ルフィちゃん(♀)逆行冒険譚   作:ろぼと

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27話 王下七武海・Ⅲ

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所シェルズタウン近海

 

 

 

『ふふっ、ふふふっ。ゾ~ロ~、ゾロゾロゾロ~っ、ゾ~ロが仲間にな~あった~っ♪ にししっ、夢みたぁーい』

 

『ッ、てめ、いい加減離れろっ! 女が気安く男にベタベタくっつくな!』

 

 

 時を遡ること一月と僅か。

 

 『麦わら海賊団』の結成間もないかつての海賊船、バギー海賊一味に作らせた双胴船『リトルトップ号』ですらない、名もなき小さな漁船の甲板での一幕である。

 

 密かに胸を高鳴らせる未来の大剣豪ゾロが新たな船出を終えて半刻ほど。日課の鍛錬前の精神統一に組んだ座禅の股座に、悩ましい女性的な柔らかさを船長命令で無理やり迎えさせられていた新人海賊は、その小ぶりな臀部の持ち主の楽しげに揺れる黒髪の旋毛に持てる限りの怒声を浴びせていた。

 

『むーっ、なによ! 私あなたが仲間になってくれるのずぅーっと楽しみにしてたんだもん! こうしてゾロのお膝に座ってないと夢から覚めちゃうかもしれないじゃないっ!』

 

 そう言い返すのは剣士の胸板に自身の華奢な背中を預ける、見目麗しい日焼け娘。自慢の麦わら帽子をその破裂しそうなまでに大きな胸に抱く体育座りの少女が、風船のようにゴムの頬を膨らませる。

 それでも、拗ねる態度の中にさえ溢れる新たな仲間のゾロに向けられた大きな好意は、青年の仏頂面に強い朱を差すほどに直線的な愛情であった。

 

『知るかっ! つかこのおれが女の下に付いたってのに夢の一言で片づけるな!』

 

『しょうがないじゃない、女の子に産まれちゃったんだから。後から「やっぱり男の子が良かった」なんて言っても性別は変わらないわよ。バカなゾロー』

 

『誰がバカだ、このバカ!』

 

 最強を目指す己が手も足も出ないと認めたこの強者に教えを乞う対価に、彼女率いる構成員彼女一名の自称『麦わら海賊団』に加わったゾロであったが、男は早くも半刻前の自分の選択を強く後悔し始めていた。

 とはいえ、一度下した決断を取り下げる男など男にあらずと己を律する誇り高い剣士に、そしてなにより、先のコビー少年との別れに見せた彼女の寂しげな表情に不覚にも心揺れてしまった青年に、少女を泣かせるであろう「船を降りる」という選択肢は最早取れない。

 

 順調に『麦わら海賊団』の一員として染まりつつある、未だ新入りのゾロであった。

 

『クソッ…おい! いいか、よく聞けよ。おれは強くなるために、海賊王という途轍もない夢を目指すお前の船に乗ったんだ。お前と、女と馴れ合うつもりで乗ったんじゃねェ。てめェの器に疑問を覚えたらすぐにその首切り落としてやるからな!』

 

 だが譲れないものは譲れない。上司への僅かな遠慮も捨て去り、ゾロは強い言葉で拒絶の意を示す。

 その本気の意思を感じたのだろう。萎れた少女がしぶしぶと、後ろ髪を引かれているような渋面で腰を浮かせ、ようやく青年の股座から降りた。そのままぺたんっとお尻を彼の真正面の甲板に下ろし「心が寒い」と自分の体を抱きながら不満げな視線を送ってくるが、ゾロは努めて無視を決め込む。目の前に飛び込んでくる、薄着娘の両腕に圧迫された胸部の大渓谷など見てはいない。

 

『ふ、ふんっ! 私は器の大きい船長だもん。仲間に拒絶されても、が…我慢出来るもん』

 

『おう、そうしろ。おれに寝首を搔かれたくなかったらな』

 

『むっ、今のあなたに斬られるほど私は弱くないわ。全力の私を殺せる人なんて、この世に五人くらいしかいないんだからっ。ふふん、未来の海賊王は伊達じゃないのよ!』

 

