ルフィちゃん(♀)逆行冒険譚   作:ろぼと

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2話 悪童たちの小さな女師匠

大海賊時代・12年

東の海 ドーン島ゴア王国“不確かな物の終着駅”(グレイ・ターミナル)

 

 

 

「ねぇねぇエース、そんなにぶすっとしてないでお話しましょ?」

 

 事件から数日後、そばかすの少年エースの機嫌は過去最低に悪かった。

 

 その不快感の原因は、ようやく完成した新たなアジトへ向かう彼の背後を暢気に付いてくる、麦わら帽子を被った幼い女の子。

 振り返るたびにこちらへ向かって、にぱっと笑顔の花を咲かせる彼女とは対象的に、エースの眉間には深い谷が出来ている。

 

 

 彼は現在、相棒のサボ少年の指示で少女の望みどおり、彼女を二人のアジトへと招待していた。

 身から出た錆とはいえ、先日の一件で相棒に多大な迷惑をかけたのは事実。

 命を救われた借りを返すことも含め、恩人の少女を敬えと彼にキツく言われてしまった以上、この喧しいクソガキの主張を無視することは出来なかった。

 

 もちろん、何故か無駄に教養のある親友から聞かされていた世間一般の女性たちの話を辛うじて覚えていたエースにとっても、女とは守ってやらなくてはならない非力でか弱い存在である。

 とんだ例外も居たものだとこの面倒な麦わら娘を白い目で見ながらも、最低限の配慮はしているつもりであった。

 

(どこが“か弱い存在”だよ…)

 

 可愛らしい笑顔を浮かべたままトコトコと自分の後ろを付いてくる少女を視界の端に収めながら、エースは当時の自分の痴態を思い出し舌打ちした。

 

 

 

 先日、エースは不運にも海賊『ブルージャム一味』と敵対し、相棒のサボと共に人生最大の危機に晒された。

 親友は胸を斬られ朦朧としながら倒れ込み、自分もまたあと一歩でその命を散らすところであった。

 

 

 そんな二人を間一髪で救ったのが、このちびっ子麦わら娘。

 

 『ルフィ』と名乗った幼い少女は目にも留まらぬ速さでその小さな手足を振り回し、あっという間に十数人もの大人たちを圧倒したのである。

 まるでゴムのように腕を伸ばし遠方の敵を森の奥まで殴り飛ばす彼女の姿はとても人間のものとは思えず、噂に聞く『悪魔の実』シリーズの能力者であることが本人の口から語られた後も、エースは未だにこの化物じみた女の子が自分やサボと同じ種族の生物だとは信じられなかった。

 

(女に助けられたなんて、認められっかよ…)

 

 頼りになる兄貴分とはいえ、未だ幼いエースは子供特有の幼稚な自尊心と捻くれた人間性を御する術を持たない未熟な少年である。

 男であることを誇りに思い、勇ましく強者であることを何よりの誉れと考える彼にとって、泣き虫でか弱い連中であるはずの女に、それも年下の幼女に命を救われたことは到底納得出来るものではなかった。

 

 何より、自分たちより遥かに簡単に敵を無力化する少女の卓越した実力を見せ付けられて、男として心穏やかで居られるわけがない。

 

(くそっ、調子狂うぜ…)

 

 あれほどのことがあったというのに、まるで散歩に行くかのような気楽さで自分についてくる小さな少女。

 見た目からは想像も出来ない逞しさを見せ付けてきた麦わら娘に、エースは彼女への接し方を心底掴みかねていた。

 

 

 少女ルフィの“夢”に登場した彼とは異なり、このエース少年はルフィに対して幾分か態度が柔らかくなっている。

 生粋の人間嫌いである彼であっても、流石に初めて出会った同年代の異性に、それも命を救ってくれた恩人に対し無礼を働けるほど恐れ知らずでも恩知らずではない。

 

 相手は子供とはいえ、れっきとした女。

 10歳になり性別を意識し始めついつい相手が気になってしまう思春期の少年よろしく、彼は戸惑う内心を隠しながら、女性という連中の本質を知るために少女を観察することから始めた。

 

 性別が違うだけでこれほどの変化があるとはルフィ少年も報われない。

 

 

 そしてそんな思春期少年のドキドキを平気で裏切るのが、少女が村一番の問題児たる所以。

 

「ぶぅー、そんなに私のコト嫌い…?」

 

