ルフィちゃん(♀)逆行冒険譚   作:ろぼと

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お待たせしました。
舞台は引き続きバラティエで、本話は新章のプロローグとなります。




24話 水面下の王者たち

 

大海賊時代・22年

偉大なる航路(グランドライン) バルティゴ革命軍本部

 

 

 

 “白土の島”バルティゴ。

 

 巨大な上昇海流により運ばれた珪藻殻の砂漠に覆われた、偉大なる航路(グランドライン)の無数の超自然的な島々の中でも有数の過酷な環境に晒される不毛の地である。水平線の先からも見えるほどの強烈な砂嵐が舞い上がるこの死の島は、訪れる者全てを拒む白砂のカーテンに常に覆われ、その全貌を見た者は居ないとされる。

 

 十年ほど前、雑草一葉すら生えぬとされたこの島に突如巨大なガレオン船が訪れた。

 龍を象るその異様の帆船から降りた幾百もの荒くれ者たちは様々な悪魔の実の能力を駆使し、瞬く間にアドベの要塞を作り上げ、現在島は空前絶後の白亜の蟻塚の都と化している。

 

 開拓者たちの名は『革命軍』。

 

 『大罪人“革命家”ドラゴン』に率いられた、八百年にも亘る世界政府の支配体制の転覆を目論む人類史有数の犯罪組織である。

 

 島の外見からは想像出来ない不自然なまでに無風の都市。その中央にそびえる珊瑚の如き奇妙な建造物の一室に、三人の男女が殺伐とした空気を纏いながら頭を突き付け合っていた。

 

 

  それ、確かなの…?」

 

 短い沈黙を破ったのは場の紅一点。短い黄髪の上に赤いキャスケット帽を被った妙齢の女だ。

 その女性的な容姿に反し、隣に立つ道着を纏った男に順ずる“師範代”の位に就く優れた戦闘員である。

 

「我が友からの頼みでもある。向こうでも幾つか手を打つと言っていたが…何せ相手が相手だ。あの男の思想と過去を振り返るに、あまり期待はしないほうがよかろう」

 

 そんな彼女に己の術を伝授した隣の道着の格闘家が、問われた疑問に答える。

 “美しい”という形容詞を除けばごく普通の人間である帽子の女とは異なり、この男の容姿は異形の一言であった。

 

 肢体は人間とさほど大きな違いは無い。だが首元に走る左右対称の不自然な切り込みや、手足の指間に広がる水掻き、そして頭部から背筋に張る背鰭は、一目で彼が人ならざる者であることを主張する。

 

 

 魚人。

 

 人間と魚類双方の身体的特徴を併せ持つ希少種族である。この水陸両生の亜人たちは人間の十倍もの筋力を持ち、水中では海王類と共に敵なしの天下を誇る生態系の強者だ。

 

 だがその歴史は悲惨そのもの。強大な力を持ちながらも人口が少ない彼らは、排他的思想が根強い陸の支配者である人間たちにより耐え難い差別を受け続け、不当にも弱小種族の烙印を押されていた。

 近年は人間社会の頂点である世界政府との和解が進み、表面上は友好関係にあるものの、両種族の意識改革は未だ遅れており、対等な扱いを受けているとは言い難い。

 

 革命軍に所属するこの魚人族の格闘家も現状に不満を抱いている多くの同胞たちの一人であり、組織の最大目標である超血統原理主義的思想の持ち主“世界貴族”『天竜人』の排除のために、その優れた武術の数々を構成員たちに伝授している。

 もっとも、幾多の魚人活動家の中では比較的穏健な者の一人。優れた人格者でもある彼は同じく穏健派の出世頭で名高い“友”を後押しすべく、人間との友好的な交流に積極的であった。

 

 武闘派らしい“拳の語り合い”という、些か攻撃的な交流ではあるが。

 

 

「…あまり悠長にしている暇はない。動くのなら今ここで決めてもらおう」

 

 そして、最後にして室内で最も目を引くのが、この大男。

 七メートルに迫る巨躯を誇る、革命軍の最古参の一人で、その手には固く閉じられた一冊の謎の聖典が抱えられている。

 

 一連の説明を終え、目の前の男女をこの場に集めた張本人である巨漢が両者に確認を迫った。

 

 男が組織のボスより命じられた、とある人物の『救援作戦』に参加するか否かを。

 

「くまさんの力があればひとまずは大丈夫だと思いますけど……問題はあのシスコン要件人間なんだよね…」

 

「…ボスに先手を打たれ今は地下で海楼石の鎖に巻かれている。おれと高名な革命軍の“切り込み隊長”につながりがあると政府に悟られたら面倒だ」

 

 巨漢の淡々とした言に二人の同志は大きな溜息を吐く。

 

「いつまで妹離れ出来ないのよ、あのバカは。前はそうでもなかったのに…」

 

「全く、“火拳”もやっかいな置き土産を残してくれたものだ…。ひとまずはあの義兄も容易く動けない案件であることを強調して納得してもらうしかあるまい。私も同胞たちから良い返事を受け取ったのだ。あやつの代わりに少しは役に立てるだろう」

 

「…では?」

 

