シベリアの町を足早に出発したエール一行は氷雪地帯を進んでいる。
前を行く案内人は足場の悪い雪の中をものともせずにすいーっと移動していく。
「あれってポピンズのからくりじゃね?」
長田君がそう言うとたしかにローブの下からは、それらしきからくり機械が覗いていた。
「へい、あっしはポピンズで。体力があるし気候の変化なんかにも強いんでこういった案内業をしている仲間は多いでやんす」
ポピンズの案内人は気さくに返答する。
そういえばエール達の旅にもポピンズの松下姫が同行していた、という事を話してみた。
「へぇ、あのミス・ポピンズの松下姫とお知り合いっすか!」
その日の夜には案内人も交えてキャンプで話をして少し盛り上がった。
松下姫は見た目は小さいもののエールよりもはるかに旅慣れており冒険でも度々サポートをしてくれたしっかり者だった。
エールのことを何度も女性らしくないと注意していたその姿を思い出し、エールは懐かしい気持ちになる。
エール達はポピンズは地下に帝国を築いている、という話を聞いた。
「へー! いつか行ってみたいなー、みんなぬいぐるみみたいで可愛いんだよね」
「ポピンズのからくり大国とか楽しそうだなー! でもポピンズってみんな小さくてさー…色気がないっつーか」
長田君がそう言うと案内人はまだポピンズ連合王国になる前だったアレルギー超大国では毎年乱交祭りが開催されていたというかなり衝撃的なことをエール達に告げた。
顔を真っ赤にしてしどろもどろになるレリコフと割れる長田君を横に
「乱交って何?」
ヒーローは意味がよく分かっていないのか、無邪気にそれを聞いてくる。
大きくなってからわかることだ、とエールは誤魔化した。
………
……
それからまた幾日かたった。
魔物には襲われるものの東ヘルマンの追手が来ることもなく、エール達は現在吹雪の中を進んでいる。
「すいませーん! 本当にこっちであってるんすか!? 俺ら遭難したんじゃ!?」
たまに雪に埋もれそうになっている長田君が声を張り上げた。
魔物や人よりも環境の方がずっと脅威で、食料もヘルマンパンで食いつないでいることもあって中々大変な旅路である。
「安心してくだせい。 旅路は順調、あと数時間も歩けば到着しますや」
あと少し、というのを聞いて全員が気力を振り絞って歩いて行く。
シベリアの町からその道中、レリコフはずっと昼夜問わずエールの袖を掴みぴったりとくっついていた。
「こうやって掴んでないとボク迷っちゃうかもしれないからさ!」
エールが元気がないように見えると言って顔をのぞき込むとレリコフはそう返事を返した。
髪の毛をくしゃくしゃ撫でると笑うが、やはり落ち込んでいるように見えてエールは心配になった。
そしてついに吹雪の中に大きな塔がそびえたっているのが見えてきた。
「まさか寒さで幻覚見てないよな? 本当にこんなところに塔が立ってる……」
「到着ですぜ。 あっしは帰りも任されてるんでここで待っとります」
一緒に中に入らないのかと言うと、自分は案内人だからと言って吹雪の中、塔を風除けに機械のメンテナンスをはじめる。
寒さも吹雪も余裕そうな様子を見てエールは今更ながらポピンズの体質がうらやましくなった。
エール達が塔の中に入るとそこにあったのは巨大な螺旋階段、さらにそれを登っていくと終点には大きな扉があった。少し警戒しつつその扉を開け中に足を踏み入れると、ふわりと温かい風がエール達の頬を撫でた。
「うわー! なんだここー!? まじで塔の中なん!?」
「お天気良いねー! さっきまで吹雪じゃなかった?」
「すっごーい! ひろーい! それにあったかーい!」
一行はそれぞれ感嘆の声をあげる。
空には青空が広がり、雲が流れ、生い茂る緑に川のせせらぎ。気候も温かくのどかな雰囲気、そこには塔の中とは思えない牧歌的な平原が広がっていた。
「とーちゃーく!」
その光景にテンションの上がった四人は手を叩き合って思う存分はしゃぎつつ、改めて世界の果ての一つへの到達を喜び合った。
不思議な風景に早速とばかりに駆け出そうとした一行に日光が声をかける。
「ホ・ラガは魔法レベル3。ミラクルさんによると高い魔力と技術があればこういった別な空間を作ることが出来るそうです。空間はどこまであるか分かりません。迷子にならないように……」
