ルフィちゃん(♀)逆行冒険譚   作:ろぼと

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30話 王下七武海・Ⅵ

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『巨雲島』

 

 

 

「なに…あれ……」

 

 

 襲撃する王下七武海の関心から逸れ、辛うじて生き永らえた『麦わら海賊団』の三名、航海士ナミ、狙撃手ウソップ、そして新入り料理人サンジ。同じく魚頭の小舟で短い旅を共にした海上レストランの暴力コックコンビ、パティとカルネと命の無事を喜び合っていた弱者たちは、僅かな平穏の後に再来した二度目の驚天動地に、またしても茫然と魂を抜き取られていた。

 

 彼ら彼女らの眼前に広がるのは、まるで三等分に切り分けられた蒼色のゼリーのような、果て無き東の海(イーストブルー)の大海原。深度五千メートル前後との調査報告が上がる、天体規模の夏の製菓店の名物商品が海底の大皿の上でぷるぷると震え、その表面に泡立つ波のホイップクリームが荒い鱗のように塗りたくられている様は、俄かに現実とは認め難い。

 だが周囲に轟く爆轟が、震える大気が、両足の裏から伝わる振動が、目の前の光景が真実であると一同に訴える。目を逸らしたくなるほどの絶望的な現実感で。

 

 幾度も繰り返される浮世の夢幻に、五人は狂いそうな気を抑えるのに精いっぱいであった。

 

「さ、流石東の海(イーストブルー)で最も偉大なる航路(グランドライン)に近い海域…。まさに魔の海だぜ、はは…は……あひっ!あひゃひゃひゃひゃ!!」

 

「んなワケあるかよクソ長鼻、正気に戻れっ! こんな大惨事が日常茶飯事なら流石のクソジジイでも尻尾巻いて逃げるわ、アホ…!」

 

「水平線って割れるもんなの…? 世界の終末でしょ、こんなの……」

 

 側の声も聴き辛いほどの爆音が絶えず響き渡り、不安に駆られる一同五人は一塊になり互いを励まし合う。

 

 そんな彼らの心を嘲笑うように、鼓膜を劈く一際強烈な音が彼らの真横で発生した。

 

  ッッ!?』

 

 凄まじい大気の振動に吹き飛ばされたナミたち。ガンガンと響く頭痛と耳鳴りにふらつきながら辺りを見渡した『麦わら海賊団』は、ふと自分たちの足元が異常な傾斜を象っていることに気が付いた。

 

 それは磨き上げられた大理石のように滑らかな坂。寸前まで影も形もなかった、終わりの見えない鋭く、広く、長い坂だ。

 

「……え、なに…これ?」

 

 そして一同は気付く。

 坂の端を滑り台のように無音で滑り落ちる、小型砲艇『サバガシラ1号』の残骸が乗った、途轍もなく巨大な岩の塊に。

 

 だが天は、否、争う二人の男女は弱者に声を上げる間も許さない。悲鳴がこみ上げるナミたちの口が大きな円を作った作ったその瞬間、近くの絶壁に小さな物体が轟音と共に激突したのである。

 

 ズガァァァン!ゴゴゴゴゴ  とダイナマイトも霞む破壊音。それを耳にした一同は頭部を守りながら、今度こそ大絶叫を解き放った。

 

「こっ、ここ今度は何よもおおおっ!!?」

 

「ひぃぃぃっ!! もォォォやだァァァッッ!! おれシロップ村帰るゥゥゥん!!」

 

 己の悲運を呪う無力な海賊たち。

 だが次なる不幸を警戒し辺りを頻りに見渡す彼ら彼女らの耳に、か細い苦痛の声が届く。

 

 

   くぅ…ッ」

 

 それは崩落した崖の中から発せられた、弱々しい少女の悲鳴。

 

 

「……ルフィ?」

 

 ぽつり…と呟かれたナミの呼びかけに一同が一斉に彼女の視線の先を追う。落盤の土煙が風に流され露わになった崖の壁面に、一人の小柄な人影が叩き付けられていた。

 纏う白黒の女性ものの衣類、『バラティエ』でとある臨時ウェイトレスが嬉しそうに着ていた給仕服。血と埃で汚れた顔はわからずとも、その姿は間違いなく『麦わら海賊団』の船長ルフィのものであった。

 

「…ッ! ダ、ダメっ! みんな来ちゃダメぇっ!!」

 

