ニ不二のじゆう帳(一発ネタや未完作品)   作:二不二

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<登場人物>
ぼく(朝間ユウ)……主人公。バカ。
ニンジャさん……こっそり家に住み着いていた自称「ニンジャ」のおじさん。
カナちゃん(昼部カナ)……主人公の友達。おしゃまな生意気小娘。


我が家に三人住んでいる(下)_2008年2月

6.

 

 オジサンは、ぼくを見下ろすように立っていた。天井の照明が逆光になって、その表情はうかがえない。

 ぼくはとっさに新聞をめくって、その記事を隠した。

 

「な、なんでもないよ。ちょっと新聞を見てたんだ」

「なんでもないことないだろう。だって、君は普段、テレビ欄だって読んだことなんかないだろう? ――いや、そういえば幼稚園のころ、なぜか経済欄ばっかり見ていた時期があったっけかな。文字だって読めないくせに、一体何が面白かったのやら。まぁ、それはそうとして、嘘ついたって無駄さ。おじさんは、この家のことなら何でも知ってるんだ。もちろん、君のこともね」

 

 恐ろしさに膝が震えた。このオジサンには、ぼくの家の中での行動は、すべて筒抜けなのだ。だが、それは裏を返せば、家の外のことは――学校でのできごと、あの、学校でのぼくとカナちゃんとの会話――ぼくがオジサンの正体を知ってしまったということは、知られていないのだ。

 知られるわけにはいかない。もし、ぼくがオジサンの恐るべき正体を知っているのだとバレてしまったら、ぼくまで、カナちゃんのママのように殺されるかもしれない。そうすれば、ママを守ることのできる人はいなくなってしまうのだ。

 

「し、宿題なんだ! 学校で、宿題が出されてね。し、新聞の|こらむ≪(・・・≫を読んで、感想文を書くんだ」

 

 ぼくは、とっさに嘘をついた。カナちゃんが以前、「あたし、毎日新聞のコラムを読んでいるの!」と自慢げに語っていたのを思い出して、そう言ったのだ。内心、嘘だとばれやしないかと、ひやひやだったし、心臓なんかは壊れそうなくらいバクバク鳴っていた。正直言うと、コラムというのが一体何なのかということさえ、分かってはいなかったのだ。

 

「ふぅん……。この新聞のかい?」

 

 オジサンは、ぼくの手の中の新聞をのぞきこむ。ぼくは、例の記事を見られてしまわないよう、くしゃっと新聞を握りこんだ。構わず、おじさんは続けた。

 

「だが、この新聞だけはよした方がいい。まるきり素人と変わらないうろんな人たちが、無責任な思いつきを書き綴っているだけの、いんちきコラムだからね。――まぁ、でも、これを読んで感想文を書いたら、先生は喜ぶだろうね。俗に≪クソ社説≫とか呼ばれるようなシロモノだってのに、何故か、学校の先生たちはこれが大好きだからね。ひょっとしたら、夢見がちな大人同士、気が合うのかもね。ははは」

 

 おじさんは、一人で納得した様子だった。

 

「まぁ、何にせよ、これは子どもの読むようなものじゃあないよ。まだ、何が本当に正しいのか、見分けることのできない子どもにとっては、有害図書以外の何者でもないのだから。――さぁ、よこすんだ。これは子どもが読んでいいようなものじゃあない」

「や、やめてよ! あっ」

 

 必死の抵抗もむなしく、オジサンはぼくから新聞を取り上げてしまった。そして、「どれどれ、どんなことが書いてあるのかな」と紙面に目を通す。ぼくは悲鳴をあげた。そこには、ぼくが必死に隠そうとしていた、あの記事が載っているのだ!

 オジサンは一瞬、驚いたように目をまたたいた。

 けれど、次の瞬間にはもう何事もなかったかのような様子で、いかにも、つまらなそうに言った。

 

「ふぅん。また、くだらないことを書いてるね、ここの社説は。――ん? どうしたんだい?」

「い、いや、なんでもないよっ」

 

 怪訝そうにのぞきこんでくるオジサンを見て、ぼくは確信した。なんという幸運だろう。社説とあの記事とは、偶然、同じページに載っていたのだ。

 

(助かった! オジサンは、あの記事に気づいていないんだ。シャセツの方に気をとられて、気づいていないんだ!)

