ルフィちゃん(♀)逆行冒険譚   作:ろぼと

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25話 王下七武海・Ⅰ

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ローグタウン海軍派出所

 

 

 

 始まりと終わりの地、ローグタウン。

 

 東の海(イーストブルー)南西の果てにあるこの港町に今、十を越す巨大な軍艦が所狭しと停泊していた。天にそびえる巨体の集団は裏町の路地裏からも見えるほど。鈍色に輝く船首の68ポンド三連装カノン砲は驚愕や高揚、恐怖など実に様々な非日常的感情を野次馬たちに駆り立てる。

 

 だがその威容に反し、周囲の誉れ高き海軍本部の海兵たちは皆苛立ちや落胆の文字を背負っていた。

 それもそのはず。海軍史上有数の大作戦を前にして、艦隊は思わぬ伏兵に出鼻を挫かれていたからだ。

 

 

   ふざけておるのか?」

 

「はぁ、こちらとしても不本意な事態だ。まさか海王類の縄張り争いに巻き込まれるとは…」

 

 そんな士気の低い海兵たちの中でも最も淀んだ空気を纏っている一人の将校が、二人の異様な男女を前に頭を抱えていた。艦隊長官に任命された海軍本部中将モモンガである。

 東の海(イーストブルー)を舞台とした一大作戦。作戦目標である例の17歳の少女と少なくない縁があるこの男は、此度の任務に軒並みならぬ思いで臨んでいた。

 その熱意に水を掛けられ苛立つ中将は、溜息交じりに目の前の巨漢と美女へ事情を説明する。

 

「ともかく、艦隊の被害は主力艦四隻小中破。残念ながらローグタウンの船廠で入渠出来る一等装甲艦は一隻のみだ。工作部の報告では損傷軽微な艦を仮設浮ドックや周囲の島々の民間造船所で修復させても再編成に最低一週間は掛かるとのこと。造船所の空きは今問い合わせてる最中だが、場合によっては今月中の作戦発令は無くなるだろう…」

 

 中将率いる主力艦十隻の大艦隊は作戦本部を設けたローグタウン派出所に向かう途中、突如現れた二体の超大型海王類とその配下と思しき海獣たちの群れに襲われ少なくない被害を負った。

 

 とはいえ全滅も視野に入るほどの災害を乗り切れたのも、このふてぶてしい佇まいの男女の力によるところが大きい。

 

「そなたたちの艦隊の話はどうでも良い。さっさとわらわに無傷な船を一隻寄越すのじゃ。道中でやられた遊蛇(ゆだ)たちの回復を待っておれば小娘に偉大なる航路(グランドライン)へ逃げられる」

 

「…四皇級の強者を相手にこんな貧弱な兵站では話にならん。十分な戦備が整うまでおれは先に別件を片付けに行く」

 

「なっ、待て貴様ら! 指揮権はこちらにあるのだ、再編成まで大人しくしていろ!」

 

 慌てて引き止めようと声を荒げるモモンガを鼻で笑うこの両者、世界政府と協定を結ぶ“王下七武海”と称される大海賊である。当作戦における主戦力である二人は、されど平然と任務を自己解釈し自分の都合の良い行動しか取らない傍迷惑な連中であった。

 

「ん? おお、あの補給を終えた船が良さそうじゃ。さっそくソニアたちに船を移らせよう。案内を寄越せ、中将」

 

「おいふざけるな! そんな勝手が許される訳なかろう!」

 

 本来であれば上官に該当する艦隊長官の指示を無視し、片割の美女が窓の外を指差す。白魚の如き彼女の指が示す先にあるのは、艦隊旗艦『オックス・ホーン号』。当然そのような暴挙を認めるモモンガではない。

 だが断固として首を縦に振らない海兵に対し、女は美しい所作で小首をかしげ不可解を表現した。

 

「“許される”? 何を申しておるのじゃ、そなたは。“許す”という行為はわらわの特権ぞ?    そなたがわらわにあの船を献上することを許す。案内はどこじゃ?」

 

「くっ、“海賊女帝”。噂に違わぬ身勝手さ…!」

 

 傍若無人な女の態度にモモンガは舌打ちを返す。

 

 

 王下七武海「“海賊女帝”ボア・ハンコック」。

 