 格闘家の男は自慢げに胸を叩く。

 

「うむ。我が“魚人空手柔術道場”の力、海軍の連中にとくと見せ付けて進ぜよう」

 

「おお~っ!流石ハック、海じゃ無敵の男!」

 

 彼ら革命軍と男の所属する魚人空手組合の関係は一切外部に知られていない。また“友”の『タイヨウ海賊団』に隷属する下部組織でもなく、知己の“王下七武海”二名と“革命軍”、双方との裏のつながりを持ちながら自由に動けるこの魚人が率いる武力集団は、このような政治的しがらみに雁字搦めになった状況における貴重な手札であった。

 

 格闘家の心強い援軍に巨漢の頭部が僅かに上下する。

 

「…わかった。だが姿を晒す白兵戦は避けろ」

 

「是非もない。政府は敵対者が魚人であるというだけで“王国”を攻撃する口実に使うのだ。討伐部隊が通過する凪の帯(カームベルト)にて海王類を刺激し嗾ける策が吉と出よう」

 

「え~っ!てことは私お留守番?折角会えるかもしれないチャンスだったのにぃ…」

 

 偉大なる革命軍総司令官殿の高名なご令嬢に、年の近い同じ女として興味津々の帽子娘。事実上の組織No.2であるあの金髪の青年に毎日のように聞かされ続けた義妹君の伝説の数々を知る身としては、是非ともそのご尊顔をこの目で拝見したかった。

 だが、今回のような特殊な作戦において魚人ではない自分に出来ることは少ないようだ。

 

 不満を述べる女を余所に、実動部隊リーダーの巨漢が変わらぬ平坦な声色で作戦の内容を要約する。

 

「…元よりあの童女が“鷹の目”さえ撃破出来れば片が付く話だ。“九蛇”は脅威だがヤツの能力は同性に対して不安定。子供の身でおれを倒せたあれが成長した今、一対一なら四皇以外に不覚を取ることなど考えられん。我々の仕事はその状況を自然な形で準備するだけだ」

 

「お前はボスと共にご令嬢と拳を交わしたことがあったそうだな。それほどの強者とは…一度手合わせ願いたいものよ」

 

 その言葉に、常に岩のように硬い巨漢の表情が僅かに緩む。

 

「…懐かしいな。あれほど笑った記憶も珍しい。特にあの童女の正体を知ったときのボスの顔と来たら……くく」

 

 思い出し笑いに小さく喉を鳴らす男のあまりにも意外な姿に、初めて彼の無表情が崩れる瞬間を目撃した左右の男女が絶句する。

 

「……くまさん、笑えたんだ」

 

「おい、もう少しオブラートに包め。…だが確かにこの男が笑うほどとは……ボスも人の子だったということか」

 

「…おかげでボスの近寄り難さが多少解消された。部下たちの人心掌握を考慮すれば恥の掻き損ではない」

 

「あれで解消された後なの…?」

 

 女は自身の上司がよく浮かべるあの薄ら寒い微笑を思い出す。

 その下にどのような悪巧みがあるのか考えただけでぞっとするが、こうして実娘の身を案じ万が一の手を用意するあたり、少なくとも体を流れる血は赤いらしい。

 

「ボスはボスだ。折角の借りを返す機会、是が非にも成功させて見せよう」

 

 胡散臭そうな目を巨漢に向ける女とは異なり、魚人の男の顔には使命に燃える勇ましい表情が浮かんでいた。

 元よりあの刺青の指導者には、世界政府の圧力による祖国『リュウグウ王国』の軍縮の煽りで居場所を失っていたところを拾われた大恩がある。今では種族の垣根を越え人間含む他種族にも、魚人が誇る格闘文化“魚人空手”を広めることが叶った。彼は尊敬している上司の恩に報いるため、此度の極秘作戦に並ならぬ意気込みを抱いていた。

 それが恩人の娘を救うことともなれば、武に生きる一人の男としてこれほど名誉なことはない。

 

「…おれはこれからマリンフォードの艦隊と合流する。お前は先に凪の帯(カームベルト)へ行き待ち伏せしろ」

 

「承知した。だが万一海軍に進路を変更されては拙い。お前のビブルカードを頼るが構わんな?」

 

 小さく頷く巨漢の姿を認め、魚人の男は早速同胞たちを集めるべく足早に地下通路へと消えていった。島全土を覆う砂嵐のベールを避けるために開通されたこの通路は、後方の秘港との数少ない連絡路である。

 最近例の秘港は専ら、船を必要としない彼ら魚人たち専用のインフラと化しており、その一画には解放された元奴隷の人魚たちの好みによる鮮やかで幻想的な内装改築が施されていた。

 

「人魚プロデュースのメルヘンな廊下をダッシュするハックって、なんか凄くシュール…  あ、私は何すればいいんですか?お二人の連絡係?」

 

 走り去る道着姿の筋骨隆々とした魚人の後姿から目を逸らし、集まった面子の中で一人だけ任務を与えられていない帽子の女は期待にその大きな瞳を輝かせる。

 

「…お前は地下牢でサボの見張りだ」

 

「えぇぇぇっ!?」

 

