三人称で書くこと、ファンタジーを書くこと、街の描写をそれっぽく描くことが目標でした。
<登場人物>
マリオン……王子。
ライラ……女騎士。マリオンの従者。
テオ……山賊まがいの小悪党。
0.
バークの城は燃えていた。
けぶるような黒々とした雲が空いちめんをすっかり覆い隠してしまってひとかけらの星すらも見つけることのあたわぬ、漆黒の夜であった。その深海のような深い深い闇夜のなかにあって、バークの城だけがこうこうと灯りにくべたかのように燃え上がっている。まるでそこだけ夜を切り取ったかのように明るい。城をとりかこむ何百という松明が、バークの城を燃え上がるがごとくに見せていたのだ。
もし、遠くこれを眺める者がいたなら、我が目を疑ったかもしれぬ。あの《不夜城》の伝説に紛れ込んでしまったのかと。――思いつく限りの贅沢をくべて夜を燃やし、昼とも夜ともつかぬらんちき狂宴のかぎりを十年もの間くりかえし、そうしてとうとう国を滅ぼしてしまったという伝説の暴君ノブツヌルの居城。音さえ眠るような真宵にあって、そこだけ夜を忘れたかのようにこうこうと輝くバークの城は、まさにその《不夜城》さながらであった。
だが、バークの城がこのような様相を呈したのは、つい先ほどのことである。それまでは、城壁のすぐ外に広がる城下町と同じように、まったくの暗闇のなかで寝静まっていたのだ。
ほんの一刻ほど前。城壁の向こうにぽつりと、ひとつの小さな火球が現れた。かと思うとそれはひとつまたひとつとだんだんにその数を増やし、そうして、光の大群となってバークの城を取り囲んだ。よくよく近づいて見たなら、それは、松明をかかげ持った兵士の大群であることが知れただろう。闇に溶けこむような黒色の鎧を身につけ、もう一方の手に槍を弓をまたあるいは剣をにぎって、音もなく立ち現れたのだ。そうしてとうとう、兵士の大群――それらは今や、光の壁となってバークの城をすっかり取り囲んでいる――はとうとう城門を破り、なだれをうって城内へ押しかけた。今や《不夜城》との違いは明らかである。すえた酒の臭いの代わりに血の臭いが城を満たし、笑い声の代わりに怒号と絶叫がバークの城を包んでいる。
すっかり変わり果てたバークの城を、遠くから眺める二つの人影があった。
「ああ、城が……城がまるで燃えているようだ」
少年がへたっと地面に座り込んで、こうこうと燃える城を呆けたように見つめていた。
「しっかりなさいまし、マリオン様」
そばに控える女騎士は、少年を抱えるようにして無理やり立たせる。
「今はとにかく、急いでここから逃げねばなりません。一刻も早くこの窮地を――敵の手に陥ちてしまったこの地を離れてしまうことです。ここまではどうにか、秘密の通路を使って逃げることができました。ですが、ここから先はこっそり逃してくれる女中も、秘密の通路もありはしないのです」
「……」
「マリオン様、どうかしっかりなさいまし」
少年はなおも黙して答えぬ。顔を食屍鬼(グール)のように真っ青に染めて、燃える城を呆然と見つめている。
「運良くマリオン様が城を逃れたということが知れたら、連中は必死になって追手を放つでしょう。それまでに、一刻でも早く遠くへ逃げねばなりません。さぁ、マリオン王子。時が移りますゆえ――」
少年は手を引かれるがまま、女騎士のなすがままに、ふらふらと歩きだす。
そうして二人は、まったくの暗闇のなかへと姿を消した。
1.