 当代随一の佳人として名高い絶世の美女だ。見つめる眼差しは老若男女全ての心を奪い、その意に沿わぬ者は石と化すという。最高の麗容に後押しされた彼女の悪魔の実メロメロの実の能力は、幾万もの大軍を一瞬で物言わぬ石像へと変える常軌を逸した殲滅力を秘めている。

 “女帝”の名の通り、男人禁制の女ヶ島アマゾン・リリーを治める皇帝で、国最強の戦士たちを率いた『九蛇海賊団』は凪の海(カームベルト)に紛れ込んだ海賊たちを狩り、その利益で国を富ませていた。

 

 

   “海賊女帝”、何故それほど生き急ぐ。“麦わら”は協力せずして倒せる相手ではない。お前一人が突出しても無様に散るだけだ」

 

「……このわらわが、小娘相手に、()()なるじゃと? 今一度申してみせよ、下郎…!」

 

 そんな高慢な“女帝”へ無遠慮な言葉を投げ掛けるのは、同じく王下七武海の一席「“暴君”バーソロミュー・くま」。

 南の海(サウスブルー)ソルベ王国の元国王であり、かつてはその異名の通り暴虐の限りを尽くしたとされる人物だが、世界政府への貢献という一点においては海賊とは思えないほどに従順かつ有能であった。

 もっとも、あくまで海賊の枠組みにおいて、ではあるが。

 

「…その年でもう耳が遠くなったか? おれに面倒な七武海“新規”任命の手間を負わせるなと言っている」

 

  ッッ! 貴様もわらわを愚弄するか? よかろう乗ってやるぞ、その挑発…!」

 

「だから大人しくしてろと言っとろうが、こんのクズ共がァッ!」

 

 隙あらば相手の神経を逆撫でし反応を楽しむ性悪集団。絶対的な武力と、それに裏打ちされたふてぶてしいまでのプライドは彼ら彼女ら大海賊の代名詞だ。

 

 そんな傲慢な連中の中でも特にその傾向が強い美女“海賊女帝”が、射殺さんばかりの眼つきで海軍高官を睨み付ける。

 

「クズとは何じゃ中将、不敬であろう! 直ちにあの船を寄越さねば……今この場で石にしてくれるっ!」

 

「! 貴様、艦隊長官を脅す気か!?」

 

「そうか断るか。…なら死ね   

 

 文化的に男を弱者と見下す女ヶ島の皇帝は、当然のようにこの場の書面上の最高権力者である艦隊長官モモンガを処刑すべくその力を発動する。彼のように能力の効きが悪い強者であろうと、直接触れば一瞬で終るほどの恐ろしい力だ。

 

 だが、“女帝”の繊麗な真玉の手は、別の人物の左腕に遮られた。

 

 

  待て、ハンコック」

 

 その華奢な手首を掴んだのは隣の巨漢。“暴君”の異名を持つバーソロミュー・くまだ。

 女の悪魔の実の能力に侵され少しずつ石へと変貌していく自身の手を放置し、男はもう片方の手の皮手袋を口で脱ぎ捨てた。

 

「…何じゃ貴様。薄汚い男の分際で誰の許しを得て我が名を呼ぶ、我が玉体に触れる! そなたも石になるか、痴れ者めっ!」

 

「逸るお前に船より上等な手段を紹介してやるだけだ。少しじっとしていろ」

 

 殺気をモモンガからこちらへ向け直す“女帝”の白磁の柔肌に、巨漢の手が迫る。

 

 

「ッ! 何をす  

 

 

 その瞬間、ぱっ…という気の抜けるような音と共に、女の姿が掻き消えた。“海賊女帝”に負けず劣らぬ、“暴君くま”の恐るべき悪魔の実の能力である。

 

「く、くま!? 貴様まさか…っ!」

 

 すると一部始終を唖然とした表情で見つめていたモモンガ中将が我に返り慌てて騒ぎ立てた。

 

「本人の希望だ」

 

「ふざっ、ふざけるなっ! 今すぐ連れ戻せ! あのガープ中将すら舌を巻くほどに成長したルフィだぞ!? 幼い頃ならともかく今のあの子にいくら七武海とはいえ単独で勝てる訳なかろう!!」

 

「それもまた本人の希望だ」

 

「貴様の挑発のせいではないかっ!!」

 

