ニ不二のじゆう帳(一発ネタや未完作品)   作:二不二

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[ネタ]鬼滅の刃で剣キチオリ主(4)_2020年1月

 夜の路上で二人の剣鬼が対峙していた。

 

 一方は異形。

 いかにも侍然とした、腰に刀を提げた和装の姿をとっているが、六つの目をならべた面は、彼が鬼であることを物語っていた。

 月光に照らされた面は青白く、なおのこと気味が悪い。

 

 いま一方は青年。

 どれだけ刀をふるってきたのだろう。腰の刀の柄は手の形にすり減ってしまっていて、そこから、剣にたいする異常な執着が見てとれた。

 まっかな顔色は、燃える倒木の照りかえしのためか。それとも、仲間を斬られた怒りのためか。いや――

 眼前の鬼の剣技に心奪われたのである。

 

「お前、いった何をしたッ。今の斬撃は何だッ」

 

 青年――首塚持暇(もちやす)は上擦った声をあげた。

 それを、異形の剣士は冷ややかに見やる。

 

「鬼狩り共か……散られると面倒だ……」

 

 異形の剣士は、路上にうごめく「影」の連中の姿を認めると、

 

「死ね……」

 

 その姿をかき消した。

 

「なんという疾さか」

 

 という持暇の驚愕の声を置き去りにして、異形の剣士は(はし)る。

 

「ぎゃあっ」

「ああぁっ」

 

 瞬くうちに、あちこちで作業をしていた「影」の面々が二つに斬られて倒れていく。目にも留まらぬ高速移動と斬撃をくりだしたのだ。それは、先程戦った「下弦の参」をも超えた、まさに異次元の速さであった。

 大半の「影」を斬った鬼は、足を止めて呼吸を整える。その独特の息遣いに、持暇は覚えがあった。

 

「それは『呼吸』か。鬼のお前が呼吸を使うということは、鬼殺隊の出だな。それに、その瞳の刻印。『上弦の壱』ということか」

「…………」

 

 持暇が問いかけるも、鬼は答えない。

 鬼の意識は、背を向けて逃げ出す「影」の面々に向けられていた。鬼は、刀を構えて、死刑宣告にひとしい言葉を告げた。

 

「……月の呼吸、漆ノ型『厄鏡(やっきょう)・月映え』」

 

 果たして刀は宙を斬る。

 空にふるわれた刀身は、肉を斬ることなど叶わない。

 にも関わらず、剣先からほとばしった不可視の斬撃が、遠くまで逃げていた最後のひとりを背中から斬り裂いた。

 

「飛ぶ斬撃か!」

 

 持暇は喜色ばんだ。

 

「すばらしい! まさに道理を超えた斬撃! それこそ俺の追い求める斬撃への道(しるべ)にちがいない!」

 

 次々と倒れていく「影」の面々には目もくれず、その斬撃を再現しようと、持暇は刀をふりまわした。

 

「こうか? それとも、こう」

 

 一切の無駄をそぎ落とした、素朴で美しい剣筋。そこにあれこれ変化が加わり、たちまち剣筋は別物へと変貌していく。

 己の技に挑む剣士を見て、鬼は「ほぅ」とちいさく嘆じた。

 

「なかなかの遣い手のようだな……」

 

 どれ、ひとつ遊んでやろう。この剣技、盗めるものなら盗んでみろ――

 とでも言うかのように、刀を構える。

 言葉はない。無言である。にも関わらず、その意図はしっかり持暇に伝わった。

 

「おお、見せてくれるか。ありがたい」

 

 持暇も正眼に刀を構え、二人の剣鬼は真正面から対峙した。

 

 持暇の目には、鬼の姿がよく見えた。

 瞳に刻まれた『上弦』『壱』の文字は、あまたの隊士を屠って鬼の頂点に立つ存在であることを、つまり剣技の頂に君臨することを(あかし)だてている、

 鬼の目には、持暇の姿がよく見えた。

 興奮のあまり目は爛々とかがやき、けれども身体は脱力している。燃えるような執念と、それすら呑みくだして己をひとつの冷たい刀となす、修羅の境地。

 そんな持暇の姿に、おなじ剣士として思うところがあったのだろう。

 

「来い……」

 

 鬼は先手を譲った。

 

「参る」

 

 ニィと笑って、持暇は一歩を踏み出した。

 

 

 **

 

 