 だが返って来たあまりにあんまりな指示に、憐れな女は落胆の溜息と共に床へ崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) コノミ諸島『アーロンパーク』

 

 

 

 香り立つみかん畑で知られるココヤシ村の外れの海岸に、一棟の塔が佇んでいる。

 偉大なる航路(グランドライン)の鎖国国家『ワノ国』にそびえる宗教建築、五重塔と多宝塔を組み合わせたような奇妙な建造物だ。

 

 その日、海岸の塔の正面広場では大きな騒ぎが起きていた。

 多くの怒声が飛び交い、ときに地鳴りが響くほどの破壊音が木霊する、只事ならぬ騒動。

 

 騒ぐ者共は皆、人ではない。

 青、赤、黄、灰。幾つもの人ならざる色の肌を持ち、多数の腕を持つ者、巨大な唇を持つ者、両腕に魚類のヒレのような突起物を持つ者など、実に多種多様の異形が顔を青ざめ走り回っている。

 

 彼らの名は魚人族。偉大なる航路(グランドライン)の海底に栄える“魚人島”『リュウグウ王国』を故郷に持つ種族である。

 

 そんな混乱する魚人たちの中心に、一匹の巨大な魚の姿があった。

 深海の藍色の肌に白色の点々が規則正しく並んでいるその魚は、海王類を除く全ての魚類のなかで最も大きい躯体を誇る、とある鮫の種である。

 

 だが、海の王者たる彼ら魚人たちが動揺しているのはこの大型鮫の威容にではない。

 

 彼らの焦りの原因は、この鮫が口に咥える一匹の電伝虫と、見慣れた手配書、そしてこの鮫を遣わせた人物の正体にこそあった。

 何故ならその鮫は、男たちの元上司である、とある高名な大海賊が率いる使い魚として全ての魚人たちが知ることなのだから。

 

 

「……アニキか?」

 

 騒々しい正面広場の中央。

 狼狽する一同の中でただ一人平静な表情を貫いていた屈強な魚人が、飄々とした声色で大鮫に差し出された電伝虫の受話器を取る。両歯のノコギリのような長い鼻を持つ、この場の最上位の人物だ。

 

 

『…久しいな。ざっと十年ぶりにお前さんの声を聞いたが…まだ頭は冷えんようじゃのう』

 

 懐かしい低声に、男の周囲で聞き耳を立てていた魚人の同胞たちがどよめく。それらを一睨みで黙らせ、ノコギリ鼻の男は電波の先にいる人物へ棘のある言葉を送った。

 

「…どういう了見だ、あんた。おれとしちゃァ、今更どのツラ下げて元『タイヨウ海賊団』のおれに話しかけてやがったのか気になって仕方ねェんだがな  “王下七武海”サマよォ?」

 

『…お前さんは相変わらずじゃな。まだ子供の癇癪を卒業出来んか、愚かな…』

 

 相変わらずはお互い様。

 かつて同じ野望を抱いた同志も、偉大な統率者の非業の死と共に道を違え、今ではすっかり牙を抜かれたばかりか種族を裏切り宿敵と逢瀬を交わす愚か者へと成り下がったまま。

 

 九年の長い年月でも、この両者の溝を埋めるには何一つとして至らなかったようだ

 

「シャハハハハ!随分な言い様じゃねェか、アニキ!こんな下等種族に虚仮(こけ)にされたまま耐え忍ぶのが大人なら、おれは死ぬまで子供で結構!……あんたみてェに魚人の誇りを捨てる気はねェんだよ…ッ!!」

 

 相手の意図が読めない魚人の男は不審感を上手に隠しながら、当時の自分の姿を思いだしながら変わらぬ演技を続け情報を引き出しにかかる。

 

 だが、受話器越しの元上司は、男が挑んだ心理戦の土俵にすら立とうとしなかった。

 

 

『…手配書を見たか?』

 

「…!」

 

 唐突に投げ掛けられた意味深な単語に男の瞼がピクリと引き攣る。

 そして一同の目が一斉に、壁に打たれた真新しい一枚の紙に向かった。

 

 “手配書”。

 

 今の東の海(イーストブルー)を生きる全ての者にとって、その単語が指すものは一つのみ。

 突然“ニュース・クー”によってばら撒かれた、“UNTOUCHABLE”なる奇妙な表記が記載された、あの高額賞金首の謎多きルーキー女海賊の手配書である。

 

 海賊。

 それはこの奇抜な塔の下に集まる彼ら魚人たちの職業でもあった。

 

 後ろ暗い活動を行っている彼ら『魚人海賊団』は、敵対する海軍の動きに当然敏感であった。縄張りのあるここコノミ諸島を管轄下に置く海軍第16支部を買収し、憎き海軍本部マリンフォードが浮かぶ偉大なる航路(グランドライン)との玄関口ローグタウンの近海を二十四時間体制で監視し、情報が漏れた際に配下の海王類を使い海難事故に見せかけた口封じを行うなど等。男たちは自身の悪行を隠蔽するためのありとあらゆる活動に意欲的であった。

 

 そんな彼らが最近最も警戒しているのが、本部と東の海(イーストブルー)支部間の通信の活発化に伴う、海軍の水面下の動きである。

 

