「ニンジャさん」がこっそり家に住み着いていたという話。
一人称です。
<登場人物>
ぼく(朝間ユウ)……主人公。バカ。
ニンジャさん……こっそり家に住み着いていた自称「ニンジャ」のおじさん。
カナちゃん(昼部カナ)……主人公の友達。おしゃまな生意気小娘。
0.
どんたん騒ぐ胸を押さえつけて、通学路をひた走る。
あまりに慌てていたのだろう。家を出るときに閉じ損ねたランドセルがガチャガチャ鳴るのがやかましい。それでも、そんなことに構っている暇などなかった。一分一秒でも早く、このことをカナちゃんに伝えてあげたかった。
ああ、でも、こんな途方もない話を、いったいどう話したら信じてもらえるのだろうか。
賢いカナちゃんのことだ。
「嘘よ。そんなの嘘に決まってるわ」
ぷりぷり怒ったように、そう言うに決まっている。
どういったら信じてもらえるだろうか。
――我が家に忍者が住んでいただなんて。
1.
我が家は、木造二階の一戸建て。カナちゃんに言わせれば「ヤスブシンの典型例」らしい。
そう称したのは、カナちゃんが我が家に初めて遊びにきた日のことだった。
「まぁ、素敵ね、洋風の家って! 無駄を省いて小さくまとまって。機能美ってこういうことを言うのよね。それに、この家、たったの一週間で出来たって言ってたけど、想像もつかないわ! あたしの家が建ったときなんか、たっぷり六か月もかかったのよ」
「わたし、知ってるわ。こういうのをヤスブシンって言うのよね。パパが言っていたわ。|代の建築技術≪ヤスブシン≫はすごいなぁ、たったの一か月で家が建ってしまようよ、って。わたしは、まさかそんなことあるはずない、ってずっと思っていたけど、やっぱり今でも信じられないわ。この家がたったの一か月で建ってしまっただなんて!」
そう言ってはしゃぐカナちゃんの家は、天を衝くように逆立つ瓦の、それはそれは立派な和風建築だった。だからこそ、洋風の我が家がもの珍しかったのだろう。きゃあきゃあ喜色ばむカナちゃんに、「そう、ありがとう」とにっこり答えるママの笑顔がやけに印象的だった。
それ以来、何故かママは家に友達を連れてくることも、お客さんを上げることすらひどく嫌がるようになったので、家に上がるのはすっかりぼくとママの二人だけになっていた。
もっとも、こうなる前からも、家に上がっていくようなお客さんは稀だった。
家にやってくる人といえば、セールスマンだったり、回覧板を持ってくる隣のオバサンだったりで、そういう人をママが家に上げることはごくごく稀だった。かっちりスーツに身を固めたママに「すいませんけど、これから仕事なんです」と玄関先であしらわれると、さすがに皆諦めて帰っていくのだ。
唯一の例外はお隣のオバサンで――いかにも家に上がりたそうに、玄関先からちらちら廊下の奥をのぞきこみながら、世間話で長居するオバンサンで、このひとがママの仕事のない休みの日をねらってやって来たとき――そのときだけは、ママも観念して、しぶしぶキャクマという「お客さんを迎えるための特別な部屋」に通していたのだ。
その稀なお客すらも追い返すようになると、我が家はしんじつぼくとママ二人だけのものとなった。
と同時に、すっかり使われることのなくなったキャクマは、物置へと変貌していった。
まず、読まなくなった本やらマンガやらを、これまた使われなくなった古い棚だのタンスだのに詰め込んで、そのままドスンと転がす。そこに、使われなくなった健康器具やら、日用雑貨やらが加わって、みるみるうちにキャクマを占領していった。そうして、かろうじてキャクマの面影を残しているのは、ところどころにのぞく青い畳と、奥の壁の、掛け軸ひとつだけという有様になってしまった。
このころには、キャクマはもうすっかり、ぼくとって特別な場所になっていた。
がらくたの山はちょっとしたアスレチックだったし、なにより、そこには畳と掛け軸があった。ちょうどカナちゃんが洋風のわが家を珍しがったように、ぼくは和風の家に憧れていたのだ。畳のあるこの部屋は、わが家の他のどことも変わっていて、それだけで十二分に魅力的なのに、なんと、掛軸まであるのだ。そこには、もの珍しい不思議のにおいが、箒星の尻尾のようにぼうっと、絶えずつきまとった。
忍者さんは、その掛け軸から現れたのだ。
――その日も、ぼくは掛け軸の前に腰掛けて、ぼんやり掛け軸を眺めていた。
都合のよいことに、掛け軸のまわりはいつも片付いてる。
部屋じゅう足の踏み場もないくらいなのに、そこだけ、ぽっかりと、がらくたを寄せつけない空白地帯となっているのだ。ちょうどそれは、ぼくのような小さな子どもがちょこんと腰掛けるのに、もってこいのスペースだ。そこに座って、一時間でも一日でもいつまでも、気の済むまで掛軸を眺めるのだ。
その掛け軸には、雲に立つ仙人図が描かれている。仙人は、やがて、空想のなかで動き出す。黄ばんだ雲が絵の中を自在に駆け巡り、それに乗った怪老が、長いひげをなびかせながら、ふぉっふぉっと怪しく笑う――そんな夢想を楽しむのだ。
それは、子どもの他愛のない妄想で、じっさいには、目に映る掛け軸はぴくりとも動かない。ほこり臭い物置の奥で、しんと静まり返っている。
けれども、その日は違った。
「えっ」
ひらり、と。
ひとりでに掛軸が動いたのだ。まるで風に吹かれたように、ひらりと、ひとりでに波打った。それは不思議な現象だった。窓はかたく閉じられていて、室内はまったくの無風なのだ。
かと思うと今度は、ひとりでにすーっと、掛け軸の縁が持ちあがって、そこから、
にゅっ
と男の首が現れた!