 武術において、「歩くこと」は基本であり奥義である。

 達人ともなれば、足の運びひとつ見るだけで相手の技を丸裸にすることができる。重心移動や、こめられた力、足の向かう先から、どのような動きをしてどのような攻撃をどのタイミングで繰り出すのか、掌を指すように読みとることができるのだ。

 剣術においても、それはさんざん研究されてきた。足の動きを相手に気取られぬようさまざまな手段が講じられ、永い歴史のなかで研鑽されてきた。

 それを、持暇は極めている。

 上下左右にいっさい重心の揺れぬ、すり足の歩み。しかも脚は、ゆったりとした袴によって隠されている。対峙する鬼の目には、するすると、まるで地面を滑るかのように、あるいは浮遊するかのように持暇が急接近してきたように映った。

 そこから繰り出される斬撃もまた軽やかだ。

 ふわりと宙に浮く月のような、ひどく現実味の無いひとふり。それは、じっさいの速さよりもなお疾く、鬼の目に映る。

 けれでも、鬼は六つ目の異形である。意識の虚を突くその妙技をしかと見据え、あえて紙一重の間合いで避ける。

 

 ――未熟。そんなものは俺には通じぬ。

 

 そんな声無き声を聞いて、持暇は、さらに技を研ぎ澄ませる。

 刀はますます軽やかに(はや)く、けれども、剣気を纏っていっそう鋭い。刀身から剣気がたぎり、それは、三日月の青白い光を幻視させた。

 

「む……」

 

 鬼が嘆じた。

 紙一重で躱したはずの鬼の頬が、ぱっくり裂けていたのだ。

 

「はは、やったぞ。とうとう放ったぞ」

 

 刀身は宙を斬ったはずである。

 にも関わらず、刃先から生じた青白い燐光が、たしかに鬼の頬を裂いたのだ。

 

「今の一撃を、もう一度(ひとたび)!」

 

 瞳に歓喜をたぎらせて、持暇は無邪気に刀をふるう。その様は、手に入れたばかりの玩具をふりまわす童子のよう。

 だが、いつまでも好き勝手にさせておく鬼ではない。

 

「…………」

 

 いよいよ刀を振って、持暇の斬撃に打ち合わせる。それは、持暇の斬撃をいともたやすくひき裂いた。青白い燐光が、さえざえと青い三日月に蹂躙される。

 それを、持暇は嬉しそうに見やる。

 

「そうか、そう(・・)するのか!」

 

 ふたたび振るわれた一撃は、先程までとは別次元だった。

 先程はおぼろげだった月の燐光は、たしかな三日月の虚像を結び。刀身を振った拍子に飛びだすだけだった剣気は、今度は、いくつもの三日月となって宙にその軌跡を描いた。

 手本を目にした持暇の成長は、留まるところを知らない。

 ひとふり毎に、見よう見まねの剣技はますます真に迫る。

 その成長ぶりには目を見張るものがあった。

 

「見事……」

 

 鬼は、刀の(きっさき)を下ろすと、口数すくなく持暇を称えた。

 

「下弦を倒しただけはある……」

 

 鬼――黒死牟は剣士である。

 最強の剣士を目指し、そのために鬼になった。届かぬ頂に手を伸ばすために、鬼になった。

 そんな過去()を持暇は彷彿とさせるのだ。

 だからだろうか。

 

「お前、鬼にならぬか……」

 

 そんな提案をもちかけたのは。

 

「鬼になれば、久遠に刀をふるうことができる……呼吸が使えぬとはいえ、お前ほどの遣い手……あの御方も認めてくださるだろう……」

 

 思いもよらぬ提案にきょとんとする持暇。

 彼は、ちょっとだけ考えて、答えた。

 

「それはひどく心惹かれる提案だ、剣士殿。俺たちのような剣狂いにとって、またとない奇貨と言えるだろう」

 

 その声音は、同士にたいする親しみと、偉大な先達にたいする敬意に満ちている。にも関わらず、どこまでも冷ややかな口調であった。

 

「見返りはわかった。だが、俺には何を求める? 俺は何をすればよい」

「あの御方に仕えろ……」

「あの御方? 鬼の首魁のことか。で、仕えてどうしろと言うのだ。鬼狩りを討てとでも言うか」

「違う。とあるモノを探し出し、あの御方に献上するのだ……」

 

 探し物ひとつで、永遠の命が手に入る。

 あまりに見返りのおおきいその話を、

 

「なんだ、つまらん。失せ物捜しか」

 