 その言葉に平然と返ってきたのは、俄に信じられない情報であった。

 

「身に覚えが無い。それに挑発と言うのなら政府上層部を責めろ。あの連中は“海賊女帝”を動かすために先日の会議でヤツの地位剥奪を仄めかした」

 

「…ッ! 五老星がだと?」

 

「この作戦には監視役のおれを除き、七武海の中でも政府への貢献度が特に低い者が従事している。不参加は地位剥奪の口実として十分だ」

 

 王下七武海の主な活動は海賊退治とその成果の一部上納、そして有事の際の政府側への協力である。この前者における貢献が最も著しい者が「サー・クロコダイル」と「ゲッコー・モリア」、後者に「“暴君”バーソロミュー・くま」が当てはまる。

 また政治的判断により、「海侠のジンベエ」が魚人島との、「“天夜叉”ドンキホーテ・ドフラミンゴ」がその特別な血統および新世界ドレスローザ王国との、そして「“海賊女帝”ボア・ハンコック」が凪の帯(カームベルト)女ヶ島アマゾン・リリーとの、それぞれ同盟の象徴として世界政府よりその地位を与えられている。

 そして、その何れにおける貢献が最も少ない男でありながら、その圧倒的な知名度による抑止力として長年勤めを果たしてきた、世界最強の大剣豪「“鷹の目”ジュラキュール・ミホーク」。

 

 このようにそれぞれ相応な武力並びに政治的評価の上で王下七武海の座に迎えられているが、政府側の彼らに対する評価は実に現金かつ合理的であった。

 

「斬れ過ぎる上、勝手に手から滑り落ちる刃を好む者はいない。ましてや上納金を改竄する者、財宝ごと海賊船を真っ二つにする者など、政府からしてみれば鼻持ちならぬ同盟相手だ。()()()()()()()()()()()が現れれば、用済みと判断されてもおかしくはない」

 

「せ、政府がルフィと引き換えにあの女を見限ったと言うのか…!?」

 

「まさか。上がその可能性を“海賊女帝”へ挑発的に仄めかしただけだ。十年にも亘る計画を反故にされた政府が裏切り者を権力中枢に迎え入れるはずが無い」

 

 モモンガは唇を噛みながら「だろうな」と肩を下ろす。その口惜しげな姿をじっと見つめる巨漢であったが、詳しく追及することはせず、ただ淡々と“女帝”の参戦経緯に関する持論を披露した。

 

「あの女は愚かだが、その部下には多少道理がわかる者がいるらしい。恐らく先々代皇帝グロリオーサあたりが事態を重く受け止め、何とか“女帝”へ作戦に参加するよう説得したのだろう」

 

「…政府も最早形振り構わなくなったか。ムキになった“女帝”が短絡的な行動に出ることなど予想が付くだろうに…   い、いや! ならば尚更連れ戻さなくてはならん! ヤツが七武海のまま死ねば世界の均衡が乱れるのだぞ!?」

 

 しばらく眉間を押さえていた長官であったが、はたと現状の大問題を思い出し慌てて事の下手人へ食い掛かる。

 だが“暴君”が自身の身勝手な判断を改めることはなかった。

 

「…“麦わら”が生き残れば“海賊女帝”の死どころではない大混乱になる。失敗の許されないこの討伐作戦において、協調性がない者は威力偵察にでも使い倒せばいい」

 

「貴様…! 四皇級の強者相手に戦力逐次投入の愚策を犯せというのか!?」

 

「元よりあの身勝手な女は戦力と見做していない。そんなことよりおれは別件で忙しい。極秘任務について知りたいのなら本部に問い合わせろ」

 

「なっ、おい! 待っ   

 

 

 必死の制止も虚しく、巨漢の姿が“女帝”同様に掻き消える。

 

 一人残された『バスターコール○二一一艦隊』長官モモンガ海軍本部中将は、虚しく空を切った己の両手で固い拳を握り、割れた窓から決して届かぬ怨嗟の咆哮を憎き男へ叩き付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『ドレッドノート・サーベル号』

 

 

 

 潮に濡れた粉塵が泥のように跳ねる、死したガレオン船の甲板。乾燥したチーク材の浮力で最後の勇姿を見せる巨船の遺体の上で、二人の女が対峙していた。落ち武者たちの怨念蔓延るこの洋上の墓場にあまりにも不釣合いな、蒼空に座すべき天女の如き美女たちである。