 明らかに増した巡回活動と、それに反比例するかのように下がった好戦性。上から戦闘禁止命令でも出ているのかと疑いたくなるほど、ここ半月間の海軍艦船はどれも極端に損失を恐れていた。

 

 それはまるで、大軍の先遣隊が行う斥候のような、あまりにも不可解な動きであった。

 

 

「アニキ…あんた、何を知ってやがる」

 

 この平和な海に漂う不穏な空気。

 同時にばら撒かれた妙な表記が載せられた高額賞金首の手配書。

 そして、突如として破られたかつての同志との長年に亘る沈黙の壁…

 

 この状況で今彼の前の海水プールを泳ぐ大鮫の主が、例の一連の謎の動きに無関係であるはずがない。

 広場の中央に立つノコギリ鼻の魚人は、凛とした表情を浮かべる電伝虫に、ここ数日の疑問を氷解させる答えを求める。

 

 だが期待に反し、続いた電伝虫の言葉は、男が最も恐れていたものであった。

 

『わしァ詳しいことは何も知らん。じゃがのう、その娘っ子の兄君には大きな義理がある』

 

「…義理だァ?」

 

『三年前、彼が東の海(そっち)で“魚人海賊団”の噂を聞いたそうじゃ。わしもあの人も互いに立場に囚われ容易く動けん。そこでわしと懇意にしとったお前さんの手を借りられんかと頼まれた』

 

 その言葉に男は絶句する。

 三年前といえば、丁度海軍本部ローグタウン派出所に就任したスモーカー本部大佐の情報収集のために近隣の海賊たちを買収し、上陸以来最も派手に動いた年であった。確かに、彼ら『魚人海賊団』の悪名が一時的に広まってしまい、火消しに例のネズミ支部大佐へ大金を支払い協力を仰いだ記憶がある。

 

 おそらくこの元上司の言う“娘っ子の兄君”とやらは、火消しが間に合わなかった数ヶ月の間に偉大なる航路(グランドライン)へ出航した数少ない海賊の一人なのだろう。

 

 魚人の男は噛み続けていた臍を開放し、素知らぬ態度で電伝虫の相手の追及を未然に防ぐべく、話題を煙に巻こうと試みた。

 

「シャーッハッハッハ!!こいつァ傑作だ!種族の裏切り者が何のつもりかと思えば、まさかの“手を貸せ”と来たか!アニキにこんな落語の才能があったとはなァ、シャハハハハ!」

 

『そうか、わしの頼みが聞けぬか』

 

 だが悲しいかな。男はこの“海侠”とまで謳われる人情溢れる元上司と、致命的に相性が悪かった。

 

『元より手ぶらで頭の固いお前に頼み込むつもりァないわい。かつて見逃した命の恩を返せと言うても聞く耳持たんじゃろう。…故に土産話を持って来た』

 

「……ほぉ、面白い。呆けたあんたの土産話たァ、おれを笑わせてくれるくらいには聞く価値があるモンなんだろうな?」

 

 伝う冷や汗を無視し、魚人の男は眼前に立つ処刑台の幻をふてぶてしく見上げる。

 そして彼は、こちらの罪を述べる巨漢の処刑人の姿を幻視した。

 

 

  東の海(イーストブルー)に無辜の村人たちを虐げる魚人の海賊がいる”』

 

 

 予想していた言葉。故に男の動揺も少なかった。

 

 だがそんな無言の彼の鼓膜へ、受話器を通した相手の静かな憤怒が伝わってくる。

 

『随分ふざけた噂が流れとるそうじゃのう。確かに九年も経てば、憎き男と交わした命の約束も、そやつの魚人空手を忘れるのも無理は無かろう。故に  今一度お前の体に問うてみるか?』

 

「…ッ!」

 

 瞬間、男の全身を凄まじい悪寒と痛みが襲った。

 咄嗟に胸を押さえようと魚人は腕に力を込める。だが彼の体は岩のように硬く、指一つ曲げることすら叶わない。

 

 その昔、この元上司の下から去る際に受けた無数の激痛が、当時の記憶に紛れて蘇ったのである。

 

『魚人と人間の友好は成りつつある。負の連鎖はわしらが耐えることでようやっと途切れようとしておる。今の魚人島の若いモンには人間の友がいる者も多い。タイのアニキの遺言は、亡き王妃の悲願は、少しずつ、実現へと近付いとるんじゃ。……お前、皆の我慢と努力を踏み躙った上、このわしとの約束まで破りおったなァ…ッ!!』

 

 それはまるで海底火山の噴火のようであった。怒声の噴煙が男の肺を圧し潰し、噴火する気迫の溶岩が肉体を焼き焦がす。

 

 原初的な恐怖に苛まれ、たまらず魚人は万が一のために用意していた言い分を捲くし立てた。

 

