ニ不二のじゆう帳(一発ネタや未完作品)   作:二不二

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大学時代、生涯で二つ目に書き上げた小説。
舞城王太郎という偉大な作家を知った初夏の拙作。
一人称です。

舞城王太郎みたいな勢いと、ジョジョネタを一つ以上入れること、読んで涼しくなれる作品づくりを目標としていました。


オリジナル(ライト文芸)
死体を引きずって歩く話_2007年


涼を取ろう

 

 

 僕と彼女は遭難した。

 水も食料も寝床だって無いけれど、一番の問題は暑さだった。

 

「あっついー。もう立ってらんないわー」

 

 ぐでんと寝転がって身体で訴える彼女を視界の端に留めながら、僕は視線をうろうろ砂の海にさまよわせていた。黄色い砂がどこまでも、地平線の彼方まで連なっている。彼女が寝転がっているのも砂の上だし、僕が立っているのも砂の上だ。当然だ。だって、ここは砂漠なのだから。

 

「ちょっと待っててね。すぐにもっと涼しい場所を見付けてあげるから」

「さっきからずっとそうは言ってるけどこれで何回目だったかしらね、その台詞」

 

 僕の記憶が正しければきっかり十回目だ。たったの十だよ。こんな数も数えられないなんて、君ったら一体どんなド低脳なんだろうね、脳細胞死んじゃってるんじゃないの? なんて言える筈も無いから素直に謝っておくことにした。

 

「ご、ごめん」

 

 僕は頭を抱えながら答える。

 といっても別に彼女のワガママに困ったからという理由(わけ)ではなく、ただ単に暑いからだ。砂漠の風はカラッと乾いていて蒸すような暑さとは無縁なのだけれど、代わりに刺すような日差しが頭を焦がすのだ。

 

「分かったなら、さっさと涼しい場所を捜しなさいな。でないと……ああ、暑い! 暑くって頭が湧きそうよ」

 

 はいはい、分かりましたよ。

 僕は真面目に捜しものを続けることにした。面でしおらしく、それでも内心ふふんと鼻を鳴らしてみたりするうちについつい歌まで口ずさんでしまうのは、きっと普通の精神状態じゃないからだ。やけくそってやつだろう。そのなるのも当然だ。だって、僕らは砂漠で遭難しているのだし。

 

「るーるるーいぇー。暑さなんて耐えられぬー。捜せ働け馬車馬のごとくにー」

 

 そんな僕の声なんかやっぱり聞こえちゃいない彼女は、砂に深々と突き刺さった飛行機の翼の陰に仰向けておねんねしていた。

 彼女は機嫌が悪いようだ。さっきから一度も微笑んでくれないどころか、眉一つ動かそうともしない。できることなら微笑んでほしい、笑顔で会話したい。なので、なるべく機嫌を損ねないよう、ごめんなさいって演技する。

 

「……だめだ、やっぱりそこより涼しいところなんてないよ。見つからない」

「どうしてよ、どうして見つからないのよ! あなた、やる気が無いんじゃなくって? 自分はまだまだ元気だからって」

「そんなことは無いよ! 誓って言うけれど、僕は必死にやってるよ。なんせ他人事じゃないんだから」

 

 僕は叫んだ。さっきから嘘ばかり演じてるしょうもない僕だけど、これはばかりは演技でも嘘でも偽りでもない心からの悲鳴だった。彼女の体が悪くなるなら、それは、それだけ僕の身に死が近づいていることを意味しているのだ。

 

「でも、見つけられないんだ。この辺りには無いんだよ、君の居る日陰よりマシな場所なんて」

 

 三百六十度に広がる砂漠のどこを捜したって、彼女より涼しい思いをしている者はいないに違いないのだ。

 ぎらぎらとはしゃぎ回る太陽。

 その太陽を、地面に散らばるかつて飛行機だった金属塊一つ一つが映しているからもう大変、まるで太陽がそこらじゅうをぐるぐる踊り狂っているようだ。要するにどこに居ても暑い。彼女の寝ている陰さえも、地面からの照り返しに曝されている事には変わりがないのだ。