「スシヌが作ったダンジョンとか、ミラクルさんが作ってた空間みたいなもんってことかー! はー、魔法ってすっげーなぁ!」
日光の言葉を聞いてエールは魔法レベル3の規格外ぶりを再認識した。
ハニーであり魔法に縁がない長田君も感心している。
「オイラのかーちゃんも魔法レベル3らしいけど、こういうこと出来るのかなぁ?」
「ハンティ叔母さんに今度やってもらおうよ!」
エールは魔法レベル1である。うらやましく思いつつゼスでスシヌに会ったら魔法のことを色々と聞いてみようと思った。
「ばうっ!」
エール達がはしゃいでいると、一匹のわんわんが近づいてきた。
「わー! 可愛い! おいでおいでー!」
レリコフがそう言いながらわんわんに近付くと大きなわんわんはされるがまま頭を撫でられる。
「ばうばうっ!」
レリコフの後にエールも撫でようとしたがひとしきり撫でられ終えたことを察したのか、そのわんわんは何度か吠えると飛び出す様に走り出した。レリコフが追いかけた先にはぽつんと赤い屋根の小さな家がある。
「おーい、みんなー!あっちになんかお家があるー!」
「あそこに件の北の賢者… 私が会いたかったホ・ラガが居るはずです」
日光の言葉で全員がその家に向かった。
中に入るとそこには真っ白な髭をたたえた一人の老人が座っていた。
「どうした、よーぜふ。客が来たのか」
わんわんはかたつむりを与えられ、それをばりばりと食べている。
「こんにちはー!」
エール達はホ・ラガに向かって大きな声で挨拶をする。
「元気がいい子供達だな。ドラゴンにハニーもいるようだが…そして日光もか。ということはただのお客さんではないらしい」
「久しぶりですね、ホ・ラガ」
エールはホ・ラガの姿を見て首を傾げた。
かつて日光達と旅の仲間であったというのは聞いているが、剣になってしまったカオスはともかくカフェや日光は見た目も若くブリティシュも老人という歳ではなかった。
世代がばらばらのパーティだったのだろうか。
「確かにそうだな。 すっげー、イケメンでも出てくるかと思った」
「おじいちゃんだよね?」
エール一行がそんな失礼な話をしていると、ホ・ラガはエールをまっすぐに見つめている。
それが睨まれているように見えたエールは、思わず睨み返したが日光の大事な元仲間であることを思い出し失礼なことを言ったことを謝った。
「君は自分が何者か分かるかね?」
エールはその言い方に違和感を覚えつつ、AL教法王の娘だと名乗った。
それにならってレリコフ達も名乗るがそれには興味がなさそうにエールだけを見つめている。
「あの法王の子供。なるほど、そういうことか」
母と会ったことがあるのかと、エールは尋ねた。
「ああ、そうだ。魔人戦争の真っ只中、法王は私にとある事の助言を求めてきた……」
ホ・ラガは思い出していた。
人類がルドラサウムの支配から逃れる方法。
それを尋ねてきた現在の法王とかつて法王だった者に「ママルドラサウムに説教でもしてもらうか」と答えた事がある。
そんな方法はどこにも存在しない、全てが神に定められた世界で抗うことをあざ笑うような悪意ある助言であり冗談にすぎないものだった。
だがその助言の果てに今、ホ・ラガの目の前にその一つの答えがある。
全てを諦めていたホ・ラガにとってまさか自分の言った冗談が、このような結果を生むなど想像もしていないことだった。
「ふっ、くくく………」
ホ・ラガは自嘲気味に笑った。支配から逃れられたわけではなく神々が新しい遊びを見つけただけだ、と考えてはいる。
しかし少なくとも人類を苦しめるために存在した魔王という悪趣味な神の娯楽から人類は解放された。
エールはいきなり笑い出した老人に眉をひそめて、母のことについて尋ねた。
「それは教えることは出来ない。どうしてもというなら直接、母親に尋ねてみると良いだろう」
エールは母親の秘密主義を知っている、全知と言うからにはホ・ラガそれも知って言っているように聞こえ少し頬を膨らませた。
「君が魔王を倒したというのか。魔王は君にとっては―」
「今日はその事を報告しに来ました。エールさん、ホ・ラガと二人で話がしたいのですがよろしいでしょうか」
日光がホ・ラガの言葉を遮るように人の姿になった。
