が、分からないこと、調べることが多すぎて筆を折った嘘予告です。
つくづく、D-Liveの作者様の知識量、あるいは取材や知識を仕入れる体制には感心させられました。
「あっ、勝った」
間抜けな声がした。
声の主もまた、腑抜けた顔をしている。眼はぼんやりとしていたし、ぽかんと大口を開けていた。「チョキ」をつきだす姿はマヌケそのもので、見る者に否応なしに頼りなさを感じさせた。
歳も若い。少年と呼ぶには立派な体躯をしていたが、大人と言うには過分の幼さを表情に残している。成年まであと一歩といったところで踏みとどまっている、青年。
この、いかにも頼りなさげな青年が、その名を知らぬ者のおらぬ世界的な人材派遣企業ASE――超一流のプロフェッショナルのみで構成されるあの怪物集団の、それも若きエースであると誰が気付こう。
彼の名は斑鳩悟。
一度ハンドルを握れば、彼は、たちまち豹変する。
ぎゅっと口元を結び、きりりと眉を引き締めて、精悍なひとつの戦士と成り果てる。
どのような乗物であろうと己の手足同然に操り、ありとあらゆる困難を乗り越えること請けおいの、スーパーマルチドライバーへと変貌を遂げるのだ。
だが、その彼も、平時から気を張りつめているわけではない。
平素の彼はすこし怠惰で、すこしどころではなく貧乏な、普通の高校生として生活を送っている。勉強に頭を抱えることもあれば、友人と馬鹿騒ぎをすることも珍しくない。
であるから、こうして夕食代を賭けて、必死の形相でジャンケンをしていても、なんらおかしくはないのである。
「や、やったぁ! 勝った。俺が勝ったんだぁ!」
とはしゃぐ悟を、さんざんバカにする友人の声。
「ウソだろ、よりによって斑鳩なんかに負けるだなんて」
「おいおい、斑鳩に負けるだなんて、本当にツイてないなぁ」
「……神様、ありがとう。これでなんとか今月は飢えをしのぐことができそうだ」
路上でじゃれあう男子高校生の一団。そのすぐ隣へ、黒塗りの車が滑り込んでくる。
乱暴な運転である。
何事かと見守るなか、ドアが跳ねるように開いたかと思うと、艶やかな黒髪の女性が飛び出してきた。
「よかった! ここに居たのですね、斑鳩くん!」
悟の表情がひきつった。
黒髪の女性――ASEに殺到する依頼の事前調査から連絡調整までを担う彼女に、含むところはない。ただ、タイミングの問題が悪かった。
「あの、増尾さん、ひょっとして」
「はい。依頼です。海外のASE支部から、我々日本支部に要請がありました。さ、乗ってください」
「ええ! 俺、今日これから夕メシおごってもらうんですけど」
「え、ごめんなさい……。事態は一刻を争うんです。申し訳ないけど……」
悟は、言われるがまま成すがままに手を引かれる。
「ああっ、俺の食糧が」
こうして車上の人となった斑鳩悟は、空港に着くや否やASEの社用ジェット機に放り込まれ、はるばる英国へと空輸されたのであった。
その道すがら、
「すいません。俺、朝からずっと食べてなくって、今にも空腹で倒れそうなんです……」
「申し訳ありません、斑鳩くん。この航空機は急ぎ手配したので、食べ物が積まれていないの。ですから――」
そっと差し出されたのは、清涼飲料水。
「その、なんとかこれで耐えてくれませんか」
困り顔の女性にノーと言えず、悟は虚ろな瞳で、空き腹に水を納めるのだった。
◇ ◇ ◇
パシュゥゥ――
と金属管の振動する、甲高い音が響く。
大型トレーラー独特の排気音。
それは、排気ブレーキが「生きて」いることを物語っていた。
それだけあれば十分だ。暴走するトラックを諌め、手足のごとくに操ることに、なんの不都合もない――
そう確信した斑鳩悟は、事もなげに言い放つ。
「大丈夫です。ブレーキは一つじゃない。パーキングブレーキにトレーラーブレーキ、それに何より、排気ブレーキとリターダーがまだあります」
「だっ、だが! いくら排気ブレーキとリーターダーがあるといっても、補助ブレーキに過ぎないんだぞ」
トレーラーは、乗用車にくらべて遥かに重量がさかむ。そのため、フットブレーキだけでは制動力が不足する。それを補うのが「排気ブレーキ」「リーターダー」と呼ばれる機構だ。
