大海賊時代・22年
「“ロロノア・ゾロ”ですか…!?」
「そうよ。私の最初の仲間にするの」
コビーに航海を任せてキャベツの酢漬けを美味しそうに頬張っていたルフィは、少年の問いに当然のようにそう答えた。
少女にとってその意思は決定であり必然である。
6歳の夜にあの夢を見てから早10年。
17歳になりフーシャ村を出航したルフィは“夢”の麦わら海賊団のメンバー集めを当面の目標としている。
それは彼女の半身、いや半魂であるルフィ少年の意志の名残とも言えるかもしれない。
当然少女も彼ら以外の者と海賊団を結成する気は更々ない。
ただルフィは全てが“夢”の通りにはいかないということも理解している。
ルフィ少年と自分の間には性別以外にも様々な性格的嗜好的な違いがあり、実際に彼らに会ってみたら魅力を感じなかった、なんてこともありえるかもしれない。
そしてその逆もまた然り。
ルフィ少年とは違う人物である自分に誘われてゾロやナミ、ウソップたちが仲間になってくれるかは彼らにしかわからない。
必死に拒絶されたら諦めざるを得ないだろう。
色々と無い知恵を絞って勧誘文句も考えたが、結局は成るように成れと開き直ることにした。
要するに、行き当たりばったりである。
「“ロロノア・ゾロ”を仲間にって、何考えてるんですか!?無理ですよ、無理!伝え聞く話ではまるで野獣のように海賊を探して狩り回っているそうじゃないですか!とても人の下に付く人間には思えません!!」
「さぁね。まぁ実際に会って見なきゃわからないけど、何もしないうちから無理無理言ってたら何も出来ないわよ?」
海賊を倒しアルビダに挑んだことで少しは男らしい顔をするようになったコビーだが、その消極的な姿勢は変わらないらしい。
ルフィはじっと彼を見つめる。
この少年もまた、自分が女だったことで“夢”とは少し違う振る舞いを見せた人物だ。
女子供を守ってこその海兵。
誰かを守れど守られるほど弱くはないと自負している少女にとってはナンセンスだが、そのような風潮があるのは理解している。
自分があの桟橋で海賊の男たちに無抵抗に捕まったことでコビーの海軍に、そして正義に対する思いが一気に高まったのだろう。
これはもしかすると“夢”の彼自身より強大なライバルとなって近い将来相対することになるかもしれない、とルフィは絶品のケーキを前にした子供のように純粋な笑顔を浮かべた。
その顔に見惚れポカンとしているコビーの内心に気付くことなく、少女は彼にアドバイスを送る。
「コビーはその無理無理言ってすぐ諦めるのを止めたら立派になれるわよ、きっと」
「へっ?あ、えと…、そ、そうでしょうか…?えへへ…」
…その情けない笑顔にルフィの期待が大きく萎む。
「その笑い方もなんか弱そうだから止めたほうがいいわよ?」
「うぐ…」
その後も特に何事もなく航海は平穏無事にシェルズタウンへと続いた。
大航海時代22年
『アルビダ海賊団』から奪った小船を港の船着場に係留したルフィは海軍支部へと逸る気持ちを抑え、まずは近くの宿へと足先を向けた。
「女は可能な限り身奇麗にしておくべし」という故郷の母親代わりのマキノ店主との約束を守らねばならないからだ。
特に仲間の勧誘の際には可能な限り身嗜みに気を付けたほうが印象アップ、とアドバイスを貰った以上はそれを試してみたくなるものだ。
尚この麦わら娘、アルビダにも述べた「素肌に触れた親しい者以外の男を許すな」の一条も含めると、実に10通りもの約束をマキノ女史と無理やり結ばされている。
もっとも、女史本人が『乙女の十戒』と呼ぶそれは、女性としての最低限の情操教育を無理やり野生児に躾けるための苦肉の策であったのだが。
