大海賊時代・12年
月日は流れ、木枯らしが最後の木の葉を散らす晩秋のある日。
王国を騒がす悪名高き少年盗賊団のアジトでは、一足早い冬が到来していた。
冷たい沈黙が巨木の洞中を支配し、微かに残る火鉢の種火がパチッ…パチッ…と、沈む少年少女を励まそうと小さな音を立てている。
洞の奥に見える人影は二つ。
双方共に、自身の小さな体を更に縮こませ、その様がこの場にいるはずの最後の一人の不在を際立たせていた。
悪童三人組の一角、サボ少年の壮大な家出物語がこの日 終わりを迎えたのである。
「…意外だな、あんなに懐いてたお前が大人しく引き下がるなんて」
冷え切った秘密基地の空間に新たな音色を足したのは、残された二人の片割。エース少年だ。
隣で座り込む年下の少女の相方を励ましたい年長の男としての矜持か、はたまたいつもの喧しいその甲高い声で仲間の説得に協力しなかったことを咎めているのか。
もしかしたら、ただ単純にこの圧し掛かるような沈黙に耐え切れなかっただけなのかもしれない。
何れにせよ、彼の発した声は、やり場の無い様々な思いがこもった重たいものだった。
「…サボの人生だもの。私が自分の都合で引き止めるのはダメなのよ」
少年の呟きに反応したのは、悪童たちの紅一点である少女ルフィ。
この幼い少女の言葉も、前の兄貴分のものに劣らぬ複雑な感情を孕んでいる。
特に彼女の場合、“ありえたかもしれない未来”の絵図が脳裏に焼きついている人知を超えた特殊性を持つからこそ、その胸中の轟嵐は
少年少女は再び舞い戻った沈黙に飲み込まれながら、項垂れる頭の奥で、ほんの数十分前の出来事を振り返った
あの因縁深きブルージャム海賊団が、一人の男を連れて悪童トリオのダミー拠点に姿を現したのは、日が落ちかける寒々しい黄昏時のことであった。
船長ブルージャムが少年たちに紹介したその男は、いつぞやの食い逃げでばったり遭遇した貴族家当主。
彼ら少年盗賊団の一角、サボ少年の実の父親であった。
男の目的は一目瞭然。
仲間思いの少年少女はサボを守るべく、当然のように問答無用で海賊に襲い掛かろうとした。
この日のために“夢”の義兄たちを鍛えてきた、未来の幼き海賊王。
ルフィはもちろん、彼女の扱きを数ヶ月に渡り耐え抜いてきたエースとサボもこの界隈では既に敵無しの強者へと成長している。
彼らにとって、この戦いの勝敗は始まる前から決まっているようなものであった。
だが意外にも、殺気立つ二人を制止し盤をひっくり返したのは、渦中の少年サボ自身であった。
『何で止めるんだ!?コイツらはお前を連れ去ろうと…っ!』
『バカ野郎!幹部どころかブルージャム本人が出て来やがったんだ!コイツらの後ろに何が踏ん反り返ってんのか知らねェのか!?』
貴族家次期当主としての教養を持つ彼だからこそわかる、ブルージャムという国家御用達の海賊団の親玉が態々足を運ぶことの意味。
それはつまり、彼の背後にいるゴア王国そのものが此度の一件に注目しているということ。
『…おれは一度、おれ自身の過去を清算して来る…!このままじゃクソ面倒なことになって海賊資金を貯めることも出来ねェ…っ!』
『ッ!だからって 』
いつも通り強情な相棒に内心苦笑しながら、少年は最後になるかもしれないエースとのやり取りを名残惜しく思いつつも、厳しい口調で彼の説得を試みる。
『敵はゴア王国!確かにルフィの化物じみた力があれば国の一つや二つ、簡単に終らせられるかも知れねェ…』
だが、その先に待っているのは世界政府による指名手配と、隷属する治安維持組織『海軍』の出動だ。
『おれたちはまだ何の力も無い、ただの10歳のガキなんだよ…!手ごろな賞金首が現れたって、そこら中からハイエナ賞金稼ぎが集って来るぞ!お前の考え無しの行動で指名手配されるルフィはどうなるんだよ!?コイツ今何歳だと思ってんだ!?』
『 ッ!!』
『その場の激情で大切な妹分を全世界に追い掛け回される犯罪者にするんじゃねェよバカ!』
少年の全身全霊の怒声が相棒の反論を悉く封じ込めた。
無駄に高いプライドが弱者であることを許さず、何かとルフィの前で年上ぶることの多かったソバカスの少年。
そんなエースの、唖然とした表情で俯く彼の胸の内は察するに余りある。
『…ルフィ、お前もわかってくれ!お前にとっては弱くて情けない兄貴分かも知れねェけど こんなときくらい、カッコいい兄ちゃんでありてェんだ…っ!』
サボの説得すべき相手は彼だけではない。
唇をかみ締め耐えるように無言を貫いているのは、少年の恩人である小さな麦わら娘。
その言葉に小さく頷く彼女の姿が可憐らしく、妹思いの悪童は己の男の決意を表明する。
誰かの男の誇りに懸けた覚悟はいつだって、彼ら少年少女の敬意を無条件に勝ち取ってきたのだから。
『 じゃあな、お前ら!またココに戻るために、ちょっくら“自由”を勝ち取って来るぜっ!!』
『ッ、ああ…ああっ!待ってるからなっ!!』
ドンドンドン!