 後ろから聞こえてくるのは全ての元凶であるチビ娘の不満そうな声。

 

 文句があるなら勝手に帰れ、と言いたくなる内心をぐっと堪え少年は無言を貫く。

 何人たりとも近寄らせまいと壁を張り巡らせていたはずが、気が付けばなし崩し的に自身の最終防衛拠点であるアジトまで侵略されそうになっている。

 腹立たしいことこの上ない。

 

 これが男なら問答無用で近くの大裂け目の谷底にでも突き落としているのに、とありえたかもしれない未来を夢想するエースであった。

 

 

 

 

「おう、来たか二人共」

 

 ジャングルの最奥にそびえる一本の大樹。

 その洞の縁に座る一人の少年がルフィを歓迎していた。

 シルクハットにゴーグルを巻き、ボロボロのコートを着る歯の欠けた金髪小僧。

 

 エースの相棒、サボである。

 

「おはようサボ!それが新しいアジトね?秘密基地みたいでステキだわっ!」

 

 辛気臭く人見知りの激しいエースとは異なり、この少年は実際に瀕死のところを救われたこともあってか、比較的ルフィに対し友好的である。

 幼い少女も先日の短い間に自然と彼に懐いていた。

 やはりまだまだ小さな女の子。愛想の悪いソバカス少年より、自分に優しくしてくれるサボを好ましく思うのも当然だろう。

 

 何となく仲間はずれにされつつあることを敏感に感じ取ったエースは、はしゃぐ二人の間に不機嫌そうな顔で割り込んだ。

 

「…おいサボ、もう後戻りは出来ねェぞ?もしコイツがゲロったら今度こそブルージャムに二人とも殺されるってのに何で…っ!」

 

「…お前はもう少し人を信用しろよ。あの後ルフィと色々話したけど悪いヤツじゃなさそうだったぜ。まあお前の言うとおりヘンな女だってのは同感だけどな…」

 

 サボは相棒の後ろできょとんとこちらを見つめているルフィに目を向ける。

 知り合ってからそう時間は経っていないものの、彼はこの少女の純粋な好意が決して嫌いではなかった。

 

 もっとも、そう容易く絆されるほど二人の心の闇は浅くはない。

 エースはもちろん、サボとて伊達に長年不確かな物の終着点(グレイ・ターミナル)で生存競争を繰り広げているわけではないのだ。

 

 今回の一連の出来事でリスク管理の重要性を身をもって理解した悪童コンビは、盗みの標的を見定め行動時も人目を忍び拠点を割り出させ難くする計画性の大切さと、同時に複数の拠点に“海賊資金”を分散することで損失を最小限に抑える知恵を覚えた。

 

 現在彼らがルフィを招待したこのアジトも所詮は複数ある拠点の一つに過ぎず、もしもの際には放棄することも計算に入れているものだ。

 

 

 とはいえ、怪我の癒えぬまま手間隙かけて必死に整えた大切な秘密基地である。

 恩人とはいえほぼ初対面の子供に、それもすぐに泣き出しそうな女々しい童女なんかに教えたくはなかったというのがエースの本音だ。

 

「ちっ…おい、いいかクソガキ!おれはお前のことなんか絶対認めねェぞ!少しでも誰かにアジトやおれたちのことを話そうとしやがったら、そのほっそい首へし折ってやるからな!」

 

「お、おいエース!仮にも命の恩人だぞ!?」

 

「大丈夫よサボ。アジトも二人のことも誰にも話さないし、そもそも私ゴムだから首折れないもの。ほらっ」

 

『うわっ!?』

 

 少女が両手で自分の頭を掴み、首を軸に720度丸々二回転させ、ニヤリとあくどい笑顔を二人に見せた。

 人体の稼動範囲を完全に無視したそのありえない肉体構造に少年たちが奇声を上げて後ずさる。

 

 

 悪戯が成功したことをコロコロと笑いながら喜ぶルフィだったが、ふと今日こうして彼らに会いに来た理由を思い出し、早速行動を開始しようと気合を入れた。

 

 

「そうそう、エースっておじいちゃんに言われてココにいるんでしょ?おじいちゃん、“ガープ”って名前なんだけど」

 

 少女の口からあまりに予想外の男の名前が零れ、思わずエースは狼狽する。

 

「ッ、ガープだと!?て、てめェあのクソジジイの孫だったのか!?」

 