「漂流したときに樽の中に詰めてたから服はあるけど、潮風でべとべとになるのは何とかならないものかしらね。…遠くでマキノが“不潔よルフィ!”ってガミガミ怒ってる姿が目に浮かぶわ」
「あはは、まあ船乗りの臭いは汗、埃、潮だって言いますし。…失礼ですがルフィさんってこんな暑いのに全然汗の臭いとかしませんけど、それも例の悪魔の実を食べたことによる体質変化なんですか?」
“夢”では偉大なる航路の冒険が印象深かったため、コビーのように悪魔の実の能力者一人で大騒ぎするほど平和な東の海での航海はルフィにとっても新鮮に思えた。
とはいえ彼女自身がこうして海賊として海に出たのは初めてである。
ヘンに“夢”の知識をひけらかし、他の“未来を知らぬ者”たちの誇りを汚してしまわぬように気を使わねばなるまい。
あまり下手なことは喋れないな、と出航して僅か1週間未満ですでに息苦しさを感じている謎多き少女であった。
「さぁ?服臭くなるから汗の臭いイヤだなぁって思ったらいつの間にか臭わなくなってたわ」
「…ははは、面白いですね」
「そう?」
体質が面白いのか、冗談だと思われたのか。
ルフィにはコビーの言葉の含意の判断がつかなかったが、わざわざ見聞色の覇気を強めて“聴く”ほどのことでもないとすぐに忘れることにした。
海軍支部に捕まっているはずの剣士の青年も非常に気になるが、腹が減っては勧誘も出来ない…とも謂うかも知れない。
宿を取り旅垢を落とした二人は漂うニンニクとオリ-ブ油の香りに誘われて町の飲食店『FOOD FOO』の席に着いていた。
港町だけあって肉魚介野菜と豊富なメニューが揃っており2人の唾液腺を刺激する。
バケツいっぱいの海鮮サラダを水のように呑む麦わら娘の姿を見苦しく思い、コビーはこの地に来た目的についての話題を出した。
会話中はこの少女も食べるのを止めるからだ。
「ルフィさんが服を洗濯しているときにちょっと町を見てきたんですけど、何やら奇妙なことになっているそうなんです」
「 っん、そうなの?」
「…ルフィさん、せめて5秒は噛んでから飲み込んでくださいよ。それも体質だなんて言うんですか…?」
平然と肯定するルフィに溜息を吐きながら、コビーは聞き込みの成果を発表する。
この港町は海軍第153支部の城下町のように広がっており、その関係性もまた同様である。
そのため支部を任される海軍将校の行動方針が町民の生活に強く影響する。
前任の海軍支部大佐は常識的な軍人であると同時に優れた政治的才覚を持つ人物でもあったため、支部の運営から海兵の教育まで徹底し町の人々に可能な限りの配慮をしてくれていたらしい。
それが一変したのが3年前にとある海賊を捕縛した功績で昇進した海軍支部大佐
軍事力を背景に町民に供物と称した略奪を行い、町の運営から住民の消費活動に至るまで全てを監視し恐怖政治を始めたのだ。
おまけに父の権力を笠に着た息子までもが街中で傍若無人な乱暴狼藉を働く始末。
最早海軍の名を騙った海賊だ、と町民は陰で不満を溜め続けているらしい。
とはいえ無力な彼らに出来ることは何も無く、ただただモーガン支部長が解任される日を待ち望むだけであるようだ。
「『絶対正義』が聞いて呆れますよ…っ!それにどうやらルフィさんのお目当ての“ロロノア・ゾロ”も、1週間ほど前にバカ息子の我侭を窘めたことで目を付けられて捕まってしまったらしいんです」
こんなのぼくが夢見た海軍じゃない!と一人小声で憤怒の炎を燃やしているメガネの少年を眺めていたルフィは「そんなこともあったな」と10年前のあの夜に見た大冒険物語の内容を思い出してクスリと笑みを零す。
そして芋蔓式に想起される“夢”の記憶を一通り確認したことで、
「 よしっ!準備万端だし、私そろそろ行ってくるわ」
『アルビダ海賊団』から拝借した現金50万ベリーの一部を使って支払いを済ませたルフィは、店を出てから脇目も振らずに、ある人物の気配を目指し大股で進んでいく。