エールは大きく頷く。
「ありがとうございます」
丁寧に頭を下げる様子はやはり美しかった。
「それじゃ、みんなで早速塔の中探索しよー…むぐぐっ…」
「わー! バカ、塔の持ち主の前で!」
家主の目の前で家探しをするような発言をしたレリコフの口を長田君が封じる。
「好きにして構わんよ。どこまで行ってもただの草原が広がっているだけだが、探せば食べ物ぐらいはあるだろう」
「あまり遠くへ行ってはいけませんよ。長田君、みんなをお願いしますね」
「任せといてください、へへへ…」
リーダーは自分なのにとデレデレとした長田君と日光にエールが口をとがらせると、日光は母親のような微笑みを返した。
「わんわん連れてっていいですか?」
「……よーぜふ」
ホ・ラガの言葉によーぜふが出口の前に移動した。
「わーい! 一緒に遊ぼー!」
エール達は日光を残しよーぜふを連れだってばたばたと家から出て行った。
「こら、エール。盗み聞きしようとするんじゃありません。そういうとこがいまいちリーダーっぽくないんだって……」
扉の外からそんな声がして、そのまま離れていく気配がした。
その場にはホ・ラガと日光が残される。
「美樹ちゃんと健太郎君は無事に元の世界へ戻りました。あなたにも色々とお世話になりましたね」
「君の事だから嫌味ではないのだろうな」
日光がここを訪れたのは三度目である。
異界に帰る方法を聞いた時、結局は美樹の魔王化は収まらず戻ってくる羽目になった。
そしてホ・ラガに魔王化を止める方法を聞いたがそれはどれも達成不可能なものだった。
「そう聞こえたならば申し訳ありません。そして、もう知っていると思いますが魔王は無事討伐されましたよ」
「少し前にブリティシュがここに訪ねてきてくれてその事を聞いたよ。だが信じられなかった。これは一部の者しか知らなかったことだが、魔王が討伐されれば次の魔王が現れる。この世界はそういうものだったのだ」
「エールさん達が倒したのは魔王ではなく魔王の血そのものです。私もエールさんの武器としてその最後を見届けることが出来ました」
戦いの最中、魔王の血に残された記憶が歴代魔王として立ちはだかり、最後は消滅したということを話した。
「あの娘、名前はエールだったな。何者か分かるか?」
「……特別な存在であることぐらいは」
カオスに認められずとも日光を儀式を必要とせずとも扱うことができ、世界から消えたはずのレベル神がつき、神魔法を新しく覚えることすらできる。
エールが神と関わりのある部分で特別であることを日光は分かっていた。
「突拍子もない事をしたり危なっかしい所もありますが、どんな存在であってもエールさんは私の良きオーナーであることに変わりはありません。
私が話をしたいからというだけでこんな世界の果てまで来てくれるほど優しい子です」
日光は優しく微笑む。それはかつて美樹や健太郎に向けていた微笑みを同じものである。
「そうか……」
ホ・ラガは日光がそれ以上の情報を必要としていないと感じ口を閉じた。
「ブリティシュがここを訪れたのですね」
「壁の男などと呼ばれていると知った時は嘆いたものだが、私が会った姿はますます男ぶりを上げていた。青春を思い出したよ」
「エールさん達に修行をつけてくれました。最後の最後で助力に間に合ったと喜んでいましたよ」
「そうか。その勇姿が見られず残念だ」
「ふふ、カフェが言っていたのですが今度、かつての仲間で集まれないかと――」
日光とホ・ラガは会話をしてその日をすごした。
世界の全てを知り絶望し、全てに飽いてしまったホ・ラガにとって、この一年は1500年ぶりにこの世界に希望を感じさせるものだった。
………
一方のエール一行は塔の中を探索、という名目で大草原で遊びまわっていた。
「ふっかふかだー!」
レリコフはよーぜふをこれでもかと撫で回している。
エールはその光景を見てわんわんがわんわんを撫でていると、一人小さく笑った。
「ばうっ」
よーぜふがそんなエールに向かって吠えたのでエールもふかふかのよーぜふを撫でた。
「とっても頭がいいみたいだね。 へっへー、かわいいよねー!」
エールはそう言ったレリコフの頭も撫でまわした。
「きゃー!」
ふわふわとした髪にさらさらの手触り、レリコフは楽しそうにしていた。
