ルフィちゃん(♀)逆行冒険譚   作:ろぼと

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32話 王下七武海・Ⅷ

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) ゲッコー海洋上『ブル・ハウンド号』甲板

 

 

 

  いい加減にしろ“英雄ガープ”。海兵が政府の命を受けた七武海の邪魔をするな」

 

「じゃかァしいッッ!! わしの可愛い可愛いルフィちゃんに指一本触れさせて堪るかァッ!!   拳・骨・隕石(ゲンコツメテオ)”ォッ!!」

 

 

 『麦わら海賊団』が海上レストラン『バラティエ』を訪れるときより、遡ること三日と少し。

 一味の狙撃手ウソップの故郷シロップ村近海で、巨大な軍艦が一艘の小さな小舟へ砲弾の暴風雨を降らしていた。

 

 王下七武海「鷹の目のミホーク」の海賊船を狙う、海軍本部中将モンキー・D・ガープ率いる部隊旗艦『ブル・ハウンド号』である。

 

 とある不祥事により捕縛された東の海(イーストブルー)海軍第153支部(通称”シェルズタウン支部”)の支部長の地位にあった海軍支部大佐「斧手のモーガン」を護送し、本部への帰路についていなくてはならないはずのこの巨艦は、当然のように艦隊長官ガープの私用に付き合わされていた。

 その私用とやらが「孫娘へ会いに行く」というものなのだが、無論、これは軍規違反である。

 

「ちょ、ガープさん!? 帰還命令違反はまあいつものこととして、流石に作戦妨害までやられるとちょっとおれも立場上見逃せないんですけどねェ…ッ!」

 

「“青雉”か……丁度いい、そこの馬鹿を抑えておけ。ただでさえ“赤髪”の阿呆に絡まれ遅れているのだ。急がねば一番槍を逃してしまう」

 

「ぬゥゥゥッッ!! 待たんか若造ォォォッッ!!」

 

 そんなあたりまえのことを切羽詰まった顔で口にする長身の男が一人。休日を言い訳に海軍本部を離れ、噂の”英雄の孫娘”の追跡を行っていた最上位将校、海軍大将「“青雉”クザン」だ。

 この男、得意の海上自転車ツーリングに飽き、道中を通過するこの『ブル・ハウンド号』にかつての師匠ガープ中将の厚意で便乗させてもらっていたのだが、老将のあまりの身勝手に、名高い”問題児師弟”の一人とは思えない苦労人の形相を見せる日々が続いていた。

 

 彼の最近の心の友は同じ苦労人仲間、艦の副官の任に就く海軍本部中佐ボガードである。

 

「…先ほど入ったフルボディ本部大尉の報告では、ルフィちゃんは海上レストランでウェイトレスとして奉公活動をしているとか。七武海の襲撃を受ければ民間船などひとたまりもありませんので、無辜の一般人の救出に本艦が向かうのは当然のこと…とまあ、面目が立たなくはないでしょう」

 

 前言撤回。そう述べる心の友は裏切り者であった。

 

「きみ…意外とガープさんに心酔してるのな。長いこと副官やってんの伊達じゃねェってか…一杯食わされたぜ、全く」

 

「度合いはともかく、中将を敬愛していない海兵は少ないのでは?」

 

 まるで機関銃のように砲弾を素手で放り投げる上司の横で、しれっと言い返す裏切り者ボガード本部中佐。どこか達観した目でその事実を語る男の姿に頬をひくつかせながら、クザンは大きく肩を落とす。

 自身とて老将に大恩ある身。海軍大将という立場さえなければ、いけ好かない王下七武海の猛威を躱すべく、恩人の  飛び切りの美人と噂の  孫娘ちゃんへ陰ながら手の一つや二つ差し伸べることもやぶさかではない。

 

 無論、あくまで陰ながらではあるが。

 

「まーそうなんだけど  って、ちょっとガープさん! これ以上は流石にシャレじゃすまねェって! 海賊とは言え連中、一応はおれたち同様政府側なんですから…!」

 

 しかし、男はこれでも恩人より上位の階級に就く者。そう安易に…というより軍人である以上、命令違反どころか作戦妨害まで企むなど当然許されるはずがない。

 ぶん投げる砲弾に殺意と共に覇気まで籠め始めたエスカレート気味の孫娘大好きジジィを自重させるべく、クザンは慌てて老将を羽交い絞めに掛かる。

 

 だが溺愛する孫娘のためなら元帥どころか全軍総督の命令すら無視するこの爺バカが、元弟子風情の言に耳を傾けるはずもない。

 

「ぬんっ、邪魔じゃ放せクザン!!   おいボガード! さっさと船の速力を上げんか! “鷹の目”がもうあんな遠くまで逃げとるぞ!!」

 

「いやだから作戦妨害は不味いってガープさん!!」

 

「既に最大船速です。これ以上の速度は出ません、中将」

 

「じゃったら全員で漕ぐッッ!! 氷で櫂を作れクザン、急げェッ!!   ルフィちゃあああん!! じいちゃんが今すぐ助けに行くから待っとれよおおおッッ!!」

 

「人の話聞けよジジィ!! あんた身内の裏切りで自分の立場がやべェってことくらい自覚してくれ頼むからァ!!」

 

 完全に処置なし。

 揺すれど振り払われ、能力で凍らせど叩き壊される。それでも老将の進退を真剣に案じ続ける海軍大将“青雉”は、実に師匠思いの弟子であった。

 

 だが男の道中、三日三晩の説得も空しく。突然の天変地異と共に発生した謎の大嵐の中心で  先ほどの“鷹の目”のものを含む  二つの桁外れな覇気を感知した瞬間、ガープは荒れ狂う海の中で喜々として部下に砲弾の準備を急がせた。

 

「追い付いたぞお、”鷹の目”ェッ!! よくもわしのルフィちゃんをォォォ……その岩島ごと海の藻屑にしてくれるわァァァッッ!!   拳・骨・流星群(ゲンコツりゅうせいぐん)”!!」

 

「あぁぁ……こりゃ軍法会議じゃ済まねェよ、もう……」

 

 そんな恩人の猪突猛進な姿に、クザンは最早この一件が長年の恩師と共に海を渡る最後の時間になるだろう、とある意味軍人らしい、あまりにあんまりな覚悟を決めることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所“巨雲島”