 

 だが、その周囲に満ちるのは圧倒的な覇者の威光と、火山の火口にも迫る高熱の蒸気。短い沈黙の後、片割の  強烈な蒸気をその身に纏った  些か未熟さが残る幼げな美貌の少女が呆けたように相手の名を呼んだ。

 

   ハン…コック?」

 

 澄んだ鈴音の声に眉を寄せたのは、少女に対峙する女性。頭頂から足の爪先、髪の毛先に至る全てが天上の神々によって生み出された人形のような、至高の言葉に相応しい美姫である。

 

「…ふん、わらわの威圧を受け顔色一つ変えぬか。噂に違わぬ実力者よ、モンキー・D・ルフィ」

 

 美姫  王下七武海「“海賊女帝”ボア・ハンコック」は忌々しげに目の前の少女を観察する。

 

 妙な容姿の小娘であった。

 この絶世の美女と名高い自分に迫る美しさの、細身ながら妖艶な肢体には同性の己も思わず目を見張るほど。だがその相貌は童女の如く幼げで、年頃の娘とは思えないほどにあどけない。

 それはまるで二人異なる年齢の女を無理やり一人に接合したかのように不釣合いで  もし自分を当代随一の作曲家による最高傑作とするならば、少女は幾人もの天才たちが各々好き勝手に自身の最高傑作を強引に繋ぎ合わせたメドレーのような  実に非現実的で不調和な美であった。

 ゴム人間らしい異常なほど滑らかで無機質な肌も、精巧な夜空の星雲を描いた白磁器のような宝飾的な双眸も、そのアンバランスでちぐはぐな造形を際立たせる。

 

 だが、そんな容姿の印象を霞ませる特徴が一つ。

 

 

(何と、何と言う覇気じゃ…)

 

 女は思わず唾を呑む。今まで出会った名だたる海軍や海賊の強者たちの中でも、纏う気配の密度が桁違い。見聞色の覇気が訴えるその力はまさに人の身を超えた怪物のそれ。見通せる実力の底は深海の海溝のようで、暴こうと潜れば力の水圧で押し潰されるほどに果てしなく、深い。

 

 特筆すべきはその両手先に圧縮された武装色の覇気の結晶。振るった軌跡がそのまま金剛石をも海岸の砂山のように抉るであろう途轍もない強度の武装硬化は、まるで他者の覇気を拒むように凶猛な黒雷を弾けさせている。

 その一部がまるで蜂の二対の翅のように背中から放電される様は、灼熱の蒸気に覆われる少女の化物じみた姿も合わさり、動物(ゾオン)系幻獣種の獣人形態宛らの人外異様であった。

 

(これほどの力、女ヶ島の者では無いのか? 英雄ガープの孫娘より、国を捨てた歴代女帝の落胤と言われたほうがまだ納得がいく)

 

 まじまじと、それでいて決して相手にその内心を悟らせない尊大な態度で、女は不気味な赤光を帯びる武装硬化に覆われた小娘を睥睨する。

 だがそれが所詮虚勢であることは、他ならぬ彼女自身が誰よりもよく理解していた。

 

 女ヶ島の女尊男卑の価値観を重んじるアマゾン・リリー皇帝だからこそ素直に認めることが出来る、少女の強者としての格に、天地万人に名高い“海賊女帝”はただ只管に圧倒されていた。

 

 

「私の名前……ハンコック、あなた私のこと知ってるの…?」

 

 そんな困惑げな小娘の声が彼女の意識を浮世へ戻す。

 

「私、“あなた”とは初めて会うハズなんだけど……え、初めてよね? だってあなた凄い睨んで来るし…」

 

 揺れる瞳でこちらを窺う美しい少女が武装硬化や黒雷を解除する。ハンコックは相手の纏う覇気が一気に緩むのを感知した。

 好機だ。

 

「知らぬ。そして知る必要もない!   虜の投槍(スレイブジャベリン)”!!」

 

「ッきゃ! ちょ、ちょっと…っ!」

 

 当初のような慢心は最早無い。己に害なす強敵と判断したハンコックは、小娘の隙を好機と捉え一撃必殺の石化投槍を放った。

 