ライラは注意ぶかく暗闇をにらみながら、ウマを走らせていた。
満月の夜であった。夜空には無数の星々がひしめきあい、それを見守るようにひっそりと月が浮かんでいる。青白い月(イリス)の面がさえざえとした銀光をはるか地上になげかけ、闇夜にしずむ街道をぼんやりと薄明るく照らし出している――それは旅人にとってまさしく「導きの光」であった。だが、ここは森のなかである。慈悲深いイリスの導きの光も、このような深い深い森のなかには届かぬ。おしあいへしあいして林立する木々の枝々、いくえにも折り重なる葉々の天井にさえぎられて、一条の光すらも立ち入らぬ。そのような、まったくの闇のなかと言ってさしつかえないような深い深い森のなかで、ライラはウマを走らせていた。
足元をぼんやりと、赤い石畳がながれていくのが見える。それはつまり、どこからか微かに光が差しているということであり、しんじつ全くの暗闇に閉ざされていたというわけではなかったが、それでもこの《赤の街道》以外にしるべとなるようなものは何もなかった。瞳を左右に転じれば、そこにはおなじ色形の木々が連なるばかりで、とたんに右も左もわからなくなってしまう。頼みの赤畳さえ、目を凝らしていなければ容易く見失ってしまうほど、森のなかは薄暗い。そのような薄暗い森のなかを飛ぶような速さで、ライラはウマを走らせていた。その後ろから抱きつくようにしてマリオンが座っている。
「どうにか、月明かりのおかげでどうにかウマを走らせることができます。慈悲深いイリスに、ありったけの感謝を捧げねばなりませんね、マリオン様」
なにが感謝だ、暗くてなんにも見えないじゃあないか!と叫んだつもりのマリオンだったが、しかし実際には、うめき声ともつかぬ吐息が口から漏れるだけであった。
(うう……お尻がいたい。この体力おばけめ! これで一体、ほんとうに女性なんだろうか)
心のなかで愚痴をこぼして、腰を打つ衝撃と胸に迫る恐怖とにじっと歯を食いしばる。いくら目を凝らしても瞳に映るのはまっくら闇ばかりで、中空を駆けているかのような得体の知れぬ恐怖ばかりがあった。
「ねぇ、そろそろウマを止めて休まない? もう何刻も走りっぱなしだし、僕もそろそろ限界だよ……」
「それはダメです」
ライラは冷たくつっぱねる。
「運良く城から逃げ出すことはできました。ですが、あちらも第一王子――つまりマリオン様が逃げ延びたのを知って、すでに追っ手を放っているはずです。また、あちこちに人を放って、我々を捕まえようと監視の目を光らせているでしょう。なるべく人通りの少ない道を、なるべく早く、なるべく遠くまで逃げなければなりません。お分かりですね?」
それは、今まで何度も言って聞かせてきたことだった。この話を何度も持ち出せねばならぬことに、ライラは大変驚いていた。
(あの大人しくて聞き分けのいいマリオン様が、ここまでぐずられるとは。これは参った、マリオン様はそうとう疲れておられるようだ。それも無理もない話だ。正体不明の軍団に城を落とされ、命からがら逃げ延びてはや三日。これまでずっと、過酷な強行軍を強いてきた。昼は、なるべく人目につかぬ森のなかで眠りにつく。そして、いよいよ人通りの絶える夜になるとこっそり起きだし、一晩中ろくに休まずウマを走らせる。ずっとこれの繰り返しだ。私などは騎士のはしくれであるからこれくらいはなんら問題にならないが、マリオン様は違う。マリオン様は王子だ。それも宮廷の奥でひっそりと、ろくに剣を握ることもウマに乗ることも知らぬまま育ってこられた)
ふりかえって肩越しにマリオンを見る。日焼けを知らぬまっしろな顔は、積み重なった疲労のためにまっさおになっている。
この街道――というか、なかば森に呑みこまれつつある忘れ去られた街道――に入ってから、はや三刻は経った。最初のほうこそ、マリオンは元気にぴぃぴぃぎゃあぎゃあ悲鳴をあげたりしていたが、今ではすっかり元気をなくしておとなしく、というよりぐったりしていた。それは、ここ数日慣れない旅をするうちに積み重なっていった疲労が、とうとう限界まで達してしまって、表面にあらわれてきたようであった。
「もっとしっかり抱きついてくださいまし。さきほどから無茶な走りをしております、万に一つも振り落とされてしまいませぬように」
「うん」
と答えるマリオンであったが、ライラの腰に回した腕にはもうあまり力がこもってはおらぬ。
(やはり、マリオン様はもう限界のようだ。これはいけない。もしここで何かあったら、それこそ致命的な足止めをくうことになってしまう)
ライラは思いきって決意した。
「やはり、このあたりで休憩をとることにしましょう。幸い、どうもここは忘れ去られた街道のようです。石畳は見るかげもないほどぼろぼろですし、あちこち雑草が生えほうだいで、すっかり人通りが絶えて久しい。というか、いまだに森に呑み込まれずに街道としての姿を残しているのが不思議でなりません。……とにかく、幸い人通りはないようですから、ここで休んでしまっても問題ないでしょう」
「ほんとう? それは助かるよ!」
にわかに元気を取り戻すマリオン。
「よかった、思ったよりは元気があるようですね」
これなら明日は多少の無理がききそうだと、ほっと息をついたその時である。
「うわっ」
悲鳴のようなウマのいななき。そして急制動。
仁王立ちになって急停止したウマの背から、ライラは見た。道の両脇の木を結ぶようにかけられた縄が、行く手を阻んでいるのを。どうやら、ウマはそれに驚いて足を止めてしまったらしかった。
(しまった、これは罠か!?)