 持暇はくだらぬと足蹴にした。

 そればかりか、戯れ言には付き合えぬとばかりに、息を吐く。

 

「そんなことだろうとは思った。剣士殿ほどのものが、あの境地に達しておらぬから、これはオカシイと思っていたのだ」

 

 持暇(もちやす)はぎょうと黒死牟(こくしぼう)を見据えた。

 その瞳には、ぐるぐると狂気が渦を巻いている。

 

「俺は刀だ。ひとふりの刀だ。刀を使ってすることが捜し物とは、お前の主の言うことはつまらん。刀は人を斬ってこそだ」

 

 持暇は想起する。

 あの斬撃を。

 すべてを斬り裂いた、あの斬撃を。

 

「そんな刀に、アレを極めることなどできまいよ。事実、剣士殿ほどの、剣理を極めたとすら言えるほどの遣い手ですら、アレを知らぬと見える」

 

 目の前の剣士のことなど忘れて、脳裏に灼きついたあの斬撃を想い、恋い焦がれるような熱い吐息をこぼす。

 

「……痴れ者が」

 

 黒死牟は憤怒した。

 彼は、いわば己の同類である剣鬼(持暇)にらしくもなく情を寄せ、手を抜いて打ち合うことで剣術指南までしてみせた。にも関わらず、この若造は己の手をはねのけたのだ。

 

「――月の呼吸、壱ノ型『闇月・宵の宮』」

 

 あまりに疾い一閃。

 それは持暇の反応速度をはるかに上回る、神懸かった剣技であった。

 にも関わらず、それに斬り裂かれる間際にあってさえ、持暇はあの斬撃のことを想っていた。

 

(やはり、これではない。こんな技は、あの斬撃に及ぶべくもない)

 

 刀が迫る――

 

 己の命をいともたやすく刈りとる凶刃。

 それ前にした持暇の脳裏に、これまでの人生が、活動写真のように(よみがえ)った。

 

 走馬燈。

 それは、死に瀕した脳の防衛反応であると言われている。これまでの人生を(つぶさ)にふりかえり、迫りくる死を乗り越える術を模索するのだという。

 その貴重な一瞬を、持暇は、斬撃を想うことに費やした。

 

(ずっと考えていた。俺が見たあの斬撃はいったい何だったのかと)

 

 一度目。両親を斬った斬撃は、ひたすら美しかった。目に映るすべてを斬り裂くそれは、至上の美だった。

 

(思えば、師匠の斬撃は、べつだん速いわけでも、力強いわけでも、鋭いわけでもなかった。そもそも刀身さえなかった)

 

 二度目。師との決闘において、持暇の剣技は師のそれより速く強く鋭かった。だから、師の刀を両断することができた。

 にも関わらず師は、存在せぬはずの刃で、こちらの刀を斬ってみせた。

 

(斬撃に必要なのは技術ではないのか。では一体……)

 

 そこまで考え至ったとき、持暇の意識は現実世界に引き戻され。

 

 ――刀が持暇を斬った。

 

「うぁっ」

 

 (くろがね)が身を通り抜ける、冷え冷えとした感触。

 怖ろしい感触に身震いしながら身体を見れば、しかし、異常は見られない。出血もなければ、髪の毛ひとすじたりとも失われてはいなかった。

 

「あれ、生きている?」

 

 ほっと息を吐く持暇。

 だが、それはぬか喜びだった。

 しゅるりと糸がほつれるように、それは呆気なく身体を離れ、地面に転がった。

 ドサリと、握りこんだ日輪刀ごと地面に転がったもの。

 それは右腕だった。

 

「腕……おれの腕がっ」

 

 持暇は喪失感に忘我した。

 利き腕を失った悲哀や、これまで培った剣技を奪われた嘆き――

 そんなことより、これから剣を振れぬことが悲しかった。

 

「これでは、これでは刀を振るえぬではないかっ」

 

 玩具を取り上げられた童のように地団駄を踏んで悔しがる。右腕から滴ってできた血溜まりが、草履に踏まれてぱしゃりと血飛沫を飛ばした。

 そんな持暇に溜飲を下げたか、黒死牟はそっと囁く。

 

「鬼になれば、そんな傷はすぐに癒える……もう一度言う。鬼になれ……」

 

