天華百剣-勇-   作:東郷◎◎

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序章

いまだかつて経験したことのない、長く遠い鉄道の旅から解放されて、真っ先に感じたのは空気の旨さだった。大勢の人と喧騒にまみれた東京とは違って空気が澄んでいるのだろう。試しに胸いっぱいに吸い込んでみると、ふと故郷の石川の山々が思い出された。

今年晴れて昇進が決まったこの青年将校、年齢は二十を過ぎたあたりだろうか。支給されたばかりの新しい軍服をまとったその顔からは、緊張と不安が見てとれる。慣れない鉄道での移動が終わったとは言え、やはりそう簡単に気は休まらないようだった。

昇進後初の任務として、上官から直々にとある重大な命を受け、はるばるこの地――薩摩までやってきたのだが、肝心の任務内容は詳しく聞かされていない。銘治政府の将来に直接関係する特務とだけは口頭で知らされているが、

――対象の護衛を最優先。委細柔軟に対応されたし

と、渡された書状にはそのような簡単な指示しか書かれていなかった。

国家を守る使命を担う身として、当然気にならないと言えば嘘になる。しかし、彼にこの任務の内容をこと細かに尋ねようという気持ちは起きなかった。

たった一行の文に対して異常といえるほど厳重な封と、見たことのない印章が押された上質な封筒が青年をそう思わせた。それだけでも不安材料として十分であるにもかかわらず、そこに加えて書面にあった対象――同行者たちが揃いもそろって異常なのだ。恐れ多くて聞けるはずもない。

青年が護衛もかねて同行するのは政府関係者が三人。それは上官に事前に聞かされていたのだが、それとは別にもう三人、見覚えのない女性が同行していた。

誰かが連れてきた妾かなにかだろうか。背格好はそれぞれ違えども、いずれもとびきりの器量好し、美女と呼んで然るべき容姿の持ち主たちであった。

巷の女性が身に付けているような和服ではなく、当世においてはまだ珍しい西洋風の衣服でその身を飾っている。与えられたものなのか、御大層に腰に刀まで差している。青年は特に刀剣類には明るくないが、自分の腰にぶら下がっている無銘の数打ちとは、比べ物にならない業物であることくらいは理解できた。

昨今では、こうして自分の女を飾るのが流行っているのだろうか。その入れ込まれ様に小さく鼻を鳴らす。

女が男の真似事などするものではない。ましてや、武士の魂である刀を面白半分で差すなど言語道断である。いくら見目麗しい女性であると言えども、由緒正しい武士の家系に生まれた青年にとっては、どうにも受け入れがたい光景のようであった。

ただ気になるのが、その三人の表情がいずれもどこか暗く悄然としている。ひょっとすると、望んでこの場にいるのではないかもしれない。没落した旗本の娘が身売りでもさせられたのだろうか。

しかし、そもそも詳細を伏せるほど重大と言われている任務に、わざわざ連れてこられていること自体が妙だと言える。ただの気まぐれか見せびらかしか、あるいは交渉材料か何か――。頭の中を巡る悪い考えが、深く知ろうとしてはいけないという思いを助長させるのだった。

「んんっ、懐かしきかな我が故郷!」

そんな青年の不安をよそに、先頭に立った男が芝居がかった口調で宣言する。自信たっぷりな面持ちで、綺麗に整えられた髭を触りながらの足取りは軽い。飄々とした様子で、隣を歩く大男や、少し遅れて後方を歩く女性たちに、あれやこれやと大きな身振り手振りを交えながら話しかけている。

一見すると、ただの騒がしい軟派な西洋かぶれの優男といった様子だが、青年はこの男の顔をよくよく知っている。少しでも国家に関わるような仕事をしている者ならば、誰だって見知っているはずである。

薩摩を故郷だと言ったこの男こそ、この日本国の初代内務卿であり、銘治政府の立役者――維新の三傑のひとり、大久保利通である。幕末の動乱期、その卓越した頭脳を用いて八面六臂の活躍を見せた、薩摩が誇る傑物だと名高く、青年も強い尊敬の念を抱いていた。