 態度を一切軟化させてくれない初めての仲間に半べそを掻きながらも、落ち込む自分を何とか奮い立たせる少女船長ルフィ。自慢気に張るはだけた赤いブラウスの胸元の視線を吸い込む双峰の躍動は、幸か不幸かゾロの目には入らない。最早見慣れつつあるその現象より遥かに衝撃的な発言が目の前の魔性の果実の持ち主から語られたのだから。

 

    この女の上に、更に五人の強者。

 

 揺れる内心を隠すため、ゾロは胡散臭そうな顔の仮面を被ることにした。

 

『…ケッ、随分な自信だな』

 

『あーっ、信じてないわねあなたっ! …まあゾロはまだ弱いものね。でも大丈夫、安心して。もう少し強くなったら、あなたもこの強くてステキなルフィちゃんの偉大さがわかってくるわ!』

 

 自信満々の笑顔にからかうような色を浮かべる少女上司に、剣士はピクリと瞼を震わせる。つい先ほどシェルズタウンの海軍基地で「土俵に上がることなく負ける」という信じ難い敗北を味わった彼にとって、“弱い”とはまさに禁句の二文字であった。

 

『…ほう? ならその高名な未来の海賊王サマですら「勝てない」と言わせるほどの五人の強者ってのは、一体どこのどいつだ? ここまでおれが弱い弱いとバカにされちまったら、ぜひ参考までに聞いてやりたくなるぜ』

 

 口にした瞬間、ゾロは大いに後悔した。

 剣束を握ることなく格の違いを悟ってしまうほどの絶対強者、ルフィ。それほどの人物が、その子供っぽい負けず嫌いな性格を以てしても勝敗を不安視する化物中の化物がこの世には何人もいるのだと言う。

 

 井の中の蛙大海を知らず。

 今のゾロの嘘偽りない心境を、他ならぬ勝者ルフィに知られた剣士の羞恥は臍を噛む痛みでも掻き消せない。

 

『むっ、何よ。「勝てない」なんて言ってないわっ! 死ぬ気で全力全開で、守る仲間たちの必死の応援を受けた超スーパーな私なら絶対勝つわよ! 勝てるけど……』

 

 だがムキになる彼女にとっては青年の失言より、仲間から強敵に劣ると言われたことのほうが重要であったらしい。咄嗟にその愛らしい女声を荒げるが、続く言葉は竜頭蛇尾。どこまでも正直な彼女が僅かな沈黙の後に語ったその五つの名は、世界最強の剣豪を目指す「海賊狩りのゾロ」の記憶に強く、深く刻まれた。

 

『…勝負に集中して仲間を守れなかったら意味ないから、出来れば戦わずに逃げたい人たちなら何人かいるわ   

 

 

 特に、新聞すら読まない世捨て人の自分でも知る   その誉れ高き称号を持つ男の真名だけは…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』

 

 

 

   黒い大剣に、鷹の目の…男……」

 

 

 凍り付いたゾロの耳に、老料理人ゼフの震える声が辛うじて届く。

 それは、目の前の拡張甲板に佇む剣士の印象を何よりもよく表す言葉であり  男の異名そのものであった。

 

 曰く、王下七武海最強の男。

 

 曰く、四皇”赤髪”の好敵手。

 

 曰く、生ける大災害。

 

 “四海(ブルー)”に、“楽園(パラダイス)”に、“新世界”に。

 全ての海に轟き恐れられるその異名は数あれど、ひとつだけ、この世の全ての者が認める、彼だけのために存在する称号がある。

 

 その称号こそ、ロロノア・ゾロが男に剣を向ける理由であり、欲するたった一つの野望の名だ。

 

 

   世界最強の大剣豪、「“鷹の目”のミホーク」。

 

 

 今、若き剣豪の前に、伝説がいる。

 

 

  あんたが…“鷹の目の男”か?」

 

 竦む足で辛うじて絞り出せたのは、そんなありきたりな問いかけ。短い間で覇気の片鱗を掴んだ剣豪は、だからこそ、目の前の強者の威容に圧倒される。それはまるで生まれたての虎児の前に龍が舞い降りたかのような、異なる世界を生きる者同士の会合であった。