 

「無いって……ど、どうするのよっ」

「急いでここを立ち去らなくっちゃ。見つけるんだ、どこか本当に涼しい場所を」

 

 僕と、彼女の体が悪くなる前に。

 

 

 **

 

 

「そんなこと言われても、無理よ。あんなことがあった後だもの。わたし、すっかり心が凍えてしまって、体が凍り付いてしまったように動かないの。何もすることができないのよ」

「確かに、とんでもないコトに巻き込まれたとは僕も思うよ」

 

 飛行機事故。それに僕と彼女は巻き込まれた。

 高度数千メートルを飛行中、突然機体が震えだしてズゴォォンという轟音がしたかと思うと、どうやら機体はボキッと二つに折れてしまったらしく、突然目の前に拓けた真っ青な大空に一緒に乗っていた人たちは吸い込まれていった。ぽかんと目と口を開いてぐんぐん空を遠ざかっていくオジサンや漫画みたいに空中を泳ぐオバサンがいて、その向こうには眠ったままでコマみたいにぐるぐる回ってる父さん母さんとスカイダイビングみたいにバンザイしてる弟がいて、あいつ僕の隣に座ってたはずなのにいつの間にあんなとこまで行ったんだろう、っていうかその手に持ってる『暴君☆ハバネロタン』は僕が楽しみにとっておいたおやつなんですけどーなんて間の抜けたことを考えたのを覚えている。

 で、気がついたら砂漠に不時着していた。他の乗客は皆空に投げ出されてしまったみたいで、床から外れた座席ごと砂の上に転がっていたのは僕と彼女だけだった。律儀にシートベルトを締めていた二人だけが、飛行機を身代わりにして着陸することが出来たのだ。よく無事でいられたものだと思う。というのも、身代わりになった飛行機は原型を留めていなかった。あんな大きくて頑丈そうな、本当にこれが空を飛ぶのだろうかと疑いたくなるほどだった鉄のお化けは、今やあたりに散らばる鉄の破片になっていて、彼女の日傘にしている一番大きい破片でさえも身体をすっぽり覆うには足りていない。陰からはみ出した彼女の脚が見える。綺麗な足。すらりと伸びたシミ一つない、白い――

 

「ちょっと、どこ見てるのよ! 変態ッ変態ッ痴漢ッ変態ッ」

「ごご、ごめん!」

「ちょっと、止めてよね、そんな地面に頭こすり付けて謝るふりして、また覗こうってつもりなんじゃいの」

「ごごご、ごめん!」

「ほんと、信じられないわ! こんな状況で一体何考えてるのよ」

 

 とぷりぷり怒られてばかりじゃ埒があかないので、とりあえずしこたま謝ってから提案した。

 

「ごめん、本当に反省してる。だから、そろそろ起き上がってくれないかな? そろそろ移動した方がいいよ。いつまでもこうしてここに留まってたら、暑さにやられて死んでしまう」

「移動するって、どこに行くのよ? 涼しいところ? この見渡す限りの砂の海の一体どこに、そんな場所があるっていうのかしら」

「それは……」

「まさかオアシスとでも言うつもりかしら」

「うん、まぁ、その通りです」

「まぁ呆れた! あなた、世界地図を見たことある? 私たちが今いるのはアフリカ大陸の三分の一を占めるあのサハラ砂漠よ。その中からほんの数キロにも満たないアオシスを見つけるだなんて、それこそ砂漠の中からたった一粒の砂金を見つけ出すようなものだわ。鳥取砂丘で迷子になるのとはワケが違うのよ! それに、そうよ、そもそもオアシスが歩いていけるところにあるなんて保障、どこにも無いじゃないの」

「保障はあるよ」

「えっ」

「実は、僕が飛行機事故に遭ったのは今回が初めてじゃなくってね」

 

 まだ僕がうんと小さかったころ、あまりに小さくってまだ母さんの中にいたころに飛行機事故に遭ったことがある。

 僕を容れた母さんを乗せた飛行機は、何かのトラブルでのせいでなんと墜落したのだけれど、それでも母さんはなんとか無事に生還したらしい。まぁその母さんも、今回はお空の星になってしまったみたいだけれど。