食欲が治まった今、後ろのコビーの制止の声も耳に届かないほど彼女の想いは自身の体を突き動かしていた。
少女はこの日を10年間も待ち続けていたのだ。
今日がその待望の瞬間なのだと考えるだけで顔に笑みが浮かんでくる。
ルフィは今、“夢”における記念すべき最初の仲間にして共に何度も仲間を守った戦友
剣士としての誇りを決して忘れず、嘘を嫌い酒が大好物な荒武者。
ノリが良く、仲間思いでもあった彼はルフィ少年にとって何よりも代え難い存在であった。
何があってもゾロだけは味方になってくれる。
そんな強い信頼関係を“夢”のルフィ少年は彼と築いていた。
だが“夢”とは違い、少女ルフィは女である。
注意深くゾロの発言や行動を思い返せば色々と見えてくる。
彼は特筆するほど男尊女卑に傾倒していたわけではないが、こと戦闘においては女であるというだけで一歩も二歩も距離を置きたがる少々捩れたフェミニストであった。
そんなゾロを女の下に付かせ、しかも海賊に身を堕とさせるのは至難の業だろう。
ルフィ少年のように彼の愛刀で交渉し、成り行きでお尋ね者に仕上げても首を縦に振ってくれるかどうか。
(うーん…わからないわ!っていうかもうほぼ着いちゃったし、難しいことは直接本人に尋ねてから考えましょ!)
ルフィは立ち止まることに全く魅力を感じず、行動しながらしか考えることが出来ない魚類のような女であった。
「 フィさん!ルフィさんっ!!」
「何よコビー、どうしたの?」
そういえば彼も付いて来ていたのだった。
ルフィは足も止めずにそのまま少年に問い返す。
「“何よ”じゃないですよ!ホントに待ってくださいっ!そんな一直線に海軍基地に向かわないでくださいよ!ぼ、ぼくにだって心の準備とかが…」
「何言ってるのよ。今はあなたの海兵志願のためじゃなくてゾロのところに向かってるの。海賊の私と一緒に海兵志願なんてしたら逆に攻撃されるでしょ」
何も引率者が一緒に付いて来なければ入隊志願が出来ないわけでもあるまい。
いくら友達とはいえ、彼が敵対組織に加入するその瞬間まで自分が立ち会う必要などないだろう、とルフィは薄情にも歩みを続ける。
「こういうときは情報収集が大切なんです!海賊のルフィさんが海軍基地を嗅ぎ回って碌なことに 」
「ゾロの場所ならわかるから、そんな面倒なことしなくていいわ」
「えっ、何でこっちにいるってわかるんですか?普通捕らえられているなら地下牢とかでしょう?」
「ないしょ。かなり弱ってるし“夢”より遥かに小さい気配だけど、あれで間違いないわ」
ほぼ最短距離で目当ての人物に辿りつく麦わら娘に、コビーが呆気にとられて口を開けている。
悪魔の実程度で驚愕している彼に現時点で覇気を理解しろというのは酷だろう。
とはいえこの少年もまた、“夢”ではあと僅か半年足らずで同じ見聞色の覇気に目覚め、二年後にはその達人と呼ばれるほどの優れた使い手となる。
もっとも今の段階では夢のまた夢だ。
「ル、ルフィさんっ!?」
ぴょんっと海軍基地の塀の上に飛び乗りそのまま乗り越え下に降りる。
遠慮もクソもない、正真正銘の無法者だ。
だが麦わら帽子の海賊少女にとっては些細なこと。
彼女の関心は今、自身の目の前の人物に集中していた。
海軍第153支部第二練習場。
支部の海兵たちにそう呼ばれている粘土の広場の中央に、十字の杭に拘束された 黒いバンダナの男がいた。
「…何のようだ、女」
『“海賊狩り”ロロノア・ゾロ』。
東の海では知らぬ者はいないとまで言われた凄腕の剣士である。
三振りの刀を駆使する三刀流剣術の使い手で、麦わら海賊団のNo.2として常にルフィ少年を支え続けた最高の相棒。
