小学生からやり直してツンツン娘や金髪幼女と仲良くなる話(1)_2019年10月
~バカ正直とツンツンツン~
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九つまでは神のうちという。
子供というのは死にやすい。ちょっと目を離した隙に危険に向かって行ったり、ふとした拍子に得た病で命を落としてしまう。
そうした儚さを、昔の人はこのように表した。
もともと子供は天からの授かりものである。であればこそ、神々の気まぐれで、幼子はいとも容易くあの世に連れて行かれるのだと。だから十になって、心と身体がしっかりとこの世に根付くまでは、心しておかねばならぬのだと。
であるならば、九つの誕生日を迎えた邑久村正が突如、原因不明の高熱を出して生死の境をさまようことになったことに、なんの不思議があろうか。
熱に浮かされる正の脳裏に、千々に千切れた思考が浮かんでは消えていく。
(くるしい。頭がいたい。からだがさむくて、死にそう。だれ助けて。頭がいたいんだ。死んじゃう)
(ここで死んだら、俺が抱えてた仕事はどうなる? 家賃も払えないし、水道だって止まる。いや、死んだら関係ないか。それより事故物件になっちゃうのだろうか。それは申し訳ないなァ)
(仕事? 仕事ってなんのこと? それより、母さんはまだ帰ってこないのかな。おかゆを作ってくれるって言ってたけど、また忘れてるのかもなァ)
(お粥を? 誰が? だって、俺はずっと一人で暮らして、こうして倒れて死んだんじゃあないか)
それは奇妙な感覚だった。正の脳裏には、ふたつの記憶が混在しているのだ。
邑久村正という、子供の記憶。仕事で忙しい両親の留守を守るように、ひとりで寡黙に暮らしてきたこどもの短い生涯。
邑久村正という、
それらは二つは、間違いなく自分自身の記憶なのだ。
熱に溶かされ、二つの記憶は溶け合っていく。
(ああ、カニを腹一杯食べてみたかったなぁ。それに、旅行も行ったことがない。……思えば、勉強と仕事以外のことをしてこなかった)
正の心に浮かんだもの。それは悔恨であった。
(僕は、自分の人生を歩んでこなかった。学生をしながら、生活費の為にアルバイトして。良い仕事に就く為に、辛い勉強をがんばって。就職してからは、したくもない仕事をして)
視界がどんどん暗くなる。
さっきまで見えていた天井も、窓から射してくる陽光も、なにもかもが黒色に染まっていく。
(嫌だ。死にたくない。こんなんじゃあ、死んでも死にきれない!)
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再び正が目を覚ましたとき、熱はすっかり引いていた。
若く生命力にあふれた身体は、すっかり病気以前の、幼く活発な健康を取り戻したようである。
身体は治った。けれども、治らぬものもある。あの渾然一体となった記憶は、どろどろに溶け合ったまま、歪に癒着してしまったようなのだ。
「そうか。僕はあのとき、過労で死んだのか」
熱に浮かされ白昼夢に見た、あり得ぬはずの記憶、すなわち己の
「苦学生から、ブラック企業の社畜にジョブチェンジ。で、そのまま人生バーンナウト。うーん、まさに『現代日本の闇』って感じの人生だったなァ」
正は視線を宙にさまよわせて、呟いた。
それは、夢と現を行き来する狂人のようにも見える。
けれども、強く握り込んだ拳が、彼の正気を証だてていた。
「けど、今度は違う。やりたいことを見つけて、思いっきり楽しんで、充実した人生にしてやる!」
こうして、邑久村正の『二度目の人生』がスタートしたのである。