あとすこしでも低い位置に縄があったなら、ウマは縄を跳び越えていただろう。また、より高くにあったなら、身をかがめてくぐり抜けることもできた。跳び越えるには高すぎ、くぐり抜けるには低すぎる――狙いすましたような絶妙な高さで、縄は張られていたのだ。
ほとんど垂直に立ちあがったウマの背に、ライラはとっさにしがみつく。そこは女だてらに騎士をしているだけあって、なかなかの判断力と腕力であった。だが、マリオンは蝶よ花よと育てられた|もやし≪(・・・≫である。
「あっ」
と言う間こそあれ。マリオンは、宙高くに放り出されてしまった。マリオンの小さな身体は、逆さまになって頭から地面へと落ちていく。
「マリオン様っ!」
ライラは無我夢中でマリオンに飛びついた。
「ぐぅっ」
マリオンをかばって地面に叩きつけられ、呻吟の声を漏らす。
「お怪我はございませんか?」
「ぼ、僕は大丈夫だけど、それよりライラが……」
「わたくしめのことはお気になされぬよう。なに、これでも女だてらに騎士をしているだけあって、そこいらの優男よりはよっぽど頑丈にできておりますから。それよりマリオン様がご無事でよかった……もしお怪我でもさせてしまったら、申し訳が立ちませぬ」
と畏まられて、マリオンは申し訳なさそうに俯いた。
「ライラは生真面目に過ぎるよ。僕なんかに、そんなによくしてくれる必要なんてないのに……」
「何をおっしゃいます! いずれこの国を背負って立つお方が――ッ!」
背後に気配を感じて、ライラはとっさに振り返った。
「山賊かっ」
果たしてそこに居たのは、見るからに柄の悪そうな青年である。顔はそこそこ整った精悍なつくりをしていたが、伸ばし放題の無精ひげが全てを台無しにしていた。すすきれだらけのぼろを纏って、刃こぼれだらけの剣を二人に向けて、油断なく構えていた。
「ちっ、久々に罠にかかったと思ったらガキと女が一人づつか。それも荷物も持たず、お宝かついだ行商でもなきゃあ俺好みの女でもねぇ、とんだ外れときたもんだ」
ぶつくさ言いながら構える青年には、しかし油断なく二人を観察している。見た目よりはマシな使い手だと判断して、構えをとろうとすうるライラ。だが。
(しまった、剣が)
腰を探るが、剣がない。さきほどの衝撃で、鞘ごと飛ばされてしまったとみえる。しょうことなしに拾った石を握りこんで拳をつくり、マリオンを背に庇うようにして、身構える。
「控えろ下郎。マリオン様には指一本触れさせはせぬ」
「ほぉ、女のくせになかなかどうして大した度胸じゃねえか。徒手空拳でこのテオ様に啖呵を切るなんざ」
「そちらこそこうしてわたしに剣を向けたこと、後悔するなよ。このわたしに生半可な剣術は通じないと思え」
「大した自信だね。そっちこそテオ様を甘く見るなよっ」
男は、おもいっきり足を蹴り上げる!
足はむなしく空をきるが、男の狙いはほかにあった。蹴り上げた石が、ライラの顔面めがけて飛びかかっていたのだ!
顔面に手をかざして危なげなく受け止めるが、それによって一瞬視界がふさがれてしまう。敵の姿を捉えようと大きく見開いた目に、砂埃が飛び込んできた。
「おのれ、卑怯な!」
「まぬけめ、山賊に卑怯も|へちま≪・・・≫もあるかっ」
目昏になったライラは、いとも簡単に地面に打ち据えられる。だが、訓練のたまものというべきか、とっさに跳ね起きて構えをとる。そうして、ようやく砂埃のとれた目に飛び込んできたのは、絶望的な光景だった。
「さぁ、大人しくしてもらおうか。それ以上動いたら、この坊主の命はないぜ」
「あわわわわ、ライラ……」
それまで一度も振るわれることのなかった剣が、マリオンの首筋にひたと添えられていた。
「おのれ、卑怯者め!」
心底悔しそうに呻くライラに、男は冷笑を返してみせた。
「つくづくアンタってまぬけだな。言っただろ、山賊に卑怯もなにもないって」
**
マリオンとライラは、両手足を縛られ、地面に転がされた。男が手にした松明に照らされて、二人の丹精な顔がぼんやりと見える。
「ほぉ」
男が驚いたような声をあげた。
「暗くてよく見えなかったが、どうしてなかなか上玉じゃねぇか。特にガキの方なんか、男にしとくのが勿体ないくらいだ。こりゃあよっぽど高く売れるぜ」
「汚い手でマリオン様に触るなっ!」
お構いなしに、テオはマリオンのフードに手をかけた。
「あっ――」
それは、誰の声だったか。
「なんて、なんてぇ綺麗な髪だ……」
男の視線は、マリオンに釘つけになっていた。
目深にかぶったフードから、絹のようなみごとな金髪がこぼれている。松明の火を受けて、月光にぬれたような見事な色艶をさらしていた。やわらかな陽光を編んでつくったような、みごとな蜂蜜色の髪であった。