 

「というわけで、僕がこんな目に遭うのは二回目なんだよ。二度目だよ。人生で二回も墜落するなんて、そんなヤツいるのかなぁ」

「二度とあなたとは一緒に乗らないわ」

「とまぁ冗談は置いといて。僕が言いたいのはね、なんとかなるってことなんだ。ほら、二度あることは三度あるって言うじゃないか。一度助かったんだから、二度目もきっと助かるはずさ」

「能天気な人! 知ってるかしら!? 飛行機事故に遭う確率はね、交通事故よりずっと低い宝くじに当たる確率よりも、更にもっと低いのよ! どれだけ悪運が強いのよあなたって言ってるのよッ、このパープクリン!」

「そんな確率を引き当てた僕なんだ。助かるくらいの運は持ち合わせてるはずだよ。きっと」

 

 そうでなければ、今こうして生きているはずが無いのだ。喩えサラハ砂漠でなくっても、ゴビ砂漠だろうがオーストラリアのなんたら砂漠だろうがあるいは鳥取砂丘で迷ったって、等しく僕は生還するに決まっているのだ。

 長い沈黙の後、掠れるような声が漏れた。

 

「あなた馬鹿よ。何を言っても無駄ね。もう勝手にすれば?」

 

 彼女はごろんと、もう動きませんよーだと言わんばかりに寝転がっている。

 

「一つ言っておいてあげるけど、あなたのしようとしていることは全て無駄よ。そして、わたしは無駄が嫌いなのだわ。無駄、無駄、無駄……」

「だから、君はここに残るって言うの? 何をしても無駄だから、ここでこのまま朽ちるって」

 

 彼女は身じろぎ一つしようとしない。このままここで朽ちるつもりなのだ。

 

「……何よ、その手は」

「勝手にしろって言ったよね。だから、君も連れて行く」

「無理よ。だって、わたし、もう、本当に動けないの。だから、このまま放っといて」

「放っといて欲しいの?」

「ええ、そうよ」

「でも断る」

 

 彼女の手を掴んで、ゆっくり引き上げる。

 

「無駄よ。だから放っておいて」

「嫌だ。だって、一人だけ残していくなんて、あまりにあんまりだよ」

 

 それになんていうか、その、彼女がいてくれたら元気をつけることができるのだ。

 

「あなた馬鹿ね。何度言っても分からないもの。……でも、いちいち忠告するのも無駄だから、もう黙っておくことにするわ」

 

 身をこわばらせて僕のなすがままになる彼女。動けないというのは本当に嘘ではなくって、彼女は何の抵抗もしなかったけれど自分で起きようともしなかったから、彼女を引き上げるのは大変な手間だった。

 

「君、意外と重いんだねぇ」

「…………」

 

 無言。彼女は頑なに、僕の腕の中で口をつぐんでいた。

 

「あっ、ごめん。そういうつもりで言ったんじゃなくってね。だから、なんて言うか、その」

 

 と言い訳を連ねたけれど彼女はなんの反応も示さなくって、けどそれは「勝手にしたらいいわ。でも、わたしはただの一歩も動かないから」という自己主張なのだ。

 

「君って、本当に手間のかかる娘だね。それじゃあ、失礼して――」

 

 彼女は黙って僕に負背負われた。物言わぬ彼女を引きずって、僕は砂漠を歩きだす。

 じりじりと肌を焼く日光がやかましい。

 ずっと歩いているうちに時間の感覚を忘れてしまったのか、時々思い出したように吹いていたカラッ風が今では間隔を狭めて、ほとんど笑うように吹いている。カラカラ笑うように、ひっきりなしに。僕の喉から漏れるヒュウヒュウ言う音と混ざって、ヒュウヒョウカラカラ、ヒュウカララ。ちょっとした合唱になる。それが愉快で、僕はなんだか楽しくなった。この楽しさを背中でだんまりしている彼女にも分けてあげたい。よし、それじゃあどうにか会話をしてみよう。さて、会話のネタは何がいいだろうか。会話は言葉のキャッチボールだから、交互に喋れるものがいい。そうだ、だったらアレがあるじゃないか。