 

 

 

 神々の決戦の果てに沈んだ岩島の跡。

 波を被る僅かな岩礁すら残すまいと、この即席の陸地に幾度も襲い掛かる災難は、宛ら異物を排除せんと動く世界の意思の表れか。

 

 そんな哀れな残骸に降り注ぐ砲弾の豪雨の中で、二人の男女が呆れた顔で佇んでいた。

 

 

「…あの男は加減というものを知らんのか? 肝心の孫娘まで攻撃に巻き込まれているが」

 

「何しに来たのよおじいちゃん……これからみんなで逃げるところだったのに」

 

 石化した積乱雲の岩島で死闘を繰り広げた両雄、「鷹の目のミホーク」と「麦わらのルフィ」。戦いを終えた後の僅かな休息の途中に乱入してきた不届き者に、両者が思うことは一つであった。

 

「…まあいい、またどこかで巡り合うこともあるだろう。研鑽を怠らないことだな。“麦わら”」

 

「ふん、上等よっ。あなたに追い付かれないくらい覇気を鍛えて、今度こそ完膚なきまでに叩き潰してあげるわ! 今に見てなさいっ!」

 

 勝気な笑みで胸を張る少女。その眩い自信にミホークは己の望む形に落ち着いた彼女との関係を確信し、満足そうに頷いた。

 

「クク…それでこそ、この“鷹の目”の導き手に相応しい…! 共に更なる高みへ登ろうではないか、“麦わらのルフィ”よ!」

 

「ええ、望むところっ! あ…でもあなたを最初に倒す剣士は私のゾロよ? いつか強くなったゾロのために首を洗って待ってることねっ!」

 

 上機嫌の元は少女との出会いだけではない。

 

 己が初めて見誤った、強き心を持つ剣士ロロノア・ゾロ。

 短い合で幾つもの壁を超え、目を見張る進化を続ける若き力。その青い輝きをミホークは思い起こし、ニヤリとその鋭利な歯を覗かせる。この大剣豪を負かすほどの強者ルフィと共に歩む彼が、一体どれほどの成長を遂げるのか。いずれ想い人の船長を守るために前に立ち、“最強”の座を懸けた果し合いを挑んでくるであろうその男は、一体どれほど  この「鷹の目のミホーク」を高みへと誘う  素晴らしい“踏み台”となってくれるのか。

 青年との戦いを想起し、そして、その果てに己が辿り着く剣士としての更なる境地を想像し、大剣豪は笑みを深める。

 

「フッ、なら精々あの小僧の輝きを鈍らせるな。いずれ我らの頂まで上り詰めたら……ヤツが見せる新たな剣の可能性を楽しみにするとしよう」

 

 何とも強者らしい、不遜な内心。

 だがそれこそが、永遠の“最強”の求道者の正しい姿に他ならない。

 

「ふふんっ! きっと驚くと思うわ。だってゾロは私の大剣豪なんだからっ!」

 

 だからこそ、同じ強者たる少女は男の在り方を否定しない。

 少なくとも、自分の相棒の超えるべき壁として、男が青年の前に立ち塞がり続ける限り。

 

 眉間に寄せていた眉の皺を解き、ルフィは愛らしく破顔する。

 

「それじゃあ私、おじいちゃんがめんどくさいからそろそろ逃げるわね! 何かヤバそうな覇気の人も一緒に船に乗ってるし…!   バイバイ、“鷹の目”! またどこかでケンカしましょうっ!」

 

 にぱっと満面の笑みが浮かぶ幼げな美貌は、無垢で天真爛漫な童女を彷彿とさせる。おそらくこちらが彼女の本来の姿なのだろう。

 

 愛嬌溢れる少女の童顔を前にミホークは苦笑する。誘ったのはこちらだが、それを踏まえて尚この“鷹の目”を相手に「ケンカをしよう」などと口にする者など彼女くらいのものである。

 何とも可愛らしい好敵手が出来たものだ。

 

 

  “たァァァかァァァのォォォめェェェ”ッッ!!」

 

『!』

 

 その耳に突如、地獄の怨嗟の如き濁声が飛び掛かった。

 面倒な邪魔者『”拳骨”のガープ』の声だ。

 

「……十七歳のォォォ……嫁入り前のォォォ……初恋すら知らぬゥゥゥ……わしのめんこい可愛いルフィちゃんにィィィ……」

 

『!!』

 

 それはまさに烈火の如し。

 鬼すらひれ伏す憤激の情に支配された一人の修羅が、地獄の焔すら陰り見える鮮烈な“赫”を体に浮かべ、爆発的な覇気を漲らせていた。

 

 そして、老将の激情が、一人の満身創痍の大剣豪へ殺到する。

 

 

「ンぬァァにしてくれとんじゃアアアァァァッッ!!!」

 

 

 途轍もない衝撃波を撒き散らしながら、ガープがミホークの下へ突進する。

 本気も本気。全身全霊など遥かに超越した力を発揮し大剣豪を殺しに掛かる、怒りに狂った祖父の姿。だがそんな老将の戦意の源とも言える少女ルフィは、渦中真っ只中にありながら、驚愕と呆れの混ざった顔でただ彼の暴走を見つめることしか出来ない。

 

「くたばれ若造がァァァッッ!!   ぬゥゥゥんッッ!!」

 

   ッぐぅっ!?」

 

 咄嗟に黒刀“夜”を構え、相手の初撃を受け止める大剣豪。だが満身創痍の肉体に、孫娘を傷物にされた祖父の憤怒の拳はあまりに耐え難い。

 一瞬で自慢の大剣ごと殴り飛ばされたミホークは、無様な舞を踊りながら遠くの海面の裏へと消えて行った。

 

 ぽかん、と呆けた顔で好敵手の惨めな姿を見つめていたルフィは慌てて我に返る。

 

「うわぁ…すっごい怒ってる。これ倒れるまで暴れ続けそうだし、こっち来る前にさっさとトンズラしましょ」

 

 以前故郷のドーン島の近くにある無人島で行った手合わせで、少女はガープの片腕を“ギア4・ホーネットガール”の必殺技で貫き大怪我を負わせてしまった。その傷を頭の片隅で心配していたのだが、あの大惨事を見る限り全くの不要であったらしい。