 

「如何にも。…だがお前に名乗るべき名はそれでは足りんだろう  “世界最強の大剣豪”の名を欲する数多の剣士と同じ目をしているお前にはな」

 

「…ッ!はっ、よくわかってんじゃねェか」

 

 律儀に会話を続けてくれる大剣豪ジュラキュール・ミホークに、青年が勝気な言葉を返せる理由はただ一つ。この男と同じ世界に住む化物少女の背を、今まで追い続けていたからこそ。

 

 そして、そんな強者の世界に住む者同士が同じ海に降り立ったとき、両者の目的が大きく違うことはありえない。

 

「……ルフィに、何のようだ」

 

 せめてもの虚勢。若き剣豪は精いっぱいの意思を、覇気を込め、眼前の大鷹を睨みつける。

 

 無論、その程度の気迫で”最強の剣士”が怯むはずもなく、大剣豪の異名たる金色の鷹目はゾロを一瞥すらしない。男の視線の先にあるのは、やはりというべきか、青年の守るべき少女が戦う遠方の落ちた石の積乱雲であった。

 

「久々に心躍る戦いが出来ると聞いて足を運んだ。邪魔をしてきた“赤髪”を振り切るのに時間を取られたせいで一番槍は逃したようだがな。惜しいことをした」

 

 おそらく、クリークを追ってきた王下七武海のことを指しているのだろう。若き剣豪は“鷹の目”の目尻が僅かに下がる様を目にする。

 

 だが男の言葉はゾロを混乱させる一方。

 

「…なんであんたほどの男が無名のあいつ(ルフィ)のことを知ってやがる」

 

 王下七武海「“海賊女帝”ボア・ハンコック」は偉大なる航路(グランドライン)へ挑んだ『クリーク海賊艦隊』を仕留めに遠路遥々ここ東の海(イーストブルー)までやって来たはずだ。

 だが先ほどのミホークの発言は、あたかも同じ王下七武海同士で競争でもしているかの如く、未だ名も無き少女船長を狙って襲撃したかのように捉えられる。

 

 何か、この一連の大事件に関する、途轍もない誤解があるのではないか。麦わら娘の身を案じるゾロは悪寒に体を微かに震わせる。

 

「あれほどの強者が無名なはずがなかろう。“海軍の秘蔵っ子”と知る人ぞ知る、政府の秘された掌中の珠()()()娘といったところか。もっともおれが知ったのもつい最近だがな」

 

 だが、不安に苛まれる青年の内心を知ってか知らずか、大剣豪が語った事実はゾロの危惧を嘲笑う信じ難いものであった。

 

 驚愕に固まる青年の後ろで無言で事の成り行きを見続けていた、二人の立つ船のオーナー料理人ゼフが一つの疑問を投げかける。

 

「…海軍だと? 確かにあの嬢ちゃんは近いうちにさぞ名を上げるだろうが…政府が海賊相手に七武海ほどの戦力を差し向けたことなんざ聞いたこともねェぞ。ましては無名の小娘だ。…ワケを話せ“鷹の目”、ここはおれの店だ」

 

 海軍の対海賊戦略は一般市民にも知れ渡っている。特に億超えの大型賞金首を相手にする際、彼らが派遣する切り札“海軍将校”は民衆の希望だ。その戦略の特例を避けるための王下七武海派遣なのだろうが、最早本末転倒どころではない異例中の異例の大事件となっている。

 あまりに愚策。故にゼフは政府がその愚策を犯さねばならないほどの何かに囚われていると直感で見抜き、目の前の刺客に詳細を訊ねる。巻き込まれる理不尽には偉大なる航路(グランドライン)の冒険で慣れているが、それとこれとでは話が違うのだから。

 

 だが、ゾロにはある心当たりがあった。かつて少女が語った、六式の話の途中で出てきた、化物娘の過去の一頁である。

 

 そして、あまりに小さいその心当たりは、見事政府の秘密の一つを曝け出した。

 

 

「知らぬと見える。“麦わら”の祖父は、あの“海軍の英雄”ガープだ」

 

『!?』

 