「う――うわぁっ! 壁から、く、首が生えてきたっ!!」
掛軸の下の壁から、男のおじさんの顔がひょっこり生えている。
いや、よくよく見ると、本来壁であるべき部分は、まるで扉かなにかのように、ぐっとこちらにせり出してきていて、ぽっかり大きな口を開けている。
扉のように開いた壁――というより、それは、しんじつ扉そのものだった。掛け軸の下に、人目につかぬよう、巧妙に隠されてしまっている隠し扉なのだった。扉は見たこともないくらい分厚い金属でできていて、そこには丸い、車のハンドルのような|取っ手≪ドアノブ≫がついている。
大きな口、と言ってもそれは掛け軸より更に一回り小さい。おじさんは身をよじるようにして、窮屈そうに、そこから潜り抜け出てこようとしている。
それを凝視していたぼくと、不意に顔を上げたおじさんと、視線がぶつかった。
「…………」
ふたりの間に沈黙がたちこめた。おじさんはすっかり言葉を失ってしまって――というより、おじさんもぼくも、あまりの事態にすっかり我を忘れて、凍り付いてしまっていた。
おじさんは、壁から首を生やした体勢のまま――出るとも引っ込むともつかない、中途半端な体勢のまま、目を白黒させている。ぼくはといえば、驚きをのどにひっかけて、呼吸もままならずに「いっ、ひっ、ああっ、ああ……」と喘いでいる。
そうこうしている間に、おじさんはすっかり我に帰ったらしい。するりと壁を抜け出すと、みしみし畳を渡って、ぼくの前までやってくる。
すると、その全容が明らかになる。上下ジャージに身を包んだ中年男。無精ひげだらけの顔。大きく見開かれた瞳が、氷のような冷たさを帯びて、ぎょうとぼくを見下ろしていた。
それは、しかし、ふっと溶けて消え、こんどは代わりに、にんまりといわんばかりの笑顔が現れた。
「いやぁ、とうとう見つかってしまったね」
その男のおじさんは、にっこり微笑みながら、まるでイギリス紳士がそうするかのように、優雅に一礼をしてみせた。
「こんにちは。そして、はじめまして」
ようやく驚きを飲み下したぼくの喉に、興奮と疑問が洪水のようにせり上がってきた。
「おじさんは何者なの、どうしてぼくん家(ち)の壁から出てきたの!?」
「知ってるかな? おじさんは、こういう者なんだよ」
おじさんは両の手を眼前に突き出すと、指を組んで合わせてみせた。かと思うと、それはまるで別の生き物のように動き、くねり、互いに絡み合い、次々と複雑な形を編み上げていった。
「リン、ピョウ、トウ、シャ、カイ、ジン、レツ、ザイ、ゼン……」
ぶつぶつと呪文を唱える姿を見て、ぼくはあるテレビ番組を思い出していた。
「ニンジャマンだ!」
隠密戦隊ニンジャマン。それは、今学校で話題の特撮だ。五人の忍びの末裔が、目もあやな五色のニンジャマンに変身して、アクダイ・カーンの魔の手から京都の街を守る為に戦うのだ。
おじさんの仕草は、その変身シーンの再現だった。
「おじさんは、ひょっとして、あのニンジャマンなの? ――それはおかしいよ! ぼく、知ってるんだよ。ニンジャマンなんていない、アレは大人の作り話だって」
ぼくはもう何も知らない、小さな子どもではないのだ。ニンジャマンのような特撮は、液晶版の向こうの絵空事だとちゃんと知っている。
「そうか……君は、おじさんが思っていたより、もうずっと大人になってんだなぁ」
「ごまかさないでよ! どうして、ニンジャマンだなんて嘘をつくの? そうやってぼくを騙して、一体なにを企んでるの!?」
「あ、いや、勘違いしないでおくれ。おじさんはニンジャマンだ、なんて名乗ってないだろう?」
「じゃあ、一体なんなのさ。おじさんは何者なの? どうして、家の壁から出てきたの? どうして、ニンジャマンみたいな、紛らわしいポースを取ったの?」
「それは……」
おじさんは、じっと考え込むように顔を伏せる。次に顔を上げたとき、その目はまっすぐ、ぼくを見据えていた。
「じゃあ、本当のことを教えてあげよう。おじさんはね――忍者なんだ」
「ニンジャ?」