 それは、まさしく悪魔のささやきである。

 耳からするりと侵入し、人の心をいとも容易く堕落せしめる甘い毒は、しかし、持暇の胸にはまったく響かなかった。

 いや、そもそも、耳に入ってすらいなかった。

 彼の意識はすべて、右手といっしょに地面に転がる日輪刀に注がれていたのである。

 

「いや、まだだ。まだ諦めるには早い。俺にはまだ左腕がある」

 

 持暇は、かつて己の一部だった右手の、ぎゅうと握りこまれた拳を力づくで開く。そして、己の半身とも言うべき刀を取り上げた。

 

「ほら、俺は刀を振れるぞ」

 

 左手を振るう。

 それはどんな素人の目にも明らかな、未熟者の剣筋だった。腕の振りもぎこちなければ、本来連なるはずの腰と腕の動きもてんでバラバラである。

 利き手を失った持暇は、剣士として死んだも同然であった。

 

「見苦しい……」

 

 こんなものは剣士の恥さらしだ。介錯してやろう――

 そう思って刀を振るおうとした黒死牟は、驚きに目をむいた。

 

「なんだ、これは……」

 

 身体じゅうを振りまわして、刀を振るう持暇。

 刀を振るうごとに、右腕は血飛沫を舞き散らし。

 その度ごとに、剣筋は鋭くなる。

 

「こうだ。そして、こう」

 

 瞬くうちに、持暇は変貌する。

 素人同然の剣筋は、あっという間に先程までの冴えを取り戻した。

 いっさい無駄のない、帚星がごとき清澄な一閃。

 並の剣士であれば――いや黒死牟すらも歯噛みするような美しい斬撃が、持暇の隻腕から放たれている。

 

 それは恐るべき才覚であった。

 いくら一度は身につけた技であるとはいえ、それを利き腕を失って、しかも数分も経たぬうちに取り戻してみせたのだ。

 

「何なのだ、お前は……」

 

 黒死牟の目が、初めて眼前の男を捉えた。

 それまでは、己の後塵を拝する、ただの未熟な若輩の剣士だと思っていた。

 たしかに優れた剣の才を持ってはいたが、肝心の「呼吸」には適性がないようで、人間のまま(・・・・・)剣士として大成するのは難しいように思われた。

 だからこそ鬼に誘った。

 決して届かぬ頂に手を伸ばすその姿に、己の姿を重ねたのだ。 ――それは、おおきな勘違いだと気付かされた。

 

 今や黒死牟は、仇敵を前にしたかのように殺意を全身にみなぎらせている。

 そんな部外者のことなど、持暇は気にも留めない。彼はひたすら刀のことばかり考えていた。

 

「ふぅ。ようやっと以前の己に追いついたか。あと一歩だ。あと一歩で、アレに至れるはずなのだ」

 

 持暇は、あの日目に灼きつけた斬撃を思い出す。

 すると、とある気付きが閃いた。

 

「そうだ。師匠もまた、存在しないはずの刃で斬ってのけた。ならば、俺もまた剣理を捨てるべきか。例えば、こう」

 

 それは、先程とは比べものにならないくらい、弱々しい振りだった。

 筋力に劣る左腕での、しかも剣理を捨てた動作。

 剣速は遅く。剣筋も、ねらったものとは異なる軌跡を描いてしまう。小鳥さえ斬れぬような、か細く弱々しい剣技だった。

 しかし、どういうわけか、そこには見る者を惹きつける畏ろしさがあった。

 いまにも宙空に溶けて消えてしまいそうな弱々しい剣筋であるにも関わらず、それは不吉で禍々しい。

 

「こうだ、こう。ぬらぁりと斬る。余計なことは捨て、斬ることだけに専心する」

 

 その斬撃に、持暇は手応えを感じた。

 

「これならば、きっと」

 

 持暇は、道べりのガス灯へ歩み寄る。

 右腕からしたたる血がひとすじの河をつくるが、そんなことは気にもとめない。彼は、この新たな斬撃を試したくて仕方がなかった。

 いまや一本だけ残された左腕で、刀をふるった。

 

「ぬらぁり」

 

 撫でるような、ゆっくりとした斬撃。

 それは、水中を斬るかのようにゆっくりと、滑らかにガス灯を通り抜けた(・・・・・・)

 

「斬った」

 

 果たして、ガス灯はまっぷたつに斬れ、おおきな音を立てて地面に転がった。

 

「ふは、ふはははっ。これだ、これだったのだ!」

 

 持暇は大笑する。

 

「至ったぞ。俺は剣の頂に至ったぞ!」

 