  まっ、待ってくれよアニキ…!流石にその噂を根も葉もねェモンだとは言わねェ!……だがおれたちァ海賊だぜ?“村人を虐げる”ってのは、ただの村を縄張りにしてるだけさ!確かに甘ちょろいあんたから見れば善とは言えねェだろうが、回収してる奉貢は近隣の人間の世界政府加盟国『ゴア王国』の税金とそう大差ねェ額にしてる!虐殺も暴行も、敵対されねェ限り一切してねェぞ?最初に村人が何人か死んだのは小競り合い時の不可抗力だったんだ!村人たちも平和な暮らしをしてる!アニキが嫌う人間の海賊共よりずっとマシさ!それだけで不義理者扱いは狭量が過ぎるんじゃねェか、“海侠”さんよォ!」

 

 嘘ではない。

 世の中には彼の縄張りより遥かに卑劣な権力者の支配下に置かれた世界政府加盟国が数多くあることを、この魚人は今までの海賊人生でそれらを己の目で見て来ており、知っていた。

 

 奉貢金さえ払えば平穏な日常を送ることが許され、他のより残虐な海賊や海獣から守護される。

 彼が治める縄張りは、善良な人間が人間を支配する国々よりは不自由であるが、強欲な人間が人間を支配する国々よりは遥かに温情的であった。

 

 支配者が強大な力を持つ魚人であるというだけで過度な悪印象が広まってしまっているだけなのだと、男は受話器越しの相手に弁明する。

 

 そしてそれは客観的に見ても、決して誤りではなかった。

 

最弱の海(こっち)でアニキみたいなピースメインとやらをやろうとしても、貧乏海賊ばっかで稼ぎになんねェんだよ! “海賊に海賊行為をするな”って、あんたはおれの大切な同胞たちに漁師にでもなれって言ってんのか!?」

 

 魚人は沈痛な思いで慷慨する憐れな男を熱演する。

 

 その言葉に  僅かとはいえ  しかと本心が籠っていたことが幸いしたのだろう。男の必死の演技は見事、義侠を重んじる通話先の元上司の同情を引き出すことに成功した。

 

『……そうは言っとらん。じゃが自重しろと言うとる』

 

「ふざけんな!これ以上どう自重しろってんだ!おれの怒りを忘れたのか、アニキ!今でも時々思う、目の前の人間共を皆殺しに出来ればどれほど最高かってなァ!…くそったれ!」

 

 余裕が生まれたノコギリ鼻の男は荒ぶる感情に支配された風を意識しつつ、両者の決定的な仲違いとならない以前どおりの微妙な交友関係を維持しようと試みた。

 

 

 そして男の賭けは、一応の勝利となる。

 

『…わかった、お前さんの悪行を責めるのはひとまず止める』

 

「ッ、わかってくれたか…!?」

 

『お前さんの言うこと全てを鵜呑みにするほどわしァ愚かじゃないわい。じゃがその縄張りの村々の支配が世界政府加盟国と同じ程度なら、万が一があっても政府への多少の弁明にはなろう』

 

 穏やかな調子に戻った相手の声色に安堵する魚人の男であったが、直後その耳に「じゃが  」と不穏な接続詞が続いて届く。

 

『代わりにわしの頼みを一つ聞いてもらおう。……何、捨てられぬ憎しみに苛立ちを募らせとるお前さんに丁度いい怒りのぶつけ先を紹介するだけじゃ』

 

 何かと手厳しいこの元上司が罪を許す対価に要求してくる成果。

 只ならぬ案件であると覚悟を決めた男に下った“頼みごと”は、案の定、非常に危険なものであった。

 

 

『…その手配書の娘っ子の討伐に向かう、“七武海”三人を主力とした海軍の大艦隊が凪の帯(カームベルト)を越えて進軍しておる。お前さんにはその艦隊  “バスターコール”の(あし)を潰して貰いたい』

 

「!」

 

 

 “バスターコール”。

 

 主力艦十隻という、国家海軍規模の大艦隊を用いる緊急無差別破壊命令の作戦名で、小規模な島であれば半日で更地へと変える、世界政府の武力の象徴の一つだ。

 

 魚人の男は例の作戦における海軍の指揮系統は知らないが、彼が恐れているのはその主力艦群ではない。

 艦隊に乗艦する五人の  かつて同階級の強者に半殺しにされた  海軍本部中将たちである。

 

 そして、同等の恐怖の対象でもある“王下七武海”が三人も…

 

「……穏やかじゃねェな。冗談抜きで東の海(イーストブルー)が消滅するぞ…?一体このガキみてェなアホ面の人間のどこにそんな恨みを買うタマがあるってんだ?」

 

『知らんと言っとる。じゃがエースさんは不当だと烈火の如く怒っとった。伝え聞く限りは、あの“赤髪”もな。おそらくその娘も政府のくだらんメンツの被害者じゃろう』

 

 どうやらこの元上司は、昨今の東の海(イーストブルー)を取り巻く巨大なうねりにおいて、渦中真っ只中に位置する例の手配書の小娘に味方しろとこちらに要求しているらしい。

 その想像を絶する危険性に喉を鳴らす男を無視し、受話器越しの相手は淡々と状況説明を続けた。

 

『近日、海軍本部管轄のローグタウンにその討伐部隊の一部が入港する。主力の“七武海”三人の内一人は艦隊とは別に相変わらず単独で行動しとるようじゃが、“九蛇”は進軍航路が海軍と凪の帯(カームベルト)で被り、互いに進路を譲らずしばらく立ち往生しとったらしい。結局双方睨み合いながら同じ航路を並走。その結果不本意ながら当初の予定通りの“七武海・バスターコール”連合軍が成立したそうじゃ。おそらくローグタウンに入るのはこの部隊じゃろう』

 

 作戦開始以前からバラバラな宿敵共の愚かさを失笑する魚人であったが、その脳裏に浮かんでいるのは別の疑問。

 

(随分新鮮な情報を持ってやがるな、アニキのヤツ。航行中に“九蛇”が合流したことを何故知れる…?艦隊内に人間の協力者でも…いや、同胞に海中から監視させているのか?)

