ルフィちゃん(♀)逆行冒険譚   作:ろぼと

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前回に引き続き間が開いてしまったので詫びおっぱい



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23話 海の料理人と居酒屋娘・Ⅴ (挿絵注意)

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』船首

 

 

 

「おいバカ野郎!そっちのパドルは右だっつってんだろハゲ!」

 

「誰がハゲだ、そのクソダセェグラサン叩き割るぞてめェ!」

 

 同僚のサンジと敵海賊団の旋棍(トンファー)使いの男との決闘の幕が引いた海上レストラン『バラティエ』。気に食わない副料理長へ適当な皮肉をぶつけ終えた料理人パティとカルネは、料理長ゼフの指示に従い船首の小型砲艇・人力パドルボート『サバガシラ1号』の出動準備を進めていた。

 彼らの任務は狙われる新入り臨時ウェイトレスのルフィを乗せ、迫り来る敵の砲弾を回避し給仕娘を守ること。むさ苦しい男ばかりの厨房に咲く一輪の可憐な花に傷一つ付けまいと男のプライドに火が燈る暴力コックコンビは、互いに怒鳴り合いながらも着々と小船の準備を整えていく。

 

 そんなヤル気漲るオッサンたちに近付く二つの影あり。

 

  ごめんくださぁ~い」

 

『うひょああっ!?』

 

 突然後ろから飛んで来た女の猫なで声にパティとカルネは悲鳴を上げる。慌てて振り向いた先に居たのは二人の男女。ルフィちゃんが言っていた『麦わら海賊団』の女航海士ナミと、狙撃手の長鼻小僧だ。

 気になっていたもう一人のほうの美少女の登場に暴力コックコンビは鼻の下を伸ばしながら本人たちが考える最高に紳士的な態度で対応する。もちろん長鼻小僧のほうは眼中にすら無い。

 

「えーごほん!ようこそおいでくださりました、お嬢さん!」

 

「お嬢さんの大切な船長ちゃんはこのカルネが自信を持ってお守りいたしやがりますので、どうぞご心配なく!」

 

「…あ?足漕ぎしか出来ねェてめェに何が出来んだよグラサン、魚の餌になりてェのかァ?」

 

「お?ヤンのかハゲ、表出ろや」

 

 五秒と持たずにジェントルマンモードの仮面が剥がれる男共。だが険呑な言い争いを始める料理人たちの隠しきれない粗暴さを平然とスルーし、美少女が切なげな溜息を吐く。

 途端にケンカを中止し直立する彼らを責められる者は健全な男ではないだろう。

 

「はぁ…ごめんなさいコックさんたち。その問題のルフィなんだけど、あの子サンジくんを連れて先にクリークのガレオン船まで行っちゃったのよ。ウチの船長、悪魔の実の能力の応用で空飛べるし。ホントせっかちなんだから…」

 

『……はいィィィ!?』

 

 ナミの冗談のような発言にオッサン二人は仰天する。

 尚厳密には空を飛ぶ術と“ゴムゴムの実”の能力はさほど関係ないのだが、この場においては特に掘り下げる必要性も無く、同じ“六式”を修行中の女航海士が彼らに詳しい説明を続けることはなかった。

 

「そうなのよ、ホント困った子…。あっ、それでね?ここにウチの凄腕狙撃手が手持ち無沙汰にしてるから、扱き使ってあげてくれる?彼、戦いたくてしょうがないみたいで」

 

「おっ、おおおれは勇敢なる海のせせ戦士っ!!し、新入りを正しく導くのが先輩の役目だからな!“キャプテン・ウソップ”の名は伊達じゃねェってとこ見せてやるじぇっ!あは、あはひゃあはあは!」

 

『へっ?』

 

 美少女航海士と狙撃手小僧の突然の便乗援軍宣言に目をぱちくりさせるオッサンたちの気持ち悪い絵面にナミは頬を引き攣らせる。思わず続きの言葉を言い淀んでしまうのも無理はない。

 

「え、えっと、料理長のお爺さんに聞いたの。その小船、海軍の海防艇を買い取って改造したヤツなんでしょ?ウチの自慢の狙撃手なら18ポンド実体弾で海軍巡回船一発轟沈させられるとんでもない腕だから、頼りになると思うわ」

 

『実体弾で一発ゥ!?』

 

「えっ!?い、いやあれは奇跡っていうか」

 

 早速先日の“自称キャプテン・ウソップ伝説”を有効活用する強かな女航海士ナミ。もっとも、伝説を作った当の本人は内緒にしてもらいたかった様子。それが人格者らしい謙虚さではなくただ過剰な期待に脅える臆病さから来ているところが、何とも彼らしい。

 

 しかし些か脅かしすぎたのか、暴力コックたちの顔には驚愕ばかりが浮かんでいる。これでは交渉にならない。

 仕方無く、ナミお姉さんは本来の目的を語り二人の同意を得ることにした。この男共にとっても決して無視出来る内容ではないはずだ。

 

「それにルフィは今サンジくんと一緒にいるのよ?ほら、彼って紳士的だけど…アレじゃない?だからあの子と二人きりにするのは心配で  

 

『お任せあれ!!』

 

 即答であった。

 

「あのグル眉一人だけ一味に誘われやがって!ちくしょおォォおれもルフィちゃんの専属料理人になりてェェ!」

 

「抜け駆けなんか許すか!ルフィちゃんに指一本触れてみろ、血祭りに上げてやらァ!あとついでにウチの料理長の座もやらねェ!」

 

『うおォォォォッ!!』

 

 元より不仲の同僚だ。敬愛するオーナー料理長に可愛がられて調子に乗ってる副料理長への反発は  彼の『バラティエ』への思いを知って尚  そう容易くふっ切れるものではない。