 

 どうやら本当に、あの記事には気づかなかったらしい。もう一度、「くだらないこと書いてるなぁ」とつぶやくと、あっけなくゴミ箱に放り込んでしまった。ぼくは、ほっと胸をなでおろす。

 

「いやぁ、よかった。ほっとしたら、なんだかお腹が空いちゃったよ」

「は?」

「あ、いや、単なるひとりごとだよ。ぼく、晩ごはん食べてくるね。ママが、チンして食べなさいって、作って置いといてくれてたんだ」

「ああ、行ってらっしゃい」

 

 けげんな顔をしたオジサンに見送られながら、リビングを出て、逃げるように台所へ向かう。そのつもりだった。

 

 ――ふと、なんとなく気になって、こっそりリビングへ引き返してみた。

 

 どうしてそうしようと思ったのか、理由はわからない。ただ、なんとなく、予感のようなものが囁いて、そうしたら自然と足が動いていたのだ。

 そこではオジサンが、捨てたはずの新聞を広げていた。

 

「くそっ、まさかユウがこの記事を見ていたなんて! あのとき苦し紛れについた嘘――忍者なのだという嘘に気づかれてしまったかもしれない。いや、わざわざこの記事を探していたくらいだ。俺の正体に感づきつつあるのは、もう、間違いない」

 

 なんてことだ! とわめきながら、乱暴に記事をゴミ箱に押し込む。その面には、いらだちと焦燥の色が見てとれた。

 

「こうなったら、いっそ正体をバラして、口を封じてしまうしか――」

「えっ!?」

 

 ぼくは、思わず声を上げてしまった。そして、弾かれたように、ばっと振り向いたオジサンと、視線がぶつかった。

 

「あ――」

 

 二人の間に沈黙がたちこめた。初めて、掛け軸の前で会ったときのように、互いに黙りこくって、けれど、そのときよりもっとずっと重々しい沈黙が、ぼくの口を閉ざしてしまっていた。

 いったい、どんなにか長い沈黙だったのだろう。部屋にはすっかり沈黙がたちこめて、どこか遠い雑音――道行く車のエンジン音だの、お隣の家からもれ聞こえるテレビの声だのが、ぼんやり、遠く響いてくる。

 頭の中には、オジサンの言葉が残響している。

 

(こうなったら、口を封じてしまうしか――)

(口を封じてしまうしか――)

(口を封じて――)

 

 ぼくは、すっかり確信してしまっていた。

 

(やっぱりオジサンは、カナちゃんが言ったように、殺人犯だったんだ! そして、口封じのために、ぼくを殺してしまうつもりなんだ!)

 

 頭のなかがまっしろに漂白されて、ぼくはただただ、ぼんやり呆けたように立ち尽くしていた。

 そんなぼくを、オジサンは、まるで昆虫のような無表情で以て、じっと観察していた。その瞳が、冷徹な殺意をたたえたてぎらりと光ったように見えた。

 

「おや、こんなところでどうしたんだ。ご飯を食べに行ったんじゃあなかったのかい? それに、そう――いつからそこに居たんだい?」

「…………」

 

 ぼくは、なおも茫然自失の体で、まるで魂が抜けてしまったかのように、ぼうっと呆けていた。そんなぼくに向かって、オジサンはゆっくり、歩み寄ってくる。ゆっくり。ゆっくりと手を伸ばしてきて――

 瞬間、我に返って、ぼくはわっと叫んだ。

 

「ぼくのそばに近寄るなーッ」

「お、おいおい! 一体全体どうしだんだい。落ち着いておくれよ」

「いいから、立ち止まれッ!」

「わ、わかった。そうするから、落ち着いてくれよ。なっ?」

 

 オジサンは明らかに狼狽した様子だった。慌てて、その場に立ち止まる。

 

(え――?)