 豪速で飛翔する桃色の大槍がそのはち切れるほどに大きな胸元へ迫り、そして寸前の所で空を切る。代わりに穿ったのは背後の船首楼。瞬く間に石灰質の薄灰色へ変色した『ドレッドノート・サーベル号』の遺体が自重の増加に大きく揺れた。

 これが“海賊女帝”の悪魔の実の力。彼女の魅力に酔う無礼な有象無象を石へと変貌させる、メロメロの実の能力である。優れた使い手であるハンコックは研鑽を重ね、一部を除くほぼ全ての攻撃に制限なしの石化効果を付与出来る領域にまで至っていた。それはすなわち、自身の魅力に動かされない硬い意思の持ち主や、草木植物、果てには銃弾や建造物などの無機物すら“女帝”の力に平伏すということ。

 

「ちっ、素早しっこいガキが…」

 

「まっ、待って待ってハンコック! 私は敵じゃないわよっ!」

 

 とはいえ、攻撃が当たらなくてはその頼もしい能力も意味を成さない。蒸気の放出を解いた敵の少女が甲板を転がるように逃げる姿に舌打ちを吐き、ハンコックは同様の攻撃を両手に宿らせ、続く二連撃を投擲する。

 進路を遮るように放った双槍は床一面を冷たい石に変えるも、目当ての小娘はその玉のような柔肌に掠り傷一つ負っていない。先ほど帯びていた高熱に晒され乾いた衣類に汗一つ滲ませない余裕が垣間見える。

 まるでこちらの攻撃を見通しているかのような巧妙な回避術に女は目を見開いた。

 

 それは紛れも無い“見聞色の覇気”。それも、女ヶ島において誰一人として避けることの出来なかったこの自分の一撃を容易く回避出来るほどに磨き上げられた、美しい覇気であった。

 

(実に見事…やはり女こそが最強なのじゃ)

 

 だが、気に食わぬ。

 か弱げな四肢でバネのように跳ね上がり体勢を整える給仕服の女の子。華奢ながらも瑞々しい肉感を弾ませ、事無げに攻撃を避ける小娘の姿にハンコックは更なる皺を眉間に寄せる。

 

「出過ぎた杭は十分にわらわの敵じゃ! 大人しく石になるがよい、小娘!」

 

 少女の実力は既に把握、否、把握出来ないほどに高いと悟っている。ならばこそ、この小娘に思い知らせてやらねばなるまい。女ヶ島の“九蛇”の戦士たちこそが女の頂点なのだと。

 その辺の凡俗に遅れを取るなど、アマゾン・リリー皇帝の名が廃るというもの。

 

 横暴な女帝の追撃から逃れようと、慌てる小娘の可憐な後姿が空を駆ける。だが遮蔽物の無い空中にいる敵など容易い的だ。

 

「“虜の矢(スレイブアロー)”!!」

 

「きゃあああっ!!」

 

 それはハートの弾幕であった。機関銃すら凌駕する無数の矢が風を切り裂き無防備な少女へ殺到する。射抜くもの全てを物言わぬ石像へと変える即死の嵐。

 

「ッ! こういう攻撃ずっと前のくま相手以来だけど……もうあのときとは違うのよっ!    “ギア2(セカンド)”!!」

 

 しかし、石化の矢雨は届かない。

 突如あの強い熱気を蒸気と共に放出し始めたゴム娘が、稲妻の軌跡を描きながら弾幕の隙間を縫うように宙を舞った。超人的体術『六式』と見聞色の覇気を併用した高等立体移動術だ。六式に明るくないハンコックはその技名までは知らないものの、海軍の連中がたまに使う体術を発展させたものだろうと当たりを付け、弾幕の密度を倍増させ対応する。

 

 この程度は想定済み。そして既に本命の攻撃の“仕掛け”は終えた。

 あとは小娘の注意をこちらに引き付けておけば、見聞色の覇気を周囲に割く余裕を削れ、磐石となる。

 

「避ける隙間も与えぬ!   虜の弓兵隊(スレイブサギタリウス)”」

 

「ひゃっ、増えちゃった! ならこれならどうかしら?    “ゴムゴムの軟変体(アメーバ)”!!」

 

「!?」

 