「うん。いつもいつも海軍の自慢話ばっかりで、お髭だらけの顔を私に擦り付けてくる、うるさくてお煎餅の醤油の臭いがするヤな人」

 

 道理で…、とルフィの謎の戦闘力の高さの理由を曲解したエースがまじまじと少女の顔を覗きこむ。

 

 身内の孫バカに対し随分と辛辣な評価を下す彼女には、祖父ガープの面影は見当たらない。

 正反対の、クリクリとした大きな目の愛らしい幼児の顔である。

 

 

「それでね、おじいちゃんがエースに強くなってもらうためにココにおいてるなら、代わりに私があなたたちを鍛えてもいいかしら?」

 

『……は?』

 

 3~4歳は年下の幼女による唐突の師匠宣言に、少年二人は咄嗟に己の耳を疑った。

 そしてその言葉をしばらく反芻し、両者を代表し比較的穏やかなサボが目の前の小さな麦わら娘に聞き間違えでないことを確認した。

 

「私、こう見えて最近とても強くなったの!ホントはあの海賊たちのときみたいに私があなたたちを守りたいんだけど、二人とも私のこと嫌いでしょ?」

 

「ッ、ああそうだな、大嫌いだ。頼んでもいねェのに勝手に助けやがって。挙句の果てに“守ってやる”だぁ?ちょっと強いからって調子乗ってんじゃねェぞクソガキ!!」

 

「だからお前はいい加減そのすぐキレるクセ直せよエース!……で、ルフィ。何だって?」

 

 面倒な相棒を羽交い絞めにして黙らせたサボが少女に話しの続きを催促する。

 願わくば、これ以上この自尊心の塊のような親友を挑発しない内容であらんことを期待して。

 

 

「うん。二人は私と一緒にいるのはイヤだろうから、だったら自分で身を守れるくらい強くなって欲しいのよ。だからいつもどっか行ってるおじいちゃんに代わって私が鍛えてあげたいの!」

 

  ッてめェ何様のつもりだゴラアアアッ!!」

 

 そんな苦労人の思いも虚しく、怒りのままに相棒の腕から脱出したエースは眼前の生意気なクソガキに向かって手中の鉄パイプを全力で振り下ろした。

 

 だが  

 

 

 

「ほら、鍛えないといけないでしょ?」

 

 

 サボは目の前で起きた現象に、只々唖然とする。

 

 それは一瞬の出来事であった。

 振り下ろされた武器が少女の体をすり抜けたと思ったら、エースの体が突然消え去り、気が付いたら地面に大の字になって呻いている相棒の無様な姿が現れたのだ。

 

「かっ  

 

 そして当事者の少年の驚愕はそれ以上。

 知らぬうちに体が宙を舞っており、直後後頭部と背中に強烈な衝撃を受けたエースは、体のバランス感覚を失い起き上がることさえ出来なかった。

 

 もっとも、仕掛けたルフィからしてみれば大したことはしていない。

 単純に見聞色の覇気に身を任せながら最小限の動きで攻撃を避け、大振り直後の大きな隙を突いて相手の足を払いバランスを崩させただけである。

 ただそれらの行動が少年たちが見たことも無い速さで繰り出されたことで、二人は一連の攻防がまるで認識を超えた常識外れな力に化かされたかのように錯覚してしまったのだ。

 

 …見聞色の覇気に関してはあながち間違いではないが。

 

「ゲホッ、っはぁ…はぁ…なっ、舐めてんじゃねェぞおおおっ!!」

 

 ふらつく足を必死に踏ん張り、負けず嫌いのソバカス少年は素手の拳で幼い少女に殴りかかる。

 

 エースとサボの悪ガキコンビは互いの夢のために強さを求め、修行の一環として一対一の組み手勝負を日課にしていた。

 対人戦を想定したこの特訓は5年近くにも及び、両者はここまでほぼ同等の勝率を出してきた。

 

 だが、今回エースが体験した勝負はいつもの特訓とは遥かに別次元の戦いだった。

 

 

 

 

「うーん…このまま戦い続けるだけでもある程度は強くなれるはずだから、これも修行ってことにしようかしら…?」

 

 そう小首を傾げながらぼそぼそと呟くのは、哀れな少年を見下ろす麦わら帽子の幼い少女。

 

 エースがこの童女の生意気な宣言に憤慨し、殴りかかったのが僅か数分前。

 まるで風に舞う羽のように全ての攻撃をひらりひらりと避けられ、鋼のように硬い拳に殴り飛ばされた悪童は今、息も絶え絶えに地べたに情けなく這い蹲っていた。

 