 

 それは、奇妙な光景だった。大の大人が、ぼくのような子どもの一挙一動に狼狽しているのだ。先生が資料室でそうしたように、力に任せて掴みかかってくれば、ぼくは手も足も出ないというのに……。

 そうして、いったん冷静さを取り戻すと、あることに気づいた。

 

(なにか、なにか様子がおかしいぞ)

 

 オジサンは落ち着きなく、ちらちらと、部屋の奥の壁を、というか、さらにその向こう、お隣の家を気にしたふうだった。

 というより、お隣の家からもれ聞こえるテレビの声――それをオジサンは、ひどく気にしているらしかった。お隣さんの家は、壁がくっつくぐらいすぐ傍に建っている。テレビの声が聞こえてくるように、こちらの声もまた、あちらに筒抜けなのだ。

 

「あんまり叫ぶと、お隣さんに聞こえてしまうよ! おじさんは――忍者は、誰かに見つかってしまっては困るんだ」

 

 すっかり弱り果てたオジサンを見て、ぼくは、二人の立場が逆転してしまったのだと、気づいた。今や、ぼくはすっかり優位に立っていたのだ。

 

「そうだよね、困るよね」

 

 ぼくは、得意になって続けた。

 

「ぼくが大声を上げれば、なにごとかと、おばさんが飛んでくる。それで、どうにかして家に上がってくる。ママが言ってたよ。いいこと、お隣のおばさんに、絶対に家に上がる口実をあげちゃあ駄目よ。そうしたら、あのずうずうしい人のことだから、何が何でも家に上がっていくわ、って」

 

 ぼくは、オジサンをねめつける。

 

「そうしたら、困るよね。だって、オジサンは誰にも見つかっちゃあいけない、|ニンジャ≪・・・・≫なんだから」

 

 オジサンは、驚いたような顔をした。

 

「いいよ。ぼく、静かにしててあげる」

「ほ、本当かい!?」

「うん、本当だよ。ただ、ひとつだけ、|ニンジャ≪・・・・≫のオジサンにお願いがあるんだ」

「ああ、なんだって聞いてあげるとも!」

 

 オジサンは、明らかにほっとした様子だった。

 それは、ひとつには、お隣さんを呼ばれる心配がなくなったからなのは明らかだけれど、更に、もうひとつには、「ニンジャのオジサン」と呼ばれたことに安心したようだった。

 

(ひょっとしたら、このガキ、俺の正体に気づいていないんじゃあないか? 俺の正体を疑ってはいるけれども、でも、ついぽろっと口を滑らしちまったあの、致命的な失言は、ほんとうは聞いていなかった。あるいは、聞いてしまったけれど、いまいち信じきれないでいる。それで、俺の正体を見極めようとしている。忍者かどうか見極めようとしているんじゃないだろうか?)

 

 そういう希望の光が、オジサンの瞳に宿ったように見えた。

 

「それで、お願いってのは何なんだい?」

「ぼくを、≪秘密の部屋≫に連れて行って欲しんだ」

 

 

       7.

 

 そうして、ぼくとオジサンは掛け軸の前にやってきた。

 相変わらず、部屋じゅう足の踏み場もないくらいの散らかり様なのに、そこだけ、がらくたの侵略を免れた空白地帯となってる。

 そこは、いつもぼくが座って掛け軸を眺める、お気に入りの場所だ。そこには今はオジサンが立っている。それをぼくは、床に転がった本棚(がらくた)に上に座って眺めていた。

 

「じゃあ、今から開けるからね」

 

 掛け軸をめくると、ハンドルのような、丸い取っ手(ドアノブ)が現れる。オジサンは、空白地帯の上で足を踏んばって、力いっぱい取っ手を引く。やがて、扉がゆっくり動き始めると、オジサンはさっと足をどける。それまでオジサンの足があったところを、ぎぃぃと重い音をひきずって、扉が滑る。そうして、とうとう扉が開いた。

 

(そうか。だから、掛け軸の前は、いつも片付いてたんだ!)

 

 あの空白地帯は、扉の|開けしろ≪・・・・≫だったのだ。隠し扉は、引き戸になっている。それを引いて開けるために、あの空白地帯が必要なのだ。

 

(どうしてあそこだけ片付いてるのか不思議だったんだけど、ふぅん、そういうことだったんだ)

 

 ひとり納得するぼくに、声がかかる。

 

「開いたけど、入らないの?」

「ああ、そうだったね。うん、入るよ。その為に来たんだもの。――オジサン、先に入ってよ」

 

 今や、扉はすっかり開いて、壁にはぽっかり大きな穴が空いている。大きな穴といっても、それは掛け軸の下にすっかり隠れてしまうような大きさだったから、大人のオジサンには、少々窮屈なくらいだった。身をよじるようにして、なんとか潜りぬける。それを確認して、ぼくも後に続く。

