斬撃の極地に恋い焦がれるひとりの剣鬼がいた。
「呼吸」を使えぬ無息の剣士、首塚持暇。
その手に掴むは剣の頂か。それとも地獄の砂礫か。
すべてを斬り裂く大正剣戟浪漫。
とある街道沿いの、ちいさな旅籠屋の一室。
和装の上からまっくろな羽織を羽織った、ひとりの青年がいた。
彼は、ひとふりの刀を抱きかかえ、窓の外、さえざえと青白い夜の月をぼうっと眺めていた。
そんな青年をじっと見つめる一対の瞳があった。
暗闇に浮かび上がる、黄色い眼。
それは、
「カァァー!」
と不気味ないななきを上げた。
鴉である。
ある種の鳥は、人に似た声帯をもち、人にきわめて近い声を出すことができるという。人に近く、それでいて決定的に異なる声。それが、聞く者を不快にさせる。
その不気味な声は、ところが、なんと人語を喋った。
「〇〇町ニ一体のノ鬼ガ出現! 近クノ乙ノ隊士二名、並ビ二丙ノ隊士一名ハ、急イデ向カッテネェ~!」
声は言う。身命を賭して、鬼を討てと。
その報せは青年――首塚
彼は、カッと瞳を見開き、うれしそうな声を出す。
「ほう、入隊早々に鬼か。これは幸先良い。さっそく斬ることができる」
持暇は、そわそわ身を揺する。
刀の柄に手を触れれば、カチャカチャ刀身が震えだした。
「逸るな、俺。これは未熟だぞっ」
持暇の口許がおおきく裂ける。
興奮に昴る熱い吐息が、ハァと漏れた。それは、しかし、その身にこもる熱のほんの一割にも満たぬ。
身体を焦がす熱を持てあました持暇は、はだけた上着もそのままに、夜の町へと駆けだした。
「ああ、
夜風をその身に浴び、持暇は無人の町をひた駆ける。
その瞳には、ぐるぐると狂炎がうずまいていた。
**
二人の若人と、一人の鬼が対峙している。
若人は、そろいもそろって同じ格好である。
詰め襟のまっくろな西洋着に、腰に携えたひとふりの刀。それだけ見たなら、憲兵や軍人と間違えたかもしれぬ。
けれども、「滅」の字を背負った上着。瞳にたぎる憎悪の炎。それらが、彼らがまっとうな人間ではないことを知らしめている。
鬼殺隊。
鬼への憎悪にその身を焦がす復讐の修羅どもは、自らをそう称した。
街路に居並ぶ二人の修羅は、ぎりりと剣をにぎりしめ、ぐつぐつたぎる殺意を眼前の鬼に放射する。
夜の町である。すっかり日は暮れ、ほこりっぽい砂利道の両脇のガス灯が、ぽつぽつ夜の帳を照らしている。
ガス灯の明かりにぼんやり浮かびあがる、鬼殺の修羅どもと鬼の姿。
彼らを見とがめる者は、いない。
もしも誰かしら町民がいたなら、この修羅どもの放つ殺気に怯え、さっさと長屋にこもって見て見ぬふりをしたに違いない。
と同時に、この年若い隊士たちの、怯えの表情にも気付いたはずだ。
「これが、手練れの鬼……」
隊士にはそれぞれ、連絡係の鴉がつく。
それは、鬼殺の仕事を言いつけるだけでなく、討滅対象となる鬼の情報もまた、知りうる限りを伝えてくる。
「カァー! 目標ノ鬼ハ、人ヲ喰イ荒ラシタ手練レ! 手練レ! 鬼血術ヲ使ウ! 気ヲツケテネェ~!」
彼らは現場に向かう道すがら、今回の相手の情報を得ていた。藤の山に閉じ込められていた「試し」用の小物や、それと選ぶところのない、これまで相手にしてきた雑魚とは格が違うと。
実際、こうして対峙しているだけで、ずんと肩にのしかかる重圧を感じる。
「こいつ、強い……!」
隊士たちは、腰の日輪刀を抜き放つ。
じりじりと、二人同時に歩を進め、間合いを詰めていく。
何かしらの打ち合わせがあったわけではない。ただ、己一人で挑みかかることの無謀を、それぞれが悟った。その結果として、即席の連携が生まれたのだ。
そんな隊士を、鬼は嗤う。
「どうしタ、かかっテこないのカ。このまま、日ガ昇るマデ待つつもりカ?」
筋骨隆々の、小山のような鬼。
どういうわけか、鬼は半裸である。禿頭からつま先まで、びっしりと葉脈のような血管が体表を覆い、目を背けたくなるような醜悪な姿であった。
その鬼が、ケタケタと嗤っている。