 その名を呼ばれた瞬間、岩壁に埋まっていた小柄な人影が動き出す。

 呆ける一同は必死にこちらへ手を伸ばすその様子をぼんやりと見つめ  

 

「くっ…! ごっ、“ゴムゴムの雀蜂(ヴェスパ)  ッあああっ!?」

 

   ッッ!?』

 

 そして続く鼓膜を突き破るほどの耳鳴りに悶絶した。

 

 強烈な爆風が海賊たちを吹き飛ばす。訳がわからないまま何とか体勢を整え辺りを見渡したナミたちは、地面が、あれほど頼もしかった島そのものが、まるで巨大なステーキのように縦三つに分かたれた光景を刮目する。

 そんな、魂を抜かすほどの衝撃的な光景を。

 

 だが言葉も出ずに茫然自失と眼前の規模違いな現象を見つめる一同は、その視界の端に映った不吉な赤色に目を奪われた。

 

『ルフィ!!』

 

 岩肌に投げ出され、腕を庇うように丸まるその少女はボロボロであった。

 

「ルフィちゃんッ! 大丈夫かルフィちゃ  って、なっ、なんて怪我だ…! クソッ、おれは一体何をやって…っ!!」

 

「嘘…何よその傷…!? ッ、ルフィ! ルフィしっかり…!」

 

「無事かルフィ!? ま、まさかお前おれたちのこと  

 

 慌てて我に返り船長を案じる仲間たち。絶対無敵の最強ゴム娘の無残な姿が、彼らに最早何度目になるかもわからない驚愕の感情を駆り立たせる。

 

 すると突然、一同の背後に聞き慣れない澄んだテノールが投げかけられた。

 

 

   劣勢の中で人の本質は目を覚ます。この“鷹の目”を前に己の命ではなく仲間を優先するとは…なるほど確かに“王”の器だ、時代の申し子よ」

 

『!!?』

 

 それは一人の剣士。

 

 左手に巨大な黒い剣を持ち、悠々と近付く整った口ひげの男。貴族然とした佇まいはその者の只ならぬ風格を強調し、何よりも目を引く鋭利な眼光はナミたちが知る三本刀の腹巻剣士を想起させる。

 だがその鋭さは比べ物にならない。まるで大地の小動物を狙う猛禽類の如き恐ろしい金色の瞳が油断なく地べたの少女を睨み付ける。

 

 そして何より、男が放つ、心臓が圧し潰れそうになるほどの強烈な圧迫感が、歩み寄る剣士の愕然たる格の違いを物語っていた。

 

「たっ、“鷹の目”……だと…?」

 

 男の言葉を耳にした狙撃手ウソップが思わず声を零す。誰もが一度は耳にしたであろうその名は、万人を震え上がらせる恐怖の権化。

 

 そして彼らは一瞬で理解する。

 

 割れる海、切り刻まれる岩の島、そして  その足元にひれ伏す一味のバケモノ船長の無様な姿。目の前のこの男こそ、かの高名な世界最強の大剣豪「“鷹の目”ジュラキュール・ミホーク」その人であると。

 

「…だが強者よ、おれとの決闘で雑魚を庇う暇があればその乱れた覇気を整えろ…! 小娘!!」

 

   !!?』

 

 固まる一同の前で、王下七武海がその漆黒の大剣を大きく構える。叩き付けられるのは意識が飛びそうになるほどに濃密な殺気。鋭い気迫はそれ自体が刃のように海賊たちの心を切り刻む。

 

 死地に吹き荒れる狂猛な覇気は弱者を蝕む瘴気の渦。無防備に晒されれば命は無い。

 まさに絶対絶命。

 

 

「い…いけない! ッごめんなさいみんな、今空飛んで逃がすから  剃刀(カミソリ)”!!」

 

『ッひっィィィあああァァァ!?』

 

 だが、彼らにはいつだって救いがある。未来の海賊王たる、少女船長モンキー・D・ルフィという一味の道しるべが。

 仲間の危機に一早く行動を起こした彼女がゴムの腕を大きく伸ばし、凍る五人を抱き寄せ空を駆ける。

 

 目にも留まらぬ逃走の後には、守るべき弱者たちの微かな悲鳴のみが残っていた。

 

 

 

***

 

 

 

   何故見逃した、“鷹の目”」

 

 先ほどの剣士が倒れた船へと逃亡する少女と雑魚共。それを見送るミホークの隣に一つの気配が現れる。

 