 

 魚人族の秘密兵器の一つに人魚の持つ魚類コミュニケーションの特性を活かした“超音波通信機”というものがある。

 これは人間の聴力では聞き取れない波長の音波を用いた水中通信機で、超音波会話の解読技術を持たない海軍に悟られることなく通話が可能な確かな連絡手段として魚人族の間で密かに活用されていた。

 

 魚人至上主義の男は、今回の“頼みごと”に自分の海賊団以外の同胞の協力があると即座に看破する。

 

 

 その瞬間、ふと男の頭上にある天恵が降りた。

 相手の危険な“頼みごと”を利用した、彼の『帝国』の戦力強化を期待出来る妙案が。

 

「…おいおいアニキ、あんたやっぱ本気でおれたちに死んで欲しいのか?“バスターコール”にはあのバケモノ連中、海軍本部中将が五人も乗ってやがんだぜ?おまけにアニキと同格の“七武海”まで便乗してるってんなら、命が幾らあっても足りねェぞ。……だからよォ、アニキ  

 

 そして男がその名を口にした瞬間、受話器越しの男が沈黙した。

 

 

  魚人街で燻ってるあのガキ共の連絡先を寄越せ」

 

 

 一瞬の間。

 魚人の男にとっては随分な時間に感じた張り詰めた緊張の静寂は、相手の長い溜息と共に霧散した。

 

『……あのバカ共…確か“新魚人海賊団”じゃったか?あんな子供の海賊ごっこを戦力にするつもりか?』

 

「!」

 

 興味がなさそうな相手の声色に、男はどす黒い期待に胸を膨らませる。

 

 知らないのだ、この元上司は。

 おそらく、人間への憎しみを捨てようと躍起になるあまり、かつての己を想起させる反人間思想を持つ同胞と接触することを自分から避けてしまっているのだろう。

 そのせいで彼は未だ辿り着けていないのだ。

 

 あの“王妃暗殺事件”の真相に。

 あの“新魚人海賊団”の価値に。

 

 男は流行る気持ちを抑え、不機嫌そうな悪態を吐き相手の非を責める。

 

「…ハッ、少なくともおれを死地に放り込もうとしてるあんたよりは役に立つさ」

 

 協力を強く求めているのは向こうの方である。あの仁義に命をかける男が東の海(こちら)の『魚人海賊団』の悪名をひとまず見逃すとまで言っているのだ。話の持って行き様によっては更なる譲歩を引き出せるだろう。

 

 十年近い海軍支部との癒着からも見て取れる彼の高い交渉術は、この場に渦巻く男の大きな野望的駆け引きを匂わせない。

 

『…わかった。確かに楽な頼みではない故、援軍があれば心強かろう。元々あやつらもお前さんが憎しみを植付けた不憫な子供たち。責任持って面倒見るのが筋っちゅうモンじゃ』

 

 その言葉に、男は己の口角が攻撃的に吊り上がるのを自覚する。

 

 思えば最後にあの少年たちと会ってから十年近くが経っている。

 人間との和解だの平和だの、まるで洗脳のように次世代の子供たちに価値観を押し付ける今の祖国に置かれて尚、憎しみを忘れなかった彼らの意思は十分にこちらの大きな力となるだろう。

 そして同時に、今の平和ボケした魚人島に内通者が出来るということは、男の『帝国』の覇道の大きな後押しとなる。

 

 もちろん、彼らが持っているであろう例の“アレ”も、得られる大きな戦力に含まれるが。

 

 

 そんな男の悪巧みに気付かない魚人島随一の人間贔屓は、意外にも、此度の“頼みごと”に義理人情以外の行動理由を用意していた。

 

『会議に出席しとったクロコダイルからの情報じゃが、作戦海域はあの処刑の地“ローグタウン”の外海を想定しとるらしい。話に聞いたお前さんの縄張りの近くじゃろうて、十分に魚人島(リュウグウ)との協定違反。何せ、“魚人コミュニティを巨大な戦力で威圧”しとるんじゃからな。お前さんらが()()()()()()()()()()()()()()()、政府に文句は言わせん。わしァ魚人の人権のために政府の犬になったんじゃからな』

 

 まるで人間のように屁理屈を捏ねながら重箱の隅を突く政治的駆け引きに、受話器を手にする男は瞠目する。

 そこには世界政府に対する強い不信と、旧世代の魚人らしい  この人物が捨て去ったはずの  人間への強い不満が見え隠れしていたのだから。

 