 扉を潜った先は、トンネルのような、これまた狭い階段が続いている。階段をほんの数段下ると、そこから先は、突然、ドームのように広くなる。そこが《秘密の部屋》だった。

 完全な立方体の間取りなっていて、天井から床から、一面全てが鉛の壁で覆われている。まるで、巨大な金庫のよう。改めて冷静に見てみると、なるほど、それは確かにシェルターそのものだった。

 

「どうだい、忍者の隠れ家はすごいだろう。何か欲しい物はないかい? おじさんが、忍法で出してあげよう」

 

 オジサンとしては、なんとしても、ニンジャであると信じ込ませたいところなのだろう。言葉の端々で、それとなく、オジサンはニンジャなんだよーということを印象づけようとしている。

 

「そうだなぁ。ぼく、ジュースが欲しいな。キンキンに冷えたやつね」

「よしきた。ちょっと待ってなよ!」

 

 オジサンは、せっせと冷蔵庫に走った。

 その時だ。

 ぎぃぃ……という、重いものを引きずるような音がした。音のしたほう、階段の方を振り返って、ぼくは凍りついた。

 

「ああっ、扉が!」

 

 ゆっくりと、まるで自重に引かれるようにして、ひとりでに閉じようとしていた!

 

(しまった! 扉は、ひとりでに閉まるようになってたんだ!)

 

 やがて、扉は完全に閉じてしまった。ガチャリ、と錠の落ちる音がする。

 これでもう、いくら大声をあげても、外に聞こえはしない。鉛の扉が、ありとあらゆる音を完全に遮断してしまうのだ。これまでぼくを優位に導いていた、唯一のアドバンテージを失ってしまったのだ。

 

(どうしよう、どうしよう、どうしよう!)

 

 すっかり狼狽したぼくの頭に、突然、声が降ってきた。

 

「ほら、ジュースだよ」

「ひゃあ、冷たいッ!」

 

 首筋に冷やりとした感触を感じて、ぼくは飛び上がった。

 

「ははは、そうだろう。忍法氷水の術、ってね。どうだい、いかした忍法だろう?」

 

 いつの間にかオジサンが、ぼくの後ろに立っていた。 その表情は、天井の照明が逆光になって、よく見えない。その姿が、資料室の先生の姿に重なる。

 その途端、目の前がまっしろになる。

 

「おや、どうしたんだい? ガクガク震えて」

 

 声が移動する気配があった。その声は、勝ち誇ったような、得意な調子だった。

 我に返ったときには、オジサンはいつの間にか、ぼくの前に回りこんで――出口を塞ぐように立っていた。勝ち誇ったような笑顔を浮かべて。

 瞬間、理解がきざす。

 

(オジサンは、こうなることを知ってたんだ!)

 

 ここは、オジサンの陣地なのだ。自動で扉が閉じて、そうして、助けが呼べなくなってしまう。そのことを知らないわけがない。

 

「ユウくん――いや、ユウ。オジサンはね、君に話しておかなきゃならないことがあるんだ。薄々感づいてはいたと思うけど、いいかい、よく聞くんだ」

 

 突然、がしりと、ぼくの腕を掴む。顔が、息がかかるくらいまで近くにくる。ぎらぎらした瞳が、ぎょうとぼくを見据えていた。

 

「オジサンは、忍者なんかじゃない。本当は、もっとずっと――そう、聞いたらあっと驚くような人なんだよ!」

 

 オジサンは、楽しくってたまらない、といったふうに言った。ぼくはいっそう恐ろしくなった。それは、(俺は、いつでもお前を殺せるのだぞ!)という余裕に見えた。

 

「オジサンはね、忍者なんかじゃない。本当はね、君の――」

 

 頭の中が、まっしろに滲んでいく。心臓がバクバク早鐘を打ちだす。頭のなかで、オジサンのあの言葉が残響する。

 

(こうなったら、いっそ正体をバラして、口をふさいでしまうしか――)

(正体をバラして、口をふさいでしまうしか――)

(口をふさいでしまうしか――)

 

 ぼくは直感した。オジサンは、今ここでぼくを殺すつもりなのだ!

 

「そ、そうはいくもんかッ」

 気がつくと、ぼくはオジサンの腕に噛み付いていた!