「“暴君”…」

 

「あの崩れた“麦わら”なら間違いなく仕留められたはず。次代の逸物に情でも湧いたか?」

 

 遥か見上げる大男  王下七武海「“暴君”バーソロミュー・くま」がそこにいた。少女との戦いで一番槍の名誉を奪った同僚「“海賊女帝”ボア・ハンコック」と共に先ほどの攻防を見物していたことは気付いていたが、途中で仲間割れを始めたときには思わず正気を疑った。

 

 もっとも、この男の場合は全て虚像であろう。巧妙に隠してはいるが、この“鷹の目”は欺けない。

 

「お前ほどではない」

 

「……」

 

 案の定、巨漢の気配が一変した。

 

 僅かな沈黙ののち「慧眼御見逸れする」と肩を竦めた男は、暫しの逡巡を経て小声で自身の目的を暴露した。

 

「………訳あって少女を逃がしたい。可能ならコノミ諸島まで。些か不安が残る連中だが、手の者が控えている」

 

 強者の果し合いを知らぬ弱者が世迷い事を。

 ミホークは同僚の不躾な言に侮蔑の視線で返し、ただ淡々と己の目に映る事実のみを述べた。

 

「最早この場における小娘とおれとの間に生死の境目などない。おれか、小娘か、はたまた共にか…全ては天運に委ねられた。今更貴様が手を出したところであの者の運命は変わらん」

 

「…!」

 

 協力を拒絶したミホークに巨漢が一瞬で攻撃の姿勢を取る。そんな男のあまりの愚かさに、大剣豪は僅かに眉を傾斜させた。

 

「ほう、その状態で尚もおれに挑もうとするほど大事か。…興味深い。元ソルベ王国国王、政府への反逆、モンキー・D()・ルフィ…………なるほどな。貴様の背後、この“鷹の目”が見破ったぞ」

 

「…!?」

 

 その瞳の無い機械的な目に視線をぶつけると、巨漢が面白いようにその岩の如き表情を歪めた。相応にこちらを高く評価しているのか、随分と素直な反応を見せてくれる。

 これでよく今まで政府に悟られずにやって来れたものだ、とミホークは鼻で嗤う。否、嗤うべきは気付かぬマリージョアの節穴共か。

 

「安心しろ。政府の下らん“土竜叩き”など暇つぶしにもなるまい。そしてこの作戦の成否も  

 

 そしてミホークはちらりと自分が通過したゲッコー海の方角を見聞色の覇気で確認し、返す刀で  

 

 

   貴様がそこでおれの隙を血眼で探す間に決まる」

 

 

 仲間を避難させ覇気の制御を取り戻した、()()の“王”の雷拳を迎え撃った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』

 

 

 

  下ろすわね、みんなっ!」

 

『ひいいいいぃぃぃ  ッがはぁっ!!』

 

 

 体が潰れるほどの重力負荷から解放され、五人は青息吐息で海上レストランのバルコニーに這い蹲る。中には気圧で肋骨が折れた者もおり、一同の顔には皆少なくない苦痛の表情が浮かんでいた。

 

 否が応でも身に染みる、自分と船長、そしてあの岩島に陣取る王下七武海たちとの力の差。

 

「くっ…ハァ…ッ、ハァ…ッ、し、死ぬかと思ったわ…!」

 

「げぼっ! げぁっ…! じ、Gヤバ過ぎ…口が鉄臭ェ……ッ、ル、ルフィお前ェッ! 毎度毎度ちょっとは加減ってモンを  ぶべっ!?」

 

「ッく、うるせェ状況を察しろクソ長っ鼻っ!  ルフィちゃん! 追手は!?」

 

 悪化したクリーク一味との戦いの傷を庇いながらも、迫り来る敵を何とか迎え撃とうとする青年料理人サンジ。あの「赫足のゼフ」より戦う術を教わった愛弟子は油断なく周囲の危険を警戒する。無論、全ては守るべき美少女たちのために。

 

 だが船長とは一味の守護者。仲間を矢面に立たせることなど許しはしない。

 前に出ようとするサンジを背に庇いながら、ルフィは覇気で敵の位置を確認する。

 

「っっ……み、みんなを逃がすの待っててくれるみたい。…ごめんなさいナミ、ウソップ、サンジ、あとゾロもメリーもヨサクたちもコックさんたちも『バラティエ』も。絶対みんな守るからここで待ってて! 私もう行かなきゃ…っ!」