ルフィ少年も彼には絶大な信頼を寄せ、守るべき仲間より背中を任せる強者として大いに尊敬していた。
そして少女ルフィもまた、この緑髪の青年に強く魅了された。
目の前に立って改めて感じる強い覇気。
確かに、偉大なる航路中盤のシャボンディ諸島で2年間の修行を経て再集結したときに感じたものとは雲泥の差である。
だがそれでも彼の鋭い眼つきとギラ付くような力への渇望が、この男が大を成す者であることを強く突きつけて来た。
折角の初対面。
ルフィはゾロの考えていることに強い興味を覚え、見聞色の覇気を活用し彼の表層心理を読み解いてみる。
困惑、疑惑、僅かな警戒、そして1週間以上の断食と不眠からくる食欲と睡眠欲。
先ほど食事所のおっちゃんに貰ったポケットの飴でもあげたくなるほど辛そうだ。
予想外な感情として、命の危険時における生存本能故かこちらの薄着を見て性欲も抱いている。
そういえばストイックな割に意外とむっつりなところがある男だった、と少女は“夢”の彼の女性に対する反応を思い出した。
そして最も興味深かったのが、彼が自分の瞳に何か不思議なものを感じ見惚れていることだろうか。
これはコビーのときも同じであった。
鏡ならマキノの物を使わせてもらっていたが、こと自分の瞳に関しては特に意識して見たことがない。
“夢”のルフィ少年には無かったはずの特徴であり、覚えていたら今度どこかで注意深く見てみようと、ルフィは記憶の片隅に留めておくことにした。
なお、記憶の中枢に置いたものすら忘れる彼女に“記憶の片隅”などという便利な脳内スペースは存在しない。
ルフィは剣士の表層心理を一通り読み終え、自分の予想を確信へと変える。
やはり性別の違いは仲間たちの反応も大なり小なり変化させるようだ。
女であるこちらを格下と判断したためか、彼から闘争心や敵対心がほとんど感じられない。
ゾロでこのように変化するなら、あの女好きのぐるぐる眉毛の料理人はどうなるのだろう、といつも言い寄られていた仲間の女性陣の姿を思い出してルフィは苦い顔をした。
読心のために極限まで体感時間を延ばしていた覇気を解除し、ルフィはフーシャ村のマキノに口が酸っぱくなるほど躾けられた“初めまして”の挨拶を行う。
初対面の印象を大事にする少女の姿に、故郷の母親代わりの女店主は今頃咽び泣いているだろう。
「こんにちは、初めまして。私は海賊ルフィ。あなたに一味の仲間に入ってもらいたくてここまでやってきました」
その言葉に剣士はぽかんと情けなく顎を垂らす。
ルフィには彼の混乱と驚愕が手に取るようにわかった。
心どころか少し先の未来まで見通し、万物の声さえも耳に届く麦わら少女の見聞色の覇気はこのような交渉においても恐ろしい武器となる。
若い女のバカなお遊びか、どこぞのクズ海賊の親玉に“海賊狩り”をその豊満な胸で誑し込んで見せろとでも命令された哀れな下っ端娘か などと全く見当違いのことを考えているゾロの思考を楽しそうに読み取りながら、ルフィは彼の返答を待った。
「……帰れ、悪党に身を堕とすつもりはねェ。第一、船長が配下の女一人に勧誘させるような腐った海賊団になぞ誰が入るか」
「勘違いしてるみたいだけど、私の一味の船長は私自身よ?だからあなたを誘うのは女の私一人にしか出来ないの」
再度、驚愕。
今度は困惑の感情も数瞬前とは大違いに濃い。
しばらく彼の心を堪能していると、麦わら娘を見上げる青年剣士が少女の発言を鼻で嗤った。
「……ハッ、こりゃ傑作だ。最近の海賊はこんなアイドルみてェに軟弱なお嬢ちゃんが頭張れるほど零落れてやがるのか。例のアルビダってのにでも憧れたか?」
「あの厳ついオバサンならここに来る前に絡まれたからぶん殴って海に消えてもらったわよ?私の船も食糧もお宝もあの人から奪ったものだし」