「ニンジャマンは作り話だと言ったよね。そのとおり。アレは、忍者を基にして創ったお話なんだよ。つまり、やつらは忍者のニセモノさ。けれども、おじさんは、偽者なんかじゃない、本物の忍者なんだ」
おじさんは、畳み込むように喋り倒した。
「忍者はね、天井だの床下だの壁だの、誰にも見つからないようなところに、こっそり住むものなんだ。そうやって、こっそりと、家の人を見守る。そういう仕事なんだよ」
「……だから、ぼくん家の壁の中に居たの?」
「ああ。それが仕事だからね」
「でも、見つかっちゃったね」
ぼくは負けじと、おじさんの嘘をあばきにかかる。しんじつニンジャであるのなら、ぼくごとき素人に簡単に見つかるはずがないのだと、反撃する。
「ああ、おじさんも驚きだよ」
おじさんの返答は、しかし、ぼくの反撃も疑いも、何もかも吹き飛ばしてしまうような、驚くべきものだった。
「こうして見つかってしまったから言うけどね、おじさんは、たっぷり十年間も――キミが生まれたときからずっと、この壁の中に住んでいたんだよ」
「ええっ、嘘でしょ!」
「嘘なもんか。だったら、証拠を見せてあげよう。例えば――そうだね、今日の朝食は、珍しく洋食だったね。パンとヨーグルトとコーヒー牛乳だ。パンの耳が嫌いなキミは、そこだけ剥いで食べた」
おじさんは、溜まっていたなにかを吐きだすように、つらつらと言葉を連ねていく。
「昨日の晩御飯はカレードリアだったね。そして、一昨日の晩御飯はカレーだ。はは、カレーがカレードリアに化けたわけだ! まるで忍術だね」
そんな調子でつらつらと、一週間分の朝・夕の献立を言い当ててみせた。昼食に言及しなかったのは、ぼくが学校で給食を食べているからだ。終日壁の中にいるので、家の外のことは分からないのだと言った。
「そうそう。キミはどうも、好き嫌いが多いみたいだね。キミの将来の為に言っておくけどね、好き嫌いはよくないよ。キミのママも――そう、それこそ耳にタコから出来るくらい言って聞かせてるだろう?」
「どうして、そんなことまで……」
ぼくは、呻き声をあげた。このおじさんは本当に、おはようからおやすみまで、ぼくとママの生活を見つめているのだ。
「言っただろう。おじさんはね、忍者なんだよ」
2.
「そんなの嘘よ! そうでなかったら、夢でも見たのだわ。だってあり得ないもの、忍者がいただなんて」
カナちゃんは腰に手を当て、ぷりぷり怒ったように言う。
「だってそうじゃない。忍者はね、武士やゲイシャと一緒にとっくの昔に滅んでしまったのよ。それが、よりにもよって、あなたの家に住んでたですって? ちゃんちゃら可笑しいわ! 寝言は寝てから言うものよ」
その言い方に、カチンときた。確かに、カナちゃんは頭が良くって、勉強の成績もクラスでいつも一番で、カナちゃんの言うことはいつも正しい。けれど、それを鼻にかけたような言い方が、鼻持ちならなかった。
「でもね。これはほんとに、ほんとの話なんだよ。……そりゃあ、ぼくだって最初は疑ってたぐらいだし、カナちゃんの疑う気持ちもわかるけど――でも夢や、ましてや嘘なんかじゃないんだよ! ねえ、ぼくが今まで嘘ついたことなんてなかったでしょう?」
「そうね……たしかに、嘘がつけるような人じゃないものね、あなたは。馬鹿正直っていうのかしら? でも、やっぱり信じられないわ。だって、忍者がいるだなんて話、今まで聞いたことがないもの」
「そりゃあ、カナちゃんの疑う気持ちも分かるよ。というか、ぼくだって正直言うと、なんだか狐につままれたような、フに落ちない感じがするけれど――でも、それじゃあ、おじさんの言うことが嘘だって、どうして決めつけてしまえるのさ?」
「それは、だって、非現実的じゃないの! 考えてもみなさい。忍者を見ただなんて話、今まで聞いたことが、ただの一度でもあった?」
「それは、だって、ニンジャは、隠れて暮らすのが仕事なんだよ。そうかんたんに見つかるはずないよ」
「じゃあ、どうしてあなたに見つかったのよ。ただの子どもの、あなたなんかに」
「ニンジャさんはぼくん家に十年間も住んでたんだよ! 今まで、ぼくに見つからなかったことの方が不思議だよ」
ぼくは、もう、ほとんど意地になって叫んでいた。