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授業開始の鐘が鳴る。
僅かばかりの休憩時間を力いっぱいすごしていた幼子たちは、あわただしく席に着く。
教室内であれこれ話を広げていた女子は、大急ぎで話をたたんで席に着き。校庭でボール遊びをしていた男子は、鐘の音の余韻がいんいんと響くなか、ドタバタと教室にころがりこむ。それから、ようやく次の授業の準備を机上にひろげるのだ。
ただ一人の例外をのぞいては。
子供たちの後を追うようにして教室にはいってきた担任は、あたたかな瞳で、子供たちがあわただしく教科書を広げるのを見守っていた。そして、「あら」と目を見開いた。
邑久村正。
その少年だけが、きっちり授業の準備をすませて、じっと授業の開始を待っていたのである。すくなくとも担任の目にはそのように映った。
実際にはそうではない。正は、机上に置いた教科書ノートの上に、もう一冊ノートを広げ、ああでもない、こうでもないと唸っていた。
『人生計画帳』
と銘打たれたそれには、次のようなことが書かれている。
「目的。――幸せな人生を送ること」
正の最初の人生は、過労死で幕を閉じた。不幸な最期である。今生では、その反対の生き方をしなければならない。
「具体的には、ホワイトな労働環境と、それなりの給料」
つまり、ホワイト企業就職である。
「いったいどんな職業に就くべきか。なるべく働かなくてすむ仕事はないものか」
と考え出したところで、行きづまってしまう。
「起業して悠々自適の社長業――はダメだな。一代目社長は苦労するものだし。漫画家――もムリ。あんなの人間の生活じゃない」
何もしなくて良い仕事。そんな都合の良いものなど存在しない。そんなことは分かっている。けれども、正は働きたくなかった。
「もう一生分はたらいたと思うんだよなァ」
正の脳裏に過ぎるのは、かつての滅私奉公の日々。
休日出勤はもちろん、休憩時間すら仕事に従事した。
そんなの当然のこと。そんなの誰でもしているし、むしろもっと頑張るべきだ。そう思い込んで、前のめりになって働いてきた。仲間内での合い言葉は「倒れる時は前のめり」である。けだし、職場に倒れ込んだ正の死体は、前のめりになっていたであろう。
「あんな人生は、一度経験すれば十分だ。今度こそ、悠々自適のスローライフを手に入れる」
などと口内でモゴモゴ唸っているときであった。隣席から冷ややかな声が飛んできたのは。
「ちょっと、アンタ。授業中に考えごとだなんて、ヨユーじゃない」
細くすがめられた瞳。ツンと尖った唇。
整った顔立ちのいわゆる「美少女」であるだけに、その不機嫌そうな表情は、いっそうの迫力を備える。
じっさい、少女の気の強さは、同級生たちの畏怖の対象となっているようである。少女の向こう隣の席の子は、少女の不機嫌な声を聞くなりビクリと身をこわばらせた。
正はそうではない。
前世の齢は三十余。パワハラ上司にこってり絞られた経験のある正にとって、子供の癇癪など、猫のあくびのようなものだった。
「うるさくして悪いね。ちょっと悩み事があって、勉強が手につかなかったんだ。これからは静かにするから」
「うっ」
身体ごと向き直り、しっかり目を見て謝るまっすぐな姿に、少女は言葉を詰まらせる。
それを見るや、これで話は終わったとばかりに、正は前に向き直る。『人生計画帳』を教科書の下に隠して、授業に集中する姿勢を見せた。
「あっ」
後ろ髪を引かれるような声を、少女は漏らす。なにごとか言いつのろうとして、結局、少女も無言で前に向き直るのだった。
その姿を横目に見ながら、正は首をかしげる。
(目を付けられたかな。あの子の名前は……なんて言ったかな?)