 だが、その気合を込めた石化の矢が命中する瞬間、攻撃が少女の体をすり抜けた。

 見間違いではない。ゴム娘の脇腹や即頭部がまるで粘体のように変形し矢が貫通したのだ。悪魔の実の基本的な理を完全に無視したその現象に、ハンコックは驚愕する。

 

「な、貴様ゴムの超人系(パラミシア)のクセに自然系(ロギア)の真似事が出来るのか!?」

 

「ふふん、“夢”でカタクリがやってた先読み変形よっ! 見聞色の覇気に“紙絵”と“生命帰還”を一緒に使えば私のゴムゴムの実でもあの人のモチモチの実の真似が出来るんだからっ! 流石に体に穴開けるのは無理だけど!」

 

 かつて祖父ガープの紹介で海軍の教官より考案された、生命帰還の併用で行使する“紙絵”の上級奥義、“軟泥(スライム)”。伸縮及び弾性に富むゴムの肉体は工夫次第で実に無数の応用が可能であった。

 

「くっ、猪口才な…っ! じゃが   

 

 勝ち誇った笑みを浮かべながら、ハンコックは天を指差す。

 

 小娘の技は確かに効果的である。驚異的な見聞色の覇気を駆使し、それに合わせ自在に体を変形させる超反応を持つからこそ、このゴム人間は超人系(パラミシア)の能力の枠を超えた身体運用術を確立出来ていた。

 

 だが、それはいわば強引に理を捻じ曲げているのと同義。当然、処理しなければならない情報も、張り巡らせなくてはならない意識も桁外れ。ただでさえ人知を超えた精神力を要する覇気と生命帰還。更には無数の即石化の矢が襲い掛かる状況に晒され、掛かる心理的負荷は到底一人の人間に負えるものではない。

 

 果たして小娘はそのような状態で、空から迫る脅威に気付くことが出来るだろうか。

 

 答えはその幼げな顔に描いてあった。

 

 

「これならどうじゃ、小娘?」

 

「えっ   はああぁっ!?」

 

 

 そしてハンコックが指差した先を見上げた少女へ   石化した天が墜ちて来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『サバガシラ1号』

 

 

 

 海上レストラン『バラティエ』から数キロの遠洋。そこに漂う小舟の乗員たちは、生まれて初めて感じる物理的な意思のぶつかり合いに、ただひたすら足を竦ませることしか出来なかった。

 

 

「ちょっとサンジくん!何が起きてるの!?」 

 

 沈み行く『クリーク海賊艦隊』旗艦のガレオン船を望む奇妙な小舟『サバガシラ1号』。海上レストランの臨時ウェイトレスにして『麦わら海賊団』の船長である少女ルフィを援護すべく出動したこの魚頭の小型砲艇では今、戦闘どころではない大騒ぎが起きていた。

 

 大爆発と共に巨艦が真っ二つに裂けてしばらく。突然、船長に連れて行かれた新たな仲間の青年料理人サンジがこちらに飛んできたかと思えば、直後入れ替わるようにガレオン船の甲板に何者かが墜落し、そのままルフィと戦闘を始めたのである。

 訳がわからぬ航海士ナミが声を荒げるのも無理はない。

 

 だが美しき海の乙女に名を呼ばれた愛の奴隷騎士が彼女に返せる答えは、否の一文字のみ。

 

「ッ、悪いナミさん…! 突然ルフィちゃんが慌てだして、事情を聞こうと思ったときは既に放り投げられてたんだ…!」

 

「ったく、あの子はいつも勝手ばっかり…!」

 

 苛立つナミは隣の狙撃手ウソップと共に口惜しげに遠方のガレオン船の残骸を見やる。

 

 それもそのはず。鮮やかな桃色の光を放つ大槍を握る薄着の女らしき人影と、突き出される攻撃から転がるように逃げる一味の少女船長。その姿を辛うじて捉える彼ら彼女ら仲間たちの目には、俄かに信じ難いものが映っていたのだから。

 

「な、なあ…ルフィがあんな追い詰められてんのって初めてじゃねェか…? クロんときの無双っぷり見てたらアイツが苦戦するとこなんて想像も出来ねェんだけど。一体あそこで何が起きてんだ…?」

 

「私だってわかんないわよ…っ! まさかあのルフィとまともに戦えるヤツがいるなんて…」

 