「こんな綺麗な髪は見たことがない。まるで日焼けを知らないような、綺麗な髪の毛をしている。正真正銘ほんものの金持ちの娘っ子しか持ちえないような、嫌ってほど手入れされた髪の毛だ。その髪の毛ひと房つくるのにいったいどれだけの金がかかったのか想像もつかねぇ。坊主、お前何者だ?」
「あ、その、僕は」
「答えてはなりません!」
慌てて遮るライラ。男――テオはにやりと笑った。
「ほぉ。その慌てよう、どうやらずいぶんとご大層な出自らしいじゃねぇか。どこかの大貴族の坊ちゃんと女連れ、愛の逃避行ってとこか?」
「おのれっ、貴様ッ」
からかうようなテオに、ライラは殴りかからんばかりの勢いで吠える。マリオンに剣を突きつけられてさえいなかったら、我を忘れて飛び掛ってしまっていかねない勢いであった。
「おっと、違ったか。それじゃあ順当に、坊ちゃんと侍女ってところかね。いや、ただの侍女じゃねえ。その身のこなし、やたら気位の高そうななまいきそうな口ぶり。落ちぶれて食うアテに困って騎士になった、どっかの没落貴族ってところか」
「ッ!」
「はっ、分かりやすい奴だな。そのとおりですって言ってるようなもんだぜ」
苦々しく俯くライラ。マリオンは、どうしていいか分からずおどおどするばかりである。
「はははっ、まさか本当にお貴族様だとはな! こいつは拾い物だ、まさに『山で真珠を拾う』ような幸運だ! ヌームの髭っつらにありったけの感謝を!」
気分よく高笑いする山賊とは対照的に、二人はこの世の終わりのような様子で空を仰いだ。空はしかし幾重にも折り重なった葉々の天井にさえぎられて、一筋の星すら見つけることもあたわぬ。漆黒の闇が口を広げているだけであった。
(このままでは、いったい何をされるか分かったものではない。なんとか、なんとか隙を見つけて逃げ出さなければ! ――イリスよ、どうか我らに導きの光を、ヌームよ、どうか我らに幸運を!)
(ああ、ヌームよ、どうか、どうか僕らを救いたまえ……)
2.
だが、二人の祈りもむなしく、そしてテオにとっては都合のいいことに、一行は無事に街のすぐ近くまでやってきてしまった。頑丈そうな外壁にかこまれた街の姿が見える。赤石畳敷きの街道が、足元から街へ向かってまっすぐに伸びている。
あの《忘れ去られた街道》でテオに捕らえられてから一晩が明けて、すでに時刻は昼である。高くのぼった太陽が、あたり一面を照らしている。ひさびさに見る太陽に目の眩む思いをおぼえながら、二人は街を眺めやった。
街はぐるっと外壁にとりかこまれており、ちょうど外壁と街道の交差するところに設けられた門は、槍を掲げた守衛によって守られていた。関門である。どこから湧いてきたのか、沢山の人が門へと吸い込まれ、また吐き出されている。門へと向かう人の流れ。それを遠く眺めながら、テオは二人を振り返った。
「いい格好だな、おい。そうやって仲良くウマの上ってのは、なかなかどうしてあんたら主従にはお似合いの格好じゃないか」
「……」
ライラは、じっと黙して答えようとせぬ。ただただ屈辱に顔をゆがめて、テオを睨みつける。
二人は相変わらず、ウマの背に前後してまたがっていた。だが、森のなかとはその並びがちょうど逆になっている。かつては、手綱を握るライラを前に、その後ろからしがみつくようにしてマリオンが、という格好だった。だが今は、手綱をにぎるべき前方にいるのはその心得のない筈のマリオンで、その後ろにちょこんとライラが腰掛けるている。そして奇妙なことに、そのどちらも手綱を握ってはおらぬ。マリオンは手綱の代わりに必死にウマのたてがみにしがみついていたし、ライラはというと、そもそもこちらは両手の自由が利かぬ。両手を後ろ手にしばられ、そうして腕の自由を奪われた状態で、ウマの背に乗せられていたのだ。
「いいか、くれぐれも変なことを考えるじゃないぞ。今、お前らの命は俺の手のうちにあるんだからな」
手綱は、テオの手にあった。二人をウマの背に乗せ、自由の利かぬ状態にして、ウマごと引いて歩いていたのだ。
「……くそっ」
いまいましく吐き捨てる女騎士と、不安そうに俯く少年。そんな二人にぼろ布が投げつけられる。
(うっ、臭い。それに汚い)
マリオンは顔をしかめた。ぼろ布と見えたそれは、よくよく見ると、青い布地の外套だった。それくらい、それは汚れていた。
「さあ、先に言ったとおり、そいつを着るんだ。そいつはヌーム教の巡礼者が着る外套だ。俺はおせじにも信心深い教徒って言えるわけじゃあないが、この外套だけは肌身離さず持ち歩いてる。なにせ、これさえ着れば、怪しまれずに関門を潜ることができる。ヌームの髭づらに感謝だな」
皮肉っぽく言うと、テオは二人に外套を被せた。マリオンの金糸のようなみごとな髪はすっかりフードの陰に隠され、ライラの縛られた両手はすっぽり覆い隠されてしまう。すると、それはもう何の変哲もない、巡礼目的の旅人の姿である。傍目には、よくある巡礼旅の一団のように映る。