 

『なっ!?』

 

 痛みに震える体に鞭を打ち、少女はふらふらと立ち上がる。だが船長が仲間たちを案じるように、彼ら彼女らもまた、これまでの冒険の中で少女を愛おしく思う気持ちが芽生えていた。

 ナミたちは咄嗟の感情に突き動かされ、立ち上がるルフィを慌てて引き留めようとする。

 

「まっ、待ちなさいあんた! そんなボロボロで……ってかまず何が起きてるのかくらい説明を  

 

「そ、そうだルフィ! なんで東の海(イーストブルー)に“海賊女帝”に加えてあの“鷹の目のミホーク”まで居やがるんだ!? しかもお前と戦ってるし…もうワケがわかんねェよ、ちくしょおっ!!」

 

 敵の動きが無いのをいいことに、次々に事情の説明を求める仲間たち。命の危険は理解出来ても、その理由くらいは把握しておきたいと願うのも無理はないだろう。

 ルフィは岩島の方角を警戒しつつ、放してくれないナミたちへ仕方なく語り出した。

 

「…なんか私、もう世界政府に目を付けられちゃったみたいなの。あの人たちは命令で私を倒しに来たって、さっきハンコックが言ってたわ」

 

『はぁっ!?』

 

 世界政府と敵対する。

 その意味を正しく理解出来る者はルフィ以外にこの場にいない。だが自分たちが巻き込まれているこの地獄のような現状がそうであることくらいは、政府の脅威を知らぬ一同でも理解出来た。

 

 同時にそれが如何に理不尽なものであるか、もだ。

 

「ちょ、ちょっと待って! だって私たちがやった悪事ってシロップ村を演技で襲って、やって来た海軍を返り討ちにしたくらいよ? …ッ、まさかあの悪徳大佐なの? あのクズが何かしたの!?」

 

 恐怖と怒りにヒステリックな叫声を上げるナミ。しかし少女船長は申し訳なさそうに首を振り、躊躇いがちに真実を告げる。

 

「…ごめんなさい、どうでもいいことだと思ってみんなに言ってなかったんだけど  私のおじいちゃん、海軍で結構偉い人なの。“ガープ”って言って海軍本部で中将やってるんだけど…」

 

『“ガープ”!?』

 

 立て続けに明かされる、誰もが驚く衝撃的な事実。かつて少女本人よりオレンジの町で「身内に海兵がいる」と海軍の特殊体術と共に伝えられたナミさえも初耳の男性陣と同じく顎を垂らす。

 

 気まずそうに俯くルフィの姿にしばし唖然としていた一同だが、その意味が脳に浸透するにつれ、ポツポツと彼らの口から得心の声が零れ出した。

 

「いや……そりゃ普通言えねェよルフィちゃん。海賊王目指す女の子が“海軍の英雄”の孫娘だなんて。むしろそんな秘密教えてもらえるなんて、新参の仲間として光栄の限りだ」

 

「つかお前のバケモン具合の理由がこれ以上ないくらいよくわかったわ。“仏のセンゴク”、“黒腕”のゼファー”、“大参謀つる”と同じ海軍伝説世代の一人の縁者とか、とんでもねェ貴人の血筋だったんだな。カヤが霞むレベルの超絶サラブレッドお嬢様じゃねェか……」

 

 同じくとある王家の一子として生を受けたサンジは、その事実を語ることの重さをよく理解している。もっとも彼の場合は捨て、そして捨てられた身であり、最早語るに値しない無価値な過去であるため「なかったこと」と忘却しているのだが。

 そして同じく高名な大海賊のクルーの倅であるウソップも、つい最近他ならぬこの少女自身よりそのことを知らされたばかりであるからか、秘しておきたい気持ちも決してわからなくはなかった。

 

 故に語られた船長の生い立ちに最も大きな反応を示したのは、一味の誰よりも裏社会に通じるこの聡い元女泥棒であった。

 

「待って待って、それホントならスキャンダル騒ぎどころじゃ  って、もしかして私たちソレで狙われてんの!? 大体なんであの英雄サマが身近にいて海賊王なんか目指すのよ、意味わかんないわよあんた! マトモな育ちしてる女ならお祖父さんの紹介で政府か海軍のお金持ちの上役のお嫁に行こうって考えるでしょ普通!?」

 