 振り抜いた勢いもそのままに、月も斬らんとばかりに刀を掲げたその時である。

 

「…………お前も俺を愚弄するか!」

 

 黒死牟という悪鬼が、持暇の頸めがけて剣閃を放った。

 

 影さえ置き去りにするかのような、その妙技。

 しかし、持暇の目はそれを捉えていた。

 

「はぁっ!」

 

 迫る刀に、持暇はなんとか刃を合わせることに成功する。

 ふり抜きかけの、出来損ないの斬撃である。

 であるにも関わらず、それは、鬼の刀を両断した。

 

「……!」

 

 驚きに六つの目をむく悪鬼とは対照的に、持暇は、歓喜の声をあげた。

 

「やはり、そうか。斬撃とはこういうことか。断ち切ったから斬れるのではない。斬ったから斬れるのだ!」

 

 物理学という理において、ソレは異常な現象であった。

 持暇の刀は、鬼の刀にたいして垂直に刃を立ておらず、刃はむしろ、脆弱な角度をさらしてしまっている。

 鬼の刀を斬るどころか、むしろ逆に、自ら斬られに飛び込んでいったようなものだった。

 にも関わらず、刃は斬ってみせた。

 

「モノを斬るのに力も速さも、刃さえいらぬ。モノを斬るのは刃ではなく、己自身。斬るという行為のみ」

 

 それはまさしく、理を超えた修羅の剣。斬撃の極み。

 

「斬撃に必要なのは技術ではない。理ではない。理を超えることだ。理を斬ることだ!」

「黙れ……お前の声は不愉快だ……!」

 

 鬼は怒気を吐き、代わりとばかりにおおきく息を吸いこんだ。

 剣を投げ捨てると、どういうワケか――血鬼術なのだろう――掌から新たな刀が生えてくる。

 禍々しい刀であった。まっくろな刀身からは、小さな刃がいくつも枝のように生えている。古代の祭具「七枝刀」のような異形の刀。

 その呪いの祭具を構え、鬼は呼吸を練る。

 

「月の呼吸、伍ノ型『常夜孤月(とこよこげつ)無間(むげん)』」

 

 それは、剣理を極めた至高の剣技である。

 逆袈裟に放たれる斬撃。剣気によって四つに分かれた斬撃は、しかも、無数の三日月型の剣気を伴い、持暇を封殺しようとする。

 対する持暇が放つは、たったひと薙ぎ。

 

「ふっ」

 

 吐息のような、軽やかな横薙ぎのひとふり。

 ただそれだけで、鬼の放った無数の斬撃はことごとく斬り裂かれた。

 それは、剣理さえも斬る修羅の業。

 持暇は、己が成した偉業を、言葉すくなくこう語る。

 

「斬った」

 

 

 **

 

 

「貴様は一体何なのだ……!」

 

 事ここに至れば、黒死牟も認めざるを得なかった。

 この剣士は脅威である。

 剣理を超えて、ありとあらゆるモノを両断せしめる異形の剣技。それは、己が追い求めた剣の頂きとは異なる、もうひとつの極地である。正面からぶつかって、あれに敵うモノなど存在しない。

 なるほど、攻撃力はあちらに軍配が上がるだろう。

 しかし――

 

「当たらなければ意味が無い。故に、私に敵う道理なぞ無し……」

 

 黒死牟の剣技は、その「斬撃」を許さない。

 

「全集中・月の呼吸――」

 

 たしかに、持暇の「斬撃」はすさまじい。

 どんなに無様な斬撃のなり損ないでも、ひとたび振るえば、ありとあらゆる理を斬り捨てる。無数の斬撃も、無敵の剛体も、ひとしくひとふりで斬り捨てる。

 けれども、そもそも刀を振るうことができなければ、何も斬ることができない。

 

「――肆ノ型『月魄災渦(げっぱくさいか)』」

 

 それは黒死牟が誇る最速の剣技。

 いっさいの予備動作無しで繰り出される、瞬閃の斬撃。

 それは、持暇にいっさいの反撃を許さなかった。

 

「疾い……なんという疾さだ……」

 

 上半身をなかば寸断され、持暇はぐちゃりと地面に沈んだ。

 

 

 **

 

 

 かくして決着はついた。

 理を極めた異形の剣士、黒死牟の剣技は、持暇の「斬撃」に斬り捨てられ。

 理すら斬る「斬撃」を操る持暇は、刀を振るうことすらできずに黒死牟に斬られた。

 