「わざわざ関をくぐろうと言うのですか。賊のくせに殊勝なことですね」
ライラは憮然として言い放った。その瞳は油断なくテオを睨みつけている。もし少しでも隙を見せれば、という腹づもりであるのは誰の目にも明らかだった。だがテオはあまり気にしておらぬ体である。それどころか余裕の笑みすら浮かべてみせた。
「くれぐれも変な気を起こすなよ。俺にとっちゃあ、あんたらが生きようが死のうが、別段どうだっていんだ。騒がれて憲兵に捕まる前にさくっとあんたらを殺して、さっさと逃げちまえばいい。そうして、また別の金づるを探すまでのことだ」
「えっ」
「なん……だと」
呆然とする主従に、口の端をつりあげて冷笑を返してみせる。
「嘘じゃないさ。実際、これまでも何度かそういうことあったし、その度にうまくやってきた。いいか、俺は別にあんたらが騒ぎ立てたって、何一つ困ることはないんだ。どこか遠くの街へと逃げて、また同じ事を繰り返せばいい。ただそれだけのことだ」
自信たっぷりに言うのを見て、ライラは、男が本気であるのを悟った。男の話はおそらく真実なのだろう。これまでも、こうして自分たちのような旅人をさらっては人買いに売り飛すという山賊まがいの行いを繰り返してきたのだろう。抵抗する者は容赦なく殺してしまい、犯行がばれると別の街へと移る。そんなことを繰り返して、ここまで流れ着いたに違いない。そう確信させるような冷酷な瞳をしていた。
「おのれ、この下郎めっ」
(だ、だめだよライラ! この人の機嫌をそこねちゃ、何されるか分からない)
ライラに、こっそりマリオンが耳打ちする。その声は恐怖に震えていた。
(ですが、マリオン様!)
(今はだまって言うことをきくより他はないよ! それに、ひょっとすると、これはこれで都合がいいのかもしれない)
必死の形相で説得するマリオンに噛み付く。
(マリオン様!? それは、一体どういうことですか。どうせこの男は、わたし達を人買いにでも売り払う魂胆ですよ。よもや、このまま人買いに売られてしまうのが好都合だとでも仰るつもりですか!)
(そ、そういうわけじゃないよ! ただ、こうして変装していれば、もともと予定したようにこの街に入る分には、都合が良いんじゃないかって)
あっ、とライラは声を上げた。どうあってもこの街を通らねばならぬ。そして、どうやってこの街を抜けるかがもともとの頭痛のタネだったのだ。
二人の目指す西へと抜ける街道は、すべて、いったんこの街へと集まるようになっている。隣国方面へ抜けるには、どうあってもこの街を通らなければならぬようになっている。それはいざというときに通路を制限するという軍事上の要請からであったが、平時にあっては、隣国方面との物流を管理する関所の役割を担っていた。一人一人荷から顔から点検され、そうして番人に「よし」と言われてはじめて街を通るすることが許されるのだ。
(ここが正念場だ。もしわたし達二人を探そうとするなら、この関で網を張るのが一番の方法なのだから。また、あまり考えたくないことですが、この街自体すでに敵の支配下に置かれているという可能性もある)
この街を通らなければならぬ。そうすれば、敵に見つかってしまう可能性が高い。が、だからといって、この街を通らずにすます、というのはとうてい不可能なことであった。街道を外れれば、そこは深い森が連なっている。そのような深い人の立ち入らぬ森には、妖魔が巣食う。いかな腕に自信のあるライラといえども、ろくに剣も振るえぬマリオンを連れて無事に突破できるなどとは夢にも思わなかった。もし万一、無事に森を抜けられるような僥倖があったとしても、大幅に時間を食ってしまうことは間違いない。運良く森を抜けて街にたどりついた頃には、より厳重な手配がしかれていることだろう。とにもかくにも、素直に街道を通るよりほかになかったのだ。
この「街を通らぬわけにはいかぬ。だが、街を通れば、敵に見つかってしまう可能性が高い」という八方塞りの状況が、にわかに解決しつつあったのだ。
(……なるほど。そう考えてみると、たしかに悪い状況ではありませんね)
実際は、手足の自由さえ奪われた捕虜の体であり、事態はより深刻な方向へかたむいていたが、ライラはそんな状況さえすっかり忘れてしまったかのような明るい調子で言った。
今度はマリオンが慌てて釘を刺す番だった。
(で、でも、うまく関を抜けられる保障はないよ。もしうまくいったとしても、今度はアイツに何をされるか分からないんだよ!)
(大丈夫です、マリオン様。このライラが命に代えましてでも、無事にマリオン様を守り通してみせますとも。ええ、ヌームの聖なる蹄に誓って!)