 そしてその感情の炎は、可愛い美少女船長から海賊一味に勧誘されたことで更なる燃料を得ていた。

 

「……すげェ。ルフィのヤツ、一体何したら数日でこんな信奉者作れるんだ…?」

 

「そんなの数日なんかなくたって、薄着してちょっと胸揺らせば大体一発じゃない。バカなの?」

 

「流石にコイツらほどバカじゃ  …ねェよ…」

 

 男に対する酷い偏見に男性代表ウソップ選手が異議を唱える。とはいえ(あなが)ち間違いでもないのであまり強気になれない尻すぼみな反論であった。

 我が一味のセクシーキュートな少女船長殿の、前が非常に開放的な普段の赤いブラウス姿はもちろん、先日のドレスにも水着にも今回の給仕服姿にも見惚れていた者に、ナミのその言葉を否定する権利は無いのだ。無念ながら。

 

 

  それじゃコックさぁん。お願ぁい、ねっ?」

 

『Yes Ma’am!!』

 

「男ってホントちょろい生物だよな…」

 

 かくして突撃砲艇『サバガシラ1号』は心強い凄腕狙撃手と航海士の援軍を受け、建造以来初めての海戦へと赴いた  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『ドレッドノート・サーベル号』

 

 

 

 『クリーク海賊艦隊』旗艦が誇る片舷二十一門の大戦列。

 人類史屈指の殲滅領域を生み出す超兵器の噴煙が晴れる中、甲板の海賊たちはただ唖然と目の前の信じられない光景に瞠目していた。

 

 潤沢な装備を有する海軍本部の艦船から強奪した新型大砲に特殊弾。“鋼の魚網”の異名を持つ鉄網弾の一斉射を以って敵の女能力者を海に沈めるはずが、結果は完全なる失敗。

 

 悪魔の実の能力者とはいえ、相手がまさか人一人抱えたまま階段を上るように空を駆け、腕の一振りで二十を超える特殊砲弾を叩き落とす化物であったなど、一体この世の誰が想像出来るというのか。

 

 指一つ動かすことすら叶わず、敵が飛翔しながら迫る光景をぼんやりと見つめていた海賊たちは、一陣の突風と共に背後から響いた、とんっ…という軽やかな音を合図に凍結から開放された。

 

  !!』

 

 そこに居たのは、一同の獲物の給仕娘。ゴムらしき伸縮性に富んだ肉体を持つ悪魔の実の能力者であった。

 

 少女の姿を間近で見た海賊たちは再度、硬化する。

 大きな夜空の双眸を爛々と輝かせ、勝気な笑みを浮かべるその顔は幼く、ともすれば童女と言っても差し支えなく、愛らしい。身首は容易く手折れる華奢なもの。繊細な肩付きも、蜂のように括れた腰も、すらりと流れるような長い曲線美を描く手足も。それらの全てを展示棚の中で大切に飾りたくなるほどに可憐な生娘であった。

 もっとも、その給仕服の胸元のボタンを弾き飛ばしそうなまでに怒張させた、二つの巨大な果実を除けば、であるが。

 

 ごくり…と喉を鳴らしたのは誰であったか。

 つい数秒前にあれほどの超人技を見せ付けられたはずの海の荒武者たちが、その事実を完全に忘却してしまうほどの、決して抗えない扇情的な蟲惑。

 

 そんな妖艶な嬌が支配する『ドレッドノート・サーベル号』の甲板に、場の女王の愛らしくも心胆寒からしめる傾城の如き声が響き渡った。

 

「さて……こんにちは、“首領(ドン)”・クリーク。私は海賊王になる女、ルフィ!  あなたをぶっ飛ばしに来てやったわっ!!」

 

 およそ戦闘行為とは無縁なはずの美しい少女が、東の海(イーストブルー)最強最悪と名高い『クリーク海賊団』を前に挑発的な勝利宣言を唱える。

 そのちぐはぐな印象が、男たちの脳に焼き付いているあの地獄の海の魔女と重なり、かつての恐怖を想起させた。

 

「ひっ  ひひゃあああ!!」

 

「や、止めろ…っ!おれを、おれたちを見るなっ!!」

 

「お前ら!女から目をそらせ!石にされるぞ!!」

 

「バ、バケモノ…!!」

 

 甲板の縁にしがみ付くように海賊たちは少女から距離を取る。数分前の悪党らしい敵意はどこへやら、彼らの姿は到底自慢の悪名を轟かせる極悪一味のものとは思えない。

 

 給仕娘に連れられ無理やり見学させられた料理人サンジも、相手のこの情けない有様には目を見張っていた。

 

「ふふん!どう、サンジ?これが私の船長オーラよっ!仲間になりたくなったでしょ?」

 

「ルフィ、ちゃん……キミは一体…」

 

 小型ながらも立派な帆船を所有し、美しい女性航海士を連れ、一目で只者ではないとわかる優れた剣士を配下に持つと知りながらも、心のどこかで青年はこの見目麗しい臨時ウェイトレス本人を蔑んでいたのだろう。

 船長を自称せども、所詮は若い女の子の海賊ごっこ。彼女に奉仕出来る至福の時は、あくまでここ『バラティエ』の副料理長としての立場に限った話であると、サンジは最初からそう決めていた。如何なる美女の誘いであっても、そのようなお遊びに付き合えるほど彼の命の恩は軽くはないのだから。

 故に、店の不届きな男性客すら撃退出来ないか弱き乙女と思っていた少女の、あまりにも当初の印象からかけ離れた強者の気迫に、青年は圧倒されていた。

 

 そしてそれは当然、『麦わら海賊団』船長モンキー・D・ルフィのことを何一つとして知らないこの男も同じであった。

 

「…気に入らねェな、小娘」

 

「!」

 