 

「ねえ、しりとりでもしない?」

「え。しりとり?」

 

 何を馬鹿な、みたいな声色がする。うん。反応は悪くない。

 

「そう、しりとり。でも、普通のしりとりじゃないんだ」

「じゃあ、どんなしりとりなのよ」

「ほら、暑いだろう? だから、『涼しいもの』だけしか使っちゃいけない、っていう特別ルールでするんだ」

「ふぅん……」

 

 と逡巡する。ややあって。

 

「いいわ。わたしも退屈してたところだし」

 

 やったね、と心の中で大きくガッツポーズ。ヒュウ、と口笛みたいな音が喉から漏れる。

 

「じゃあ君からでいいよ。先行の有利は君にあげる」

「そんなのどっちだっていいわ」

「そ、そう」

「そうねぇ。じゃあ『スイカ』でどうかしら?」

「うん、いいね。夏の定番だし問題ないよ。問題無いどころか――」

 

 スイカを食べるのを想像してみる。すると、みずみずしいあの甘みがじんわり口腔に広がった。井戸水で冷やして食べるスイカは、ひんやり締まった甘みがとても美味しい。その味まで容易に想像できてしまって、頬がにやけてしまう。

 

「本当いいねぇ、スイカ……」

「ふっ」

 

 と頭の後ろで空気の抜ける音がする。振り返ったら怒られそうで恐くって、確かめることは出来なかったけれど、ひょっとしたら微笑んでくれたのかもしれない。たとえそれが心底馬鹿にしたような笑みだったとしても構わない。なんだか嬉しくって、やったね! ハッピー、うれピー、よろピクねー、とはしゃぎ回りたい衝動に駆られる。カラカラ笑う風が、そんな僕を祝福してくれる。

 

「今度は僕だね! 『か』ときたら……そうだなぁ、やっぱりスタンダートに『かき氷』かな」

 

 真っ白な氷くずをこんもり盛った、白い丘。そこにレモンシロップを垂らして食べる。そんな光景が目に浮かぶ。

 

「かき氷?」

「うん。それも、お祭りで食べるかき氷ね」

 

 ぴーひゃら陽気な笛の音も遠く、屋台のオジサンが砕氷機のスイッチを入れるとガィンガィン、みるみるうちに氷の山が吐き出されて、これでどうだい風情のバーゲンセールだッ。

 

「馬鹿。安売りしたら駄目じゃない。本当、情緒も何もあったもんじゃないわね。何かもっとこう、マトモも言い方は出来ないのかしら」

「マトモ、ねぇ」

「ま、わたしのスイカくらい風情のあるものも珍しいのだけれど」

「む。あるよ、あるとも。かき氷にだってそれくらい」

 

 そうとも。かき氷を馬鹿にしたらいけない。例えばそう、そのかき氷は職人さんの手打ちだ。大きな氷の結晶を、ノミと金槌で削り割って作るかき氷。小さな小さな氷のピース達が、青みがかったガラスの杯に注がれる。シロップはいらない。それだけで氷の芸術の出来上がりだ。僕はそれをひとすくい。しゃり、しゃりとゆっくり咀嚼すれば、うすく舌全体に広がって――

 

「ふぅ、ん……まあまあね。まぁ、いいわ。そんなことより、次は『り』ね。り、り、り」

「えっ、なんか酷くない? こんなにあっさり流しちゃうなんて、ちょっと酷くないかな」

「黙りなさい。ともかく、とっとと次に行くのよ。……何よその顔は。何か文句でもあるの?」

「いや、無いけどね。ほんとうに」

 

 僕は寛大な気持ちで頷いてみせた。

 それにしたって、『り』のつくものが何かあっただろうか。首を捻ってみても名案は浮かばない。今度は難問だ。長い長い沈黙が落ちた。その間しゃり、しゃりという砂を踏む音だけが響く。その音がかき氷をつつくあの音のように聞こえて、細かな氷の砕けるあの食感がじんわり頭にまで染みてくるようで気分がいい。すっかり勝ち誇った気持ちになってこっそり口元を緩めていると唐突に。