 適切な栄養さえ摂取すれば体の傷など“生命帰還”で完全再生出来るルフィは、祖父の怒りの理由に首を捻る。もっとも、彼の脳内は複雑怪奇であるため、少女が自身の貴重な知力をガープの行動原理を解き明かすために割くことは無い。

 一瞬で推理を諦めた孫娘は、祖父が起こした混乱に便乗し、この場からの早期逃亡を目論んだ。

 

 だが、“剃刀”で『バラテイエ』の仲間たちの下へ向かおうと踵を返したルフィの耳に  

 

 

   あらら…そう簡単に逃がしてもらえるとか思っちゃってるワケ、お嬢ちゃん?」

 

 

 かつて“夢”で聞いた、ある忌々しい男の飄々とした声が侵入した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『ブル・ハウンド号』

 

 

 

 束の間の平穏を搔き乱す、一隻の海軍艦。未だ微かに残るなけなしの見聞色の覇気でさえも感じられた、その船の中に陣取る二つの巨大な気配。

 片方は少女のよく知る過保護な爺。だがもう片方は…?

 

 その正体をある程度は予想していたものの、まさか本当にあの“三大将”の一角が七武海の刺客たちに交じっていたとは。厄介に過ぎる強敵の襲来にルフィは焦燥を隠せない。

 

 

 海軍大将“青雉”。

 

 偉大なる航路(グランドライン)屈指の猛者たちの巣窟と名高い海軍本部の中でも最上位の階級に就き、「海軍の最高戦力と称され"新世界”でも超級の強者として恐れられる人物。ヒエヒエの実の氷結人間で、全ての悪魔の実の能力者の弱点である海水を一瞬で凍り付かせる絶対零度の冷気を操る、自然系(ロギア)能力者である。

 かのルフィ少年は冒険の道中で四人の海軍大将と遭遇し、いずれのときもその桁外れの実力に絶体絶命の危機に瀕しているが、この男は少年が最初に遭遇した巨大過ぎる世界の壁、文字通りの”絶望”そのものであった。

 

 "夢”の記憶に登場するその感情の権化は数多い。もちろん「サー・クロコダイル」やパシフィスタなど、成長の果てに乗り越えられた絶望もある。だが少女が、ルフィ少年が負け越している相手に対して未だ苦手意識が拭えないのもまた事実。

 

 たとえ少女ルフィが、"夢”の少年より遥かに強大な力を得ていたとしても。

 

 

「…流石に"鷹の目”相手だとそれなりに消耗したみてェだな。これならおれ一人でも何とかヤれるか…?」

 

 ただの超新星(ルーキー)として見られていたルフィ少年とは大違い。この男に一切油断無く、己を上回る強者と見做されている感覚はある意味新鮮で、少女はその強烈な殺気に思わず後退る  ところを船長の矜持で踏み止まった。

 

 仲間の声援を受けたスーパールフィちゃんに"恐れ”など無いのである。

 

「ッ、ちょっと!なんであなたがココにいるのよ、"青雉”…!」

 

「…おいおい、まさか顔までバレてるのかよ。まいったね、こりゃどーも」

 

 少女の問を無視し、通り名を言い当てられた男が苦々しい顔でボリボリと首を掻く。

 その無造作な仕草に反し、"青雉”の佇まいに隙は微塵も無い。自然系(ロギア)能力者は実体を捨てる自身の絶対的な攻撃無効化能力に甘えがちで、武装色の覇気を纏った奇襲攻撃に弱い傾向がある。だがルフィは、たとえ速度と一撃必殺の攻撃に特化した対大将"黄猿”  もとい、対自然系(ロギア)能力者用形態“ホーネットガール”へ再々度移行したとしても、覇気を擦り切らせている今の自分にこの男の不意を突けるとは思えなかった。

 

 ルフィは臍を噛みながらも逃げる機会を慎重に疑う。しかし「逃がさん」と言わんばかりに“青雉”が目を光らせる。

 

 しばしの睨み合いの末、最初に口を開いたのは、追手の大男であった。

 

  おれはあんたのじいさんに昔、結構世話になっててね。そっちにも色々あるんだろうが…おれからすれば、あの人を裏切ったお嬢ちゃんにはちょーっと思うとこがあるのさ」

 

 挑発のつもりか。全く以て独りよがりな  少なくともルフィにとっては  海軍大将の言葉に、少女は大きく頬を膨らませ自身の感情を表現する。

 

「むっ、『裏切った』ってなによ人聞きの悪い! 海軍上級大将だとかナントカはそっちが勝手に勘違いしただけじゃない! 私の夢は海賊王よっ、海兵になるなんて一度も言ってないわ!」

 

「いや、あんた…あんだけ爺さんやウチの鬼教官に世話になってたじゃねェか。海兵が嫌でも、せめて賞金稼ぎとかにしてくれれば七武海就任で何とか落ち着かせられたってのに…」

 

「ヤダっ! 賞金稼ぎも七武海も絶対イヤっ! …あ、でも海軍の教官の人たちにはいっぱいお世話になったわ。だから会ったら沢山『ありがとうございます』ってお礼言うのっ! 冒険の途中で会えるかしら…?」

 

 邪気の欠片もない純粋な笑みを浮かべる童顔の少女。思わず釣られて頬を緩めてしまいそうになるほど可愛らしい乙女の笑顔だが、“青雉”は鋼の理性で耐えてみせる。

 

 これがより大人びた美貌の女性の笑みであれば別の意味で危なかったであろう。

 

「はぁ…こんな超絶スーパーボインかわいこちゃんならうっかり許しちまいそうになるんだが  

 

 危機感故か、戦意を削がれそうになった男が立ち直り、纏う雰囲気を一変させた。

 

   流石にこんなクソッタレた時代を作っちまった“海賊王”をまた誕生させる訳にはいかねェからよ  

 

 海軍大将。無辜の民の守護者にして、世界政府の最高戦力。

 その席に座る男の殺意が不可視の刃となり、海賊娘へ一斉に突き刺さった。

 

 

  悪ィが”世界平和”ってヤツのために、ここで死んでくれ…!!」

 

 

 直後、東の海(イーストブルー)の大海原は  唐突な氷河期を迎える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』

 

 

 