 サンジはハッとその低く重い声の主へ振り向き、咄嗟にルフィを背に庇う。

 そこには、船尾楼の上から不遜な態度でこちらを見下ろす、この船を統べる男、『海賊艦隊提督“首領(ドン)”・クリーク』が佇んでいた。

 

「てめェの全てが気に入らねェ。男を誘うその身体も、人形みてェな顔も、おれを見下す目も  その“野望”もよォ」

 

「……何ですって?」

 

 ゾワッ…と大気が震える。

 笑みを消した給仕服姿の少女が発する只ならぬ気配に、海賊たちが微かに悲鳴を漏らす。それはまるで幾千もの大砲の前に立たされたかのような恐怖であった。

 

 だが、クリークは動じない。

 

「てめェが何者なのかは興味もねェ。化物がそんなふざけた給仕服姿(ナリ)してる訳もな。…だが“海賊王になる女”だと?  笑わせるなよ小娘…!そいつァてめェみてェなナメ腐ったガキが、しかも女が、口にしていいモンじゃねェ!運よく悪魔の実を食って得た力で天狗になってるようだがな、メスの分際で図に乗るなよ能力者!!」

 

 男は許せなかった。

 こんな、ぬるま湯の天国でただの料理店の給仕員に甘んじているだけの女に、奇跡的に分不相応な力を得ただけの子供に、己が積み上げた大艦隊を粉砕したあの魔の海域を制覇するなどと豪語されたことが。小娘の能天気な態度も、悪魔の実との恵まれた巡り会わせも、女の身でありながら無数の男たちが打ち砕かれた夢を追うなどと抜かす身の程知らずな無知さも、その全てが憎く、妬ましく、腹立たしかった。

 

「おれは東の海(イーストブルー)の支配者『“首領(ドン)”・クリーク』だ!てめェが食ったその悪魔の実も!その力も!全てこのおれのモンだ!てめェなんかが自由にしていい力じゃねェ!!死にたくなければおれに平伏せ、小娘ェ!!」

 

「イ~ヤ~で~す~っ。それにそんなこと言ったって、あの実はもう十年も前に食べちゃったもの。確かに吐きたくなるほど美味しくなかったけど、だからって吐いてまであなたにあげたくは無いわ。ばっちいし」

 

 少女のふざけた反応にクリークの岩のような形相が憤怒のマグマに変貌する。

 

「ならさっさと死ねクソアマァ!野郎共、小娘を切り殺せ!!」

 

『はっ、はひィィィッ!!』

 

 恐怖の権化“首領(ドン)”の怒り溢れる絶対命令が、部下たちの竦む足を弾かせる。長年に亘る海賊団での生活で染み付いたクルーとしての掟は、二つの恐怖に板挟みになって尚、彼らの揺ぎ無い行動原理として健在であった。

 

 だが縋ったその命令は、奇しくも男たちに二度目の絶望を与えることとなる。

 

「…なぁに?あなたたちみたいな雑魚をいたぶる気は無いんだけど、それでも私に挑んでくるの?」

 

「うるせェ!女の分際で図に乗るなよ!これからてめェをじっくりと八つ裂きにして  

 

「いいえ、無理よ。だって  

 

 

   ゾクッ…

 

 

 天が、地が、海が震える。

 甲板には無数の亀裂が走り、大気は爆ぜ、海面は波打つ。

 

 それはまるで周囲の全てが、自然が、森羅万象世界そのものが、少女の気迫に怯んだかのような光景だった。

 

 

  あなたたち、弱いもの」

 

 

 瞬間、少女に迫った全ての男たちの額が大地を突いた。

 ある者は口から泡を吹き、またある者は白目を向いて無様に床に倒れ伏す。まるで跪き頭を垂れる、“王”に平伏す民草の如く。

 

 そしてそのまま、幾度待ても、倒れた男たちは誰一人として立ち上がることはなかった。

 

「……っあ」

 

 周囲の大惨事に青年は唖然と固まったまま、指一つとして動かせない。

 気だるげな少女の視線一つで幾十もの屈強な海賊たちが無力化されたその光景は、それなりの修羅場を潜り抜けているサンジであっても噂すら聞き覚えがない驚天動地であった。

 

 これが海賊王を目指す者同士の戦いなのか。数多の大物海賊たちが消えていった偉大なる航路(グランドライン)は、こんなワケがわからないことが日常茶飯事のように起きる海なのか。

 そしてその信じ難い現象を引き起こした小柄な乙女の後姿を見つめるサンジは、このとき、ようやく彼女が最初に自分を一味に誘ったときに口にしていた言葉の意味を理解した。

 

   私は『海賊王』になる女よっ!

 

 甲板に寝そべる有象無象には目もくれず、真っ直ぐに一人の男を  同じ野望を持つ“競争相手(クリーク)”のみを見つめる海賊娘。

 その“王”の叱咤を免れたサンジは、鼻歌でも歌いそうな気軽さで敵の首魁の下へと歩き出したルフィの後姿を眺めたまま、只ただ茫然自失とし続けていた。

 

 

  その力は悪魔の実を食った連中全てが手に入れるようだな。目にしたのは二度目だ、くそったれ…っ!」

 

 ゆっくりと近付く給仕娘(バケモノ)に向かい、気丈にも吼える一人の男が、未だ船尾楼の上に立っている。

 一瞬で甲板の部下たちを掃討された、この船の船長だ。

 

 そんな彼の悪態に、少女が事も無げに「何言ってるの?」と首を傾げる。その無垢な表情に、男は背筋が凍る錯覚に陥った。

 人間より寧ろ神に近いその力を、息を吐くように使う目の前の女能力者が、彼の底無しの傲慢を忘れさせる本能的な恐怖を呼び起こす。

 