 その名を知らぬ者はいない。特にかの英雄殿の故郷である、ここ東の海(イーストブルー)においては。

 ただならぬ力を持つ恐るべき海賊娘であったが、その体を流れる血は少女の輝かしい才能にこれ以上ないほどの説得力を与えていた。

 

「モンキー・D・ルフィは六歳で三つ全ての覇気に目覚めた時代の寵児。以後海軍は少女に手厚い保護と稽古を施し、成人の暁には最高戦力をも上回る“海軍上級大将”の座を特別に設ける手はずが整っていたようだ」

 

「海軍…上級大将だと?」

 

「詳しくは他に聞け。おれは裏切り者を仕留めたい政府の誘いに乗っただけだ」

 

 長々と続くオウムのような問答に飽きたのか、男が無造作に背の大剣を抜き放った。あまりに正直な敵意の表し方に『バラティエ』の一同はポカンと呆け、現実逃避にその美しい黒刃の全貌を鑑賞してしまう。これがあの名高い大剣豪の一振り  最上大業物・黒刀“夜”か、と。

 

 そんな彼らの中でただ一人、応戦する姿勢を示した人物がいた。最初から全てを覚悟していた若き剣士、“未来の大剣豪”ロロノア・ゾロである。

 放たれるであろう即死の一太刀を全身全霊で受け止めようと、なけなしの覇気を必死に高める青年。若き剣豪の瞳に浮かぶ決死の覚悟を一瞥した大剣豪が、僅かに口角を持ち上げた。

 

「…なるほど、時代の申し子に憧れるだけのことはある。四皇級と名高い強者との一戦の前だ。お前の想い人に良き死に様を見せたいのであれば   

 

 そして続けられたその言葉は、両者の隔絶した力の差を表す、強者に相応しい驕りであった。

 

   我が黒刀を這う潮露くらいは落としてもらおうか、弱き者よ」

 

 

 覇気の洪水。

 

 剣豪ゾロは目の前の敵と相対しただけで、己の覇気の全てが押し流されたような錯覚を覚えた。

 

   ッッ!?」

 

 明確な敵意を示した最強の大剣豪。その体から放たれる気迫の嵐は、かつて剣士の少女船長が放った覇王色の覇気を彷彿とさせる物理的な衝撃となってゾロに襲い掛かった。

 

「……この程度の覇気を前に怖気づいたか? これから無数の試練を潜るあの娘を守ると豪語した男とは思えん怯え様だな」

 

「…ッ! うるっ  せェェェッッ!!」

 

 ミホークの投げやりな挑発に後押しされ、若き剣豪は吹き飛ばされた戦意をかき集め、それらを全力の咆哮と共に爆発させる。

 起きたのは、青年の覇気の目覚めの瞬間であったあの「道化のバギー」との一戦の再現。しかし、ゾロの体を巡る闘気の劫火は道化師との戦いのときより遥かに熱く、迸る血潮を焦がすほど。ぐつぐつと煮え滾る頼もしい力が剣士の肉体をかつてないほどに高めてくれる。

 男は間違いなく、少女と冒険を続けるうちに、シェルズタウンで大人しく捕らえられていた自分とは見間違うほどの急成長を遂げていた。

 

 だが、それでもゾロの瞳は、“最強”が立つ頂の土俵すら映せない。

 

「覇気で体を強化したか。このおれを前に手を抜いているバカかと案じていたが、杞憂で結構」

 

「ッ、へっ!これからだぜ、“世界最強”…っ!」

 

 高まる敵の戦意に微塵の警戒も見せない大剣豪。強者としての自負がそうさせるのか、はたまたそれほどの実力差があるからか。いずれにせよ、ゾロに出来ることは死力を尽くすこと。

 

 出し惜しみは一切ない。

 放つは今の自分に持てる最強の大技。守ると誓った少女との冒険で、修行で、戦いで身に着けた、傷つく仲間に涙を流す泣き虫な彼女の笑顔を守るために編み出した、必殺の一撃だ。

 

 狙う首は己の野望の名そのもの。背に守るは技を捧げた、二度と泣かせないと誓った少女。その奥義を放つに相応しい、これ以上ない舞台である。

 