 海が割れ、山が崩れ、岩が消し飛び、石砂が巨大な雲となり無数の雷を水面に墜とす。

 絶え間ない爆轟が、衝撃が、振動が、絶海の大海原に木霊する。

 

 それはまさに終末の世の光景。途切れぬ破壊に耐え切れず、数千メートルを超える高さでそびえ立っていた石化した積乱雲の巨島が瞬く間に歪な岩礁へと変貌していく。

 

 その破壊地獄の中心。生身の弱者が立てば一瞬で物言わぬ肉塊へと化す覇気の洪水が  争う神々の勝敗が決したのか  今、止まった。

 

 

「ど、どうなったんだ…?」

 

 不安に駆られながらも船長の勝利を信じ続ける『麦わら海賊団』と、海上レストランの料理人や食事客たち。短い間とは言え、人生に一度としてあってはならない超常現象に幾度も晒された彼ら彼女らには不思議と同族意識が芽生えており、事の元凶でありながらも必死に皆を守ろうと戦う可憐な少女船長の無事を心から願うようになっていた。

 

 コックたちも客たちも皆、愛らしい笑顔で人々を魅了する見目麗しい給仕服の彼女の姿が脳裏に浮かぶだろう。

 だが今、この場で一同が共通して少女ルフィに見出していたのは、自分たちを守ってくれる、紛れもない強き”王”としての武力と  心を強く惹き付ける王者のカリスマであった。

 

 

「お、おい見ろ!あれってまさか…!!」

 

 そんな『バラティエ』の目に、一隻の軍艦の艦影が飛び込んできた。

 

 中央帆柱に高く掲げられているのは、正義の御旗たる「大空に羽ばたく蒼き鴎」。世界政府に隷属する海上治安維持組織『海軍』の象徴である。海賊同士の争いで地獄の淵に立たされる無辜の民にとっては救いの希望だが、唐突に現れたその旗を掲げた軍艦に一同から歓声が上がることはなかった。

 

 本日新たに海賊『麦わらの一味』の縄張りとなった海上レストラン『バラティエ』。そこに立て籠もる彼らにとって、”海軍”とは今や救いから遠く離れた、恐るべき脅威の一つと化していたのだから。

 

「海軍…!? 七武海に続いて海軍までやって来たの!?」

 

 ざわつく船内を代表し声を上げたのは、海賊一味の自称天才美少女航海士ナミ。

 船長を信じ、己の五感が捉えた現実から逃げない彼女は、未来の海賊王の航海士に相応しい肝っ玉姉さんであった。

 

 もっとも、ナミが泣きそうな顔で見つめる新たな絶望は、未だ始まったばかり。

 

 

『!!?』

 

 

 突然、轟音と共に海がまた割れた。

 

 最早見慣れた大惨事ではある。

 だが、決定的に違う光景が一つ。

 

 

「……な、に……あれ…」

 

 

 割れた海の、底の見えない深い深い谷。

 その対岸と呼ぶべき水の絶壁が硬質な輝きを放ちながら、時を止めていた。

 

 まるで氷のような  否、”ような”とは語弊がある。

 

 微動だにせず固まった液体の断面に走る幾つもの罅割れから発せられる、耳を覆いたくなる異音。遠く離れたこのレストラン船の上まで届く、肌を斬り裂くような冷気。それら全てが眼前の怪奇現象が現実であることを、『バラティエ』に避難する一同に突き付ける。

 

 海が、凍っていた。

 

 

「かっ  

 

 言葉が無い。

 

 クリークから始まり、王下七武海の“海賊女帝”、空から落ちる数千メートル規模の岩の塊、割れる大海原に巨大津波、あの世界最強の大剣豪“鷹の目”、そして唐突に現れた氷の大陸。怒涛の如く相次ぐ地獄の襲来に、レストラン船で体を寄せ合う海賊も料理人も食事客たちも、皆が悲鳴を枯らし抜け殻のような顔で新たな嵐が迫る光景を伺い続ける。

 

 そんな彼ら彼女らの耳に、ようやく、あの愛おしい救いの福音が届いた。

 

 

  くぅぅっ冷たぁい…っ!嫌いっ!あの人やっぱり嫌いよっ!!」

 

 

 それは海を割り、冷気の浸食を止めた皆の救世主の声。

 

『ルフィ!!』

 

 鈴の音色に導かれ、一味の仲間たちは気高い少女船長の帰還に歓喜の雄叫びを上げる。

 

 神話の世界。この海の頂点の戦い。ただの人に過ぎない彼らにとっては、生きていることこそ奇跡に他ならない。そんな死地へ赴く可憐な少女の背中を、『バラティエ』店内で震える面々は沈痛な想いで見送ったのだ。

 

「ルフィィィッッ!! おまっ、あの“鷹の目”に勝っちまうなんて…! おれァ…おれァもうダメかとォ思っでぇぇぇ…びぃえええぇぇん」

 

「はっ、ははは…! 信じてるとは言ったけど…まさかホントに…っ!   バカっ、バカルフィ…っ! 心配かけてぇ…っ!!」

 

 少女が率いる一味のクルー、狙撃手ウソップと航海士ナミが涙ながらに船長に飛び付く。

 

「うおおおっルフィちゃん…! 無事で何よりだぜ…っ!!   ッおいお前ら! おれたちの未来の海賊王ちゃんが帰って来たぞ!! …助かる! 助かるんだ! やっとこの地獄から解放されるんだァッ!!」

 

  ッッうおおおォォォッッ!!』

 

 海賊たちの涙を皮切りに、レストラン船の一同は安堵と歓喜の声を次々に解き放つ。

 

 だが『バラティエ』の空前絶後のお祭り騒ぎは、当の“王”の言葉で掻き消えた。

 この場で唯一この地獄に対抗する術を持つ少女が語る、新たな脅威の接近と共に。

 

 

  まっ、待って! ごめんなさい、またヤバいヤツが来ちゃったの! もうこれ以上ココで戦うと『バラティエ』が沈んじゃうから私たちで囮になってお店のみんなを逃がしましょうっ!」

 

『……え?』

 

「もうちょっとの辛抱だから、私に釣られてあの人たちがここから離れるまで何もしちゃダメ…! お店のみんな、いい?」

 

 