 だが続いてクリークの耳に届いた鈴音の如き美しい声は、能力者が蠢く偉大なる航路(グランドライン)へ挑み続ける彼にとってのある種の救いであり、同時に目の前のバケモノの特異性を強調させる絶望でもあった。

 

「これは悪魔の実の能力じゃないわよ?さっき言ったじゃない。弱い人たちは海賊王の前に立つことすら出来ないの。あなたの仲間たちが倒れたのは弱かったから。残ってるあなたとサンジが無事なのは私がそう望まなかったから。それだけ」

 

 人知を超えた力を見せ付ける規格外の少女が、当然のことのように先ほどの現象を説明をする。その言葉から漂ってくるのは、揺ぎ無い圧倒的強者としての自負。

 片方が一歩も動かず相手を睨み、直後にもう片方が全滅。それは両者の力の差にそれほどの隔たりがあるからであり、倒した方法などといった基本的な疑問を抱く必要が無いほど“戦い”として成り立っていなかったからに過ぎない。

 

 そしてそれは、現時点で何が起きたのか全くわからないこの“首領(ドン)”・クリークすらも、甲板に転がる部下たちと同じ“雑魚”だと主張していることと同義であった。

 

 

 …何と、度し難いことか。

 

 

  ふざけるなよ小娘」

 

 男の胸中にざわめく恐怖が、煮え滾る憤怒に塗りつぶされる。 

 

「ふざけるなよメスガキがァッ!!おれを誰だと思ってやがる!!」

 

 その感情に共鳴するかのように、クリークが纏う金色の鎧が無数の銃弾を吐き出した。絶対防御のウーツ鋼鎧に内蔵されている機械仕掛けの火砲の一斉射が、歩む少女へ殺到する。

 

「…“鉄塊拳法”」

 

 だが辿り着いた弾丸は、その玉のような日焼け肌に掠り傷一つ付けることなく、硬質な音を立てながら甲板へ弾かれ転がった。

 そしてバケモノは尚も歩みを止めずにゆっくりとクリークへ迫って来る。

 

「悪魔の実の能力だけじゃ海賊王にはなれないわ。偉大なる航路(グランドライン)にはさっきみたいに空を飛んだり、身体を鉄のように硬くしたりする体術を使える人たちが沢山いるの。海賊王を目指すなら、あなたはその人たちとどう戦う?どうやって仲間を守る?“六式”を使える能力者と戦うのに海水をかけるだけじゃ、私の服が濡れるだけよ」

 

「体術だと?小賢しいッ!兵法など弱者の戦い方だ!“最強の装備”と、それを振るう“最強の筋力”!それこそが“最強の武力”だ!脆弱な女如きが、何トンもの兵装を装備出来るこのおれに戦いを語るなァッ!!」

 

 近付く少女から目を離さず、大男は直ちに銃撃を諦め陸上砲兵用の“鉄網弾”へと切り替える。弱点は既に判明している。火砲が効かないのなら、当初の通り敵を捕獲し自慢の筋力で海へ放り投げればよい。

 

「…“嵐脚腕撃ち・斬斬舞(きりきりまい)”」

 

 だが頭上へと放られた鋼の網は、小娘の右手が放った鎌鼬の如き無数の空気の斬撃に切り刻まれ、破砕機に放り込まれた鉄片のように一瞬で漂う砂塵へと変貌する。

 

「バカ…な…」

 

 何も無い空中を駆けるように飛び回り、一睨みで百人近い大の男たちの意識を刈り取り、鋼鉄のような肉体で銃弾を弾き、腕の一振りで対海王類用特殊弾を粉微塵にする、常軌を逸した少女姿の化物。

 砲撃も銃撃も捕獲も侭ならず、見せ付けるが如く己の手札を一つずつ真正面から潰してくる給仕娘に、途轍もない屈辱と恐怖、そしてそれらを燃やし尽くすほどの怒りがクリークの胸中でとぐろを巻く。

 

「くッッそがあああァァァッ!!」

 

 鬱積する負の感情に身を任せ、追い詰められた男は両肩の肩当てを取り外し、遂に最強の切り札を切る。

 “首領(ドン)”・クリークが誇る大槍、“大戦槍”。振るう際に受ける衝撃をエネルギーへと変換し、攻撃時に爆発する仕掛けが施されている恐ろしい武器だ。

 数多の敵を爆殺してきた頼もしい愛槍の心地よい重さに己の覇道の全てを賭け、クリークは眼下の敵へ狙いを定めて五トンを超す巨大な槍を大きく振りかぶる。

 

「これが“武力”だ!これが“海賊王”に相応しい男の力だァッ!!てめェの思い上がりごと潰れて死ね、小娘ェェェッ!!」

 

 強者としての誇りと意地、軟弱な容姿の敵が孕む超人的な力への苛立ちと嫉妬、そして立て続けに降り掛かる災害に己の覇道を邪魔されていることへの憤慨と憎悪。ありとあらゆる激情を乗せ、“首領(ドン)”・クリークは憎き小娘に渾身の一撃を叩き付けた。

 

 木材が砕かれ引き裂かれる甲高い音が、まるで船が叫ぶ悲鳴のように広い海に散っていく。

 放たれた全力全開の一振りは、そのあまりの力に槍ごと舞台の『ドレッドノート・サーベル号』の中央甲板を爆ぜ飛ばす。傷だらけの海賊船への耐え難い衝撃となった“大戦槍”の諸刃の大爆発は、巨大なガレオン船を真っ二つにへし折り、凄まじい水柱を天に上らせた。

 

 その爆轟は遠く水平線の先まで轟き、クリークの東の海(イーストブルー)最強の名を天下万人に知らしめる。

 

 