物思いに耽ていた少年少女を思考の海から引き上げたのは、アジトの扉を叩く不躾な音だった。
「…何の用だ」
不機嫌そうな顔のエースが幼い少女を庇うように前に出る。
サボの残した言葉の効果もあってか、先ほどから少年がルフィへ見せる振る舞いは完全に“頼りがいのある長兄”を意識したものだ。
その姿に守られる少女は、“夢”の中のエースにそっくりだと、ふとあの日の夜に見た彼の姿を思い出し、はにかむような微笑を浮べる。
再会したときにサボに自慢してやると、大切な兄貴分を称える7歳児であった。
そんなエースが開けた扉の外に立っていたのは、一人の粗暴な風貌の男だった。
「…ブルージャムんトコの下っ端が何のようだ」
「ッ、口の減らねェガキだぜ、ったく……船長がお呼びだ。ついて来い」
それが当たり前のように言い放つ無礼な雑魚に、エースの沸点の低い怒りが瞬時に煮えたぎる。
だが少年が男に食って掛かる直前に、成り行きを見守っていたルフィが、その愛らしい唇で紡がれたとは思えぬほどに冷たい声を発した。
「 イヤよ」
「ッ、ルフィ?」
「サボのときは見逃したけど、今度また悪さをしたら次こそ海に消えてもらうから」
ぞわっ…と少女の小さな体から得体の知れぬ恐ろしい気配が流れ出る。
初めて体験する下っ端男はもちろん、慣れているはずのエースでさえも寒気が止まらないほどに、目の前の幼い麦わら娘が放つソレは濃く、鋭かった。
腰が抜け、目に涙を浮かべながら情けなく尻餅を突く男の姿を見届けたルフィは兄貴分の隣へ足を運び、話は終わりだと言わんばかりにアジトの扉を叩き閉じる。
連中の顔など二度と見たくはなかった。
「…よかったのか?」
「…」
下っ端の男らしき足音が遠ざかっていくのを聞き取ったエースが不機嫌な妹分の顔を覗きこむ。
その視線から逃げるように立ち上がり、ルフィは再度アジトの出口へと向かう。
少女は今、一人になれる場所と時間を欲していた。
「お、おいルフィ…」
「…ちょっと暴れてくる」
「そ、そうか……ダダンに飯頼んどっから、おれが呼びに行くまで万が一のために見聞色の覇気は切るなよ?」
心配そうに見送ってくれるエースに小さく礼を返し、“ありえたかもしれない未来”の記憶を持つ小さな麦わら娘はコルボ山の奥へと消えていった。
大海賊時代・12年
ゴア王国の東方には小さな山脈が広がっている。
この山脈では近頃、断続的に大きな地揺れや地響きが発生していた。
そのためか猛獣たちの活動が活発化し、一部が麓の
情報通の王国衛視たちは山の主の代変わり説や、人知れず眠りについていた化物が目覚めた説などを暇に飽かして語り合う。
だが結局、その真実を確認しようとする猛者は誰一人として現れなかった。
「ハァ…ハァ…ッもうっ!」
そんな魔境の深遠で、小さな女の子が息も絶え絶えにしゃがみ込んでいる姿が一つ。
真新しい石灰質の岩盤がむき出しになっているその開けた地は、今まさに崖崩れで生まれたばかり。
一部、まるで小規模な流星群でも落下したのかと調査したくなるほどに焼け焦げた地形もあり、それらの光景がこの山で人の想像を超えた超常現象が多発していることを無言で訴えてくる。
あまりに危険な環境で一人取り残されているその少女の置かれた状況を、麓の村の保護者の女性が知れば、顔面蒼白で彼女を救出すべく爆走してくるであろう。
だがここは猛獣たちが牙を研ぐ弱肉強食の楽園、コルボ山。
弱者に待ち受けるのは無慈悲な死。
哀れな童女は直にその掟に沿い、誰にも供養されることなく、この大自然の一部としてその屍を晒し続けることになるのだろう。
…もっとも、それは彼の少女が普通の人間であった場合の話。
「あぁぁぁもうっ!どうすればいいのよおおおっ!」