 常識とは真逆の想像だにしていなかった結果となった二人の喧嘩。

 介入する瞬間を逃し茫然と成り行きを見守っていたサボは終始、開いた口が塞がらなかった。

 

 不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)のゴロツキ相手に何度も勝利を重ね、己の実力に自信を持っていた悪ガキコンビ。

 その自負を、同格の相棒がまるで赤子のようにあしらわれている姿を目の当たりにしてしまったサボは、怒りやら悔しさが一周し  最早自分たちの弱さを開き直ることしか出来なかった。

 

 こうも鮮やかに親友が無様にもボコボコにされる様を見せ付けられては、疑うべきは己の力ではなく、常識そのものであると。

 

 そして今日。覆された常識を真っ先に捨て去る道を選んだのは  この場で弱者の惨めさを客観的に見せ付けられた、傍観者のサボ少年であった。

 

 

「…あのとき命を救われた男としては、これ以上女に守られるような情けないヤツのままでいたくないのは当然だ。おれは受けるぜ、ルフィの修行を」

 

「なっ、サボ!?」

 

「もう認めろよエース!いつまでも見た目に騙されてんじゃねェ!コイツもあのクソジジイみたいに、おれたちが手も足も出ない化物なんだよ!」

 

 相棒の激しい歯軋りを何とか宥め、サボはルフィに向き直る。

 

「……で、ルフィ。話を戻すが  だからこそお前に聞きたい」

 

「何?」

 

 真剣な顔で少年は、目の前の小柄な“強者”に尋ねた。

 

「…おれたちを鍛えてお前に一体なんの利益があるんだ?」

 

「利益?」

 

 サボは少女の頭上に浮ぶ疑問符を幻視する。

 

「お前はたとえ嫌われててもおれたちを強くしようとしてくれるんだろ?嫌なヤツに態々時間を割いて稽古を施すことの、お前の利益は何だって聞いてるんだよ」

 

 

 ここは不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)

 

 法も秩序も救いもない、この世の敗者たちが集うゴミの吹き溜まり。

 善意や悪意などといった感情の遊戯を楽しむ余裕は存在せず、人間の尊厳の全てを失った無価値な“動物”が喰うか喰われるかの生存競争を繰り広げる、人の社会の最果て。

 

 

 故に少年は少女に問う。

 

 弱者を救い手を差し伸べる行為の、その胸の内を。慈悲も嗜虐も無い弱肉強食の世界で、強者たる彼女が、弱者たる少年たちに力を与えるその理由を。

 

 

 

 

「何で人を助けるのに利益の話になるのよ?」

 

 だが、少女はそんなサボの疑問そのものに首を捻る。

 何故ならそれは、彼女にとって何の意味も持たないものであったから。

 

 

 

「二人は私のこと嫌いかもしれないけど、私はあなたたちのこと好きだもの。私が死んで欲しくないって思ったから、助けた。それだけ」

 

 

 

 無垢で純粋な心が育んだ、どこまでも正直で穢れの無い、子供らしい我侭な想い。

 

 その持ち主を見定めようと、彼女の目を覗いた悪童たちは  

 

 

   洋上の夜天のように澄み切った星空をそこに見た。

 

 

 吸い込まれそうになる少女の煌く黒の瞳が、二人を掴んで離さない。

 

 その夜空の双眸の奥に輝く夢と希望の星々に魅入られ、少年たちはあまりの美しさに思わず息を呑む。

 眩しい懸珠の光は、まるで捻くれた彼らの心の影を消し去るかのように、エースとサボを優しく照らしていた。

 

 

 二人に向けられた、嘘も騙りも一切ない、温かく確かな情。

 

 

 それは、悪童たちが今まで見たものの中で最も美しい宝石だった。

 

 

 

 

「……おれは認めねェからな…っ!」

 

 形容し難い己の恥ずべき内心を隠すように呟かれたエースの精一杯の悪態は、羞恥に震える掠れ声だった。

 

「しししっ、ヘンなの。何で照れてるのよ」

 

『照れてないっ!!』

 

 

 情けない怒声が木霊する不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)で、幼い女の子が無邪気な勧笑を上げながら赤い顔の少年たちから逃げ回る、場違いなほどに微笑ましい光景が広がっていた。

 

 

 

 麦わら帽子の紅一点、ルフィ。

 