「大久保よ、そないに急かすんやないわ。ワシ疲れてしまうわぁ」

「またまたぁ、あなたそんなタマじゃないでしょ?冗談キツイですって」

大久保の右隣り、フロックコートに袖を通し、象牙で作られた獅子の飾りと牡丹の銀細工が眩しい黒檀のステッキを携えている男。その身なりや立ち居振る舞いから、あきらかに青年のような一般人とは身分が違うのがわかる。

それもそのはず、男の名は岩倉具視。れっきとした公卿であり銘治政府の外務卿を務めている――のだが、その双眸はまるで猛禽類のように鋭い。

上等な生地で作られた服を、鍛えられた筋肉が押し上げるような形になっており、その風体は所謂御公家様とは思い難い。青年も直接目にするのは初めてで、風の噂で『公家社会の怪物』と呼ばれていることは知っていたが、想像していた人物像とのあまりにも大きな乖離に、ただただ困惑している。

「岩倉卿、体調が優れないようでしたら馬車の用意を」

「ええ、ええ。小粋な冗談や。ワシを甘く見られたら困るでぇ?」

岩倉はおどけた調子で力こぶをつくりながら答える。盛り上がった袖が悲鳴を上げる。

「もちろん、存じております。大久保様は大丈夫でありますか?何かお飲み物でも」

「大丈夫だよ。君は本当に気配り上手だなぁ、川路くん」

「いえ、お二人の護衛を任された以上、当然の務めであります」

背筋を伸ばして敬礼をひとつ、そしてまた二人の傍らから離れないように並んで歩く。まるで巌のように屈強なこの男は初代大警視、川路利良。東京を発つ時から必要最低限の言葉以外一切口にせず、青年に対してねめつけるような視線を送っている。その不動尊のような容姿もあって、青年は内心怯えていた。できることと言えば、精々不信を買わないように、そっと視線を低くする程度であった。

ただひとつ、その時目に入った腰に下げる金細工の眩しい軍刀から、この男がいかに高い位を与えられているのかだけは理解できた。

 

終着地点がわからないまま、ただ一行に付いていくしかない状況下で、青年は内なる疑問に考えを巡らせる。

(なぜ俺なのだろう)

このような雲の上の人物たちと、自分のような若輩者が共に行動することになるとは誰が予想できたであろうか。外でもない自分が選ばれたということに対する疑問は、いよいよ大きくなる。しかし同時に、彼らのような動乱期を駆け抜けた英傑たちに同行できることへの誇らしさも感じなくはない。相反する感情の板挟みになっているところ、青年の隣を歩く黒髪の女性が大久保たちの背を睨みながらぽつりと毒づく。

「ペラペラペラペラと…。忌々しい」

舶来品だろうか、立派な仕立ての外套を颯爽と着こなし、腰まで届く長い艶やかな黒髪と綺麗に切りそろえられた前髪、そして切れ長の澄んだ瞳からは意志の強さを感じる。大層な美人ではあるのだが、そんなせっかくの美貌も不機嫌極まりないといった表情が台無しにしてしまっている。眉間に深く刻まれたシワと、煙草らしきものを咥えたその様は近寄りがたく、女性でありながら一種異様な威圧感を醸している。

「き、聞こえますよ……」

「かまいませんわ。どうせこちらに関心など、ないでしょうし」

そんな険しい表情をしている黒髪の女性に、別の二人が宥めるように近付き話しかける。

こうして並んでいると実に絵になる三人である。

「私たちは所詮道具。必要な時に使えれば、それ以上のことを求められることもないでしょう」

まるでその豊満な身体を誇示するかのような、布面積の少ない過激な服装をした女性。怪しくも美しい、どこか退廃的な雰囲気の持ち主だった。

ふと青年と目が合うと、目を細めて怪しい笑みを浮かべる。それだけで青年は、まるで矢で射られたかのような衝撃に動けなくなり、同時に鼓動が急速に早くなるのを感じた。たまらず目を逸らそうとしたが、そのシミ一つない白磁のような柔肌の、豊かすぎる双丘がつくる深い谷間に抗えるはずもなかった。