 

 ぶぢゅっ

 

 肉が、歯と歯につぶされる感触がする。たちまち血の味が口内に広がった。

 

「うわああああああッ」

 

 悶絶して転げまわるオジサンに目もくれず、ぼくは一目散に扉に走る。階段を駆け上って、そのまま扉に身体ごとぶつかる。扉はぴくりとも動かず、代わりに、内臓を揺さぶるような衝撃が返ってきて、ぼくの身体は容易に跳ね飛ばされる。何度ぶつかっても、結果は同じだった。

 

(そうだ、鍵だ!)

 

 扉の内側にも、丸いハンドルがついている。どうやら、それが鍵であるらしかった。慌ててハンドルを回すと、やがて、ガチャリと錠の開く音がした。再び身体ごとぶつかると、内蔵を揺さぶるような衝撃と引き換えに、扉が、わずかに開く。

 その隙間に身体をねじ込むようにして、ぼくはキャクマに転がり出た。

 すると、そこはもう、ぼくの見知ったあのキャクマだった。途端、雑音が戻ってくる。路上を走る、遠い車のエンジン音だの、ごぉぉぉと遠く上空を轟く飛行機の音。

 だが、安心するにはまだ早い。

 

「早く! オジサンに出てこられたら、いっかんの終わりだ!」

 

 がらくただらけの部屋を見渡すと、たっぷり本の詰まった本棚が、ほこりまみれで転がっているのが目についた。ぼくはそれを引きずって、ぴったり扉にくっつける。それだけではない。健康器具やら、本の詰まったダンボールやら、重そうな物をありったけ引っ張ってくる。そうして、掛け軸の前の空白地帯は、すっかりがらくたで埋まってしまった。

 空白地帯。それは、扉の|開けしろ≪・・・・≫だった。そこをがらくたで埋めてしまうと、扉はがらくたにつっかえて、開くことができなくなってしまう。

 

「やった……とうとうオジサンを閉じ込めたぞ!」

 

 ぼくは一連の行動を、驚くくらい冷静にこなした。心臓はどんだん騒ぎっぱなしだったし、頭もまっしろだった。それでも冷静でいられたのは、覚悟を決めていたからだ。

 ――オジサンに殺されるかもしれない覚悟を。そして、逆に、オジサンを殺してやるのだという覚悟を。

 

 呼ぼうと思えば、いつでも助けは呼べた。大声を上げれば、お隣さんはいつでも駆けつけただろうし、また、電話して警察を呼ぶことだってできた。何故そうしなかったといえば、それは、カナちゃんとの約束だったからだ。

 

「お願いよ。パパの仇を――パパの足をあんなにした、憎き殺人犯を、殺してちょうだい!」

 

 カナちゃんは、怒りを宿した瞳で、ぼくに願ったのだ。

 

「警察? それは駄目よ。警察に捕まったところで、今の日本の法律じゃあ、あいつをくびり殺してやることなんてできやしないもの。――だから、代わりに、あなたの手でアイツを殺してやってちょうだい!」

 

 だから、警察を呼ぶことはできないし、また、お隣さんを呼ぶこともためらわれた。そうすれば危険に巻き込んでしまうし、なにより、警察を呼ばれてしまうかもしれなかったから。

 ――オジサンをこの手で殺してやる。

 その為に、殺されるかもしれないことを覚悟して、あえて、|敵の陣地≪シェルター≫までやってきたのだ。

 

 **

 

「おーい、開けておくれよ」

 

 くぐもった、低い声が聞こえてくる。それは、扉の向こうにいるオジサンの声だ。そして、ドンドン、と扉を叩く音がする。その度につっかえにした本棚がぎしぎし軋んで、ぼくは慌てて本棚を押さえつけた。

 

「駄目だよ。そこを開けることは、できない」

「はは、冗談きついなぁ。ここに閉じ込められたら、いくら忍者のおじさんといえど、ちょっと困ったことになるよ」

「ずっとその中で暮らしてきたんでしょう? どうしていまさら困ることがあるの?」

「……いい加減、開けてくれないかな」

「…………」

「開けろ! 開けなさい!」

 