 沈黙。

 そして動揺。

 

 一度解き放たれた感情が行き場を失い、周囲に不可視の渦を巻く。不安に駆られる女性客たちはパートナーの腕の中で震え、気丈な男たちも緊張に幾度も唾を呑む。破滅の嵐は留まることを知らず。その事実が『バラティエ』を更なる絶望へ叩き落とす。

 

 そして。

 

 

  氷河時代(アイスエイジ)”!!」

 

 

 そんな爆発寸前の危うい心理的均衡は、一人の男が起こした凍て付く紅蓮地獄によって、一瞬で大恐慌へと変貌した。

 

「くっ、みんな伏せてっ!!  ”ゴムゴムの火拳銃乱打(レッドホーク・ガトリング)”ッッ!!」

 

『うわあああァァァッッ!!』

 

 迫り来る冷気の波動。それを押し返さんと打ち出される無数の火柱の戦列陣。せめぎ合う吹雪と熱風の後ろで、非力な東の海(イーストブルー)の羊たちは必死に己の命にしがみ付く。

 

 そんな一同を背に、希望の少女は迫り来る絶望に抗い続ける。力を振り絞り放った面制圧攻撃はその目的を果たし、襲い掛かる冷気を霧散させた。

 

「……ったく、なんて数の連打だ…! ゴムの超人系(パラミシア)のクセに炎まで纏っちゃって。海すら凍るおれの自慢の大技が形無しじゃねェか、化物嬢ちゃんが…!」

 

 白煙の奥から現れたのは、一人の長身の男。“正義”の二文字を背に描いたコートを肩にはためかせるその佇まいは、海軍将校のみに許された、誰もが知る正義の代弁者の姿だ。

 

 体に氷を纏わせ少女を睨む大男の巨大な存在感に、『バラティエ』の一同は息を呑む。

 

「ハァ…ッ、ハァ…ッ、ふんっ! こっちのは小山を更地にする威力よっ! 舐めないでよね…っ!」

 

 だがその代償は決して少なくない。意識を手放してしまいそうなほどの疲労感に耐えながら、ルフィは精いっぱいの虚勢で目の前の強敵を睨み付ける。

 

「勘弁してくれよ。…んで、後ろの一般人は人質のつもりか? あーあ、“期待の勇者”が堕ちるとこまで堕ちちゃってまあ…」

 

「あなたの…っ、無差別な冷たいのから守ってるのよ…っ! 見りゃわかるでしょう、これでも喰らってなさいっ!   “ゴムゴムの火拳銃(レッドホーク)バズーカ”…ッ!」

 

「!! ッぐはぁっ!?」

 

 無茶をせねば全てを守ることなど出来はしない。大技でなけなしの覇気すら擦り減らしながらも、少女船長は身を削り何とか敵に有効打を入れ時間を稼ぐ。遠くへ飛んでいく“青雉”の姿を視界に収め、ひとまず息を整えようと肩の力を緩めるルフィ。

 

 その瞬間、少女は強烈な立ち眩みに襲われた。

 

「…ッ!」

 

 咄嗟に脳裏に浮かんだのは、一味の皆の顔。

 仲間に心配を掛ける訳にはいかない、とルフィは慌てて踏み止まる。震える体に鞭を打ち、少女は床に這い蹲るナミたちへ空元気の笑顔を見せながら船の出航準備を急がせた。

 

「ッ、ほ、ほらっ! 今のうちにお願い、ナミっ! みんなも! まだまだ追手来ちゃいそうだし、これ以上ココを危険に晒すワケにはいかないもの。海賊らしく、派手に愉快に逃げましょうっ!」

 

「…ルフィ?」

 

「だ、大丈夫…っ! 私、まだまだへっちゃらよ! さぁみんな、船まで飛んでくから腕に掴まって!」

 

 猶予は僅か。一分一秒も惜しい少女は仲間たちを掴んで船着き場のメリー号へ飛ぼうと“剃刀”を行使する。

 

 だが。

 

 

「あッ…!?」

 

『うわっ!?』

 

 空を駆けようと床から踏み出した最初の一歩。少女の体がガクリと崩れ落ちた。

 

「ッご、ごめんなさい…! も、もう一度…」

 

「お、おい大丈夫かルフィ!?」

 

 慌てて立ち上がり、ルフィはウソップの声に辛うじて「大丈夫!」と笑顔で返す。

 だがその膝は笑うように痙攣し、歩くことさえもやっと。予想以上の消耗に少女は焦燥に顔を青褪めさせる。

 

 連戦に次ぐ連戦。加え三度四度と“ギア4”を繰り返し発動し、数千メートルもの岩の塊を消し飛ばす少女の最強の範囲攻撃“ゴムゴムの女王蜂群密陣(クインビースウォーム)”を一切の出し惜しみ無しで行使した反動は想像を絶する。そして先ほどの超連打攻撃の多用が止めとなり、酷使され続けた彼女の体は遂に限界を超えてしまった。

 

 それでも残った覇気の残滓をかき集め、必死に体を動かそうと粘るルフィ。そんな少女の目に仲間たちの不安げな表情が飛び込んでくる。

 

「こっ、この…! 動いてよぉっ!」

 

 だが抗うも空しく。束の間の休息に緩んでしまった緊張は戦意の影に隠れていた膨大なダメージを露出させ、少女の身体は自己防衛本能によって活動を停止しつつあった。

 

 致命的なまでの体力の消耗。そして沖にはあの海軍大将が猛威を秘めたまま、未だ健在。

 

 絶対絶命の危機だ。

 

 

 

 

  お待たせしました、姫」

 

 

 

 そのとき、どこからかふわりと漂って来たニンニクの香りがルフィの鼻孔を擽った。

 

 

「…ぇ?」

 

 それは絶望の死地に唐突に紛れ込んだ、あまりにも場違いな異物。

 

 人間の原初的本能を呼び起こす芳醇な”食”の存在感に、場の一同全員は恐怖も忘れ、ぽかんとその声の持ち主へ寸分違わぬ間抜け面を向けてしまう。

 

「サンジ…?」

 

 少女は突然現れた仲間の奇怪な行動に唖然とする。

 

 ここはレストラン。

 その事実を誰もが忘れかけていた中、少女の前に差し出された一枚の皿は、この場に何よりも相応しく、同時に何よりも意外過ぎるものであった。

 