 未だ長い付き合いと言えるほどの関係ではないが、両者共にあのおバカで強大な船長に惹かれて『麦わら海賊団』に加入した身であり、麦わら少女のずば抜けた戦闘力に絶対的な信頼を寄せていた。ルフィならどんな相手でも鼻歌交じりに瞬殺し一味の皆を守ってくれる、と。

 

 だが、今彼らの前にはその絶対的な信頼を裏切る恐ろしい光景が広がっていた。

 

 

   ッ!お、おい今の…!」

 

 そのとき、『サバガシラ1号』に乗る一同は、傾いた巨艦の甲板に敵が放った桃色の大槍が刺さる瞬間を目にした。するとその直後、瞬きする間に船の残骸から色が失せ、モノトーンと化した船尾楼が一瞬で水底へと沈んだのである。

 まるで石像のように一切の抵抗なく海へと消えたガレオン船の後部に、目撃したウソップが驚愕の声を上げた。

 

「うっ、嘘だろ…!? あの石になる力は有名な”七武海”の…!」

 

「“七武海”ですって!? じゃ、じゃあまさかあそこでルフィと戦ってるヤツってゼフさんが言ってたあの…!」

 

 機関銃のような光の矢を放ち、瞬く間に巨艦の残骸を石に変え粉砕する若い女。そのような常軌を逸した芸当が可能な人物はこの世に二人といない。

 

 自他共に認める海賊オタクのウソップと、大先輩の老海賊料理人が唱えた一つの仮説。以前目にした『ドレッドノート・サーベル号』の惨状から想定される最悪の展開が現実となったことに、海賊たちの顔から血の気が引く。

 

「そんな…っ! “王下七武海”が仕留め損なったクリークたちをわざわざ追いかけて来たって言うの…?」

 

「どういうことだ、ナミさん! その“王下七武海”ってのは一体…?」

 

 恩師ゼフ以外の海賊との縁が少ないサンジは、初めて耳にするその仰々しい呼び名に不安を隠せない。

 

 だが詳細な情報を求めた相手が述べた名は、青年が密かに憧れていた、とある大海賊を指す蠱惑的な称号であった。

 

「むしろお前が知ってなきゃダメなくらいだろ! あの敵はクリークの五倍近い、初頭懸賞金額8000万ベリーの化物中の化物だ! 魅了したヤツを全て石にする“メロメロの実”の能力者で、そして   “世界一の美女”って言われてる女海賊!その名も『“海賊女帝”ボア・ハンコック』!」

 

「!!?」

 

 

 “海賊女帝”ボア・ハンコック。

 

 おそらく、この世で彼女の名と逸話を知らぬ男はいないであろう。魚人島の”人魚姫”と共に語り草にされる、写真であっても死ぬまでに誰もが一度は目にしたいと願う、究極の美女。当然、青年も耳にしたことのある名であった。

 まだ見えぬ、決して抗えない至高の婀娜を想像するだけで虜になってしまいそう。

 

 だがその天上の華を一目見ようと遠く首を伸ばす不埒者も流石に事態の深刻性を理解し、船長ルフィに託された非力な仲間たちを守ろうと背に庇う。

 

「ナミさん、おれの後ろに…!」

 

「ヤ…ヤベェ、どうすんだナミ! あんなの天災みてェなモンじゃねェか…! 戦うどころか巻き込まれただけで死んじまう!」

 

「嘘、嘘嘘冗談じゃないわよ! 大海賊なら大海賊らしく偉大なる航路(グランドライン)に引っ込んでなさいよ…っ!」

 

 次々に石化の弾幕を繰り出す神話の怪物に慌てふためく『麦わら海賊団』。これほどの距離からでさえ感じることが出来る圧倒的な死の気配に、ウソップは恐慌から身近な人物に縋り付く。

 

 そんな箱入り少年の腕の中で震えるナミは、その特異な生い立ちから目の前の強敵の実力をより具体的に認識していた。

 

(王下七武海って言ったら、あのアーロンさえも配下にしちゃう“海侠のジンベエ”と同格の化物じゃない…っ!)