「っ」
安い挑発であった。けれども、それは、硬直した場を動かすには十分なキッカケであった。
隊士は、いよいよ心を決めたと見える。コォォォ、と独特の吸気音を発したのだ。
緊張が高まり、ついに弾けるかと思われたそのとき――
「む。俺が最後か。……良かった、戦はまだはじまってはおらんようだな」
持暇はやってきた。
対峙する両陣営のちょうどまんなかに、目を爛々と輝かせてまろび出た。小山のような鬼を見て、嬉しそうに笑う。
「ほぅ。これが此度の
親しい友人に語りかけるような、嬉しげな声。
そのまま近寄って、ぽんと肩を叩くかのような気軽さで、彼は刀を振るった。
「ハッ、イキナリごあいさつダナ」
鬼は、咄嗟に後ろに跳んで刀を躱す。
持暇の刃は、決して速いわけではない。それというのも、彼は呼吸を使えないのだ。
鬼殺隊の隊士は「呼吸」なるものを使う。限界以上に膨んだ肺が、大量の酸素を血液にとりこみ、細胞の好気呼吸によるエネルギー産出を爆発的に向上させる。すなわち、人外じみた身体能力を発揮させる。
心臓は早鐘のように脈打ち、体温は流感でも患ったかのように熱くなり、使用者に耐えがたい苦痛をもたらす。その苦痛とひきかえに、鬼にも匹敵するような膂力・瞬発力を得ることが出来るのだ。
そうした呼吸の恩恵にあずかることのできぬ持暇の刀は、決して速くない。呼吸も使わぬ斬りこみは、鬼の虚を突けはしても、有効打にはなりえない。
その筈であるにも関わらず。
持暇はなんの気負いもなく、斬れば斬れるのだと言わんばかりの気安い口調で、居並ぶ隊士の尻をたたいた。
「いかんな。そんなに縮こまっていては、斬るものも斬れん。脱力こそが武芸の肝よ。ほれ、こんなふうにな」
すとんと肩を落とし、ゆっくり息を吐く。
それだけで、持暇はまったくの自然体のように脱力した。
もちろん、完全な自然体になったわけではない。手先は刀の柄を撫でていたし、口許は裂けんばかりの喜色をたたえ、鈍色の瞳は狂ったように鬼を見据えていた。
それは、解き放たれる瞬間を今か今かと待ちかまえる、肉食の獣のように見えた。
「気狂いだ」
と誰かが言った。誰もがそう思った。
「カカカ。これハ愉快。この男ヲ気狂いダと言うガ、お前ら『鬼殺隊』ハ皆そうではないカ。鬼、鬼、鬼とミナ狂ったヨウニ言ウ。まるデ、男ニ焦がれる馬鹿な小娘のようニ」
鬼が嗤う。
鬼に家族を殺され、復讐に狂った修羅どもを嘲る。
「お前が言うか、鬼のお前がッ!」
隊士たちは怒りで顔を赤黒くする。
憤怒で肩をいからせ、息を乱し、刀の柄を握りしめる。
――それは明確な隙だった。
「
鴉の伝えたとおり、鬼は手練れであった。
つまり、鬼殺の隊士の対処法をよく心得ている。呼吸を乱してやればよいのだ。
「血鬼術<
たくましい鬼の右腕が、限界を超えて膨張する。
身の丈ほどもおおきくなった拳が、三人に向けて放たれる。呼吸を乱した隊士の機先を制す形で。
「チッ、これを受けるのはマズイか。避けろ!」
その声が響くが早いか、鬼滅の隊士たちは散開する。
コォォォ、と独特の呼吸音を発して、地面を一蹴。横に跳び、後ろに跳び、あるいは空に跳び、四方八方へその身をひるがえす。
ただ一人の剣士を残して。
呼吸をあつかえぬ<無息の剣士>持暇。
彼は日輪刀をいよいよ抜刀。まっすぐ正眼に構え、拳撃を待ち構えていた。
「バカっ、何をしている!」
一人とりのこされた剣士の哀れな最期を想像して、隊士が悲鳴をあげた。
その悲鳴ごと、
「斬る」
剣士は斬り捨てる。
上から下へ、まっすぐに刃を振りおろす。派手さ華麗さの欠片もない、どこまでも基本に忠実なひとふり。
他の隊士のような、派手な剣技ではない。水や炎を幻視させる迫力ある「型」と引き比べれば、それは、ただの棒振りにすぎない。
それなのに、その一撃はひたすらに美しかった。
研ぎ澄まされた一閃。
それを目にした者は、誰もが我を忘れ、見入ってしまう。