突然少女の口から凶声が上がり、どす黒い鋼色に染まった華奢な右腕が山の斜面に向けて放たれる。
ゴムのように伸びるその腕は目にも留まらぬ速さで稲妻のようにジグザグの軌跡を描き、聳え立つ山の岩肌を粉砕した。
王国が名義上“東方山脈測量番号3号”と呼んでいる峰の山頂が巨大な地鳴りを起こしながら崩落する。
宮殿の国王執務室からも確認出来たその信じられない光景は、仕事を終え帰路に就きつつあった王立地理院の歴々をさぞかし大きな混乱に陥れたことだろう。
これほどの大事件をただの地団駄で巻き起こしたこの童女型のモンスターこそ、王国衛士たちが新たな山の主や目覚めた化物と呼ぶ存在の正体である。
「サボのバカぁっ!!」
そんなルフィと呼ばれる化物の心中は見ての通り、乱れに乱れていた。
未だに誰にも話していない“夢”の存在。
それは幼い少女が抱える最大の秘密。
自分が男に生まれた場合に送ったであろう人生を、そっくりそのまま夢の中で体験したことである。
そんな“ありえたかもしれない未来”を知る彼女は現在、自身の持つ超自然的体験の知識のせいで、あるジレンマに苛まれていた。
「いくら“夢”で先のことがわかってても、本人にあんなこと言われたら諦めるしかないじゃない…っ!」
それは未来を知る者と、現実に生きる者の価値観の違い。
人は皆、人生という先の見えない暗闇を歩いている。
故に最良の道への分岐点を見逃し、ときに己の美学のためにあえて困難な道を選ぶ。
そこには未来を知らぬからこそ持てる迷い人の勇気と、己の手で道を切り拓く強い意思、そして、最も大切なもののために自分を犠牲にする、守る者の誇りがある。
今回ばかりは不運というべきか 幼き少女モンキー・D・ルフィは、自分とは異なる価値観を持つ者であっても、そこに当人の強い意思があれば問答無用でそれを尊重したくなる、称賛に値する素晴らしい個性を持っていた。
「私はこの“夢”のおかげで海賊王って人生の目標が出来たけど……もしサボが別のサボの“夢”を見たときに、その記憶を使って人生を変えようと思うかはサボ自身にしかわからないもの……」
ルフィは大して悩むことなく“夢”の男の自分の野望を、彼と同じように抱くことが出来た。
だが、その選択は必ずしも万人に共通するものではないと、幼い麦わら娘は考えていた。
ある程度先の見えた世界に失望せず、未だに大きな魅力を感じている少女は、今回サボが魅せた“未来を知らぬ者”の勇姿に少なくない衝撃を受けていた。
確かに“未来を知る”と一言で言えば、まるで全てが意のままになる理想的な ともすれば退屈な人生だと思えることだろう。
だが、そもそも少女の見た“夢”の冒険譚は決して全てが完結した完璧な物語ではなかった。
エースを殺した海軍や『黒ひげ海賊団』も、動物的特徴を持つミンク族の友人ペドロの仇である四皇『“ビッグ・マム”シャーロット・リンリン』も、結局はこちらが命辛々逃げ出しただけ。
宝物の麦わら帽子を返す約束をしたシャンクスさえも出会えず仕舞いであった。
ルフィ少年の夢も、仲間たちの夢も、何一つとして叶っていない。
幼い少女の未来には、ルフィ少年の軌跡を辿るだけではない、自分自身が紡げる誰も知らない冒険物語がまだまだ残されているのだ。
能天気にも“夢”と現実の違いを大きな問題として捉えていない少女は、“夢”の中で既にルフィ少年と共に海賊人生を楽しんだ経験があるため、現実世界で自分だけの未知を楽しむ冒険は食後のフルーツサラダのようにいつまでも待ち続けることが出来る。
自分だけの冒険は、海賊という夢を見せてくれた憧れの少年を追い越してから楽しめばいい。
何なら途中で飽きたときに、あえて“夢”とは違う道に進むことだって出来る。
“夢”とは異なり更に先へ進むことも、別の道を選択することも出来る少女ルフィは、未来の選択肢を広げてくれた己だけの特殊性を最大限堪能していた。