「シャハハハハ!随分“らしくねェ”こと考えるじゃねェか、アニキ!一体どこのどいつの入れ知恵だァ?」

 

『…お前さん、わしを聖人君子か何かと勘違いしとらんか?“仁義”っちゅうモンは、オヤジさんやエースさんのような、同じ仁義を知る相手に尽くして初めて“仁義”たりうる。……“仁義を知らぬ者へ仁義を尽くす者”など、天竜人の奴隷と変わりゃァせん』

 

 どこか冷めたようなその声色に、魚人の男は小さく口笛を吹く。

 

 やはり人はそう容易く変われない。

 かつて誰よりも人間を憎んでいたあの“アニキ”の後姿を知る彼は、この男の心の奥底に封じ込まれている(とうと)い憎悪の残滓を見つけたことに強い喜びを覚える。

 

 どれほど道を違えようと、受話器の先にいるあの人は、いつまでも彼ら“魚人街”のゴロツキ共の頼りになる親分であった。

 

『……秘めた怒りの矛先を向ける相手を見誤るな。政府が隠れて人魚(どうほう)たちの奴隷密売を繰り返しこちらの義理を踏み躙るなら、わしらも陰でそれなりの報いを与えて何が悪い。連中には、こちらがわざわざ大義名分を用意しとるだけありがたいと思ってもらおう  頼めるな?』

 

「はっ、誰にモノ頼んでやがんだアニキ!あんたの義理とやらに付き合う気はねェが、ここ最近の東の海(イーストブルー)の海軍共の増長は目に余るからな。同胞たちも暴れたくてうずうずしてたところだ。精々魚人街のガキ共と一緒に楽しんでやるぜ。なんせおれたちはアニキと違ってアイツらと同じ“子供”だからな、ククク…!」

 

『…かたじけない、アーロン』

 

 その返事で満足したのか、深い感謝の言葉を最後に電伝虫はガチャという音と共に沈黙した。

 

 

「……ふん、“舵を潰せ”か。仁義とやらが懸かっても腑抜けは治らねェようだな、ジンベエのアニキ…」

 

 使いのジンベエザメが去った後、ノコギリザメの魚人の男は共に黒い笑みを浮かべる同胞たちに囲まれながら、手元の水中通信機の周波を先ほどの元上司より受け取った数字に合わせ、通信を開始した。

 

 

 

「よぉ、久しぶりだな!…あれから九年だが、そろそろ例の“玩具”は確保出来たか  ホーディ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『ドレッドノート・サーベル号』

 

 

 

 木造船の最期は、時に女神ダフネの結末に例えられる。

 水面に漂う木材の墓場と化す乙女(ふね)の死が、愛の悪戯に耐え切れずその姿を物言わぬ樹へと変貌させた清流の女神の伝説を彷彿とさせるのだ。

 

 命果てて尚己の姿を洋上に止める彼女たちは、多くの海の男たちにかつての麗容を惜しむ涙を流させる。

 美しい人の姿を捨てた河神の娘のように、五つの海を支配した勇猛な女王たるガレオン船『ドレッドノート・サーベル号』は、東の海(イーストブルー)の蒼い波の上に静かに横たわった。

 

 

「船って意外と沈まないものね。前にウソップが一発で海軍の船爆発させてたから、このおっきなのもすぐダメになるかと思ってたわ」

 

「まあ木材そのものに浮力があるからな。でもルフィちゃん泳げないんだから足元に気を付けてくれ。あ、もちろん危ないときはおれが支えるけど、これ以上濡れて風邪でも引いたら大変だからな」

 

 揺れる巨艦の甲板で暢気に語り合う二人の男女は、先ほどこの海賊船の主を倒した新進気鋭の海賊団、『麦わらの一味』の女船長ルフィと新入り料理人サンジである。

 大切に守り続けてきた海上レストランを支配しようと襲い掛かった『クリーク海賊艦隊』を迎撃殲滅し、以後もその名に誓って庇護すると宣言した麗しき海賊少女に感銘…もとい魅了され、料理人の青年は彼女の軍門に下る決心を終えていた。

 

 配下のクルーとして船長を敬うべくルフィを不慮な事故から守ろうと気合を入れるサンジであったが、その実、ただずぶ濡れな女上司の素肌に合法的に触れたいだけであることは、当の彼女にその優れた見聞色の覇気で見抜かれている。

 当然、自分の上着を羽織らせ隠れてしまった濡れ着に透ける少女の純白の下着を惜しみ涙する心の煩悩と共に。

 

 服の下に隠し、普通は人に見せない女性のブラやショーツ。ただこちらが見られて恥ずかしくなるだけのそれらを覗くのに、何故この青年はこれほど情熱を注ぐことが出来るのだろう。

 あまりにも不埒な目的を、微塵の悪意も無く遂行しようとするこの女好きの若紳士が理解出来ないルフィは、未だ清廉潔白で無邪気な十七歳の乙女である。

 

 その場で理解出来なかったことは以後の別の機会まで忘れることにしている少女船長は、未練も残さず新入り仲間の価値観に思いを馳せることを放棄し、近付く四つの気配のほうへ目を向ける。

 そこに見えたのは一味の仲間の男女、航海士ナミと狙撃手ウソップを乗せた奇妙な小船であった。

 