 …そして男は、砕けた大槍が掌から零れ落ちる感触すら忘れ、傾く船尾の割れ跡に佇みこちらを見下ろす  無傷の少女の姿を仰ぎ見た。

 

 

「かっ  

 

 ドスン…と粉々に粉砕された自慢の“大戦槍”が斜めの甲板に埋まり、伝わる振動が折れた船の傾斜を鋭化させる。

 

 その“坂”は、まるで両者の力の差を表す神の悪戯のようで、同時に眼上の小娘がこの場の“王位”の争いの勝者に選ばれた光景であるように、男には思えた。

 小娘が立ち、全てを見下ろすその場所は、自分には到底辿り着けない絶対強者の領域のように、男には思えてしまった。

 

「…倒れた仲間に見向きもせずにそんな大きな爆発使う人に、海賊王は相応しくないわ」

 

 “大戦槍”の爆発の余波でざわめく風に煽られ、高台に立つ少女の衣類がふわりと波打つ。揺れる短い濡羽色の黒髪も、軽やかに舞うスカートも、それらの奥に見え隠れする淡い小麦色と共に、男に蹂躙されるために存在するはずの弱い”女”そのもの。

 だが蹂躙する側であるはずの(クリーク)を、歩くだけで圧倒した彼女が佇むその姿は、幻想的ながらも圧倒的な“武力”に守られた、恐ろしくも心奪われるほどの、挑発的な美であった。

 

 

   認めるものか。

 

 

「……そこから降りろ、小娘」

 

 微かに震える、奈落の底から登って来たかのような低く重い嗄れ声が、男の喉から込み上げる。

 

   認めてなるものか。

 

「そこから降りやがれ!!誰を見下してんだクソアマァッ!!」

 

 沈みゆく巨艦の甲板を我武者羅に駆け上がり、クリークは己を睥睨する少女へ我が身一つで襲い掛かる。

 武器も無く、武術も無い。持てる武力を全て潰され追い詰められ、奇しくも彼の手元に残ったのは、傲慢な雌に身の程を知らしめるための、圧倒的な雄の筋力であった。

 伸ばした両手はその華奢な首へ容易く届き、豪腕の握力で絞め殺さんと放った十指が抉るように柔らかな素肌へ食い込んでいく。今まで抱いたどの女よりも劣情を駆り立てるその感触が男の更なる力となり、今にも手折れてしまいそうな少女の肢体を汚しに掛かる。

 

「おれが最強だァッ!最強なんだァァッ!お前も!ギンを倒した後ろのコックも!誰もおれに逆らうなァッ!!おれは“ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)”を手に入れ、この大海賊時代の頂点に立つ男だァァァッ!!」

 

 狂乱し血走る凶悪な双眸が、手中にぶら下がる脆弱な女の愛らしい幼顔を射殺さんばかりに睨みつける。男のその瞳に最早理性は欠片も無く、そこには居るのは人では無い、耐え難い屈辱に憤激するだけの高慢の怪物であった。

 

 分かたれた船首から少女の名を叫ぶコックの声も、船に流れ込む海水の轟音も、何一つとして男の耳には届かない。彼が欲するのは、目の前の小娘の苦痛溢れる懺悔の言葉のみ。

 それらを笑いながら踏み躙る己の姿が脳裏に想起され、クリークは両手に全身全霊の力を注ぎ込む。

 

 

 だが、無数の激情に支配される男の望みは、果たされなかった。

 

 

「それは私。あなたには無理」

 

 

 大国の海軍にも等しい超戦力を有した稀代の大悪党、『海賊艦隊提督“首領(ドン)”・クリーク』。

 

 最強の名を欲しいままにした男に残った最後の記憶は、爆発的な気迫と共に深い闇に呑み込まれ、支配した東の海(イーストブルー)の水底へと沈んでいく、無力な己の惨めな姿であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『ドレッドノート・サーベル号』

 

 

 

「このっ!クソ揉み上げ野郎っ!おれのルフィちゃんにっ!何してくれてんだボケェっ!!」

 

「ふふん、どうかしらサンジっ!これが私の船長オーラの一つ、“覇王色の覇気”よ  って、ちょっと!死体蹴りなんかしてないで船長の話ちゃんと聞きなさいよぉっ!」

 

 ルフィに睨まれ崩れ落ちたクリークを錨の鎖でグルグル巻きにしながら蹴り続けるサンジの鼓膜を、背後で拗ねる女神の溜息が震わせる。

 慌てて錨ごとクソ揉み上げ野郎を海に捨て、振り向き少女の前に跪く。

 

「!めっそうもない、ルフィちゃん!大勢の男たち相手に微塵も臆せず勇敢に立ち向かい平伏させる、その愛らしくも凛々しい船長オーラにこの愛の奴隷騎士サンジ、感服致しましたァん!!ああっ、おれもルフィちゃんに睨まれて気絶したい……」

 

「ホント!?わぁい、サンジがやっと私のコト認めてくれたわぁっ!」

 

 無邪気に飛び跳ねるルフィの愛らしい姿に鼻下を伸ばす、全ての美女を愛する恋の料理人サンジ。

 だが青年の心を奪い続けているのは、目の前の可憐な少女の美貌でも、胸部の怒張に耐え切れずに弾け飛んだボタンの隙間から見える深い大渓谷でもない。

 

 故に、僅かな静寂の時を与えられた彼が最初に呟いたのは、誤魔化すことの出来ないその胸中であった。

 

「…凄く…強いんだな、ルフィちゃん…」

 

 ぽつりと零れた仲間候補の言葉を肯定的に受け取ったルフィが、満面の笑みでボタンが飛んだ胸を張る。

 

「もちろんっ!私は大切な仲間をどんな強敵からも守れる、あなたの船長になる女だもの!」

 

 少女が宣言する。まるでそれが当然のことのように。

 自分の、定められた未来であるかのように。

 