なかなか思い出すことができない。
無理からぬ話である。前世も今生も、正は、同級生との関りを避けてきた。
前世における幼少期は、ボッチ気質だった。同年代の子供のいないアパートで一人っ子として育ったので、集団生活を嫌う、もの静かな子に育った。同級生に話しかけられても、そっけなく一言二言であしらってしまうのだ。
その悪癖は、社会人となったころには、ある程度改善んされていた。同僚と顔を合わせれば挨拶もするし、仕事の合間には世間話もした。
しかし、それは、距離を置いた「大人の付き合い」を実践しているだけであって、友人づきあいには程遠い。
「友達がいない? 結構じゃないか。ひとりでゆっくり過ごして、一体何の問題があるって言うんだ」
と言って憚らない正であったから、幼い同級生の相手は苦痛であった。
同級生ときたら、何がおもしろいのか同じ遊びを何度も何度もくりかえし、汗だくになるまで走り回り、力いっぱい殴り合ってケンカをして、全力で泣きわめくのだ。
それは、子供の付き合いというより、幼獣のぶつかり合いとでも称した方が似つかわしい。犬猫の子供が、互いにじゃれ合い、噛みつき合い、ケンカするなかで、加減を覚えていくのと同じだ。
子供たちが全力で振りまわす拳の届かぬところで、正は、のんびり人生計画を練っていたのだ。
(西大寺マドカ、って言ったっけ)
その名前が呼び水になって、前世の記憶がおぼろげに蘇る。
(そういえば、小学四年生のときに転校していったような)
片田舎の公立学校である。転入も転出も珍しかったので、この物珍しい転校劇は、かっこうの話のネタとなった。
やれ親の仕事の都合であるとか、ご近所に身の置き場がなくなっただの、学校でいじめられたからだのと、己の考えや親の噂話を持ち寄っては、子供らは口々にささやき合った。
そうした子雀たちのさえずりを、教室の片隅で正は耳にしていたのだ。
(どうでもいいや。僕には関係ないし)
というのが、前世の正の考えであり、今生の正の考えである。じっさい、前世は、挨拶すら交わさぬ「他人」であったので、文字通りの何の関係もなかった。今生においても、いまさら子供の相手などできかねるので、見ざる聞かざる話さざるを貫いてきた。
ところが、そうは問屋が卸さぬらしい。
「ちょっと、アンタ、いつもあたしのテストをカンニングしてるでしょ! 今日という今日はゆるさないんだから! 先生にバラしてやるんだからね!」
「えっ」
正は仰天した。
件の少女に、とつぜん濡れ衣を着せられたのだ。
**
まったいらな胸をそらして、ひしと指を突きつける。あごをそらして正を見下すと、切りそろえられた髪がさらりと首許を撫でた。席に着いた正をねめつける瞳は鋭く、眉は凛と力強い。 迫力のある美少女である。
ことの起こりは、数分前にさかのぼる。それは、授業の最中だった。
「それじゃあ、一人ずつテストを返すからね。お名前を呼ばれたら、順番に取りにきてね」
というのんびりした担任の声に、教室はわっとなった。
悲喜こもごもの声があがるなか、西大寺マドカはしずしずと席に着く。最初こそ、百点満点のテスト結果を見てニヨニヨしていたものの、ふと思い出したように隣席をのぞきこむ。
正の席だ。
正の席はひと目でそうと分かる。几帳面な性格をしているのか、机の横には紙袋が提げられていて、どうやらそれがゴミ袋であるらしい。消しカスやら不要なプリントやらを、いつもそこに入れているのだ。
マドカは見てしまった。
正は、解答用紙をぞんざいに折り畳むと、そのままゴミ袋に放りこんだのだ。
その瞬間、マドカの頭がカッと熱を帯びた。
「ねぇ。アンタ今、何か捨てたよね」
と言い終わらないうちに、マドカはゴミ袋に手を突っ込んだ。
正の机に、回収した解答用紙を、たたきつけるようにして広げる。
「百点……!? そんなのウソよ、おかしい! だって、いつもぼーっとして、ロクにじゅぎょうなんて聞いてないのに、百点なんて取れるワケないもん!」
そして、カンニングをしたに違いないと正を責めたてる。
もちろん正は反論した。
「カンニングだなんて、そんなことしてないよ。だって、テスト中は先生がしっかり僕らの様子を見てるし、不正のしようがないじゃあないか」
「じゃあショーコを出してよ。あんたがカンニングをしてないってショーコを!」
「証拠と言われても……」
マドカの理不尽な物言いを聞いて、正はピンときた。
(あ。これは、悪質なクレーマーと同じだ。感情的になってるから、正論を言ってもダメなんだ。こういうときは、アレだ。前世でクレーム担当の同僚から習った、クレーマー対策術だ!)