 この日を境に、コルボ山の化物じみた強さを持つ童女の話題が、悪童エースとサボの名と共にゴア王国中の井戸端を騒がすようになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・12年

東の海 ドーン島ゴア王国コルボ山

 

 

 

 突然だが、目隠しをされている2人の少年たちに向かって暴力を振るってくる幼い少女のことをどう思うだろう。

 

 そんな素朴でも何でもない簡単な問いの答えを身をもって知っているのが目の前で逃げ惑う哀れな犠牲者たちである。

 

 

「鬼!悪魔!ルフィ!」

 

「ギャアアア!!こんなんで敵の気配なんてわかるわけねぇだろうが!」

 

 真横でバッゴォォォン!ズゴゴゴゴ!と生まれて初めて聞く種類の轟音が発生し、少年は恐怖から咄嗟に目隠しの布を引きちぎる。

 

 

 少年の名はエース。

 

 先日、この幼い少女の皮を被った化物にコテンパンに敗北し、相棒のサボ少年と共に化物少女から手解きを無理やり受けさせられている哀れな10歳児である。

 

 彼の振り向いた先にあったのは、まるで戦列艦の一斉射でも受けたのかと疑いたくなるほど無残に崩れ落ちた崖の斜面であった。

 あんな破壊現象を引き起こす一撃が自分の体に当たっていたら…とエースは割と現実味のある想像に股間を縮こませる。

 

 怯えて声も出ないエースに代わり、この災害を引き起こした人外少女に怒声を浴びせたのは相棒のサボ少年。

 彼もまた、先ほどの破壊音に命の危険を感じ目隠しを投げ捨てた常識人である。

 

「ふっ、ふざけんなよルフィ!?おまっ、こんなの喰らったら人間みんなミンチになんだろうが!!」

 

「ミンチになるのは弱い人間よ!強くなりたいなら半殺しぐらいの状態で堪えて見せなさい、男でしょ!」

 

「そんなヤツ男以前に人間ですらねェよ!!」

 

 少女の言う“男”の代表は祖父ガープである。

 

 溺愛する孫娘の尊敬を集めようと画策する()の老将は、フーシャ村に寄港した際には嫌がるルフィを泣き落としてまで自分の軍艦に乗艦させ、職権を乱用し訓練という名目で彼女に自慢の砲弾投げ“拳骨隕石”(げんこつメテオ)を度々披露していた。

 

 素手で鋼と火薬の塊を軍艦の主砲以上に速く遠く高威力でぶん投げる化物を比較対象にされているエースとサボは、少女に対しこの上なく正当で切実な不満を抱く。

 

「おいエース!この化物、やっぱ絶対おれたちのこと嫌いなんだ!」

 

「嫌いなら手加減なんかしてないわよ!あと私は化物じゃなくて女の子よ、失敬ねっ!」

 

「ちょっ、わかった!わかったからその右腕構えんの止めろ!!」

 

  “女は弱い”という固定観念が早々に砕け散った2人は素直に下手(したて)に出ることで、少女の恐るべき一撃が放たれる最悪の未来を回避する。

 

 6歳の女の子が正拳の一突きで岩を粉々にする光景をここ連日当たり前のように目撃していた彼らは、最早世間の“男は女より強い”という価値観を一切信用していなかった。

 

 人、それを達観という。

 

 

「…なぁサボ。コイツといいダダンといい、ホントはおれたち男がコイツら女に守ってもらうモンなんじゃねぇか?」

 

「…ああ、ルフィを見てるとおれもそんな気がしてきたぜ」

 

 ここコルボ山と不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)のみという極めて閉鎖的な社会に生きるエースとは異なり、サボは意外にも  秘密にしているが  貴族家に生まれた元御曹司である。

 

 王族との縁談の道具として親に期待され続けてきた彼は、姫君たちと親睦を深めるべく度々宮廷の女社会に放り込まれており、それなりに女慣れしているつもりであった。

 だがこの幼い少女ルフィの実力を目の当たりにした今は、かつて自分が出席した社交会で見かけたあのきゃぴきゃぴした生き物たちのほうが女としておかしいのではないかと思い始めていた。

 

 

   自分の目で見たものが真実の全てである。

 

 

 これほど正しい教訓は無い、と心から頷きあう両少年であった。

 

 

 

 今エースとサボが行っているのは気配探知の力、“見聞色の覇気”の修行である。

 