「んなっ! ま、また“マトモな女なら”ってバカにして…っ! 海兵なんて窮屈そうな人生送ってる男の人のお嫁さんになることに一体なんの夢があるのよっ! 私は海賊王になるのっ! 海軍上級大将とかにも海兵のお嫁さんにもならないわっ!!」

 

 萎れる少女も流石に夢を否定されれば言い返さずにはいられない。だが置かれた状況も忘れ言い争いを始める姦しい二人を宥めようとする男衆は、ふと聞捨てならない単語を耳にし咄嗟に反応する。

 

『…“海軍上級大将”?』

 

 彼らに海軍組織の詳しい序列はわからない。しかしその言葉に込められた仰々しい威厳と、不吉な響きが、海賊たちに何か不穏なものを感じさせていた。

 

 それは少女本人にとっても不本意な話であったらしい。嫌そうな顔で語られた彼女の過去は、一同が置かれている現状の原因としてこれ以上ないほどの説得力を有していた。

 

「興味なくてよく覚えてないんだけど、おじいちゃんが私にそんな感じのになって欲しかったみたいなの。それで世界政府も乗り気だったらしくて、私が海賊になったからプンプン怒ってるんだって」

 

『…………』

 

 それだ。

 

 ウソップたちは一斉に頭を抱える。この大海賊時代、世界政府は虫のように湧いてくる海賊たちを根絶やしにすべく、様々な戦力を欲している。ましてやこの化物船長のような若く強く愛らしい少女など、実働に広報と様々な使い道があったはずだ。

 そしてその価値を評価されていたということは、本人が敵に回った今、ルフィ率いる『麦わら海賊団』は政府に非常に厄介な存在だと見做されているということでもある。

 

 討伐に政府が王下七武海ほどの切り札を差し向けるのも、それだけ彼女を高く評価していたことの裏返しであろう。わざわざ自らの栄光の道を捨て邪道に走ったルフィの規格外さに、一同は不思議なものを見る目を送る。

 

 だが同時に、彼らは理解する。彼女が海賊王の夢に懸ける、途轍もなく大きいその情熱を。

 そして今、ルフィが背負う無数の柵が『麦わら海賊団』へ牙を向いていることを…

 

「大丈夫っ。みんなを守れる船長になりたくて、頑張って強くなったんですもの…! このくらいへっちゃらよっ!」

 

 ボロボロな少女が体を抱き、顔を強張らせながら仲間たちに宣言する。気丈な発言とは真逆の弱々しい姿に、五人は当然の危惧心から強い焦燥を覚える。

 彼らは初めて、目の前の絶対強者の力を疑った。こんな姿になった彼女に、あの王下七武海から自分たちを守れる訳がない、と。

 

「お、おいルフ   

 

「絶対守ってみせるからっ」

 

 だが、続いた少女の言葉に、海賊たちは思わず全ての不安が吹き飛ぶほど驚愕してしまった。

 

 

   私を信じて」

 

 

 それは、傷だらけな笑顔。

 いつもの自信に満ち溢れた明るさはどこにもない。瞳に宿っていたはずの美しい希望の星々は分厚い陰に覆われ、悄然とした印象を抱かせるそれに、ウソップは隣の仲間たち同様息を呑んだ。

 

 少年にとって、目の前の少女は常に強い人物であった。執事野郎に父を馬鹿にされたときは彼の名誉を守ってくれて、シロップ村を演技で襲う彼の悪ふざけを喜んで歓迎し、戦時には恐怖で足が竦む自分を笑顔で励まし道を示す、偉大で優しい女の子。いざ自分が戦えば一騎当千。傷一つ追うことなく彼の故郷を守り、万人を魅了するその笑顔と力で一味を引っ張るルフィは、まさに少年の考える理想の船長そのものであった。

 もっとも、尊敬しつつも妬みがあったことはウソップ自身も気付いている。息子の自分を差し置き、父と幾つもの思い出を作っていた彼女を妬ましく思ったことは幾度もあった。自分には無い高い戦闘力、包容力、カリスマ。そして何よりも、壮大な夢を追い続ける、絶対に揺らがない強い自信。臆病な少年にはどれも眩しいものばかりであった。それが気に食わず、やれ女であるからだとか、考え無しのバカだとか、つい粗探しをしては空しい悦に浸り、己の情けなさから目を逸らしていた。