不安そうに震えるマリオンを、励ますようにライラは言った。ライラの声は明るいものであったが、そうであればあるほど、マリオンの不安は募るのだった。
そうやって相談する二人の様子を、テオはぬけめなく観察していた。
「さあ、そろそろ覚悟も決まっただろう。いいか、さっき俺が言ったとおりにするんだ。フードを深く被ってうつむいて、じっと黙っているんだ。二人とも、特に坊主のほうは絶対に顔を見られるなよ。お前らの顔は目立つからな。顔を覚えられてしまったら、後々厄介なことになりかねない」
今度は、マリオンに促かされるまでもなく、ライラは自らすすんで頷きを返した。テオは満足そうにうなづくと、ウマを引いて門へと歩を進める。こうして、同じように門へと向かう旅人や行商に混じってしまうと、もうなんの違和感のない旅の一行のできあがりである。傍目にはよくある巡礼旅の家族づれといったふうに見える。なるほど、こうするとこの極悪人すらも、弱腰の妻子をウマに乗せ自らはウマを引いて歩く善き夫、といったふうに見えるのだ。しぶしぶながらライラも、変装は完璧であると認めざるを得なかった。
門をくぐろうとした三人を、番人が引き止め誰何する。
「へぇ、見てのとおりの巡礼です。西の聖地を目指して、西国方面へ抜ける途中でさぁ」
「そんなことは見れば分かる。そう言ってここを通っていく巡礼者は、それこそ山のように大勢いるからな。だが、それでも調べないというわけにはいかない。巡礼者に寛容なのをいいことに、巡礼者のフリをして関をくぐろうとするお尋ね者もまた後を絶たぬからな」
「そういうことでしたら……」
大柄な番人にうやうやしく頭を下げると、テオは自らフードを取ってみせる。そこから現れたのは精悍な、しかしだらしなく伸ばし放題の無精ひげがすべてを台無しにしてしまった青年の顔である。
「おい、そっちの者もよく顔を見せろ。フードを脱ぐんだ」
男の手がマリオンの外套に伸びた!
(いけない!)
ライラは絶叫しそうになった。万が一にも、ここでマリオンの素顔をさらすわけにはいかない。敵の監視の目がどこで光っているか知れないのだ。
「ダメだ、とっちゃあいけねえ!」
だが、突然投げかけられたテオの悲鳴が、番人の手を引きとめた。
「おいどうした、なぜ止める」
いぶかしがる番人に、悲痛な表情を浮かべてテオは説明する。
「実はこの子、生まれつき身体が弱くて、とうとう病をわずらいまして。外の空気を浴びると、顔が崩れていく奇病でさぁ。お医者さまも、これはもうどうしようもない、かくなる上は運命神ヌームにお祈り申し上げて奇跡を賜るしかない、って匙を投げられまして。それで、藁にもすがる思いで、こうして聖地に向かってる最中でして……」
と聞くやいなや、男は慌てて手を引っ込めた。
「そ、その病は、伝染ったりはしないのだろうな?」
「さぁ、医学の心得のないオラには、そればっかりはなんとも。だども、少なくとも今まで病気をもらったという者は、オラ達夫婦を含めて一人もおりません。こうして、なるべく外の空気に触れないように気をつけておりますので」
「そ、そうか。ならば通ってよし。――さあ、さっさと行け、くれぐれも外套を脱がぬように気をつけてな」
「おお、ありがとうございますだ! そのような温かいお言葉をいただいて、なんと言って感謝を示せばいいか……」
「わかった、わかったからさっさと行ってしまえ!」
そうして、一行は無事に関を抜けることができた。
「うう、緊張した……」
緊張の糸が切れたのか、マリオンはウマの背にもたれかかって大きな息を吐いた。つられて、ライラも大きく嘆息する。
「……呆れた。よくもまぁ、あれだけ舌が回るものだ」
「はっ、伊達に何年もこんな商売やってないんでね」
軽口をたたくテオを忌々しげに睨み付けるライラの胸中は、複雑なものであった。
(無事に関を抜けられて、ひとまずは安心といったところか。しかし、これは思っていたより厄介な状況だ。この男、粗野で乱雑な性格かと思ったら、見た目よりずっとぬけめのない性格をしている。果たして、無事にこの男から逃げ出し、西へと抜けることができるのだろうか? いやいや、弱気になってどうする! 今この状況では、マリオン様をお守りできる者はわたししかいないのだ。なんとか、なんとかしなければ!)
ライラの焦燥はつのる一方であった。
3.