論より証拠とポケットから醜女が身に着けていた趣味の悪い巨大な宝石の指輪を取り出し、これ見よがしに見せびらかす。
指名手配書にも映っているアルビダのトレードマークの一つだ。
「……お前が、500万ベリーの賞金首を…?」
再々度、驚愕。
どうやら自分は、彼の目にはそれほどまでに弱そうな普通の女の子に見えるらしい。
コビーといいゾロといい、何故自分をモデルだのアイドルだのといったきゃぴきゃぴした職業に就く人間だと判断するのか。
もしかしてこれがマキノのいうイメチェンの必要性というやつだろうか。
麦わら娘は真剣に悩み始めた。
ルフィは試しに記憶にある女海賊たちの姿を思い浮かべる。
アルビダを除けば一味の女性陣か、あの女ばかりの島のハンコック、そしてルフィ少年が命辛々逃げ出した最強の女海賊ビッグ・マムくらいである。
ナミのようにキュートでセクシーに振舞う…のはちょっと憧れるが、やり方がよくわからない。
ロビンのように知的に…は不可能なので却下。
ハンコックのように全てを上から目線で…は見下す身長が足りない。
ビッグ・マムは…最早バケモノの類である。
(どうしよう…)
参考資料のハードルが高過ぎてとても彼女たちのような女海賊にはなれそうもない。
軽く落ち込んだルフィであったが、そもそも自分は海賊王になるのだから他者を真似る必要は無いと気が付き、イメチェンは止めることにした。
舐められたら覇気で威圧すればいいだけの話である。
(覇気といえば…)
ルフィは町の住宅地方面から小さな少女の気配と、その子がこちらに近付こうとしている意思を感じ取った。
比較的強めに見聞色の覇気を開放している今の麦わら娘には、この町で起きていること全てが手に取るようにわかる。
どうやら覇気が拾える情報の量は彼女の頭の出来には左右されないようだ。
「…女の子?ああ、あのおにぎりの子かしら」
「…?」
「町の女の子がゾロにおにぎりを作ってくれたみたい。あと多分バカ息子も来てる」
意味がわからず困惑しているゾロを放置し、先ほど登ってきた塀の辺りへ目を向けるルフィ。
覇気でこちらに近付いてくる者たちの気配を感知した彼女は“夢”で起こった出来事を思い出す。
ゾロに救われた女の子が捕らえられた彼におにぎりを持ち寄り、同時に遭遇した海軍支部のお偉いさんのバカ息子にそれを踏み潰される。
確かルフィ少年はその後のゾロの女の子への配慮が気に入って彼を仲間に誘うようになったはずだ。
どうせならこんな情けない驚愕顔ばかり見せるゾロではなく、女の子の好意を無下にしなかったあのカッコよくて優しい彼の姿が見たい。
そう考えたルフィは小さな町娘が基地の塀を乗り越えてくるのをじっと待った。
「ルフィさんっ、も、もう戻って来てください!見つかったら って、女の子…?」
「しーっ!静かにしてっ」
しばらくコビーがしがみ付いていた塀を眺めているとカタン、と梯子が掛けられた。
どうやら“夢”の通りのことが起き始めているらしい。
麦わら娘は大人しく成り行きを見守る。
すると塀の向こうからぴょこっと小さな頭が飛び出した。
当然ルフィの乏しい記憶力で相手の顔など覚えているわけもないが、その人物のクリクリした愛らしい瞳は何となく見覚えがあった。
ゾロの小さな恩人、町娘のリカである。
「 あれ?剣士のお兄ちゃんの隣に麦わら帽子のお姉ちゃんがいる…?」
「!」
童女の言葉に笑みを深めるルフィ。
コビーに続き二人目の“お姉さん”呼びに、これまでのフーシャ村における末妹としての悲しい思い出が吹き飛ばされる気がした。
思わずこの感動を仲間(候補)と分かち合いたい気分になる。
「ねぇゾロ、聞いた!?私のこと“お姉ちゃん”だって!ああん、何て可愛いのあの子!コルボ山の野ザルだのマウンテンゴリラだの失礼なことばかり言う村のクソガキ共とは大違いだわ!」