しかしてそんな青年の視線を気にすることもなく、女性は続ける。

「それにきっと、和泉さんだってそのあたりはちゃんとわかっていらっしゃるでしょう。万が一にでも聞こえてしまったら……こわぁいですもの、ねぇ?」

ねっとりとまとわりつくような、そしてどこか挑発するような声色に一瞬で空気が張り詰める。どうやら、彼女には宥める心算などなかったようだった。

「――その口を閉じろ」

和泉と呼ばれた女性がドスの利いた声で返す。おおよそ女性の発していい声色ではない。

「あらあら、そんなに睨まないでくださいまし。図星を突かれて決まりが悪いのはわかりますけれど」

意地悪そうな笑みを張り付けたまま、大層楽しげに煽り続ける。

ふと両者の歩みが止まった。和泉の口には薄い笑みが浮かんでいる。

「どうした、今日はよく吠えるじゃないか。死神」

「野良犬ほどではありませんわ」

毒気をはらんだ軽口の応酬が終わるや否や、二人は同時に腰の刀に手をかける。

その表情からはとっくに笑みは消え失せていた。

「お、おい二人とも!」

たまらず声をかけた青年に向けられる二つの視線は極めて鋭い。まるで猛獣にでも睨まれたかのように、全身に悪寒が走る。生命の危機を感じた。

邪魔をするな――

明らかな殺意が宿っている。迂闊に割って入れば自分の首が飛び、止めなければ確実にどちらか一方が死ぬほどの尋常ならざる剣気。少しばかり剣術を嗜んできた青年が感じ取るには容易であるほど、二人のそれは凶暴であった。

(まるで抜身の刀のようじゃないか……)

人の形をとった化生。そう例えるのが実にしっくりくる。

故郷で通っていた道場の師範代や士官学校の鬼教官でさえ、これほどの気迫を感じることはなかった。ましてや見た目は美しい女性なのだ、人かどうか怪しく思えるのも道理である。

「和泉さん!陸奥さん!抑えて下さい、往来ですよ!」

目の覚めるような白髪をなびかせながら、少女が声を上げた。不安げに揺れる紫がかった瞳は宝珠のように美しく光る。白い肌に鼻筋の通ったその外貌は、さながら出来のいい西洋人形のようで、どこか人間離れした不気味ささえ感じるほどに整っている。

まるで上質な絹のように細く滑らかな長髪には蝶を象った髪飾りを付けている。なおも睨み合う二人に説得を試みる横顔には、銀の耳飾りが揺れていた。

しかし、そんな少女の制止は、この二人の耳に届いていないようだった。

和泉が腰を落とし、膝を曲げて、柄を握る手に力を籠める。仕掛けるつもりらしい。

対する陸奥と呼ばれた女は、その秀麗な顔に余裕の笑みを浮かべながら、半身となってゆらりと籠手をはめた左手を前に構える。鯉口も切らずに妙な構えだが、おそらくは後の先――相手が打ってくるのを誘っているとみえる。

双方一歩も引かず、視線だけが交わる。

じりじりと円を描くようにお互いを牽制し合う。

「散れ」

「まぁ、こわいこわい」

和泉が鯉口を切ると、ぎらりと鈍い光が漏れ出でた。

曲げた左足を一気に伸ばし、力強く地面を蹴ってその身を前へと疾走らせる。

踏み込みと同時に、極限まで抑えられた白刃が超速で鞘を走り抜け、まさに放たれんとするその刹那――

「二人とも、ふざけるのもいい加減にしてください」

底冷えするような声が通る。

二匹の剣鬼の間に、白髪の少女の姿があった。

逆手で抜いた刀の柄で陸奥の腕を抑え込み、鞘の半ばまで抜かれた和泉の刀の柄頭を左の掌で押さえている。

一寸も動かない。

先ほどまでの儚げな彼女はどこへ行ってしまったのか。光を無くした瞳に刀身の光が映り込んだその表情は、恐ろしいほどに無であった。

一瞬の出来事で青年が状況を把握するまでに間があったが、どうやら和泉が刀を抜ききるよりも先に、二人の間に飛び込み動きを制したらしい。間合いにして三メートルはあったはずである。到底、並の人間にできる芸当ではない。化生は三匹いたのだ。