「……怪しいわね。やっぱり、信じられないわ。でも、あなたが嘘を言うなんて考えられないし……」
カナちゃんは、両手を組んで、その上に顎を乗せ、うーんと唸った。それは予想通りの反応だ。
「やっぱり、そう言うだろうと思ったよ。――だから、学校にくる間じゅう、ずっと考えてたんだ。どうしたら信じてくれるかって」
「とっておきの話をしてあげる。これは、本当はぼくと忍者さんだけの秘密なんだけど、カナちゃんにだけ特別に教えてあげる」
「秘密の話?」
「誰にも言っちゃダメだよ。ニンジャサンのことは、誰にも――ママにだって、秘密にするように堅く口止めされてるんだ。だから、これはほんとうに秘密の話なんだ」
「ええい、いらいらするわね。もったいぶってないで、さっさと話しなさいよ!」
耐えかねたように声をあげる。それを聞いて、ぼくはにやりとした。
「きっと信じてもらえると思うよ。これから話すのは、嘘どころか、ぼくなんかが思いもしないような、途方もない話なんだから」
「それは、<<秘密の部屋>>のことなんだ」
「<<秘密の部屋>>ですって?」
ずいと覗き込んでくるカナちゃん。その瞳に、キラキラ瞳を輝かせるぼくの姿が映っていた。
**
「ここが、おじさんの隠れ家さ」
おじさんに案内された先は、壁の中だった。
掛け軸の下は隠し扉になっていて、薄暗い階段が、ほんの数段だけ続いていた。そこを降りていった先は、小さな部屋になっていた。背の低い、正方形の間取りの、それはそれは不思議な部屋だった。
「うわぁ、すごい! ほんとうに、秘密基地みたいだ!」
と思ったのは、床から天井にいたるまでのあらゆる部分が、黒光りする金属の壁で覆われていたからだ。四角い部屋は、一面金属の壁で覆われていて、それはまるで金庫のようだった。
それを殺風景だと思わなかったのは、金属の床を隠すように、様々な調度が置かれていたからだ。布団や机といった家具から、マンガやテレビといった娯楽品から、なにからなにまで。それは、キャクマに置かれていたはずの物たちだった。
「その通り。ここにあるのは全部あの客間というか、物置にあったものたちだよ。放っておくも勿体ないから、おじさんがありがたく使わせてもらってるのさ」
おじさんは両手を広げて、秘密基地を自慢する。
「とくに健康器具なんかありがたいよ。ずっと部屋の中にこもりっぱなしだと、とかく運動不足になりやすくってね。まったく、忍者も楽じゃない!」
はは、と苦笑するおじさん。そこに、ピーッという電子音が割って入る。
「おっと、お茶が湧いたようだね。はい、どうぞ」
ぬくぬくの湯呑みが差し出される。それは、冷蔵庫から取り出した水を、電子ポッドで沸かして作ったものだ。冷蔵庫や電子ポッドは、ぐぉんぐぉん唸り声をあげる発電機に繋がれている。この狭い空間には、人が暮らしていくために必要なものが一通り揃っているのだ。
「すごい……本当にここで暮らしてるんだ」
「ん? 何か言ったかい?」
がんがんコンポを鳴らしてマンガを読んでいたオジサンが振り返る。もちろん、それらはキャクマから拝借してきたものだ。コンポと発電機の騒音に負けぬよう、ぼくは声を張った。
「でも、よく今まで、バレなかったね。結構うるさいよ、この部屋」
「大丈夫だよ。とても厚い金属ですっぽり囲まれているからね、この部屋は。音なんか、外に漏らしやしないさ。試しに、扉を閉めてごらん」
指差す先には、ぼくの拳がすっぽり入ってしまうような、ぶ厚い金属板があった。それが、穴の向こうのキャクマに向かって伸びている。
「ひょっとして、これのこと?」
どうやら、それは押し戸らしかった。ハンドルみたいな取っ手を力いっぱい引くと、ぎぎぎ……と重い音をひきずって動き出す。ゆっくり弧を描いて、扉は閉じた。
その途端。四方を塞がれた部屋中に、音という音が跳ね回った。たった一台のコンポが聖歌隊のような重奏を始め、たった一台の発電機が、うぉーんと奇妙な駆動音の共鳴音を発した。
「この部屋の音は、完全に遮断されてしまうんだ。だから、音が外に漏れて、誰かに見つかるなんてことは絶対にないんだよ」
3.