「だから私の力を見せた今、もう一度言うわね、サンジ。  私の仲間になりなさいっ!!」

 

 弾むような声と共に差し出されたその手は細く、小さく、繊麗で…それでいて強く、大きく、豪快な、美しくも心強い不思議な魅力に溢れていた。

 まるでそれが霊や魂などといった形而上の領域で惹かれ合う、自分の定めであるかのように。

 

 だが  

 

 

「…ごめんな、ルフィちゃん」

 

 サンジにはその定めに添うことが出来ない。

 

「おれの命はさ…九年前にあのクソジジィに拾われてから、もうおれのものじゃなくなっちまったんだ。…ジジィはこんなクソガキ一人救うために、一番大切な宝(バラティエ)さえ守れねェ弱っちぃ体に零落れてな。今回だって本来ならルフィちゃんみたいな可憐な女性に戦わせることなく、自分であの店を守れたはずなんだ」

 

 水平線の端に微かに見える、壮大な海に浮かぶ船乗りたちのオアシスを望みながら、青年の懺悔は続く。

 

「“おれさえいなきゃ”なんてくだらねェことを言うつもりはねェ。ただ…あのクソジジィは自慢の右足を捨てて、代わりにおれを生かすことを選んだ。だったら生かされたこの命でアイツの右足分の働きくらいしてみせねェと、恩に報いたとは言えねェんだよ」

 

 男の搾り出すような重たい言葉を、少女は相槌一つ打つことなく、最後まで静かに聞いていた。

 赤の他人の店のために敵の親玉の下へ単身乗り込んでいった、凛々しく心優しいルフィのそんな気遣いに頭を下げながら、サンジは心から感謝した。

 

「…ありがとう、ルフィちゃん。君に会えて、君の一味に誘われて、一緒にジジィの店で働いたこの二日間は、間違いなくおれの人生の中で最も幸せな時間だった」

 

 未練を断ち切るべく、このまま別れを告げるべきか迷った副料理長サンジは、傷付けた乙女の顔色を窺うように彼女の愛愛しい童顔を覗き  息を呑んだ。

 

 そこにあったのは、普段の少女とは全く異なる、相手を諭すような慈愛に満ちた大人びた女性の柔らかい笑顔であった。

 

 

  あのね、サンジ。私ね、昔あなたみたいに海賊に命を助けてもらったことがあるの」

 

「!」

 

 弾けたボタンの女神が語りだしたのは、憧れの大海賊と過ごした大切な日々の一頁。“モンキー・D・ルフィ”という人物の原点であり、同時にこれから訪れる新たな時代の草創期の物語であった。

 

 そしてその語り部の意図を、同じく命の恩を忘れぬ義理堅い青年は見逃さなかった。

 

「シャンクスは能力者になって泳げない私を丸呑みにしようとした海王類から守ってくれたんだけど、そのときに私の代わりに左腕を食べられちゃったの。沢山の仲間たちや縄張りを守らなきゃいけない大海賊団の船長なのに、それでも私に“腕の一本くらい安いモンだ”って言ってくれたわ」

 

 遠くの海を愛おしそうに見つめながら、少女が丁寧に自分が受けた大恩を言葉に変える。

 

「サンジ。シャンクスは助けた私に“自由に生きろ”って言ってくれたの。  “死ぬまで詫びろ”なんて一言も言わなかったわ」

 

「…ッ!」

 

「私は救われた命で自分の夢を叶えて、シャンクスに“あなたのおかげよ”ってお礼を言うの。サンジは料理長になんて言うの?“救われた命を捨ててでも『バラティエ』を守ります”?あの人素直じゃないけどホントはすっごく優しい人よ。あなたにそんなコト言われたら絶対悲しむわ。全然恩返せてないじゃない」

 

 切なげな少女の双眸に呼応するかのように、青年の不動の覚悟が揺れ動く。

 

「…それでも、おれは…」

 

 わかりきったことであった。

 

 だれよりも“感情”の大切さを知る孤独な王子は、恩人ゼフの冷たい態度の裏に隠された確かな愛情に気付かぬ訳がなかった。

 

 しかし、だからこそサンジはゼフへの恩義を掛け替えの無いものとして大切にする。

 “出来損ない”、“失敗作”と否定され続ける幼少期を過ごした幼き青年は、初めて己が身を犠牲にしてまで助けてくれた老海賊に、命の恩以上の情があった。

 

 それはまるで父と子で完結した世界(バラティエ)から飛び立つことを恐れる、親離れに躊躇う雛のようであった。

 

 

「そう  なら仕方ないわね」

 

 どれほどの沈黙が過ぎ去ったか。

 無言を貫く料理人の耳に、静かな、美しい声がふわりと届いた。

 

 僅かに肩が跳ねたのは彼女への後ろめたさからだろうか。変わらぬ天上の調であるはずの少女の声色が、失望の言葉の幻聴となってサンジの心を抉る。

 

「サンジ」

 

 だが鼓膜を震わせたその声に縋るように振り向いた先にあったのは、海を背に甲板の縁に佇みこちらを見つめる、一人の少女の変わらぬ笑顔であった。

 思わず頬が緩む愛愛しいその微笑が、何故か青年の胸をざわつかせる。

 

 そしてその不安を嘲笑うかのように  

 

 

「ルフィちゃん!!?」

 

 

   少女の姿が傾き、縁の奥へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『ドレッドノート・サーベル号』

 

 

 

「けほっ!…っ!…うぇぇ、クリークのせいで海水に木屑がいっぱぁい…イガイガするぅぅ…」

 

「げほっ、がほっ…!ハァ…ハァ…な、何でこんなこと…っ!」

 