「…年少が年長を敬称で呼ぶのは意外でも何でもねェだろ。どんだけ適当な扱い受けてきたんだよ、お前…」
馴れ馴れしく名で呼ばれたことに彼の心が不快感を訴えてくるが、それにルフィが関心を示すことはない。
それよりもゾロとの気軽なやり取りが出来て機嫌が上昇している麦わら娘であった。
「あの、お姉ちゃんも剣士のお兄ちゃんにおにぎり持ってきてくれたの…?」
「いいえ違うわ。でもゾロならあなたのおにぎり、ちゃんと食べてくれるわよ」
「おい、勝手に決めるな!つかまたヘンなガキが増えたじゃねェか!見つかるから後ろのメガネ含め三人ともさっさと帰れ!」
ゾロは小声で凄んでみせるが、相手が少女たちであるからかどうしても気迫に欠けてしまう。
当然ルフィもリカもその程度で怯むほど弱い意志を持ってはいない。前者は純粋に強者であり、後者は母親の叱咤を覚悟で恩人への恩を返そうとここまでその小さい足を一生懸命運んできたが故に。
強面の青年と幼い童女の小さな言い争いを微笑ましく眺めていたルフィは、先ほどからこちらへ向かおうとする意思を持つ男の気配がかなり近付いたのを感じ取る。
おそらくコレが例のバカ息子だろう。
この歩行速度ならもう間もなくあの鉄格子門から現れるはず。
ルフィは面白そうなのでひとまず放置しておくことにした。
「おやおや、いじめはいかんねぇ。ロロノア・ゾロ」
リカの手によって無理やり砂糖おにぎりを口に詰め込まれつつあったゾロを眺めること少し。
気持ち悪いニヤケ面を貼り付けながら広場に現れたのは、かの七光りバカ息子ヘルメッポである。
もちろんルフィの頭脳に彼の名前のような無価値なもので記憶容量を圧迫させる余裕はない。代名詞は『バカ息子』の一つで十分なのだ。
だが折角傍観者の立場を維持してきたルフィだったが、事態は彼女の予想外の方向へと進んでしまう。
捕らえたゾロにちょっかいを出すためにワザワザ足を運んだバカ息子が、剣士と童女のやり取りをノンビリ眺めている後ろの麦わら帽子の女に興味を示したのだ。
「おほっ…!」
幼い顔以外の全てが好み。
ヘルメッポが初対面の麦わら娘に抱いた最初の感想である。
これほどの女なら町で噂になっていてもおかしくはないが、自分の耳に届いていないのならば流離の人物であろうか。
マトモな育ちをしている者が平然と海軍支部の敷地に不法侵入するわけがない。
身寄りの無い女なら海軍支部大佐の息子である自分が手篭めにしても誰も文句を言わないだろう。
顔の子供らしさが抜けるであろう数年後を妄想しながら、ヘルメッポは麦わら娘の躯体を嘗め回すように視姦する。
「…ふぅむ。で、お嬢さんはどこの誰なのかね?」
「え、私?」
そんなバカ息子の考えが絵本の朗読のように容易く耳に届く覇気使いのルフィは、内心かなり困惑していた。
ヘルメッポの劣情にではない。
彼が隣の町娘リカではなくこの自分にその悪意の矛先を向けたからだ。
麦わら娘が大人しく成り行きを見守っていたのは、単純に仲間(予定)のゾロの勇姿を己の目で見たかったからである。
“夢”ではこの青年剣士、リカの砂糖おにぎりが土に塗れても食べきり彼女に感謝を伝えようとしたほどのお人好しである。
そんな彼のステキな一面を是が非でも自分の目で見たかったルフィであったが、発端のヘルメッポがその2人から興味を失ってしまったのだ。
童女の手の中の物を見向きもしないバカ息子が今更リカのおにぎりをゾロの目の前で弄ぶような遊びはしないだろう。
実際は“夢”と同じくコビーと一緒に塀から全てを見守っていればよかったのだが、そこまではルフィの拙い頭では思いつかなかった。
「そう、君だよ君。海軍支部の敷地に無断侵入。いけないねぇ、これは立派な犯罪だぞぉ?」