長田君とヒーローは辺りを探索していた。
行き過ぎれば迷子になるだろうと遠くにいけないがとりあえずこの空間がどこまで広いかは見当がつかない。
木が生い茂っている場所に実っていた果実をもいでエール達のところに戻る。
「世界の果てとか北の賢者の塔っていうからにはお宝とかあんじゃないのかってちょーっと期待してたんだけどさ」
外は血も凍るような寒さで吹雪いている。この暖かさこそ宝なんじゃないか、とエールが果実を頬張りながら親指を立てた。
「なんかお前適当に良いこと言おうとしてない? まあ、これで世界の果て一つ制覇っつーの? ここまで来たってのが大事だよな!」
「果物美味しいねー!」
エールは何となくホ・ラガのことを考えていた。
母がホ・ラガに尋ねた事は何なのかというのが気になる。
自分が何者なのか分かるかと変な言い方をされたことも気になる。
そして日光が、おそらく自分をホ・ラガと引き離そうとしたのも気になった。
エールは頭にもやもやとしたものを抱えつつ、遠くに見える赤い屋根の家を眺めていた。
「どしたん、エール? このりんごみたいなの美味いし、いくつか取って行こうぜー。これさ、世界の果てから持ってきたとかでヘルマン持ってったら売れそうじゃね?」
道中で食べきるんじゃないかな、エールがヘルマンパンの味を思い出しながら先に果物を取りに行ったレリコフ達を追いかけた。
空を見上げると青空が広がっている。
夜が来ないのだろうか、一向に辺りが暗くなる気配がない。
エール達はそこでキャンプを張り、一泊することにした。
………
……
「日光と話せた礼だ。 聞きたいことがあるなら一つだけ教えてやろう」
エール達が日光を取りに来るとそうホ・ラガが言った。
エールはみんな聞きたいことがあるかどうかを尋ねた。
「ボクはないよ」
「オイラもないー」
「え? 俺? 俺はなー…桃源郷の場所にモテる方法に金持ちになる方法とか…」
長田君は聞きたいことが多すぎて悩んでいるようだ。
ちなみにエールは特に思いつかなかった。
「ほう……何しに来たのかと想えば本当に日光と私を会わせたいだけだったのかね」
エールは頷くと、手に持った日光が微笑んだような気がした。
突然、長田君がはっとひらめいたような顔をした。
「あっ、そうだ。エール、せっかくだから巨乳になれる方法聞けばいいんじゃね!? 魔王の子って深根以外みんな貧乳だしお前以外も喜ぶだろうし、おっぱい大きいと俺も嬉し」
エールは全力で長田君を叩き割り、長田君の願いは全部却下することにした。
「エールがリーダーなんだから、エールが決めなよ」
「うんうん、エールねーちゃんなんかある?」
レリコフ達がそう言ったのでエールは少し悩むと、珍しい貝……ここはもっと大きく誰も見たことないような伝説の貝がある場所を聞いてみることにした。
エールにとって珍しい貝探しは冒険の大事な目的の一つである。
珍しい貝の出会いはあっても伝説クラスの貝となるとエールは自分の情報も限界があると感じた。
「伝説の貝って…そんなんでいいの?」
全員が驚いていたが、エールにとっては最も魅力的な情報だった。
巨乳になる方法は長田君を割った手前、聞くに聞けなくなってしまったのだから他には何もない。
「エールならもっとAL教のこととか、神異変のこととか聞くと思ってた。なんか今、大変なんじゃなかったっけ?」
エールは首を横に振った。
AL教は法王である母の管轄であり、エール自身は司教でも何でもない。
母もそんなのは望まないだろう。
「ふむ、貝か。分かった、少し待つといい」
そうするとホ・ラガはさらさらとメモを書いてエールに渡してくる。
簡単な地図が書かれている。指し示すのはJAPAN、それも最北端に近い場所だった。
「ここに人が訪れたことのない秘密の貝塚がある。そこならお前の満足するものが見つかるだろう」
貝塚とは世界各地に点在する大昔に作られた貝の墓の事である。
エールがクルックーから貝塚の話を聞いた時はいつか自分も掘り出してみたいと思っていたのだが、現在、世界にある貝塚はほぼ完全に発掘済となっていた。
それは魔王となったランスが世界中から珍しい貝をかき集めたせいなのだがエールはそこまでは知らない。
秘密の貝塚…!