「ね、すごいでしょう? 壁が隠し扉になっていて、その向こうに、こんな変わった部屋があるなんて! ぼくなんかじゃとても思いつけないよ」
「……ええ。こんな細かい嘘、あなたがつけるはずないわ。……ええ。あなたは確かに、嘘なんて言ってない。それは分かるわ。なんだけど、なんと言ったらいいのかしら。いまひとつ腑に落ちないのよね……」
カナちゃんは、何事かごにょごにょつぶやくと、うつむいてしまった。指を組んで、その上に顎をのせて、じっと考え込む。どうやら、すっかり思案に没頭してしまったらしい。いくら呼びかけても、うんともすんとも答えない。
そのときだ。頭上から、ぼくの名を呼ぶ声が振ってきた。
「やぁ、朝間クン」
見上げると、そこには先生が立っていた。
先生は大きい。大人の人は皆大きいのだけれど、先生はそのなかでも輪をかけて大きかった。先生と目を合わせるには、見上げなくてはならず、それは首がとても疲れることだった。なので先生はいつも腰を下ろして、ぼくのところまで頭をもってきてくれるのだ。けれど何故か、今日に限ってそうする気配はなかった。はるかな高みから、じっと、ぼくを見下ろして、にこにこ笑っている。
「何かご用でしょうか、先生。わたしとユウは話をしているところなんですけど」
「ああ、ごめんな昼部。先生は今、朝間クンと話がしたいんだ。ちょっとあっちに行っててくれるかな?」
「それは、わたしがいると不都合な話なのでしょうか?」
「不都合というか……先生は、飼育委員としての朝間クンに用事があるからね。飼育委員でない晩生内には、あまり関係のないことなんだよ」
「先生、わたしは学級委員です。クラスの代表として、その場に居合わせる義務があると思います。それに、友達ですから」
「……そうだな。そこまで言うなら、いても大丈夫か。朝間クン。朝間クンはいい友達を持ったなぁ」
カナちゃんの言葉に嬉しそうに頷くと、先生はぼくの手を取って立ち上がらせた。ゴツゴツした大人の指が、ぼくの手をぎゅっと握りこむ。
「ここで話すのもなんだ。ちょっと、あっちに行こうか」
先生の大きな背中の影から、クラスメイト達が何事かとこちらを見ている。そういった視線から、ぼくを引き離そうとしているのだと、なんとなく、ぼくは直感した。
**
「さぁ、入るんだ」
そうして連れてこられたのは、資料室だった。
そこは、普段は鍵がかかっている部屋で、ぼくたち生徒の間では立ち入ることのできない≪開かずの間≫と呼ばれている部屋だ。
こうして実際に足を踏み入れてみると、そこは、ほんとうに全く人の立ち入らない場所なのだということが分かった。うすぐらい床には埃が積もっていて、歩くとぶわっと綿のような埃が、かび臭い部屋じゅうに舞い上がるのだ。
「まあ、汚い!」とわめくカナちゃんに続いて入ってきた先生が、後ろ手にドアを閉めた。
カチャリ
と鍵の閉まるがする。
びっくりして振り返ったぼくは、思わず口をつぐんでしまった。先生が、なんとなく不吉な影を背負って、じっと、ぼくを見下ろしていた。先生の瞳の中にわだかまる何かが、そう直感させた。それでも、顔はにこにこ笑顔のままで、それはどこか、能面のような、作り物めいた不気味な笑顔だった。
「先生?」
たまりかねて尋ねたカナちゃんには目もくれず、先生はぼくに迫ってきた――と見えたのは、腰を屈めて顔を寄せて、山のように高くにあった先生の顔が、ぐっと近くに降ってきたからだ。そのままぼくの肩をがしと掴み、鼻息がかかるくらいまで顔を寄せてくる。つんと煙草の臭いがする。
「なぁ、朝間クン」
先生は、優しげな声でいった。ぼくは、なぜか、北風に撫でられたときのように、肌がぞっと粟立つのを感じた。
「飼育委員のキミに見せなきゃならないものがあるんだ」
先生は、部屋の奥を指差した。埃まみれの机がそこにあって、その上に、見慣れた水槽が置かれている。
「ダニー!」
その中にいたのは、クラスで飼っている白ネズミのダニーだった。
ダニーの世話は、主にぼくがしている。クラスの皆は、好き勝手に餌をやったり触ったりしているけれど、水槽を清潔に保ったり季節に合わせて綿敷を替えたりといった、もっとも重要な仕事はぼくがこなしている。もし飼育委員のぼくがいなければ、ダニーは今の半分も生きてはいかれないのだという自負があった。
「先生、ダニーがどうかしたんですか?」
ダニーは小さく丸まって、眠っているようだった。