 白磁の食器に山盛りに積み上げられていたのは、湯気のベールに覆われた色とりどりの野菜の炒め物。柔らかく仕込まれた豚バラと、香り良くローストされた胡桃が顔を覗かせる一品は、垂涎ものの食の誘惑だ。

 

 死に怯え、救いを乞うだけの弱者に成り下がった海上レストランの一同。

 しかし、その青年  否、師弟だけは塞ぎ込むことなく自分のなすべきことを理解していた。

 

「何ぼけっとしてやがんだ、嬢ちゃん。おめェ朝から何も口に入れてねェんだ。チビナスのクソレシピでも胃に放り込めば少しは腹の足しにならァ。あのデカブツ海兵が戻って来るまでにさっさと食って精を付けろ」

 

「あァ? レディを急かすんじゃねェよクソジジィ! てめェはその生い先短い命でルフィちゃんがおれの料理を召し上がる時間を稼いで死ね!」

 

「フン、おれに言われてやっとてめェの仕事に気付く間抜けが偉そうに」

 

「んだとてめェ!」

 

 『バラティエ』のオーナー料理長、ゼフ。

 大災害で豚小屋以下の惨状となった厨房で、互いを罵り合いながらも弟子サンジの補佐を務めた名シェフだ。

 

 喧嘩っ早い暴力コック二人の睨み合いに挟まれたルフィは、混乱のまま両者の間で右往左往する。

 

「あ、あの…サンジ? このお料理って…」

 

 戦場の真っ只中で出された“異物”に戸惑う少女。そんな船長に、一味の料理人は慈愛に満ちた笑みで語り出した。

 彼女のために、彼に出来た最善の手助けについてを。

 

「ルフィちゃん、ここはジジィの店だ。そしてこの店はお腹を空かせた人間全員に食事を出す場所なんだ。…それが、新しくルフィちゃんの縄張りになったこの店の、昔からの存在理由さ」

 

「…ッ!」

 

 少女は青年の言葉に促され、辺りを見渡す。

 集まる視線は怯える惨めな弱者のものばかり。

 

 だがルフィには見える。

 名も知らぬ関係ながら、短くも濃密な体験を共に潜り抜けた彼らの瞳の奥にある、“王”への期待が。敬愛が。信頼が。

 

 それは紛れもなく、彼ら彼女らが、この「麦わらのルフィ」が守るべき者たちであることの証であった。

 

 

「私の、縄張り…」

 

 少女の言葉を、店のオーナーが肯定する。

 

「ああ、そうさ。縄張りのボスが腹ァ空かせて震えてやがるんだ。飯の一品も出せねェようなら、おれァ店の看板を下ろしてやる」

 

「へっ、違いねェ…!」

 

 ニヤリと勝気な笑みを浮かべる老人と青年。少女の目に映るその笑顔は、二人の意思が同じであることを示していた。

 

 ルフィの胸に、温かい何かがふつふつと湧き上がる。

 そんな彼女の紅潮する頬に笑みを深めながら、サンジが恭しく跪く。

 

「ルフィちゃん。それに何より  

 

 そして少女を見上げる青年は、続く言葉に万感の思いを込めた。

 

 

   きみの料理人は、このおれだ」

 

 

 料理人が皿に垂らす、最後の仕上げ。

 

 その言葉のソースが掛けられた、仲間の青年の手に乗る素朴な料理は、まるで黄金のように美しく輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大海賊時代・22年

東の海(イーストブルー) 某所『バラティエ』

 

 

 

「急げ、急げ!有りっ丈だ!」

 

「物置の酢漬けも全部持って来い!あのペースならこのままだと足りなくなるぞ!」

 

「…にしてもあの細い体のどこにあんな量の飯が消えてくんだ?」

 

「食った直後に消化してるんだとよ。やっぱ強い人間ってのは体の構造から違うらしい…ハッ!? 医学の進歩のための研究と称したら、ルフィちゃんのあのエロエロボディを堪能出来  

 

「死ねエロ藪医者! お前が治療してた”海賊狩り”の兄ちゃんはちゃんと無事なんだろうな? ルフィちゃん泣かせたら殺すぞ、てめェ!」

 

 

 ここは東の海(イーストブルー)の名所、海上レストラン『バラティエ』。

 

 新たにとある無名の海賊少女の縄張りとなったこの絶海の食事処では今、倉庫の食糧が底を突く勢いでコックたちが無心に料理を作る、野戦病院のように凄惨な光景が広がっていた。

 

 彼らが戦う厨房で準備された美食の数々が運ばれる、レストランの中央ホールの一角。そこに一人の小柄な少女を囲む奇妙な人だかりが出来ていた。

 

「ちょ、ちょっと…! どんだけ食べるのよあんた  って、皿ごと食うなバカ! もっと品よく食べなさいって、女の子でしょ!?」

 

「ふぁふぃふぉっ!? ふぁふぇふぉふぉふぁふぁっ!」

 

「だから食いながら喋るなっつってんでしょ、このクソゴム!!」

 

 集う彼ら彼女ら四人の名は『麦わら海賊団』。身勝手にもこの海域の領有を主張する、構成員僅か五名の零細にして、世界最強格の海賊一味である。

 

 そんな集団の中央に陣取り、コックたちが運ぶ大量の料理を浴びるように喰らうその少女こそ、未来の海賊王を自称する超級の強者。

 海賊団の船長モンキー・D・ルフィだ。

 

「……へへ、なんか『おれたちのルフィが帰って来た!』って感じがするぜ」

 

「ああ…おれの料理がルフィちゃんに笑顔と活力を取り戻させた…! くぅっ、料理人冥利に尽きるとはまさにこのこと…!」

 

「サンジお前、女が関わるとダメになんのか有能になんのかどっちかにしろよ…」

 

 ただならぬ因縁がある世界政府が寄こした刺客たちとの激闘を二度三度と続け、この世の覇者を目指すに相応しい気迫を常に放っていた一味の親分。まるで別人のような少女船長の威圧感に少なくない衝撃を受けていたクルーたちは、いつもの彼女らしいおバカで天然な野菜大好き腹ペコ娘が忙しなく料理を口に掻き込む姿を目にし、ようやく張り詰めた緊張の糸を緩めつつあった。