下卑た手つきで気安く自分の腰を抱き寄せたヘルメッポの行動に、ルフィは不快感から顔を歪める。
嫌な男に素肌を触れられた。
あのマキノ啓示の『乙女の十戒』案件である。
だが山賊に酒をかけられても平然と笑っていたシャンクスの姿を思い出し、少女は約束の遂行に一先ず待ったをかけた。
この程度のことで一々暴力を振るっていては仲間(予定)に生娘らしい未熟な船長だと思われてしまうかもしれない。
自分の名誉など海賊王の称号で十分だが、ゾロの勧誘の成否は大きな問題だ。
ルフィはマキノの謂い付けをゾロが正式に仲間になるまで先延ばしにすることに決めた。
だがそんな無抵抗な少女の姿が剣士のお人好し魂に火を燈す。
「…その女から手を離せ。そいつは無関係だし、てめェらモーガン親子が好き勝手してるこの町の人間でもねェ」
彼にはこの麦わら娘の経歴も、自分を勧誘してどうするつもりなのかもわからない。
だがただの遊びならともかく、もし危険を冒してまで真剣に海軍に捕らえられている自分を仲間に誘っているのであれば事情は異なる。
結果こうして権力者のバカ息子に捕まり辱められそうになっている少女の現状にゾロも思うところがないわけではない。
しかし剣士のその言葉はヘルメッポの下種な笑みを深めるだけであった。
バカ息子は思い出す。
元々自分はこの腹立たしい剣士の不甲斐なさを笑い悦に浸る目的でここへ来たはずだったのだ、と。
「そうか、それは可哀想に。お前が無力なせいでこのお転婆なお嬢さんが不幸な目にあうんだからよぉ…なぁ?」
「なっ、ふざけんな!そいつは関係ないって言っただろうが!」
「関係あるとも。そこの看板に書いてあるだろう?」
バカ息子は近くに立てかけてある禁則事項の看板を指差した。
ルフィの不法侵入行為は当然その内の一つに該当する。
ゾロに見せ付けるように麦わら娘の細い腰を撫で回し、怒れる剣士の反応に満足したヘルメッポは彼女を自室へ連れ込もうと踵を返した。
「さぁお嬢さん、こんな不甲斐ない男は放っておいて。君にはこれからおれの部屋で不法侵入のお仕置きを受けてもらわんとなぁ。ほら、付いてこい」
「イヤよ」
「うむうむ は?」
一瞬、ヘルメッポは耳を疑った。
そして自分の先導を無視しゾロへ視線を固定したまま微動だにしない彼女の姿を見て、先ほどの言葉が聞き間違いでないことを理解し、驚いた。
今まで無抵抗だった女が突然反抗の意思を示したのだから。
脅しが足りなかったか、とバカ息子は口調を荒らげ威圧することにした。
「あァん?てめェ自分の立場わかってんのか、オイ。おれの親父はあのモーガン大佐だぞ?」
「私はゾロを自分の海賊団に誘うためにここまで来たの。それが叶うまでここから離れるつもりはないわ」
『なっ!?』
声がそこら彼処から上がった。
その内容は様々。
ヘルメッポは女が自分の権力を知って尚逆らったことに対して。
海兵たちとリカは麦わら娘が海賊を自称したことに対して。
コビーはそれをルフィが海軍の目の前で行ったことに対して。
そしてゾロは海賊を自称する少女が、先ほどの勧誘を未だに最優先していることを理解して。
「ばっ、バカ!てめェこの期に及んでまだそんなこと言ってやがるのか!?俺は犯罪者にも弱い女の下なんかにも付かねェって言っただろ!」
てめェはてめェの身の心配をしろ、と怒鳴り散らす剣士にルフィは満面の笑みで言い放った。
「だってあなたが仲間になってくれたら絶対私の冒険が楽しくなるわ!それに――世界一の大剣豪を欲しがらない船長はいないもの」
「 ッ!?」
剣士はその言葉に目を零れ落とさんばかりに見開いた。
それはかつて、幼い剣豪が最期まで敵わなかった一人の少女と交わした生涯の約束。
剣の道を極めんとする全ての剣士たちの最高の夢。