「三刀流奥義   

 

 ゾロは沸き立つ覇気の全てをこの一撃に込める。火を噴きそうになるほどの高熱が青年の両腕を伝い、自慢の三振りの刀へ伝っていく。初めての感覚に戸惑う内心を無視し、体中の筋肉を膨れ上がらせた若き剣豪は持てる全てを注ぎ込んだ一撃を解き放つ。

 

 速い。体が軽い。

 

 目まぐるしく変化する景色の中で、ゾロは恐ろしいほどの全能感を覚えていた。先日戦った「百計のクロ」の“杓死”とやらを捉えたものと同じ、されど遥かに鮮明な感覚。経験したこともないほどの凄まじい速度で突進していながら、まるで水の中を動いているかのように遅い周囲の世界。

 

 一歩、もう一歩。

 遅い。もっと、もっと速く。

 

 遂に我が物とした“剃”の凄まじい俊足に身を任せ、若き剣豪は強敵の真正面へと迫る。

 

 そして、眼前へと迫った大剣豪の隙だらけな胸元を目掛け、自身の技と力の限りを尽くした三太刀を振るった。

 

 

  紫剃(しそ)鬼斬(おにぎ)り”ッッ!!」

 

 

 もし彼の少女船長がこのときのゾロを目にすれば、手放しで喜んだであろう。それほど青年が行使した一撃は鋭く、力強く、間違いなく彼の生涯で最も高い威力を叩き出したものであった。不完全な硬化ながら、武装色の覇気の奥義の一つ“武装憑依”を自身の得物に施し、見聞色の覇気を用いた超感覚を発揮する。本来の彼の実力ではありえない大偉業。

 その瞬間、ゾロは文字通り、己の限界を超越したのだ。

 

 幾つもの限界を、超えたのだ。

 

 

 

 だが   

 

 

   どうした? まだ片面の露も落ちていないぞ」

 

 

 青年が目指した頂は、亡き親友と交わした約束は、守ると誓った少女の受難は、果て無き那由他の限界を超えた先にある、宇宙(そら)に輝く金色の月面にあった。

 

 それは、水面の月に吠える愚かな獣の知らぬ、真の強者の領域であった。

 

   はっ?」

 

 ゾロは放心する。

 

 彼には眼前の光景が理解出来なかった。振るった最強の一撃は火事場の馬鹿力とも言うべき、かつてなく強い思いと覇気が籠った、自分のものとは思えないほどに強大な威力を育み敵へ迫ったはず。先ほどの鈍化した世界の中であってもその太刀筋を知覚出来ないほどの、神閃であった。

 

 だが気付いたときには目の前にあの巨大な黒刀が立ち塞がり、あれほど心強く思えた自身の両腕には激しい痺れが走り、今にも刀を手放しかねない弱々しい有様。幾度瞼を瞬かせても、腕に力を込めても、五感で感じる悪夢は覚め止まない。

 

 戦慄する若き剣豪の口から零れるのは、直前の威勢が幻と化した、擦れるような震え声。

 

「う、そ……だろ……?」

 

「何を無様に呆けている?よもやその程度の未熟な武装硬化でこのおれを迎え撃とうと意気込んだ訳ではあるまいな」

 

 茫然自失とするゾロの耳に、響く刃のような男声が届いた。はたと我に返った剣士は息も忘れ必死の“剃”で距離を取る。

 

「あの娘がここに来るまでがお前の余命だと言ったはずだ。…“海賊女帝”に気取られていた“麦わら”がもうおれの覇気に勘付いたようだぞ」

 

 微塵の警戒も見せず、大剣豪が平然とゾロから視線を逸らし遠くそびえる石柱の如き岩島を望む。

 

 だが荒い息を繰り返す青年はその千載一遇の好機に手元の武器を振るうことも忘れ、ただ只管震える己自身と戦っていた。

 

(あり…ありえねェ…っ! 何だ、これは…何なんだ一体…っ!)