 落水した海賊少女を傷だらけの身体に鞭を打ちながら大破したガレオン船へ引き上げたサンジは、息を整え間髪入れずに問題娘の自殺未遂を問い質した。

 

 悪魔の実の能力者は海に嫌われ泳げない。それも人体の高い浮力を無視し岩のように沈むほど不自然に。彼ら彼女らは他者の助けなくして再び日の下へ浮かぶことはなく、最後には窒息もしくは圧死し帰らぬ者となる。

 故に能力者が海に落ちるということは、そのまま死を意味する致命的な過ちであり、ましては自分から飛び込むなど自殺行為に等しい。

 

 サンジは少女の突然の凶行を青ざめた顔で責め立てる。

 

 だがルフィの声に、青年の叱咤に応える自責の念は無い。

 あるのは己の望み通りの結果を歓迎する、満足そうな喜びであった。

 

「ふぅ…。よし、これでサンジは私の命の恩人ねっ!今度は私があなたに恩を返すために、これからあなたに代わって『バラティエ』を死ぬまで守ってあげるわっ!」

 

「…え?」

 

 咄嗟に凝視した彼女の顔には、普段どおりの純粋無垢な太陽の笑顔。

 だがサンジにはその笑顔がどこか、悪戯が成功した童子のような可愛らしい邪気が含まれているかのように見えた。

 

「何…言って…」

 

「だって私の仲間になったら恩を返せないんでしょ?だったらお髭の料理長に命を救われたサンジに命を救われた私が代わりに恩を返してあげるわ!そしたらサンジは命の恩とか気にせず私の仲間になれるもんっ!」

 

 その一瞬、青年は少女の言ったことを理解出来なかった。

 だが続く沈黙が彼の脳に時を与え、無理解は理解へと咀嚼され、そして困惑へと反転する。

 

 つまり彼女は、先ほどの自殺未遂を阻止されたことを命の恩と強引に解釈し、その恩を以ってこちらの料理長ゼフへの恩返しを代行することで『バラティエ』への執着から、否、束縛から解放しようとしているのだ。

 

 一方的で、独善的で。己の生き様を否定することにも等しい発言。

 だが、サンジには何故かそれがこの少女らしい善意に思え、折角の仕立て良い給仕服が台無しになった濡れ姿に健気な乙女の強い意思を感じていた。

 

 そしてそれは、続いた彼女の言葉によって確信へと変わる。

 

「船長命令よっ!私の恩人のサンジの大切なお料理屋さんを責任を持って守る  ここを私の縄張りにするわっ!」

 

 ぎゅっと拳を握り締めながら高らかに宣言する海賊娘の声には、その愛らしい声色以上の力強さを覚える、心を震わせる何かが籠っていた。

 

「縄…張り…?」

 

「そうよ。海賊は気に入った場所を縄張りにして、そこに住む人も畑も森も町も港も海も、ぜーんぶ守るの!海賊王の縄張りを襲う人なんかいないから、あなた一人で守り続けるよりずっと安全だわ!“この麦わら帽子の海賊旗が目に入らぬかー!”ってヤツよ、しししっ!」

 

 少女の言葉にサンジは呆けたように顎を垂らす。

 

 縄張り。

 大海賊たちが自身の名を以って影響下に置き、ときに治める守護領域である。その在り方は様々で、噂に名高い人魚たちの楽園『魚人島』のように好意的な庇護下にある地から、怨嗟の絶えぬ奴隷未満の搾取地のような扱いを受けるものと千差万別。

 いずれにせよ、縄張りの維持は自由な冒険とは程遠い容易ならぬ問題であり、相応の見返りがない限り進んで定めることは稀である。

 

 少女は言った。私の夢は海賊王だ、と。

 ではそれほどの野望を抱く人物にとって、ただの海上レストランである『バラティエ』は果たして縄張りとして守護するに値する店なのだろうか。伝え聞く魔の海を命辛々乗り越える大冒険を引き返し、態々ここ東の海(イーストブルー)へ踏破した地獄を逆行するほどの見返りがあるだろうか。

 

 はた、とサンジは気付く。

 

 あるはずが無いのだ。

 だからこそ、少女は泳げぬ身で海へと飛び込んだのだ。

 

 彼女の言う、“命の恩”という義理を、その見返りとするために。

 

 そしてそれは、しがない料理人の若造に過ぎない自分が、その命を懸けるに足る大切な仲間であると述べる無言の言葉であり、同時に飛び込んだ己を必ず助けてくれるという絶対的な信頼の体現でもあった。

 

 この海賊娘が価値を見出していたのは、仲間に誘われたこの自分なのだ。

 普段であれば美少女に求められる至高の幸福に赤き情熱の噴水を作っているはずのサンジは、このとき、震えることすら叶わぬほどに、目の前の潮滴る乙女の覚悟に只ただ圧倒されていた。

 

「でも今の私はまだ無名のルーキーだわ。賞金首になって、たくさん懸賞金が付くようにいっぱい活躍したいんだけど、身体動かしたり長く冒険を続けたりするには栄養満点の美味しいお料理を作れる海のコックさんが必要なのっ!」

 

 大きな双眸を爛々と煌かせ、海賊娘が自身の抱く、果てしなく遠い夢を共に追おうと若き料理人へ手を差し出す。

 一人では辿り着けない、時代を創った“王”の頂に立つために、彼女は義理堅い青年を諦めない。

 

 私の夢には、あなたが必要なのだと。

 

 

「だからサンジっ!ステキなお料理を毎日たくさん作って、私が海賊王になれるくらい元気にさせてっ!!」

 

 

 その言葉はまるで恋人のプロポーズのようで、美食の職人にとっての最高の自己肯定であった。

 

 