だが青年がその野望に抱く思いは、道半ばで途絶えた亡き友と自分自身の2人分の夢を併せた、何よりも高く重く神聖なもの。
それこそが、天に召された悲劇の少女の下へと届くほどの名声。
彼にとっての、『世界一の大剣豪』という称号である。
「てめェ…何でそのことを知っている」
不快感を隠そうともせず、周囲のバカ息子や海兵たちが怯みあがるほどの殺気を放ち目の前の麦わら娘を睨みつける。
異常を察知した海兵たちが少しずつ集まり出す中、自称海賊団船長の少女は表情一つ変えずに笑みを浮かべたままゾロを見下ろしていた。
剣士は内心驚くも、同時に納得する。
この女の意思の強さはこれまでの彼女の振る舞いで理解した。
おそらくかの高名な女海賊を下したのも事実。
小娘の見た目どおりの実力ではないのだろう。
あのバカ息子に良い様にされているのも、もしかしたら少女の言葉通りに自分の勧誘を全てにおいて最優先しているからかもしれない。
何てバカで強情で不器用な人間なのだろう。
どこか放っておけない危うさを感じさせると同時に、その揺ぎ無い信念を堂々と誇る目の前の“女”に ゾロは不可解な苛立ちを覚える。
てめェが“その野望”の重さも知らずに気軽に口にするんじゃねェよ。
「うーん、理由はいっぱいあるけど…知りたいなら仲間にならなきゃヤダ」
「ッ!…ふざけてんのかてめェ!!」
最早その目はルフィを射殺さんとするほどの気迫を帯びていた。
からかうように舌を出し笑う麦わら娘にゾロは怒りの咆哮を上げる。
暴れる猛獣を十字杭に拘束している縄が激しく軋み、恐怖に錯乱したヘルメッポがズボンの股間を濡らしながら応援の海兵を求め叫びまわる。
それに応えた兵たちが慌てて小銃を構えて怒れる猛獣を牽制するも、彼の怒りは治まらない。
ゾロ自身、自分が何故これほどまでに不愉快な気分になっているのか理解出来なかった。
ただ、男に触れられ不快な思いをさせられても、強烈な殺気を浴びせても、海兵に銃口を向けられても、小揺るぎもしない目の前の少女が見せた心の強さが、かつて見た亡き友の涙を想起させるのだ。
容姿も性格も何もかもが違う。
だからこそ…女であることに絶望していた幼い女剣士と、女の身で海賊を名乗り、仲間を求めて自由気ままにこんな危険な場所まで堂々と乗り込んでくる目の前の麦わら娘の、その巨大な“違い”が どうしても腹立たしかったのだ。
だがそんなゾロの内心や周囲の海兵たちさえお構いなしとばかりに、少女は平然と剣士に言葉を返した。
「私はふざけてなんかいないわ」
「な、に…!?」
ゾクッ…、とゾロの肌に鳥肌が立つ。
集まる海兵たちに銃口を向けられたからではない。
突然、怯みあがるほどの気迫に飲み込まれたのだ。
その異様な気配の出所はすぐ目の前の、壮大な夜空のような瞳をした麦わら帽子の少女であった。
「私は本気でゾロに仲間になってほしいし、仲間じゃない人に秘密を教えることもしない。それに最初に選んだ仲間は、私と一緒に戦い、互いの背中を預けられるほど強い人じゃないとイヤよ」
「お…まえ…」
吸い込まれそうになるほど深く透き通った大きい瞳の少女が、その華奢な両腕を開いた。
それだけで、まるで世界そのものを抱きしめようとしているかのように錯覚するほどの巨大な存在感が彼女から発せられる。
それは杭に縛られる猛獣が子犬に見違えるほどの、強大な怪物の如き存在感だった。
「世界最強の剣豪にすらなれない雑魚に用はないの。ゾロの夢は軽くもないし、私の言葉も同じように気軽に言ったものじゃないわ。だって私は夢を叶えたあなたの船長に相応しい 」
そして、この場にいる一人の若き“王”がその裁定を下す。
「 この世の全てを手に入れた、『海賊王』になるのが夢だもの!!」
瞬間。爆発的なナニカが、麦わら帽子の少女から放たれた。