「あ、みてみてサンジ。ナミたちがやっとこっち追い付いたみたい。  おぉ~い!ナミ~っ!ウソップ~っ!遅ぉ~い!もう全部終っちゃったわよぉ~っ!」

 

「ッはっ!んんナミすわぁぁ~んっ!!不肖サンジ!今日よりキミの愛の奴隷に永久就職しましたぁぁぁん!どうぞよろしく扱き使ってお願いしむぅわぁ~すっ!!」

 

 指差した水平線へ向かって突然奇妙なダンスを踊り始めた料理人に、ルフィはぎょっとし思わず距離を取る。そしてしばらくその変な動きを警戒し続けていると、ふとかつての記憶が想起された。

 

 なるほど、これが十年前のあの“夢”で何度も見たサンジの代名詞“恋の舞”とやらか。

 よく“夢”のナミやロビン相手に披露していた得意技を真横で見せられた少女は、面白そうにジロジロとその動きを観察する。

 

「へぇー器用な動きね。…こんな感じかしら?」

 

 そして真似したダンスを横の人物と同じように、遠方のナミへ捧げてみた。

 

「ナミ~っ!みてみてぇ~!船長と新たな仲間のデュエットよ~っ!ぐねぐねぐねぐ  っひゃっ!?ちょ、ちょっと!どこから砲弾投げてるのよ!そんなこと出来る筋力あるならさっさと“剃”をマスターしなさいっ!!」

 

「だまらっしゃい!今すぐその下品な動きを止めんかクソゴム!砲弾もういっちょぶん投げるわよ!?」

 

「あの、ナミくん…?キミ、おれの砲撃より遠くに投げてないかねそれ…?」

 

 急に水平線の近くから豪速で飛んで来た鉄の塊を反射的に避けたルフィの耳に、魚の頭部を象った小船から恐ろしい女航海士の怒張声が届く。

 その横でドン引きしているウソップの青い顔まで視認出来る少女の驚異的な五感は、覇気を組み合わせることで、実に半径十数キロの周囲のありとあらゆる現象を捉えることが出来ていた。

 

 そして、島一つの森羅万象を容易く暴く、そんなルフィの見聞色の覇気が  突如凄まじい速さで空から接近する強大な気配を探知した。

 

 

  え?」

 

 少女船長は何気ない動作で遠くの快晴へ目を向ける。

 

 ここは群雄割拠の戦国時代における、平和の象徴東の海(イーストブルー)

 

 最後に血肉滾る闘争を繰り広げた祖父ガープとの定期稽古から早四半年。

 “最弱の海”と揶揄される心地良いぬるま湯を存分に堪能していた未来の海賊王は、“夢”の記憶の情報と、四皇にすら遅れを取らない圧倒的な武力に裏打ちされた己の絶対王政を脅かす強者の気配の接近を、まるでまどろむ寝起きの虎のようにぼんやりと見続けていた。

 

「…ん、どうしたんだ?何かあったか、ルフィちゃん?」

 

「えっ、な、何これ…?何この凄い覇気  って、ダメっ!ナミっ!ウソップっ!二人とも来ちゃダメっ!!」

 

 唐突に現れた非現実を認めるのに少女船長が要した時間は僅か数秒ほど。この海や、“楽園(パラダイス)”であれば驚異的な反応速度であるが、こと彼女が覇を望む“新世界”においては  特に『万国(トットランド)』や『ワノ国』では  致命的なまでに遅い状況把握である。

 

 もしこれが四皇との戦いの最中であれば、今の隙に一体何人の仲間たちが命を落としたことだろう。

 現在の彼らの非力な覇気を感じながら、彼らを守ると誓った船長ルフィは己の不甲斐なさに唇に血を滲ませる。

 

「…ッ、サンジごめんなさいっ!ちょっとあの小船まであなたのこと投げるわね!」

 

「はい?え、ちょ、ルフィちゃん何言って  っでわあああァァァッッ!!?」

 

 即座に祖父を、否、万一に備えそれ以上の強者を想定した時代の寵児モンキー・D・ルフィは一瞬でギアを“4(フォース)”にまで上げ、近くの無防備な新入りサンジを掴み、遠くのナミたちの魚頭小船まで放り投げた。

 

 そして投げた料理人が無事ナミの膝枕で介抱されている姿を見届けた直後、轟音と共に  近くの甲板の残骸に五つの奇妙な凹みが発生した。

 

 

  チッ、あの痴れ者め…このわらわに触れるどころか三日も宙を彷徨わせるなど無礼千万!今度会ったら切り刻んでスクラップにしてくれる…!」

 

 

 必殺の“ゴムゴムの魔嬢銃(ジェーンピストル)”を構えるルフィの鼓膜を、木屑の粉塵の間から放たれた、玲瓏とした女性の不快気な声が震わせる。

 

 

 その凹みの中から現れたのは、少女ルフィの“夢”ではこの場に居る筈が無い  絶世の傾城であった。

 

 

 

「……して、そなたが最近調子に乗っている随分な下馬評の小娘か?海軍史上最悪の裏切り者とやら」

 

 

 

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