「お前の『斬撃』は見事……だが最強の剣士は私だ……これまでも、これからも……」

 

 そう言い捨てて、黒死牟は踵を返した。

 果たしてその場に残されたのは、骸となった鬼殺隊の面々と、すぐにでもその後を追うであろう持暇だけである。

 

 持暇の傷はひどいものであった。

 左脇から右の肩まで斬られた。傷口からは白い脂肪と、朱色の内蔵がのぞいている。グロテスクなその光景も、どんどんあふれてくる鮮血ですぐに見えなくなってしまう有様である。

 もう数分もしないうちにその命が失われてしまうことは、誰の目にも明らかだった。

 けれども、持暇は諦めない。

 

「血を、血を止めなければ」

 

 壊れたガス灯の足許。

 煌々と炎をあげる樹木に、持暇は這いずり寄る。

 赤く燃える炎に、斬られた右腕と上半身を差し出した。

 

「うがぁっ……!」

 

 じゅうと肉が焼け、凝固した蛋白質が傷口をふさぐ。

 

「血が足りぬ。血を、血を摂らなければ……」

 

 明滅する視界のなか、持暇は必死に身体を動かす。

 這いずる先には、先に倒した「下弦の参」の身体があった。

 

「おい、こら待て、俺の身体に何するつもりだ!」

 

 よほど強靱な生命力を持っているのだろう。頸だけになった「下弦の参」の鬼は、また死んではいなかった。生き汚いことには、不可避の死をすこしでも遠ざけようと、こときれた隊士の少年の血肉を啜りさえしている。 

 

「お前とおなじだ。お前の血肉、糧にさせてもらうぞ」

 

 持暇は鬼の身体に歯を立てる。

 血をすすり、肉を嚥下して、なんとか命をつなごうと必死になって足掻いた。

 

「俺は、まだ死ねん。ようやく掴んだのだ。師匠の遺した技を、あの斬撃を極めねばならん。それが、親を見捨て師を殺した俺の償いなのだ……」

 

 やがて視界が闇に閉ざされて、いっさいの感覚が消失するそのときまで、持暇は必死に足掻いた。

 

 

 **

 

 

(思えば、犬にも劣る畜生の所業よ)

 

 冷たい暗闇のなかで、持暇は己が半生を振り返る。

 

(親を見捨て、親を斬った男を師と慕い、その師すら剣を極めるために斬った。畜生や、罪人とはいえ人もずいぶんと斬ったし、誼を交わした友を見捨て、鬼の剣技に学ぼうとすらした。俺のような罪人の行く先は、おおかた畜生道だろう)

 

 だが、いつまで経っても暗闇は晴れない。

 閻魔の法廷も開かれなければ、地獄の獄卒がやってくる気配もない。

 

(そうか、俺は無間地獄に堕ちたのか)

 

 と思ったそのとき、急に視界が拓けた。

 

「目覚めたかい」

 

 女がいた。

 病人のような、まっしろな肌をした美しい女だ。

 それが、にこりと微笑んで、持暇の手を握っていた。

 

「ここは一体……」

 

 持暇は、清潔な寝台(ベッド)の上で、全身包帯ぐるぐる巻きの木乃伊(ミイラ)になって寝転んでいた。窓から差し込む陽光が、ぽかぽか暖かい。

 地獄ではない。

 太陽が照らし、生者が生を謳歌する浮世である。

 

「ここは蝶屋敷。きみのような傷ついた隊士を治療する、言ってみれば病院のようなところだ」

 

 女は、口許に微笑みをかたちづくったまま、気遣わしげな視線を持暇に向けている。

 

「それでは、お前が治療してくれたのか」

 

 女は、くすりと微笑んだ。

 陽光にかざせば透けてしまいそうな、それは、透きとおった笑みだった。

 

「私は産屋敷(うぶやしき)耀夜(かがや)。きみちたち鬼殺隊の首領だ」

 




8,838文字


「斬撃」=物理法則ガン無視の、なんでも斬れる斬撃。
なお、月の呼吸の飛ぶ斬撃は物理法則に則っている、という設定です……。

そんな「斬撃」を扱う剣キチも、身体能力の隔絶した鬼には敵いません。
振れば斬れるけど、そもそも振る前に斬られちゃ敵わない。
呼吸も使えない一般人じゃ鬼には敵わないよね、という話でした。

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