クレーマー対策は、次の二つの原則で以て行うのだという。
ひとつ。相手の心を鎮めること。謝ったり、ひとしきり喋らせたりして、鬱憤を吐き出させるのだ。
「だって、おかしいもん! いっつも授業中によそ見したり、違うことしてばっかりだし!」
「なるほど、なるほど。それがキミの主張か。たしかに一理ある」
「ムキーッ!」
ふたつ。上に報告をすると(口)約束すること。
「先生にも言えばいい。ありのままをね」
「トーゼンじゃない! アンタとの話がすんだら、先生にバラしてやるんだから!」
マドカは気炎を吐いて、いったん口を閉じた。
(やれやれ。解決案も出たし、これで終わりかな)と正が安心したのも束の間のこと。
いまだ冷めやらぬ怒りを持て余して、マドカは更なる提案をした。
「バラすのはトーゼンだけど、それだけじゃあ足りないわ。だから、カケをして」
「賭け?」
「これから一回でも百点がとれなかったら、アンタの実力じゃあ百点が取れない、つまりカンニングしてたってことになる。だから――」
指を突きつけて、罪人を断罪するかのように、ピシャリとマドカは告げる。
「百点が取れなかったら、この学校から出て行って」
「……いいよ。それで納得いくなら」
正は頷いた。
(めんどくさいし、さっさと話を終わらせよう)
という内心の透けて見える、それはおざなりな反応だったので、マドカはいよいよ憤った。
「言ったわよ。約束だからね!」
と肩を怒らせて、踵を返すのだった。
「うーん。怒らせちゃったか」
クレーム対処のはずが、火に油を注いてしまった。
邑久村正という人間は、たいへんな正直な性分で、ウソはつけないし思ったことをズケズケ言ってしまう。
そんなだから、クレーム対処の部署を外されたのはもちろんのこと、顧客と顔を会わせる仕事を任せられることは希だった。
気がつけば、教室はしんと静まりかえっていた。あれだけきゃあきゃあと騒いでいた子供たちは、何事かと固唾を呑んで二人を見守っている。
となれば、この人物が気づかぬはずがない。
「ちょっと良いかしら」
担任だ。
答案を返し終えた担任は、壇上から、ふたりのやりとりを見守っていたのだ。
「先生! 邑久村くんが――」
マドカは担任に詰め寄って、大声でまくしたてた。「先生にバラしてやから」という宣言を、早速実行したのである。
席に座ったままひそかに息をついた正に、
「うへぇ。見かけどおりメッチャこわいんだなぁ、西大寺のヤツ。でも、ダイジョーブなん? あんなにケンカ売って」
と悠長に話しかけてきたのは、元気そうな少年である。
「えっ。煽ったつもりは無いんだけど」
「まったまたァ! あんだけ怒らせといて、わざとじゃないワケないだろ。にしても、テストで毎回百点だなんて、すんごい約束したもんだなァ。ふつうムリだろ。あいや、西大寺のヤツも百点取りそうだけどさ。……って、それじゃあマズいじゃん、下手したら負けちゃうじゃないか!」
ひとりで百面相する様からは、素直で純粋な為人をうかがうことができた。
彼は親しげに、あるいはなれなれしく肩を叩いて、こう言った。
「とにかく、何かこまったことがあったら言ってくれよ。俺も、何かできることがあったら協力するからさ」
どうやら、今生の小学校生活は、以前のそれよりもにぎやかになりそうである。
**
「それで、こうして職員室に来てもらった理由なんだけどね」
昼休みの職員室である。
一人呼び出された正は、昼食もそこそこに、担任の牛窓教諭のもとにやってきた。牛窓教諭に促され、向かいに座る。