「見てごらん」
先生は、水槽を横にたてらかした。すると、ダニーはだんごみたいに丸まったまま、ころころ転がって壁にぶつかった。ダニーは、みじろぎひとつしなかった。
「やだ、死んじゃってるじゃないの!」
「ええっ!?」
よくよく見ると、ダニーはただ丸まっていたのではない。奇妙に手足をよじった格好で、力なくこときれていたのだ。
「ほんとうだ。死んじゃってる……。どうして、こんな……」
「このビニール袋に覚えはないかな。ダニーの水槽は、この中に入っていたんだけれど」
ガムテープに口を縛られたビニール袋を取り出した。そのお腹には、そこから水槽を取り出したのだろう、大きな穴が空いている。ぼくは、その袋に見覚えがあった。
先生は、じっとぼくを見据えている。
「それなら、ぼくがしました」
ぼくは、訳がわからぬまま、ほとんど反射的に答えていた。
「温かい空気が逃げるといけないと思って、ビニール袋で包んだんです。ほら、最近、めっきり寒くなってきたから。それで、隙間があるといけないと思って、ガムテープでしっかり口を閉じて――」
「この馬鹿たれが!」
何が起きたのか分からなかった。それまで、にこにこ笑顔だった先生が、突然、般若の形相になって、怒声を張り上げていた。かと思うと、目の前が一瞬まっしろになって、「きゃあ!」とカナちゃんの悲鳴が聞こえた。頬がじんと熱い。先生にぶたれたのだ。突然の理不尽な仕打ちに、そして、突然怒りだした先生の恐ろしさに、ぼくは訳もわからず、呆然と立ち尽くしていた。
「そんなことをしたら、空気がなくなって、死んでしまうに決まってるじゃないか! よぉく見るんだ、お前のしでかしたことを!」
先生は、ごつごつした大きな掌で、ぼくの頭をまるでバスケットボールかなにかように、乱暴に掴む。そして、ぐりぐりとダニーの水槽に、ぼくの頭を押し付けた。
「いたい、いたいよ……!」
頭がまっしろになって、もう何も分からず、ただただ、ぼくは喚いていた。それでも、先生は容赦しない。
「痛いだと? ダニーのほうが、もっとずっと苦しい思いをしたんだ。見てみろ、この傷跡を!」
プラスチックの半透明の壁には、幾筋ものひっかき傷が走っていた。
「ダニーがやったんだわ。息苦しくなって、たまらずかきむしったのね……」
先生は、ぼくに顔を寄せてきた。煙草の臭いが、つんと鼻を突く。先生の、いつも優しそうに垂れたまなじりは、このときばかりは般若のようにつり上がっていて、冷たくぼくを見据えている。
「朝間。お前が殺したんだよ、ダニーを。それも、最も残酷なやり方で」
「そんな……」
それまでまっしろだった頭に、ぼんやりと、理解がきざしてくる。そこではじめて、ぼくは、自分のしでかしたことを理解したのだった。
「ぼくが、ぼくがダニーを殺しちゃったんだ……」
恐怖と罪悪感とで、目の前が真っ白に滲んでいった。
4.
そして、その日の帰り道。
「今なら分かるよ。ぼくがどんなにか馬鹿で、そして、カナちゃんの言うことは正しいんだって」
ぼくは猛省した。カナちゃんの言うように、ぼくは「世間知らずで常識がない」のだ。だから大切なダニーを、それも最も残酷な方法で殺してしまったのだ。
ぼくは猛省して、そしてようやく素直に認めることができた。
「だから、カナちゃんの言うとおり――あの人はきっと、ニンジャなんかじゃないんだ」
「当然じゃない。今までただの一度だって、わたしが間違ったことを言ったことがあった?」
腰に手を当て、さも当然といった調子のカナちゃん。
「わかってるよ。カナちゃんの言うことはいつも正しいんだ。それが悔しかったから、一度だけでもカナちゃんをあっと言わせてみたいと思ってたから、あんな見えすいた嘘をすっかり信じ込んじゃったんだ。ほんとうは、そんなことあるわけない、ニンジャなんていやしないって、とっくに分かってなくちゃいけなかったんだ。というか、本当はちゃんと分かってたんだ。けれど、変に意地になって……。ぼくがそんなだから、ダニーをこ、ころ、殺しちゃったんだ……」
「ほんとう、しょうもない子ね、あなた」
カナちゃんは、声を殺して泣くぼくの頭をくしゃくしゃに撫でまわした。
「ダニーのことはしょうがないわ。すんだことだもの。でも、忍者の方はそうじゃないわ。まだ、手遅れじゃない。――でも、このまま放っておいたら、ほんとうに取り返しのつかないことになるわ。今度はあなたや、あなたのお母さんが殺されるかもしれないのよ」