血霞のけぶるおどろおどろしい戦場に突如としてあらわれた、清水がごとき一閃。
それは喩えるなら、まっくろな夜空に尾をひいて流れる、ひとすじの流れ星。
「帚星……」
ひとりの隊士がぽつりと呟く。
彼は足を止め、すっかりその一閃に見入っていた。
それは人外の身体能力をほこる鬼を相手にする戦いにおいて、致命的な隙をもらたす愚行に他ならない。
けれども、もうひとりの隊士も彼を責めることができないでいた。なんとなれば、彼もまた忘我していたのだ。
例外は二人。
ひとりは剣閃を放った持暇である。
この見事な一撃を放った彼は、しかし、すこしも満足も慢心もせずに、次なる一撃をくりださんと刀をかまえている。
いまひとりは鬼である。
ひと目見れば嫌でも技量の高さの知れるこの一撃も、ひょっとしたら剣を扱わぬ鬼の目には凡百のそれと区別が付かなかったのかもしれない。
なにより、この奇妙な現象を前にした鬼は、それどころではなかったのだ。
「なぜダ、なぜ俺ノ拳ガ斬れル」
すっぱり両断された己の右腕を見て、茫然と声をあげる。そんな鬼に、持暇は淡々と答える。
「ただ斬っただけにすぎぬ。呼吸など、俺には使えぬ故な。俺ができることは唯々斬ることのみよ」
「呼吸モなしニ俺の拳ヲ斬ったダト!? そんなバカなことガあってたまるカ、俺の拳ハ鋼より硬いンダ!」
「そうか、お前の拳は鋼よりも硬いのか!」
持暇は喜色ばんだ。
「これは喜ばしい。俺はとうとう斬鉄をかくも容易く為せるようになったぞ。さあ、次は俺に何を教えてくれるのだ?」
「フザケルナ! お前ニくれてやるノハ、この拳ダ!」
鬼の全身が赤黒く染まる。
身体をはしる動脈が、はげしく血潮を滾らせたのだ。
それをかわきりに、鬼の身体は変貌する。
切断された右腕からは、ひとまわりおおきな巨腕が生え。血管のつくる網目から、ぼこりと筋肉が飛び出す。それは、みるみるうちに全身を覆い、巨大な筋肉の肉だるまをかたちづくった。
その姿に、いつのまにか持暇の後ろに並んでいた隊士たちは、ごくりと息をのむ。
「まさに巨岩のような鬼よな」
と嘆じる持暇もまた、落ち着き払っているというわけではない。彼は、身をふるふる震わせていた。
「フハハ。さしもノ気狂いモ、怯えを隠せヌようダナ! これぞ我ガ血鬼術<金剛色>の本懐ヨ。今や俺ノ全身ハ鋼鉄そノもの。しかモこの巨体。お前ノちっぽけナ日輪刀デハ、文字通り刃ガたたヌ!」
鬼は機嫌良く嗤う。
けれども、それは、早とちりだった。
「おお、なんと素晴らしい……! 人の形をした鋼鉄! 動き回る
持暇はハァと熱い息を吐く。刀の切っ先がカタカタ震えて、それは、彼の異様な興奮をあらわしていた。
「ちょっと、見てよアレ」
「げぇ……マジかよ。ホントに頭オカシイんじゃねぇのか」
隊士たちは、持暇を見て嫌そうな声をあげた。
股間がいきり立っていたのだ。
「コノ気狂いガァァァァア!」
ギチギチと鋼の筋肉が耳障りな音をあげる。ひきしぼられた筋肉が、力をたくわえ、そしていよいよ解放される。
鬼の巨躯が、砲弾のように飛び出した。
それは、先ほどの一合を糧とした攻撃だ。万が一にも腕を斬り落とされぬよう、がっちり腕を組み、肉の塊となって肩からぶつかってくる。
それを、持暇は一歩右に動いて避ける。
しかし。そこはすでに、鬼の間合い。
「ヌゥ!」
刀の振れぬ近距離。
そこが己の独壇場だと知る鬼は、腕を解き、好き勝手に拳をふりまわす。
それを、持暇は紙一重で躱していく。
左の裏拳を、腰を落として回避。はらりと前髪が散って――
持暇を追うように、鬼の上半身が回転。腰の捻転に押しだされた蹴撃を、体側に回りこんで逃れる。
再度掴みにきた左の拳を、前方に身体を倒してすれ違う。
ダメ押しの右の拳が振ってくるのを、足を止めてやり過ごす。
――ひらりと髪が地面に落ちた。
持暇は、地面を殴りつけた鬼の腕を蹴り、その反動で間合いをひらく。鬼は茫然と、その挙動を見送った。
「何故ダ、何故そんなトロイ動きデ、俺の拳ヲ避けることガできル?」