そうして一行は無事に関を抜けることができた。すると、そこはもう街のなかである。
街は道行く人で溢れんばかりだった。
街の中央をまっすぐ貫くように、大きな道が通っている。それは四頭立ての巨大な馬車同士ですら楽にすれ違えるような大きな道であったが、それでもこれほど多くの人間が満足に行き来するにはとうてい力不足であるらしかった。道は往復の別なく行き交う人々でごったがえしており、人々は肩をぶつけるようにしてようやくすれ違うことができた。歩行者同士でその有様だから、ウマなどとすれ違うのはさらに難儀である。馬車を引くウマを迷惑そうに避けて、その先からやってくる人を押しのけるようにして、ようやく道を進むことができたのだ。
巨大な道の両脇では、簡単な屋根をこしらえた屋台や、布を広げてその上に商品を並べただけの露店など様々な出店が連なっていて、道行く客を捕まえようと熱心に声を張り上げている。道行く人々の喧騒、露店の店主の声――あちこちで生まれた声は幾重にも響きあい重なりあい、うわーんという悲鳴のような喧騒となってあたりを包んでいた。
「うわぁ、すごい! こんなに沢山の人がいる街なんて、これまで見たことがないよ!」
囚われの身であるということすら忘れて、マリオンは喜色ばんだ声をあげた。果たして、いったいどれほど多くの人間がこの街にいるのだろうかマリオンには見当もつかなかった。
「都合上、西へ抜ける街道のすべてはこの街を通るようにできていますから。西へ抜ける人のすべてが、いったんこの街を通るのです」
「それで、この街はこんなにも多くの人でにぎわってるんだね。そう言われてみれば、行商人や旅人の姿が多いような気がする」
「ほんとう、大変な賑わいですね」
街はたいへんな賑わいぶりである。
(ひょっとしたら、この街も「敵」によって制圧されてしまったかもしれないと思っていましたのに)
しかし、こうして実際に街のなかへ入ってみると、それがまったくの杞憂であったことが知れた。街の者は、この国を統べる王城が何者かによる奇襲を受け一夜のうちに制圧されてしまったなどとは、夢にも思ってはおらぬ様子である。街は、普段となにひとつ変わらぬ日常そのものを生きているようであった。
(ああ、まるで夢を見ているようだ。こうして命からがら城を抜け出し、ただ一人でマリオン様を守りながら、ひたすら西を目指して……)
そっと目を閉じる。そうすると、つい昨夜、忌々しい山賊まがいに捕まる前にマリオンと交わした会話が思い出される。
「あの夜、一体なにが起こったのか、確かなことは分かりません。ただ一つ言えることは、あの夜いつの間にか出現した黒い鎧の軍団によって、城は取り囲まれそして落とされたのだということです。……それこそ、軍団はまるで魔法のように突然に立ち現れました。それまで、どこかの国の軍隊が動いただの、どこそこの街道を軍隊が通っただのといった情報の一切がもたらされていなかったのです。なにせ月も隠れているような暗い夜のことでしたから、正確な数は分かりかねますが、それでも松明の数からして数百人規模の兵士からなる軍団であったように思います。そんな大規模な軍団がなんの足跡も残さずに、それも国の最も深く首都に、まるで降って湧いたかのように現れた。これは常識で考えてありえないことです。こんなことができるとしたらそれこそ魔道か、あるいはあまり考えたくはないことですが誰かが裏で手を引いたか……」
「そんな……」
「どちらにしろ、城は敵の手に落ちてしまったのだ、ということに変わりありません。ですから、今すべきことは、ここはもうすっかり安全だというところまで逃げてしまうことです」
「安全な場所……ほんとうにそんなところがあるんだろうか。ぼくは、城のなかこそ最も安全なところだと言われ、またそう固く信じて育ってきた。その城もわずか一夜にして失って、わけも分からぬままにこうしてどことも知れぬ森のなか、打ち捨てられ忘れ去れたわびしい街道のなかを走っている……。それに、そうだ、いったいどこへ行こうって言うんだ? こんな僕なんかが――『呪われた子』と呼ばれるこの僕なんかが頼りにしたって、迷惑がられるのがオチだ。頼れる人なんているわけがないよ……」
「ばかなことを仰らないでください! それに、あてならちゃんとあります。エウノイ郷を頼ろうと思います。あの方はマリオン様によくしてくださった方ですし、幸いあの夜折りよく自領に帰っておいでだったから城にはおられなかった。もし国中が敵に回ったとしても、マリオン様のために億万の軍勢に立ち向かってくれるような信のおけるお方です。あの方をおいて他に、頼る相手はいないでしょう」
そうして、ひたすら西を目指して走ってきた。西へ、ひたすら西へ。そのように思い定めて。それ以外のことは、何一つとして分からぬ。
こうして顧みてみると、自分たちの置かれた状況について何一つとして分かっていることがないのだ、ということを改めて感じずにはいられなかった。
だが、と気を引き締める。
(だが、これは紛れもない現実なのだ。ええ、マリオン様のためにも、これしきのことでへこたれてはならぬ!)