「えっ」
あまりに突拍子のない話に、ぼくは言葉を失った。
「わたし、分かってしまったのよ。そいつの正体が」
キョロキョロ辺りを見回して、人のいないのを確かめると、カナちゃんは、ずいとぼくに顔を寄せてきた。
「いい? 耳を貸して」
そして、驚くべき≪真相≫を告げたのだった。
「そんな……まさか、そんなことが……」
カナちゃんの話は、衝撃的なものだった。あまりのショックに、ぼくは、呆然と立ち尽くしている。
そのとき、プファン、とクラクションの音がした。
すぐさま、するすると黒塗りの車が滑ってきて、かと思うと、ガチャリとドアが開いて、そこから、杖をついたおじさんが降りてきた。ひょこひょこ足を引きずりながら、ぼくらの方に向かってくる。その口許が、にわかにほころんだ。
「やぁカナ。それに、ユウくんじゃないか」
「お父さん!」
カナちゃんが、大輪の笑みを咲かせた。そのおじさんは、カナちゃんのパパだったのだ。
「どうしたの、今日のお仕事はもうおしまいなの?」
「ああ、そうだよ。家に帰るついでに、カナを拾っていこうかと思ってね。そしたら、ユウくんがいるじゃないか!」
ぼくに向き直ると、軽く会釈した。
「やぁ、ユウくん、久しぶり。カナがいつもお世話になってます」
「ちょっと、わたしがいつ、こいつの世話になったって言うのよ」
ぷりぷり怒るカナちゃんを見て、おじさんは口元をほころばせて笑った。仲むつまじい親子の、ほほえましい光景だった。
それを見るうちに、さっきまでの憂鬱な気持ちも、驚きも、吹き飛んでしまった。気がつけば、すっかりいつもの調子に戻って、ぼくはカナちゃんに耳打ちする。
「カナちゃんのお父さんって、お金持ちのシャチョーサンなんだよね。格好いいなぁ」
「当然よ。だって、あたしのパパだもの」
カナちゃんは、誇らしげに頷いた。
「そうだ、朝間くん。お母さんは元気でやってるかね?」
「うん。今日も元気に出張してるんだ」
「朝間くんも大変だね。お父さんがいないなんて、寂しいだろう」
「えっ、そんなことないよ。というか、そんなこと、思ってもみなかった。ぼくのパパは、ぼくが産まれるちょうど前から行方不明で居ないから。だから、寂しいとか、そういうのは全然ないんだ。それに、ぼくはママが大好きだから」
そう答えると、カナちゃんのお父さんは、雷にうたれたように震えた。
「ユウくんはよくできた子だ! どうだい、もし良かったら今日、家に泊まっていかないか? どうせ、しばらくは家で一人ぼっちになるんだろう?」
ぼくとカナちゃんは、雄弁な目配せを交わし合った。
今のぼくにはやらねばならないことがあったのだ。
「せっかくですけど、ぼく帰らないと。ちょうど今日から、ママが出張でいなくなるから――その留守はぼくが守らなくちゃならないの」
「そうかい……。じゃあ、気が向いたら、またいつでも我が家においでよ」
車上の人となったおじさんは、残念そうに別れを告げる。その隣で、カナちゃんは、念を押すようにじっとぼくを見据えていた。
ぼくは頷きを返す。驚きも、困惑も、ダニーを殺してしまった罪悪感すらも溶けて消え、いつしかぼくの中には、固い決意が結ばれていた。
5.
ぼくは家に帰るなりリビングに飛び込んで、そこに、家中の新聞をひっくり返し、それに埋もれるようして、とある記事を探していた。
今日からしばらく、ママは出張で家にいない。もしママがいたなら、たちどころにその記事を示してくれただろう。しかし、今、家には頼ることのできる人はいない。だからこうして、ひとつひとつ自分で調べるよりほかはなかったのだ。
「あった、この記事だ!」
それは、つい先月の記事だった。
――十年前のこの日、殺人事件が起こった。犯人は、白昼堂々昼部さん宅に押し入り、所持していた包丁で夫妻を切りつけ、金品を奪って逃亡。ツマコさん(当時23)はやがて搬送先の病院で亡くなり、タツオさん(当時28)は足に生涯治らぬ障害を負った。警察の必死の捜索にもかかわらず、犯人はいまだ逃亡中。そうして十年経った今、事件は解明されず、時効をむかえようとしている。情報をお持ちの方は、警察まで連絡を――
「本当だ、カナちゃんの言ったとおりだ!」
ぼくは、ひょこひょこ足を引きずって歩く、カナちゃんのお父さんの姿を思い出していた。名前は、昼部タツオ。この事件の哀れな被害者というのは、他ならぬカナちゃんのお父さんだったのだ!