「何故もなにも、お前の動きなど見え見えよ」
持暇はたいへん優れた「目」を有する。
人外の身体能力で以て繰り出されるおそるべき拳撃も、持暇の目には、牛の歩みのごとく緩慢に映る。
動きの起こり、あるいは予備動作と呼ばれるものから、残心までの一連の動き。重心が傾き、微細な筋肉の動きに連動して、身体のあちこちが稼働していく様。その一部始終が、持暇には手に取るようにはっきり見えるのだ。
「いかに俺の動きが遅くとも、そんなことは関係ない。お前は俺を狙ってくるのだから、ほんの一歩、否、半歩だけ横に動けば、それだけで空振るのは道理よ」
などと言ってのけるが、実際は、そう容易いものではない。
相手も意思ある
それを、しかし、持暇はみごと躱してみせたのだ。
それどころか――
「ぬかセ、ガキがァァァア!」
「さあ、参られよ。今ので俺もだいぶん落ち着いた。今度はこちらも斬らせてもらう」
今度は反撃さえ見舞ってみせるという。
次こそは最速最強の一撃で屠ってみせる、という思いが形をなしたかのような、鬼の大ぶりの一撃。それを、持暇はおおきく避け、つまり刀の間合いをとって、袈裟懸けの一閃。
鬼の腕がスパンと宙を舞う。
「グゥ、まだまだダ!」
「応、どんどん参られよ!」
反対の拳が迫りくるのを、横に跳んで避ける。
すれ違いざまに、逆袈裟に腕を斬り飛ばす。
そのまま放たれた追撃の袈裟懸けを、今度は鬼が跳んで躱す。両腕を失った鬼は、安易に間合いに留まるわけにはいかなくなったのだ。
「早く腕を再生させナけれバ……!」
「今度は攻守交代か? それもまた趣深い」
ニィと口を裂いて、持暇が鬼に肉薄する。
そこからは、一方的な運びとなった。
「どれ、次は振り上げだ。それから横凪ぎ」
「グゥゥ、オノレ、オノレェ!」
つぎつぎに繰り出される斬撃からなんとか逃れようと、
それは、ひらひらと宙を舞う操り人形と、それにじゃれつく猫のようにも見えた。
ただし、その猫はよく斬れる爪をそなえた、おそるべき大型の肉食獣である。人形は、獣になぶられていたのだ。
地面を蹴って跳べば、遅いとばかりに腕を斬り飛ばされ。ならばと上半身ごとおおきく振って、勢いをつけて動けば、こんどは短くなった腕をさらに撫で切りにされた。ヤケクソになって蹴りかかれば、脚を斬られて地面に転がされた。そのまま、ひと抱えもある太い胴体をスパンと両断される。
「ふは、ふははっ、はははははっ!」
持暇の剣閃はどんどん鋭く、速くなった。
すっかり息をのんで成り行きを見守っていた隊士たち。剣の心得がある彼らには、持暇がひとふりごとに「進化」していくのがよく分かった。
刀をふるう度、つまり鬼を斬るごとに、動きが最適化されていく。斬撃が洗練されていく。どんどん無駄がそぎ落とされ、一直線の、無骨で美しい流れ星と化していく。
「ああ、実に素晴らしい。実にたくさんの斬り方を、お前は教えてくれた」
達磨になって地面に転がる鬼に、持暇は上機嫌に語りかける。親しい友にそうするように、にこやかに。
「跳ね上がる人形の斬り方。跳び退さる人形の斬り方。横っ跳びに動く人形の斬り方。そして、殴りかかってくる人形の斬り方に、蹴りかかってくる人形の斬り方。実におおくを教わった」
ぐるぐる狂気の渦巻く、鈍色の瞳。
そこには油断も慢心も欠片も見当たらない。じりじりと砂利を踏みつけて、ゆっくりと鬼に近づいてくる。
「最後に、もうひとつだけ教えてはくれぬか」
その足許に、鬼は芋虫のように這い寄りすがりついた。
そこには、もう敵意は見えない。哀れな鬼は、必死の形相で命乞いをするばかりである。
「なっ、なんでも教えル! ダカラ、ダカラどうか助けてクレ!」
「なに、難しいことではない」
にこやかに微笑みながら、持暇は刀をふるった。
ずるり、と鬼の頸が転がり落ちる。
「頸の斬り方よ。今まで斬ったことがなかったのでな」
6,611文字
剣キチの変態が書きたかったので。