 それでもウソップにとって船長ルフィとは、彼が初めて出会った海賊の船長であり、“船長とはかくあるべし”と手下を納得させるだけの何かを持っている不思議で魅力的な人物であった。自分の脳内”キャプテン・ウソップ”の振る舞いの参考として、何度も彼女の姿を想像してしまうほどに。

 

 どこか、自分では決して手にすることの出来ない人知を超えた何かを持っている、人の上に立つべき少女。

 そんな彼女が、今、満身創痍な体を引き摺り尚も一人強敵に立ち向かおうとしていた。

 

 ウソップは  否、『麦わら海賊団」のクルーたちは初めて、船長ルフィの容姿相応の弱さを見た気がした。 

 

 

「……サンジ?」

 

 ふと、固まる一同の中で一つの人影が動いた。

 

 最も少女と過ごした時間が短く、故に受けた衝撃が最も少ない人物。そして誰よりも女性を愛し、大切にする紳士的な青年。

 

 そんな“愛の奴隷騎士”が、らしくない神妙な顔で、彼らしく美少女船長の前に跪いていた。

 

「…レディがそんな水臭いこと言わないでくれ、ルフィちゃん」

 

「え…?」

 

 おもむろに彼女の小さな手を取り、キスを捧げるサンジ。

 

「おれは全ての女性の味方だ。…だけどな、おれはついさっき、君に忠誠を誓った騎士になったんだ。たとえ君が誰であっても、どんな運命を背負っていようと  おれはいつだって君のために料理を作り、君のために戦いたい…!」

 

 咄嗟の行為に呆けるルフィ。だがその言葉にはたと我に返り、慌てて青年の黒衣にしがみ付いた。

 

「ダ、ダメ! 今のサンジが戦ったら  

 

「ああ、見ればわかるさ…ルフィちゃん。クソ情けねェことにな…」

 

 サンジの視線の先には、血塗れの甲板から海上レストランへと続く大量の血の跡があった。

 そこで起きたであろう出来事を、いつも笑顔なこの少女船長をここまで消沈させる出来事を想像した一味の古参二人は、最後の仲間の三刀流剣士の姿がどこにもないことに遅れて気付き、顔を青褪めさせる。

 

「だけど……こんな雑魚でも、この場くらいは何とかして見せる! だからルフィちゃん、後ろの船と仲間と店はおれに任せてくれ…っ!」

 

 重たい、様々な思いを呑み込み、自分に出来る最善を尽くそうと許可を求める騎士。強敵に追い詰められ、弱者の不甲斐なさを知ったルフィにその申し出を断ることは出来ない。

 

 ただ、船長である自分のためを思ってくれている彼の温かい心は、確かに少女の力となっていた。

 

「…ありがとう、サンジ。お願いしますっ!」

 

「仰せの通りに、我が姫…!」

 

 ルフィは新たな仲間に感謝を述べる。その笑顔に返されたサンジの表情も、また同じ、喜びと悲痛の混ざった複雑な笑みであった。

 

「…さて、あのクソ藪医者。ルフィちゃん泣かせねェように真面目に仕事してっか見張っとかねェとな  おい行くぞパティ!カルネ!」

 

「ッ、お、おれに命令すんなサンジ!!」

 

「クソッ……漢パティ、自分の無力が情けねェ…っ!」

 

 そう言い残し、青年はポケットのタバコに火を灯しながら、暴力コックコンビと共に静かに店内へと消えて行った。

 

 誰にでもわかるほどに、その拳を硬く握り締めながら。

 

 

   はぁ…。もう、そんな顔してる女の子なんか責められるワケないでしょ。バカルフィ…」

 

「…ナミ?」

 

 青年が去り、暫くの静寂。

 それを大きな溜息と共に破ったのは、人に言えない様々な闇を抱えているはずの、人情深いナミお姉さんであった。

 

「大体何よ、“王下七武海”って…しかもそんなのと二人も一緒に戦える女の子って。んな化物が東の海(イーストブルー)にいるならさっさと言えっての…!」

 

    魚人如きにビビってた私がバカみたいじゃない。

 

 ぽつりと呟いた独り言を隠すように、航海士は「ルフィ」と己の船長の名を呼ぶ。

 そしてか細く、それでいて確かな声で、すれ違い様の少女の耳元に一つの言葉を残し青年コックの後を追った。

 

 

「…信じてるから、私の“勇者”」

 

 