**
「あなたの言う≪忍者さん≫とやらは、ほんとうは、強盗殺人犯なのだわ。あたしのママを殺して逃げた、身の毛もよだつような殺人鬼。それが、どうにかして、あなたの家にこっそり住み着いていたのよ!」
それが、カナちゃんの語った、恐るべき《真相》だった。
――押し入り強盗がカナちゃんのママを殺害した。その事件が起こったのは、ちょうど十年前の、一九九九年のことだった。
それは、奇妙な符合の年でもある。それは、ぼくが生まれた年であり、その事件の起きた年であり、忍者さんが我が家にこっそり住み着きはじめた年でもあった。
その当時、世間はいわゆる「滅亡ブーム」に沸いていた。
「恐怖の大王が降ってきて、世界は終焉をむかえる」
新聞から週刊誌からテレビから、ありとあらゆるメディアがそんな噂を喧伝して、多くの人々がこれを真に受けた。そうしてやけになった人々の間では、散剤と犯罪が。生き汚い人々の間では、シェルターを持つことが流行った。「どうせ死ぬなら、いっそ」と凶悪犯罪が激増して、財産のすべてを人生最後の豪遊につぎ込んだ。また、そうでない人たちの多くは、「なんとか自分だけは生き残ろう」とシェルターの購入を争ったのだそうだ。
これだけシェルターが売れるようなことは、後にも先にもないだろう。それほどまでの、空前絶後のシェルターブームだった。新築の家などでは、手間隙かかる工事のついでに、シェルターも一緒にとり付けてしまおうという、セット販売が大流行した。こうして、自棄とシェルターに支えられた「滅亡景気」が訪れた――と教科書には載ってある。つい先日の授業でそう習った。
結局、恐怖の大王なんてものは現れなかったから、シェルターはまったくの無駄になった。十年経った今では、そんな事件があったことなどすっかり忘れ去られてしまった。そうして、今はただシェルターだけが、多くの家々の地下に、ひっそり打ち捨てられているのだ。
「そのシェルターこそが、≪秘密の部屋≫の正体なのよ!」
「ちょ、ちょっと待ってよ! どうやって家に忍びこんだって言うのさ。家には人が住んでるし、玄関にはカギだってかかってる。ニンジャでもない限り、こっそり忍び込んで住み着いてしまうなんてこと、とうていできっこないよ」
「それが、そうでもないのよ。十年前のあのときなら、誰だって、簡単に忍び込むことができたのよ。だって、あなたの家は建てかけだった。屋根もなければ壁もない、ほとんど裸の姿をさらしていたのよ。――それはちょうど、シェルターブームのまっただなかで、新築の家には、いっしょにシェルターを作ってしまうのが流行だった。それは、こっそり忍び込むには、またとないくらい好都合だったのよ。――つまり、予め地下にシェルターをこさえて、その上に家を建てる。そうして家が出来上がってしまうまで、シェルターの入り口は、無防備にさらされてしまっていたのだわ。バカでも猿でも、誰だって、簡単に忍び込むことができたのよ!」
カナちゃんは、手を振りまわして真実を告げる。
「そうすれば、あとはもっと簡単よ。だって、シェルターなんて、実際はこれっぽっちも使われなかったもの。いつやって来るか分からない滅亡の時に備えて、まさか、四六時中シェルターにこもっている訳にもいかない。結局、恐怖の大王だなんてものはやってこなかったから、シェルターが使われるようなことは、一度もなかった。――もしあったとしても、そのときだけ、入れ代わり、家の中に隠れておけばいい。そうすれば、誰にも見つかることはないわ」
そうして、こっそり十年間という長い年月を隠れ忍んで、とうとう、時効の日をむかえようとしているのだという。それは、新聞で確かめてみると、ちょうど明日のことだった。
「そいつは、あとたったの一日隠れておけば、時効が成立して、晴れて無罪放免になれる。あとたったの一日だけ、正体を隠し通す――その為なら、なんだってするに決まっているわ。たとえ、あなたや、あなたのお母さんを殺してでもね」
「そん、な……。ニンジャさんが、ぼくを、殺す……? それじゃあ、ぼくは一体どうしたら……」
「殺してしまうのよ」
呻きよろめくぼくに、カナちゃんは鋭く言い放った。
「殺られる前に、殺る。それしか、あなたの家族を守る方法はないのだわ」
**
「そうだ。ぼくは、ママを守るためにも、ニンジャさん――ううん、あの恐ろしい殺人犯と戦わなくちゃならいんだ」
新聞を握りしめて、ぼくは力強く呟いた。
そうやって、再び心を固めるぼくの頭に、声が降ってきた。
「――おや、これは珍しい。新聞なんか必死に読んで。一体何を見ているんだい?」
振り返る。
ぼくのすぐ後ろに、ニンジャのオジサンが立っていた。
14,723文字
「『ニンジャさん』は『ニンジャ』じゃあないッ」