 

 信じ難い強者、ルフィと出会い早一月。この世の頂の高さを知り、あんなバカ女に頭を下げてまで教えを受けてきたゾロは、彼女との冒険で素晴らしい成長を遂げていた。目に見える目標は男の意欲を擽り、優れた技術を持つ師は男の具体的な指標となった。

 

 だが、少女の桁外れな力を幾度も目にして来たはずの青年は、本当の意味でその力を理解したわけでは決してなかった。

 

(剣士として挑んでようやくわかった、正面から敵対してようやくだ…! これが…このアホみてェな高さが…世界の頂だって言うのか…!?)

 

 覇気を用いる技の一つに“武装硬化”がある。これは武装色の覇気で鎧を作り、覆う箇所の攻撃防御双方の力を爆発的に高める技術で、自在に操れる者は万人より“覇気使い”として認められる。

 この技を行使する際、覇気を感知出来る者たちの目には、硬化した部位が黒鉄色に染まって見える。だが逆の見方をすれば、覇気を感知出来ない弱者には黒化現象が見えず、何の前触れもなく敵の攻撃や防御が跳ね上がったという結果しかわからない。

 

 覇気とは、覇気の啓蒙を持つ者にしか知覚出来ない異次元の技術である。

 

 そして、最上位の次元に立つ強者ルフィの存在を日頃より目にしておきながら、弱者ゾロは少女と同じ次元に立つ剣士と剣を交わしたことで、ようやく己の傲慢を理解した。

 

(何が「頂を知った」だ…! 散々手加減されて甘やかしてくれて、あいつの高さを見せて()()()()、頂点を知った気になってただけじゃねェか…!!)

 

 自分と世界。その隔絶した彼我の力量差を初めて正しく認識した剣士は、崩れ落ちそうになる戦意を必死に繋ぎ止めようとする。

 

 

  なるほど。先ほどの攻撃がお前の全てだったということか」

 

「…ッ!」

 

 だがこの地は戦場。一騎打ちの場に立つ己以外の者は、敵。

 

 そして、本命の決闘を前の軽い前座として目の前の剣士との戯れを楽しんでいた大剣豪が、相手の内心を知り大きく肩を落とす。

 

 

「…そうか   ならば遊戯は仕舞だ」

 

 

 一閃。

 

 残像も紫電も無い。停止した時間の中で振るわれたかのようなその黒刀の軌跡を辛うじて浮世に描いたのは、青年の胸元に咲いた真紅の曼殊沙華だけであった。

 

 瞬く間に視界を覆った醜い赤色の花弁を、ゾロは唖然と見つめる。

 

   ッぁ……」

 

 理解出来ない光景に驚き、咄嗟に発した声は言葉にすらならない血潮の排気。身を焦がすほどに溢れかえっていた体中の熱が、血の花が咲く胸部へ一瞬の間をおいて殺到する。

 霞む視界が横転し、ゾロは身体の右側部に何かがぶつかる衝撃を感じた後、そのまま泥のような脱力感に襲われた。

 

「この程度であればいつもの短刀で十分だったか。相手の力量を見誤ったのは久しぶりだ、弱き者よ」

 

 闇に染まりゆく世界の中で、青年は大剣豪が十字の首飾りを手に取る光景を目にする。

 

 氷のように冷たい体に凍えるゾロ。

 ふと脳裏に浮かぶのは、走馬灯のように浮かんだ一人の若き女剣士の姿。共に最強を目指すと誓った親友で、悲運の末に無念の帰らぬ人となった、強き少女の  “女”であることに涙を零す  女々しく弱い秘姿。

 

 今、亡き親友が夢見た“強き女”が、ゾロの覇道を導いている。

 モンキー・D・ルフィと言う、この世の全てを手にした証  海賊王の王冠を夢見る、心優しい女だ。

 

 

(また……負ける、のか…)

 

 青年は、己の不甲斐なさが流させた少女の幾つもの涙を思い出す。

 いつもの大輪の向日葵のように明るく輝かしい笑顔が陰り、堪えても堪えても溢れ出す涙の宝石。真っ赤に腫らした目元に大粒の雫を溜め、倒れ伏す仲間の名を呼ぶ悲痛な声。自責の念に俯きながら、拙い技術で必死に傷を治療する、震える小さな手。

 

(あいつは、もう泣かねェって約束してくれたじゃねェか…)

 