「でもサボがイヤだと言ったことを私の“夢”の知識で捻じ曲げるのはダメなの……」
だがルフィは、他人が覚悟を持って自分で決めた道を自分が横から正すことはしたくは無かった。
“覇気”の存在を知った今ならよくわかる。
人の意思とは、“未来を知る”などというちっぽけな理由で、他者が簡単に捻じ曲げてよいものでは無いのだ。
しかし、それでもそう容易く割り切れないのが幼い少女の未熟な精神性。
「ダメなのに…っ!このままじゃスラムがブルージャムに焼かれて、サボが海軍の船に攻撃されて行方不明に……って、あれ?何でスラムが焼かれたらサボが海軍に砲撃されるの…?どういうことなの、“ルフィ”…?」
“夢”でルフィ少年の心身魂魄と完全に同調していたため客観的な情報が不足している少女は、返ってくるはずのない憧れの彼の返事をつい求めてしまう。
「いいえ、そんなことはどうでもいいわ!それよりサボよサボ!こういうときどうすればいいの!?“カッコいい兄ちゃんでありたい”って、サボもエースも十分カッコいいじゃない!“ルフィ”もそうだったけど、何で男の子ってこんなに見栄っ張りなのよっ!これじゃ何のために二人を鍛えたのかわからないじゃないっ!!」
やり場の無い怒りと葛藤を半壊した山にぶつける世界最強の6歳児。
“夢”を見、覇気に目覚めて早三月。
幼い少女は現在、ルフィ少年の力の大部分を引き出し終わり、威力や持続時間の強化、反動の軽減などを目指して更なる研鑽を続けていた。
ゴムゴムの実の能力と武装色の覇気を融合した彼の全力状態“ギア4”の熟練を最近の日課にしている彼女は、こうして山脈の地形を相手に連日
日常的にルフィの暴力に晒され続けてきた哀れな山“東方山脈測量番号3号”はこの日、地図上から消滅した。
「ふぅ……って、あら?」
日も沈み、星が瞬き始める夜。
ストレスを発散し尽くし、ようやく気持ちの整理を終えた少女は、西方の空がゆらゆらと燃えるように赤く照らされている光景を目にする。
沈んだはずの夕日にあのような現象を起こす力などない。
「一体何が……ん?この気配は、エース?」
訝しむルフィの見聞色の覇気がこちらに向かってくる兄貴分の気配を捉えた。
姿も見えぬこの距離でも感じるほどに、彼の内心は大きな焦燥感に支配されている。
何やら嫌な予感を覚えた彼女は急いで少年の下へと急行した。
「エースっ!」
「ッ、ルフィ!?お前ちょっとは自重しろよ!とんでもねェ地震で外見たら隣の山が完全に崩れ落ちちまってんじゃねェか!!ダダンのヤツが“次はこのコルボ山が沈む”ってビビって移住まで計画し始めたぞ!?」
出会いがしらに怒声を浴びせられ目を白黒させる童女型モンスター。
困惑しながら後ろを振り向けば、なるほど確かにそこにあったはずの山が消えている。
感情に身を任せただ好き勝手暴力を振るっていただけだったのだが、いつの間に崩れ落ちていたのだろうか。
一瞬フーシャ村の安全が気になったが、あの距離ならそもそもこの一帯を視認することすら難しかったと思い出し、ほっと胸を撫で下ろす。
今度は気を付けようと、自身が起こした大規模な自然破壊を軽く流す未だ幼い少女は、文字通り“過ぎた力”を持つ無邪気で残酷な子供であった。
そしてそんな彼女の非常識に日常的に晒され続けた哀れな悪童エースも、“慣れ”故に、ルフィのその異常な力の危険性を特に意識せず、平然と話を続けた。
もっとも、今回ばかりはエースの 不本意ながら身についてしまった 非常識に感謝するべきだろう。
彼の持ち寄った情報は、現在この島にいる双璧の強者の片割たる少女モンキー・D・ルフィを動かし、万人の罪無き命を救ったのだから。