 咄嗟に振り返った先にあったのは、何かを振り切るように走り去るナミの後ろ姿。呆けるルフィを余所に瞬く間に『バラティエ』の扉口まで辿り着いた彼女は、そこで突然くるりと振り返りドスの利いた怒張声を張り上げた。

 

   ちょっとウソップ!? 守られる側にもやるべきことってモンがあんのよ!? 船長に迷惑かけたくないならそんなトコでビビって突っ立ってないで、店の中で震えてなさいっ! 私たちがバラけてちゃルフィが守り辛いでしょ!」

 

 その叱咤にはたと我に返ったルフィは、戸惑いがちに最後に残った隣の臆病狙撃手へと向き直る。

 

「じぇゃっ!? びっ、び、びびびびビビってねェしィッ!? おほっ、おほおれはゆゆ勇敢なるうう海のせ戦士ししィッ!!」

 

「あっそ! なら犬死しないうちに早く中にお入りなさい!」

 

 口角に泡を残しながら電気椅子の死刑囚の如く痙攣する情けない箱入り少年ウソップと、相手にしない肝っ玉姉さんのナミ。そんな二人の言い争いを訳がわからずオロオロと交互に見続けるルフィに、涙目な狙撃手が震える声で虚勢を張る。

 

「だっ、だがこっこここではおれの武器である大砲は使えねェからなっ! しし仕方なく敵の首を譲ってやらんこともないっ! なはっ、なははは!!」

 

 その台詞を述べて満足したのか、千鳥足でレストランホールへと去っていく長鼻小僧。

 

 だがその足は僅か十数歩で歩みを止める。

 少年の、無様な震えと共に。

 

「…ウソップ?」

 

 深呼吸だろうか。幾度も大きく肩を上下させていた狙撃手が、ルフィへ振り返り、強い炎の籠った視線をぶつけて来た。

 意を決したような神妙で、険しくも威勢的な顔を浮かべながら。

 

 そしてウソップが  僅か半月未満の過去まで武器一つまともに手にしたことの無い、ただの臆病な村人に過ぎなかったウソップが  誰よりも力強い声援を、一人戦地に向かう勇敢な女の子に送り付けた。

 

 

   勝てよっ、おれたちの“船長”ッッ!!」

 

 

 大海原に木霊する自分の声が消えるまでの僅かな時間、少年の震える眼光が少女の陰った夜空の瞳を射抜き続ける。

 そしてその中にある何かを確認したように大きく頷くと、そのまま振り返らずにこの場の全ての人間が集まる『バラティエ』店内へと姿を消した。

 

 

 少女は一人残される。

 

 華奢で可憐な乙女の肢体は、吹き荒れる海風に容易く散ってしまいそうなほどに心細い、春の桜花のよう。そんなか弱い女の子が、数多の強者を震え上がらせるこの世の頂点の一角“王下七武海”、その中でも選りすぐりの者たちが待ち受ける死地へと向かわなくてはならないのだ。

 

 だが、その顔に絶望は無い。震える肩も、俯く頭も、何かを堪えるように体を抱きしめるその血だらけの両手も。全ては彼女の胸中に沸き起こる  歓喜の表れ。

 

 

  “後ろのみんなは任せてくれ”…だって」

 

 それは一味の料理人、サンジの言葉。

 義兄たちやゾロと同じような男のプライドを封じてまで船長を支えようとしてくれた彼の、少女への確たる信頼の証。

 

  “信じてる”…だって」

 

 それは一味の航海士、ナミの言葉。

 ”夢”では誰も頼らず一人メリー号を盗み去っていったほど故郷想いで仲間想いの彼女が見せた、少女への確たる信頼の証。

 

  “おれたちの船長”…だって」

 

 それは一味の狙撃手、ウソップの言葉。

 女のルフィをいつもどこか茶化すようにそう呼んでいた彼が初めて見せた、少女への確たる信頼の証。

 

 それらは紛れもなく、少女ルフィが求めた仲間たちとの絆の証であった。

 

 

「……もう…大丈夫」

 

 船長ルフィは、心地よい心音を奏でる胸から手を放す。

 

「……もう…負けない」

 

 船長ルフィは、下ろした血だらけの両手で、強敵に破られた必殺の拳をもう一度握り直す。

 

「……もう…私は   

 

 そして『麦わら海賊団』船長モンキー・D・ルフィは、陰った瞳の暗雲を払い去り、“仲間の信頼”という星明りと共に反撃の狼煙を上げた。

 

 

   誰にだって勝てるッッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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