 師レイリーは覇気の発現条件に関する持論で、極限の状況に晒されること以外に、子供のうちから慣れ親しむこともそのきっかけの一つであると主張していた。

 その具体例が『女ヶ島』である。

 

 “夢”でもルフィ少年が実際に彼の孤島で幼い少女たちが大人たちの指導で覇気を習っている光景を目にしていた。

 

 目隠しによる視界の遮断も彼女たちが行っていた修行法の一つ。

 

 少女ルフィの見た“夢”は全てルフィ少年の心身魂魄を通したものであったため、幼い麦わら娘は彼の経験を頼りに目の前の少年たちに覇気の使い方を伝授しようとしていた。

 

 覇気は偉大なる航路最後の海『新世界』における強者たる最低限の条件であり、世界最強の男『“白ひげ”エドワード・ニューゲート』の配下となるエースや、『革命軍』に参加するサボの戦う土俵で生きていく上で何よりも重要な力だ。

 是が非でも使いこなせるようになってもらわなくてはならない。

 

 

 当のエースとサボが最も興味を示したのも、少女のその神懸り的な回避技術であった。

 

 色々と逞しく育った悪童たちは自分たちの年上としての不甲斐なさを責める前に、この規格外の少女の強さの秘密に大きな関心を寄せた。

 これっぽっちも勝てるビジョンが浮かばないほど強い化物相手に、ガキのチンケなプライドなど邪魔にしかならないと瞬時に判断したサボの存在も、頑固なエースに彼女へ頭を下げさせる助けとなったであろう。

 

 

 …なったのだが  

 

 

「だからさっきから言ってるじゃない!“キュピーン!サッ!”ってするのが“見聞色の覇気”で、“殴る、殴る。殴る!殴るっ!!ガキーン!”ってなるのが“武装色の覇気”だって!」

 

「いやだからその謎擬音自体が意味不明過ぎんだよ!」

 

 当然、理屈より感覚を優先するルフィにマトモな師匠が務まるわけがない。

 

 幾ら“夢”のルフィ少年の師レイリーを参考にしていようとも、その修行方法の本質を理解していなければ、全て猿真似以下の薄っぺらいものにしかならないのである。

 

「レイリーは“覇気”は自分自身を信じることが大事だって言ってたから、そんなに疑ってばっかりだといつまで経っても発現しないわよ?」

 

「“レイリー”って誰だよ…?大体目隠ししたくらいで敵の気配なんて感じられるようになるワケがねェんだ……やっぱコイツおれたちを嵌めようと  

 

 未だ少女に対する警戒心を解ききれていない頑固なエースに、相棒が小声で忠告する。

 

「…おい、不満漏らしてんじゃねぇよエース。今度こそアレ喰らいてェのか?」

 

 サボが指差したのは先ほど崩壊した崖の一面。

 

 ゾクッと顔を青ざめさせたエースの肩に手を掛け、少年は首を横に振る。

 今彼らの頭にあるのは、いかにこの時間を乗り切ることだけであった。

 

 

 だが、そんな2人が忘れていたことが一つ。自分たちの師匠を自称する幼い化物少女の存在である。

 彼らの未来を案じて稽古をつけてやっているルフィは今、少年たちの不真面目な態度にとても腹を立てていた。

 

 怒りに身を任せ、彼女は黒鉄色に染まった両手の拳床を、自分を無視する2人の間に容赦無く叩き込む。

 子供特有の無慈悲な全力攻撃だ。

 

「ゴムゴムのぉぉ…バズゥゥゥカァァ!!」

 

『ギャアアアッ!?』

 

 ここ数日の練習で武装硬化の発動率を見事上昇させることに成功していたルフィの最大出力の一撃は、地形すら破壊するほどの力を秘めている。

 

 

   直後、轟音と共に巨大な崖崩れが発生した。

 

 

「うわあああ死ぬううう!!」

 

「てめぇどう見てもやりすぎだろうが!!走れ走れはしれえええ!!」

 

 逃げ惑う悪童たちの情けない姿に頬を膨らませたルフィは正面の土石流へ向き直り、真剣な面持ちで両手の握り拳を構えた。

 

 別に意図したわけでは無いが、この状況はある意味絶好の機会。

 ここで一つ師匠らしいところを見せて、バカ弟子共の尊敬を集めてやろうではないか。

 

 ルフィは自分へと迫る自然の猛威を相手に気合を入れた。

 

 

「…“覇気”とは自分を信じる力  

 