 傷の癒えぬ体で「百計のクロ」と狂猫兄弟の連戦を潜り抜けた、あの日のシロップ村。彼女らしくない悲しげな表情で紡がれた、その言葉。

 

   私も、二度と無茶しないでなんて、言わないから…

 

 それは、強者が弱者の力量を信頼するという、ありえない言葉であった。強者が弱者に対して行うことは、保護か暴虐。弱者を守ることはあっても、弱者に守られることはない。

 

 それでも、少女は剣士を信頼した。たとえ弱くても私の背中を守るのはあなただ、と。

 

 

 だから。

 

 

 

   頑張ってッ!! ゾロ!!」

 

 

 

 男はその信頼に励まされ、何度でも立ち上がるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』

 

 

 

「……太刀筋までも見誤ったか? 確実に死ぬ一撃だったはずだがな…つくづく妙な男だ」

 

 

 僅かな感心の色が乗った声が海上レストランの拡張甲板に木霊する。

 

 その声の持ち主の視線の先に佇むのは、白い襯衣をどす黒い赤で染め上げた一匹の獣。獰猛な笑みの奥に鋭利な眼光を走らせる、斬り捨てたはずの若き剣豪は、確かに男が殺したはずの弱者であった。

 

 目を見開く大剣豪は、死に絶えのか細い息を繰り返す剣士の言葉を待つ。

 

「ハァ…ッ、ハァ…ッ…、あんたの言う通りだ。…おれは、弱い。亡き親友との約束も違えちまうし…守りてェモンも守れねェ。はは…前にあのクソピエロに言われたとおりだぜ。“お山の大将”…ってな…」

 

「…その通りだ。最弱の海で多少名を上げただけの、偉大なる航路(グランドライン)に無数にいる雑魚の一人。それがお前だ」

 

「はは…だろうな…」

 

 自嘲気味に失笑する剣士にミホークは落胆する。気の触れた弱者が時折見せる諦めの境地か。

 この手の輩を一思いに仕留めるのは至難の業。無論、全力の一撃を放てば百回殺しても溢れるほどの釣銭が出るだろう。だが、ただの虎児に己の持てる全てをぶつける愚を犯すミホークではない。

 

 弱過ぎず、されど十分死に至らしめる一太刀。

 

 大剣豪は抜きかけた胸元の十字刃から手を放し、右手の黒刀を正面に翳した。今度こそ、この男の限界を見極め、確実に斬り殺してみせよう、と。

 

 だが、新たな遊戯に笑みを浮かべるミホークの期待を、この男はまたしても裏切った。

 

「……けどよ。剣士として、剣であんたに負けても  

 

「…!」

 

 ポツリと呟いたその言葉と共に、剣士の纏う弱々しい気配が一変する。

 

 

   漢として、心で負けるわけにはいかねェんだよォォッ!!」

 

 

 瞬間、爆発的な覇気が若き剣豪の瀕死の体から解き放たれた。

 

 それは僅か一瞬、されど確かに、“最強の男”を身構えさせるほどの凄まじい闘志であった。

 もっとも、感じる覇気は肌を撫でる希薄なもの。“新世界”では新たな島に上陸するたびに出会える、ありふれた感覚。“楽園(パラダイス)”でもそれなりに名の知れた海賊一味の船ならば一人は見かける程度の、貧弱な気配だ。

 

 だが大剣豪を驚かせたのは、そんな誰でも比較出来る覇気の力量ではない。

 

「…ほう。死の瀬戸際に瀕し、壁を超えたか。……悪くない、久々に興味を引かれる剣士を見た」

 

 それは、この「鷹の目のミホーク」の一太刀を受けて尚立ち上がり、戦いの最中で更なる進化を遂げる驚異的な成長速度と  

 

「…だからこそ殺すには惜しい。折角拾った命で生き急ぐな、若き力よ」

 

「うる…せェっ…! 手負いの獣を…舐めんなよ…っ!」

 

   絶望を知って尚、挫けぬ強き心の有様であった。

 

 清々しいまでの諦めの悪さ。男気とは正反対に位置する醜い意思でありながら、同時にこれ以上ないほどに勇ましく、実に男らしい見事な意思。

 ミホークは剣士の若く、青臭い剣の輝きに僅かに目を細める。

 