 煌びやかな二つの星空が青年の心を奪う。

 その無数の天体の輝きに、飽和する歓喜に呆けるサンジはふと、かつて幼い自分にあることを語ったあのクソ忌々しい偉大な料理人の瞳を思い出した。

 

 三ヶ月にも亘る飢餓地獄で即身仏の如く痩せ細った老人の醜い姿。比べることすらおこがましい、美女たちの幸せを願う愛の奴隷騎士に相応しからぬ無礼でありながら、青年は奇妙にも目の前の可憐な乙女と己の憎き恩人の、あの笑顔が重なって見えた。

 

(そう言やぁ、クソジジィもこんな目をしながら『バラティエ』のこと語ってやがったっけか…)

 

 サンジは、昔聞いた老人の嗄れ声がまた自分の鼓膜を震わせた気がした。

 

 

   海は広くて残酷だなぁ、チビナス……。そこによぉ、海の広さに殺されそうになってるヤツを救う、海のど真ん中にあるレストランをブッ建てんのが  

 

 

  “おれの夢”…か…」

 

 自然と口から飛び出たその言葉は、己の生きる意味を思い出させる魔法の呪文であった。

 

(…そうだ。おれにも夢があったんだ)

 

 

 最初にその名を呼んだ者は、一人の無名の料理人であったと言う。

 

 赤い土の大陸(レッドライン)凪の帯(カームベルト)に分かたれた四つの(ブルー)。決して交わることの無いそれらの海では独自の生態系が育まれ、まだ見ぬ無数の魚が果てしない大海原を彩っている。

 

 物理的に繋がることが無いはずの四つの海。

 だが如何なる理由か、そこで生きる全ての海の幸が一堂に会する、摩訶不思議な幻の海がこの世のどこかに存在する…という伝説が実しやかに語り継がれている。

 

 それは決してありえない、料理人たちの願望が見せる空想上の存在であるはずなのだ。

 

 最早考えることすらなくなった、子供の頃の奇想天外な夢。

 巡り巡って命の恩人となった男との出会いをくれた、疾うの昔に捨て去った、全ての料理人が語る理想の海を求める夢。

 

 その海の名は、集う四つの(ブルー)全てを冠する理想の名。

 誰一人として見たことがない、母なる海が祝福する美食の楽園。

 

 その夢の名は  

 

 

  “オールブルー”」

 

 青年が記憶の奥底に眠り続けるソレに辿り着いた瞬間、まるで示し合わせたかのように少女の口が大きな弧を描いた。

 それはまるで正解を言い当てた子供を褒める母親のようで、同時に好きな夕食の献立を出された子供のような姿であった。

 

「ねぇサンジ!私、偉大なる航路(グランドライン)でその海を見つけたら、あなたが料理してくれたそこのお魚さんが食べたいわっ!」

 

「!」

 

 瞳の奥に満天の星々を輝かせ、海賊娘が青年の夢を後押しする。

 かつて同じ料理人たちに失笑された、幼き少年の無垢な夢を。

 

「どんなお魚さんがいるのかしら…!鱗が虹色とかだったらキレイで食べ辛いわね…。身は柔らかいほうが好きよ!ほくほくしてて、さらさらな油たっぷりで、そしてちょっとだけ甘い、ほっぺが落ちるほど美味しいお魚さんだったらステキだわ…!だからね、サンジっ  

 

 

   私と一緒に捜しに行きましょうっ!

 

 

 その瞬間。強く、暖かいものが、サンジの胸を貫いた。

 

 気休めでも便乗でもなく、本心からそれを願い、そして夢見る少女の純粋な思いが今一度、双の掌となって彼の前に差し出される。

 だが青年の下へ伸ばされたその手は空ではない。自身を恩で縛り付け一人檻に閉じ篭る幼き少年を迎えるその掌には、道しるべ無き夢の迷い人の手が力強く握られていた。

 

 かくして少女は少年の手を引き夢の舞台へと駆け上がる。

 

 あなたはもう、自由に生きていいのだと。

 

 

「ふっ…くくく…っ。……これが“未来の海賊王”、か…」

 

 思わず零れた笑い声は、今までの迷いが嘘のように明るく晴れ晴れしい声であった。

 

 濡れる柔肌に水滴の宝石を煌かせる偉大な女海賊の下へ、青年は跪く。

 愛して止まない見目麗しい美少女の下ではない。己の呪縛から解き放ち、共に夢を追おうと希望に満ちた大冒険へ導く“王”の下へ。

 

 それは紛れも無い、一人の騎士の忠誠の儀であった。

 

 

「と、言うわけだから!これから毎日私のご飯を作って、サンジ!」

 

 料理人サンジは感無量といった表情で、純白の下着の透ける少女を見上げる。ああ、神よ。俺は、俺の両手は、今日この日のために料理の腕を磨いてきたのだな。

 最早彼に戸惑いなど無かった。目を逸らしていただけで、答えは彼女に出会った時点で既に決まっていたのだから。

 

 こんな蟲惑的な姿の女神に誘われ躊躇うなど、天地神明に誓ってありえない。

 

 曇りなきハートの眼で、自由となった“愛の奴隷騎士”は全身全霊を以って、少女の願いに応じたのであった。

 

 

「仰せの通りに  んルフィィィちゅわァァァんっ♡!!」

 

 

 もちろん、紳士として濡れる乙女に上着を羽織らせることは忘れない。

 

 ただ、彼が目の前の抗い難い誘惑に打ち勝つには今暫しの時が必要であった。

 





上中下で終るはずが6万文字の大作に…なんでや

ともあれこれでサンジ編は終了。長々とお付き合い頂き恐悦至極。
でも次の話が引き続きバラティエなので、あくまで一区切りという形です。

さて、いよいよオリ展開の怒涛の複線回収…覚えていてもらえてるかめっちゃ不安(不安

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