排気ブレーキとは、排気ガスの出口にあえて蓋をしエンジン内に留めることで、圧力でエンジンブレーキをかける機構である。これにリターダーと呼ばれる、磁力でプロペラシャフトの回転に直接負荷をかける減速機構を組み合わせて、更なる制動力を得るのである。
だが、それはあくまで「補助ブレーキ」であって、減速を手助けする程度のものでしかない。このあまりに慎ましい制動装置で十トン超の巨体を押しとどめようなど、正気の沙汰ではなかった。
そして、ASEのスーパーマルチドライバーは、正気の沙汰では勤まらぬ。
「たしかに、普通にドラムブレーキをかけるより制動力はずっと小さいですけど、不可能じゃありません。電車のようなものだと思えば、そう難しいものじゃない。地面の
「無茶だ! いくら運転のスペシャリストでも、初めて運転する特殊な車両でそんなことできるものか。それに、雨まで降ってるんだぞ!」
少量の雨粒は、微細な埃を路面に浮かび上あがらせる。路面はたちまち、油膜を張ったような危険な状態へと変貌を遂げ、車は容易にスリップする。
それは、平生さんざんに踏み荒らされた路面が、研ぎに研いだ復讐の牙をいよいよむきだしにしているかのようだった。
あれほど長く緩やかだったコーナーが、突如、いくつもの車を呑みこんで尚も新たな生贄を求める暴食の悪魔へとその身を転じるのだ。
◇ ◇ ◇
「しまった、坂だ!」
誰かが悲鳴をあげた。あるいは、誰もが異口同音に叫んだのかもしれなかった。
「しかも、坂のふもとはカーブになってる。このままじゃ曲がりきれないぞ!」
「ど、どうするんだ」
「どうするって……」
いまにも破裂しそうな、張り詰めた沈黙。
それを破ったのは、やはり彼だった。
「いえ、大丈夫です。ひとつだけ方法があります」
誰も、その方法とやらを問いただそうとはせぬ。
この歳若いスーパードライバーの異常さを嫌というほど見せつけられてきた彼らは、パンドラの箱を開ける勇気を持てないでいたのである。
誰も訊ねてこないので、悟は、呑気に独白した。
「今日が雨で良かった。この路面状況なら、苦もなく車体をスリップさせることができる」
そもそも、雨天の為に大変な困難に挑むことになったのであるが、これを指摘することのできる冷静な人間がいようはずもなかった。
それほど、彼の提案は常軌を逸していたのである。
「トレーラーをスリップさせて、半回転させます。逆向きになったタイヤのトルクで、制動をかけるんです。――さぁ、いきますよ」
粗雑そのものとしか言えぬ荒々しい動作で、ハンドルを切る。
すると、いよいよ車は滑りはじめた。
「うそだろぉ!?」
悲鳴をあげる大の男たち。
対照的に、悟は冷静そのものである。
だが、それは外面だけのこと。内面をのぞいてみたならば、あまりの熱気に悲鳴をあげたかもしれぬ。その、熱くたぎるマグマのような、魂の血潮。
(行くぞ、MAN。お前に魂があるのなら――)
スリップしながら回転を始める巨大なトレーラー。
その車体は皮膚であり神経であり、車体を伝わる振動は電気信号である。斑鳩悟の身体は、今や、トレーラーという巨大な動物の脳そのものであった。
車体から伝わる様々な微細な振動。そのひとつひとつが、車体の状態をつぶさに知らせてくれる。手が、脚が、腰が、背が。ありとあらゆる箇所に伝わる振動が、車体を通じて、外の様子さえ教えてくれた。
感知と反応は同時に起こった。振動を感じとったその瞬間には、考えるより早くに身体が反応を返しているのだ。
車体の回転に合わせてハンドルを切る。タイヤがグリップをつかまえる一瞬先に、アクセルを踏み込む。回転数が乱れれば、排気ブレーキとリターダーで整える。流れるトレーラーを、トレーラーブレーキで引きもどす。
たったひとつの車を動かすのに、はたしてこれほどの動作が必要なのかというような、複雑な動作が瞬くうちに行われた。
悟は、叫ぶ。
(――応えろ!)
3,259文字
・トレーラーを運転する依頼(欧州へ)
・ブレーキに細工。動作不良
・坂道で減速&停車する為に、わざとスリップして半回転する
という妄想でした。
American Truck Simulatorが発売された今なら、欧州よりはまだ書きやすい米国なら、ひょっとしていけるかも……。
誰かが書いてくれれば、それが一番幸せなんですけどね。