「マドカちゃんから話を聞いたから、今度は正くんからも聞こうと思って。大丈夫よ。先生は、正くんがカンニングをしたなんて思ってないから」
牛窓教諭はふにゃりと微笑む。見る者を安心させる、それは屈託のない笑みだった。
思わず正も、肩の力を抜いてほほえんだ。
「ありがとうございます。それじゃあ、僕からも話しますね」
正は一部始終を語った。それは、事実と個人的な感情を区別した、客観的な語り方だったので、牛窓教諭は目をまるくした。
「うーん。正くんは大人だねぇ。しっかり冷静にものごとを見えてる。……そのうえで、あんな挑発的な言い方するんだもの。この子もこの子だわ」
後半のつぶやきは正の耳には届かなかったが、困ったような苦笑から、正はなんとなく内容を察した。
「僕の口が悪いのも一因だってわかってます。こんなだから、あの子とも合わない。だから、なるべく離れていようと思います」
どうしても相性の悪い相手はいるものだ。社会人にもなると、そうした相手とも折り合いをつけて、仕事をこなしていく必要がある。
仲良くしようというのではない。適切に距離を保つのだ。そのように正は心得ていた。
「困ったわねぇ」
そんな正の世間擦れした考えに、牛窓教諭はため息をついた。
「マドカちゃんもね。本当は正くんがカンニングしたとは思ってないんだよ。ただ、一生懸命に勉強してたから、いつものんびりしてる正くんを見るのが辛くなっちゃったんだよね」
正は小学三年生である。小柄な牛窓教諭と比べてさえ、頭いくつ分も小さい。そんな正に目線を合わせるべく、牛窓教諭は身を屈めて、やさしく微笑んだ。
「マドカちゃんのこと怒ってもいいし、賭けのことは気にしなくていいよ。テストで百点取れなかったから転校だなんて、そんなこと誰も命令できないからね。……でも、嫌いにならないであげて欲しいんだ。正くんには、いろんな人と仲良くしてほしい。それで、皆に好かれて、友達百人つくってほしいんだ」
慈母のごときほほえみ。
後光射すがことき包容力は、正の胸をあたたかくした。
正にとって、話の通じぬ女児のことなどどうでもよいし、仲良くするつもりも毛頭無い。そのように思っていた。
ところが、慈母のまなざしからは、子供たちに健やかに育ってほしい。すべての子らに、仲良く縁をはぐくんで、幸せになってほしいという、あたたかな願いがひしひしと伝わってくるのだ。
そんな想いに打たれて、正は考えを改めた。
「別に怒ってません。僕の口が悪いのが一因ですし。……それより、もうすこし、まわりの人と仲良くしてみようかなと思います」
「まぁ! それは良いことね。先生ね、ちょっとだけ正くんのこと心配してたんだ。正くん、ひとりで居るのが好きみたいだし。でも、これで安心かな」
牛窓教諭は、満面の笑みを浮かべる。
このお人好しそうな担任の願いを叶えるために、少しくらい手伝いをしてみよう。そんなふうに思ったのだ。
**
その翌日、正がさっそく取りかかったことは、友達づくりである。
これは難しいことではなかった。
「おはよう」
と挨拶をするだけで、純粋な笑顔と好意とが返ってくる。
「おう、邑久村じゃん! きのうはタイヘンだったなぁ。先生にもよびだされて、怒られたんだろ?」
「別に怒られたワケじゃない。ただ、何があったのかってことを聞かれただけで。心配してくれてありがとう、長船くん」
「なに、いいってことよ!」
長船少年――先日、正に話しかけてきた元気そうな少年――は照れくさそうに笑う。
正のまわりに、わらわらと人が集まってくる。物怖じしない連中が円になって正をとりかこんで、その外周で、おとなしい子供たちが聞き耳を立てる。