 

 そして集う少女の仲間三人  ナミ、ウソップ、サンジの安堵の笑顔に囲まれながら、船長『”麦わら”のルフィ』はその華奢な両腕を天へ突き伸ばし、気合いっぱいの掛け声を上げた。

 

 

  ふッッかああァァつッ!!」

 

 

 先ほどまでの襤褸雑巾の如き姿はどこへやら。今やそこにいるのは、気力に満ち溢れ、瑞々しい艶を放つ柔肌の元気っ娘であった。

 

「んん~~っ! よしっ、覇気も満タン! 傷も完治! 絶好調よっ!!」

 

『おおっ!』

 

 ぴょんぴょんとはしゃぐ海賊少女は軽い伸びで四肢を解しながら、蘇った体の調子を確認する。

 

「うん、やっぱりサンジの作るお料理がないと私は海賊王にはなれないわ!   仲間になってくれてありがとう、サンジっ!!」

 

「!!」

 

 ぱぁっと満面の笑顔の花を咲かせる幼げな風貌の美少女が、一味の新入り青年料理人に心からの感謝を送る。

 それは“愛の奴隷騎士”を自称するほどの無類の女好きである彼に問って、何よりの勲章。感極まった青年サンジは昂る気持ちに身を任せ、どさくさに紛れ少女の弾ける巨大な双胸に飛び込もうとした。

 

「んんルゥゥフィィィちゅわああ  

 

 だが彼女が率いる海賊団には純粋無垢な船長を妹のように可愛がる、負けず劣らぬ美貌の姉貴分がいる。一味の航海士を務める才女ナミだ。

 

「はいアウト」

 

   ぶべっ!?」

 

 コックの正直過ぎる好意に戸惑う少女を守る、ステキなお姉さん。その平手が容赦なく青年の頬に入り、仲間限定で発揮される彼女の怪力に吹き飛ばされたサンジが長い滞空時間を経てホールの床に墜落する。

 

「はぁん…ナミさんのビンタもイイ……! 乙女のすべすべお肌が…ぐふっ、ぐふふふ…」

 

 土足で歩くレストランのフローリングと濃厚な口付けを交わす青年料理人。そんな女好きコックの気持ち悪いうわ言に、場に集った三人目の仲間である狙撃手のウソップ少年は頬をひくつかせながら、隣の女性陣二名に憐憫の瞳を向ける。

 

「これからコイツと共に過ごす日常が始まるのか。色々と大変そうだな、ウチの女共」

 

「そう? しつけ甲斐のある下僕じゃない。ルフィに奴隷(おとこ)の扱いを教えるいい教材だわ」

 

「あっうん、おめェはそういうヤツだったな。失敬、失敬」

 

 あっさりと返すナミに、少年はどこか達観したような顔で謝罪する。彼の所属する『麦わら海賊団』は、未来の海賊王が集めた曲者揃いの一味だ。変質者に怯むどころか尻に敷こうとする彼女も、やはり”王”に選ばれた剛の者。

 

 

   ルフィ、忘れ物だ」

 

 

 そう賑やかに食事を楽しむ彼ら彼女らの耳に、聞き慣れた男声が飛び込んできた。

 

 後ろを向いた先に立っていたのは、全身に包帯が巻き付けられた一人の青年。船長ルフィを狙う刺客の一人にして、目指すべき頂に座す大剣豪「鷹の目のミホーク」に挑み、土を付けられた一味最後にして最初のクルーである。

 

『ゾロ!!』

 

 “海賊狩り”の異名を持つ三刀流剣士を一味の皆は喜声と共に迎え入れる。ゾロは一同の過剰な歓迎に煩わしそうに返しながら、先ほど名を呼んだ少女の前へと進む。

 そして、眩しい笑顔の船長へその忘れ物を差し出した。

 

「しししっ、やっぱりコレが無くちゃダメねっ! ありがとゾロっ!!」

 

 受け取った宝物  赤いリボンの麦わら帽子を深く被り、ルフィは相棒へ太陽の笑みを贈る。彼の無事は既に見聞色の覇気で気付いていたが、やはり直接目で確認した仲間の姿は残る不安を掃う何にも代えがたい光景だ。

 

「…ッ! だ、大事な宝物ならてめェで持ってろバカ…!」

 

「えっ。ご、ごめんなさい…」

 

 だが当のゾロはその笑顔に、“鷹の目”に敗れ彼女と三度目の誓いを交わしたあの一幕を思い出し、あまりの羞恥に咄嗟に視線を逸らしてしまう。

 ぼんやりとした意識の中にあっても、平常であれば口が裂けても言うはずのない弱音の数々。あまりに素直な感情の暴露。それらをあろうことか最も聞かれたくない人物に零してしまった事実に、剣士は顔に燃えるような熱を登らせる。

 

 

   取り込み中んとこ悪ィな、嬢ちゃん。ウチの砲弾火薬、水食糧、あとその剣士の小僧の抗生物質以下医薬品と医療用具。出来るだけ積んどいたぞ」

 

『!』

 

 そんな相棒の奇妙な態度にルフィが首を傾げていると、海賊たちのキャラベル船『ゴーイング・メリー号』の出航準備を指揮していたゼフがレストラン船のホールに戻って来た。その手際、流石は偉大なる航路(グランドライン)帰りの猛者と言ったところ。以前オレンジの町でお願いした『バギー海賊団』にも匹敵する、まさに熟練の船乗りの御業である。

 

「ありがとう、ゼフおじいちゃんっ!」

 

「フン、無駄にすんじゃねェぞ」

 

「ええ!もちろんっ!」

 

 老シェフの厚意に向日葵の笑みで返したルフィは最後の料理を口に掻き込み、即座に店のバルコニーへ飛び出した。

 

 

「さて」

 

 

 手すりの上に仁王立ちになった少女は笑顔で眼前の海へ目を向ける。その背中は自信と気力に満ち溢れた、誰よりも大きな存在感を放つ、縄張りの主に相応しい威容であった。

 

 華奢な体から放たれる爆発的な気迫が大気を震わせ、場の一同は圧倒される。

 

「みんなよぉく聞いて、“船長命令”よっ!   これから『バラティエ』を出航して政府の追手から逃げましょうっ!!」

 