 ドンドンという扉を殴る音。それはやがて、ドシンっという衝撃に変わった。扉が揺れ、つっかえの本棚が大きく軋んだ。ぼくは慌てて、ありったけのがらくたを引きずってきて、つっかえを再び補強する。本棚の後ろに、たっぷり本の詰まったダンボールをくっつけて、その上に。それでもまだ足りぬと、タンスを引き倒して、重しにする。そうすると、扉はとうとう、うんともすんとも動かなくなった。ただ、ドッシンドッシン扉にぶつかる衝撃音と、「うおおぉぉぉ! 開けろ、開けなさい、開けろぉぉぉ!」というくぐもった叫び声が聞こえてくるばかり。

 そうして、ぼくは最後の仕上げにかかる。リビングに戻ってガムテープを取ってくると、それを扉と壁との隙間に張って、めばりをする。

 それこそは、カナちゃんから授けられた、必殺の作戦だった。

 

「いいこと。なんとかアイツをシェルターに誘い出して、外から閉じ込めてしまうの。外からつっかえでもなんなりして、決して出られないようにしてしまうのよ。そうしたら、ここからが肝心よ。このガムテープで、しっかり目張りをしてしまうの」

 

 カナちゃんは得意そうに、こう語った。

 

「シェルターってのはね、金属の箱なのよ。ぴっちりと、一分の隙もないように溶接された金属の壁でできてるの。もし、地球全土が死の灰やら毒ガスやらに包まれても、自分たちだけは生き残れるように、少しの隙間もないように出来てるの。もし、隙間があるとすれば、それは扉ね。それで、出口にもぴしっと目張りをしてやって、万に一つも空気が出入りできないようにしてやるの!」

「そ、それって……」

「ええ、そうよ。アイツを窒息死させてやるのよ。あなたが、ダニーにそうしたようにね!」

 

 **

 

 ――いったい、どれくらいの時間が経ったのだろうか。

 ぼくはずっと、がらくたの上に腰掛けて、ぼうっと、掛け軸を眺めていた。

 最初、「開けろ、開けろォッ!」とすさまじかった怒号はやがて、「お願いだ……開けておくれよぉ」という弱々しい嘆願に変わった。かと思うと、ときどき思い出したように、「うぉぉぉぉッ、このッ、このォッ」と奇声が走る。

 そんなことが何度となく繰り返されるうちに、気がつけば夜が明けていた。ぼんやり窓の外が明らんで、カーテンから光が滲んでいる。

 扉を叩く音は、すっかり止んでしまっていた。オジサンの怒号も、懇願も、もう何も聞こえない。

 そういえば、途中、がりがり扉をかきむしるような音を聞いたような気がするけれど、ぼんやり頭がかすんで、何もわからない。

 ――いったい、どれくらいの時間が経ったのだろうか。

 もう何日間も、ずっとここに座り込んでいたような、ひどい疲労感があった。そう言えば、ひどく喉が渇いている。ぼくは、泥のように重い身体を引きずって、台所までやってきた。そうして、一息に水を飲み下した。途端、瑞々しい活力が、身体のすみずみまで行き渡る。

 

「ぷはーっ! 美味しいねぇ、一仕事した後のお水は!」

 

 ちょうど、そのときだ。

 

「ただいまー」

 

 玄関の方から、懐かしい声がした。

 

「ママだ! 出張から、帰ってきたんだ!」

「ユウちゃん、どこに居るの? 今日はね、とっても嬉しいニュースがあるのよ!」

 

 とんたんとんたん、嬉しそうな足音が掛けてくる。やがて、満面の笑みを浮かべたママが台所に入ってきた。

 

「ずいぶん早くに帰ってきたね。どうしたの? いつも出張って言ったら、何日も帰ってこないのに」

「これが、のんびり出張なんかやってられるもんですか!嬉しいニュースがあるのよ!」

「嬉しいニュース?」

「あなたのパパが――十年間行方不明だった、あなたのパパが帰ってくるのよ!」

 

 言うなり、ぼくの腕を取って駆け出す。普段あれほど廊下は走るなとうるさいママなのに、今日ばかりは様子が違う。とても、ほんとうに嬉しそうに笑っている。それは、今まで見てきたなかでも、とびきりの笑顔だ。

 

「きっと、とってもびっくりするわよ。なんせ、パパはとっても近くにいたのだから――」

 

 そうして、キャクマに飛び込んだママは、大きな大きな悲鳴をあげた。

 

 

       8.