「ったく、マジで今日はどうなってんだよ一体!サボは高町に帰るし、お前はキレて山を崩すし、
大海賊時代・12年
『おれは…貴族に生まれて恥ずかしい…っ!!』
熱風吹き荒れる
その脳裏にこびり付いたように離れない、先ほど出会った幼い少年の言葉が男の決意を確固たるものにする。
男 モンキー・D・ドラゴンの、世界に叛旗を翻す決意を。
「全く、ヴァターシや“くま”があれほど言っても首を縦に振らなかっチャブル冷血なヴァナタが、まさか一人の純情ボーイに心動かされるとはねェ……」
燃え盛るスラムを見つめ、じっと機会を待つドラゴンにそう嫌味を投げかけるのは、一人の珍獣。
球状の頭部に平面的な顔面、五指の手、二本の手足、二足歩行…
全てが人間の肉体的特徴で構成されている身体を持ちながら、その姿はとても“人間”とは言い難い。
扇情的な化粧やボンテージ装束を身に纏う、二頭身のオカマの巨人に相応しい種族名は他にあるのだから。
「…社会の表裏は子供の言葉に表れる。周囲の大人の会話、仕草、嗜好。無知で純粋な彼らの目に映るものこそ、我々が目を凝らしても見逃してしまうこの世の真実なのやも知れんな…」
「ンーフフフ…“子”を持つ親ならではってトコっチャブルね」
揶揄うような声色で男の心配事を不躾に突きつけてくる珍獣の名はエンポリオ・イワンコフ。
彼らは組織に在らず。故に未だ名も無き烏合の衆。
だが、彼らは皆、共に一つの疑念を持つ同志であった。
世界政府という理そのものに対する疑念を持つ、“革命家”として。
「祖父は海軍の英雄、父は世紀の大罪人……ヴァナタの幼きプリンセスはどのような意志を持って海に出るのかしらねェ」
イワンコフの言葉に、男は眼前の山脈の向こうで伸び伸びと暮らしているであろう小さな女の子の姿を幻視する。
「…あれは時代の申し子だ。親の教えは害にしかならん」
英雄と称えられる父は愛して止まない孫娘のために海兵の道を切り拓こうとしているようだが、いずれは徒労であることに気が付くはずだ。
ドラゴンは頭を抱える実父の姿を思い描き、口角を小さく持ち上げる。
「世界は必ずあれに大いなる導きを与えるだろう。風雲児の生を無名の村娘で終わらせるほど、時代の意思は軽くはない」
「ンフフ、今夜のヴァナタの決断もその時代の意思とやら?」
男の顔に灼熱の風が吹き付ける。
闇色の瞳に映るのは、彼が変えたいと願う人の世に“廃棄”され、全てに見放された哀れな敗北者たちの逃げ惑う姿。
ここは
人間社会に捨てられた者たちに残された、彼らの最後の居場所である。
男は火の手に囲まれる、無価値とされる哀れな者たちに向かい、その手を差し伸べる。
すると突風と共に、その名を冠する空想上の幻獣を象った帆船へ向かい開ける、一筋の道が現れた。
「決断とは人の意思が下すもの。時代はただ、その決断の成否を世界に問うだけだ」
“革命家”ドラゴンは揺ぎ無い意思で、隣の同志の疑問に答えて見せた。
イワンコフは込み上げる興奮に己の奇体を震わせる。
世界を敵に回す覚悟を決めた友人の力強い決意。
その恐ろしいほどに強大な覇気。
彼の姿を見れば、時代に選ばれるという男の持論が確たる説得力を持って語られているのだと頷く他ない。
「…だったらその決断の成否、このヴァターシが責任を持って見届けてあげッキャブル!行くわよ!自由を求めるボーイたち!無辜の敗北者たちに救いの手を!ヒーハー!!」
『応!』
部下を引き連れ、船を目指すスラムの住人たちを迎えるイワンコフの後姿が煙の奥へと消えていく。
その光景を見つめる男の口元には微かな笑みが浮かんでいた。
理解出来ないその特殊な性癖を除けば、
燃え盛る
「…ボスが単独で船を離れるとは感心出来ないな」
「…“くま”か」