 巨石と土砂の津波と対峙しながら悠長に語り始める非常識な少女。

 そんなルフィのありえない態度に、焦ったエースが精一杯の怒声を投げつけた。

 

「バッ、何やってんだお前!さっさと逃げ  

 

 だが少女は動かない。

 

 そして、その夜空の瞳に眩い意思の星を宿し  幼き”王”が決意の咆哮を上げる。

 

 

「私は信じてる!私も、“ルフィ”も、こんな石ころなんかぶっ飛ばせるって!」

 

 

 そう宣言した瞬間、ズンッ…と周りの大気の重さが跳ね上がった。

 

 少女の纏う異様な気配に触れた少年たちは、まるで氷に閉じ込められたかのように固まった。

 二人の少年たちは巨人のような凄まじい存在感を放つ6歳児の小柄な後姿に気圧(けお)される。

 こんな気配を人間が発することが出来るのか、と。

 

 

 そして身動きが取れないまま、地響きと共に巨石の津波が3人の少年少女を飲み込んだ  

 

 

 

 

「終わった…のか…?」

 

 砂埃が視界を遮るコルボ山で、一人の少年の声が木霊する。

 エースたちの耳に聞こえてくるのは小さな小石がカチカチ、ポロポロと転げ落ちる音だけだ。

 

 それはまさしく、先ほどの崖崩れが治まったことを示すものであった。

 

 

 自分は無傷。

 隣のサボを見ても同様。

 

 最後に自分たちを守るように仁王立ちで佇むルフィを見て  少年たちは絶句した。

 

 

「ほらっ!出来るって信じれば、覇気はちゃんと発動してくれるのよ!」

 

 

 その少女の姿はボロボロだった。

 ゴム人間らしい少女のつるつるすべすべした柔肌は無数の擦り傷で覆われ、手足は血と土埃で赤黒く染まっている。

 お気に入りの赤いワンピースは穴だらけ。(つば)が解れてささくれ立っている宝物の麦わら帽子は見るも無惨な有様だ。

 

 ボロボロの彼女の身を案じ慌てて走り寄ろうとしていたサボも、遅れてその傷の意味を理解し、驚愕の表情のまま固まった。

 

 尚も元気そうに、にぱっと笑う彼女の姿を2人は見る。

 そして少年たちは理解した。

 

 目の前の6歳の女の子があの土石流の岩石土砂全てを己の身ひとつで防ぎ、自分たちを守ったのだと。

 

 

 ルフィが行ったのは見聞色の覇気による自身を中心にした半径10mの半球空間内の索敵と照準に、海軍の特殊体術“六式”奥義の一つ“剃”を模倣した高速移動、そして武装色の覇気を纏わせた手足を用いた全包囲迎撃である。

 

 だがその化物じみた偉業を成した少女は、億越え賞金首であっても逃げ惑う自然災害を退けておきながら、内心不満であった。

 

 夢の中でルフィ少年を介して“ギア4・スネイクマン”を使った経験がある少女ルフィにとっては、先ほどの自分の未熟な動きなどカメの鈍足にも劣る。

 おまけに途中から集中力を欠き武装硬化が解除され、迎撃力が激減。終盤になると打撃無効のゴム人間にしか出来ない捨身のカバーで何とか凌いでいる有様だった。

 おかげで鋭利な硬石片に小さい傷を沢山付けられ、摩擦で擦り剥いた手足がじくじくと己の弱さを突きつけて来る。

 

 理想と現実のあまりの差に不満も多いが、それでもルフィは先ほどの巨大な崖崩れの中で子供3人が入れる安全地帯を見事作って見せたのだ。

 

 

 実力にして海軍本部の准将から少将クラス。

 覇気の安定性によっては中将にすら迫る、世界で最も強い6歳児がそこにいた。

 

 

「わかったら2人も自分を信じて毎日真面目に修行しなさいっ!」

 

 

 

 瓦礫の山を背にし、腰に手を当てぷりぷり怒る、幼い麦わら帽子の女の子。

 

 少女のその言葉に首を横に振る者は、誰一人としていなかった。

 

 

 

 

 

 エースとサボ。

 運命に呪われた悲劇の少年たちは、一人の少女の見た夢によってその人生を大きく変えることとなる。

 

 

 その変化の先にあるものが最初にその姿を見せたのは、奇遇にも少女自身の人生が大きく変わった日のことであった。

 

 

 


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