 

 戦えるわけがない。

 

 ナミは干乾びた喉で空気を嚥下する。脳裏に浮かぶのは、幾人もの勇者たちが挑んでは散っていった、故郷を虐げる魚人族の姿。人間の十倍もの筋力を持ち海中を支配する半魚の亜人共は、その異形の口が唱えるとおりの“万物の霊長”に相応しい絶対強者だ。

 少なくとも、連中に心折られたナミにとっては常にそうであった。

 

 だが、今彼女の目の前で一味の少女船長ルフィと戦っている敵は、その最強の種族たる魚人族の頂点の親玉までもが名を連ねる世界政府公認の大海賊。土俵が、位階が、格が違う。自分たち有象無象とは文字通り生きる世界が異なる、伝説に語り継がれるべき超越者。

 そんな想像すら出来ない力を持つ、この世の頂点の一人こそが、眼前の名高き王下七武海ボア・ハンコックなのだ。

 

 

 逃げなくては。

 

 天を貫く大樹のマストが女の蹴りの一つで棒切れのように水平線へと吹き飛んでいく恐るべき光景に、海賊たちの体を原始的な恐怖による自己防衛命令が走る。

 故に、彼ら彼女らが取ろうとした行動は単純で、誰もが真っ先に考え納得するものであった。

 

 だが逃走を図るナミたちを嘲笑うかのように、王下七武海は一同に強者の理不尽を見せつける。

 

 

   えっ?」

 

 最初にその異変に気付いたのは航海士のナミであった。

 肌で天候変化の予兆を読み取れる超人的才覚を持つ彼女は、周囲に漂う気圧と湿度が急激に下がったことを感知する。

 その直後、突然暗転した視界に困惑する仲間たちに先駆け、ナミは自身の直感に従い空を見上げた。

 

「……は?」

 

 女航海士の呆けた声に釣られ、男衆の首が天へ向けられる。

 そして彼女と変わらぬ顔で顎を垂らした。

 

「……なんだあれ? なんでこんな海のど真ん中に、石の天井があるんだ…?」

 

「…幻でも見てんのか?」

 

 その言葉が真実であればどれほど救われるだろう。

 

 一同の頭上には、遠方のクリークの海賊船はおろか自分たちの立つ『サバガシラ1号』までもを覆い隠すほどの、見るもの全てを圧倒する巨岩が浮かんでいた。

 否、それは岩などという小規模なものではない。頂上が見えぬほどに高くそびえる、天に漂う空飛ぶ島であった。

 

 唐突に奪われた曇天の空に海賊たちは唖然とする。

 

「…嘘。この気圧、湿気の感じ……もしかして上の積乱雲が消えた…? あ、ありえない! 一体何が起きたらあんな低気圧の塊が一瞬で消滅すんのよ!? それにあのでっかいのって   まっ、まさか…!!」

 

 だが天候を知り尽くす橙髪の少女にはわかるのだ。突然現れた宙の巨体に遮られ生まれる気流の異常な動きが。大気から多量の湿気が消えたことが。

 

 そして、何か巨大なものが高速で移動する不気味な風切音が…

 

「…おい。なんかあれ、落ちて来てねェか?」

 

『……』

 

 その震え声に返事を返す者はいない。皆が頭上の異常に目を奪われたまま、ただ茫然自失とし続ける。

 

 そして幾度の瞬きの後、彼ら彼女らの情けなくポカンと開いた口から出てきたのは   お手本のような絶叫の大合唱であった。

 

 

『うっ  うわああァァッ!!?』

 

 

 目の前に広がる信じがたい光景は、宛らこの世の終わりの一頁。まるで天の裁きの如く、絶望的なまでの大質量が眼下の全てを滅ぼさんと東の海(イーストブルー)の大海原へ墜ち迫る。

 

 そして遠方のガレオン船の傾斜するマストを木端微塵に圧し折りながら、終末の隕石は『麦わら海賊団』の三人を乗せた魚頭の小舟を圧し潰した   

 

 

    かに見えた。

 

 

 

 

 

 

  ちょっとハンコック! いくら”ルフィ”の友達でも、私の仲間たちを巻き込むなら許さないわよっ!!」

 

 

 死を覚悟し、ナミたちの理性が己の命を諦めようとした瞬間。

 

 突然の強烈な衝撃と浮遊感の後に一同の鼓膜を震わせたのは   皆の偉大な船長の、愛らしい涼音の幼声であった。

 

 

 

 


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