 

 そして時は流れて、ボクは高校生になった。

 ボクは今では、すっかりカナちゃんを尊敬している。

 結局、あの事件の真相は、まったくカナちゃんの言った通りだった。ニンジャマンは恐るべき殺人鬼で、それが、こっそりぼくの家に住み着いていたのだ。

 ただ一つ、違ったところがあったとすれば、それは、その殺人鬼とは他ならぬボクのパパ、実の父親であったということだ。

 真相はこうだ。

 街一番の豪家であるカナちゃんの家に強盗に入ったパパは、人を殺めてしまった。それからはママに匿ってもらい、血のつながった子どもであるボクにさえ秘密にして、シェルターでこっそり、時効までの長い歳月を隠れ忍ぶことにしたのだ。誰にも見つからず、こっそり隠れ忍ぶという、あの《忍者》のように。

 

 けれど、そのニンジャはもういない。

 時効を迎えたちょうどその日に、ニンジャさんは死んでしまった。

 そして代わりに、「十年行方不明になっていた」パパが帰ってきたのだ。

 

「いやぁ、あの時はほんとうに死ぬかと思ったよ。どんどん息苦しくなって、すーっと意識が遠のいていって、ああ、これはもう駄目だ、と思ったものだよ。ママが扉を開けてくれるのがもう少し遅れていたら、きっと死んでしまっていたよ。血を分けた子どもに、それもあんな方法で殺されかけた親なんて、パパくらいのものじゃないかな。ははは」

 

 あの後、パパは笑いながらそう語った。

 

「あなた! もう、笑い事じゃないのよ。ユウも、パパを殺しかけるだなんて、とんでもない!」

「ごめんなさい……。だって、口を封じてしまうしかない、とか思わせぶりな事を言ってたから……」

「ああ、そのことか。口を封じると言ったのは、ユウに本当のことをすっかり教えてしまって――つまり、ユウのパパであること、訳あってパパはああして隠れてなきゃならないのだということ――それら全てをすっかり教えてしまって、そうして、決して口外しないよう言って聞かせるってことだったんだ」

 

 つまり、全ては勘違い。

 パパがボクを手に掛けようとしたというのは、完全な勘違いだったのだ。先生のことで、大人に対する恐怖・不信感に駆られていたボクの、被害妄想だった。

 

「パパも、思わせぶりな言動をしたかもしれない。久々に我が子と話せて、変に気分が高揚していたんだよ。ほとんど十年ぶりだったからね。はははは」

 

 などとパパは笑っていたけど、ボクは笑う気にはなれなかった。なにせ、勘違いでたったひとりの父親を殺してしまうところだったのだから。

 

 結局ボクは、カナちゃんに真相を告げることはできなかった。「ごめん。ニンジャサンのことは、全部ぼくの作り話だったんだ」と言うぼくを、カナちゃんは、「嘘つき! このアバズレ野郎!」と全力でなじった。そうして三日も経つころには、すっかり何もなかったかのように、いつもの二人に戻っていた。

 あの事件から何年も経った今でも、ボクとカナちゃんは仲良く、肩を並べて、同じ高校で同じ授業を受けている。

 一度だけ、あの事件のことを覚えていないか、それとなく聞いてみたことがある。カナちゃんの答えは、淡白なものだった。

 

「そんなことあったかしら? つまらない作り話で盛り上がったものね、あたしたち。そんなことより、今日は駅前のアイスの特売日よ。ぜひ帰りに寄っていきましょう」

 

 カナちゃんにとってあの事件は、ずうっと昔の、うつろいやすい記憶の色インクで仕上げられた昔話。他愛もない、子どもの作り話となっているらしかった。

 今となってはそんなことはどうでもいい。あの事件の顛末も、真相も、なんだってどうだっていい。今このとき、全てがうまくいっているのだから。

 

 今は、ボクとママと忍者を辞めたパパの三人。

 仲良く楽しく、我が家に三人住んでいる。




10,800文字


「『ニンジャさん』は『ニンジャ』じゃあないッ」
「『ニンジャさん』は『パパ』だったッ!」


大学生の頃の拙作です。それなりの長さのものを書こうという習作。
乙一を手本にしていた頃で、毎回ジョジョネタを入れることを自らに課していました。
STEEL BALL RUNが連載してた頃なので、白ネズミのダニーは割とタイムリーなネタでした。
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