 

「|団扇≪うちわ≫よ」

「え?」

「だから、『涼』の字のプリントされた団扇よ」

「ああ、なるほど。そういえばあるよね、そういうデザインの団扇」

 

 白地に、淡い水色で『涼』の字の。きっとサンズイの端っこなんかは波しぶきのようなデザインになっているに違いない。それはいかにも涼しげで。

 

「なんだか卑怯じゃない?」

「あらぁ? これは敵わないと見て、必死になってきたようね。ふふふ。いいわ、言いたいだけ言っておけば。何を言っても負け犬の遠吠えにしか聞こえないもの」

 

 卑怯者! という言葉をぐっと飲み込んで、僕は俯いた。黒い情念がぐるぐる頭の中を駆け巡る。

 

「そうそう。そうやっていい子にしてる限りは、わたしも相手をしてあげるわ。さあ、次はあたなの番よ。さっさと答えな――」

「和歌山」

「え?」

「避暑地だよ。夏も涼しくって、快適に過ごせる。そうだなぁ、山の上のコテージなんか最高だろうねぇ。涼しいよ。なにせ山の上なんだから」

「……それ、なんだか卑怯じゃあないかしら?」

「そうかな?」

「くっ、このっ」

 

 避暑地の山奥、木組みの小洒落たコテージ。二人縁に腰掛けながら。僕はかき氷をしゃくしゃく突ついて、彼女はスイカをいかにも上品そうに、そっと目を伏せて口にするのだ。団扇を傍らに置いておくもの良いし、そうだ、井戸水をたらいに張って足をつけるのもいいかもしれないし風鈴だって必要だろう。などと思っていると、思いも寄らぬ言葉が飛び出した。

 

「『松』よ!」

「松?」

「『松』。それがわたしの回答よ」

「えっ。尻取りのかい?」

「ええ、そうよ。分かっていただけたかしら?」

「うん、まあ、一応……」

 

 けれど、それはちっとも涼しげじゃない。一体全体松のどこをどう切ったら、『涼』のイメージが出てくるのだろう。

 

「白砂(はくしゃ)青松(せいしょう)という言葉を聞いたこと無いかしら?」

 

 無いに決まってるよそんな言葉、などとは口が裂けても言えない。

 

「白くて綺麗な砂浜に、青くて綺麗な松の木が立っている。そういうイメージの言葉よ。例えばこんな――」

 

 波音の押し寄せる砂浜。その傍(かたわら)に立つ松の木々を、潮風が通り抜けていく。そんな情景。

 

「夏の海って感じでしょう?」

「うん。確かにその通りだ。本当に、夏の景色だ。波音が聞こえてきそうで、ほんとう、涼しげで」

 

 けれども、ああ、『砂浜』。

 砂と海。砂の海。砂漠――

 なんということだろう。涼しげな山の避暑地から、とうとう僕らはこの砂漠へと引きずり戻されてしまった。さんさんと照りつける太陽、風のカラカラ嘲け笑う砂漠へと。

 カラカラ吹く風の音がまるでしゃれこうべが嗤(わら)っているように聞こえる。あれほど愉快だった足音がとたんに耳に障るようになった。一歩一歩が沈み込みように重い。背負った彼女がずしりと思い。こんな時こそ喋って欲しいのに、彼女はここぞとばかりに口をつぐんでいる。

 

「……冷たい。冷たいね、君って。ほんとうに酷だよ、これは」

 

 カラカラと風が嗤う。もう、精も根も尽きた。いくら彼女で元気をつけても無駄なのだ。きっと僕はもう助からない。このまま暑くて死んで、今夜あたりハイエナかハゲタカの腹の中で彼女とねんごろねんごろねんねんころりさーと悟ってどさり、僕は地面に倒れこむ。カラカラに乾いたノドに砂が入って咳が出る。砂埃が舞って目が痛い。惨めが湧いて涙が滲む。

 そして、笑いがこみ上げてきた。

 