話が一段落すると、興味を失ったのか、じょじょに集団は散っていく。けれども、備前少年はまだまだ話し足りないようだった。彼はニカッと笑って、つづけた。
「でも正直、俺はスカッとしてんだ。西大寺のヤツ、テストのたびに百点よ、あたしってスゴイのよってジマンばっかだもんよォ」
長船少年は唇を尖らせる。
「女子もこぞってマドカちゃんすごい、頭良い! ってキャアキャアうるせーしよ。しまいにゃ、男子はうるさくってバカばっかとかイヤミ言ってくるし。だから、邑久村は男子の希望っていうか……。とにかく、応援してるからな!」
今度は一転、笑顔になってバシバシ肩をたたいてくる。にぎにぎしい少年である。
そんな同級生に、正は複雑な気持ちになる。
「うーん。小学三年生にもなると、もう男女でグループが分かれるのか」
性の意識の芽生え――
というほど明瞭なものは、まだうかがえない。男子は、いまだに男女の区別なく話しかけてはぎゃあぎゃあ騒いでいたし、女子も、校庭で男子といっしょになってなってケードロやらドッヂボールやらできゃあきゃあ走り回っていた。
ただ、その蕾のようなものは見受けられる。会話の内容がすでに違うのだ。
「なぁ、きのうのみた?」
「もちろんみたぜ『仮面ドライバー』。きのうの変身ポーズ、かっこよかったな! こう、へ~んしーんって」
「ちがうよ。こうだよ、こう! こうやって、へーんしんッ」
などと両腕をブンブンふりまわしてごっこ遊びに興じる男子の隣で、女子はといえば、
「ちーちゃんの髪どめ、かわいいね。どうしたの?」
「へっへー。いーでしょ~。『チョア!』のふろくに入ってたの。あーちゃんのリボンもかわいいよ!」
などとお互いの格好を褒め合っていた。
「うーん。小学生のころから互いにファッション・チェックをするだなんて、女ってのは生まれついてオンナなんだなぁ……」
げんなりした声を漏らす正であった。
「おっと、授業がはじまるじゃん。じゃあ、あとで!」
「ああ」
始業の鐘に合わせて、ふたりは席に着く。
そこで性格の違いはあらわになる。備前少年は机のなかから慌ただしく教科書を取り出すのに対し、正は、予め教科書類を準備してあった席にゆっくり着席する。
そんな正を、隣席から見つめる一対の瞳。
西大寺マドカである。
まじまじとこちらを凝視してくる姿が、視界の端にちらついて、正は横目に窺った。
「ふんっ」
目が合うなり、「わたし不機嫌なんです!」と言わんばかりに鼻を鳴らして、そっぽを向く。
正は嘆息した。
(なんて面倒くさい子なんだ……)
授業はつつがなく進む。
牛窓教諭のやさしげな声が、ときにゆっくりと算術の手順を説明し、ときに子供たちに問いかける。一人ひとりに話しかけるような、それは、あたたかな授業であった。
「それじゃあ、隣同士でペアになって問題に取り組んでくみましょう」
「げっ」
と迂闊にも声を漏らしてしまったのは正だ。
算数の問題に困ったわけではない。ペアを組む相手が問題だったのだ。
「なによ」
眦をするどく細めて、正を睥睨する少女。西大寺マドカがペアなのだった。
「げっ、とは失礼ね。これまでだってペア組んでたじゃない」
「そうだっけ。いやぁ、今まであんまり気にしてなかったから」
「なんですって!?」
思ったままを口にする。正の悪い性分が顔を出した。
顔をまっかにして怒るマドカと、そんなマドカに苦い顔をする正の凸凹コンビは、しかし、学力だけは高かった。