『…!』

 

 自然と後ろのバルコニーに集まる一同へ、ルフィは一味のトップとして進むべき道を示す。

 

「あの人たちの目当ては私。だからまずは私たち『麦わら海賊団』が囮になってお店のみんなを逃がすわ!」

 

「……嬢ちゃん、それが縄張りの主の決定なんだな…?」

 

「ええ! …あ、そうそう! あとココが私の縄張りだってことは私が名を上げるまで秘密ねっ! こんなにいっぱい強い人たちと戦ったんですもの、すぐに有名になるわ! それまでの辛抱よっ!」

 

 ゼフの心配を一笑し、少女船長は自慢気に宣言する。その愛らしい音色は、不思議と周囲に活力を与える凛々しく力強いものであった。

 

「じゃあ次は私の仲間たち! 最初は…ナミっ!」

 

「…ッ!」

 

 彼女の声に弾かれるように、ナミは思わず姿勢を正す。

 

「ナミはヨサクたちと一緒にメリーの操縦をお願い! 針路はあなたに任せるわ!」

 

「…アイアイ、船長っ!」

 

 船長の信頼が女航海士の胸に火を灯す。その熱に突き動かされるように、ナミは与えられた指示に自然と首を縦に振る。

 

「次にウソップ! あなたは前回クロたち相手に使った甲板の大砲で敵の追手を砲撃!」

 

「ヒッ…お、おうっ! まっ、まままきゃせろ船長ォッ!!」

 

「サンジ! あなたは迎撃出来そうな砲弾とかからメリーを守ってちょうだいっ!」

 

「仰せの通りに、美しき我が船長…!」

 

 矢継ぎ早に飛ぶ船長命令が『麦わら海賊団』のクルーたちを高揚させる。散々己の無力を自覚させられ続けた彼ら彼女らのプライドがぐつぐつと煮え滾った。

 

 船長は自身の仕事を成した。そして強敵を下した今、追手を振り切る最後の仕上げに、初めて仲間の力を求めたのだ。

 これに応えずして何が“未来の海賊王のクルー”であろうか。

 

   以上っ! みんな、異存はおあり?」

 

 有無を言わせない強い意志の瞳を輝かせる、満面の笑顔の女の子。海の荒くれ者共の先導者らしからぬ純粋無垢な姿でありながら、少女の放つ光は夜の闇を照らす星明りの如く万人の心を惹きつける。

 

 飲まれている。

 そう感じてしまうほど、彼女の船長たる麦わら少女はこの場を完全に支配していた。

 

『否っ!!』

 

「しししっ、ステキっ! …それじゃあ  

 

 まるで最初からそう定められていたかのように、“王”の命を受けた彼らは昂る感情に突き動かされ  

 

 

   出航おおお~っ!!」

 

『応おおおォォォッッ!!』

 

 

   少女の可愛らしい号令に魂に響く咆哮を上げた。

 

 

 

***

 

 

 

「……行くか、チビナス」

 

「!」

 

 意気揚々と『ゴーイング・メリー号』へ乗り込む海賊一味。その最後尾で美少女の期待に応えようと戦意を昂らせる青年料理人の耳に、聞き慣れた濁声が届く。

 忌々しい恩人にして師匠のゼフだ。

 

 サンジの肩が老シェフの言葉に僅かに跳ねる。その小さな動揺の正体に行き着いた青年は揺れる心を隠すようにゼフへ嫌味を吐いた。

 

「…んだよ、出てけっつったのはてめェだろクソジジィ…!」

 

「ああ、清々すらァ」

 

「…ッ、ああそうかよ」

 

 オーナーの心無い言葉の棘がサンジの胸に深く刺さる。

 

 恩人の城『バラティエ』を自身の死に場所と定めて早九年。救われた命をこの老人の夢へ捧げることこそ恩返しであると自身に言い聞かせ続けていながら、サンジは一人の少女との出会いを経て、自分自身の夢を追う道を選んだ。

 そのことに対する後ろめたさを持ちながら、素直に頭の一つも下げることが出来ない。自己嫌悪を隠したいのか、そんなサンジが返す言葉もどこか冷たいものであった。

 

「大した料理も作れねェ、おまけにこんな節操無しをウチの臨時ウェイトレス  いや、“縄張り主”サマの下に遣わすのは店の恥だがな……少なくとも年がら年中ずっと女の尻追いかけてるお前なら、船長嬢ちゃんの栄養管理くらいは出来るだろう」

 

「あァ? 当然だろ、誰にモノ言ってんだてめェ…!」

 

 今生の別れになるかもしれない。だと言うのに、長年この料理店を切り盛りしてきた両者の間で交わされるのは厭味ったらしい悪態の応酬。

 そんなゼフの態度に、そして素直になれない自身の心の狭さに苛立ちを募らせるサンジの声は荒れる一方。

 

「フン、船上コックの仕事は一味の体調管理だ。…忘れるんじゃねェぞ」

 

「ッ! だから、誰にモノ言ってると思っ  

 

 だが、ムキになり遂には怒張声を張り上げた青年の怒りは、食い気味に被せられた恩師の言葉に一瞬で霧散した。

 

「お前に言ってんだよ、サンジ」

 

 

 老人の言葉は柔らかかった。

 顔に浮かぶ温和な笑みも、声色も、細まった両目も。全てが直前の仏頂面とはかけ離れた、青年が初めて見る彼の慈愛に満ちた表情。

 

 訳がわからずに口を開閉する、そんな小僧の情けない姿をゼフは小さく笑う。可愛い子には旅をさせろ。よく聞く諺ではあるが、かつて「赫足のゼフ」とまで呼ばれた己にコイツへくれてやる別れの涙など一滴も無い。

 ゼフは固まるサンジに背を見せ、義足を感じさせない堂々とした歩みで自身の店の中へと消える。

 

 …だが、一言くらいは贈ってやってもいいだろう?

 

 

   風邪ひくなよ」

 

 

 閉じた扉の外から響く青年の威勢の良い涙声を聞きながら、師ゼフは愛弟子が帰るまでにここをどのような店に発展させて見せようかと、遠い未来予想図を脳裏に描く。

 

 その目頭に、消えぬ強い熱を感じながら。

 

 

 

 


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