「――ふ。は、ふはははは、はッ」

「どうしたの。助からないと分かって、とうとう気が触れた?」

「ふひひ、ふひ、ひひひひひ!」

「ねえ、ちょっと、どうしたのよ」

「ヒヒヒ、だって、笑わずにはい、いられないよ。だって、ヒヒ、ヒ、ほら!」

 

 涙に滲んだ黄色い画面の中央で。緑色がぼんやり揺れていた。

 

「オアシスだ! 助かったんだよ!」

 

 

 ***

 

 

 そして、僕らはオアシスへとたどり着いた。

 よく見つけることが出来たのものだと思う。それは想像していたのよりもっとずっと小さかった。水場といったら市民プールくらいの大きさの水たまりがたった一つで、縁の湿っぽくなったところにはびっしり砂埃にまみれた雑草が吸い付くように群生している、なんともみすぼらしいオアシスで、水も泥水と選ぶところがなかった。

 それでも雑草たちはみずみずしい緑色をしていたし、雑草たちの中央には一つ、ずっしり大きな根を張った立派な木がそびえるように立っていて、それはつまり確かな生が根付いているということで、おめでとう、これで僕は助かった。早速すすってみた泥水は、すわひょっとして雪解けか何かですか! みたいにツーンと染みて、さっきまでカラカラだった喉がヒリヒリ痛む。

 

「随分と気持ち良さそうね。そんなにしんどかった?」

「うん。なんせずっと喋ってたからね。しんどかったよ、ほんとうにね」

「よくもまぁあれほど喋り続けたものよね。心底呆れるわ」

 

 ほんとう、よくここまでやってこれたものだと思う。彼女が気を紛らわしてくれなかったらとてもここまでもたなかっただろうし、そしてこれからも僕を元気付けてくれる彼女に感謝感激多謝深謝。

 

「ともかく、これで助かったね。もう好きなだけ水も飲めるし、なにより今度はちゃんとした木陰があるし、そうだ、早速座ろうか」

 

 彼女の両手を掴んで、木陰まで引っ張り招く。幹は太く、大きい。二人並んで背もたれてみても脚を思いっきり広げてみても、陰からはみ出すことはなかった。

 木陰の下は別世界だった。暑い砂漠の中にあって唯一のパラダイス。それにしてもこの木、こいつほんとうに砂漠中の幸せを独り占めしてきたんだなぁって思うのは、背中を押し付ければ押し付けるほどに染み入ってくるひんやりした心地よさのせいで、ただ背もたれているだけなのにこうも心地いいのはなんでなんだろう? などと思っていると知らず知らずに瞼が降りてくる。さわさわ木の葉の揺れる度に、すうっと風が体を撫で抜けていくものだから、すっかりいい旅夢気分。ぼんやり夢の水面を覗き込んでいるような、うつろを漂うまどろみ心地でいると、唐突に。

 

「『一句』」

「え?」

「だから、こういうのにぴったりなのが『一句』あるって言ってるのよ」

「ひょっとして、しりとりの続き?」

「そうよ。下らない遊びだったけれど、まぁ武士の情けとやらで、最後まで付き合ってあげるわ」

「ありがとう、しずかちゃん」

「……なにそれ」

 

 彼女はこわばった、本当に嫌そうな顔をしている。どうやら、僕は少々ハイになってしまっているらしい。

 

「いや、なんでもないよ。それより、その『一句』って?」

「それはね」

 

 ひやひやと 壁をふまえて 昼寝かな

 

「あ――」

 

 ざあっと風が流れて、木葉の合間からこぼれた輝くしずくが彼女の白い瞼で跳ねた。

 

「いいね」

「うん」

 

 そっと握った彼女の手は、ひんやり冷たかった。




8,571文字


「彼女」は物言わぬ死体で、主人公は「予備の食糧」兼「寂しさを紛らわすお人形」としてこれを担ぎ、一人二役で会話を演じながら歩いています。
死体なので、喋っている描写はないし、逆に、横たわったり動かなかったりという姿しか描写していません。
大学の文芸部の面々には「そんなの分かるかい!」と言われました。そりゃそうですよね……。
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