「三角形、四角形に台形。いろんな図形の面積をもとめて、合算しろって問題ね。先生は、ペアでもとめ方を話し合えって言ってるけど……」
マドカは、不敵な笑みを浮かべて、正を見据える。
「わざわざそんなこと話し合わなくっても、アンタならだいじょうぶよね。テストでカンニングしてないって言うんなら」
「そりゃあ、まあ」
あっけらかんと正が答えたものだから、マドカはキッと眦をつり上げた。
「言ったからね。テキトーな答え言ったりしたら、ショーチしないから」
こうして始まったペアワークは、むしろ競争の様相を呈した。
二人は、あらかじめ割り振った問題の答えを矢継ぎ早に口にする。
「9」
「18」
「24」
「50」
「120」
ふたりは交互に答えを言い合う。ずっと続くかと思われたこの応酬は、しかし、唐突に途切れることとなる。
「むぅ」
マドカが筆を止めたのだ。問題の難易度が、徐々に上がってきている。桁数が増えて、計算に手間がかかるようになったのだ。
そんなマドカの耳に、涼しげな正の声が響く。
「169。288。441」
マドカはぎょっとした。
正はペースを落とすことなく、なんと、暗算を続けていたのだ。
「……ねぇ。それ、いったいどうやって計算してるの」
マドカは、信じられないものを見たような顔をして、それから、苦虫を噛むような渋い表情で、問うた。
「別に、頭のなかにソロバンがあるとか、そういうのじゃあない。ただ、いくつかの計算を暗記してるんだ。たとえば13×13とかは、高校だとよく出てくる計算だし」
これを聞いたマドカの胸中に、千々の感情が吹き荒れた。
まず、予想外の答えを聞かれた、驚き。そして、マドカの手の届かぬ知識を使いこなす正に対する、名状しがいないモヤモヤした感情。その感情に名前を付けかねて、一瞬言葉を失って、
「なによそれ、ズルい!」
と怒鳴り声をあげた。
「ズルいと言われてもなぁ……」
よせば良いのに、正はボヤいた。いらぬ枕詞がつくほど正直な性分なので、言わなくても良いことを言ってしまう。
「だってズルいじゃない! 教科書にものってないのよ!」
ぷんすか怒るマドカにかける言葉を、正は知らない。なので、開き直ることにした。
「それじゃあズルのついでに、もう一つ」
ノートにおおきな図形をひとつ描く。そして、その面積を計算してみせる。
「なによ、それ」
「この問題の答え。僕らがひとつずつ計算してた図形をうまく合体させると、このおおきな図形になる。そうすれば、簡単に合計値を求めることができるって寸法だ」
「なっ――」
絶句するマドカを見て、なにごとかと駆け寄った担任は、これを見るなり目を丸くした。
「あらあらぁ。正くんにはバレちゃったかぁ~。授業の最後に、みんなをビックリさせようと思って仕掛けてたんだけどなぁ」
担任からの賞賛を受ける正。
クラスの同級生たちも、なにやら正がすごい発見をしたのだと察して、口々に「邑久村くん、すごいジャン」「さっすが邑久村!」「なになに、邑久村がなにかしたの?」と賞賛の声をあげる。
それを耳にしたマドカは、冷静ではいられない。
「……負けない。こんなヤツに負けないんだから!」
かたく拳を握りこみ、唇を噛んで、正を睨むのだった。
10,343文字。
人の心がわからないヤベーやつが、小学生相手に大人げなく俺TUEEEEE! したり。
優秀なツンツン娘が、そんなコミュ障をライバル視したりする話でした。
ラノベを目指して、ややヘヴィな文章になってしまった拙作です。
いつかリメイクしたいです。
もっと軽快で読みやすく、主人公もキャラを立てるべき(はっきりとした目的や目標を持たせる)。