』の大艦隊を率いる不動の旗艦である。

 この平和な海で暴虐の限りを尽くした彼らは、絶対の王者たる首領(ドン)に率いられ、先日満を持して王たちの海、偉大なる航路(グランドライン)へ進軍した。

 

 だが、そんな覇者たちが誇る威風堂々たるガレオン船は  まるで満身創痍の落ち武者の如き無様な姿で孤島の海岸に浮かんでいた。

 

 覇道を突き進む追い風を受ける巨大な角帆は引き千切られ、万人を震え上がらせる大戦列の砲甲板は海水で水浸し。天にそびえる後部帆柱(マスト)は折れて傾き、恐怖の大海賊が誇った艦隊旗艦の威容は、死者の気配色濃い幽霊船のように惨めな(さま)で人知れず救いを乞うていた。

 

 

  ッがはぁ…っ!……ハァ…ッ、ハァ…ッ……」

 

 

 瀕死の巨艦の一際豪奢な一室に、男の荒い息が木霊する。

 

 潮と硝煙に塗れ、割れた窓から海風が吹き込む野晒しの部屋。その濡れたベッドの上で、一人の男が仰向けに寝転んでいた。

 室内の磯臭い空気を喘ぐように吸い込み酸素を求める血だらけの大男は、苦痛に顔を歪ませ拙い動作で寝台を降りる。

 

「クソ…忌々しい悪夢だ…」

 

 ギラ付く手負いの猛獣の瞳が周囲を見渡した。視界に映るのは、相も変らぬ嵐の後のように散らかった船長室。文字通り、悪夢にも勝る最悪の光景である。

 

 男は不快げに舌打ちし、部屋の中央に鎮座する黄金の椅子に腰掛ける。僅か数歩の運動が死線一つに匹敵する。背もたれに体を埋めたまま幾度も深呼吸を繰り返し、体力を回復させた男は備え付けの伝声管へ苛立たしげに吐き捨てた。

 

「……起きたぞ。状況を報告しろ」

 

「ド、首領(ドン)…!たった今ご報告に上がろうと…!ギ、ギンさんが戻りました…っ!」

 

 打てば響くような返事に男の機嫌が僅かに好転する。ここ数日で最も良い知らせだ。

 

 海軍に捕らえられていた、己の最も忠実な部下の帰還の意味を理解する傷だらけの巨漢は、薄い笑みを浮かべながら報告の下っ端に短く指示を出した。

 

「……連れて来い」

 

「へ、へい…!」

 

 伝声管のブラスの蓋を閉じ、男は大きな息と共に目を閉じる。

 

 しばらくの沈黙の後、ふらふらとした足音が部屋の壊れた扉の奥から聞こえて来た。近付くブーツの音に促され、男はゆっくりと目を開ける。

 

  たっ、ただいま戻りました…首領(ドン)…!し、しかしこの船は一体…!?」

 

「……嵐にやられた。…あの女共、随分あっさり引いたと想ったら時化を嗅ぎ付けてやがったんだ……。おかげでこのザマだ、クソったれ…!」

 

 顎鬚の男、ギンが一味の危機に唖然としている。例の化物共との戦いの途中で腰ぎんちゃくの海軍に捕らえられていた部下。彼が知る味方の被害はあの悪夢の海戦の途中まで。

 

 突然現れた、奇妙な海王類に引かれた一隻の海賊船の襲撃に遭い、命辛々逃げ出した一味の先に待っていたのは無情の大嵐。

 敵の悪魔の実の能力で石にされた多くの味方船に、怒涛の如く押し寄せる高波や暴風を耐え切る力などあるはずがなかった。

 

 最後に残った本船もこの有様。

 まさに落ち武者の名に相応しい無様な衰容である。

 

「下のクルーたちは…何日飯にありつけて無いんですか…?」

 

「……お前の情報が頼りだ。もう四日も何も食ってねェ。そろそろ死人が出る」

 

 男の言葉にギンが喉を鳴らす。今にも消えそうな風前の灯を救うために、自分に何が出来るか。

 短い逡巡の末、彼は自分の敬愛するボスに希望の炎を差し出した。

 

 

「“首領(ドン)・クリーク”……案内します。海上レストラン『バラティエ』へ…!」

 

 

 

 

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