馬上で、ライラは決意を新たにする。その前では、はじめてみる光景に目を輝かさせている主君の、年相応の暢気な姿があった。しかし、それもつかの間のことであった。大路の脇を折れて、小路へと曲がったその瞬間――
街の雰囲気ががらりと一変した。
あれほどにぎにぎしかった喧騒が、まるで潮が引くようにさーっと遠のいて、まるで一筋河を隔てたむこうがわの岸から響いてくるような遠くて低い、どこかおぼろげな響きへと変わった。まるでそこに不可視の膜があって、その向こうに広がる夢の世界へ迷い込んでしまったかのような、それは劇的な変化だった。だが、無論それは、夢の世界に迷いこんでしまったわけでもなんでもなかった。大路を外れて、よくあるわき道の一つへ入っただけのことである。たったそれだけのことで、街はがらりと姿を変えてしまったのだ。
そこは、両脇を石造りの建物に挟まれた小路であった。というより、連なる建物の間にできた、通路のような隙間と言ったほうがいっそ適切だったかもしれぬ。それくらい、ひっそりとうち寂れた、不気味な場所だった。
石造りの壁の影がおちて、昼間だというのに薄暗い。薄暗い路地にしめった風が吹くと、砂埃をまきあげて喉を突く。思わず咳き込むと、けほけほという音が大きく響くのに驚かされる。溢れんばかりだった人だかりは、今や数えるほどしか見当たらず閑散としていたのである。そのわずかばかりの人さえも皆後ろも振り返らずにこそこそと足早に歩いていってしまうので、果たして同じ街中なのかというくらい小路は閑散としていた。
露店もないではなかったが、これまでとは随分と趣を異にしていた。フードを目深にかぶった怪しげな、男とも女ともつかぬ格好をした者が、布の上に曰くありげな品物を並べたまま、声もあげずにじっと俯いている。ライラやましてやマリオンには預かり知らぬことではあったが、それは盗品商であった。その少し向こうでは、まだ陽も高いというのに露出のはげしい派手な格好をした女が、壁にもたれかかってこちらを窺がっている。それが娼婦であるというのはマリオン以外の者には明白であったが、そうとは知らぬマリオンにさえ、色目を流してくるのである。どぎまぎしながら、マリオンはあわてて顔を背けた。
だがしかし、顔を背けた先に、すりきれだらけのぼろを纏って地面に転がる者を見つけて――それが乞食であるといことは流石のマリオンの目にも明らかであった――マリオンはとうとう俯き、得体のしれぬ不気味さにおののき震えはじめてしまった。年相応に敏感で臆病なマリオンは、早くもその独特な雰囲気に気圧されはじめていたのだ。
(なんなんだろう、このひどく不気味な路は。薄暗くって静かでそれに、なんというかひどく柄が悪い。ついさっきまでのあのにぎにぎしさがまるでうそみたいだ)
不安にうち震える主の姿に、居ても立ってもいられぬといった様子で、ライラが口を開く。
「これからわたし達をどうするつもりなのです?」
表情を引き締め、ならず者を睨みつける。それまではじめてみる光景に浮かれ気味だったマリオンも、流石にここにきては顔を青ざめて、男と従者とを見つめた。
「さぁて、どうしたものかな」
「ふざけるなッ、わたし達をどうするもなにも、お前の匙加減ひとつだろうが! こんな怪しげなところまで連れてきておいて、いまさら何をとぼけるつもりだ!」
「いやいや、俺はいたって真面目だよ。ふざけるも何も、お前たちの身元が分からないことにはどうにもならねぇ。もし大金持ちの貴族の坊ちゃんだってんなら、身代金をたっぷりふんだくることができるんだが、従者の嬢ちゃんは決して身元を吐かねぇだろう。だったら、この坊ちゃんにちょいと痛い思いをしてもらって、ゲロしてもらうまでなんだが――」
「ひっ」
男の冷酷な瞳がマリオンを貫いた。襲い掛かる恐怖にたえかねて、思わずマリオンは悲鳴をあげる。
だが、不安に押しつぶされそうなのは、マリオンだけではなかった。手も足も出ぬまま、とうとう連れてこられた怪しげな雰囲気の小路。何も分からぬ現状。たった一人で小さな主を守りきらねばならぬという重圧。ライラは、ほとんど泣きつくように叫んだ。
「そっ、それだけは、それだけは止めてください、後生ですからマリオン様だけはどうか、どうか見逃してください!」
テオは一瞬驚いたような顔をする。だが、「生意気」と称した女の、予期せぬ態度に気分をよくしたのか、厭らしいにやりとした笑みを浮かべて言葉を続けた。
「まっ、そこまで言うなら、勘弁してやらないこともない。ほんとう言うなら、俺もこの坊主は傷つけたくはないからな」
「えっ」
「どうした、|豚≪ピグ≫が鼻をぶつけたような顔しやがって。考えてもみろ。肝心要の家名を聞き出すことはできねぇんじゃあ、強請るなんてできやしないだろう? そもそも、お貴族サマを強請るなんて分が悪すぎるんだ、相手が悪すぎる。イカサマ無しで胴元に博打を挑むようなもんだ。諦めるしかない」
ライラの顔に安堵の色が浮かぶが、それは瞬くうちに絶望へと塗り替えられた。
「だが、幸いというべきか、坊主は美の女神(イリス)の寵愛を一身に受けたような綺麗な顔した美少年ってやつだ。俺としても、この坊主を傷つけるわけにはいかねぇ。こんな極上の商品に傷をつけるワケにはいかないからな」
「まさか……」
「そうさ。売り飛ばしてやるのさ、お前ら二人まとめて娼館にな!」
15,572文字
初めての三人称、初めてのファンタジーに挑戦した習作。
ところどころ、グインのまるパクリです。
かわゆい男の娘を娼館に売り飛ばすというのを、当時の私は書きたかったらしいです。
なお、街の雰囲気が変わる描写は、転生作家の花火回の糧となっています。