 男に、死に場所を求める弱者へ掛ける情けなど持ち合わせていない。死にたいのなら殺す。それだけだ。

 

 だが…

 

(最後の問答だ。……見せてみよ、お前の全てを。この“鷹の目”に)

 

 もし。大剣豪は最後にもう一度、この若き剣豪に期待を抱く。

 

 もし、彼の持つ心の強さが本物であれば…

 

 

「…何故立ち上がる。己の弱さを知るのなら、おれの前に立ち塞がる意味などないと分かるはずだ」

 

 男の最後を分かつ、世界の頂からの問いかけ。

 返されたのは、やはり彼らしい若き心の意地と誇りであった。

 

「おれは…っ、海賊王の背を守る…大剣豪になるんだ…っ! あいつを斬っていいのは…っ、おれの…くそったれな血に染まった剣だけだ…ァっ!!」

 

 その言葉が絶海の甲板に広がった瞬間。ミホークは、先ほど視界の端に降り立った一つの巨大な覇気が大きく揺らぐのを感じ取る。

 

「…残される女は後ろでお前の無事を願っているが?」

 

 だが、男が指摘した心揺さぶる事実にも、剣士は瞳一つ震わせない。そこには若さや、人の心の弱さを超越した、強者を名乗るに相応しい強き意思の力が宿っていた。

 

 まごう事なき、覇気の源である。

 

「…死なねェよ、おれは。あいつの…背中を守るって…約束したからな…」

 

 剣士の耳には、立ち尽くす料理人や食事客、かつての賞金稼ぎ仲間の声にならない吐息も、遠く荒れる海の轟音も、自身の心音も、そして  必死に悲鳴を噛み殺す、守るべき少女の祈りさえも、届かない。

 

 剣士二人の完結した世界。

 偉大な覇者の立つ、途方もない彼方の領域に招かれた“未来の大剣豪”ロロノア・ゾロは、遂に目の前まで近付いたこの世の頂点へ、最後の一振りを向ける。

 

 大剣豪が招く、生死の狭間に生まれた美しい隔世へ足を踏み入れた若き剣豪。そこでゾロが口にしたその言葉は、実に“鷹の目”好みの言葉であった。

 

 

「なにより、最強を目指す男に  “後ろ”なんか見てる暇はねェだろ…?」

 

 

 ニヤリ。

 大剣豪は自身の口角にそのような楽しげな擬音が書き加えられた気がした。

 

「…面白い」

 

 最早言葉は不要。ふらつく足を踏み締め、大技の構えを見せる若き剣豪へ、ミホークもまた剣を構える。

 

 見せてもらおう、その強き心が振るう最後の一太刀を。

 

「三刀流奥義   

 

 三本刀の剣士が両手の太刀を風車の如く回転させる。放つ覇気が霧散し、太刀筋を読ませない。

 

   小世界の裾野は鉄囲山が囲む風輪につき…

 

 剣士は豪速の“剃”で最強の下へと迫る。

 

   九山八海を乗り越え四大州を踏み締め…

 

 時の止まった世界の中で、ゾロは切り裂く黄金の閃電を目にする。

 

   そびえる須弥山の頂に広がるは一人の剣士の頂…

 

 

 千の剣士の頂が、更なる千の頂を経て、大千の頂となる。それは十万億土の果てにある剣の極地、剣の娑婆。最強に至った者がその眼下に見下ろすこの世の全て。

 

 その大いなる名は。

 

 

 

 「   ”三・千・世・界”ッッ!!」

 

 

 

 未だ若き剣豪には見えぬ、剣の世の最果てである。

 

 

「背中の傷は……剣士の恥だ」

 

 ゾロは万感の感謝を込め、頂の覇者へ笑みを返す。

 今度こそ、誰の手を取ることなく、己自身の両脚でこの頂へと昇って見せる。そう暗に口にして。

 

 

   見事」

 

 

 かくして最強の大剣豪に挑んだ若き力は、振るわれた二度目の黒刀の前に倒れ伏した。

 

 

 

 

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