貝塚だけでもぐっとくる単語なのに形容詞に秘密がつく、おそらく発掘されていないのだろう。エールはそのメモを手に喜んでくるくると回った。
「エール、良かったねー!」
「おめでとー、エールねーちゃん!」
その様子を見てレリコフ達はぱちぱちと拍手をした。
「お邪魔しましたー!」
エール達がまた元気よく礼を言って立ち去ろうとすると、ホ・ラガが呼び止めた。
「エールと言ったな。君は母親が好きかね?」
大好き、とエールが間髪入れずに返答すると今度はホ・ラガの目が鋭くエールを見つめた。
「お前は何でも知っているんじゃないのか?」
目を向けられたエールは意味が分からず、レリコフ達を見回すが全員が意味が分からないのか首を傾げていた。
「そうか」
その様子にホ・ラガは椅子に座りなおす。
「では君達の旅が楽しくなるよう、ここで願っておくことにしよう」
そう言って目を閉じたホ・ラガの口調はどことなく皮肉めいていてエールは少しむっとした。
ここにいるのはつまらなそうだ、とエールは言い返し小さく舌を出した。
「ばうっばうっ」
エールはホ・ラガではなく寄り添っているよーぜふに手を振りながら家を出て行った。
「なんかすごい人なんだろうけど、いけすかないじーさんだったな。 こんなとこに引きこもってっからだぜ、きっと!」
長田君もなんとなく馬鹿にされたように感じたのか怒っていた。
「申し訳ありません。ですが、あれでも機嫌は良かったんですよ」
日光は少し寂しそうに言った。
「色々と話が出来て良かったです。皆さん、連れてきてくださりありがとうございました」
日光に礼を言われ、エール達は楽しそうに笑った。
「んじゃ、後は帰るだけだねー!」
「帰りはまーたあの雪の中進むんだよな……」
塔の中は極寒の氷雪地帯を忘れてしまうほどに温かく過ごしやすい。
「あのじーさんはなんか嫌だけどここは暖かいしさ、もう一泊しない?」
そう言って外に繋がる扉の前で立ち止まる長田君をエールがずるずると引っ張り出した。
「うわーん! さむーい!」
長田君が震えているように、扉の外に出た瞬間耳と鼻が痛くなるような寒さである。
「吹雪いてないから、出るなら今だよー?」
「ヒーロー達は雪余裕だよなー…俺は都会派だからさー」
なら長田君だけ残る?とエールが口をとがらせつつ聞くと。
「いや、一緒に行くって! 行くってば!」
長田君も後に続いた。
待機していた案内人に、シベリアの町は万が一があるから別な街を経由して帰りたい、とエールが依頼する。
「へいへい。んでは、キューロフ近くまで行きますか。行程長くなるんで別料金発生しやすぜ?」
ヘルマン国にツケといてください、とエールが言うと案内人は頷き出発した。
エールは少し振り返って塔のあった方を見たが、視界が悪いせいかあっという間に見えなくなっていた。
頭に残るもやもやのような、幻みたいな場所だった。
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