これにはさすがの二人も驚いたのか、動きが止まり、やがて表情に色が戻り始めた。

「ちっ……」

和泉が憎らしげに舌打ちをしながら鍔を鳴らす。外套の裾を翻しながら、そのまま振り返ることもなく歩き始めた。

「ちょっとした戯れですわ。いちいち本気になっていたら疲れますわよ、千子さん」

片目を瞑り、笑ってみせる陸奥だが、籠手をはめた左手が強く握られているのを青年は見逃さなかった。あのまま止められることがなかったら――たまらず身震いする。

「あの……大丈夫ですか?お怪我とかは……」

先刻大立ち回りを演じたばかりの少女が、青年に心配そうに声をかける。

陸奥はこれを『せんじ』と呼んでいたが、女性にしては珍しい名前である。あだ名か何かだろうか。

「あ、ああ……。問題ない……」

気の利いた言葉も返せず、ただ頷くことしかできない自分を青年は恥じた。

果敢に飛び込んだ彼女に対して自分はというと、呆けてただ見ていることしかできなかった。武士だ何だと息巻いても、所詮はこのざまである。

己の情けなさにたまらず瞑目する。強く握りしめた拳から赤い雫が滴った。

青年は、戦いの場に出たことが一度もない。

教練では優秀な成績を残しているが、実戦となると話は別だ。命のやり取りを考えると、たちまち身がすくんでしまう。

青年がまだ幼い頃、住んでいた村に化け物が現れたことがあった。人間の倍以上はあろうかというほどの巨躯に禍々しい刃を携え、手当たり次第に住居や田畑を荒らしまわった。これにより多くの村人が命を落とした。彼の母親も、そのうちの一人だった。

自分を庇い、背を逆袈裟に斬り上げられて、身体を二つに裂かれた無惨な姿は、十年以上たった今でもなお鮮明に覚えている。

そのような過去から、青年は二度と自分のような思いをする者を出さないと誓い、士官学校の門を叩いた。周囲の反対を押し切って、尊敬する父の言葉にも耳を貸さずに。

「なのに……結局、何も変わっていないじゃないか……」

未だに震えの止まらない腕を庇うように握りながら、独りごちる。

「あ、あの……」

こうして気をかけてくれているこの少女に対しても、青年は恐怖心を拭うことができないでいる。何事もなかったかのように振る舞うその様子が一層劣等感を煽った。

同期の友人たちも先の大きな作戦に出陣し、立派に戦っていたと上官たちが話していたことを思い出す。海軍と協力し、東京に向かって侵攻する巨大な怪物相手にひるむことなく向かっていったという。

兵舎に置いてあった新聞にも大きく取り上げられていて、偶然それを目にしてしまった。

青年の中に焦燥と、黒い嫉妬心が生まれた瞬間だった。

あいつらは自分と違って、どんどん先に進んでいく。

上官と共に戦場をかけ、戦果を挙げる者。特殊部隊の隊長として勇敢に戦う者。

自分は未だ一歩も踏み出せていない。何者にも、成れていない。

口だけの男で終わるのか。何のために、故郷を捨ててまで陸軍に入ったのだ。

(このままじゃ、いけない)

 いつまでもこのような情けない自分ではいられない。殺された母や村人の為にも、皆を守れるような強さを身に付けなくてはならない。

この任務を通して自分は変わるのだ。かつて憧れたあの英雄のように。

青年は顔を上げた。

「すまない、ありがとう。もう大丈夫だ」

どうすればいいかわからず、隣でおろおろしていた千子に感謝の言葉をかけて歩を進める。

(帰ったら一杯やろう。古島を誘って花街に繰り出すのもいいな)

そして今回の任務での活躍ぶりを話してやるのだ。おまえにも遅れはとっていないぞ、と。

親しい友人との呑みに思いを馳せ、青年は先を行く者たちの元へと急いだ。

 

一連のやりとりを遠巻きに見ていた大久保が岩倉へと耳打ちする。

「なにか揉めてるみたいですね。彼女たち」

「ほっとけ。バケモン同士がじゃれ合うとるだけや。それに――」

岩倉の顔がゆがみ、侮蔑と嘲笑がこめられた言葉が吐き出された。

「あれは存外、丈夫やぞ」

 

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