他の残された浮浪者たちの救出に向かおうと船を離れる彼に声をかけたのは、一人の巨漢。
聖職者でもないのにどこぞの宗教の聖典を肌身離さず持ち歩くこの男も、ドラゴンを慕って同乗した無二の同志。
名をバーソロミュー・くまという。
だが、その実力はもちろん、無口な性格の裏に隠された彼の優しさに多くの仲間たちが幾度も救われたのは紛れも無い事実だ。
もっとも、この人物の奇妙な経歴はそれだけに留まらない。
「お前に出歩かれては互いに色々と不都合が多い。船で待っていろと言ったはずだ」
「…
『王下七武海』。
世界政府に海賊行為を容認された、絶大な影響力を誇る世界屈指の海賊たち。
その知名度と実力から大海賊時代における絶対正義の必要悪として、『海軍』とは異なる扱いを受ける政府直属の武力集団である。
男、バーソロミュー・くまもその七人の大海賊の一角として己の名を天下に知らしめている圧倒的強者だ。
故にドラゴンの懸念は当然のもの。
『王下七武海』としての地位を持つこの男が自分たち革命家と行動を共にしていることが政府の耳に入れば、彼らの計画に修正不可能な混乱を起こしかねないのだ。
くま自身も当然、ボスの懸念を理解している。
だが慎重な彼には引き下がれない、ある理由があった。
「…安全確認に上陸させた部下の一人が気になる情報を持ち帰って来た」
「…例の原因不明の地震か?」
ドラゴンは見納めに先ほど歩いた故郷たるゴア王国の井戸端で耳にした話を思い出す。
東方山脈のコルボ山付近で最近立て続けに観測されている不自然な自然災害の原因を想像する国民たちの、他愛も無い日常会話だ。
「…ここは
発動に幾つか制限がある彼の悪魔の実の能力を使いこなすために、くまは見聞色の覇気の研鑽に長い年月を費やしている。
その卓越した力が、先ほどからこの
「…ほう、これは」
「……何だ、これは…?何故これほど練達した強者がこの
彼らしくない微かな動揺を見抜いたドラゴンが自身の見聞色の覇気を解き放つ。
そしてこちらに一直線に凄まじい速さで接近してくる化物の気配を感じ取った。
「…緊急事態だ。海軍本部大将級の覇気の持ち主が近くにいる。至急イワンコフに船を出航させろ」
「ッ、はっ、はい!」
かつて無い緊迫した空気から逃げるように仲間の珍獣の下へと走る部下を尻目に、くまが己の能力を封じている皮の手袋を捨て去った。
隣にはこの場の最強戦力たるボス、“革命家”ドラゴンが頼もしい追い風を操っている。
これほどの強者たちが一度に集えば、たとえ彼の4人の海の皇帝たちが相手でも勝利を得ることが出来るだろう。
七武海“暴君”バーソロミュー・くまが口にした悪魔の実の名は『ニキュニキュの実』。
触れたものを有機無機物問わずこの世の特定の地点まで水平線さえ越えて弾き飛ばす、恐るべき能力を齎す果実である。
相性という概念がほとんど存在しないこの力に対抗する手段は無いに等しい。
磨き上げた見聞色の覇気で敵の隙を見つけ、その体に触れさえすればこちらの勝利なのだから。
「…来るぞ!」
珍しく声を張り上げたドラゴンの警鐘を合図に、くまが能力で周囲の瓦礫を気配の方角目掛けて弾き飛ばした。
常套の牽制攻撃である。
煙の奥に吸い込まれるように消えていった無数の鉄骨が轟音を上げながら、無人のスラム街を粉砕する。
だが二人は既に気がついていた。
接近する化物が凄まじい速さでその攻撃を掻い潜り、彼らの頭上へと飛び上がっていることに。
しまった、と咄嗟に宙を見るドラゴンとくまの目に、炎に照らされた夜空に浮かぶ小さな人影が映った。
そして
「 あーっ!!あなた“くま”ねっ!あのときはよくもやってくれたわね!サボもスラムのみんなも私が守るんだからっ!!」
頭上から降ってきたその規格外の覇気の持ち主は、年端も行かぬ小さな小さな女の子であった。